とうとう たら〜りたら〜り
「とうとう たら〜りたら〜り」
である。
◆
朝四時に起きて、寒さ対策を万全にして日吉大社に向かう。大晦日の新聞に、朝の五時から始まる大戸開神事で、観世流の「ひとり翁」が奉納されると言う記事を、奥さんが発見してくれた。
こう見えても嘗てほんの少しだけ能をかじった事がある。「翁」は正月等の目出たい時にしか演じられる事のない、珍しい演目である。これを無料で見る事が出来る。しかも、自宅から車で15分のところで行われる。行くしかない。
◆
20分前に到着。
日吉大社は、坂を上ったところにお社がある。これから上ろうと思った時に、灯籠の灯りが次から次へと消える。
(そんな。道が見えない)
慌ててデジカメを撮影モードにして、モニターの灯りを懐中電灯の代わりにして歩く。坂を上ったら神主さんと能楽師が並んで松明の光に照らされていた。
◆
境内まで音もなく静々と歩く。観客は5、60人ぐらいであろうか。わざわざこんな時間に見に来る人たちだ、奇声を発する人もなく、ただ静々と歩く。これが良い。
大戸開神事であるからして、神主さんは例の大声とともにお社を空け、祝詞をあげる。そして、そのタイミングで、翁の能が始まる。
◆
翁と言う能は、お能の中でもかなり古いものと言われている。台詞も何を言っているのか分からない事が多い。「とうとう たら〜り たら〜り」というのは、翁の最初の仕手方の台詞である。
しかし、良かった。
松明の爆ぜる音しかしないなかで、仕手の片山清司さんの滔々とした声が境内に響く。この土地で暮らす人たちの魂を慰めるように、清めるように、鼓舞するように滔々とした謡いが響き、ゆったりとした舞が松明に揺れる。
私もこの土地の一部になった感じすらする。
http://hanamochiya.hp.infoseek.co.jp/okina.html
◆
年末年始と関係なく開くスーパーやコンビニ。
ともすれば、日常のままの正月となってしまうこのごろ。
「ハレとケ」の区別のあった日本は、「ケ」の拡大や「ハレ」の膨張により、なにがなんだかわからなくなってきていると感じる。
近代は個人の確立を目指してきたが、個人の確立は個人が自らの社会の構築を求められる事になっていることに気がつかなければならない。面倒な時代でもあるのだ。
◆
人類の安定した繁栄。
家族の健康と安全。
学生たちの人間的な成長。
お祈りもしてきました。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
« 更上一層楼 | トップページ | 「福の神だよね」 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント