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2008/06/30

すごい演奏だ

久しぶりのオフである。
ゆっくりと寝ていようと思ったのだが、背中を蹴飛ばされ続けて起きてしまった。娘の寝返りである。寝返りの度に踵落しで背中を蹴るのだ。

お湯を沸かして紅茶を入れる。
テラスに出て琵琶湖を見ながらメールのチェックである。
無線LANにしておいて良かったなあと思う瞬間である。
雲の多い空は程よく朝日をカットしてさほどまぶしくない。
また、紅茶が美味しい気温である。

これだけでも、オフだなあ。

           ◆

http://jp.youtube.com/watch?v=prXfkQaQVJY

昨日寝しなに発見したものである。すごい演奏だ。
ただ、よく見ていただきたい。左利きのプレーヤーというのが珍しいのではない。彼の左手だ。

彼は生まれつき左手の半分を欠損して生まれてきた。それでもどうしてもギターが敷きたいというので、工夫をしているのだ。この映像では腕にピックをセットしたフォルダーのようなものをつけて弾いている。

こんな映像を見ると、ちょっとのことで言い訳しようとしている自分を蹴飛ばしたくなる。

さらに、もうひとつ。

http://jp.youtube.com/watch?v=1k08yxu57NA&eurl

36歳でオーディション番組にやってきた彼だ。
「何しにきたの?」
と女性審査員に聞かれて
「オペラを歌いに」
と。
審査員、視聴者の予想を裏切る歌声。そして大喝采。
すげー。

           ◆

を、太陽が雲の切れ間から差してきた。
今日の「夏越しの祓い」は、大丈夫かな。

コミュニケーションゲーム

午後から大学へ。
今日は明日の教室パートナーの糸井先生が企画したDVDの収録が、本学の児優館であるのだ。明日の教室でお世話になった蓮行さん@劇団衛生代表が行うコミュニケーションゲームの収録である。

私は今回は出番はなく、大学側の関係者として収録に立ち会うと言う感じである。ま、何かあったら走ると言う事である。DVDは学生たちを生徒に見立ててゲームを20本以上収録する。

私は、時々収録に立ち会いながら一方で本の校正をしたり、書写の授業の準備をしたりしながら過ごした。

蓮行さんの指導が良いので、学生たちの反応もよく、良い仕上がりになったと思う。作品が楽しみだ。

           ◆

収録後、今日はおとなしく家に帰る。
久しぶりに実家に連絡。娘の様子をあれこれ。
そして、弟のところへも。
正月以来の娘なので、大きくなったなあと言われる。
あれから六ヶ月だもんねえ。

体調が良くなってきたので娘は、一緒に遊びたがる。
ベッドの上で飛び跳ねる。
私も一緒に遊んであげる。
娘がベッドの上から落ちないように気を配りつつ、一緒に遊ぶ。

           ◆

そんなこんなで六月が終わろうとしている。

2008/06/28

「書写教育とは」

国語概論の中で書写について3回で講義をする。その集中講義の一回目が今日である。学生数が80人を超えるので、午前中と午後の二回に分けて同じ事を行う。合計4コマである。

一コマ目は 「書写教育とは」

  1. 学習指導要領での扱い
  2. 書道と書写の違い
  3. 脳科学と書写
  4. 文房四宝について
  5. 筆の手入れの仕方(おろし方、洗い方)
  6. 授業の準備の仕方、片付け方
  7. 筆法の基礎
  8. 結構法
  9. 練習の仕方(模書、臨書、集字、九宮格)
  10. 指導の仕方
  11. 作品掲示法
  12. 簡単な篆刻を楽しむ

二コマ目は「実習1 自分で作品を書く」

であった。

           ◆

実際は、一コマ目が結構時間がかかってしまったので、自分で書く時間が少なくなってしまった。本来の書写の授業としては良くない授業である。しかし、この授業はうまくなるための授業ではなく、書写の授業の意義や指導の仕方を学ぶ授業なので、どうしてもあれこれ説明をすることになる。

学生たちに手を挙げさせたら、小学校以来筆で書いた事のないというものもいれば、入試の勉強の時にイライラしたら気持ちを集中させるために書いていたというのもおり、実にバラバラであった。

学習指導要領に従えば、小学校では年間30時間程度の書写の授業を行わなければならない。ざっと週に一時間は行うのである。そして、三年生以上は筆を使って行うのである。

私が現場にいた時、私は書写の中学生に授業をやっていた。しかし、クレームが出たことがあった。
「他の中学校は書写なんかやらないで、作文や文法をやっているのに」
と。

違う。
私は間違っていなかったのだ。他の学校が違反をしていたのだ。中学校だって中学一年は週に一回。中二中三だって書写はやらなければならないと学習指導要領に書いてあるのだ。でも、そんな風に思われるんだろうなあとも思っていた。しかし、書写、書道はとても大事であると思っていたし、今でも思っている。その辺りの理由も学生たちには話した。特に「脳科学と書写」のところで。

          ◆

ぶっ続けて90分×4を授業するのは、久しぶりである。いやあ、疲れた。足首が痛い。だけど、やらなければなあと思ってやった。幸いな事に書道コースの学生諸君が助手として入ってくれた。採用試験前なのにありがたい。Hくん、Iくんありがとう。

ほとんどの学生たちは、書写の授業のしかたをもう度と聞くことはない。これから何年間小学校の教師を続けるか分からないが、大学では私の3時間が最初で最後であろう。そのうちのレクチャーが今日は150分。実習が30分であった。150分で彼らの教員人生に必要な書写の内容を伝えるのは、無理。と思うが、でもやらなければならない。

私はほぼ伝えきったと思うが、書写書道は頭で分かっても実際に筆で動かすことができなければ意味がない。このためには相当書かなければならない。しばらく時間を置いて、もう一コマずつ学生たちには集中講義で書写を指導する。この間に力をつけている事を期待するわけである。

次回は自分たちの書いてきた作品を交換して、朱を入れ合うのである。
私たちはレッスンプロを目指すのである。

作文と料理は似ている

コース分けの面談と、国語科教育法であった。
昨日は12人を一気に面談であった。
いやあ、疲れた。
でも楽しかったねえ。

学生たちが何を考えていて、どうしたいのかを聞きながらあれこれ思った。
私はトーナメントプロではなく、レッスンプロであると思っている。
もちろん、研究の分野ではトーナメントプロであるべきであるが、教育はレッスンプロだ。そのレッスンプロとして何をして行くのが良いのかをあれこれ考えていた。

『昨日の面談では、何か質問ありますか?』
と聞くと、学生諸君からいろいろとインタビューのような質問があった。

「先生、教師になって後悔した事はありませんか?」
「先生、先生は自分の事をだらしがないと仰っていますが、どうやって克服してきたのですか?」
「先生、・・・」
とあれこれ。
ま、こちらから何か質問はありますか?と聞いているので時間の許す限りに丁寧に正直に答えた。これも面白かったなあ。

           ◆

国語科教育法では、体験作文その2である。「作文と料理は似ている」というアナロジーを使いながら、作文を書く時の順序性についてレクチャーする。そして、園後に、実際にその理論で実践したNHK「わくわく授業」のDVDを見せる。

楢原中学校に勤務している時に収録、放映されたものだ。もう彼らも大学一年生の年齢だなあと懐かしく見る。

この作文指導の収録は、非常に忙しい時に行ったので結果的に5キロやせたのだが、今となっては非常に良い思い出である。そして、ディレクターのバッサリ切った編集のおかげで、指導のポイントがクリアに描き出されている番組となっている。25分の作品だが、授業でも使いやすい。

そして、何よりも自分が作り出してきた理論と実践が一つになったということを示すことができるので、ありがたい番組になっている。

           ◆

授業後、京都市内に出向いて翌日の書写の授業の用品を購入する。
もう閉まっているお店を開けていただいて、7時過ぎから9時ごろまであれこれと品選びをする。さあ、これでなんとか書写の授業の用意が完了である。

2008/06/26

乗り切った顔

基礎演習ゼミでは、引き続き文献購読を進めている。しかし、その一方でタイムリーな話題についても議論を重ねている。なもんで、授業の時間が足りないのだが、タイムリーな事柄はその時に議論を重ねなければならないので、やる。

今回は、青木幹勇氏の「第三の書く」の話と、「給食費未納」問題である。第三の書くについては、竹内常一先生の文章指導に絡めつつ解説を加える程度に。給食費未納問題は議論を重ねた。

発端は学生の授業掲示板の書き込みから。

引用開始 ーーーーーーーーーー

前から思っていることなんですが経済的には払えるのに学校の給食費を払わない児童には一度「お母さんとお父さんが給食費払ってくれないからみんなと楽しい給食が食べれないよ」と、その子が一人の時にこっそりと事実を言ってみるのは絶対に駄目でしょうか。
私は無しではないなぁと思うのですが・・・

引用終了 ーーーーーーーーーー

というものである。本人曰く小学校三年生以上であればオッケーだろうと。この問題について、賛成の諸君と反対の諸君で議論を重ねた。賛成が1/3、反対が2/3ぐらいの比率である。          

           ◆

議論の中で私はいくつかの疑問を提示したり、解説をしたりした。

・ 給食はいつ始まったのか。
・ 給食費はなんで払わなければならないのか。
・ 人類はどの方向に向かう事を望んでいるのか。
・ 学校教育現場での給食費の徴収方法の移り変わり。
・ 弁当の学校で弁当を持ってこない子どもがいたらどうするか。

なんてことをあれこれ。

「んな、勝手に給食を出しておいて、給食費を払えってどういうことだ。俺は作ってくれなんて言ってないぞ」

と言う親が出てきている現実を受けて、どのように取り組んだら良いのかあれこれ。私はなんで学校が給食をやっているのか、その法的な根拠は何なのかを考えさせておく必要があると考えていた。そして、教員の「善意」が裏目に入った時に、危険なことになることも話しておきたいと思っていた。

          ◆

支払い義務の法的根拠を示せば、それは「学校給食法」である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

(経費の負担)
第六条  学校給食の実施に必要な施設及び設備に要する経費並びに学校給食の運営に要する経費のうち政令で定めるものは、義務教育諸学校の設置者の負担とする。
2  前項に規定する経費以外の学校給食に要する経費(以下「学校給食費」という。)は、学校給食を受ける児童又は生徒の学校教育法第十六条 に規定する保護者の負担とする。

引用終了 ーーーーーーーーーー

まさか、スピード違反で掴まって
「なんで、掴まえんだよ。勝手に走りやすい高速道路を作っておいて。俺は掴まえてくれなんて言ってないぞ」
とは言わないだろう。原理は同じなのに。

教師の行う指導が、どのような法的根拠に依拠しているのかを考えさせる事は、若い教師が安定した実践を行い、かつ実践の幅を広げるためにも必要だと考えている。

          ◆

授業後、土曜日の書写の授業の指導案づくりと、資料づくりに勤しむ。勤しむ予定であったが、学生たちがどんどん研究室にやってくる。
『今日は忙しいから勘弁』
と言おうと思ったが、教育実習の報告とあればお茶でも出してあげよう。京都一保堂の銘茶を入れてあげて、報告を聞く。

実習中のあれこれを聞きながら、ちょっとからかう。
『それは、こういえば良かったんじゃないの?』
「先生、もう一度実習してきていいですか?」
なんて会話が出てくる。

本当に実習を乗り越えると、良い顔になる。
つらかった事大変だった事もあったと思うが、乗り越えてきている顔だ。あの国語科教育法を乗り切った彼女たちだ。大丈夫だとは思いながら、乗り切った顔を見たことで安心であった。

そこに後輩がやってきた。
「大丈夫。あの池田先生の授業を乗り切れば実習は大丈夫だから」
と、脅しなのか励ましなのか分からない言葉をかけている。
私は学生に愛を持って(厳しく)指導しているのに(^^)。

           ◆

そして、結局夜まで研究室で授業の準備。
本学にいらっしゃる書道の専門家の先生から、昨日受けた書写の授業の方法のご指導を元に指導案がほぼ完成。そして、その資料もあとは印刷にまわすだけ。

しかし、大学に来てまで書写の授業をするとは思わなかった。
だが、久しぶりの書写の授業だ。
ちょっと喜んでいる私がいるなあ。

2008/06/25

七夕の準備が始まる

児童教育学科のテラスには、裏山から切り出した竹に短冊が飾られ、七夕の準備が始まる。幼児教育コースでも児童教育コースでもこうした日本の文化を学校でやるってのは大事な事だと思う。

大学でこのようにするというのはなかなかないかもしれないが、1000年も前から伝わってきているこの行事を大学で学ぶ事は意味がある事だし、まずはやってみるということも意味があるはずだ。

            ◆

研究入門ゼミでは、その七夕のことから話す。

・ 何で日本のお祝いは、奇数が重なる日にあるの?1/1、3/3、・・7/7
・ では、9/9は何のお祝いか知っているか?
・ 数字の陽数と陰数の違いは分かるか?
・ 織姫星は、正式にはなんという星? 彦星は?
・ なんで短冊に願いを書くの?
・ 短冊に墨で書く時、その水はどこから持ってくるの?

なんてことを話しながら入る。学生諸君はほとんど知らない。もちろん、これらの事を知らないでいて七夕の行事をやってもいいだろう。しかし、きちんと調べておいて子どもたちにいくつかのエピソードを話してあげながら遊ぶというのは、大切な事だと思う。

            ◆

その後、本日の課題に取り組む。
本日は、「全国こども電話相談室のHPにある子どもの疑問に答える」という課題にである。

教師の仕事で中心となる事は、説明をする事である。子どもの抱くありとあらゆる疑問に答えなければならない。義務教育段階で子どもの持つ疑問に対して、
「分からない」
と答えるのは正直であり、ある意味誠実かもしれないが、一方で勉強不足であると言わざるを得ない。

調べて答えるのも大事だが、その場で
「それはね、・・・」
と答えていく力量が欲しい。子どもたちは、何でも知っている先生が大好きである。そして、信頼を寄せる。

            ◆

この後、学生たちはHPから自分が答える質問を二つ選ぶのである。そして、A4の紙に二種類の答えを書くことになる。一つは、科学的な答えである。なぜ、植物は緑なのかという問があったとする。この時、葉緑素があるからという答えをしようとするかもしれない。学生は、自らが設定する答える子どもの学年に応じた答え方をする。それも科学的に正しいものを。

今ひとつは、物語仕立てで悪意のない嘘もありの答え方である。私は保育園でバスに乗って遠足に行くとき、園長先生の言った言葉を今でも覚えている。
「園長先生は、自分が保育園にいっていた時に、遠足でバスから頭を出して、電信柱にぶつかってしまってそれから頭が禿げたのです」
という言葉である。私は絶対バスの窓から頭や手を出すのをやめようと思った。

しかし、これは長じてみれば分かる通り、保育園児がいくら頭をバスから出したところで電柱には届かないし、そもそも園長先生の時代に保育園がバスで遠足に行っていたとは思えないのである。これが悪意のない嘘である。

子どもたちは、物語で覚えて行く。この物語を作らせるレッスンである。

            ◆

授業の最中にパソコンルームをちょっと出て七夕飾りのところに来た。そしたら、一枚の短冊が落ちていた。
「少しで良いから友達がほしい」
ギャグとしてはなかなかブラックで良いが、それが落ちているのは悲しい。近くにいた学生に、
『かわいそうだからもう一度つけてやってくれ』
と依頼したらきちんとつけてくれた。うれしいものだ。

            ◆

帰り際にもう一度短冊を見たら、

「冷やし中華始めました」

という短冊を発見。
一人爆笑。

私は、そういう学生たちも大好きである。

2008/06/24

娘のお迎えである

午後からは、学生たちとの面談である。私が担当しているクラスの学生たちとである。本学の児童教育学科の特徴の一つである、入学してからコース分け。そのための面談である。

後期から児童教育コースと幼児教育コースに分かれるため、面談で相談に乗ると言うものである。入学して三ヶ月。ひょっとしたら問題も抱えているかもしれない彼ら彼女らの相談に乗ると言う側面もある。

今日は七人の面談であった。
それぞれが自分の未来に付いてあれこれ語るのを聞きながら、アドヴァイスした。

            ◆

帰りの車でふと思った。
(をを、先週の今頃は熊本空港に向かうタクシーの中だったなあ)
まだ、あの授業の余韻が残っている。授業ってすごいなあと思う。

もちろん、中村先生、竹内先生、青山先生、岩瀬先生とすばらしい授業を連続で受けた事も相俟っての事であるが、こうして授業と言うひとくくりにしてみて、さらにここに同時期に読んだ数冊の本が影響を与える事で、私の体の中で、また新しい何かが生まれるのだろうなあと楽しみにしている。

いやあ、長い一文だ。

            ◆

大学から帰ると、何やらリビングの方で動く音がする。
靴を脱いで部屋に上がると、娘がハイハイしながら廊下に出てきた。
ひえ〜、娘のお迎えである。手も洗わずに抱っこである。

奥さんに確認すると、自分で玄関の音を聞き取り廊下にハイハイし始めたとのことだ。この時間に玄関で音がすると言う事は、私が帰ってくるということだと理解しているのだろう。

ミルクの温度を下げるために、哺乳瓶ごと水の入った容器に入れて3分間冷やす。その時、キッチンタイマーを使う。この音が「ピピピピ・・・・」と鳴ると娘は反応する。ミルクだ!と思うわけである。

ところが、ミルクの時間ではなさそうなときに同じようにキッチンタイマーが鳴っても特に反応はない。時間(というか腹時計か?)で、反応が変わるのは面白い。

            ◆

娘の成長に追いついて行きたいものである。

winを簡単にmacに

これ本当ならすごいな。
世界中どこに行ってもすぐにMacintosh環境で仕事ができるわけだ。
実物を見てみたい。

http://japanese.engadget.com/tag/EFiX/

2008/06/23

書写の授業

週末のできごとは、ありがたい事に深刻な問題にはならなかったが、それなりに大変な問題なのでその対応に追われる。今週いっぱいぐらいはなんだかんだ、心配な状態が続くので、スタンバイでいこう。

合間を見て授業の準備をする。今週末に行う書写の授業である。国語概論で書写があるのだが、私は書写の部分を担当して教えるのである。

            ◆

書写は、もっと小学生に行われていい分野であると思う。ワープロ時代になんで書写なのだ、しかも筆なのだと思われる方もいるだろうが、私はワープロ時代だからこそ、書写であり筆であると思っている。

養老孟司先生は、日本人は右脳で画像処理をして左脳で言語処理をするという脳の特殊な使い方をしているとおっしゃっている。だから左脳だけで言語をコントロールする言語環境の人たちよりも、日本人は言語の障害が出にくいということだそうだ。

右脳と左脳の話は怪しいと言う突っ込みもあるが、ここではそうだと仮定して話を進める。そうだとすると、書道、書写というのは実に面白い活動であると言う事が出来る。

なんとなれば、右脳で画像処理をして左脳で言語処理をするというのが、書道・書写であるからだ。言ってみれば、その両方を同時に鍛える活動だと言うことができる。右脳で文字の美しさを考え、左脳で文字の正確さを考えるわけである。これを子どものうちからトレーニングでさせると言う事は、かなり意味があるはずである。

ちなみに、そろばんをやっている時のその人の脳波を見たことがあるが、右脳が活発に動いていた。通常、計算は左脳だがそろばんを通して画像処理としてやっている可能性が高い。日本人恐るべしである。

            ◆

筆の字は、押せば太くなり弱めれば細くなる。通常の筆記用具にはあり得ない動きを必要とする。だから、難しい。さらに毛先の繊細な動きを感じてそれを我が意を伝える動きに変えなければならない。そのためには、時間をかけたトレーニングが必要になる。

うちの一歳にならない娘であっても、自分が欲しいものを手に入れようと手を動かして、その必要な場所に脳は手を動かすことができる。人間の脳はそのような力を持っている。

意図した場所にきちんと手を動かすことができなければ、醤油を撮ろうとしてソースをとってしまい、口に運ぼうと思って鼻の穴に運んでしまうと言う、食事が食事にならなくなってしまう。二人羽織になってしまう。であるが、通常はそのようにはならない。これは脳がコントロールしているからである。

だが、書道書写は、さらに高度なコントロールを要求する。脳を鍛えるのである。日本のこどもの基礎的な学力を支える、脳の力を高めるのではないかと思う。だから、書写教育をきちんとすべきである。

            ◆

さ、もう少し準備だ。

2008/06/22

近畿支部の地区大会

夜から午前中にかけて、心配事が発生。不安なまま過ごす。
深刻なことにならなくて良かった。
ご心配いただきましたみなさん、ありがとうございます。

            ◆

なんとか大丈夫だと思えたので、午後から全国教室ディベート連盟近畿支部の地区大会に出かける。ディベート甲子園の地区大会である。会場は膳所高校だ。

最終の順位決定戦だけ参観した。ジャッジをと言われたのだが、睡眠不足なのでこんなんでジャッジしては申し訳ないと思い、辞退した。で、高校の決勝戦を見学した。

高校の論題は、

「日本は労働者派遣を禁止すべきである。是か非か」
* 労働者派遣の定義は現行の労働者派遣法に従う。

である。

            ◆

議論は、プラン導入後の労働者に関するメリットとデメリットを巡って進められた。これはこれである議論だと思うが、今ひとつ分からなかったことがある。このプランを導入したら、日本はどうなるのかである。

労働者にメリットが発生しても、日本全体にとってデメリットが生じれば意味がない。逆に労働者にデメリットが発生しても、日本全体にメリットがあればこれはこれで意味がある。そのような、プラン導入後の日本についての議論がなかったのが残念である。

また、日本は多くの移民を受け入れる政策を模索し始めている。この政策が実行された場合、この論題に関するインパクトは結構あると思う。この辺りのリサーチはしているのかなと思った。

全国大会を楽しみにしよう。

            ◆

大会後、メンバーで軽く食事。
あれこれ話す。

軽く食べたので、家でもう少し食べる。
マグロ、スイカ、山形のおじさんに頂いたサクランボ。
うーむ、みんな赤い色だ。

赤からエネルギーを貰おうと、体が欲しているのかもしれない。

疲れた。
おやすみなさい。

書くは、快楽である

午前中から大学に行き明日の教室の準備をあれこれと。
今日は、埼玉県から岩瀬先生に来ていただき、作文のワークショップだ。

参加者も埼玉県からいらっしゃった方や、他大学に大学院生なども多く、初めて参加される方も多くいた。

            ◆

ワークショップは、4時間。
あっという間である。

「書くは、快楽である」

と私は思う。
もちろん、書きたい事が書けなくて呻吟することもあるが、これも含めて快楽である。ま、呻吟しているときは思わないがf(^^;。

            ◆

ただ、快楽にたどり着く事のない子どもたちが、実に多いと思う。もちろん、そういう子ども時代を過ごしたため、大人に成っても文章を書くのは苦手という人も多い。

私は書く事の指導をする時、以下の文言を大事にして行っていた。


引用開始 ーーーーーーーーーー

学習権宣言 (The Right to Learn)
1985年3月29日 第4回ユネスコ国際成人教育会議採択
 
  学習権とは、
  読み、書く権利であり、
  質問し、分析する権利であり、
  想像し、創造する権利であり、
  自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、
  教育の手だて(resources)を得る権利であり、
  個人および集団の力量を発展させる権利である。


引用終了 ーーーーーーーーーー

学習権は、「読み、書く権利」「歴史をつづる権利」であるというのだ。この文言の意味は大きい。

白川静先生によれば、中国では絶対王が漢字を発明させ、自らの偉業を記録させたという。絶対的な力を持つ王様が、自らの歴史を綴らせる必要性から文字が発明されたという。

私たちは、民主主義の時代に生きている。民主主義が最高のものとは思わないが、これに変わる良い制度がないから使っているというようなことを言ったのは、チャーチルだったか。私も確かにいろいろと不備はあると思うが、民主主義の今の時代は、この文脈の中で生き生きと生きるを考えたい。

その民主主義を生きる時、書くことにはとても意味があるのだと思う。

            ◆

私はそんなことを思いながら、楽しそうにレッスンを受けている参加者の皆さん、その向こうにいる子どもたちの顔を思い浮かべながら、
(いやあ、岩瀬先生をお招きして良かった)
と思っていました。

岩瀬先生、ありがとうございました。

琵琶湖は大雨

6/20

昨日の講座の余韻を引きづりながら、午前中を過ごす。
琵琶湖は大雨。
空と湖とが銀色に光り輝く。
これはこれで幻想的だ。

最近私の足下にやってきては、つかまり立ちをする娘。
抱っこを求めているのかと思って抱っこをしていたのだが、抱っこをしなくてもただたんにそばでじゃれているだけでも良いと言う事が分かってきたので、そのままにしてあれこれと仕事を進める。

動きまくる娘はすぐに汗をかく。汗腺は三歳まででその人の一生の数が作られると言うような話を聞いたことがある。暑いときには汗をかいて体温の調節が出来る事が、健康には大事。たっぷりと汗をかいて、水分補給させて汗腺を育ててあげたい。

            ◆

午後からその雨の中を大学に。
うーん、すごい湿度だ。

国語科教育法は、いよいよ文章の書き方指導に入った。国語の教員を目指すぐらいだから、文章は自分で書けるであろう。しかし、指導となると別である。この文章の書き方指導ができる国語の先生は、指導力があると言って良いだろう。今週と来週の二回で文章の書き方指導の指導法について講義をする。

            ◆

授業を終えて研究室であれこれしていたら、電話。キャリアガイダンスの記事を読んで、校内研修の講師をお願いできないかとのないようであった。もちろん、私でよければということであったのだが、日程が合わずに実現せず。

でも、そんなオファーがあるのはうれしいなあ。

            ◆

さて、明日は「明日の教室」だ。
まだ、あと5人ぐらいは大丈夫だと思います。
良かったらどうぞ。

2008/06/20

「特別支援教育の今」

朝の五時に起きてしまった。寝たのは真夜中なのであるからして、眠い。眠いが、まあ起きてしまおう。そして、あれこれ仕事を進める。熊本に行っていたので仕事がちょっとたまっているのだ。

            ◆

このところ娘は、お母さんのそばだけでなく、私のそばでも一人遊びをやっている。つかまり立ちをする。ただ、パパではなくマンマ、マンマである。ま、なんでも大事なものはマンマなのだろう。

抱っこしては娘の機嫌を取り、朝の時間を過ごす。
まったくもってお姫様である。

            ◆

基礎演習ゼミの後、研究室にお客さんが次から次へとやってくる。この時間はオフィスアワーにしてあるので、自分の仕事は後回しにして対応する。ふう。

            ◆

さらに、熊本の取材関連のあれこれ、明日の教室の準備、そして、本日5限のキャリア開発講座3の準備をする。今日は、青山信吾先生が来てくださる。「特別支援教育の今」というテーマで学生に授業をしてくださる。

学生たちは、青山先生の三冊の中から一冊を読み、感想を疑問をもって授業に臨むことになる。贅沢である。

本が読めて、その本の著者に直接授業を受けることができると言うのであるから。私の学生時代には一つもそういう授業はなかったなあ(と思う)。児童教育コースの学生は、場合によっては授業を受けているだけで、中村健一先生、竹内常一先生、青山信吾先生から授業を受けることができる。さらに、明日の教室にも参加していれば・・・。うーん、贅沢だ。

            ◆

授業後、希望者を募り青山先生と一緒に食事。時間の関係で授業中に話していただく事の出来なかった事を、あれこれ話していただく。懇親会には参加する。これがとても大事というのが分かったかと思う。

特別支援教育と言う名前から、学生たちは「特別」なことをするのだというイメージが強いと思う。しかし、今日の青山先生の話を伺えば、それは特別な事をするのではなく、一人一人の子どもが成長するための条件を整えて行くと言うことの話だと言う事に気がついたのではないかと思う。

            ◆

ただ、注意しなければならない事も。子どもを見て「ああ、これは自閉症だな」などと理解できるようになると、そうやって子どもにラベルを貼っておしまいにしがちになるということだ。

私が教師になった時代には、LDぐらいは分かっていたがあとはよくわからないで指導していた。そう、分からないけど指導しなければならないのだ。もちろん良いのは分かっていて指導する事であるが、分かって指導しないとの、分からないけど指導するのではどちらの方が大事なのだろうか。

「ああ、これは胃の病ですね」
であったのが、
「ああ、これは胃潰瘍ですね」
となったとして、医者は見立てるだけが仕事ではない。治す事が仕事である。教師も同じであるはずだ。

その子どもがどんな子どもか分かったら、その子どもに合った指導方法で成長を促す。これが仕事でなければならないと思う。

そんなことを学生たちが学ぶ機会を、青山先生に頂けたと思う。
ありがとうございました。

2008/06/19

熊本収録の良い余韻

熊本収録の良い余韻を持ちながら大学の授業に向かう。現場の熱を持ったまま大学の授業に向かうことができるのは、非常にうれしい。

放映前だからブログには書けないことであっても、授業ではある程度話せる。たまたまゼミでは、大学祭への取り組みについての話し合いをすることになっていて、私は話し合いの極意に絡めて、そもそも話し合いとは何だろうかということを問う。

今、兵庫教育大学にいる吉水さんとちょっと前に学生時代にしておく事は何かということを話したことがある。そのときに、一致したのは「哲学」議論をしておくことだというこである。

哲学議論っていうとちょっと堅苦しいが、簡単に言えば
「そもそも、◎◎っていうのはどういうことであろうか」
ということである。

改めて、問い直す事である。

            ◆

教育実習を終えて大学に学生が戻り始めている。研究室に報告にやってくる。あれこれ武勇伝を話す学生たちの顔を見ていると、一回り大きくなった感じがしないでもない。

実習先の学生や指導教官に恵まれたのである。そんな簡単にうまくいくのは、自分の力量であると誤解はしてほしくはないが、ま、それでも実習前とは明らかに違う懐の深さを持ち始めたなあと思う。

なかには、実習先からヘルプのメールを送ってくる学生もいる。朝一番で返信する。夜になって問題が少し解決したとのメールが返ってくる。そんなこんなで実習期間の私もカタパルトに自分をセットして、いつでも飛び出せるようにはしている。

ひるむ事なく、取り組め。

            ◆

会議を三つほどして、帰宅。
ふう。

夜、調べものをしていてyou tubeにまた少しはまる。「柴田まゆみ 白いページの中に」「パバロッティ 椿姫 乾杯の歌」「小椋桂 ただお前が良い」「天空の城ラピュタ 君を乗せて」などを見ながら、聞きながら仕事。

しかし、まさにインターネットのすごさだ。時間と場所を一瞬にして超える。あのときが、今に重なって新しい感情の層を作って行くのを感じる。

ただただすごいと思う。

2008/06/18

ちょっとだけルパン三世

6/17

収録を終えて、伊丹に向かう飛行機の中である。

なんともスリリングでそしていて、充実した収録だった事よ。
眼下に広がる四国の愛媛の街の明かりを見ながら、ほっと一息だ。

            ◆

授業を受けた11人の子どもたちの良さ。スタッフの気持ちよさ。受け入れてくださった学校の気持ちのよい対応。そういうのに恵まれて、ぎりぎりまで完成度を高めるレッスンをすることができたと思う。

子どもたちは、真剣に私のレッスンを受けてくれた。
飛び込みでレッスンをする場合、常に考えていることがある。いつも授業を受けている先生の指導の文脈を壊す事なく、その文脈に乗りつつ私の新しい技や価値観を提示する。そんな授業をしなければならないということである。

たかだか二泊三日ぐらいで、今まで子どもたちが受けてきた指導の流れを変えることができるわけがないし、また変えてしまっては、私がいなくなってから担任の先生の授業がやりにくくなる。

私の授業が終わったときに、子どもたちに授業の目的に応じた力が育ち、さらに去って行くときに、子どもたちや学校関係者に気持ちのよい風が吹いて、その風に乗ってどっかに行ってしまったというような感じを残して去りたいと思うのが、私の理想なのだ。それを目指して飛び込みの授業をしている。

ルパン三世「カリオストロの城」のエンディングのシーンの、おじいさんの、あのつぶやきがでるような去り方が理想なんだなあ。分かる人にしか分からないがf(^^;。

            ◆

今回は、「話し合い」の極意の収録であった。
これからディレクターさんが、編集作業に入るのだが、私も仕上がりは楽しみである。

おそらく、というかほぼ確実にばっさり切り取るシーンは分かっているし、使うシーンも分かる。今回はそれがクリアに出ると思う。

通常話し合いの指導は、国語科で行う事が多いと思うのだが、今回はそこではないところで行ったということぐらいはブログに書いても良いかな。私としては、なぜ話し合い活動をするのかの哲学の部分から問うて授業を作るということに挑戦できたのではないかと思っている。

            ◆

ロケバスにカメラ等を積み込み、小学校を去ろうとしたら三階で音楽の授業をしていた子どもたちが手を振ってくれた。そして、

「先生!いまからみんなで演奏するので、聞いて!」

と一曲合奏をしてくれた。
子どもたちの姿は見えないが、校舎の三階の窓から美しい音楽が流れてきた。
なんてうれしい見送り方をしてくれるんだろう。ちょっとだけルパン三世になれた気がした。

ありがとう11人のみんな。
良い時間をありがとう。

九州は熊本に向かう

6/15

九州は熊本に向かう。

あれこれ準備をして家を出たのが、14時過ぎ。京都駅まで電車に乗り、そこからタクシーで伊丹空港に向かう。バスがちょっと心配だったので、MKの小型を使った。高速代も入れて8000円は掛からなかった。50km以上の分は50%引きになるってのはすごい。

            ◆

伊丹空港で少し時間が出来たので空港内をしばし散策。規模の割には人の数は少ないかなと思う。ま、関西国際空港や神戸空港ができたのだから、単純に言えば1/3になってもよい。しかし、私としては伊丹が便利だなあ。羽田と同じ。

予定の時間を10分遅れて離陸。三人がけの真ん中になってしまうところが、ひょんな事で窓際になる。空模様は芳しくない。曇り空だ。しかし、まあ窓際だ。

熊本に向かう飛行機。午後は右側の窓際は西日が入る。ちょっとつらいが、時折見せる青空はやはり高度8000メートルの世界である。良いものだ。

            ◆

熊本空港は、少し雨。タクシーを探そうと思ったら、待ち人がいた。羽田からの飛行機が遅れたため、私の伊丹からの飛行機とあまり変わらない時間に熊本に着いたとの事で、合流するために待っていてくれたのだ。

            ◆

天気はあいにくの雨。
ではあるが、阿蘇の外輪山の緑の中を宿に向かって疾走するのはなかなか気持ちがよかった。

一時間ほど走って宿に到着。
宿は天然温泉なので、とにかく風呂。なんとも言えない雰囲気。暗めの照明でぬるめの温泉。外は緑一色。そして、お風呂にスロージャズが流れていた。家から3時間でここにいるのは、なんとも不思議な感覚である。

            ◆

宿では、明日からお世話になる小学校の先生とディレクターさんと打ち合わせ。熊本と言えば、ラーメンが私の感覚であるが、ここはちょっと景気をつけるために炭火の牛肉で。ビールは、地ビールを頼んだのだが、結局二杯目から飲んだモルツ@熊本工場の方がおいしかったなあ。

さ、明日は収録だ。

2008/06/16

事務連絡

池田はいまメール環境が不安定なところにいます。
メールは読めるのですが、返信が出来ない状態です。
すみませんが、火曜日の夜まで返信をお待ちください。
よろしくお願いいたします。

2008/06/15

関西の初夏は食べ物が

昼前から娘を連れて大学へ。児童教育学科の学生がメインになって立ち上げたサークルの発表会があるのだ。子どもを相手に劇や人形劇等をするサークルだ。ま、娘は何にも分からないが、学生の活躍を見つつ子守りも出来るので出かけて行く。

先輩がいないってのは、いいなあとちょっと思う。あれこれ自分で考えざるを得ないからだ。

今日の出し物の完成度は、私は高いとは思わない。だが、期待値は非常に高い。つまり、これから伸びるだろうなあと言う感じである。だって、やりたことをあれこれと仲間とやっているのだから。

            ◆

山科駅近辺で用事があったので、近くのスーパーに立ち寄る。ここの店は新鮮な魚が安い。今日はワカシとシイラを手に入れる。夏の魚の刺身は、酸味があるのが特徴。

思うのだが、関西の初夏は食べ物がおいしい。
ワカシ、シイラ、鱧、夏ガキとどんどん店に出てくる。そして思うのだが、これらの魚が普通の地元のスーパーに並ぶのがすごい。しかも安い。岩ガキなんて東京で買う値段の1/3であろう。

さらに、スイカもトウモロコシもうまいし、あと少しで桃も出てくる。

さあ、頑張って運動せねば。

            ◆

午後は、娘をあやしつつお昼ね。琵琶湖から吹いてくる風が心地よい。
アイスティーもおいしい季節になりました。

2008/06/14

以上、今週の

親バカである。
もう良いと言う方は、スルーしてくださいf(^^;。

            ◆

その1

大学に向かう時、玄関で見送ってくれる奥さんと娘。
最近、娘は私が出かける事が分かってきたようで、泣くのである。
ううう。

その2

「うー、まんままんままんま。ばっばばっばばっば。うぐぐぐうう。まんまばっば」

なんだか知らないが、よく話すようになった。一人で、私たちには見えない何者かに向かって機嫌良く話している。

その3

片手でつかまり立ちである。片方の手で私の体をつかんで、もう片方の手を私に向ける。この仕草がなんとも可愛い。ついでに乗り物に乗せたときに抱っこしていると、首を倒して私の肩甲骨辺りに額を載せる。これも可愛い。

その4

朝時計に手を伸ばして時間を確認したら、10時30分であった。
(え! そんなに寝てしまったのか!)
と休日である事を感謝しつつ起きる。
リビングの時計を確認すると、まだ7時前。
(ん?)
娘が時計の針を動かすねじを悪戯していたようだ。

その5

仕事を終えて家に帰る。
玄関を開けると、その音ですっと体を起こす(のだそうだ)。
そして、廊下を歩いてくるとその音を聞きながら廊下の方にハイハイし始める(のだそうだ)。
リビングに顔を出すと、座ったままジャンプである。
私は手も洗わないでそのまま抱っこしてしまう。
賢いなあ。可愛いなあ。

            ◆

以上、今週の親バカでした。

2008/06/13

君たちに非はない

暑いなあ。
京都は31度を超えていたんじゃないかな。
我が家は琵琶湖と比叡山の間にあるので、外は暑くても家の中は結構風が通って気持ちがよい。アイスティーなんかが飲みたくなる季節だなあ。

            ◆

国語科教育法では、和綴じ本のつくり方を扱う。

(説明に結構時間がかかるなあ。中学校のときの方が簡単に指導できたんじゃないかな?)

と思いながら授業をしていた。そりゃあだって、中学は50分で終わるのに、大学では50分で終わらないってのはどういうことなんだと思っていたのである。

それが、授業後に分かった。

(あ、和綴じ本のつくり方を教えているだけでなく、和綴じ本のつくり方を教えつつ、作り方を教えると言う事はどういうことなのか、その指導方法も指導しているから時間が余計に掛かるんだ)

というきわめて簡単な事である。学生諸君、すまん。君たちに非はない。来週の授業で謝らなければ。

            ◆

ではあるが、手先が器用とは言えない学生が多いなあ。大丈夫か。料理しているのか? そもそも家に包丁はあるのか?なんてことを思ったりする。

育ちが分かってしまうぞ、なんてことを言いたかったがこれは封印。ま、でもこれも来週言うか。

            ◆

さて、週末は忙しくなる。日曜日は九州である。

その未来に関わる事を許された存在

先生をお見送りしてから、大学に戻り授業。キャリア開発講座である。先週は中村健一先生に授業をしていただいた。今週は、私が行う。

授業に参加している学生は、竹内常一先生の授業を受けていたメンバーと重なる。授業導入の時間で、少し竹内先生の逸話や私との関係などを話す。

『先生の話は分かった?』
分からないような顔をしている学生が多い。
『でも、良かったでしょ』
うなずき多し。
『で、何を言っているのかよくわからないけど、大事なことを言っていると言う感じは分かった?』
大きくうなずく顔、顔、顔。

そうなのである。先生の話はそうなのである。

『君たち、理解しようなんて思わなくていいから。大事なことを言っていそうだと感じられれば良い。そして、それをどんどんノートに書く事だ。やがて、あっそうかと分かる時が来る。私もそうであった』

『特に先生は、大事な事を高音で早口で言われる。(先生、そこはゆっくりでしょ)と思うだろうが、ゆっくりには話せないんだなあ。だから、メモをとる技術が必要になる。一回生の時からメモをとれと言い続けているのが分かるだろ?』
これも、大きくうなずく顔、顔、顔。

一回生のときから言い続けている事が、少しずつ彼の中に実感として残り始めているようだ。これは頼もしい。

            ◆

本論では、『こんな時どう言い返す』の理論の解説を少し行って、後半はワークである。

理論では、子どもに納得は必要なのかという問題を取り上げてみた。学生たちは子どもが納得するような説明を何が何でもしなければならないという考え方を持つ事が多い。それはそれで良い事ではあると思うが、正しい事かと言えばそうではないと私は考えている。

なんとなれば、子どもが納得するような説明を何が何でもしなければならないという考え方を持って臨むと、「納得しないからやらない」という子どもを育ててしまう危険性があるからである。

世の中には、納得しなければやらなくていいこともあるかもしれないが、そうではないこともある。また、納得したときにはやるべきタイミングを逸していたということもある。さらに、「納得しないからやらない」と言いつつ、実は「嫌だから、めんどくさいから」という理由のごまかしである場合もある。

教育は強制である。その人と、人類が幸せになることを求めるための強制の学びである。私たち大人であり、教師である者は、その未来に関わる事を許された存在である。まして、教師はそこに直接関わる事が許された仕事である。野口芳宏先生のおっしゃる「良い強制」はしなければならないのである。

納得できる説明を教師が考えて説明する。これは大事である。しかし、その一方でここに捕われすぎると、指導が空回りする。では、この境目はどこにあるのか。これは、これからの授業の中で学生たちに考えさせて行くところである。

            ◆

後半のワークは、時事問題について行う。秋葉原事件である。時事問題は扱いにくい。事実が確定しきれていない面もあるし、評価も定まっていないからである。しかし、子どもたちは事件を知っている。そして、この事件について先生はどう思っているのかを知りたい。スルーすればスルーしたと言う事実が残る。

子どもたちは、先生を通して事件と社会とに関わっているのである。もう少し言えば、事件と先生を通して、社会の見方、価値観、ルール等に触れ、自分の世界を作り上げて行くのである。だから、時事問題は重要な教育の機会なのである。単なる雑談ではないのだ。

学生に5人ぐらいの小グループを作らせて、一人一人が小学校の先生になったという想定で、設定した対象学年の小学生役の学生に向けて、月曜の朝の学活の時間に1分間で語るというレッスンを行った。

私は50人弱の学生に指示を出して動かす。その際、私が集団を動かす際に重要な観点を具体的に説明した。すなわち「一時一事」の法則や、「説明→質問を受ける→実際にやらせる」や、「予行→修正→本番」などのことである。

教員が出している指示や説明。さらには活動のさせ方というのは適当に出しているのではなく、きちんと練ってさせていることを理解させる。ま、手品を種明かしされながら見ているという感じであろう。

このように解説しながら、同時進行でワークをさせる。二重構造の学びである。

            ◆

3分の準備で1分のスピーチを作らせ、実際に全員にさせた。代表者にみんなの前でもさせた。二回生にしてはまあ、それなりに言えていたとは思う。しかし、学生たちは私の解説等を聞きながら、自分の課題をたくさん見つけていた。

そうである。それでいいのである。問を見つける事、課題を見つける事これが大事なのである。語りの弱い学生、立ち方が不安定な学生、声の小さい学生、話す内容がなくなってしまった学生、口癖で誤解を与える学生・・・。

さあ、勉強せい!

            ◆

二日間の充実した時間を終え、研究室から出ると心地よい疲れ。
そして、美しい夕焼けが目の前にあった。
いやあ、良かった良かった。

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2008/06/12

携帯電話をきちんと使う指導

やっとこのサイトが出来たか。
学校の先生の強い味方になってほしい。

http://schecker.jp/

学校裏サイトの検索HPだ。

            ◆

一緒に『ケータイ世界の子どもたち』 (講談社現代新書 1944) (講談社現代新書 1944) (新書) を併せ読むと理解が深まるはずだ。

この種類の本、書けそうで書ける人がいなかったと思う。携帯電話と教育と両方とも造詣が深い人なんてそうそういないから。藤川さんならではの本だ。

携帯電話をきちんと使う指導も、やっと具体的な動きが出てきたようである。

竹内常一先生

この二日間、夢のような時間を過ごすことができた。
私の恩師の竹内常一先生に、本学に来ていただいて授業をしていただいたのだ。

初日が児童教育学科学生学会での講演。二日目が、基礎演習ゼミでの質疑応答である。

            ◆

今年度の前期の基礎演習ゼミで、竹内先生の本を読み込む演習を学科全体でやることにした。そうきまった時に、
『先生に来ていただくのはどうでしょうか?』
と学科の会議で提案した。
「それはいい」
と一致。
私の夢が実現する方向に動いた。

先生には学生時代からずっとお世話になりっぱなしである。仲人までしていただいているわけである。

すごいもの、本物を学生たちにぶつけたい。そうすることで、学生たちの中に何か良いものが生まれる。私はそう信じている。

            ◆

初日は講演。「教師・保育者は子どもとどのような関係をとりむすんだらいいのか」という演目。京都大学からも先生や院生が聴講に来ていたし、先生の教え子の関西大学の先生も来ていた。

90分があっという間。そして、その後90分も別の会場で振り返りの質疑応答の時間を取ってくださった。

一回生も一緒に講演は聴いたのだが、感想文を見ると先生の話がどーんと届いているのが分かる。

夜、久しぶりに食事を一緒にさせていただく。学科のみなさんにご迷惑かとも思ったが、娘もちょっとだけその会場に連れてきて、先生に会っていただく。ここでもあれこれと今まで聞いた事のない話を伺う。幸せだ。

            ◆

二日目。『大人と子どもが出会うとき 子どもが世界を立ち上げる とき』を読んできた二回生の学生たちの、テキストに即した質問をたっぷりと1時間以上にわたり答えていただく。

うーん、贅沢。
本当に贅沢。

途中で、先生は
「池田さんは、私の授業を受けていましたが・・・」
と暴露。
私は、学生たちにはその事は話していなかったので、学生たちはひどく驚いていた。そりゃあそうだろ。彼らの先生の先生に習うなんて、通常あり得ないからなあ。

授業後、私の研究室にお越し頂いて、教員からの質問にあれこれと答えていただく。学生が著書にサインを下さいとやってくる。そりゃあそうだろう。学科の先生たちもサインをもらっていた。私たちも学生に戻ったような気持ちになり真剣に学ぶことを堪能できた。さらに、新しい学生食堂で食事をしながらあれこれと聞く。

            ◆

3、4限に授業のなかった私は、この間ずっと先生の話を伺う。そして、京都駅まで私の車でお届けして、お見送りをした。車の中でもあれこれ話を伺う。いやあ、贅沢である。

私の教え子たちに、竹内先生の授業を受けさせたいと中学校の教員をしているときから思っていたが、大学に籍を移してやっと実現することができた。先生が長生きしてくださっているからできた事だ。ありがたい。

            ◆

京都駅で先生をお見送りして、国道一号線を大学に戻る。NHKの打ち合わせの電話と、5限の授業のためである。

途中、トンネルを抜けた辺りで新幹線が私の車を追い越して行った。ちらりと時計を見た。
(あ、あの新幹線だ)
先生が乗る予定の新幹線だというのが、分かった。

(先生、ありがとうございました。学生たちにもっと勉強させます)

運転をしながらなので、ちょっとだけ頭を下げた私であった。
また、来年授業をお願いしたいなあ。
よろしくお願いいたします。


2008/06/11

過去に読んだ本がいまの授業に

ありがたいことに、このところあれこれとオファーがある。好事魔多しであるからして、こういうときこそ気を引き締めなければならないなと思う。本を読み、研究の準備を進め、授業の準備をする。

            ◆

他の方はどうなのか分からないが、私の場合、授業に直接関わる本を読むと言うのはあまりない。現在行っている授業に直接関わる本を、授業を展開しているときに意識して読むと言う事は、ほとんどない。

むしろ、全く関係ないと思って読んでいた本が、今の授業に思い切り関連してくるという出会いの読書の方が多い。過去に読んだ本がいまの授業によみがえってくるのを楽しみにする事が多い。そういったときの授業は、良いものになる事が多い。

だから、本を読まないで授業を作れるってのは、私にはちょっとイメージがわかない。ま、読んでいるのは実は大した内容の問題ではないものも多いので、偉そうな事も言えないがf(^^;。

            ◆

夜は、お酒を飲まずにウーロン茶でゆったりと過ごす。
なかなかいいな。
これからもちょっとこれで行こう。

2008/06/10

横顔のタクシー・ドライバー

夕方から山科へ。私が大学に赴任した年に四回生だった学生が休暇でこっちにくるとのことだったので、久しぶりに会う。成長した卒業生の姿に会えるのは、なんといっても幸せなことだ。

なじみの店で乾杯をするのだが、なじみのメニューが変わってしまっていてちょっとびっくり、ちょっとがっかりであったようだ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

横顔のタクシー・ドライバー

作詞:康 珍化
作曲:濱田金吾

インターチェンジを過ぎた辺りは 信号待ちの車が増える
ワイパー透かしてすれ違いざま 横顔だけでお前と分かった
夏が来るたびジープ借りて 海辺飛ばしたものさ
タクシードライバー 窓を横切る空は今も青いだろうか
俺は昔のカセット流し 過ぎた月日を数えた

仲間はほとんど結婚したし 馴染みの店もいまはないけど
若さが絵にした夢もいつしか 燃え尽きたなら灰になるのか
ゲームみたいに生きていたよ 振り向ことも忘れて
タクシードライバー タイヤドリフとさせて雨のカーブを急ぐ
俺はクラクション軽く鳴らし バックミラーで見送る

タクシードライバー 窓を横切る空は今も青いだろうか
俺は昔のカセット流し 過ぎた月日を数えた

引用終了 ーーーーーーーーーー

名曲中の名曲である。
しかし、ほとんどの人が知らない。
知らなくてもいい。
何度でも言う。私にとっては名曲中の名曲である。

「仲間はほとんど結婚したし 馴染みの店もないけど」

そうなんだ。そうして人はこの切なさに耐えながら、新しい出会いの中で少しでも自分を成長させよう、社会を良くしよう、いまの仲間と楽しくやろうということをしながら生きて行く。

食事をして、話をして、歌を歌って、再会を期して、
私は終電に間に合うようにその場を去った。

また会おう。
元気で。

2008/06/09

抱っこの一日

本日大学はキャンパス見学会。私の出番は今日はないが、ちょっと顔を出す。保育実習室に娘を連れて行けば、雰囲気づくりになるんじゃないかなあと思って、連れて行った。

            ◆

少し早めに大学についたので、研究室であやしていたら、隣のU先生が戻ってきた。いつも娘の事を心配してくださっている先生に、娘を抱っこしていただこうと思って廊下に出てご対面。抱っこしてもらった。

少し人見知りするようになってきた娘は、ちょっとびっくりしていたが抱っこしてもらえた。ああ良かった。

            ◆

保育実習室に行くと、去年私のクラスにいたS君がいた。見学者が来るまであれこれ進路の相談等を受ける。その一方で幼児教育コースのS君なので、面倒見てもらって昼ご飯でも食べてくるかあと思ったのだが、娘は私の姿が見えなくなると号泣。諦めた。

見学者が来たので、抱っこしてなんとなく部屋の隅っこに。置物としては、まあまあ効果があったのではないかと思う。

            ◆

その後、九州から遊びにきている卒業生たちと、急に会う事に。三条近辺にいる事が分かったので、連絡を取る。娘を会わせてあげたかったが、なかなかその機会がなかったので、これを機会として会わせる。

適当な場所がなかったので、ハイアット リージェンシー 京都に乗り入れる。
(ラウンジでお茶は大丈夫かなあ、泣き出したら出て行けば良いか)
と思いながら聞くと、どうぞとのこと。で、ウッドデッキがあると言うので、それなら泣き出しても大丈夫だと思ってそちらにする。まあ、モスキートがいなければ最高だったのだがf(^^;。

Tおねえちゃんと、Fおねえちゃんに抱っこしてもらうのだが、ここでもそれぞれ30秒で泣き出す。まあ仕方がないだろう。

            ◆

いろいろな人に抱っこしてもらえた娘であった。

2008/06/08

一緒に寝るのもいいか

午前中、近くの柳が崎浄水場に見学に行く。琵琶湖の水を取り入れて大津市の水道水にしている施設である。年に一度一週間程度公開する。これを見に行った。

いやあ、なかなか面白い。
一つ一つ係の職員が順を追ってみせてくれる。これなら浄水器はいらないなあと思ってしまった。微生物をうまいこと活用して、きれいにしている。安心である。

            ◆

午後からは、奥さんが出かけるので私と2人でお留守番。いつの間にかお昼ね。このごろ娘を寝かせながら、よく寝てしまう私である。疲れているのかなあ。あれだけ昼に寝ているのに、夜もぐっすりと寝れる私である。

ま、こうして一緒に寝るのもいいか。

2008/06/07

「司会力」をつける

国語科教育法では、学習ゲームと読書指導について講義をする。

私は、学習ゲームのユニークネスは、「司会力」をつけることができるという所にあると考えている。もちろん、すべての学習ゲームにあるとは言えないのだが、「たほいや」などではそれがはっきりする。

            ◆

私は、この「司会力」をつける学習方法はどうしたらいいのかということを、私は中学校の教師の時、ずっと考えていた。
(この力を育てるのは、国語の時間か特別活動の時間であろうなあ)
と思うのだが、その方法を思いつく事がなかなかできなかった。

ここで言う「司会力」というのは、話し合いでの

1)時間の管理
2)順番の管理
3)論点の明確化

であると私は考えている。この三つ、いや、少なくとも1)と2)の二つをなんとかつける事の出来る授業はできないかと思っていた。

            ◆

学校教育現場で司会というと、班長会議、学活、委員会、実行委員会、生徒総会などでの司会が考えられる。これらはそれぞれ、班長、学級委員、各委員会の委員長、実行委員長、議長が務める事になる。これらはある程度の力を持った代表者が行っている。

しかし、私はすべての子どもたちに、この司会の力を育てたいと思っていた。なぜならば、私たちは民主主義の時代を生きている。民主主義は、話し合いを基本とする。子どもたちは、やがて様々な場所で様々な話し合いを行うようになり、そのときに、司会をまかされるようになっていく。

くじ引きで決まったり順番で決まったりしながら、司会をまかされて行く。そのときに、何も出来ない、いや何も習っていないというのは避けたい。

            ◆

そこで、学習ゲームなのである。これを行う時、生徒は順番にゲームの「親」を務める。この「親」こそがまさに「司会」なのである。

国語科教育法の授業では、学習ゲームにおいてユニークに形成される力は何か?という問を立てて、三週間あれこれと実際をやってきたのだが、残念ながら学生諸君はここにたどり着く事は出来なかった。そこで私が解説をしたのだが、彼らは納得したようであった。

            ◆

その後、朝の読書、読書へのアニマシオンなどを解説。読書へのアニマシオンでは、物語バラバラ事件を実際にやる。読みたくない子どもたちへの手だてをあれこれ考える事の重要性を語る。

さ、来週は和綴じ本のつくり方である。

2008/06/06

本物の小学校教員の実力

昨日は山口県から、中村健一先生にわざわざ大学まで来ていただいて、キャリア開発講座3の授業をお願いした。

午前中、プール開きをしてそのあと、午後の5限に授業である。ありがたい。小学校の教員を目指す学生たちは、本物の小学校教員の実力に打ちのめされつつ、大いに学んだ。

学生の感想文の一つである。

引用開始 ーーーーーーーーーー


まず忙しい中、橘まで来ていただいき感謝しています。とても楽しい時間をありがとうございました。小学生のとき中村先生が担任の先生だったら、大好きになっていると思います。

 特に今日学んだことは3つあります。
 1つ目は、拍手の使い方です。今日の中村先生の講義で拍手ってこんなに教室を温める力を持っているんだなぁと感動しました。本を読んだとき、「なるほど。拍手ってこう使うのかぁ。」と分かった気でいました。しかし、実際、先生に講義してもらうと予想以上の「音」の効果があり、驚かされました。「強く!細かく!元気よく!」の声かけや「パン!パパパン!」などのリズムの工夫を加えることで、ただの拍手よりハリのある拍手=教室を盛り上げられる拍手が出来るのだと肌で感じることが出来ました。気付いたら、自然と笑顔になれました。

 2つ目は、フォローの大切さです。今日の授業では先生はどんな発言に対しても、相手が笑顔になれるフォローをされていました。「君はここで僕に会うために生まれてきたんだ」と褒められた(?)ときは、先生は褒めるための言葉の引き出しをたくさん持っておられるのだなぁと思いました。どんな言葉を言っても、先生にたくさんの褒めことばをもらえる生徒は嬉しいだろうし、安心して力を発揮できるのだろうと思いました。出会った子どもの中には、周りの目を気にして力が出せない子もいるので、このようなフォローは大切だと感じました。私も生徒にふったフリを何らかの形でオチを返してくれたら、意識的にフォローしていこうと思います。

 3つ目は、フォローと甘やかすのを一緒にしないことです。どんなことも優しくフォローしてあげることが大切なのだと思っていました。しかし、5分前集合に遅れてきた子を先生は思い切り叱っておられました。このとき、意外な展開で驚きました。だけど、確かに、教師は子どもを伸ばすことが仕事で、成長を褒めることが大切なのだと気付かされました。しっかり叱ってその後フォローする大切さを知れて、勉強になりました。

 今日は本当に楽しい講座で時間が過ぎるのが早かったです。本当にありがとうございました。また、この場を用意してくださった池田先生にも感謝します。今日学んだことを、ボランティ先などで活かしていきます!

引用終了 ーーーーーーーーーー

全員のを載せるととんでもないことになるので、載せないが、50人弱の学生たちはみなこのような感想を持った。

            ◆

その後、学生たちと一緒に食事である。
学生たちは、あと一ヶ月で二十歳とかいう年齢である。
法律はきちんと守らなければならない。
アルコールは、ダメである。

「大学は、浪人して入ってくるのが良いなあ」
なんて訳の分からない事を言いながら、楽しく食事である。

食事の場でも、あれこれと先生から指導を受ける学生たち。
ありがたいこってす。

私もたくさん学びました。
またお願いします、中村先生。


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2008/06/05

喜びの共有

娘に、
「ばぁ〜〜〜」
とやる。
「キャッキャ」
と喜ぶ。
私の顔を見て喜ぶ。これが今までの娘であった。

だが、今朝は違った。
娘に、
「ばぁ〜〜〜」
とやる。
「キャッキャ」
と喜ぶ。
そのあと、奥さんの方を見るのだ。
笑顔で見るのだ。

            ◆

いやあ、これは感動である。
自分の喜びを、喜びを与えてくれた人に返すのではなくて、第三者のお母さんに返しているのである。

喜びの共有をしようとしているのである。
コミュニケーションの発達を目の当たりにした父であった。

うひゃあ。

合同研究入門ゼミ

本学の児童教育学科は、入学後半年を経て、児童教育コースと幼児教育コースに分かれる。半年間学生生活を送り、あれこれ実際に授業を受けてから、コースに分かれる。

そのための、ガイダンスのための合同研究入門ゼミ第一回目を行った。私は教員を目指す学生のために40分程度話す。教育の世界を、受ける側からではなく、行う側から見ると言うのは、高校までは基本的にはあり得ない。大学に入って、やっと少し見ることができる。

教員免許の種類、グレード。免許更新制度。教師に必要な力、教師の魅力。採用試験の状況。夢を目的に、目的を現実にするためにすべきことなどについて話す。

大学に少し慣れてきた学生たちに、ここが始まりであり、やるべきことはたくさんある事を理解させる事が私の狙いであった。まずは達成できたのではないかと思う。

            ◆

その後、会議の水曜日。午後は、昼休み昼ご飯を食べながら始めた会議をスタートに、五つの会議。その間に教育実習に関する指導や、通りすがりでの打ち合わせ等、8時近くまで。

疲れたあ。

2008/06/04

そして朝読書とするか

しかし、こんなに長引くとは思わなかった。あと少しで抜けると思うが、長い風邪である。体が睡眠を欲するのだから、正直である。

ではあるが、早く寝てしまうと早く起きてしまう。今朝も四時半である。早く寝る事を欲していて、早く起きられるようになったと言うのは体が戻ってきている証拠であろう。

            ◆

昨日は、最終校正を一つ終えた。これでやっと本当に、終わりだ。次の仕事に取りかかれる。

授業のまとめや、準備も一つ、二つと終えた。新しく担当する授業の構成案や指導案を頭の中から、文字に起こしてあれこれと考える。授業を作るのはこの段階が重要で面白い。

            ◆

満足して寝たのだが、うっかりリビングの電気をつけたまま寝てしまった。これが失敗。今の時期に琵琶湖には小さな虫が発生する。四時半にリビングに行くと、窓ガラスにたくさんの虫がくっついていた。ひえ〜。

(これを見たら奥さん卒倒するだろうなあ)
と思い、慌てて掃除。音を立てないようにノズルをシャワー状態にして、ホースから水をかける。これはもう洗い流すしかない。

とりあえずの掃除はできた。ああ、良かった。
が、密かにもう一度寝ようと思っていたのに、体が完全に起きてしまった。

ちょっと濡れたし、朝風呂、そして朝読書とするか。

2008/06/02

ああ、突発の仕事

月曜日は研究日。大学に行かないであれこれするようにしている日なのだが、どうしても今日中にしなければならない事務仕事があったので出かけて行く。

すると、家を出る前にチェックしたメールボックスに別のメールが。ああ、突発の仕事。対応である。

本当は、30分で大学を出るつもりが、結局4時間以上いた。ふう。結局今日の研究業務はなかったことになる。

ま、大学に行かないで違うところで仕事をしていても、今日の場合は大学に来てくれと呼び出されていたであろうから、結果的には行って良かったのだが。

でもまあ、その中をやりくりしながら成果を出すと言うのが、今の大学の教員であろう。求められている事について、これは私の仕事であると言うものについては、きちんとやって行こうと思う。

            ◆

そして、今日から教育実習が本格的にスタート。
あちらこちらの学校で本学の学生がご指導を受けることになります。
先生方、厳しくご指導いただけますように。

学生諸君。
しっかりと学ぶように。
実習後、成長した諸君の姿を楽しみにしている。

2008/06/01

体が治るのを待つ週末

結局、体を休めつつ読書の週末であった。

            ◆

午前中はいつものガーデンに娘を連れて散歩。ウエストバックを枕にして、柳の木陰に広がる芝生に寝転ぶ。娘はお座りして落ち葉を拾っては投げ、拾っては千切りしている。それを見ながら、芝生の上でゴロゴロ。

それに飽きると娘は私の上によじ上る。つかまり立ちをしながら上ってはお座り、上ってはお座りを繰り返す。そのうち、電池が切れて私のお腹の上に突っ伏すようにして寝てしまった。そのまま私も寝てしまった。

心地よい風である。

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            ◆

まだ娘は寝ている。
私は本を取り出して、読み続ける。

時々ガーデンにやってきたお客さんが声をかけてくれる。

「べっぴんさんやなあ」
「女の子は可愛いねえ」
「お父さんに上っているの?」
「写真を撮ってあげましょうか?」
「僕も女の子が欲しかったなあ」

その度に、本を読むのをやめてあれこれ話す。
娘は眠たい顔をこすりながら、お話を静かに聞いていた。

            ◆

家に帰って食事の後、出かけようと思ったが、どうも体が重い。
薬を飲んで、体を横にする。

ベッドの上で娘に絵本を読んであげていたら、しばらく娘はシンクロナイズドスイミングのようにベッドの上を泳ぎまくる。なんだか分からないがキャッキャ言いながら動きまくっている。ミーアキャットのようでもある。

ひとしきり動きまくったら、娘は寝てしまった。
じゃあ、こちらも自分の本に持ち替えて読もうかと言うところで、寝てしまった。

            ◆

体が治るのを待つ週末である。

何を考えているのやら

子守りをした午後、どうも熱があるのを感じて寝直した。
風邪が完全に抜けきらない。結構残っている。これをこのまま来週に持ち越したくないなあと思い、寝た。
五時頃には起きようと思って寝たが、六時頃までて寝ていた。四時間も寝るか。やはり体は休みを欲していたんだなあ。

            ◆

鮮明に残っている夢だから、起きる間際に見たのだろう。
久しぶりにミステリー系の夢を見た。
目が覚めてから何回か頭の中でストーリーを反芻し、ある程度固定化してからMacintoshに向かう。
あらすじとディティールを記録する。

テレビでも映画でも本でもないのに、ドキドキできるなんて、夢はお得だなあと思う。
しかし、あのストーリーは誰が考えているんだ?
当然私なのだろうが、私の何があのストーリーを作るんだ?

自分で夢を見ながら、
(を、そうくるか)
と思っているんだからねえ。

            ◆

娘を抱っこして、夕方の買い物に。
好奇心の固まりの娘は、抱っこしている私の腕から落ちそうになるぐらいに、きょろきょろする。
何を考えているのやら。

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