小さな言い訳
『ブラックジャックによろしく』で、小児科の研修を重ねる主人公に、指導医が言った言葉が思い出される。
「親は、自分の痛みは我慢できますが、子どもの痛みは我慢できませんからねえ」
確かにそうだなあと思う。何がどのように痛いのか分からないのは、見ていてつらい。頭の中でそのように思っていたが、やはり実際もそうだ。
◆
病院に連れて行くために着替えさせる。それだけで15分はかかってしまう。泣いたりハイハイして遠くに行ったりしてしまって。せっかく朝風呂に入って寝汗を洗い流したのに、また一汗かく。
泣いていたって、着替えさせるのだ。
どんな反応をしたって、やるべきことはやらせる(やってあげる)。ということを続けて行かないと、人間の成長は緩慢になる。だから親や教師は大変であり、責任があるのだねえ。
◆
昨日のゼミで、
『笑ってごまかすな』
ということを言った。
小さなミスや間違いを指摘されると、笑ってごまかそうとする学生が多くいることを指摘したものだ。
笑顔は、相手の攻撃本能を緩めるかもしれない。その結果、自分の受けるダメージを少なくすることができる。しかし、それでその本人が成長するかと言えば、それはそんなことはない。なんとなれば、これは「小さな言い訳」でもあるからだ。言い訳をしていて成長する若者を見たことがない。
『字が汚い。直しなさい。こんな字で授業を受ける児童がかわいそうです』
「へっへへっへ」
『笑ってごまかすな』
ということになったのだ。
学生は、これをきちんと受け止め
(こんなんではダメだ)
と努力を始めることを決意したようだ。
耳に心地よい言葉は、誰もが好きである。私も好きだ。だが、その言葉は3年後、5年後の私やあなたを成長させる言葉ではないということを理解しなければならない。
だから、叱ってくれた親や恩師を懐かしく思い出し、感謝するのだと思っている。
◆
午後は、国語科教育法1の準備をあれこれ。学会出席の準備もあれこれ。意欲のある学生たちが書道展のために来週の授業を欠席しなければならないことになったので、今日はその学生たちに向けて二週間分を授業することになる。だから準備も二週間分である。ちょっと大変だ。
だが、学生に学ぶ意欲があれば、それを受け止めるのが大学の授業であると私は信じる。
◆
おまけの6限の授業をしているときに、ふと、
『これだけ資料を配っているんだから、これを元に国語科教育法の本を書いてみるかねえ』
とつぶやいたら、学生諸君は強くうなづいてくれた。
うーむ。
将来は考えてみるか。
疲れたが、充実した一日だった。
さ、明日から徳島で学会だ。
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コメント
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サロマ湖畔の宿にいます。
香川県のご夫婦と、ラジコン空撮が趣味の高知の旅人と同宿でした。徳島で学会ですか。
四国には一度も上陸したことがありません。いつかはツーリングで行きたいです。
投稿: J.SASE | 2008/07/05 07:04
一足早い夏休みですね。
私はまだまだです。
今日の誕生日は家族と一緒ではなく、研究仲間と一緒に過ごすことになります。徳島の魚、待っていろよ(^^)。
投稿: 池田修 | 2008/07/05 07:27