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2007/03/03

『新卒教師時代を生き抜く 心得術60 ーやんちゃを味方にする日々の戦略ー』

『新卒教師時代を生き抜く 心得術60 ーやんちゃを味方にする日々の戦略ー』(野中信行 明治図書)を読んだ。

北海道の堀さんは、野中先生の一冊目を読んで感動のあまり北海道から横浜まで出向き、
「野中さん、世の中に出てくるのが15年遅い!」
と叫んだとか、叫ばなかったとか。
この気持ちはとてもよく分かる。
ではあるが、雌伏15年であったればこそ、雄飛の本著があるとも言える。

ご自身の失敗談をエピソードに盛り込みながら、単にテクニックだけではなく担任教師としての、社会人としての哲学にまで触れられている。「人生の大事なことは半泣きしながら身につけるものだ」と山田先生@学芸大学は言われるが、この言葉を思い出す。

1)失敗するパターン
2)どうしたらいいか
3)さらによくするにはどうしたらいいか

のフォーマットで60のトピックを纏められている。
非常に読みやすい本である。

この春から小中学校の教師になる学生、非常勤講師の先生たち。ラッキーだなあ。この本があるんだもん。

もちろん、「人生の大事なことは半泣きしながら身につけるものだ」から、あなたも半泣きしないとこの本の本当の良さは分からないかもしれない。でも、スタートを切るまでにあと一ヶ月ある。まずは、熟読だ。そして、職員室の引き出しの中に入れておこう。この本のすごさが分かるはずだ。

学級は始まってから三日で一年間の方向がほぼ決まることが多い。教師という仕事は四十年近くやるのだが、実は最初の三年でその方向がほぼ決まる。変な癖を身につけず、先達が半泣きしながら身につけた「日々の戦略」をありがたくいただこう。定価は?2000円? 安っすいなあ。

私の仕事は、野中先生がここに纏められた「日々の戦略」をレッスンに落とし込んでいくことだな。
野中先生、相談させてください。よろしくお願いします。

2007/03/02

明日も楽しみな一日に

野中先生から新著を頂いた。
『新卒教師時代を生き抜く 心得術60 ーやんちゃを味方にする日々の戦略ー』(野中信行 明治図書)
三部作の最後の本である。

前書きには私のつぶやきも収録されていて、ちょっと恥ずかしいが、いやあ、これは良い本だ。

まだ全部は読めていないが、明日、読み切れるはずだ。
明日も楽しみな一日になりそうだ。

『なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える』

『なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える』(諏訪哲二 光文社新書)を読む。
点滴を受けながら読み、研究室にこもりながら読む。
良かった。

教育再生を学力向上にだけ求める現在の政策や風潮を批判し、なぜ勉強をしなければならないのかを語っている本である。私がスマップの『世界に一つだけの花』を受け入れることができない理由も、改めてよく分かった。

諏訪氏はもちろんあの名著『オレ様化する子どもたち』の著者である。かの本では日本の子供たちが1975年を境に、農業社会化、産業社会化の先にある消費社会化に突入した近代日本を生きていることを前提に、学校教育の現状を説いた本である。本書は現状の教育改革の政策、アイディア、指導方法、風潮に批判的な検討を加えて、その先の世界を提示していく。

批判の対象とされているものは、多岐にわたる。たとえば、お受験キッズ誌、学校と塾の関係、ゆとりの教育(これは擁護)、陰山メソッド、親野智可等、Tossなどにも触れ、どこに問題があるのかを丁寧に説明する。

圧巻は、最後にある「エピローグ」である。このエピローグのために本書はあるといってもいいかもしれない。本書の最後にある7pを楽しみに読み進めるのが良い。できれば、声に出して読むといい。諏訪氏の語りが聞こえてくる。「この私」と「人類」との関係から勉強するとはどういう営みなのかを語っているのが分かるであろう。

本書と対話しながら読むことができたおかげで、私もかなり自分の意見をすっきりとまとめることができた。そして、教育ということ、学校教育ということ、親ということの難しさとやりがいを改めて感じることができた。

感謝したい。

2007/03/01

年度末は

病院を変更して、新たな治療を受けることにする。
これから一週間毎日二時間の点滴を受ける。
スケジュールを調整しつつ行きましょう。

            ◆

私の体もそうだだが、Macの調子も整えてあげよう。
HDを取り替えて増設し、もともとのものをケースに入れてバックアップ用にする。
カードを入れて無線対応にするなどなど。

OS9で動く最後のMacなので、それはそれで使いやすくしておこうという思いである。明日、本格的にセットアップである。

            ◆

研究室には、新しい研究室に引っ越しをするための段ボールが届き始めた。
研究室の本を、ここに詰め込む作業が待っている。
ふう。

            ◆

年度末は、いろいろと整える日々である。

2007/02/28

二日連続で

二日連続で東京からのお客人を迎える。
ディベートお仲間の臼井さんだ。

こちらに小旅行で来るというので、そこに一泊便乗して二人旅と相成った。私もちょっと調べ者があったしね。魚が好きということなので、筑田さんと大感激した例の小浜のお店にcooper-sで向かうことにする。

最初に大学に寄ってもらい私の研究室で、この一年間にどんな授業をして来たのか等を話す。ちょこっとのつもりがここで結構な時間話し込んでしまい、このまま小浜に行ってしまうとかなりの空腹になるので、生協で軽く食事。
「うちの大学の生協のミートソーススパゲティより美味しい」
とお褒めの言葉を頂く。

            ◆

車は161号から琵琶湖沿いを通って小浜に向かう。途中、琵琶湖の畔で軽く休憩。湖北はとても水がきれいなのでそれを実感してもらおうと思ったのだ。きれいに澄んだ水は、本当に心地よい。

車の中ではお世話になった和田中ディベート部の話や、大学での話、あれやこれやと楽しく意味のある会話を続ける。いやあ、いいなあ。

            ◆

小浜についてまずフィッシャーマンズワーフで地物づくしのお寿司を頂く。いやあ、うれしいことに耳の騒音もほとんどしない。のんびり寛ぐことができているんだなあと思う。

さらにあれやこれやと話を続ける。教育に熱く、酒と魚にも熱い臼井さんとの話は、実に楽しい。

チェックインして後、夕食に行く。あの店である。
この店は、地物の魚しか出さないので、前日の天候が大事である。幸いにして天候は大丈夫。期待して入ると、これがまた大当たり。刺身、干物の両方を臼井さんが持参してくれた千葉の名酒を持ち込みして味わうことができた。ああ、幸せ。

            ◆

「朋遠方より来るあり亦楽しからずや」
このところ、この言葉がしみじみと心に入ってくる。
ありがたいことだ。

論理的思考の初期条件

いやあ、初めて入った。
京都橘大学文学部児童教育学科の校舎である「児優館」(じゆうかん)にだ。
四月から使うことになる新しい研究室にも入った。
武者震いがしたな。
三月末に研究室の引っ越しを行い、新学期の準備を行う。

この校舎を使っていろいろな研究会も開くことになると思う。
丁寧にたっぷり使おう。

            ◆

今年度の研究費の申請締め切りが今月末ということで、残りの研究費の最終的な使い道を確定する作業を行う。大学教員一年目なので何をどのように使えば良いのかと言う見通しを立てにくかったので、節約しながら使っていたのだ。

三月に読む分の本も沢山買ったので、他に使っても大丈夫だろう。

            ◆

奥さんが、大津の広報をパラパラ見ていたら、三月三日、耳の日を記念して、耳の健康診断・相談会を専門医が無料でしてくれるというので、慌てて予約を入れる。気になっていると発見するものだ。ありがたいありがたい。

            ◆

今日の高校での模擬授業は、なんと三十分間だけ。これで教育の何たるかを説明してくださいというのは、無理です。無理ですが、やらざるを得ない。あれこれ準備をしていたのだが、途中で止めた。通常50分から90分かけて話す内容である。これからどれを話そうかと考えていたのだが、止めた。

思ったのだ。
(私があれこれ考えるより、高校生に直接聞いた方が良いだろう)
と。
つまり、話をする予定の項目を6つほど出して、この中から二つ選んでもらうことにしたのだ。私が伝えたい内容よりも、生徒が聞きたい内容を話した方が良いだろうとの判断である。

この判断は良かったようだ。しかし、三十分というのはねえ。

            ◆

夜は、東京から私のライティングの先生がくるというので、一緒に食事をした。パラグラフライティングの倉島先生である。京都で明日講座があるというので前泊。折角だから一緒に食事をしましょうとのお誘いを受けて、喜んで。

祇園のとあるお店に行きました。相変わらず美味しい。
その美味しい料理を頂きながら、刺激的なお話も沢山。

その中の一つが、論理的思考はどのようにしてその人に芽生えるのかということである。なんで、論理的思考が得意な人とそうでない人とに別れるのであろうかということ。鍛えて伸ばすではなく、もともとの始まりは何か?ということである。

おそらく自分で自分を鍛えることができていた人が、論理的思考を手に入れることができたのだろう。だとすれば、それはなにか?

取りあえずの結論は、「考え続けることをするかどうか」である。
これができていることが、論理的思考を行う人かどうかの大事なポイントではないかと思うのだ。いかがであろうか。

楽しい話を沢山して、京都駅でお別れした。また、お待ちしております。

2007/02/26

伏線発見 「スイングガールズ」

昨晩久しぶりに「スイングガールズ」を見た。
この頃の上野樹里ちゃんは好きである。冷静に考えると非常に嫌な女の子なのだが、それでも表情は豊かで見ていて
(ああ、こういう女の子に生まれたら高校生活は楽しいだろうなあ)
と思わせる。

            ◆

以下、ネタばれあり注意

            ◆

野球部の応援に行くシーンがある。一回食中毒になったブラスバンド部が復活して、再び演奏ができることになり、野球部の選手の一人に惚れているトランぺッターの女の子に連れ添う形で、三人で応援に行くシーンである。

試合は九回ツーアウトランナーなし。
そこに、代打で出て来たのはトランぺッターがほれている男の子。

私はここのシーンが良くわからないでいた。
なんで、わざわざストライクを2球見逃すシーンを描いていたのかが。
映画のテンポから言うと妙に無駄に饒舌なのである。
こんなシーンは入れなくても良いと思っていた。

それが、昨日見ていて分かった。

            ◆

2球見逃した後、スタンドから野次が飛ぶ。
「見逃したってダメだ。スイングしなければ意味がない!」
と叫ぶのだ。

(あ、これか)

            ◆

もちろん、バッターとジャズとでスイングにかけているのだ。
この「スイングしなければ意味がない!」は映画後半のキーワードになってくる。

はあ、すっきりした。

また夢の話である

また夢の話である。
いやあ、スケールがでかい。

            ◆

とある重要な研究の結果を狙われる研究者である私。
そのデータをきっちりと手に入れて研究所を飛び出す。
すると、待ってましたとばかりに追っ手が。

しかし、それは十分に予測の範囲内。
BGMが流れる。「シング・シング・シング」だ。
これは明らかに昨日の「スイングガールズ」の影響だ。

私の運転する車は、とても早くて追っ手は付いて来れない。cooper-sは早いのだ。
大方の予測を裏切って、私は飛行場に駆け込み海外への高飛びを決め込む。
後少しで離陸するというところで、追っ手が空港内に入って来たのを知る。

慌てて離陸間際の飛行機に飛び乗る。乗れるのだが、中で待っていた奥さんに
『すまんなあ、こんな人生に付き合わせてしまって』
と謝ると
「仕方ないわ。でも、楽しい人生よ」
と言う。
『ま、お前は全然関係ないから大丈夫だよ。それじゃあ、しばらく不便をかけるけど、後は色々よろしくね』
と言って、私はジャンボジェットから飛び降りる。背中から羽根がはえて、奥さんに手を振りながら大空を滑空して去って行く、というところで目が覚めた。

            ◆

『いや〜、凄い夢を見た』
「な〜に?」
と私のあまりの興奮に奥さんも目が覚めた様子。
事情を話したら、
「あ〜、それはこういうことね」
と簡単に分析されてしまった。
さらに、
「それは、ルパンでしょ?」
とも。
なるほど、そうかルパン三世だったのか、オレ。カリオストロの城かあ。

            ◆

なんだか知らんが楽しい夢ばかりだ。
寝るのが楽しいような、怖いような。

2007/02/25

させていただく

「させていただく症候群」という言葉があるぐらい、この「させていただく」の言い方は、気になる人がいるものの、流行っている。

どうなんかなあ。本音はどうか分からないが、日本人の考え方の根っこのところにあるものが変わらないとこの言い方は変わらないかとも思う。

            ◆

ロサンジェルスオリンピックの時だったと思う。
カールルイスは、スタジアムに詰めかけた観客に手拍子、拍手を求めた。
その理由が振るっている。

「私がこれだけ頑張っているのだ。観客は応援して当然である」

これを聞いて私は、
(ああ、日本は勝てない)
と思った。

            ◆

カールルイスだって、税金でまかなわれている部分もあるだろうに、それは触れずに、自分が努力している部分を先に認めよ、自分がやっているからアメリカは名誉を得られるのであるという発想に、日本人はなれないだろうなあとおもった。

まあ、なれば良いのかどうかは分からないが、スポーツ競技においては勝負にはならないと思ったなあ。

            ◆

私としては、
(まあ、そうなる日本人の心根はそれはそれで良いのかもしれないなあ)
の一方で
(そこまで言うかお前。何か企んでいる?)
とも思うのである。

やっぱりひねくれている、私?

ナイトメア

佐瀬さんのブログを寝る前に読んだのが原因だと思う。実に苦しい夢を見たf(^^;。

中学三年生の定期考査で、自分の出題した試験が終わり回収したところ一種異様な雰囲気。何だろうと思って、答案を確認すると、解答用紙が自分で作った模範解答の入っている解答用紙になっていた。
(が〜ん)
やり直しである。
(こりゃあ親からどーんとクレームが来るぞ。ううううう・・・っ)
で、目が覚めた。ふう。

再び寝るも、また、同じような中学校の生活指導で子どもたちと格闘する夢。うなされて起きる。ふう。当たり前だが、まだまだ体から中学校の教員が抜けないものだ。

            ◆

昨日は病院に行って検査。低音域は聞こえるようになってきたものの、高音域はダメ。さらに耳鳴りも治らず。薬を継続して飲むことに。耳鳴りの根本的な原因は今の医学でも分かっていないとのこと。そんなぁである。

(突然こうなって、そのままかよ)

これが人生だと思いながら、納得のいかない私。でも、目が覚めたら体が動かない人もいるのも人生。まずは受け止めて行かなければなあと思う。

            ◆

学生たちの卒業制作書道展が市内の京都文化博物館で、今日の日曜日まである。私は昨日行って来た。本学の文学部書道科は、大学生の書道展で四年連続金賞を受賞するレベルの高さである。

私が授業で教えていた四年の学生たちも、当然ではあるが作品を出していたので見に行ったのである。

屏風の作品と巻物を主体とした作品が所狭しと展示されていた。屏風は結婚式でも使えるぐらいの大きさ、巻物では三メートル以上。大したものである。◯ 遂良(ちょ すいりょう )の字体で書いてあるものや龍門石窟の字体で書いてあるもの等、私にもなじみ深いものもあった。

作品を仕上げるということへのエネルギーを沢山感じられて、少し元気になる。学生たちはこれでいよいよ卒業である。寂しくなるねえ。

            ◆

その後、カーナビを見たら書道展の会場から近いことが分かったので耳の快癒を祈念して、再び今宮神社にお参り。

帰り道でちょこっと車の後ろをぶつけてしまってショック。
そういうこともあの悪夢に繋がったのかもしれないf(^^;。

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