野中先生の口癖
(ん? 教室が暗くなったぞ)
野中信行先生の授業と教室を参観させて頂いた。
授業が終わり、帰りの学活が終わるとき、さようならの挨拶をする前に暗くなったのだ。
ここに野中先生の指導の哲学があるのだなあと思った。
通常、さようならをしてから日直が教室の電気を消す。
しかし、そうではなかった。
さようならをする前に、教室の電気を消す。
(すげー、そういうことか)
私は来年度行う予定の「学級担任論」のシラバスに密かに一項目を入れていた。
◆
教室中には、ありとあらゆる工夫がされていた。
本棚を見れば、その人がどんな勉強をしてきてどんな人柄なのかが分かると言われるように、教室の道具や掲示物は、その先生の指導の哲学が現れる。
間違えてはいけない。
道具を揃えて掲示物を同じにすれば、野中先生と同じになるのではない。
野中先生は、「○○という子どもを育てたい、人間を育てたい」という哲学があって、そのために道具や掲示物の工夫をされている。なぜ、その工夫をしているのかが分からないと真似だけしてもダメだろう。
例えば、教室にある先生の仕事机は、教室の窓側の一番後ろにある。通常は窓側の一番前にある。私は唸った。この凄さが分かる学生はどのぐらいいるのかなあと思いながら拝見した。
ではあるが、まずは真似をする事で、その工夫の土台となっている指導の哲学を考える事が大事なのだろうなあ。
◆
4時間目、私も授業をさせて頂いた。
40分の持ち時間で、六年生二クラス。飛び込みで小学生に授業をするのは、初めてではないかなあ。
なんとか時間通り(実際は3秒伸びた。ちょっと悲しい)に終わらせる事が出来た。子どもはぐっと集中して授業に参加していたし、一緒に見ていた先生方からお褒めの言葉も頂いたが、これは、野中先生が学ぶ体を作って下さっていたからのことである。
学ぶからだとは、簡単言えば教えてくれる人、または学ぶ内容への「尊敬」と「礼儀」である。これらを持たない者は、学ぶことは難しい。小学生であってもこれが持てなくなってきている。それでは、学ぶ事は難しい。大きく成長する事も難しい。
子どもたちは、とても良いプレゼントをもらっているのだが、小学生がこれに気がつくのはいつの事かなあ。
◆
口癖。
野中先生の口癖は、「〜ですから」というものである。「〜です」と言い切るところでも、「〜ですから」とすることが多い。
この口癖をクラスの多くの子どもたちが、受け継いでいる。授業中、休み時間と子どもたちの会話を聞くと「〜ですから」と言っている。
子どもは、好きな人の仕草や口癖を身につける。
私はとても幸せな気持ちだった。
◆
5時過ぎに学校を失礼する。
横浜の広い空に、14番目の月が出てきた。
そして、大きな夕日が沈んで行く。
(「菜の花や月は東に日は西に」かあ)
本格的な春を実感するあたたかな一日に、大事な事を学ばせて頂いた。
野中先生、ありがとうございました。
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