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2008/03/31

今朝は吉祥寺にいた

翌朝、吉祥寺のホテルで目覚める。
バスタブに少しお湯を張って寝たので、のどの具合は悪くない。あーあーあー。

もし天気がよければと思ったのだが、雨だったので部屋で仕事。晴れていたら井の頭公園の満開の桜を見に行こうと思ったのだが、中止。雨ぐらいなんでもないと思うこともできるが、昨日の夜の行動のどこかで傘を紛失していてさすがに濡れながらは無理なので、部屋でお仕事。

            ◆

帰りの新幹線もN700系。いやあ、乗り心地が良くて電源が使えて、できるだけこれに乗りたいと思う。帰りはぎりぎりに指定をしたので、喫煙ルームのすぐ近くの席になってしまったが、喫煙車両のそばの禁煙車両で感じる煙臭さはほとんどなかった。良かった。

ふと気がついたら、もう米原を通過していた。そしたらすぐに我が家が見えるはず。見ていたら琵琶湖の向こう側に我が家が見えた、そしたらあと3分で京都駅に到着とのこと。おいおい、ここから3分かよ。

京都駅では、団体さんが大量に下車。いやあ、桜の時期ですねえ。いよいよ観光シーズン本番ですねえ。

            ◆

家に帰ると、奥さんと娘が隠れていて私を驚かそうとしていた。
「ばあ〜」
と出てきた娘は、逆に私を見て驚いていた。そして、笑っていた。妙に機嫌が良かった。家を空けていてもこうして何事もなく、成長している娘。奥さんに感謝だ。

            ◆

荷物をほどいて、大学に直行。
年度末最後の仕事が残っている。これを片付けなければならない。

大学について車を停める。ああ、桜が咲いている。
切なく、うれしい春だ。

            ◆

しかし、そんな感傷に浸っている間もなくひたすら「児童心理」の原稿を書く。書く、書く、書く。

書こうとしていた内容は箇条書きで一ヶ月以上も前からマックの方に書きためておいた。思いつくたびに書き留めていたので、それを一つのまとまりになるようにグルーピングして、見出しを付けて、文章化してというようにして書きまくった。

ふう。とりあえず書き終えた。これで明日の午前中にもう一度読み直して、推敲しておしまいになる。

            ◆

おいおい、今朝は吉祥寺にいたなんて信じられないなあf(^^;。

スタジオのスタッフのどよめき

以前書いた、ちりとてちんの最終回の前の日の様子です。

森本アナウンサーの粋な計らいで、身震いがしました。まるで、ディベートの決勝に残ったチームが自らの立論の時間を割いてまで行う、サンクスワードのようで、

http://www.youtube.com/watch?v=CfoTZ0NePE0&eurl=http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20080328/1206668573

良く聞くと、スタジオのスタッフのどよめきが聞こえます。
仕込みではないテレビのどよめきなんて、そう聞けるものではありませんからねえ。

未来は、今日から

年回りだろうなあと思うのだが、この春は仲間の人事異動が多く感じる。転職や昇任ということでの人事異動である。

40歳前後というのはそういう年齢なんだろうなあ。子育ても一段落し、いままでやってきた仕事では自分がやれることとやれないことがわかり始め、なんとなく自分の仕事人としてのゴールも見えてくる。

そんなタイミングで転職やら昇任やらとなるんだろうなあと思う。

            ◆

大学に移ってみて思ったのは、中学校と同じだなあと思うところもある一方で、立場や役割が変わると、新しいアイディアが出てきたり、仕事の密度が変わるという思いだ。

私の場合は職を辞し、東京を離れて京都にやってきて家も車も新しくしてとしてきたのだが、それが今の新しい生活を作っているのだということがはっきりしていてよくわかる。このはっきりとわかるってのは、いいなと思う。

私が敬愛して止まない歴史学者のF先生は、引っ越しのたびに家財道具をすべて新しくしてきたということだ。さすがにそこまでの経済的な余裕は私にはないが、過去を一回チャラにして、新しく一歩を踏み出すってのは、ありだなあと思う。

            ◆

過去は、昨日まで。
未来は、今日から。

新年度からの出会いと成長を楽しみにしよう。

授業づくりネットワークの春の集会

東京に二泊して、一つのお仕事を終えた。授業づくりネットワークの春の集会である。250人以上の人が参加ということでかなり盛り上がった会となった。

東京は満開の桜。会場の成蹊大学もきれいな桜であった。こうして、東京の桜、京都の桜と二都の桜を愛でることができるなんて、実に贅沢だなあと思う。私、こういう贅沢は大好きである。

            ◆

私の講座は三つ目だったので、その前に二つの講座に出る。一つは桂先生の国語。もう一つは佐々木先生のお笑い教育講座である。

当たり前だが、どちらも面白い。面白いだけでなく勉強になる。授業の運び方で、私と違うなあと思う展開がいくつかあり、これはこれで勉強になる。

こういう講座に出ると、どうも私は笑いの壷の位置が他の方と違うらしくで、他の方が笑ってないところでおかしくなってしまう。なもんで、全体のムードを壊さないように押さえ気味に笑い続けるのであった。

            ◆

私の講座は、『こんな時どう言い返す』の講座だ。事前の申し込みで30人を突破していたのだが、実際の講座は50人近くいらっしゃって、驚きであった。

参加者のみなさんに、『こんな時どう言い返す』の形式で事例を書いてもらうのであるが、最初にこの講座をやったときからずっと同じような内容の事例もある。私の本に取り上げてある事例もある。しかし、その一方でもう少し複雑になってきている事例もあるなあと、その事例を読みながら感じていた。

通常は、その事例を一つ一つ参加者のみなさんとどう解決するか考えながら行うのだが、今回は参加者が多すぎて無理と判断。私の事例でワークをしつつ、少しだけ事例検討を行った。

そして、事例検討を少なくしたことで時間を作り出し、今までは講座であまり触れなかったことに触れた。それは、指導の哲学の問題である。

            ◆

なんで、私はすぐに言い返せるようになったのか。それは、いくつかの要因がある。言葉の教師なので、言葉に敏感であるということはあるが、それだけではない。実は言い返しのための、規準と基準を持てるようになったからなのである。

一つの発言に対して、どこに目を付けて、どの程度の力加減で言い返したらいいのかがわかってきたからという言い方ができるかもしれない。

このことを指摘して、先生方が自分の規準と基準を持てるようになることが大事ではないだろうかという話をした。

            ◆

講座後、重たい課題を抱えている先生方から個人的に相談を受ける。つらさ、しんどさがわかる。できる限りのアドヴァイスをした。乗り越えていただければなあと思う。

            ◆

その後、成蹊大学の校舎の最上階にある懇親会会場に移動。会場に入ると、
「先生!」
と聞き慣れた声。きときと君が既にスタンバイしていた。きときと君の同僚の先生とさらに四月から教壇に立つ今年の卒業生のT君もいる。

「研究会に行くならば、懇親会まで出るべきである。いや、懇親会に出ないのであれば研究会にいくべきではない」

と私は教わってきた。お酒が飲めるとか飲めないとかの問題ではない。自分よりすごい人、自分とは価値観が違いながら同じ目的を持っている人が、こんなにすぐそばにいる。ここと交わることをしないのはとてももったいない。

さらに言えば、自分が参加した講座の先生の人となりも感じることができる。
(へ〜、あの実践はこういう先生のところで生まれたのか)
と感じることができる。こういう部分がとても大切だと思うのだ。

講座というのは、言ってみれば花とか実の部分である。そこだけ味わうのもありなのかもしれないが、実践者として授業を行うには花とか実だけを鑑賞してもだめなのである。枝、幹、根がどのようになっているのかを確認していかないと、とてもじゃないけど授業は作れない。

そういう意味で私は学生たちに、懇親会まででよ。出るためには、名刺を用意せよと口酸っぱくいっている。

今回の懇親会で四月から教師になるT君は新しい名刺を自分で作ってきていたし、書道コースのS君の名刺を持ちながら、私のところに挨拶に来た成蹊大学の学生もいた。とてもいいことだと思う。

            ◆

そして、懇親会の後、石川晋さんやきときと君、さらにはお久しぶりのいけち先生と店に繰り出し、あれやこれやと話す。これからの日本の教育についてあれやこれやと話すのであった。夏は、8/11,12に仙台で開催である。

春の雨が降り始めた吉祥寺は、大会とお酒に酔った私には心地よいものであった。

2008/03/29

新幹線はA列でも富士山を

忘れないうちにメモ。
新幹線に乗るときはいつもD列の座席を予約するようにしている。それは、簡単に言えば富士山を見たいからだ。

東京に向かうときも、京都に向かうときもD列は富士山側である。関東で育った人間は、富士山を当たり前のように見てきたが、関西に行ってみればそれはなかなかありがたいことであったとわかるのである。

で、D列なのだが、今日のN700系は春休みということもあり、満員。A列の窓際がやっと取れたという状況である。で、まあ富士山はあきらめていたのだが、ふと何かで読んだ記事を思い出した。

新幹線はA列でも富士山を見ることができるというのである。

            ◆

ぼーっと窓の外を見ていたら海が見えた。
(え、もう熱海?)
そうではなかった。静岡の手前であった。たしか、その記事には海が見えた直後あたりにA列から富士山が見えるとあったはず。

じっとこらえてみていたら、見えたのである。
富士川をわたり、安倍川を通過するあたりである。駅は静岡駅を通過する前である。D列から見る富士山は新富士駅を通過するあたりで見ることができるのだが、A列からは富士川を通過したら右前方に見えるのである。

これで楽しみがまた一つ増えた。

東京に明日向かう

大津の桜は蹴っ飛ばせば咲きそうなぐらいに蕾は膨らんでいるが、まだ咲いてはいない。東京では満開の桜だとか。その東京に明日向かう。

今回もN700系を予約できた。窓側だから、ACも大丈夫。マックのモードもパフォーマンス優先でばりばり原稿を書きながら行きましょう。

           ◆

今日は母親の誕生日。だが、なんだか訳の分からなくなっている私は、日にちを間違えていた。いや、母親の誕生日が3/28ということは覚えているのだが、今日が3/27だと思い込んでいた。

『明日泊めてね』

と言いながら、誕生日が明日と思い込んでいて、お祝いの言葉を言わない親不孝な息子。

『誕生日明日だよね』
「今日だよ」
『え?』

なんてこった。

           ◆

新しいマックになったので、いままでやるのを控えていた作業を始めた。iPhotoを使ってアルバムを作成することだ。竹内常一先生の最後の授業の会の写真をこのやり方でアルバムにして、PDFで出力するのと実際に注文するのをやってみた。

いやあ、早い。
そして、簡単。

もうこれだけで十分にもとをとった気分である。

           ◆

といいつつ、さらにiPhotoのウェブギャラリーなる機能も使ってみる。写真を選んでクリックすると、.Macというものに契約している私は、あっという間にウェブに写真集が出来上がる。

このアドレスを両家の親に送る。すると、これまた簡単に見ることができるというシステムである。

マックはこのようにして実に簡単に作品を見られるようにしてくれる。なんてことだ。すごすぎる。

           ◆

新学期の準備もしよう。

その道中の、よーきなこと

「ちりとてちん」が終わってしまった。
いやあ、いろいろなものを考えさせられたドラマだった。

            ◆

昨日の番組が終わったあとのニュースでは、
「明日の最終回もお楽しみに」
という台詞でニュースが始まったので驚いたが、まあそれが許されるだけ人気があったのだろう。

作っている人も、出ている人も、見ている人もとってもこの番組を愛しているのがテレビから伝わってくるんだなあ。この感覚は、パーデンネンが登場するあたりの「オレたちひょうきん族」や、四回目過ぎの「タイガー&ドラゴン」に似ている。

            ◆

今日の最終回は、話をどのようにハッピーエンドにするのかということに興味があった。が、すべてをハッピーエンドにしないで、苦みを残すような演出もされており、さらに、この先「ちりとてちん2」を作ってもおかしくないような流れになっていた。でも、
(パート2は作れるのかなあ)
と思えるぐらいの力の注ぎ方である。

かつて藤本義一さんが、「小説の書き方10の法則」のような本を批評して、
「小説家を目指すなら、この本はじっくりと読まなければなりません」
と言った後で、
「その後で、11番目の方法をあなたは考えなければならないのです」
と言っていたが、そういうことなのだろう。書ききって、もう何もありませんという状態で、次に進むことがいい仕事のための必要条件なのだろうなあと思う。

中学生にディベートクラブの指導をしていたときに、己の今のすべてを注ぎ込むことがどれだけ大事なのかということを、私はかなり学んだ。出し切らないと次のものが入ってこないのだ。出し切ることで次のステップが見えてくるのだ。

            ◆

思い立ったのでNHKのHPから「ちりとてちん」のページを見てみた。すると、番組制作者のスタッフ日記があるではないか。リアルタイムで制作者の思いを読めるなんてのは、実に面白い時代になった。

23回目 3/29 受け継がれていくもの 制作統括 遠藤理史 http://www3.nhk.or.jp/asadora/staff/staff.htmlから、引用開始 ーーーーーーーーーー

ちりとてちんは「人から人へ伝わる何かへの愛おしさ」を描いたドラマ

引用終了 ーーーーーーーーーー

私もこれはずっと感じながら見ていた。私の場合は、師匠と弟子の関係の中から教育で言うところの「正統的周辺参加」の文脈で見ていたが、作る側もそうだったんだなと思った。

それは引用箇所の「伝わる何か」という言葉でわかる。大事なのは「伝える」ではないというところである。

日本は察する文化であるから、「伝える」ではなく「伝わる」ものを重視してきた。ここをもう一度考えてみようと言うことであろう。私は、「伝える」も「伝わる」もどちらも大事だと考えている。どちらも同じように必要で、その人の特性やその人の属している集団の文化で使われ方が違ってくるのだと考えている。

だが、ドラマはそもそも「伝わる」ことを前提にして作られているものであろうし、少なくとも私には十分伝わった。

            ◆

以下、次の◆までネタバレあり。

最終回のエンディングのシーンは、主人公の若狭が子どもを出産するシーンで終わる。私は半年前の自分を思い出しながら、見ていた。

若狭が、産室に入ると草々は、明るい光の差し込む暗い廊下でただ立ち尽くした。ドラマではBGMも台詞もなく、ただ、無言の場面。

すると、旦那の草々は落語の「愛宕山」の一節を語りだした。

「〜その道中の、よーきなこと」

見ている私たちに、涙がでないわけがない。

見ていた方にはお分かりのように、この台詞は若狭が初めて落語に出会った先代の草若師匠がお得意とする、愛宕山の一節であり、番組の中でも良く登場していた台詞である。この台詞を言い終わると、産室から産声が聞こえてきた。
(ああ、これでこの三人の人生は、陽気に行くんだな)
という暗示の台詞であった。

もちろん、この産室のシーンは、若狭が生まれるときに若狭の父親が産室の前で五木ひろしの「ふるさと」を歌うシーンと重ねている。つまり、「ふるさと」を歌うシーンがエンディングの伏線になっているのである。

            ◆

そして、これが伏線であるとわかるのは、視聴者の特権である。若狭の出産のシーンに立ち会っている父親の草々にはわからないし、若狭の父親にもわからない。両方ともを見ることができる視聴者のみがわかるのである。これは「神の視点」を持っているからである。

神の視点というのは、別に宗教がかった言葉ではない。一人の人生で一人の視点では見ることのできないものを、神であれば同時にいくつものの人生を見ることができ、複数の視点を持つこともできるであろうということである。

小説やドラマ、映画を見るというのは、この神の視点を味わうためにあるという言い方もできるかもしれない。刑事コロンボや古畑任三郎なんてのは、まさにその代表格であろう。

            ◆

しかし、私たちの人生は一回きりであり、やり直しはきかない。この事実にがっかりもしながら、それでも私たちはまた思うのである。
(人生は実は伏線の連続なのかもしれない)
と。

私たちはそんな毎日を生きている。

今日は母親の誕生日

大学の梅は満開。大津の桜は蹴っ飛ばせば咲きそうなぐらいに蕾は膨らんでいるが、まだ咲いてはいない。東京では満開の桜だとか。その東京に明日向かう。

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今回もN700系を予約できた。窓側だから、ACも大丈夫。マックのモードもパフォーマンス優先でばりばり原稿を書きながら行きましょう。

            ◆

今日は母親の誕生日。だが、なんだか訳の分からなくなっている私は、日にちを間違えていた。いや、母親の誕生日が3/28ということは覚えているのだが、今日が3/27だと思い込んでいた。

『明日泊めてね』

と言いながら、誕生日が明日と思い込んでいて、お祝いの言葉を言わない親不孝な息子。

『誕生日明日だよね』
「今日だよ」
『え?』

なんてこった。

            ◆

新しいマックになったので、いままでやるのを控えていた作業を始めた。iPhotoを使ってアルバムを作成することだ。竹内常一先生の最後の授業の会の写真をこのやり方でアルバムにして、PDFで出力するのと実際に注文するのをやってみた。

いやあ、早い。
そして、簡単。

もうこれだけで十分にもとをとった気分である。

            ◆

といいつつ、さらにiPhotoのウェブギャラリーなる機能も使ってみる。写真を選んでクリックすると、.Macというものに契約している私は、あっという間にウェブに写真集が出来上がる。

このアドレスを両家の親に送る。すると、これまた簡単に見ることができるというシステムである。

マックはこのようにして実に簡単に作品を見られるようにしてくれる。なんてことだ。すごすぎる。

            ◆

新学期の準備もしよう。

2008/03/28

今年は花粉症が

なんでだが知らないのだが、今年は花粉症が楽である。全く症状がないかと言えばそんなことはないのであるが、かなり楽である。洗濯物を部屋の中で干してくれている奥さんのおかげもあるのだろうが、ずいぶん楽である。

私は薬が嫌いなので、基本的に予防薬や注射はしていない。で、やっているのは鼻と目を洗うことである。それだけで大丈夫なのである。これはかなりうれしい。

ただ、今年は頭の中に、つまり頭皮に吹き出物のようなものができている。花粉症で肌が荒れる人もいるというから、今年はそういう症状が出ているのかもしれない。

ではあるが、こういう春は滅多にないので、少し春を楽しもう。

2008/03/27

朝ご飯が100円で

速いマシーンを手に入れたからといって仕事が速くなるかと言えば、そうならないのが私である。新しいOSをあれこれいじくり、今まで動きにくかったソフトを意味もなく立ち上げては
「をを、早くなっている!」
と楽しんでいる。

それにしてもプレビュー一つとってもものすごい進化だ。マックが提供する添付されているソフトや基本ソフトだけで、私がしたいことはほぼできてしまうであろう。それもかなり高度な位置で。

自分が賢くなったのではないかという錯覚すらする。これは、書きやすい筆や万年筆を手に入れたときと同じである。もちろん、これらに比べるとマックはかなり高価であるが、二年半はこのマシーンを活用することになると思うし、まあいい買い物だ。

            ◆

昼前から研究室で事務仕事を進める。これでなんとか今年度の書類は、ほぼ終わりになるかな。書きまくったなあ。

3時過ぎにパーティ。
昨日も二つパーティがあったが、本日も。大学に新しい食堂が出来上がったので、そのお披露目のパーティだ。

夕日がきれいな場所に立ったこの食堂。屋上がテラスになっている。秋の夕暮れに、コーヒーとか飲むのにいいだろうなあ。

また、すばらしいことに朝ご飯が100円で食べられるとのこと。学生のことを考えているなあ。

パーティのメニューもしっかりしていて、これなら学会のあとのレセプションでも大丈夫だろう。実は、4月と5月の明日の教室。参加人数にもよるが、懇親会はここの新しいレストランを使ってやろうかと思っている。いつもの場所は二次会で使う予定。

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レセプションには大学の太鼓部の学生たちが、色を添えた。私のクラスにいた学生もいた。なかなか粒のそろった太鼓を叩いていて、見事だったなあ。

            ◆

パーティを途中で抜け出して、さらに仕事、仕事、仕事。
すこーし、四月からのことを始められた。明日は「児童心理」の原稿に取りかかれるかなあ。

年度末で一番忙しい日

年度末で一番忙しい日である。

午前中から昼すぎまで、非常勤講師の先生方との打ち合わせ。来年度からたくさんの非常勤講師の先生方に学生の指導をお願いする。その先生方に児童教育学科の教育方針を説明し、施設の見学などをしていただき懇親会。

その合間に私は学生部の会議。さらに、学科のコース会議にオリターたちと打ち合わせ。そして、教授会に退職教職員を送る会。

とどめは、結婚記念日である。

            ◆

一年前の今日からは考えられない、今年の今日の一日である。お世話になった先生方とのお別れと、新しい先生方との出会い。娘との生活のある結婚記念日。

「三十歳を過ぎたら、時間が早いぞ」

とさんざん脅されたが、本当である。遥か昔に通り過ぎたが、本当である。この過ぎていく時間の早さは尋常なことではない。過ぎ去る時間を確かめるようにブログを書いて、写真を撮ってとしているのかもしれない。

            ◆

私はどこにいてどこに向かおうとしているのか。
なんてことを考える間もなく、目の前のことに突入していく私である。

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2008/03/26

オリター諸君を招いて意見を聞く

一日中学科の会議にコースの会議と続けていた。

一年間の反省をふまえて、来年度以降の児童教育学科の学生たちの教育方針を確認する会議である。時間をかけてあれこれ雑談をしながら、それでいて教育に関係する話題でありながら、話を進めた。

            ◆

新入生キャンプで新入生をガイドするオリター諸君も、あと一週間と迫った当日までの時間の中で、精一杯やっている。いいことだ。

面白かったのは、私たちの会議の中で
『それはオリター諸君の意見を聞いた方がいいんじゃないでしょうか』
という話をしたところ、
「それはそうだ」
ということになり、私たちの会議室に、隣の部屋で作業をしているオリター諸君を招いて意見を聞くことにした。

これってとてもいいことだと思う。すごいことだとも思う。
学生をのばすために、あれやこれやと私たちは会議をしているが、その中で指導される当人たちの意見を確認するってのは、できそうでいてなかなかできないものである。

私たちの新入生に対する指導に関する考え、狙いなどを話して意見を聞くのである。何をどうやって考えていくのか、その過程をこれから教師を目指す学生たちに見せるというのは、とても意味があることだと思う。

彼らが教師になったときに、デジャブのように思い起こすこともあるであろう。

            ◆

年度末である。

とうとう最新型

とうとう最新型を手に入れてしまった。

私のマック歴はかれこれ15年は超えるが、いままですべて最新型が出た瞬間に、いままで最新型だったのに旧型になった完成版を安く手に入れてということをしてきていた。

だが、時は来たのである。
今回は、最新型を手に入れてしまったのだ。Mac Book Proの2.6GHzのCPUに、4GBのメモリーを載っけた。思い切ってしまった。今まで使っていたのはG4の800HzのCPUであった。これと比べるとそりゃあすごい早さである。画像関係がすごいすごい。

これで娘の写真や動画を快適に扱うことができる。うーん、仕事が一番ではないところがすごいf(^^;。もちろん、仕事にも快適に機能してくれるはずである。

            ◆

そして、特筆なのが旧環境から新環境への移行の簡単さである。

1)新しいマックを立ち上げる。
2)古いマックと新しいマックをファイヤーワイヤーを接続して、古いマックをTのキーを押しながら再起動する。
3)指示に従って環境を移すボタンを押す。

これだけで、旧環境が新しいマックの新しいOSで動き出すのである。なんという簡単さだろうか。

            ◆

さ、これで年度末の残りの仕事やら新年度の準備やらをばりばりやりましょう。
ああ、気持ちがいい。

2008/03/25

桜の花は、そのスタートを

娘は200日目を迎えました。桜の花が咲き始めました。京都は、美しい季節を迎えました。これから一ヶ月の間、桜にあふれる街となります。私の住む大津も同じく美しい桜に包まれます。いやあ、すごいんだ、これが。

            ◆

私は朝から大学で、教職ONE DAYセミナーの講師をつとめる。四コマある中の一コマを担当。この時期は、大学入試で言えば11月に相当する。最後の追い込みなのである。夏に試験の経験のない学生たちは、その辺りの感覚が弱い。そんなんじゃいかん。来年の四月から教師になれんぞ。

一日で、面接の心得、集団討論、授業作り、パラグラフ・ライティングとてんこ盛りである。中には一回生もいるので、今はわかるとできるは違っていてもいい。おそらくびっくりするような内容ばかりで、何がすごいのか具体的にはわかっていないだろう。これらを採用試験までに自分でコントロールできるまでに高めてほしい。

            ◆

私のパラグラ・フライティングの師匠の倉島さんは、自らがパラグラフ・ライティングを学ぶときに、同じ講座を5回受講したということであった。そして、わかったということであった。

倉島さんは、そりゃあかなり優秀な方である。その方が同じ内容の講座を5回受けるのである。ここだよなあと思う。できる人は、さらにできるようになるための方法を知っているのだ。

できない者は、講義で先生になーんとなくできたという気持ちにさせてもらって、
(あたしは、できる)
と美しい誤解を持って終わりにしてしまう。講義というものは基本的にはわかるか、わかった気にさせなければならないので、この美しい誤解が構造的に生み出されるのである*1。

本当にできる人は、自分が何ができないかを理解しているので、そこができるまで何回もやる。差がついて当然である。

            ◆

できないことは、別に問題はない。
問題は、わかりもしないのにわかった気になって終わらせる。できもしないのに、できたと言い切ってしまう。そのしんどい事柄から逃げ出そうとするところにある。

逃げ出すのではなく、抱え込むのである。我がごととして受け止めるのである。にやにや笑ってごまかすのでなく、泣いて言い訳をするのでもなく、ただ、自分がわからないこと、できないことを受け止めて、問題の解決を目指すのである。逃げ出さず、投げ出さず、やりつづけるだけである。

自分でやりたい仕事につくチャンスを得られているのだ。自分が努力しないで誰が努力する。自分が努力することが自分の人生をつくることになるのだ。

            ◆

桜の花は、そのスタートを祝ってくれているのだ。


*1 私の大学での授業はこれに陥らないようにいくつかの工夫をしているが、中学校の時の授業は、どうしてもこれになることはあったと思っている。

2008/03/24

神戸の人は、いい人が多い

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神戸に来ている。一泊はポートアイランドのホテルに泊まり、二泊目は奥さんのおじさんの家にお世話になっている。娘に会ってもらいに出かけた。娘はまだ人見知りができるほど成長はしていない。どこにいっても愛想がいい。

三宮の大丸で買い物をしていたら、道行くおばさんたちが足を止めて
「まあ、かわいい」
と声をかけてくれる。
何人も声をかけてくれた。
(神戸の人は、いい人が多い)
(神戸の人は、目が肥えているなあ)
と思う父親の私である。

            ◆

東京にいるときには、神戸のイメージと言えば、海と山の間にあるおしゃれな街というもので、実にその通りであった。震災の傷跡を抱えているなんてちょっと想像しにくかった。

遠いところにあるイメージもあるのだが、私の家から85キロしか離れていない。混んでいなければ高速道路を使って1時間の距離である。

港町は、昔遊んでいた横浜を思い出させる。元町なんて地名もそうだし、中華街もある。これならちょっと横浜を懐かしくなったら出かけてくればいいなあ。

            ◆

Rimg0603
神戸の夜景の見えるご自宅で、奥さんの昔の話やら何やらを聞きながら、楽しくおじさんとお酒を飲む。おばさんのおいしい料理をいただく。いやあ、いい週末だった。

さあ、あと一週間で新学期だぞ。

その仕込みがそろそろ醗酵して

朝、顔をもみくちゃにされて起きる。
鼻、唇、目、頬と際限なく指や爪でもみくちゃにされるのである。痛い。
(他の赤ちゃんもこんな感じなのかなあ)
と一人しか知らない私は考え込む。
しかし、すぐに
(他の赤ちゃんと比べても仕方がないよなあ)
と思い直す。

娘は娘である。

            ◆

「子育ては若いうちにやってしまった方がいいぞ」と若いうちにあれこれ言われたが、その機会に恵まれなかったため高年齢育児になってしまった。だが、高年齢育児を始めて見ると
「これから子育てとはうらやましいなあ」
という声をもらう。ま、半分は本音で半分は応援だと思うが。ではあるが、高年齢育児もいいなあと思う。

何がいいって、慌てないことである。いろいろと経験をしてきているので
『ま、なんとかなるって』
と思えるのである。

他の赤ちゃんと比べて、あーだこーだと不安になることも少ないんじゃないかと思う。ま、これ自体が比較ということもあるかもしれないが。

            ◆

それにしても、
(ん、そうか)
(あああああ!)
と気がつくことが最近増えているような気がする。
少しずつわかるのではなく、突然ポンとわかるのである。

これは学生たちにも指摘された。私の話の中に出てくる例で
「先生は、あああああ!って気がつくことが多いんですね」
と言われる。

二十歳の頃かなあ、自分がいままで手当り次第にやってきたことが実はそれぞれ有機的な結びつきがあって、何のためになるのかわからないけど好きだからやるという思いでやっていたことが、
(え、これとあれがここで繋がるの?)
ということに直面することが多くなった。

そこで能天気な私は、
(そうか、それでいいんだ)
と思った。体系的に学習することの大切さだけではなく、なんでも自分の興味の赴くままに体に放り込んで、それが熟成されて出てくるのを楽しみに待つというのもありななんだと思ったわけだ。

その仕込みがそろそろ醗酵して、熟成し始めてきているのかなあと思うのである。もちろん、この先の熟成のためにもいま仕込みをちゃんとしないとだめだと思うわけで、それはそれでし続けたいと思う。

            ◆

もちろん、この醗酵を促す酵母はなんだろうかと考えることも忘れずに。

2008/03/23

明日の教室 スペシャル

明日の教室 スペシャル

みなさま、こんちには。4月と5月の明日の教室のご案内をいたします。
今回はスペシャルということで、近隣の小中高の学校と教育委員会にもご案内を出します。
先着150名です。

お待ちしております。

            ◆

コミュニケーション 教育の可能性
2008/4/19 (sat)13:30~17:00

平田オリザ先生:

1962年生まれ。東京都出身。ICU 卒。劇団「青年団」主宰。劇作家、 演出家。桜美林大学助教授を経て、 2007年4月より大阪大学教授。 1995年「東京ノート」で岸田国士 戯曲賞。 当日は「演劇教育・ワークショップ」がテーマです。

国語教育 道徳教育の到達点
2008/5/10 (sat) 13:30~17:00

野口芳宏先生:

1936年生まれ。千葉県出身。千葉 大学教育学部附属小教諭、木更津市立小校長、北海道教育大学教授を歴任。2008年4月からは、植草学園大学(発達教育学部)教授として着任予定。 著作に、『野口芳宏著作集 「鍛える国語教室」』全23巻(明治 図書)、『野口芳宏 先生 退官記念ビデオシリーズ』 全3巻〔(有)カヤ〕他多数ある。 当日は「国語の授業を作る・模擬授業」がテーマです。

申し込みは通常の方法とは違います。
下記引用をご参照ください。

            ◆

お申し込み:
下記の内容をお書きの上、下記アドレスにEメールでお申し込みください。

1)お名前
2)所属 
3)連絡先電話
4)懇親会参加の有無(3000円程度)
5)参加日(4/19 or 5/10 or 両日)

aca-ext@tachibana-u.ac.jp  

お問い合わせ電話 京都橘大学エクステンションセンター 075-574-4186 
募集:各回 150人(応募多数の場合は、先着順にさせていただきます)
参加費:一般 3000円 学生 1500円 (受付13:00~ 当日お支払いください)
主催:教育研究会「明日の教室」 
後援:京都橘大学文学部児童教育学科
協力:大阪大学コミュニケーションデザイン・センター、 京都橘大学文学部児童教育学科学生学会

なお、パンフレットは
「hiratanoguchi.pdf」をダウンロード


にあります。

2008/03/21

喜んでいいのか悲しんでいいのか

朝は娘を連れて散歩。
といっても、まだ歩けないから私が抱きかかえて。私の散歩に付き合わせているというのが正しいのかもしれない。30分ぐらい娘を抱えて歩くだけで結構な運動。娘はときどき
「あっ!」
と大きな声を出す。なんだか知らないがうれしそうだ。

            ◆

午前中は大学でJTBの方と打ち合わせ。オリター諸君も一緒。新入生キャンプの最終確認である。オリター諸君ががんばっているので、いいものになりそうである。

            ◆

昼ご飯の後、「授業づくりネットワーク2008春」の講座のテキスト作り、大学が出すパンフレットの原稿書き、3/24に大学で行う教職ONE DAYセミナーのテキスト作りと行う。

「授業づくりネットワーク2008春」の講座の主催者HPを見たら、なんと私の講座はもうすでに申し込みがいっぱいで受付終了しているのを発見してしまった。これはさらに気合いを入れてやらねばなあと思う。

講座の講師としてはうれしいが、私のこの講座がいっぱいになるというのは、苦しんでいる先生が多いということの証拠でもある。喜んでいいのか悲しんでいいのか。精一杯やりましょう。

            ◆

これだけ仕事をしてもまだ来年度の授業の準備が終わらないというか、始められないのはなかなか厳しいものがあるなあ。大学に提出する書類が四つに、会議がえーっといくつだ?

大学は4/1にガイダンス。4/2に入学式。そして、新入生キャンプは4/7、8で授業は4/10から。

やっぱり春はあっという間だ。
さあ、桜を楽しむ余裕はあるかf(^^;。

2008/03/20

手段はその後で十分である

桜の開花が早まるという予報が昨晩出たが、今日の大津は寒い。風が強いのだ。琵琶湖には白波が立っている。ヨットはところどころで転覆しているし、湖西線は止まっている。実に湖西の風情である。

            ◆

再校正を終わらせるべく、机に向かい続ける一日であった。

なんとか、終わらせることができた。最終校正箇所をファックスで出版社に送る。これで年度内には出版となるであろう。ふう。ファックス様々である。

ファックスは、私は家庭用普及機が出てからすぐに購入した。そのときは、
「東京に住んでいるのだから、一日あれば郵便で原稿は届くし、なにもファックスなんかいらないでしょ」
という人もいたが、私はその一日二日の違いは結構大きいと思っていたので、購入した。

            ◆

パソコン通信の環境も同じである。比較的すぐに導入した。書いたものがそのまま原稿になるというのは、書き手にとっても編集者にとっても非常にメリットがあると思った。

実際は、会社からこの手のものは導入されていくので個人でやるにはコストが高かったりするのだが、この15年ぐらいのことを考えると、やはり判断は正しかったと思う。

            ◆

「書道ができる人間がなんでわざわざファックスだ、パソコン通信だ、ワープロなんだ?」といわれることもあった。が、目的が違うのだから私からしてみれば、逆に、なんで目的に応じて使い分けないんだろうと思っていた。

読むには、「精読、乱読、音読、写し書き、群読、斜め読み、速読」などなど様々な読み方がある。同じように書くにもいろいろな書くがあってよいと思うし、その方が表現活動は豊かになる。

筆記用具一つとったって、筆、万年筆、ボールペン、鉛筆、シャープペンシル、水性マジック、油性マジック、竹ペン、ガラスペンなどなどたくさんあるし、筆だけだって、羊毛からイタチの毛までさまざまな種類がある。最近は万年筆のペン先までいろいろあるしねえ。

            ◆

自分の伝えたいものを伝えるために、あれこれと工夫をする。これって人間に許されたかなり贅沢な営みだと思う。それをしないのはもったいないよなあ。

ま、私は人間がわがままにできているので、自分がやりたいことがあって、それを実現するためにはどうしたらいいかと考えることが多いので、こんなことを考えるのかもしれないが。でも、この年になるとそれで良かったのかもと思う。

学生たちを見ていると、
「コンピュータがあれば何ができるのか?」
という発想の者が多く、
「私のしたいことは、このコンピュータでできるのか?」
「これがしたいから、このコンピュータを使っているんだけどねえ」
というようになっていないことが多いように感じる。

目的とか表現したいこととかは、しっかりと持った方がいい。
手段はその後で十分である。

            ◆

夜、琵琶湖では花火が上がる。
風も止んだようだ。

「底抜けに!」

「ちりとてちん」がそろそろ終わりになる。

最初の頃は、ちょっと上滑りすぎた展開であまり見る気も起きなかったのだが、途中から俄然面白くなった。まあ、「タイガー&ドラゴン」を見ていた私としてははまるのは当然かもしれない。

「ちりとてちん」には、落語の師弟関係を描きながら、塗り箸の師弟関係も描き出し、それこそ塗り箸のように次から次へと「伏線」からの様々な模様が出てくる。正統的周辺参加と伏線を学ぶにはいい。

最近の伏線で驚いたのは、小草若が放浪の果てにもう一度舞台に立つシーンで、父親であり師匠である草若のかつてのシーンを重ねていたところである。
(ほう。ここにつながるのね)
と思ってみていたら、それだけではなかった。

小草若の持っているギャグに「底抜けに!」というものがあるのだが、これがその日の演目であり、この間ずっとストーリーに関わってきたの「ハテナの茶碗」への伏線だとは気がつかなかった。

さて、最後の常打ち小屋の問題で、どうきれいにまとめるか楽しみである。

人生で一年間だけ、人は

さて、今日は何曜日だったろうか。
なんだかよくわからなくなってきている。
日にちは理解している。東京の中学校は今日が卒業式だろう。

あちらこちらの学校でドラマがあるんだろうなあと思う。
卒業式は、なんだかんだいって中学校が一番印象に残るのではないかなと思う。
ま、私はと限定しておくが。

            ◆

まあ、担任も大変だ。身だしなみを確認するとかなんとかというだけでもない。それまでに事務の仕事をものすごい勢いで終わらせて、進路の最後の確認もし、教室の美化やら思いで作りやら、卒業アルバムのサインやら。私は卒業証書を書いたり、式次第を書いたこともあった。三年生の担任だったのにf(^^;。

卒業式の式次第では、ここから先は担任は泣いてもいいという場所があって、そこまでは必死であった。呼名は正しく読むように何回も練習してはいるものの、本番は別もの。別であるが本人にとっては晴れの舞台。なんとかきれいに名前を呼んであげたいと練習である。ま、そんなことは子どもたちにはわからないだろうが。

数年前までは、卒業式の後少しは余韻に浸ることができた。が、今は無理。すぐに新年度の子どもたちを迎える仕事が待っている。せめて、三日間のリフレッシュの時間が欲しいなあと思っていた。一年間を一日として、三日間。

(子どもたちのことを静かに振り返る時間があってもいいじゃないか。自分と仲間で指導してきた三年間を振り返り、新しい子どもたちに新たなヴァージョンアップした指導をするための静かな戦士の休息があってもいいじゃないか)

これは贅沢なのかねえ。

            ◆

私は、研究室で今年度中に出す学術書の最終校正をし続けている。少しでも良くしようとにらめっこである。時々窓ガラスをたたく音に目を休める。外は久しぶりに大雨。花粉が飛ばないので気持ちがよい。

明日残りをやればスケジュール通りになるはずである。あ、明日は春分の日か。いかんなあ、京都の春を楽しんでいないなあ。奥さんすみません。

            ◆

このごろ家に帰ると娘は一人遊びをしている。お座りをして音の鳴るおもちゃを振り回し、歯固めのおもちゃを齧り遊んでいる。

そこに、私が帰る。すると娘は振り向いて、両手をばたばた振り回して喜ぶ。ひもを引っ張ると手が動くおもちゃのように思い切りばたばたである。時には、それでバランスが崩れて後ろにひっくり返るぐらい喜ぶ。

素直に、うれしい。

言葉をまだ持たない娘は、感情を行動に移すだけだ。人生で一年間だけ、人は赤ちゃんでいられる。言葉を持たず、歩くこともせず、赤ちゃんでいられる。

(おい、おまいさんの頭の中では何が起きているのかねえ。ゆっくりと赤ちゃんの時間を過ごすんだよ。一生に一年間しかないんだからね)

なんて思いながら、うれしそうに抱っこする私である。

2008/03/19

その笑顔を続けるために

なんだか知らないが、やたらに夜中に目が覚めた。
こんなの久しぶりだなあ。
何かの興奮が体に残っているのだろうか。

            ◆

午前中は原稿の仕上げをして過ごす。
実はこれがちょっと大変であった。

マックの動作がちょっと遅いと感じたので初期設定などを捨てて再起動をかけてみたら、あれこれ設定が崩れていて、この再設定に時間がかかってしまった。うーむ。

でも、まあそれなりに簡単に戻るのがマックのすごいところ。
アーよかった。

            ◆

研究室で事務仕事などをして、帰ろうとしたら「池田先生」と声をかけられた。
振り向くと今年の集中講義で授業を担当したH君である。

その授業は、教職を目指す学生のための授業であったが、H君はさほど教職には興味がない様子。それでもそれなりに授業は受けていたのだ。が、明日の教室で劇団衛生の蓮行さんが講師できたときに参加して、人生が変わったようだ。

文学部にいたH君は、自分のやりたいことを目指して進路を変更したのだ。そして、そのことを知っていた私は、

『おめでとう。進路を変更したんだね』

と話した。自分のやりたいことに正直になることができた彼女はいい笑顔であった。その笑顔を続けるために必死に勉強するんだよ。

            ◆

夕方、娘を連れて琵琶湖のほとりを歩いていつものガーデンに向かう。びっくりだ。ほとりにある砂浜が水没しているのである。いつもはその砂浜を歩いてガーデンに行くのだが、こりゃあだめだ。比叡山や比良山の雪が溶け出したのだろうか。

大学のキャンパスにある早咲きの紅梅は、既に盛りを過ぎて散り始めた。
西大津の公園にある早咲きの桜は満開となった。

Sakura

さあ、これから本格的な花のシーズンだぞ。

2008/03/18

教育の世界の話は

午前中は、高校で模擬授業。昨年度は児童教育学科の先生が私しかいなかったので、オープンキャンパスから模擬授業から京都コンソーシアムから、たくさん回った。30回ぐらい回ったと思う。であるが、今年度はスタッフが増えたので、私の出番もずいぶんと減った。

30回行うというのは大変といえば大変だが、そのおかげで関西の高校の実情も割とわかったし、ここで話した内容をもとに『教師になるということ』(ひまわり社)を書くこともできたわけだ。目の前にあることに取り組むってことは、大事なことなんだよなあと改めて思う。

で、その模擬授業も昨日で今年度は終了。

            ◆

午後からリクルートの進学ネットの取材を受ける。

高校に配る進路関係の冊子を作っているのだそうだが、ここで教師になることについての特集を組むとのこと。その取材の過程で編集者さんが、『教師になるということ』を読んで下さってわざわざ東京から取材にきてくれたのだ。こういうのはありがたい。

なんというか、一つの仕事は次の仕事につながっているというのをこのところ、本当に実感する。
「目の前の仕事をきちんとすることのできない者が、大きな仕事の夢ばかり描いていてもだめだ」
なんてのを若い頃に読んで、
(ふーん、そんなものかねえ)
と思っていたが、いろいろなものがつながるようになった今、そうなんだろうなあと思う。

ま、私はだらしのない人間なので、目の前の仕事をすべてきちんとやってきた訳ではないので説得力もあまりないが。

            ◆

かれこれ三時間ほど話す。
インタビューをもとに原稿を書かれるとのことだが、書き上がった原稿は表に出すまえに見せていただけるというので、安心して話すことができる。

教育の世界の話は、実は文章にできない部分がたくさんある。そして、そこの部分を知らないと指導はしにくい。かつては職場で雑談や飲み会で伝わっていた。さらに文章を書き、サークルで揉んでもらうということで力量をつけることができた。が、いまはそれがなかなかねえ。

ブログで文章を書く習慣は増えてきているが、そんなことをブログにかける訳もないし。でも、文章を書いて自分の実践を振り返りつつ鍛えるというのは、とても重要なレッスン方法であると思う。

            ◆

その後、学生の指導についてあれこれ考え、さらに月刊国語教育6月号の原稿を修正して、編集部に送る。ふう。

ところが、資料の関係で文章量が多いということがわかり、改めてやり直すことに。これは明日だな。

            ◆

8時過ぎに外に出ると、春の陽気。
春宵一刻値千金であるなあ。

2008/03/17

お地蔵さんみたい

卒業式と明日の教室の充実感の後に、疲れがやってきた。
日曜日は、原稿のあれこれをちょっとやって、あとは体を休めていた。
娘とお昼寝である。

            ◆

昨日、奥さんが娘と一緒に、近くのガーデンに行ったそうだ。
職員のオバさんと話していたら、オバさんが
「まー、可愛い。お地蔵さんみたい」
と言ったとか。

確かに太ってきているが、「お人形さんみたい」の言い間違いであることを願う。

            ◆

あべたかさんが、絶賛していたソフトを手に入れてあれこれ楽しむ。LiFE with PhotoCinema 2である。フォトストーリーのもっと凄い版である。何がすごいかというと、自動で作ってくれる作品のクオリティが凄いのである。

フォトストーリーもあれこれ手を入れると、凄い作品が出来る。imovieも凄い作品が出来る。であるが、私は面倒くさがりやなのであれこれ手を入れないで凄い作品が出来るのが嬉しいのである。

いやあ、本当に凄い。

            ◆

かつてMacには、「Mac詩人」というとんでもないソフトがあった。勝手に詩を作るのである。データベースにある単語をハイパーカードというソフトがランダムに並べ替えて、詩らしきものや詩を作るのである。

いま調べてみたらHDにあったので、実際に使った見る。

引用開始 ーーーーーーーーーー

テクニックのまずい生活


仔猫にワープロ
空をなんとかする
まわしはとんでもないあそこだもん
ピアノをそれにしてもあげる
ボトルを舐める
ジャパンがなんといってもいとしいのね
ぶっぱなす薄い旅館なの

引用終了 ーーーーーーーーーー

引用開始 ーーーーーーーーーー

楽しいにおい


うれしそうな大工の楽しいお風呂なんだもん

テーブルにきっと抜け出すわね
レコードをぎんぎん座るね
大工のプリンが滑り落ちるのかな
ぶっぱなすね

歌うに違いないわ

脅すあなたなのよ

ミサイル

引用終了 ーーーーーーーーーー

ボタンを押すだけで次から次へとシュールな詩のようなものが生まれてくる。
(これは、創作への挑戦だなあ)
と思ったが、映像の場合も同じであろう。

ボタン一つで、作品が出来てしまう。クリエイティビティとは何なのかを考え直さなければならない。ひな形がここまで拡大してきているのかと思う。

            ◆

で、しばらくはLiFE with PhotoCinema 2で、お地蔵さんならぬ娘の写真で楽しむ私である。

2008/03/16

奇麗に締った

Biwako2


今年度の明日の教室が終わった。
いやあ、実にあっという間であった。
1年間で11回開催することが出来た。

私はいい加減な性格なので、事務局を務めるとあちこちに迷惑をかけることになるので、これまでは事務局と言うものは一切引き受けてこなかった。

が、大学に籍を移し、
「これからは社会貢献のために研究会の一つもやらなければね」
とある先生に言わたことや、糸井先生という最良のパートナーと出来ることで、
(うしゃあ、引き受けるか)
と思ってやってきた。

            ◆

2000円の参加費で、自分たちがお呼びしたい超一流の先生がたをお招きして学ぶ。学んだら懇親会でさらに人間的な交流を深める。

こんなコンセプトでやって行こうと思ったわけだが、果たして2000円でできるのかという危惧もあったが、懇親会とセットで5000円程度にしたいので、こうしたわけだ。

で、あれこれやって見たら、出来た。
年度の締めを昨日の研究会の後にやったのだが、赤字にならないで次年度の準備つかうお金を用意したら、奇麗に締った。

いやあ、良かった良かった。
おれも成長したものだ。

            ◆

昨日は糸井先生の総合的な学習の時間の「過去・現在・未来」というテーマでの話。今自分が一番語りたいことを語るというコンセプトだった。糸井先生がどうやってあの豊かな総合的な学習の時間の実践を作ってきたのかの話を、学習指導要領の変遷に寄り添いながら、自己防衛をキーワードにして話されていた。

これは聞きごたえがあった。
実践を作るということの立ち位置を、このような形で示す発表はなかなかないと思う。説明責任を果たすと言うことはこういうことなのだという具体例でもあった。

糸井先生のところでは、来年の四月に刊行予定の「明日の教室 編」の新刊の説明等もあった。これはこれでとても面白くなりそうである。

            ◆

私が今一番語りたいことは、娘のことだがそんなことを語っても明日の教室には関係ないので、私は「ポートフォリオ学習としてのデジタルストーリーテリング」ということで、フォトストーリーの使い方を行った。

実に簡単に細かいところまで、写真からムービーを作り込める。
どんな時に、どのように活用すれば良いのか等の話をしながら、90分。
最後は、作品の上映会も行った。

            ◆

その後、懇親会。
しみじみと一年間を振り返る。

若手の先生たちが、四月からの新しい子どもたちとの出会いに武者震いしている姿を見て、嬉しく思う私であった。

ちなみに、この日も帰りは終電であったf(^^;。

次回は、4/19に平田オリザさんです。

着物等の民族衣装は

卒業式は、雨の中であった。

私は花粉が収まるので非常に楽であったが、着物姿の学生たちには少々可哀想であった。だが、雨の卒業式もいいものだなあと思った。

春のあたたかい雨がキャンパスを濡らし、これから社会に巣立って行く彼女等に慈しみを与えてくれているかのようであった。

Ume


            ◆

式の後、彼女等と記念写真を撮る。
華やかで艶やかで、それでいてきちんとした立ち居振る舞いの出来る娘たちを見ていると、
(をを、成長したなあ)
という気持ちになる。

着物等の民族衣装は、その民族の女性を美しく見せる。
が、その一方でその女性の本質をさらけ出してしまう。

歩き方、姿勢、手の動き、話し方。

これらが際立ってしまうのだ。
だから、外側だけ奇麗に民族衣装で着飾っても、ダメ。
いやむしろ、日頃の酷さを隠すためには民族衣装等を着ない方が良いのだ。

だが、私が一緒に写真を撮った学生たちは、大丈夫であった。
ああ、良かった。

            ◆

卒業パーティ、さらに、サークルの卒業祝いの宴と続き、帰りは終電。
良い卒業式であった。

2008/03/14

卒業に寄せて

卒業に寄せて
 〜四月から先生になる諸君へ〜

            ◆

『"Are you ok? "

これを日本語に訳すとどうなるだろうか?

「大丈夫?」
でいいだろう。

では、ここに主語を入れたら?
「あなた、大丈夫ですか?」
となる。

では、このyouが小さな男の子だったらどうなる?
「僕、大丈夫?」
となるはずだ。これを英語に翻訳したらどうなる?

*Am I ok?"

となってしまう??』

            ◆

人称代名詞を考えるとき、この話は中学校の授業で良くした。日本語は一人称代名詞が異様に多いのだが、一人称になったり二人称になったりする言葉もある。僕、手前、自分(関西では二人称、関東では一人称)などがそうである。

では、先生を敢えて人称名詞として考えると、何人称になるのであろうか。
私は先生とは、二人称なのかもしれないと思っている。

            ◆

「先生ね、昨日すごい夢を見たんだよ」
「先生は、それ凄く良いと思うよ」
「先生は、許しません」

ごく普通にある会話だ。この時の先生は一人称である。自分で自分のことを先生と呼んでいる。ま、これをおかしいと思う子どもはそんなにはいないだろう。

だが、君が子どもの頃、その先生の前では
「○○先生!」
と呼んでいたのに、その先生がいなくなると
「○○がよ〜」
のように呼んでいた「先生」もいたはずだ。

逆に、その先生が目の前にいようがいまいが、その先生のことを話す時には必ず「■□■先生は、〜と仰っていたけど」のように先生と付けて、敬語も付けないと気持ちの悪い先生もいらっしゃったはずだ。そんな経験はないだろうか?

            ◆

私のことを「池田がさ〜」と呼ぶ中学生を見つけたとき、私は複雑であった。
国語の教師としては
『年上の、しかも先生のことを呼び捨てにするとは何事である』
と怒らなければならない。しかしその一方で
(うーん、私はまだこの子の先生になれていないんだなあ)
と忸怩たる思いであった。

そんなことから思うのである。「先生」ってのは二人称名詞ではなかろうかと。自分で言う言葉ではなく、呼ばれる言葉である。

            ◆

かつて、採用試験に合格すれば子どもの前で簡単に先生になれる社会的環境があった。私も24歳で採用試験に合格してすぐに、先生であった。学区に住んでいた私は、スーパーに行っても飲み屋に行っても歯医者に行っても先生で、ちょっと疲れることもあった。しかし、そうやって「先生!」と呼ばれることで、先生としての胆を決めてきた。

学区の中では、決して制限速度を超えて運転しない。
学区の中では、飲みつぶれないf(^^;。
学区の中では、・・・。

社会に先生にされながら、自分のことを先生にして行った。

            ◆

さて、諸君は四月から先生である。採用試験に合格し、教壇に立つ。一年間の試用期間があるとは言え、誰がなんと言っても先生である。

だから「先生はね、〜」と話しても何の問題もない。多少の違和感を持ちつつ、照れもありつつ「先生はね、〜」と話すのは一年目の先生としては初々しくて良い。

だが、ときどき「先生は二人称名詞ではないか」という私の言葉も思い出してくれれば、うれしい。先生という呼称は、合格するところでスタート地点に立ち、そこからは子どもが先生にしてくれるのだと思う。

「先生」諸君の、四月からの活躍を大いに期待したい。

Hanataba

一回目の校正が終わった

午前中は、新入生キャンプのアクティビティの場所である雄琴のオーパルで、オリターの学生と担当のNさんと打ち合わせ。

今年以上にいい新入生キャンプを作ろうということで、オリター諸君は燃えている。私は言いたいところをぐっと我慢して、オリター諸君だけではちょっと無理と思われるところだけ首を突っ込むようにしている。

私がやれば、簡単である。そして、私に力が付く。
オリター諸君がやれば、私は面倒くさい。そして、学生たちに力が付く。

教師の仕事が、生徒や学生に力を付けることであれば、後者のスタンスをとることになる。分かった上で、何もしないのが教師の仕事でもあるんだなあ。

オリター諸君、頑張れ。

            ◆

午後からは、大学に戻って校正原稿とにらめっこ。

途中で食事に行くと、春休みにしては結構な数の学生。それも女子学生だけ。そうである、明日の卒業式のための予行があったのである。

私の授業に参加していた学生たちの顔もある。
『ご卒業おめでとうございます』
と何回言ったかなあ。言えるのは嬉しいことだ。

            ◆

その後、昨日の御祝いの会に参加できなかった学生を発見したので
『研究室に珈琲でも飲みにいらっしゃい』
と言う。四月からのことについてあれこれと話し、昨日渡せなかったお祝いを上げる。良かった。

            ◆

そして、さらに校正原稿とにらめっこ。

お、終わった。
これで一回目の校正が終わった。

さ、明日は卒業式。さらに打ち合わせ。週末には、月刊国語教育6月号の原稿を仕上げるぞ。

2008/03/13

明日の教室 3/15 持ち物

明後日の3/15は、今年度最後の「明日の教室」です。

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2008/02/post_8f26.html

まだお申し込みをされていない方は、どうぞ。

それから、池田の講座はフォトストーリーを使ってムービーを作りますので、

持物:
1)デジカメ写真を10枚程度、USBまたはCDに焼いてご持参ください。内容はなんでも構いません。ですが、何か一つのテーマがあると良いと思います。
2)自分のお気に入りの音楽CDを一枚お持ちください。

をお願いします。

応援してるからな

水曜日は会議の日。会議三発でありました。
その後、研究室で校正原稿とにらめっこ。
気がついたら、6時半であった。

ま、まずい。
本日は、自主ゼミの卒業を祝う飲み会である。
家に車を置いて山科に向かう。

            ◆

このゼミは、自主ゼミである。だから、頑張っても単位は出ない。だから、自分のやりたいことを学ぶ。私も懸命に指導する。

去年の国語教育を受講していた学生たちが、さらに学びたいとのことで作った自主ゼミである。

模擬授業をずっと続けてきた。四月から教壇に立つ学生もいる。なんとかGWまでは持つ程度の力を育てることが出来たかなと思う。

もちろん、教師にならない学生たちもいる。しかし、懸命に学んだ時間は、思わぬ場所で思わぬタイミングで花開くものだ。期待してその時を待つのが良かろう。

            ◆

会では、一人一人の学生から御礼の言葉を貰った。そして、とても大きな花束も。さらに学生たちと過ごした二年間の写真を張りつめたスケッチブック&メッセージ。

なんとも、嬉しいものであった。
この二年間が、大学に来てからの二年間が一瞬で蘇った。
(ああ、走り抜けたなあ)
と思った。
走り抜けることが出来たことに、感謝である。

            ◆

私からは、小野十三郎さんの「校庭で」の朗読。

引用開始 ーーーーーーーーーー

校庭で  

           小野十三郎

わたしは 
未来という言葉が好きだ
よく考えると
あなたたちの一人一人に
それがどんな意味をもつのか
なかなかふくざつで
かんたんには使えないけど
あなたたちと別れる日が近づくと
なぜか、さからいがたく
未来という
そんな言葉が
心の中からとび出してくるのだ。
夢とか
倖せという言葉では
いいつくせないものが
その未来という言葉にあるからだろう。
いまうす陽がさす校庭には
だれもいない
わずかに光をあつめて
冬薔薇だけが
咲きのこっている。
いってみれば
未来とは
かすかに風にゆれる
この一輪の
白い花のようなものだ。
ゆく雲のかげさえそこにうつっていて
世界はかぎりなくしずかで
かぎりなく美しい。
しかしそこにあれば
この庭にみちあふれていた
あなたたちの
明るい笑い声が聞こえる。
わたしは
あなたたちのそばを
なんども通った
そんな日があったことを
忘れない。

引用終了 ーーーーーーーーーー

やはり、これはいいなあ。

そして、DVDのプレゼント。
良い人生を作って行くんだぞ。
応援してるからな。

終電で気持ちよく帰宅であった。

2008/03/12

ゲラに赤を入れて行く

ふう。

午前中から研究室に籠っている。
外は春の日差し。

年度末の事務仕事を一段落させて、お昼ご飯。
さて、ここからが勝負である。

            ◆

今年度は、
『教師になるということ』(ひまわり社)を上梓した。御陰さまで、好評なようでネットで検索すると好意的な書評が多い。

そして、年度末に共著が二冊でた。

1)『ベテラン教師の超ワザ222 忙しい学校生活をのりきる!』(ひまわり社)

2)『中学校学級担任のための ポジティブコミュニケーションカード』(民衆社)

この二冊は、四月からすぐに使える本である。
1)は、毛利先生が昔出された出された本があって、そのコンセプトに従ってみんなでアイディアを出したものだ。ちょっとしたアイディアを知っていると学級経営や学級事務が捗る。そんなアイディアをまとめている本である。

2)は、かつて上條さん、石川さん、筑田さんと私で出した本を時代に合わせてアイディアを練り直してヴァージョンアップした本である。このかつて出した本は、その年の春の教育書フェアで堂々第一位を獲得した本で、とても思い出に残る本である。今回は、CDまで付いている。お値打ちである。

さらに、もう一冊出す予定である。私にとって初めての学術書だ。今この本の校正をしている。200p近くなる。

            ◆

ずっと原稿とゲラを見比べている。
万年筆のインクを赤に入れ替えて、ゲラに赤を入れて行く。

体が固まってしまうので、90分で鳴るようにキッチンタイマーをセットして、鳴ったらとにかく一度席を離れるようにしている。

どんなに激しく使ったところで脳みそは疲れないということだが、脳みそは疲れなくても目や背中、指先等は疲れてくるなあ。目薬を差し、只管自分の書いた文章を読み込む。

年度内の出版を決めている。
もう一踏ん張りだ。
今日の帰りは遅くなりそうだ。

2008/03/10

問題です。さて、なんでしょう?

午後は、京都府立高校国語研究会での講師を勤める。二条城の近くの高校が会場だ。京都の市内もすでに春である。花粉も飛んでいる。実に春である。

Photo

あ、この写真は琵琶湖と比叡山、比良山です。
今日の会場は、この山の向こう側ですね。

            ◆

今回の講座は、「漢字指導と作文指導から授業づくりを考える」である。受講される先生方は国語科なので、釈迦に説法にならないように切り口を変えてお話しすることになる。

話しながら、いろいろな事を考える。

文学教育は、座の文学を取り入れるべきである。
国語は実技教科にするべきである。
ディベートのジャッジは、生徒に任せるべきである。

など、いくつかの提言をしながら私は国語教育を中学校でしてきたのだが、これらから
(ああ、オレは学び合いをやっていたのだなあ)
と思っていた。

確か、最初に北海道で西川先生にお会いした時にも
「池田先生は、もう学び合いをされているのですね」
と言われた。

私の実践が、西川先生のお考えと完全に一致しているわけではないと思う。が、学び合いは考え方である。胆の部分、ゴールが多くの部分で一致しているのでいれば、そうなのだろうなあと思う。実践家の池田としては、とても納得する。が、研究者としての池田は、検証する姿勢が大事なわけで、今はその立場で接して行きたいと改めて思う。

今日の講座では、高校の国語の先生方にこの学び合いの考え方も紹介した。西川先生のHPの話もした。何人かの先生が興味深そうに聞いていた。実践される方がいれば、私なりにサポートしたいなあと思う。

            ◆

講座後、幹事の方と少し話した。その中でダウンタウンの伝説のネタの話になった。

「問題です。さて、なんでしょう?」
「なんやそれ!」
「ラッキー問題です。ヒントです。どうでしょう?」
「なんやそれ!!」

である。

これを子ども時代の私は、全然理解できなかった。そして、不条理なギャグとして捉えることが出来るようになったとき、とても面白くなった。しかし、いまはそうではなく、授業の発問として捉えるとき、授業における究極の発問のように思えてくる。

「問題です。さて、なんでしょう?」

「『高瀬舟』です。さて、なんでしょう? どうでしょう?」

としたとき、生徒は『高瀬舟』に関して自らが問いを立て、自らがその問いに答える学習を行うことが求められる。

最初は、「なんやそれ!」なんだと思う。しかし、自らが問いに自らが答える。それを学習集団の中で解決して行くダイナミックな国語の授業が作れないものかと、改めて思うのであった。

            ◆

「ラッキー問題です。ヒントです。どうでしょう?」
うーん、いいなあ(^^)。

2008/03/09

狂気を刺激する春の夜

渋谷駅ハチ公口スクランブル交差点から、109に向かう道がある。左に曲がると道玄坂で、右に行くと東急本店である。その道である。スクランブル交差点のすぐ傍の道路の際で何かが動いていた。段ボールの束かと思いきや、その淵に腰掛ける一人の年配の男性。

(え? そこは道路であって違法駐車の車が止まれば挟まってしまうぞ)

そんなところに人がいて、これから寝ようとしている。
道行く人のほとんどはその人に気がつくことはない。

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            ◆

「公園で寝るより街中で寝る方が安心なんだ」

というホームレスの言葉を聞いたことがある。人の目のない夜の公園では何かあった時に助けを求めることが出来ない。五月蝿くても自動車があっても、街中であればそれは回避できるということか。

            ◆

人は、年を取ると自然に帰る人と、街に帰る人に別れるという。
私はどちらなのだろうかとも思う。

街の喧噪は嫌いではないが、人ごみは嫌いだ。
かといって、あの自然の中で生活して行くことはどうだろうか。
私の先輩がかつて言っていた。

「人間は、自然の中では生活できない。人間が好きなのは管理された自然だ」

そうだよなあ。
いまのマンションから見える琵琶湖はとても奇麗だが、これは管理された自然である。

            ◆

消えて行く対岸の灯りを見ながら、渋谷の夜に見たあの男性の姿が思い出されてくる。
そして、あそこにいたかもしれない自分のことを思ったりもする。

いくつかの決定的な判断と、いくつかの偶然、そして受けた教育やそれなりに懸命だった努力。
それらが人生を決めて行くんだなあとも。

でも、私があそこにいてもなんか納得するような感覚。

            ◆

狂気を刺激する春の夜である。

四日目

四日目。

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御陰さまで仕事は完了。また、この仕事の次のやら、次の次のやらで東京に来ることになると思うが、まあ頑張ってやって行きましょう。

これは、これで大事な仕事だから。

            ◆

帰りの新幹線は、なんとはじめてのN700系である。
うひひ。
この新幹線は全席禁煙で、電源がある。だから、PCをやるには非常に便利である。

乗ってみて思ったのは、非常に乗り心地が改善されていると言うことである。ま、私好みなのかもしれないがサスペンションの効き始め柔らかくて、最後が硬めでありしっかりと粘る。安心してカーブに突入することが出来る。今度からもN700系に乗ろう。

            ◆

家に帰って、ドアのピンポンを押す。
(アー、泣かれたらどうしようかなあ)
と思って、どきどきしながら扉を開けた。

そこには、満面の笑みをたたえた娘がいた。
手足をばたばた動かす。
うううう、うううう。
うれしい。

忘れないでいたのね。

            ◆

本日、琵琶湖開きということで、湖畔には松明の火が並ぶ。
が、通常でも夜景がきれいなので、すぐ傍に行かないと見ることは出来ない。
それでも気分を味わおうと外に出る。
ベランダで受ける夜風は、春の風になっている。

来週は卒業式だ。

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三日目

三日目。

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仕事は、ほぼ順調。途中で現場判断で方向を修正したことが功を奏した。
嬉しいことだ。

            ◆

宿に戻って一休み。
高いところから遠くを見るのは気持ちがよい。目と心の緊張がほどけて行く。

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実は、東京に来てからずっと右目の調子が良くなかった。
痛いのである。
鏡を見てみると、目尻側の白目が充血している。
瞬きすると引っかかるように痛い。
これは、ものもらいの出来かけの症状である。

            ◆

ドラッグストアで手に入れた使い切りの目薬。これを頻繁に目に入れてなんとか炎症を抑えて持ちこたえた。

花粉なのか風邪なのか、喉の痛みもあったのだがこれは、寝る時に首にハンカチを巻いて持ちこたえた。体調管理は外に出るとなかなか難しいところもある。

食事、睡眠時間、風呂の時間など生活のリズムがいつもと違うところで、動いて行くと仕事の勘所もずれて行くことがある。ここを調整して戻すのがなかなか難しいのだが、最近これが少し出来るようになってきたかなあ。

            ◆

夕食は、国分寺に出向く。
お世話になった大熊先生の指導されているゼミの卒業コンパがあるのだ。私も大学院にいた時に顔を出していたこともあり、一種のOBなので御祝いも兼ねて、先生にご挨拶に伺った。

久しぶりにお会いした先生はお元気で、相変わらず抜群の記憶力で、懐かしく温かい気持ちにさせて頂いた。そして、それでいていろいろと鋭いご指摘をされていたりで、勉強になるなあ。

渋谷まで電車の中であれこれと、四月からのことを考えたりしていた。

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二日目

二日目。

7時半にホテルでピックアップしてもらって、小学校に向かう。今日は3、4時間目に授業をした。小学校4年生への本格的な授業なんて、学生時代の塾の講師のとき以来だなあ。

ぐぐっと伸びてくるのが分かるような反応。すごいなあ。学ぼうとする意志が動き出した時の子どもと言うのは本当に凄い。

            ◆

昼休に
「先生、給食一緒に食べよう!」
と言われるが、外で食べることになっていたので、ありがとうと言いながら断る。
嬉しいねえ。

            ◆

今日の仕事の私の部分はここでお仕舞いになった。
そこで、ダメ元で電話をしてみる。

高校時代の友人の自宅だ。高校二年生の12/12に亡くなってしまった友人の自宅だ。
今回の仕事場所の隣町に住んでいる。
運良くおばちゃんがいたので、自宅に伺って久しぶりに線香をあげた。
あれから信じられないぐらいの時間が流れている。

そのなかで多少は私も成長したのかなあと思う。

            ◆

宿に戻る前に、下北沢にも立ち寄る。
この街は、学生時代に良くいた街だ。

新しいビルが建ったり、店ができたりしているが幸いなことに街の雰囲気は、あの当時のママである。相変わらず怪しい雰囲気に満ちている。ザ・スズナリやカフェ・トロアシャンブルを見ると、ちょっとうるっと来るなあ。

あの街角、この街角でいろいろあったなあと感慨にふける。
まだ、振り返るには早いと思うが、滅多にもう足を運ぶこともないだろうからねえ。

            ◆

それにしても、良く駅で声をかけられる。行き先を聞かれるのだ。昔からそうであったが、最近特に聞かれる。なんでかねえ。ま、聞きやすい顔をしていると言うことでしょうか。

            ◆

宿に戻ると手紙が届いているとのメッセージが。奥さんからだ。
娘の最新の写真を届けてくれた。
嬉しいねえ。
和む。

            ◆

夕食を東京駅の新丸ビルですることにする。

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ディベート仲間のUさんと連絡が取れたので、アクセスの良い東京駅まで出て行く。

いやあ、なんというか凄いねえ。東京駅ってこんなに変わったんだ。完全にお上りさん状態である。美しい夜景と美味しいビールで旧交を温め、お腹も満たした。

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明日も、子どもたちと一緒だ。

2008/03/05

成長しようとする命の傍にいる

東京でのお仕事の初日。朝6時に起きて準備を始める。
7時半に待ち合わせで、8時過ぎに小学校に到着である。
その後、19時30分すぎまで小学校にいた。

まだ、詳しくは書けないが充実した時間であった。
良い小学生たちだったなあ。

            ◆

伺った小学校は私が大学時代に下宿していた梅が丘の近く。校長先生は、私の通った小中学校のある武蔵村山市で勤務していた経験があり、私が中学校の時にお世話になった教頭先生をご存知とのことであった。

ああ、教育業界は狭い。
悪いことはできない。

            ◆

それにしても、成長しようとする命の傍にいるというのは、なんと清々しいことなのだろうかと思う。そこにいられるだけで幸せになれる。そして、困っていたらなんとかしてあげたいと思う。

            ◆

疲れながらも充実した気分でホテルで寛ぐ。
今回のホテルは結構凄い。
22階である。

新宿のビル群が奇麗に見える。
ビルの周りの赤いライトが点滅して、まるで都会の夜が呼吸をしているようである。

見ていると眠くなる。
ああ、眠くなる。
ね、よう。

明日もいいお仕事になりますように。

2008/03/04

連絡 

現在、東京にいます。
メール環境なのですが、なぜか受信は出来て送信が出来ません。
あとで確認してみたいと思いますが、そんな風になっていることをご理解ください。

毛利先生、イクトスさん、メールをしたいのですができません。
よろしくお願いいたします。

下鴨神社の流し雛

授業のない時は、あちらこちらに出掛ける。
京都の大学に来ていて、京都のことを知らないではどうしょうもないので、それこそお上りさん気分もありつつ、見学して回る。

東京にいる時は、地方から来る人に東京のことを案内して回るなんて発想はなかった。そもそも案内してほしいなんて思っていなかったと思う。が、どうも京都に来る人は京都の案内をしてもらうことを望んでいるような気がする。すくなくとも神社仏閣と食事に関してはそんな気がする。

なもんで、国語の中に出てくる伝統文化を実際に味わいつつ、あれやこれやと研修である。本来、教員の研修と言うのもこういうものであるべきだと思う。研修とは「研究と修養」である。教員にとっての研究とは、簡単に言えば指導力を身につけるためのものであり、修養とは人間としての懐の広さや胆を鍛えるものである。

            ◆

私はそのように考えてやってきたが、どうも最近は教員に「研修」ということが言われるとき、前半の「研究」の部分だけを強調しているだけのように思えてならない。それも、目の前にいる子どもに応じた指導方法ではなく、ある一定の方向にだけ正解の在るものを身につけるような研究?である。

私は、そういう方法で多くの子どもたちが出来るようになるとは思っていない。教育ってそんなに簡単なものではない。不確定の条件が無数にある中で、その瞬間にはその答えしかあり得ないことを想定しつつ、作り上げて行くものだと思うからである。

それには、胆の方を鍛えることも大事なのだ。

            ◆

糺の森というところは、気になっていた。下鴨神社である。奥さんは何回か行ったのだが、私は一度も行ったことはなかった。『鴨川ホルモー』を読んで、一度行きたいと思っていたのだがなかなかチャンスがなかった。

私は行動的にに見えるようだが、実は出不精なのである。一度出るとなかなか帰ってこないのだが、実は一カ所に留まっていることが好きなのである。

だが、今回は研修も兼ねてでかけることにした。糺の森のある下鴨神社の流し雛である。
娘の初節句である。なんというか贅沢だなあ。最初の桃の節句が下鴨神社の流し雛か。ま、でも長いこと子どもの誕生を待っていたんだから、この贅沢は許してもらう。

            ◆

私達が着いた時は、ちょっと行事が一段落して、一般民間人が川に雛を流しているところであった。私が娘を抱えて、娘に流し雛を持たせて流す、というか投げる。まだ六ヶ月にもなっていない娘には、流すのは無理。だけど、それで充分。

奥さんが娘を抱えて川の畔に立って、今度は私がカメラマンになって撮影をしていたら、そこに急にカメラクルールがやってきて、インタビューを始めていた。ちょうど人ごみがはけて、動きやすくなったのであろう。

奥さんと娘はどこぞのテレビに放映されたかもしれない。まだ、人見知りので切りない娘は非常に愛想がいいf(^^;。カメラマンさんに可愛い可愛いと言われていた。

            ◆

その後、兼好法師ゆかりの吉田神社の近くで食事をして、研究室に立ち寄り仕事。
明日からの東京での仕事に備えて最終チェックも。

            ◆

夜は奥さんの節句のお料理で楽しむ。主人公はミルクですが。
一ヶ月前におひな様が届いた時には、まだおひな様の前で座らせようとしても寝転がっていたのだが、本番当日は、きちんとお座りが出来るようになっていた。いやあ、人間は一ヶ月で成長するのねと、父はしみじみ喜んだのであった。

正月にも書き初めで書いたが、やはり今日はこの詩である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

雛祭の日に

谷川俊太郎

娘よ
いつかおまえの
たったひとつの
ほほえみが
ひとりの男を
生かすことも
あるだろう
そのほほえみの
やさしさに
父と母は
信ずるすべてを
のこすのだ
おのがいのちを
のこすのだ

引用終了 ーーーーーーーーーー

さて、明日からしばらく会えないが、お仕事はお仕事できちっとやろう。

2008/03/03

さ、今週も始まる

いま、私の回りにある教育が大きく動きだしているように感じる。

ディベートの黎明期に感じたような動き方である。
体験したはずもないのに、あの時は
(幕末の志士ってこんなんかなあ)
と思ったものだ。
(こんな閉塞の教育の時代に、これを体験できるって幸せだなあ)
と思っていた。

            ◆

あのとき、私や私の仲間たちはディベートの魅力に取り付かれ、ディベートを子どもたちにきちんと体験させてあげたい、学ばせてあげたい、そのためにはどうしたら良いのだろうかと考えて、実践して研究会で意見を交わし、また実践の場に戻って行った。そんなことを10年ぐらい繰り返していた。

自分で言うのも変だが、その時に有名になろうとか、偉くなろうとかそんなことは考えてもいなかった。結果的に原稿を書いたり本を書いたりすることは出来たが、目の前にあったのは
(このやろう、待ってろよ。ディベートを分からせてやっからな。面白いって言わせてやっからな。力を付けてやっからな)
という思いであった。

            ◆

これが実に幸せなことだと気がつくのは、この後のことである。自分の利益とか学校でのポジションとかを考えずに、ただ目の前の子どもたちに力を注ぐ。これが許されるのは、教師になって10年目ぐらいまでではないだろうか。

家族との生活、学校の分掌、その他もろもろのことが10年過ぎるとのしかかってくる。

            ◆

だが、さらに思うのは今の私は10年後の私から見れば、
(ああ、良い時代だったよな)
と思えるだろうなあと言うことである。
そののしかかってくることを平然と背負って、それまでの経験を携えて今を進んでいるってのは、10年目までの教員には出来ないことでもあるから。

そうだとすれば、今、目の前にあることをやるというのは、とても大切なことなんだと改めて思う。ビジョンを持ちつつも、今の課題に向かう。今しか出来ないことをやる。

さ、今週も始まる。

琵琶湖毎日マラソン

本日は、籠りで子守り。
娘が寝っ転がっている布団を干し、洗濯物を干し、本を読み、原稿を書きとしていたら、お昼だ。

琵琶湖上空をヘリコプターが旋回している。

青梅に住んでいた時は、二月にヘリコプターの旋回があった。青梅マラソンである。そして、西大津の上空のヘリコプターは、琵琶湖毎日マラソンである。

            ◆

いつもうろうろしているところが、テレビの画面から流れるのは実に変な気持ちである。同じ風景なのに同じに見えない。

なんでだろうか。おそらくそれは、編集の違いなのであろう。
私が見る見方と、カメラマンが写し、ディレクターの指示でスイッチャーが切り替える画面から見える見方とが違うからである。

(そんな風に見えているのね)

と思いながらテレビで応援した。

            ◆

が、まあ気分転換だと思い娘を乳母車に乗せて、応援に出掛ける。自宅から一番近い場所。琵琶湖の沿道から皇子山陸上競技場に向かうコーナーのところである。約40km付近である。

選手到着の15分ぐらい前にその場所に着いたのであるが、ラッキーなことにほとんど人はいない。娘を抱っこして一段高くなった場所に立つ。先頭の選手が来る前にいろいろな車が来る。警備や大会本部や実況中継の車は分かるが、距離の計測のための自転車が5台ぐらいやってきた。
ふーん、当日も実測するのね。

            ◆

で、先頭の選手がやってきた。
なんかジョギングをしているかのような軽やかな足取り、スピードであった。ちょっとびっくり。あんな感じだったかなあ。それでも

『頑張れ、頑張れ』

と娘の手を振って応援したが、あまりの周りの歓声に娘は驚く。
(をを、こんなことにも反応できるようになったのね)
と喜んだりする私。来年は歩いてこられるかな?

んなことを思っていたら、日本人トップの選手もやってきた。
(北京オリンピック頑張ってね)
と応援する。

            ◆

一日中、娘と一緒の日だった。

2008/03/02

菜の花のパスタ

春を迎えて近くのガーデンが再開した。
気の抜けないところであるが、リフレッシュも必要。
三人で散歩に出掛けた。
スミレとクリスマスローズと十月桜と柊南天が咲いているぐらいで、まだまだであったが嬉しい。

受付のおばちゃんも娘との再会を喜んでくれて
「まあ〜、可愛い。お肌真っ白!」
と言いながら手で娘の頬をすりすり。
そして、
「エキス、エキス」
と言いながら自分の頬になすり付けていたf(^^;。

            ◆

帰りにスーパーに行って買い物。菜の花を購入。
よし、昼ご飯はこれだ。

昼ご飯は、菜の花のパスタである。
アンチョビにハーブをオリーブオイルで熱して、茹でたパスタと菜の花に絡めて食べる。

っは、うまひ。

春を口の中全部で味わう。
むごごの、ふひふひである。

外をミシガンが通る。

Ship


            ◆

その後、研究室で原稿書き。「月刊国語教育6月号」である。
気がついたら、外は暗くなっていた。

ふう、あと半日で仕上がるな。

2008/03/01

春よ来い

三月になった。
実は怒濤の三月なのである。
特に今週来週は一つとして気の抜けない毎日が続く。

そんな私が今、口ずさむ歌がある。

引用開始 ーーーーーーーーーー

春よ来い

作詞:相馬 御風
作曲:弘田 龍太郎

1.春よ来い 早く来い
  あるきはじめた みいちゃんが
  赤い鼻緒(はなお)の じょじょはいて
  おんもへ出たいと 待っている

2.春よ来い 早く来い
  おうちの前の 桃の木の
  蕾(つぼみ)もみんな ふくらんで
  はよ咲きたいと 待っている

引用終了 ーーーーーーーーーー

娘はやっとお座りが出来てきたところである。
ハイハイなども出来ない。
ハイハイが出来ない割には、立っちは得意である。高い高いをすると、支えられながらではあるが10.0の得点の着地で立つ。これで良いのか?と思うが、良くわからない。まあ、お座りができたところである。

で、娘は自分で移動が出来ないので抱っこしてベランダに出る。
朝の日差しを受けながら一緒に琵琶湖を見る。
ちょっと前までは眩しくてすぐに目を逸らしていたのに、今は目を細めて見ている。
それをさらに細めて見ている私である。

その時、この歌を歌ってあげる。
もちろん、みいちゃんのところは娘の名前に置き換えて。
まだまだ、親バカである。
いや、ますます親バカであるf(^^;。

Asa

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