ふう。
頭は痛くないのだが、鼻が詰まってしまっていて喉が渇いて、きちんとした声を出しにくい。今日の二つの授業の学生には申し訳ない。今晩きちんとアルコール消毒しよう。
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2限の、基礎演習ゼミでは、ボランティアについて考える。実践記録を読むために、ボランティアとは何ぞやということを考えたのだ。
グループごとに議論の結果出てきた定義を発表する。聞いていると、みんなボランティは良い事だという。そこで私は口を挟む。
『ということは、ボランティアは、良いことだということですね?』
学生たちはうなずく。
『であるならば、私は分からなくなってしまうのです。何が分からないかと言って、ボランティアが良いものであるならば、なんで学校などで無理矢理やらせるのでしょうか。良いものならば、子どもたちは自分から楽しんでどんどんやるんじゃないですか?』
学生たちは無言である。
『テキストにもあるように、ボランティアには何か「うさんくささ」がありませんか? そのうさんくささは何ですか?』
これを受けて、さらに議論を深めて行く。テキストの文脈に従って読みを深めて行く。この議論は、さらに「ボランティアの向こう側には何があるのか」という問いに繋がる大事な議論になって行くのである。
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5限は、キャリア開発講座である。今日は、『こんな時どう言い返す』のワークショップである。この『こんな時どう言い返す』のワークショップは、授業づくりネットワークの講座でも人気の講座である。自分で言うのもなんだがf(^^;。
事実確認のためのワークをしたあと、事実を確定したところから『こんな時どう言い返す』のレッスンである。
で、今までの私の事例だけではなく、学生が小学校から中学校まで経験してきた事例を集めて、それを元にしてペアを作って児童・生徒役の学生と、先生役の学生と交代しながらワークをやった。
やり取りのあと、
『はい、説明に「落ちた」児童・生徒役の諸君は?』
と聞くと、時々手が挙がる。そしたら、その先生役に再演してもらう。今日は、「茶髪の中学生が、なんで先生は良いのか?」という定番のネタに対して、きれいに返している例を見ることができた。なかなか頼もしいわい。今日は用意していた事例を遥かに下回る6事例しかレッスンできなかったが、学生たちは熱中してやっていた。
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で、今日のこの授業は学生たちからのネタを元に、今日の午後3時間弱で作ったのであった。事例の提出の締め切りを昨日いっぱいにしたので、そうなってしまった。ま、仕方がない。3時間あればなんとか作れるだろうと、見込んで作った。授業開始10分前に出来上がった。危ない、危ない。でも、計画通りと言えば計画通りか。
授業を作りながら、
(を、これはひょっとしたらひょっとするかも)
と思ったことがある。それは、『こんな時どう言い返す』の理論編が書けるかもしれないということである。
自分が指導しているときは、自分の指導言を分析しながらやるなんて事は、あまりしていなかった。そりゃあそうだ。自分が自分で指導するのだから、なぜ、どのように、どうやってなんてことを考えながら指導言を考えてはいない。それは自分の中の意識下にありながらも、ほとんど意識されることもなく、あたかも無意識のように行ってきた。
それが、『こんな時どう言い返す』という本になったときに、その事例を学ぶワークショップを依頼されるようになり、
(それなら、私の意識下にある指導の哲学を語らなければなあ)
と思うようになり、ワークショップでは語ってきた。
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で、その次である。理論編である。
子どもと、先生との間には何が起きているのか。原理原則はあるのか、ないのか。そんなことを考えながら授業を作っていたら、ステレオタイプがいくつか見えてきたのだ。これは非常に面白かった。
そのステレオタイプのうちの一つを使って今日の授業は終わった。本当は全部をやってみる予定だったが、そこまでは行かなかった。
学生たちに確認して、今後の授業の流れを変更してこの続きをやるかどうかを聞いてみたところ、うなずき多しということで、やることになりそうである。
授業が完了したら、改めて整理してみよう。そうしたら、『こんな時どう言い返す』(理論編)が書けるかもしれない。これはちょっと楽しみだ。
風邪を押して授業をした、ご褒美かな(^^)。
写真は、我が家で開花した孔雀仙人掌。これからどんどん咲きます。
