桜の花は、そのスタートを
娘は200日目を迎えました。桜の花が咲き始めました。京都は、美しい季節を迎えました。これから一ヶ月の間、桜にあふれる街となります。私の住む大津も同じく美しい桜に包まれます。いやあ、すごいんだ、これが。
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私は朝から大学で、教職ONE DAYセミナーの講師をつとめる。四コマある中の一コマを担当。この時期は、大学入試で言えば11月に相当する。最後の追い込みなのである。夏に試験の経験のない学生たちは、その辺りの感覚が弱い。そんなんじゃいかん。来年の四月から教師になれんぞ。
一日で、面接の心得、集団討論、授業作り、パラグラフ・ライティングとてんこ盛りである。中には一回生もいるので、今はわかるとできるは違っていてもいい。おそらくびっくりするような内容ばかりで、何がすごいのか具体的にはわかっていないだろう。これらを採用試験までに自分でコントロールできるまでに高めてほしい。
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私のパラグラ・フライティングの師匠の倉島さんは、自らがパラグラフ・ライティングを学ぶときに、同じ講座を5回受講したということであった。そして、わかったということであった。
倉島さんは、そりゃあかなり優秀な方である。その方が同じ内容の講座を5回受けるのである。ここだよなあと思う。できる人は、さらにできるようになるための方法を知っているのだ。
できない者は、講義で先生になーんとなくできたという気持ちにさせてもらって、
(あたしは、できる)
と美しい誤解を持って終わりにしてしまう。講義というものは基本的にはわかるか、わかった気にさせなければならないので、この美しい誤解が構造的に生み出されるのである*1。
本当にできる人は、自分が何ができないかを理解しているので、そこができるまで何回もやる。差がついて当然である。
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できないことは、別に問題はない。
問題は、わかりもしないのにわかった気になって終わらせる。できもしないのに、できたと言い切ってしまう。そのしんどい事柄から逃げ出そうとするところにある。
逃げ出すのではなく、抱え込むのである。我がごととして受け止めるのである。にやにや笑ってごまかすのでなく、泣いて言い訳をするのでもなく、ただ、自分がわからないこと、できないことを受け止めて、問題の解決を目指すのである。逃げ出さず、投げ出さず、やりつづけるだけである。
自分でやりたい仕事につくチャンスを得られているのだ。自分が努力しないで誰が努力する。自分が努力することが自分の人生をつくることになるのだ。
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桜の花は、そのスタートを祝ってくれているのだ。
*1 私の大学での授業はこれに陥らないようにいくつかの工夫をしているが、中学校の時の授業は、どうしてもこれになることはあったと思っている。
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