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2008/05/11

おい、50年だぞ、50年。

朝5時台に起きて野口先生のご著書の続きを読み始める。うむうむ。
風呂に入りながらも読み進める。
(あ! そうだ!!)
とんでもないアイディアが浮かんできた。

早起きは三文の徳ではあるが、今回は「得」である。
なんで気がつかなかったのであろうかと、気がついた後には思うものである。

今まで自分が取り組んで開発してきたいくつかのものの延長上というか、アウフヘーベンしたところというか、そういうところにふわっと浮かんできたアイディアである。

思うに、人間はあまり変わらない。そして、目の前のことをやって、小さくてもいいから形を残していくと、それが次のものの土台となって形となる。そういうことなんだろうなあ。

            ◆

明日の教室スペシャル第二弾として、野口芳宏先生にお越し頂いた。
「うとてとこ」と「俳句」で模擬授業を二つ。そして質疑であった。

私は、尊敬の念を込めて「私たちが超えなければならない先生」だと思っている。何を無謀な、何を不遜なと思われるかもしれない。私も思っている。しかし、野口先生超える国語の授業をすることが、野口先生から学んだものの責任であると私は思っている。

            ◆

「うとてとこ」では、まさに「君子豹変す」であった。

「うとうとうとう」の読み方の指導で、野口先生は、「う」を平板アクセントで読むことを指導されていた。私はこの読み方は違うのではないかと以前授業を受けたときに思った。その時は、懇親会で先生にお伝えしたのだがアクセントの辞書を持っていなかったので、確認することができないでいた。

で、家で確認したらやはり「う」は頭高アクセントであった。つまり、野口先生が指導された読み方は違っていたのだ。このことを手紙に書かねばと思いながら、書けないでいた。

昨日の授業でも同じく、「う」を平板アクセントで読むことを指導されていた。私は図書館に走り、『NHK日本語アクセント辞典』と『大辞林』で確認した。するとやはり頭高であった。

このことを休憩時間に
『恐れながら・・・』
と野口先生にお伝えしたら、野口先生は、
「いやあ、間違って教えてしまっていたんだねえ。ありがとう」
と言われた。そして、私が事務の仕事で会場にいなかった時間に、皆さんの前でお詫びと訂正をされたというのだ。まさに、「君子豹変す」である。

            ◆

七十三歳で全国を駆け巡り、最新の教材で最高の授業をされる。
(うしゃあ、俺もやるぞ)
と思う。
なんと不遜な私。
でも、それが本当のお礼ではないかと思っている。

            ◆

懇親会にも先生は参加してくださった。横浜から駆けつけてくださった野中先生、東京からの佐瀬先生、奈良からの土作先生、さらに長野などからも来てくださった先生たちも一緒に。懇親会は50人ぐらいになった。

野口先生のご著書を購入した学生たちは、先生にサインをしてもらっていた。私はその姿を見ていて、ちょっと涙が出そうになっていた。

(おい、50年だぞ、50年。君が教えを受けることの出来た野口先生との間には50年があるんだぞ。分かっているか。50年間教育の最前線で戦い抜いて、さらにまだ恐ろしい努力を重ねられているんだぞ)
その50年をなんでもないように優しく丁寧に、また、価値のある厳しさで指導してくださった野口先生。

(ああ、野口先生を若者に繋げることができたんだなあ。そのきっかけを「明日の教室」で作ることができたんだなあ。研究会やっていて良かったなあ)
と思っていた。

とても幸せな一日でした。

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コメント

池田先生のご指摘は正しいと思います。野口先生がすぐに訂正されたことも良かったと思います。しかし、今までそのように教えてきた先生方や生徒さんにはどのように対応するのでしょうか。50年の教師であっても、1年の教師であっても、教師は教師。常に自分に厳しくあれではないでしょうか。世の中に偉い先生はいないと思います。感想ですが。

コメントありがとうございます。

私は、野口先生の子どもたちは許してくれると思います。ぎりぎりのところで授業をされている先生ということが子どもたちは理解していると思います。

ぎりぎりのところというのは、最新の教材で最新の指導方法を求めて授業をされている野口先生であれば、時に失敗することもあることを子どもたちは理解していると思うのです。誰もやっていないことをやるというのはそういうことです。

また、批判的な思考を身につけることを求められてきた子どもや先生は、鵜呑みにするというのもおかしいわけです。

実践家は、間違えることを許されると私の恩師は言われました。間違いを発見してから二回目を間違えることは許されないですが。

           ◆

偉い先生というのは、ここで言いたかったのは子どもから見てということではなく、教師や学生から見てということでした。

50年間、学校教育現場と研究の最前線で戦い抜いてきた先生への敬意のことです。

分かりにくい表現で済みませんでした。

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