七夕の準備が始まる
児童教育学科のテラスには、裏山から切り出した竹に短冊が飾られ、七夕の準備が始まる。幼児教育コースでも児童教育コースでもこうした日本の文化を学校でやるってのは大事な事だと思う。
大学でこのようにするというのはなかなかないかもしれないが、1000年も前から伝わってきているこの行事を大学で学ぶ事は意味がある事だし、まずはやってみるということも意味があるはずだ。
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研究入門ゼミでは、その七夕のことから話す。
・ 何で日本のお祝いは、奇数が重なる日にあるの?1/1、3/3、・・7/7
・ では、9/9は何のお祝いか知っているか?
・ 数字の陽数と陰数の違いは分かるか?
・ 織姫星は、正式にはなんという星? 彦星は?
・ なんで短冊に願いを書くの?
・ 短冊に墨で書く時、その水はどこから持ってくるの?
なんてことを話しながら入る。学生諸君はほとんど知らない。もちろん、これらの事を知らないでいて七夕の行事をやってもいいだろう。しかし、きちんと調べておいて子どもたちにいくつかのエピソードを話してあげながら遊ぶというのは、大切な事だと思う。
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その後、本日の課題に取り組む。
本日は、「全国こども電話相談室のHPにある子どもの疑問に答える」という課題にである。
教師の仕事で中心となる事は、説明をする事である。子どもの抱くありとあらゆる疑問に答えなければならない。義務教育段階で子どもの持つ疑問に対して、
「分からない」
と答えるのは正直であり、ある意味誠実かもしれないが、一方で勉強不足であると言わざるを得ない。
調べて答えるのも大事だが、その場で
「それはね、・・・」
と答えていく力量が欲しい。子どもたちは、何でも知っている先生が大好きである。そして、信頼を寄せる。
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この後、学生たちはHPから自分が答える質問を二つ選ぶのである。そして、A4の紙に二種類の答えを書くことになる。一つは、科学的な答えである。なぜ、植物は緑なのかという問があったとする。この時、葉緑素があるからという答えをしようとするかもしれない。学生は、自らが設定する答える子どもの学年に応じた答え方をする。それも科学的に正しいものを。
今ひとつは、物語仕立てで悪意のない嘘もありの答え方である。私は保育園でバスに乗って遠足に行くとき、園長先生の言った言葉を今でも覚えている。
「園長先生は、自分が保育園にいっていた時に、遠足でバスから頭を出して、電信柱にぶつかってしまってそれから頭が禿げたのです」
という言葉である。私は絶対バスの窓から頭や手を出すのをやめようと思った。
しかし、これは長じてみれば分かる通り、保育園児がいくら頭をバスから出したところで電柱には届かないし、そもそも園長先生の時代に保育園がバスで遠足に行っていたとは思えないのである。これが悪意のない嘘である。
子どもたちは、物語で覚えて行く。この物語を作らせるレッスンである。
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授業の最中にパソコンルームをちょっと出て七夕飾りのところに来た。そしたら、一枚の短冊が落ちていた。
「少しで良いから友達がほしい」
ギャグとしてはなかなかブラックで良いが、それが落ちているのは悲しい。近くにいた学生に、
『かわいそうだからもう一度つけてやってくれ』
と依頼したらきちんとつけてくれた。うれしいものだ。
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帰り際にもう一度短冊を見たら、
「冷やし中華始めました」
という短冊を発見。
一人爆笑。
私は、そういう学生たちも大好きである。
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