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2007/02/24

朋遠方より来るあり

朋遠方より来るあり亦楽しからずや

極めての有名な論語の一節である。
京都に引っ越してきて、この一節をつくづく感じる。有難いことに
「そういえば、京都には池田がいるな。ちょっと立ち寄ってみるか」
と西に来る予定のある人が声をかけてくれる。また、わざわざ予定を作ってきてくれる。

昨晩も、全国教室ディベート連盟関東甲信越支部で活躍されていて、今はふるさとに戻って先生をされているY先生が、仲間の先生と出張で京都に一泊で来るということで、久闊を暖めることができました。

お気に入りの先斗町のお店を予約しようとしたところ、金曜日の夜と言うことで満員。そこで系列店を紹介してもらいました。夜の鴨川はまあはっきりとは見えないのですが、それでも窓際の席を確保してもらいゆっくりと食事とお話をすることができました。

さすが系列店だけあって、味は大丈夫でした。私の大学での実践を話したり、高校の授業での相談に乗ったりしながら、お酒とおいしい料理を楽しみました。

説明が足りないようでしたら、学校まで行って校内研修会でお話しさせてもらいますからね。
来週もまた仲間たちが東京から来るので、私はとても幸せだあ。

2007/02/23

『<学級>の歴史学 自明視された空間を疑う』

『<学級>の歴史学 自明視された空間を疑う』(柳治男 講談社選書メチエ)を読み終えた。もちろん、再来年度の講義の準備の一環である。

私が講義で扱おうと考えているのは、学級担任の仕事を通して学級や教師の役割や意味を考えるというものである。学問として成立しているさまざまな教職関連の講義内容を、束ねる役割として学級担任とその仕事を考えて行きたいというものである。

であるので、
(そもそも<学級>とはなんぞや?)
という部分に深く触れることは想定していない。しかし、当たり前のことであるが授業で教える部分だけを用意してもダメなのが授業である。

この本とも対話をしながら読み進めることができた。
面白かった。

            ◆

本書では、学級が海外旅行のパックツアーと類似していることから論を始め、事前制御のシステムを持つ組織としての学級と、教育はかくあるべきであるという教育言説のダブルバインドの中で苦しむ子どもと教師の姿を学級の成立の過程を検証しつつ描き出している。

私は、
(自分が子どもの頃、学級や学校に対して感じていた居心地の悪さを丁寧に説明してもらっているな)
という感じも持った。私は教師になった時もこの居心地の悪さを学校で感じることが時々あった。愉快な職員室仲間とくだらない話をしながら、和気藹々と仕事を進めることができるときであっても、これはぬぐい去ることのできない、居心地の悪さであった。

この居心地の悪さの発生の理由は、うっすらとは感じていた。が、それをどうこうすることは学校教育現場で担任をしている私には手に負えない問題だとも感じていた。

ではあるが、これをあれこれ工夫して担任を続けていた。

            ◆

教師になるには、勉強ができなければなれない。そして、勉強ができるようになるということは必然的に学校のシステムに自分を従わせるということを許したということでもある。なんとなれば、この時代に学校という装置を使わずに勉強を身につけて行くということは、ほとんど不可能であるからだ。

これが適応であれば、まあさほど問題はない。私もぎりぎり適応だったのだろうと思う。問題は学校適応過剰である。学校の求めようとするところを先取りして、それに自ら進んで従おうとする姿勢である。

多くの場合、反抗期が効果的に作用して、この学校適応過剰が揺さぶられて、ほどほどの適応に落ち着くのだが、そうならないで成長してしまう人間もいる。そして、その学校適応過剰のまま教師を目指す学生、なるという先生たちが出てきているのではないだろうか。

            ◆

子どものころの私は、この居心地の悪さを説明する言葉を持っていなかった。ただ、不機嫌であった。
(なんでこんなことに従わなければならないのか)
(なんで「自分で考える子どもになろう」と他人に言われなければならないのか)
(自分で考えるのを強制されるって変じゃない?)
とかである。
あのころは、「考えさせられることは既に自分で考えるということと矛盾している」という言い方をすることができなかったので、ただ不機嫌なのであった。そして、時々説明しようとして大人に、先生に怒られていた。

            ◆

それらの私の不機嫌がどこから発生していたのかなどの説明がされていて、面白かった。そして、その一方で、
(さて、この不機嫌さを持っていない学生たちは、学級担任の仕事をする時に、居心地の悪さを感じている子どもたちに出会えるのであろうか?)
という思いを抱くのである。

学校適応過剰の教師たちからは、教室の中で暴れまくる子どもたちの感情も、論理も見て取ることは難しいだろう。そうしたとき、学級と言うパッケージのなかで担任の仕事を進めることは限りなく難しくなって行くと思われる。

私は学級や学校に対して居心地の悪さを感じたことのある学生が、もっと教師になってほしいなあと思う。それが今の教室で苦しんでいる子どもたちを救うことにもなると思う。

本書が提起している問題は、これから教師になって行く学生たちが確認しなければならない一つの前提になるのではないだろうか。

2007/02/22

なんという偶然

郵便局に用事があって、大学に行く前に立ち寄った。
すると、昔のミニクーパーSが停まっていた。しかも、グリーン/グリーン。かなりいじってあって好きものという感じが出ていた。

用事を終えて車に戻ったら、そのミニクーパーSも駐車場を出るところであった。しかも、方向は同じ161号線。結果的に私がその後を走ることになった。

161号の長良トンネルを一緒に走る。すると、対向車線にグリーン/白の現行ミニクーパーがすれ違った。

旧型ミニクーパーS  グリーン/グリーン
現行ミニクーパーS  グリーン/白
現行ミニクーパー   グリーン/白

なんという偶然。
ほんの一瞬だったが、これは妙にドキドキしてしまった。

そんな気持ちになれる車なんだなあ。
これはこれで病気かもしれない。

見て分かる

会議を挟んで読む読む読む。
5冊を並べて、次から次へと読む。
興味の対象に向かう主体は私なので、一見関係のない本であっても、私の中では重なり合った読みの流れができているはずである。その立ち上がってくる何かを求めて読んでいる。これが気持ちいい。

            ◆

その後、研究室で、ある教育雑誌の取材を受ける。野中先生が紹介してくださったようだ。「学級担任論」についてである。このところ、この話題についての取材が多い。先日もあった。

いまの学校現場を非常に良く理解している編集者さんで、
「このままベテランの先生が退職されてしまったら、新人の先生たちはどうするのかと思うと恐ろしくなる」
という危機感を持つことも、私達と同じである。

2時間ほど話した。4月号とのことなので新学期の準備に忙しい先生たちが、「読んで理解する」ではなく、「見て分かる」ようでないと見てもらえないだろうということで、話をイラストにして載せるとのこと。

私もなるべくイラストにしやすいように話したつもりだが、どうなるのか楽しみ。

            ◆

朝起きたら、差し歯が取れた。
ああ、また病院だ。
今度は本格的に治療だろうなあ。

うう。

2007/02/21

9万アクセス

いやあ、ありがとうございます。9万ですか。
あっという間に今年前半には10万アクセスになりますね。
今後ともよろしくお願いいたします。

2007/02/20

ますます加速する一方通行

本を読み原稿を書いて過ごす。
外はあたたかだ。
琵琶湖は青く輝いている。
春霞のようなものも出ている。

もう京都にきてから一年が過ぎようとしている。
今日は小さな目標を達成することもできた。
実に早く、実に色々なことがあったなあ。
また四月からはさらに公私共々いろいろなことが始まる。

自分の人生の残り時間は少なくなって行くというに、なんか加速している感じがある。スペースシャトルではなくアポロ宇宙船で育った世代としては、一段目のロケットが切り離されて、アポロ宇宙船全体としては短くなったロケットなのに、ロケットそのものはさらに加速をして行く。そんな姿をなんとはなしに重ねている。

違うのは、アポロ宇宙船は月に着陸した後地球に戻ってくるが、こちらは一方通行であるということだ。

            ◆

恩師の竹内常一先生から大学の研究紀要に書かれた論文の抜き刷りを頂く。「語りのポジションを問う ー志賀直哉「正義派」をよむー」である。私が学生時代に国語科教育法で挑戦した志賀直哉の小説「正義派」の読み取りについての論文である。これをウンウン言いながら読み込んでいった。

学生時代に習ったところは、不思議なことに今でも覚えている。
(小説を読むって凄いなあ)
と素直に思ったものだ。

この場合の読むは、楽しみとして娯楽として読むとはちょっと違う。「自分の人生や社会のあり方に問いを発しつつ、小説の描こうとする世界を読み開く」といえば良いのだろうか。

そして、先生はまだこの小説にこだわり、新しい読みを提示している。それだけ提示続ける先生が偉いのか、それに耐えられるこの小説が凄いのか。どちらもだろうなあと思う。

来年度がこの小説を使った大学での授業が最後になると先生はおっしゃる。そして、まだ学生との授業を通してこの小説の「読み」に新たに挑戦を重ねようとされている。

            ◆

先生の、「ますます加速する一方通行」を追いかけるってのは、大変だけど有り難いもんだと思う。

2007/02/19

自分のメモとして

ブログは、書きたいことを書いているように見えて、実は読んで頂いても大丈夫なことしか書けないというメディアである。

今日は、色々あった。MAのこと。SAのこと。KOのこと。MIのこと。はあ、全部大事なことなのに書けない。嬉しかったり、辛かったり、喜びであったり、苦しみであったりすることがあったと、自分のメモとして書いておこう。

他の人のブログを読む時も、こういう自分の状況を考えて、書けないこと、書きたくないことは書いていないんだと思いながら読まねばと思う。

            ◆

全然、関係ないが、思いついたこと。

Q 詩、短歌、俳句などの韻文は、ワープロで作れるのだろうか?

散文であればワープロはオッケーだが、私は、韻文はワープロで作れそうにもない。手書きでないとダメだと思う。これはなんで?

            ◆

本当は、まだのんびりと過ごさねばならないのだろうが、年度末はねえ。

みなさん、体に注意しましょうね。

ICTのチェックリスト

文部科学省からICTに関する教師のチェックリストが出た。

さて、どうなんだろうか。
まあ、出来ないよりも出来た方が良いとは思うし、出来ないと仕事にならないこともあるし、子どもの方が出来ていて先生も辛くなるということもあるだろう。

だけど、その前に

・チョークの使い方
・ワークシートの作り方
・生徒にきちんと伝わる声の出し方

なんてのは、いままであったのかなあと思う。

そっちが先だと思うのだが。
あったら、教えてください>詳しい方。

ホイホイである

プライベートな新年度の準備をして一日を過ごす。
いくつかあるのだが、それをホイホイこなす。
何かしていると耳鳴りも気にならない。
静かなところにいると気になる。
だから、ホイホイである。
ホイホイ。

            ◆

途中、気分転換でドライブ。cooper-sの心地よいエンジン音が、耳鳴りを隠してくれるのである。
制限速度の時速60キロで流すと、ぴったり30分で161号バイパスの終点につく。それでもって、同じように戻ってくると合計1時間で60キロのドライブになる。これが気持ちよい。田舎の道は空いていて良い。

今日は、面白い天気だったので思い立って「琵琶湖バレィ」に行ってみた。下の駐車場のところは全然雪がないので、ノーマルタイヤでも大丈夫。

琵琶湖がとてもきれいだった。
写真を撮ろうと思ったら、電池切れ。まあ、そういうこともあるさ。
また来よう。

山桜がたくさんあった。
お茶のセットを持ってこよう。

            ◆

ブログを読んでいるという京都出身の先生からメールを貰った。京都の今宮神社は病気の神様で、お参りすると耳が治るかもしれませんと。ありがたいことだ。早速お参りしてみよう(^^)。

2007/02/18

私の授業を学生に見せる

ふう、ぐっすり寝た。
時々起きたが、十数時間寝た。久しぶり。

            ◆

昨日の模擬授業は、実はもう一つ新しい試みをしていた。それは、私の授業を学生に見せると言うことである。

学生たちが
「先生が、初めて会う生徒に授業している姿を見せて頂くことは出来ませんか?」
と前から言っていたので、それを実現してあげたかった。

大学の授業で、授業方法を教えている私が、実際どのようにするのかを見てみたいと言うのである。極めて自然な発想である。

            ◆

音大の声楽の先生であれば、レッスンの時にも歌うし、自分のリサイタルで学生に聞かせることもできる。また、医学部であれば手術に立会わせることもできるし、見せる部屋もある。

しかし、教育分野でこれを実現するのは割と難しい。実に不思議だと思う。授業を行う理論が、実際にどのように行われるのかを学生が見るというのは、良い勉強になると思うが。

模擬授業は高校の公式の授業なので、通常なら学生を連れて行くことは出来ないと思うのだが、付属高校ということでちょっと大目に見てもらい、私の授業を録画するスタッフを兼業することで見せた。

            ◆

私は初めて会う子どもたちに授業をするとき、導入は比較的小さく低い声で始める。また、授業の進め方はゆっくりと始める。その進め方に
(子どもたちが乗ってきたな)
と感じることが出来るようになったところから、本格的に授業を展開する。

そこの土台に子どもたちが乗れば、あとは様々な変化を付けても大丈夫である。しかし、ここに乗る前に動き出すと、子どもたちは授業に参加できない。置いてけぼりになってしまう。この辺りの様子を授業で見てとってくれたら良いなあと思っていたのだが、きちんと感じていたようで、をを良かったということであった。

            ◆

いつも出来ることではないが、年に数回はこういう機会があっても良いのではないかと思う。

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