初夏の飲み物
京都は25度。夏日である。
夏物の紺ブレであっても、ちと厳しい感じである。
冷たいものを求めにスーパーに入ったら、ルビーグレープフルーツが大安売り。6個で315円だと言うのだ。即、購入。
家に帰って、ジンとグレープフルーツで簡単なカクテルを作る。
いやあ、初夏の飲み物である。
んまい。
でも、ちょっと早いんじゃないのかなあ。
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京都は25度。夏日である。
夏物の紺ブレであっても、ちと厳しい感じである。
冷たいものを求めにスーパーに入ったら、ルビーグレープフルーツが大安売り。6個で315円だと言うのだ。即、購入。
家に帰って、ジンとグレープフルーツで簡単なカクテルを作る。
いやあ、初夏の飲み物である。
んまい。
でも、ちょっと早いんじゃないのかなあ。
朝五時に起きる。
なんでか早起きになる。日の出の時間に起きるように体がなってきているのだろうなあ。
◆
で、朝から買い込んである本をウリャウリャと読む。風呂の中で、ベランダで、リビングでと読み進める。湧いてくる授業のアイディアを本にメモしながら読み進める。
(このアイディアはどの授業で使おうかなあ?)
と考えるのは、楽しい。今年の授業で使える場合もあるし、三年後になることもあるし、いつになるのか分からないというものもあるが、そうやってインプットとアウトプットを重ねていると、形になってくる。そこに、もう一つ何かのきっかけがあると、どーんと形になる。
そんな経験を多くしているので、この、料理で言うところの下ごしらえのような読書は、非常に大事にしている。
◆
昼頃息抜きに娘を連れて散歩に。昨日行けなかったガーデンに行く。芝生の上にお座りさせて、咲き始めた藤の花と一緒に写真を撮る。
おばあさんの団体に、何回も声をかけられる。昔風の赤ちゃんの顔がいいのかもしれない。
そのうち、娘は私が胡座をかいた三角形の中でコテンと倒れて左腕を枕に寝息を立て始めた。私は右手に持った本が捲りにくくなったのだが、まあ、いいかとそのまま娘を寝かし続ける。
昼のガーデン。
他のお客さんはランチなのだろう。
誰もいなくなった。
新緑の木陰、
芝生の上、
鳥のさえずり、
琵琶湖を吹き抜けてくる風、
娘の寝息。
◆
奥さんがおにぎりを作ってやってきた。
ガーデンを出て、琵琶湖湖畔でランチ。
午後の読書も捗ったのであった。
娘を連れて大学へ。
今日は学生が主催するサークル主催の会があるのだ。地域の子どもたちを呼んで人形劇や昔遊びなどいろいろと楽しませるサークルである。地域の子どもとお母さんたちが80人ぐらい集まっていた。
まだ娘はそこで遊べるものは何もないが、学生たちががんばっている姿を私は見たいし、娘もいろいろな子どもたちのいるところに連れて行ってあげたかったので、連れて行った。
学生たちは、自分たちであれやこれやと取り組んでいた。一期生を中心としたこのサークルだが、活動を通して子どもを楽しませよう、その結果少し自分たちも成長しようと言うような感じが伝わってきて、うれしくなった。
こうして成長しようとする若者の姿を見るのは、本当に気持ちがよい。
◆
昼過ぎまで大学にいて自宅に戻る。今日は娘と二人で過ごす。
ミルクを与えて、私も昼ご飯。
なんか、妙に娘がかわいくて食事をとることも忘れて写真を撮る。
バカである。
食事後、落ち着いたらガーデンに散歩に行こうかと思ったのだが、娘は疲れたのかぐずっている。試しに添い寝をしてみたら、私の指を触りながらお休みである。スースースーと寝息を立てた。
◆
お散歩をあきらめて、読書と研究の基礎データづくりに取りかかる。娘の寝顔を見ながら、お仕事。それもいいだろう。
◆
その娘だが、歯が生えてきた。
いやあ、めでたい。
ありがたい。
今日は、関西青年塾であれこれ。
学級づくりの観点を練習問題形式で考えるようにした。練習問題やクイズをネタにしてワークショップを行うというのは、一つの有効な方法ではないだろうかと私はこのごろ思っている。
練習問題やクイズを講座に取り入れることで、議論すべき内容が焦点化される。つまりそのことで、限られた時間を有効に使うことができるということである。
ま、今日の講座は三つ立てた柱がそれぞれ深い議論が可能な柱だったので、持ち時間を多少オーバーしてしまい申し訳なかったのだがf(^^;。
会場は、畝傍御陵前駅の駅前にある公共の会館。そこからは、天香具山がよく見える。まさに万葉集のど真ん中である。
◆
あれこれ授業の何たるかを求めようとする先生たちの試みについて、私もあれこれと話す。
『このことは、こうです』
と言いたい気持ちもなくはないが、それは言わない。というより、言えない。それはなぜかと言えば、ケースバイケースだからである。私の授業クラスで、私が授業をしているのであればある程度断定は出来る。しかし、今は違う。
私がやった事実を話しながら、今子どもたちと対面している先生方に対して、私はこうしてその場をくぐり抜けてきたと言うことしか出来ない。
◆
懇親会も二次会までたっぷりと。
最終の近鉄特急に乗って大和八木から京都、そして大津京と乗り継いで帰ってきた。
楽しかったなあ。
授業に使える本にがんがん出会っている今週である。ここに書くと、場合によっては学生たちが読んでしまうので書かないが、いい本に出会っている。うれしい。さて、何の授業で使おうか。
本を読みながら授業案を調整していくのは、本当に楽しい。
◆
午後からは授業。国語科教育法1である。
今年は去年の学生の2/3程度なので、じっくりとコミュニケーションがとれる。なもんで、進み方が遅い。
まあ、考え方によっては前期の後半や、後期で扱う内容も話しているので前倒しをしているとも言える。教師にとっての声についての講義がやっと終わった。
◆
さて、明日は関西青年塾である。
まだ、若干席に余裕があるとのこと。ご都合のつく方はどうぞお越し下さい。
引用開始 ーーーーーーーーーー
第1回 授業づくりネットワーク関西青年塾 2008
日時 2008年4月26日(土) 13:00〜17:00
日程 13:00〜 受付
13:30〜14:15 基本講座1
池田 修氏「明日から役立つ!池田流 学級経営論」
14:25〜14:50 基本講座2
土作 彰氏「授業づくり・学級づくりの視点〜縦糸・横糸論〜」
15:00〜15:30 基本講座を受講しての質疑応答+意見交流会
15:40〜16:40 ミニネタ授業づくり演習
■参加者のみなさんでグループを組み、ミニネタを使った7分程度 の模擬授業を行って批評し合います。
場所 奈良県社会福祉総合センター(近鉄京都線 「畝傍御陵前」駅徒歩2分 第3会議室
http://www.nara-shakyo.jp/shafukuc/syuhenzu.htm
参加費 一般1000円
会員 500円
(会員=授業づくりネットワーク誌を年間購読している方。当日お申し込み頂いても結構です。)
定員 20名(残席わずかです。)
参加申し込み 会場定員の都合上、必ずメールにて「関西青年塾参加希望」とお知らせ下さい。参加費は当日会場にてお支払い下さい。アドレスは、tuttyan@kcn.jpです。
懇親会 17:30より近鉄八木駅前の居酒屋で開催します。参加実費です(4000円ほど)。みんなでワイワイ楽しくやりましょう!
引用終了 ーーーーーーーーーー
久しぶりの奈良である。
授業づくりネットワークである。
楽しみ楽しみ。
基礎演習ゼミが本格的に始まった。『おとなが子どもと出会うとき、子どもが世界を立ちあげるとき—教師のしごと』(竹内常一 桜井書店)を読んでいる。本格的なテキストリーディングとしては、学生たちは初めてである。
学科のすべてのクラスでこの本で取り組んでいる。私は、こんなふうにしている。
・ゼミの事前指導
1)4人ぐらいのグループに分かれる。
2)発表グループの一人一人が、担当の章ごとに読み案をつくりレジュメとしてまとめる。
3)池田が指導する。
4)指導の後、グループでそれぞれの読み案を元に、発表グループの読み案を作る。
・ゼミの実際
1)発表グループから、読み取った内容と疑問をクラスに提示する。
2)クラスで、1)について質問をする。
3)1)の疑問の内容を、クラスのそれぞれのグループで議論する。
4)議論したグループごとに内容を発表する。
5)4)について発表グループから意見を述べる。
6)1)〜5)を受けて、池田が確認、解説、新たな問題点の創出を行う。
・ゼミ後のまとめ
1)ゼミの議論をふまえて、発表グループの担当者は一人一人が学級通信風にまとめのプリントを作る。
つまり、学生は三週間このテキストと掛っきりになるわけである。
◆
『おとなが子どもと出会うとき、子どもが世界を立ちあげるとき—教師のしごと』は、竹内常一先生が、全生研の実践記録を読み取り、読み開いた本である。学生たちは、この読み取りに従いながら、自らの読み取りに挑戦している。『おとなが子どもと出会うとき、子どもが世界を立ちあげるとき—教師のしごと』にある実践記録の原典に当たって比較してということをさせているのだ。
ま、しかしこれは基礎演習ゼミである。原典まで自分で探してこいというのは、まだ厳しい。学科の小寺先生が京都大学の図書館まで出かけていって、原典の生活指導や全国大会の紀要をコピーしてきてくださって、これを元にテキストリーディングをしている。
当然、やがては自分たちで原典を用意するようにさせるのだが、いまはそこは教員がサポートしている。
◆
『おとなが子どもと出会うとき、子どもが世界を立ちあげるとき—教師のしごと』と原典の実践レポートを読み込み、自分の読みと竹内常一先生の読みの異同を確認しながら読み進める。最終的には、『おとなが子どもと出会うとき、子どもが世界を立ちあげるとき—教師のしごと』の学生版を作らせるイメージである。
グループで、クラスで。学生たちは、気が遠くなりそうになりながらこれに取り組んでいる。
一回生のときに、読書をしたら印象に残るフレーズを引用して、それについてコメントするという課題を年間三十冊させてある。これは、今年のこの授業のための準備であったのだ。
◆
授業のあとに私はこんなことを言った。
『面白かった人、よくわからなかった人、つまらなかった人。みんなはどれ?』
すると、面白かったけどよくわからなかったという諸君が多かった。逆にもやもや間が残ったという学生もいた。それでいいのである。
勉強したら分かったというのは、学習の段階である。学習はそうでなければならない。しかし、学習から学問の領域に入ろうとするとき、「勉強したらさらに分からなくなった」ということがあることに気がつかなければならない。もう少し正確に言うと、「勉強したら、さらに疑問が見つかってしまった」ということである。
ちょうどそれは、ロッククライミングをする登山家が、一つの難所をなんとかクリアしたら、その向こうにクリアしたことで新たな難所を発見できるような感覚である。そこをクリアしないと、次の課題が見えてこないということである。
◆
『をーをー、君らもいよいよそこに来るんだねえ』
私はニマニマ笑いつつ、言うのであった。
っく、くだらない。
だけど、やってみたい。
洗濯はどうするのだろうかf(^^;。
http://japanese.engadget.com/2008/04/23/bluetooth-keyboard-pants/
キャリア開発演習では、小論文の書き方を指導している。この授業は、公務員試験対策の授業である。私も嘗て公務員であった。このような授業が私の大学時代にあったかと言えば、分からない。あったかもしれないし、なかったかもしれない。だが、担当することになったのであれこれと準備した。
◆
書くということはどういうことなのかから始まり、実際の公務員試験の論文問題を提示してどうやって書くのかを確認していった。
案の定というと学生諸君に申し訳ないが、案の定であった。論述として求められている事柄が何なのかが読み取れないのだ。例えば三重県の平成14年度の問題は以下の通りである。
引用開始 ーーーーーーーーーー
A試験
1.論文試験、論文試験Ⅱ課題
「現在全国的に推進されている市町村合併について、その背景を踏まえ、自分の考えを論じなさい」
引用終了 ーーーーーーーーーー
この問題では、ほぼすべての学生が「市町村合併」だけを論じようとしていた。これでは合格できないだろう。
小論文は、論じるべきテーマを出題者が用意する。その際、必ず論じなければならない部分と、他の人が論じないユニークな部分の両方とも論じなければならない。特に採用試験では、論証よりもユニークネスの方が重視されることが多い。
にもかかわらず、学生たちはこの発想がほとんどなかった。
まあ、いい。学生たちである。これから鍛えればいい。ただし、この授業はオムニバスなので残りあと4回である。
時間の限りやってみよう。
◆
研究入門ゼミも本格的に始まった。
前回は合同ゼミだったので、学生の顔がよくわからなかったが、今回はクラスのゼミなので一人一人を良く見渡せる。
大学での学び方を学ぶこの授業である。学び方には、学ぶ方法と学ぶ姿勢の二つがある。この二つをあれこれと扱っていく予定である。
去年の学生たちとは少し違う雰囲気のクラスである。中学校であっても大学であってもクラスの雰囲気が毎年同じということはないなあ。それが難しさであり、面白さでもある。
◆
午後は、会議。会議。会議。そして、一仕事。
水曜日はこの繰り返しである。
第二回目の『伝える極意』を見た。というか、出たf(^^;。
◆
番組を見ながら、うーんと唸ったのはカメラマンさんのカメラワークだ。今回のカメラマンさんは、Yさん。NHKでも三本の指に入る方とあちらこちらから言われていた。
本当にそうだと思った。
◆
私がNHKに最初に出たのは小学校5年生のとき。学校から帰ろうと思ったら、なんか人ごみがあり、のぞいてみたら街の有名人を紹介していたのだ。私が突然インタビューに答えることになったのを覚えている。
二回目が吹上中学校のとき。私のクラスにペルーからの転校生が来て、その彼を追いかけていたクルーがそのまま私のクラスに一週間張り付いたのだ。で、その時のOディレクターさんと仲が良かったのがYカメラマンだったのだ。
実際に『伝える極意』の収録中に、Oディレクターさんと電話で久しぶりに話もしたし。面白いなあと思った。
◆
で、Yカメラマンのカメラワークである。
授業の肝のところをきちんと正面から捉えている。
授業の流れはラフスケッチのようにして伝えてあることはある。だけど、子どもの反応で微調整をしながら授業は進めていくものである。その微調整を感じ、私の授業の先を読み取って、真正面の位置からそのシーンをカメラに収めている。うーん、すごい。
文脈というか、コンテンツというか、空気というか、イメージというか。そういうものを嗅ぎ分ける力が抜群にあるのだと思う。おそらく、
『どうしてこういう風に動けるのですか?』
と質問すれば、頭の中で論理的に答えを出して答えてくれるだろう。
しかし、現場でその瞬間をカメラに収めるというのは、そういうことではなく、ひらめくときには体が動いているという体になっていなければならないはずである。
実際、最近読んだ本によれば、人間の体というのは、動けという命令の前に体が動くようになっているのだそうだが、それを元に、高度に適切な動きができるようになっていなければならない。
◆
収録はあと3回ほどある。
もうちょっとYカメラマンの動きを見学して、機会があったら質問してみよう。
◆
京都は新緑に包まれている。
写真は、逢坂の関あたりの新緑だ。
教え子から深夜にメール。
こういうメールは、悲しいお知らせかうれしいお知らせかどちらかだ。
◆
今回はうれしいお知らせ。この教え子は7、8年前に担任した生徒だ。この春に東京都の英語の教員採用試験に合格して、四月から正式に働いているとのメールであった。前回合ったときは、落ちてしまっていて非常勤講師として働くということだったので、非常にうれしい。
お習字が得意な彼女は、一つ一つの仕事を丁寧にやるタイプで、ぱっと見にはどんくさく見えたりもする生徒であった。
だが、とても優しい心根を持っている彼女であり、他人の分まで傷つくことを引き受けるような彼女であった。
◆
その彼女が、英語の先生になったかあ。
救われる子どもたちは多いだろうなあと、うれしく思う。
しかも、赴任した先の中学校には、中学校時代の恩師が二人もいるとか。
生徒として見ていた先生と、先生として見る先生は別物だから、いい勉強になると思う。
うしゃあ、俺もがんばらねば。
昼前に車に乗って比叡山に向かう。
ま、10分も走れば比叡山であるが。
今日は比叡山ドライブウエイが半額である。開業50周年ということである。ここの有料道路は結構高いので、こういう日は重宝する。
天気もいいので、三人でドライブウエイを走ることにした。
◆
比叡山は、京都と滋賀の府県境にある山である。場所によっては京都市内も見えるが、なんといっても琵琶湖の美しさを堪能できる場所である。
麓はすっかりと桜は葉桜になってしまったが、ドライブウエイに入ると、まだソメイヨシノが満開である。さらに、山頂まで向かうとまだ蕾である。簡単に言うと、一ヶ月遅れて比叡山は花見ができるということである。
満開の桜に、琵琶湖。
これを背景に家族三人で写真を撮る。
いい休日だ。
この写真は、奥比叡ドライブウエイから琵琶湖を眺めたもの。琵琶湖大橋が見えるでしょ。鳥人間コンテストで超えてはならない橋と言えば、関東の人には分かりやすいかな?
◆
その後、堅田まで車を走らせ、お気に入りのレストランで食事。娘はミルクを飲んだ後で、機嫌がいい。レストランではおとなしくお座りしながら過ごしていた。
少しずつこうして外で食事をすることもできるようになるのだろうなあ。
◆
午後の日差しが、琵琶湖に反射して、まぶしかったなあ。
「GT roman」は、一部の人には絶大な人気の漫画である。それの初期の作品を集めた「GT roman DEAD END STREET」(西風 モーターマガジン社)を読んでいる。
1960年代から80年代前半までの名車を扱っているこの漫画は、スーパーカーブームに入る前の車クレイジーたちの日常(というにはかなりヘビーだが)がおもしろおかしく描かれている。
雰囲気としては、「アヴァンティ」のクルマ漫画版といえばいいだろうか。
◆
車乗りには二種類いる。乗れればいいという人と、この車でなければ嫌だという人。私は比較的前者だったのだが、最近は比較的後者になっている。その後者の中で、新しい車程よいという人と、ビンテージの車の方が良いという人に分かれる。
私はこれは前者に近い。後者の車は壊れる。もちろん、後者の人たちは口を揃えて言う。
「直せばいーじゃん!」
はい、その通りですが私はそういうの面倒なのでできませんf(^^;。ですが、ちょっとこれにも憧れるんだなあ。この漫画は後者の後者たちが気持ちよく描かれている。アホな男たちを描いている。
◆
それにしても、西風の漫画に流れる空気は心地よい。
これは明らかに東京に流れる空気ではない。
車を描きたいのか、空を描きたいのか分からないほどのコマ割り。沼津ってひょっとしたらイタリアの一部ではないかと思わせる風景。
◆
私はここにいるよというメッセージが切なく、気持ちよい。
「なんでうまくいかないのか、最初はよくわからなかった」
と平田オリザさんは、自分の書いたシナリオについて語った。演劇を専門とする人たちに対するレッスンではなくて、中高生に対するレッスンである。
(すごいなあ)
と思った。
「最初はよくわからなかった」ってことは、そのあと分かったということで、それは自分で考えたから分かったのである。分からなかったら教えてもらうではなく、分からなかったら考えて自分で解決するのである。
私もどちらかというと、こういうのが好きである。自分の持てる資源を活用してなんとか自分で解決していくってのが好きである。
もちろん、世の中には教えてもらうのが好きな人もいる。教えてもらった方が効率的にある程度のところまでいける。だが、それでは自分が納得する形で答えにたどり着くのはなかなか難しいということを私は感じているので、自分でやる方がいいと思っている。遠回りになることも多いのだが、そうだと思う。
◆
明日の教室スペシャルでは、平田オリザさんにご登場願った。前半がワークショップ、後半が理論編の講義である。実に充実した時間だった。
もともとこの明日の教室は、そんなに大人数でやることを考えてはいない。教室サイズの人数で、そこに講師をお招きして学び、懇親会でさらに深く学ぶという、「贅沢な」スタイルをとっている。講師と参加者、参加者同士が近くなれる距離がいい。
で、平田オリザさんから60人で学び、さらに30人で懇親会というのは、実に贅沢である。
◆
私は、前日に大学の生協に届いた『ニッポンには対話がない 〜学びとコミュニケーションの再生〜』を一日で読み、参加したのだが、これは大正解。すぐに届けてくれた生協に感謝。
この本は実に面白い本であった。平田さんと北川さんは世界の現状を分析して、日本の教育を語れる希有なお二人。私はそのお二人と何回か飲んでいたので、本を読みながら、二人の肉声が聞こえてきた。
さらに面白かったのは、肉声が聞こえているのに
(あれ、これどちらの発言だっけ?)
と思うことが何回もあったのだ。
対話は、他者が他者でありつつ、他者が入れ替わりつつ、そこで行われる営みにより新たな価値を生み出していくコミュニケーションのあり方のような気がする。
◆
平田さんに、最初にお会いしたのは和田中学校でレッスンをした後の校長室でのことであった。私が行っているシナリオ方式のディベートの指導に非常に共通点があるので、私が抱えていた疑問を聞いてみようと思って話をしたのが最初。その時は、大学の教員になるなんて夢にも思っていたなかった。が、その後京都で一回あるイベントでご一緒し、今日に至るわけである。
「いやあ、面白いですねえ」
と平田さん。私も本当に面白いなあと思う。
平田さんのワークショップを受けながら、私が感じたことを懇親会で平田さんに伝えた。
『ワークショップの始まりのときに、ある目標を設定していましたよね。そして、ワークショップを進めながらその目標を調整しましたよね』
「はい」
『そして、目標が調整されたらどんどん、引き算をしていったように見えました。引き算をしていったら、ワークショップを受けているメンバーは、かけ算をして自らの価値を高めていくように見えました。そんな風に運営していましたか?』
「はい」
『やっぱりなあ。うまくいかないワークショップを見ていると、引き算をするところで、足し算をしたり、かけ算をしたりしているんですよ。その結果受講生は、自らかけ算ができなくなっていくんですねえ。やっぱりすごいなあ』
と演出家の大家に向かって、俺も良く言うf(^^;。
で、ここでも一つの動きがありそうだ。面白くなりそうである。
◆
明日の教室では、『ニッポンには対話がない 〜学びとコミュニケーションの再生〜』の平田オリザさんの対談相手北川達夫さんにもお越し頂くことになっている。なんて贅沢なんだ。7/26である。
◆
本当に、こんなに贅沢でいいのかなあと思う。
が、いいんだと思う。
教育ってのは、本物を贅沢に浴びることが大事なのだ。
ああ、いい一日だった。
午前中は打ち合わせ。
新入生キャンプでお世話になったオーパルの中岡さんとあれこれ。二年間こちらで新入生キャンプをお世話になってきて、一つの方向性が見えてきたのでそれをヴァージョンアップするにはどうしたらいいのかということについて、あれこれ。
一つの企画が、次の企画を生み出していくことの面白さ、うれしさを実感。体が足りなくなると困るが、それはここは大学。学生たちがそこに積極的に関わってきそうなので、そこにどんどん任せていこう。
◆
メールでもいくつか新しい企画が動き出す。駆け続けるといつか転けてしまうだろうから、適度に休息もしつつ、それでも依頼があるうちは喜んで受け続けたいと思う。私の自分でも気がつかない分野に光を当てて頂ける企画だったらなおさらだ。
◆
国語科教育法では、「話す」ということと「板書」ということについての講義の予定だったが、「話す」の前半で終わってしまった。まだ授業が動き出したばかりなので、授業のルールや取り決め、さらには進め方などを丁寧にやっているので、時間がかかってしまう。
去年の進み具合見たら、同じ程度までしか進んでいないので、これはこれでいいだろう。来週は「話す」と「板書」をやることになる。
家本芳郎先生の著作や、鴻上尚史さんの著作を引いて、あれこれと授業を行う。
◆
引用開始 ーーーーーーーーーー
正しい発声とは?
「あなたの感情やイメージがちゃんと表現できる声を手に入れること」です。
『発声と身体のレッスン』(鴻上尚史 白水社 2002.4)
引用終了 ーーーーーーーーーー
「話す」ってのは、教師にとってとても大事なこと。だが、この「話す」はあまりにも日常的すぎるので、意識されない。私は「幸いにして」音痴だったことと、滑舌が悪かったことから、声を早いうちから意識することができた。
音痴を直すため、滑舌の悪さを直すために自分の声を多く聞いたのだ。テープに録音して、ひどいところを意識して直していったのだ。
ま、自分の声をテープで聞くと、あまりにもペラペラな音にショックを受けるのだが、それよりもとにかく直したいの一心で、聞いて直した。
そして、(どうやら私の声は良く通るらしい)と分かってから、さらに磨きをかけるにはどうしたらいいのかと、あれこれやってきた。
だが、自分の声がどのようになっているのか、相手にどんな風に伝わっているのかを考えることなく、意識することなく使ってしまっている教師は、少なくないのではないかと思われる。
うれしいときにうれしいということをきちんと伝える発声。
感情ではなく、論理を淡々と伝える発声。
怒っているけど、心の中では許していることを伝える発声。
教師にはいろいろな発声が求められる。これを使い分けながら、授業や指導は行うのである。そんな辺りを授業では話した。
授業や指導で使う、声と話し方は、日常で使うものとは別物であるということを、きちんと理解させたい。
◆
で、まず、授業である。
授業の空気を支配するのは、教師の「声」「話」である。ここを磨くレッスンをきちんとすることは、とても大事だと考えている。
基礎演習ゼミで、本日は「パラグラフ・ライティング」の講座をしていただいた。本学の生協主催の教職対策講座の講師をされている河野先生に、児童教育コースの二回生全員にしていただいた。
おそらく、日本の教員養成系の大学でパラグラフライティングを授業で扱っているところは皆無ではないかと思う。googleで確認したが見つからなかったし。
なんでもかんでもアメリカがいいというつもりはない。が、北米では小学校の高学年ではこの方式で作文を書かせているというデータもあった。
河野先生は、アメリカの学校で正規教員として教えていた経験もあり、パラグラフライティングにも造詣が深い。是非とお願いしてご指導いただいた。
◆
文章には、大きく分けて二種類ある。メモや感情のはけ口としての自分のための文章。もう一つは「伝える」という目的のために書く文章である。パラグラフライティングは、この伝える側の文章の、考えを伝えることを目的とした文章の書き方である。
私が本格的にこのパラグラフライティングを学んだのは、大学院に通っていたときである。ディベートで知り合いになった倉島さんが講座をされていて、
「池田さん、修士論文を書くなら講座を受けにおいでよ」
とお誘いをしてくださって、一日8時間、それを毎週土曜日に3週間続けて学んだ。
鼻血が出るかと思うぐらいの、濃い時間であった。
が、今思えばあのレッスンがなければ私は修士論文を書けていないだろうと思う。
◆
8時間の3日間。つまりは、24時間のレッスンを受けて、その後メールでも指導を受けて、使いこなせるようになったパラグラフライティングである。90分で学生たちが身に付くとは思っていない。
しかし、今の段階でこれを知っておくことは、ゼミでのレジュメの指導、レポートの指導、また、採用試験に卒業論文の指導の際に大きな力になると考えている。
◆
それにしても、やっぱり授業はいい。
教育の、教師の後輩になるだろう学生たちを鍛えることは、責任も大きいが張り合いもある。
学科の先生たちと一緒に作り上げていく感覚が非常にいい。かゆいところに手が届くというのか、大学に席を移してまでこのような思いを味わえるとは思わなかった。ありがたいことだ。
◆
今週末は、明日の教室スペシャル。平田オリザさんが来てくださる。まだ少し席にゆとりがあるようです。申し込みの締め切りは明日です。お急ぎください。
大学は、いま春の花でいっぱいです。
キャリア開発演習という授業を担当する。この授業での私の担当は、書くということである。オムニバス形式で三人の教員が担当するので、私の部分は書くである。
一回目の昨日は、書くということはどいういうことなのかについて考えてみた。人はなぜ書くのか、書くの種類にはどんなものがあるのか、読まれる文章はどういうものか、実際に読まれる文章を書いてみる、なんてことをやってみた。
一回の授業でここまでやるのはちょっと内容が濃すぎるが、五回しかないので概論的にやってみた。
◆
書く。
私はお習字からこの書くの世界に入ったと思っている。「わくわく授業」で作文の書き方を指導したとき、番組を見たある方から
「え、池田さんって書くの指導もできるの?」
と言われたことがある。ディベートだけだと思われていたようだf(^^;。
私はディベートの教師であったわけではなく、中学校の国語の教師であったので、そりゃあやりますよ、書くだって読むだって、掃除指導だってクラブ指導だって生活指導だって、教務だってf(^^;。
さ、来週は何人が残るかな。少なければ少ないほど、じっくりと指導できる。
お得な授業になりそうである。
◆
研究入門ゼミは合同で。一回生のクラス単位の授業である。学び方を学ぶという授業である。京都橘大学の教育の方針、児童教育学科の教育の方針、学び方などを説明。
私は、学科で設置したMM、ML、WEB掲示板の使い方などについて説明。学科ではなんとなくICT担当になっている。
◆
で、この合同ゼミでは、そこまで打ち合わせをしていないのに、各教員から「メモをしっかりととるように」という話が続く。「ここは大事だから、テストに出るからメモをとるように」と教えてくれた高校までとは違うのである。自分からメモをして、自分で何が大事かを考えなければならない。
私は
『君たちは、メモをとれと言われればとれるかもしれない。では、メモのとり方の指導方法は理解しているか? メモのとれない小学生に実際にできるように教えることはできるか?』
と問うた。その後、メモの種類の話をし、実際にどのように指導するのかを説明した。
「教わる側から、教える側に回る諸君になる。そのために必死に学べ」これが、私たち児童教育学科が学生に示している考え方である。
学生たちは
「教育を甘く見ていたのを反省した」
「これからの四年間がとても楽しみになった」
「先輩たちを追いかけたいと思った」
などの感想があった。
二期生の学生たちにも、児童教育学科の基本的な考え方は届いたようである。
大学は、いま八重桜が満開だ。
大いに期待しよう。
若い教師の必読漫画
あちらこちらで、若い教師への推薦図書が紹介されている。私はへそ曲がりなので、本だけではなく、漫画でいきたい。三冊紹介したい。
1)「寄席芸人伝 全11巻」(古谷三敏 小学館 1986/08)
教師は語りが大事である。教師は職人であり、芸術家であり、文化の継承者でもある。教師の仕事は、OJTで学んだり、正統的周辺参加で学んだりすることもある。そういう意味で、この「寄席芸人伝」は教師修行のmetaphorとして読むには、非常に興味深く、勉強になる漫画である。
噺に合わせて着る和服の生地や帯を変える。出囃子に合わせて登場するときの表情はどうするか。長い落語を語るときはマラソンの流れで、身体的に噺の構成を考えることが良いなどの物語がある。
新刊本では売っていないので、中古で買うかデジタルデータで読むことになるだろうが、ふっと入った古本屋にあれば、一巻でも買ってほしい。
2)「万歳ハイウェイ 全13巻」(守村大、オサム 講談社 1985/10)
私がオンロードバイクにで楽しんでいた頃に、楽しんでいた漫画である。
私はYAMAHAのSRXという今は生産中止になってしまった名車に乗っていた。バイクごとにさまざまなストーリーが出てくる。YAMAHAのSRXの巻は、ビートルズの名曲Let' it beにもストーリーは絡んでいて、とても泣ける。
でなんでこの漫画が、若い教師になのか。
人生はこんな風にも生きられるかもしれないと思うにはいい。
3)「課長 島耕作 全8巻」(弘兼憲史 講談社 1994/12)
とうとうリアルタイム進行では、島耕作は社長になるらしい。だが、最初は課長島耕作なのである。これは今の日本の漫画で、続編という考え方で言うと、相当長く続いている漫画である。
教師は、一般企業のことを良く理解していない。私は一般企業のことを良く理解するよりも、子どもや教育のことを良く理解するための勉強をする方が大事だと考えている。しかし、この「課長 島耕作」レベルのことであれば、教師も読んで理解しておくのもいいだろう。(会社ってこうなっているのか)を知っておくのは大事だろう。
また、社会を知るということでは「ナニワ金融道」も捨てがたい。
◆
ということで、このブログの読者のみなさんにも、コメントで紹介していただけないかなと思います。
ご入学おめでとうございます。
今年度、君たちのCクラスのクラスアドヴァイザーとなりました、池田 修と申します。
この授業を受けるみなさんは、将来先生や保母さんになろうという意志を持っているみなさんです。そのみなさんが将来教育・保育の現場に立った時に十分に力を発揮できるように、大学では基礎学力と専門的力量を鍛えることになります。この授業では、教育・保育の専門的な学びを支える学び方を身につけて行くことになります。じっくりと学びましょう。
◆
さて、入学式での梅本理事長先生の話を覚えているだろうか。人間は関心や意欲がないものは見ることができないという話だ。
「信号機は1868年にイギリスで初めて設置されました。その信号機は君たちは毎日見ている。
しかし、その赤、青、黄色の色の配列がどのようになっているのかを自信を持って言える人は少ないでしょう。
毎日見ているものであっても、意識してみることがなければ見えてこないのです」
という話でした。
この話は、人間の興味がいかに大事なのかということを示している。君たちが、教師/保育士、教育に関心を持つことはとても大事だということである。
◆
しかし、この話はそれだけを言っているのではないことが分かったであろうか。
梅本先生は、諸君は、信号機のことを知っている。知っているがシグナルの配列には興味がないので、どの順番で並んでいるか見ているようで見ていないということを話された。
さて、問題は君たちは教育のことを知っているか?ということである。
◆
君たちは大学に入るまで、学校教育の現場にいた。幼稚園保育園から始まり、高校まで15年近くいたはずである。しかし、それは教育を受ける側としていたのである。学ぶ側としていたのである。
これからは、君たちは学ぶ側でありつつ、学ばせる側に回るのである。注意されるがわから、注意する側に、褒められる側から、褒める側に回るのである。
そういう観点から「教育」というものを「知っている」のだろうか?おそらくほとんどの諸君が知らないであろう。そうだとすれば、君たちは興味/関心/意欲があったとしても、見ることはできないのである。
◆
現代の授業名人と言われている有田和正先生は、知識に関して次のことをいう。
知識は眼鏡である。
知識がなければ物は見えない。
まずは、諸君は教育に関する膨大な知識を身につけることである。これがなければ、見えないのである。
また、教育は主に子どもを相手にする。子どもたちに関する知識もなければならない。子どもたちの遊び、文化、問題、流行など膨大な量である。
諸君は、教師/保育士、教育を目指すのであれば、まずは「膨大な知識」を身につける必要がある。
一回生で年間100冊の本を読むこと。30冊の読書記録を書くこと。それは、こんな意味が込められているのである。
大学での学びは、ここから始まる。
「研究入門ゼミ通信 起筆2008 NO1より」
朝からワープロに向かう。久しぶりにきれいに晴れた朝だ。
◆
今日は「伝える極意」がある。久しぶりにテレビに出るので、ちょっと緊張。で、時間になったのでテレビをつけたら、あさのあつこさんが出ている。
(あれ?)
慌てて確認したら、私の出番は来週であったf(^^;。
どうも春は、私の歯車を乱している。
◆
今日は6限の授業なので、事務をする時間があると思ったら、意外とあっという間に授業の時間になってしまった。春は私の時間も奪っているらしい。
6限の授業は、教育実習2。いよいよ教育実習に向かう四回生の、実習前の最後の指導である。教務から関係書類を配布してもらい、説明。その後、私の方から「教育実習直前指導〜あなたが、教師として生徒の前に立つために〜」というテーマで授業を行った。
「生徒を生徒にするには、教師が教師にならなければならない」「生徒が教師と思ったときに、実習生は教師になる。ならば、どうやって思わせるのか」などについて話をした。アイディアを交換した。
さらに、『こんな時どう言い返す』のような指導もちょこっと。掃除の指導に関してあれやこれやと。
◆
授業の後に、
『字に自信のない諸君は、30分ぐらい面倒を見るから、授業の後に残って黒板に自分の字をチョークで書いて見なさい』
と言う。そして指導をする。なんだかんだで20数人が残る。2/5以上は残ったか。
板書に書かれる字の見やすさ、うまさ、勢いなどで、生徒にかなわないと思わせることができれば、教育実習のスタートは順調にいける。
学生の名前をチョークで書いてあげて、
『この上から、チョークでなぞりなさい』
と模書をさせて、臨書をさせて、練習だ。
「あ〜、先生の右腕が欲しい」
と言われたが、まあね、君らが想像もできないぐらいに私は学生時代にチョークの使い方を練習したし、教師になっても書きまくったからねえ。
学生たちは、私の書いた名前を携帯電話で写真に撮っていた。努力することだ。あと、2ヶ月近くあるだろう。
努力すれば成功するとは限らない。しかし、成功したものは必ず努力をしているのだよ。
今年度前半は月曜日が研究日。大学にいてはできない仕事をあれこれやる。
並行して6月に脱稿する原稿の仕上げをする。少し前に連載を完了していた原稿を一冊の本にまとめる。だから、本としてのトーンを整えること、古くなったデータを差し替えることがポイントになる。校正作業にも似ている。
爪を切りそろえて、キーボードタッチで感覚がずれないようにする。こういう調整って、結構大事だと思うんだよねえ。修士論文を書いているときは、しょっちゅう爪を切っていたなあ。
◆
夕方から坂本城址公園に出かける。今日は日吉大社の一ヶ月半にも及ぶ山王祭の山場の一つもである、船渡御があるのである。
地元のお祭りで、しかも一ヶ月半もやっているもの。1300年前からやっている祭りである。いろいろな意味で見ておきたい。
私たちは15:00に到着して一行を待つ。遠くの方から太鼓の音が聞こえたと思ったら、トラックに積み込まれた神輿がどんどん到着。担ぎ手は江若バスに乗り込んで到着。中には中学生もいるが、今日の学校はどうなているのだろうなんて思う。
◆
神輿は、装束を身にまとった人たちによって、艀のようなところに次々と乗せられていく。六基の神輿が揃ったところで、タグボートに引かれておき合いに出て行った。
これが実にきれいである。
比叡山に傾いていく西日を浴びて、神輿や装束が輝く。
「平成狸合戦ぽんぽこ」のワンシーンを思い出してしまった。ま、あれは井原西鶴の「好色一代男」のパロディーでもあるのだが、こうして実際の光景と重なっているのを見ると、身震いするような感動であった。
◆
1300年も続いている祭が、当たり前のように今も続いている。東京にいるときには何も関係のない祭りであった。これが、日本の文化の懐の深さなんだろうなあと思う。
我が家から車で15分のところで、こんな祭りがあるんだから実に贅沢である。
◆
春は晩春に向かう。
午前中は、「児童心理」の校正。
今度の水曜日が締め切りだから、早めに終わって気持ちがよい。
◆
その気持ちのよい思いで、京都市内に出かけていく。今宮神社でやすらい祭を楽しみ、その後、上賀茂神社で桜を楽しむ。
京都は広い。京都市内だけでも広い。だから、ソメイヨシノが散ったとしても、北に向かえば、八重桜にしだれ桜はまだまだ咲いている。今宮神社のしだれ桜も良かったが、圧巻は上賀茂神社の斎王桜である。
◆
京都に来る観光客が見て回る桜は、移動しても下鴨神社までだろうと思われる。だから、上賀茂神社にいるのは、ほとんど地元の人である。だから、こんなにすごい桜なのに、ほとんど人がいない。
見とれながら、娘と奥さんの写真を撮りまくる。
大津の家から30分でこの桜に出会えるってのは、やっぱりすごく贅沢だ。
◆
ゆったりとした週末だったなあ。
久しぶりに週末に家にいる。今日は家でお留守番だ。
ゴロゴロしながら娘の相手をする。
娘は、座ったままぴょんぴょん跳ねる。
前と後ろに枕やらクッションやらを並べて、床に激突しないように見守る。しかし、違う方向に体が動いて、あわててその枕を動かしたりする。
いま、とても眼鏡に興味があって、近くに顔を置くとニヤッと笑って手を伸ばしてくる。そのままにしておくと、取り上げて振り回す。ほどほどのところで、私が取り上げる。これを何回か繰り返す。
別のおもちゃをあげたら、これを口にくわえる。見ていたら、興奮してそれを振り回す。私の目に当たる。い、痛い。
眼鏡を外しておいてよかったのか悪かったのか。
私が読んでいる本を声を出して読む。内容なんて全く分からないのに、うれしそうにしている。
ミルクを与え、一緒にまたゴロゴロする。
私だけ午睡。
娘は、おもちゃを楽しんでいる。
贅沢な春の一日だ。
本日、国語課教育法1の授業の開始である。
今年は、受講生が15人程度と非常にやりやすい人数である。
今日の授業は、「授業びらき」について。私が実際に中学生にやっていたものを再現して、そこで何をしているのかの説明をしつつ、私の授業の進め方を説明した。つまり、授業びらきの二重構造というわけである。
◆
授業を始める前に、私は90分のキッチンタイマーを押す。残り時間が出てくるので便利である。今年からは二つの時間を計れるものにしてある。これだと、全体の残り時間と、話し合う時間を指定したときの二つの時間を計ることができるからである。
今回も押したつもりであった。
が、押し忘れていて、危うく時間がごちゃごちゃになるところであった。
『あと、何分ある?』
「50分です」
あーよかった。
◆
で、この様子を取材しているクルーがあった。NHKである。
実は、この春からのNHK教育テレビの新番組に出ることになっている。
「伝える極意」である。
次回は、4/22。その次は、5/13と20である。スピーチとジェスチャーについての授業となる。小学生に指導した内容だ。
今日は、その番組につかう場面の収録ということであったのだ。そこで、つまらないミスをしている私f(^^;。まあ、15分番組であるから、そこまでは使わないだろう。あ、なら、書かなければバレないか。ま、いいか。
さて、どんな仕上がりになっているでしょうか。
◆
夕方連絡があり、夜は急な会食。
古くからの知り合いと。
あれやこれやと政財界に学界のこと、新しい仕事の件などについて情報を交換したり、打ち合わせたり。
面白い一日であった。
二回生のクラスになって初めての授業である。基礎演習ゼミである。ここでは主に、テキストリーディングを行う。今日はそのガイダンスで合同ゼミであった。
読むテキストは、『おとなが子どもと出会うとき、子どもが世界を立ちあげるとき—教師のしごと』(竹内常一)である。この本の世界から学生が何を学び取れるのか、非常に楽しみである。レジュメを書いて、本文の検討をして、学級通信形式にまとめてと担当の学生は、三週間まるまるそのテキストに寄り添うことになる。
同時に合同ゼミでは、クラスの委員も決めた。見ていると、ホイホイ立候補で決まっていく。それは私のクラスだけではない。どのクラスもホイホイ決まっている。
それは、学ぼうとする意欲に満ちた美しい光景であった。
◆
研究室で授業の準備をしていると、ノックの音が。
『どうぞ!』
というや否や飛び込んでくる学生。
いや、院生であった。
大学に移ったときに最初に教えた学生が、院生として学び続けているのだがその院生だった。どうしたのかと聞くと、大阪の高校で書道の授業の非常勤講師が決まったとの報告であった。うれしい。
書道はとても採用の口が少ない。その中でまずは非常勤講師になるというのは、立派なものである。さすがに大学書道展で最優秀賞を受賞した彼女だけある。
◆
京都は花散しの雨である。
勿体ないと思っても、確実に季節は移っていく。
そして、その移り行く季節に合わせて、人も新しい出会いの場所で活躍し始める。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080409-OYT1T00837.htmから
引用開始 ーーーーーーーーーー
教員免許更新、大学講習に目立つユニークな内容
来年度から始まる教員免許更新制で今年度、全国の大学が試験的に実施する講習の内容が9日、文部科学省から一斉に発表された。
Click here to find out more!
更新制では計30時間の講習受講が対象教員に義務付けられるが、プログラムの中には、指導の向上にどう役立つのかはっきりしないものもある。本番ではないとはいえ、かねて疑問視されてきた新制度の実効性が改めて問われそうだ。
2009年4月から実施される免許更新制は、無期限だった教員免許の有効期間を10年と定めるもので、幼稚園から高校までの35歳、45歳、55歳の現職教員が対象。更新時には必修(12時間)と選択(18時間)の計30時間の講習を大学などで受講する。どの講習を選ぶかは教員の自由だ。
来年度の対象教員のうち、希望者を募って実施される試行講習に参加するのは、91大学と文科省所管の10の教育・文化機関。選択では「成績評価のための統計学講座」や「社会科授業論と身近な地域学習」といったプログラムのほか、ユニークな内容も目立つ。
著名な指揮者の秋山和慶教授が小学生のオーケストラを指導する様子を見せるという講習を用意した洗足学園音楽大は、「教師自身があこがれるような指導を間近で見れば、刺激にもなり、良い授業につながるはず」と意図を説明する。
昭和女子大では、「国立那須甲子青少年自然の家」(福島県)での合宿講習「ボランティア講習」(18時間)を企画。子育て中の教員らのため、家族同伴の宿泊を認める。また、桜美林大では、すべての講義、試験をインターネットで受けられるようにした。同大は「繰り返し学べるなどメリットも多く、実際に講義を受けるのと成果は変わらない」と強調している。
こうした講習を開設する背景の一つに、少子化に伴う学生数減少もある。関東地方の中堅私立大は、「多くの先生に参加してもらえれば、大学のPRになる」と語る。
本番では受講料が必要だが、今年度は試行のため原則無料。ほとんどの講習は、土日や夏休みなどの長期休暇中に行われる。
(2008年4月9日23時10分 読売新聞)
引用終了 ーーーーーーーーーー
◆
ということである。本学は、この試行には参加しない。が、将来的には参加することになるのではないかと思う。それなりの計画は、個人的には立ててある。どんな授業をするかということである。
だが、今は免許更新講習よりも、本学の学生の指導の方に力を注ぎ込みたい。学生たちを伸ばすことが本務である。うちの大学がこれを引き受ける前に、学生の方である。
さ、授業も始まったぞ。
新入生キャンプの指導が終わった。
私は、新入生の指導をする「オリター」と呼ぶ、先輩学生の指導に当たっていた。入学式からこの新入生キャンプまでの、通常担任がする仕事を彼ら彼女らに任せて、OJTで学ばせた。
◆
今回新入生キャンプの取り組みは、京都新聞 大津支局、びわ湖放送 、中日新聞 大津支局、産経新聞 大津支局、読売新聞 大津支局から取材を受けることになった。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20080407-OYT8T00716.htm
http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20080408/CK2008040802001844.html
これらの記事は、新入生が環境教育指導について体験学習をベースにして学ぶという所を焦点に当てて書いてある。これが、新入生キャンプの表側というか、本来の目的である。
ではあるが、もう一つ大きな目的があったのである。それがオリターの指導である。
◆
スケジュール作成、資料作成、新入生の前での説明、下見、業者との交渉など、ほとんどすべての仕事を彼ら彼女らに任せる。10人のオリター諸君は、この一ヶ月準備に奔走することになる。そして、それが昨日のキャンプで一つの大きな山を終えたことになる。
大胆と言えば大胆だが、この方式は非常に彼ら彼女らの力を大きく伸ばすことになる。学校教育現場で子どもたちに指導をする際に、とてもいい経験となる。
ここまで大胆にできるのは、指導を受ける相手が教育保育を目指す学生であるということと、学校教育でさまざまなことを乗り越えてきた学科教員が大勢いるということ、さらに何か事故があったら宿には看護学部のベテラン看護士、つまりは看護学部の教授陣がいるということがある。
これだけすっごい条件が揃っていて、この条件を活用しないのは勿体なさすぎるのである。
だから、活用した。明確な目的を示して、どーんとやらせた。そして、教員たちは一歩下がって見守っていた。そうである、学び合いである。
◆
悪天候に、天候の変化に対してどのように対応するのかをじっと見守っていた。そして、少しアドヴァイスをしながら、彼ら彼女らの活躍を見守っていた。
いい表情で乗り越えていっていた。
◆
毎日研究室前の教室で準備をしていた彼ら彼女らの声が聞こえなったのは、少し寂しいものがあるが、それは仕方のないこと。大きく成長したであろうオリター諸君の新たな活躍に期待したい。
さ、新しい一年が本格的に始まる。
全国の多くの学校が今日から新学期を迎える。仲間のブログにも新学期を迎える準備が完了したことを知らせる内容、気合いが溢れる内容などを多く見ることができる。
今週はどこの学校も怒濤のように忙しい。時間単位ではなく、分単位で物事を決めたりまわしたりしていかなければならないのだ。
中にいるときは、そういうものだと思わされてしまいがちだが、私は本当は違うと思いながらやっていた。そして、少し抵抗していた。
◆
春である。
子どもたちとの出会いである。
事務の仕事もとても大事。
だが、殺気だってあれこれやらなければならないのは、子どもたちとの出会いにはいいことではあるまい。
花が咲いたのを愛で、風が心地よいのを肌に受け、土のにおいを嗅ぎ、水の温むのを感じるような時間も用意したい。
教室に一輪の花を活けたい。
校庭に咲いている小さな花で良いではないか。
私たちの仕事は、しゃかりきに子どもたちの学力学力ということを追い求めるだけの仕事ではない。
春は、春を楽しみ、夏は夏を味わう。
そんな人生の豊かな過ごし方を伝えることも大事な仕事だ。
黄金の三日間である。
だからこそ、花を教室に活けよう。
教室に、文化の種もまこう。
そんなことを思ってきた。
◆
さあ、いい一年を作り出す一日が始まります。
うららかな陽気に誘われて、今日もガーデンに向かう。本当に気持ちがよい。今日は通常の入場料250円が100円で入れる。奥さんのお兄さんも一緒。入り口で花の種を配っている。
私は昨日もここに来たのだが、奥さんと一緒だと昨日の花とは違う花を見ることになる。昨日も咲いていたはずなのだが、昨日は見えなかった花である。やはり、好みや興味が違うと見えるものも見えないんだなあと改めて思う。
ガーデンを出るとき、いつものおばさんが、お客さんと話をしていた。
『さようなら』
と言って出て行こうとしたら、
「ね〜、かわいいでしょう〜」
とお客さんに娘のことを説明していた。
なんだか、不思議な感覚。ま、ありがたいこってす。
◆
その後、駅までお兄さんを送ってから長良公園に向かう。この公園の裏側が蝉丸神社、つまりは逢坂の関である。この長良公園も桜の隠れた名所である。
去年の今頃、奥さんと二人で来て、来年は子どもと一緒にくるんだねと話していた場所だ。なんとも感慨深い。その娘はMINIのチャイルドシートでぐっすりと寝ている。あっという間だが、確実に時間は流れている。
仲間とどんちゃん騒ぎをしながらする花見もいいが、こうして家族で静かに眺めるだけの花見というのもいいものだなあと思う。切なく美しい時間を過ごすのもいいなと思う。
◆
そのまま春の午睡を楽しもうかと思ったら、メールで二つのお仕事が入ってきました。原稿のチェックです。インタビュー記事なのですが、一つは大学生から受けたもので、もう一つはプロから受けたものです。
いやあ、学生諸君。プロはすごいぞ。インタビューとは、こうして切り取るかというような切り口でまとめてくれていますぞ。これはリクルートの「キャリアガイダンス」という雑誌の五月号辺りに載ります。全国の高校に配られるそうですので、どこぞの高校で手に入れてください。これからのインタビュー活動に役立つでしょう。勉強になると思います。
で、この二つの原稿のチェックをしつつ午後を過ごす。
午睡はどっかに行ってしまった。
ま、それも良かろう。
◆
さ、明日からは新入生キャンプだ。
娘を風呂に入れるので、一人でのんびり入ることができない。そこで、朝は、一人で入るようにしている。今日も一人で入っていたのだが、いつの間にか寝ていた。琵琶湖を眺めながら、"春の海終日のたりのたりかな"なんて思いながら、寝ていた。
◆
今日は京都市内はとんでもないことになっているだろう。大津を走る車の量を見ても、それは推定される。名神高速道路は、京都南と京都東で大渋滞。そして、降りてからも渋滞は続くのである。
桜の季節と紅葉の季節に車で京都の中を走ろうってのは、考えない方がいいです。地元の人間でないとまず大渋滞にはまります。市内に入るところで既に大渋滞です。電車を使いましょう。
◆
私は、メールの返信をしたり、新しい本の原稿を書いたりしながら過ごす。そこに、竹内常一先生から電話。
「いま、大津にいる」
教員の研修会の講師で大津にいらっしゃっているのだそうだ。
用件は、今年度の私の大学の基礎演習ゼミで竹内常一先生に講義をしていただくのだが、その日程の調整の話であった。ちょっとだけでも顔を出したかったが、いろいろあって伺えなかった。残念。
◆
奥さんが部屋の掃除をする間、近くのガーデンに娘と一緒に出かけていく。桜並木は満開である。
ガーデンのチケット売り場のおばさんは、いつも娘を楽しみに待っていてくれる。ご挨拶して中を歩く。
芝生の上にお座りさせたり、花車の台車に乗せたりしながら写真を撮る。チューリップがきれいだ。
◆
夜は、奥さんの兄がやってきたので、近くの三井寺と疎水の夜桜を愛でに出かける。三井寺はコンサートがあったので、すごい人であった。
そして、桜もすごかった。
春爛漫である。
昨晩は、京都市内で糸井先生などと打ち合わせ。新しい企画を動かすための打ち合わせ。ぎりぎり終電の一本前までやってしまった。新しいことをやろうとするには、さまざまなタレント(才能)が集まる必要があると思うが、京都にはそのタレントが集まっているなあと改めて思う。
◆
午後から会議を三発。
授業の担当者会議、全学懇談会、全教職員懇談会と続く。全教員の自己紹介が続く。これがとても面白い。一人の持ち時間が30秒なのだが、みなさん絶妙なスピーチを重ねていく。壮大な連句を聞いている感じすらする。面白いなあ。
その後、理事会からの今後の学校法人の運営の方針に付いての提案がされる。うーん、すごい。京都橘学園は、そこまで考えてそこまでやるかというところまで、哲学とプランを具体化させている。
それを作り上げるスタッフであることに、倒れないようにやらなければなあと思いつつff(^^;、ちょっと感動していた。
◆
それにしても、オリター諸君ががんばっているので、こちらも時間を有意義に活用できる。当たり前だが、中学校では担任が学級づくりの最初をしながら、授業づくりをして、会議をしてという四月を過ごす。
ところが、本学ではオリター諸君が担任が行う事務仕事や学級づくりの最初の段階をまわしてくれる。相手が大学生であるということもあるが、一年間大学で指導を受けてきただけの彼らが、必死で一年後輩の学生たちの、大学生活のスタートを支えている。私は彼らオリターの体調を心配し、困ったことがないか確認しているだけである。
四月を順調に動かそうと、あちらこちらで懸命にその仕事に邁進している。そんな大学が京都の山科にあるってことを、多くの人に知ってほしいなあと思う。
朝五時に起床。日の出を拝んでから京都市内に出かけていく。市内の桜が盛りになっきているので、このタイミングで出かけることにした。
◆
山中越えで北白川を抜けて京都御苑へ。ちょっと確認したが、ひろーいので、パス。続いて岡崎公園へ。疎水沿いの桜がちょうど見頃。いやあ、美しい。
車を止めて市立美術館沿いの桜をベンチで愛でる。娘にミルクをあげながら私たちも食事。パンと紅茶。うららかな日差しを受けながら、桜の花びらからの木漏れ日を受ける。滋賀県に住んで、季節のいいときに京都に出かけていく。これがいいんだなあ。
◆
賀茂川沿いを北上して、桜を愛でながら帰宅しようと思ったのだが、上賀茂神社もちょっと立ち寄っていこうということになった。すると、面白い祭りがあったので、見学。京都は毎日どこでもお祭りをやっている感じだ。
さらに、娘にプレゼントをあげることができた。それは娘が生まれたときに、ぜひやりたいなあと思っていたことだ。娘が生まれたときに、一本の桜を植えることだ。
ソメイヨシノは盛りが50年ぐらい。寿命は100年ぐらいという話を聞く。娘の誕生と同時に、どこかに植える場所はないかとあちらこちらを探していたのだが、意外とない。桜そのものは売っているのだが、植える場所がないのだ。
ところが、上賀茂神社を歩いていたら、上賀茂神社に桜を植えてくれるという企画があったのだ。しかも、名札をつけてくれるという。銀行にお金を下ろしにいって、お願いした。
いやあ、うれしい。
これは、私の夢であったのだが、実現したなあ。
娘を連れて、毎年見に行こう。
◆
成長を楽しみにする。
親であることの喜びだなあ。
さ、新年度を迎えた。
児童教育学科は、新しいスタッフをお二人お迎えして充実してのスタートである。新入生は昨年度に比べてぐっとしぼってお迎え。少しずつ学科が完成していく。
◆
私は入学式の後のガイダンスで新入生に10分程度話す。その後は、オリター諸君にお任せである。一期生から希望してやってきたオリター諸君10名。彼らの準備に敬意を表して、相談は受けるが任せたいと思っている。よほどのことがない限り、こちらからはお願いであって、命令はするつもりはない。ここでは、指導の中の支援を中心にに行おう。
役割と責任を背負った彼ら彼女らが、大きく成長するのを期待しながら待とう。
◆
ではあるが、ちょっと指導もしてしまうのが私。指導というか、特別講義とでも言ったらいいかなあ。彼ら彼女らの活動について私が解説をするのである。
『君たちがあそこでこういう指示を出していたけど、あれはどうして?』
「え?」
『通常、これはこういう意味を持って、こういう目的のために行うのだけど』
「え〜〜〜〜〜〜! そうなんですか! 知らなかった。メモ!」
というような会話が新入生が帰った後のオリターの準備ルームであったのである。まさにOJT(On th Job Training)である。
◆
児童教育学科の2008年度の春も、やる気に満ち溢れてのスタートとなった。
楽しみ、楽しみ。
しかし、なぜ直ったのだろう。
朝起きたとき、マックの様子が悪かった。ことえりを使って日本語を入力しようとすると、US入力が活きてしまって、日本語が使えなかったのだ。
一日中あれこれやっていて、とうとうOSの再インストールかと思ったのだが、家に帰ってその準備を使用かと思っていたところで、直っているのを発見した。
うーん、おかしくなった原因と直った理由がわからないとまた同じことになるやも知れん。でも、まあ、とりあえずいいか。
◆
大学は入学式の前の日に、午前中の英語のテストと午後のガイダンスがあった。私も学生部の教員としてガイダンスで話す。まだ入学式を終えていない新入生に対して、入学おめでとうとは言えないし、変な感じであった。明日入学式を迎える新入生は、どう思ったのであろうか。
ガイダンスの後、7時過ぎまで学科のコース別会議。児童教育コースの教員であれこれとプランの検討やら確認やらをして過ごす。
とても明日が入学式だとは思えないf(^^;。
◆
しかし、全国の学校はこんな風にして一年を始めるのであろう。
明日は晴れる。
うしゃあである。
先日のネットワークでとある教育委員会の、知り合いの指導主事がこっそりと教えてくれた。いま教育委員会で議論されていて、どうも決まりそうだということを。
1)勤務時間終了で、電話が留守番電話に切り替わります。
教員は公務員であって、勤務時間があります。ところが、勤務時間終了後にもがんがん職員室には電話がかかってきます。市役所では考えられませんね。
警察や消防署は、24時間勤務ができる人員とシフトがあるので、当たり前ですが電話はかけられます。ですが、学校はそうではなありません。にも関わらず10時ぐらいにも平気で電話がかかってきます。まあ、出てしまう方にも問題がありますけど。職員室にはいないということがわかると、自宅の電話番号を教えろ!という方もいます。公務員で自宅の電話番号を教える人ってどのぐらいいるのでしょうか。
で、命に関わるような大きな問題は、副校長の携帯電話に繋がります。それ以外は、留守番電話に保存ということになります。
2)受験関連の書類には、手数料がかかります。
住民票の発行や、戸籍謄本の発行には手数料がかかります。ところが、受験のために使う公文書は、無料です。受験がすべての義務教育を終了する子どものために必要であれば、それもわかります。
が、受験は本人の意思で行かなくてもいいところに行くわけです。そのために、公文書を依頼して書いてもらうものです。確定申告をするために住民票を発行してもらうのとかわりありません。ということで、有料になります。ちなみに、一通500円です。
3)授業妨害などは、公務執行妨害で逮捕されます。
公立学校の教員は、公務員です。公務員として公務で授業を行っております。この授業を妨害することは、公務を妨害することになります。逮捕には、通常逮捕、現行犯逮捕、緊急逮捕の三種類がありますが、現行犯逮捕の場合、警察官でなくても逮捕できます。
よって授業妨害などの、公務執行の妨害は、逮捕することが可能で、これを実行に移すこととなりました。
4)地域のお店などからの呼び出しに出向きません。
「お宅の生徒と卒業生が、うちの店の前の駐車場で屯していて、困る。解散させてくれ」とコンビニの店長からの電話。さらに、「お宅の生徒たちが駐車場で遊んでいる。なんとかしてくれ」とマンションの管理人からの電話。今まではこれらの案件に職員室から出動しておりましたが、これを廃止します。
公務員が一部の特定の企業のために、公務として活動することは、全体の奉仕者として存在する公務員としていかがなものかという声があるため、これを決めました。
5)学校のプリントを印刷するアルバイト学生を雇います。
前日の勤務時間終了時までに、原稿と必要枚数などを記入した依頼書を用意すれば、翌日の学活までに印刷を完了しておくという、夢のような教育環境の実現のために、学生のアルバイトを雇います。案内文です。「時給850円で、夕方の2時間程度で簡単に終わります。ですが、先生方が、翌日の準備、会議やクラブ指導に安心して取り組めるための大事なお仕事です」
すごいなあ。