欠落感の自覚
いまでも夢でうなされる事がある。それは、自分の欠落感についてである。自分が不完全な人間であると言うことは、良ーく分かっているのだが、教師と言う仕事をしていると、社会的にも通常より上のレベルで人間の良さを求められる。これが、辛いのだ。
若い頃は、自らの欠落部分を埋める作業に取り組んだ。足らないところを補うべく自分で頑張る。ところが、これには限界がある。あるとき、欠落感の充足のためには、欠落を探すこと、自覚する事の方が大事ではないかと開き直る事にした。
『ぼくを探しに 』は、言うまでもなく名著である。
足りないとき、自分でなんとかするのではなく足りない部分にぴったりのパートナーを捜せば良いということになる。
自分のどこに欠落があるのかを自覚する事は、ぴったりのパートナーを捜すためにとても大事な事である。自分に欠落があることが問題なのではなく、何が欠落しているかを理解しない事が問題なのである。
私の欠落部分は、多岐にわたり尚かつ多くの人が欠落していない部分にもある。だから、ここをなんとかするとユニークに人生が展開するはずであろうと思ってはいるが、まだまだ欠落をマイナスに捉えようとする自分がいて、夢でうなされるのである。
欠落を発見して喜ぶ夢ってのは、そのうちに見る事が出来るのであろうか。
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