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2008/05/17

大人の字

昼に京都市内に出向く。嘗ての同僚が修学旅行で来ていて、ちょうど昼ご飯の時間に休憩時間が取れるというので、旧交を温めつつ情報交換もかねて、食事。

『いやあ、久しぶり。京都で会うとは。先生もお元気そうで何よりです』

しばし食事をとりながら歓談。いろいろと大変そうだが、でも元気な顔を見ることが出来て良かった。

            ◆

本日の国語科教育法は、漢字の指導方法について。『教師になるということ』に書いたことを柱に、そこには書いていない指導のあれこれのことなども話す。漢字指導は実に奥が深い。

国語の教師を目指す学生諸君は、基本的に漢字で苦労することは少なかったはずである。しかし、教室には多くの生徒が悩んでいる。そして、これからは外国人労働者の子女など、非漢字圏の子どもたちの教育にも教師は関わることになる。

もっともっと指導方法が研究されて良いジャンルである。
「漢字が書けない? 書け。覚えるまで書け」
は、指導ではなく命令である。

            ◆

授業後、研究室をノックする音が。
『どうぞ』
すると、2人の学生が立っていた。
『どうしたの?』
「先生、大人の字が書けるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?」
とのこと。

板書指導をするなかで、私が
『もう少し、大人の字が書けるようになるといいですね』
と言っている学生たちである。
『ん、そうか。大人の字が書けるようになりたいかね?』
「はい」
ならば、その学び方を教えて進ぜようということで、あれこれと話す。

まあ、要はきちんと書の古典を学べということなのだが、小一時間かかった。だが、これは楽しい時間であった。まさか、大学に籍を移して書道の話をこんなにするとは思わなかった。

本学にある文学部日本語日本文学科書道コースは、大学日本一を五年連続とっているのだが、その学生たちも国語科教育法を受講している。そして、その学生たちも交えてあれやこれやと話していたのである。

            ◆

国語の教師になるのであれば、校種は関係なく「美しい字」が書けるようになっておくことは、大事である。毎回書く自分の字に嫌気をさしながら授業をしていて、いい授業が出来るわけがない。

かの野口先生は、自分の悪筆を直すために、自分が担任している子どもの親御さんである書道の先生から週一時間特訓を受けたということである。すごい。でも、そうだと思う。美しくないと思うのであれば、美しくなるように努力をするべきなのである。思ったところでするかしないかが、人生の岐路である。

学生たちは、大人の字を書きたいと学生時代に思った。いいぞ。書けば良い。書かなければ始まらないが、書けば始まる。始まればいつかある程度のところに到達する。

大人の字を書きたいと言ってきた学生たちは、書道コースの学生たちに習うことになった。一年後を楽しみにしたい。


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