手段はその後で十分である
桜の開花が早まるという予報が昨晩出たが、今日の大津は寒い。風が強いのだ。琵琶湖には白波が立っている。ヨットはところどころで転覆しているし、湖西線は止まっている。実に湖西の風情である。
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再校正を終わらせるべく、机に向かい続ける一日であった。
なんとか、終わらせることができた。最終校正箇所をファックスで出版社に送る。これで年度内には出版となるであろう。ふう。ファックス様々である。
ファックスは、私は家庭用普及機が出てからすぐに購入した。そのときは、
「東京に住んでいるのだから、一日あれば郵便で原稿は届くし、なにもファックスなんかいらないでしょ」
という人もいたが、私はその一日二日の違いは結構大きいと思っていたので、購入した。
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パソコン通信の環境も同じである。比較的すぐに導入した。書いたものがそのまま原稿になるというのは、書き手にとっても編集者にとっても非常にメリットがあると思った。
実際は、会社からこの手のものは導入されていくので個人でやるにはコストが高かったりするのだが、この15年ぐらいのことを考えると、やはり判断は正しかったと思う。
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「書道ができる人間がなんでわざわざファックスだ、パソコン通信だ、ワープロなんだ?」といわれることもあった。が、目的が違うのだから私からしてみれば、逆に、なんで目的に応じて使い分けないんだろうと思っていた。
読むには、「精読、乱読、音読、写し書き、群読、斜め読み、速読」などなど様々な読み方がある。同じように書くにもいろいろな書くがあってよいと思うし、その方が表現活動は豊かになる。
筆記用具一つとったって、筆、万年筆、ボールペン、鉛筆、シャープペンシル、水性マジック、油性マジック、竹ペン、ガラスペンなどなどたくさんあるし、筆だけだって、羊毛からイタチの毛までさまざまな種類がある。最近は万年筆のペン先までいろいろあるしねえ。
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自分の伝えたいものを伝えるために、あれこれと工夫をする。これって人間に許されたかなり贅沢な営みだと思う。それをしないのはもったいないよなあ。
ま、私は人間がわがままにできているので、自分がやりたいことがあって、それを実現するためにはどうしたらいいかと考えることが多いので、こんなことを考えるのかもしれないが。でも、この年になるとそれで良かったのかもと思う。
学生たちを見ていると、
「コンピュータがあれば何ができるのか?」
という発想の者が多く、
「私のしたいことは、このコンピュータでできるのか?」
「これがしたいから、このコンピュータを使っているんだけどねえ」
というようになっていないことが多いように感じる。
目的とか表現したいこととかは、しっかりと持った方がいい。
手段はその後で十分である。
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夜、琵琶湖では花火が上がる。
風も止んだようだ。
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