学校の可能性、授業の可能性
基礎ゼミは、今日の授業で前期はおしまい。はい、本学はきちんと授業規定を守り、前期十五回は授業時数を確保しております。後期は授業担当者が変わります。
◆
本日のテーマは、「前期のふりかえり」と「子どもを取り巻く情況について考える」であった。
前期は、『おとなが子どもと出会うとき、子どもが世界を立ちあげるとき—教師のしごと 』を読みながら、教育実践の事実を文脈の中から読み取るということを中心に行ってきた。
「他人と他者はどう違う?」「正しいとは、何?」「ボランティアをする側とされる側の関係は?」などなど多くの議論を行ってきた。さらには、竹内常一先生に直接本学までお越し頂いて、授業をしていただくこともできた。贅沢な時間であった。
◆
そして、「子どもを取り巻く情況について考える」である。何をしたかと言えば、wii sportsとマリオカートとDSである。大学の広い教室のスクリーンを使ってやった。
なんでこれが授業なのかと言えば、学生たちがあまりにも子どもたちがハマっているものを知らなすぎると言う事が分かったので、実際にやってみることにしたというのである。
子どもは「好きな事をしているとき」「やならなければならないことをしている時」「やりたいことを我慢しているとき」の三つの表情をもっていると思う。授業は通常このうち、「やならなければならないことをしている時」「やりたいことを我慢しているとき」のどちらかであることが多い。だが、教師はこの顔ばかり見ることになる。それじゃ子どもたちが可哀想である。いい顔も見てあげなければ。
じゃあ、なんでハマるのかということを実感しようと言う事から、やってみた。授業の一貫として。子どもの実態を知るということは、教育ではとても大事な事である。wiiなんて遊んでいるように見えるだろう。実際遊んでいるのだから。
だが、その遊びを分析し、子どもの気持ちを理解し授業づくりに活かし、学級経営に活用する力は、教師にはとても必要な力であると私は考えている。
◆
結果としては大盛り上がりであった。おっきなスクリーンにすばらしい音響設備。そんじょそこらのゲーセンでは太刀打ちできないゲーム環境である。私は嘗て音楽室にあったLDを映すための大きなテレビでマリオカートをやってみたことがあるが、これはかなり面白かったのを覚えている。それを遥かに越えていた。
学校と言うのは、考えてみれば何でも揃っている。設備も専門家もである。だからうまく運営すれば、テーマパークになったり、遊園地になったりもするのだと思っている。要は、運営の仕方なのである。
新人の教員がいきなりwii大会を学校で開くというのは、可能なのかどうなのかはわからない。ダメと言われればダメだろうし、一方でDSで英単語の学習があったり、保護者たちは自分たちもやってきているので違和感が少ないのでできるのかもしれない。
だが、今日のゼミで学生たちは学校の可能性、授業の可能性を改めて理解したのではないかと思う。
◆
授業のまとめでこんな事を話した。
『君たちの、ライバルはこれです。ほとんどの子どもたちは、これを楽しいと思うはずです。これを一日中したいと思うはずです。それは実感できましたね。
君たちは、これを越える授業と学級を作らなければなりません。ライバルは、これです。面白くって力がつく授業。楽しくって居心地のいいクラス。それを作るのです。(wiiもしたいけど、学校の方が面白いもんな)と子どもたちが思う授業とクラスを作るのです。これがライバルです』
学生たちの楽しんだ顔が、少し引きつっていた。
◆
授業後、さらに何人かの学生と話す。
『これだと、子どもたちが「約束の1時間が来たから電源を切って」というのが、なかなかできないのが分かった?』
「はい」
『ま、ワープロを1時間書いて、セーブもしないで時間だからやめなさいと言われるようなものだからねえ』
「でも、時間を守らせるにはどうしたらいいのでしょうか?」
『1日1時間とするやり方もあるし、一週間で7時間とするやり方もあるよね。子どもに選ばせると言うのもあるよ。1時間を目安にしてセーブしやすいところで終える。その時間を記録して管理させると言う方法だね。これは勉強時間にも言えるわけ』
「なるほど」
『だから、うまく指導すれば子どもたちの時間管理の学習にも使えると思うのだよ』
もちろん、学生の勉強時間の管理に関しても言いたかったが、ま、それは蛇足なのでそれは言わない私であった。
後期も懸命に学べ。
« 「自由に使える読書感想文」 | トップページ | 「七月のクリスマス」 »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
>学生たちがあまりにも子どもたちがハマっているものを知らなすぎると言う事が分かったので、実際にやってみることにしたというのである。
母校でも同じかもしれません。
かつては、大学でミニ四駆などを廊下でしたり、
大学の先生たちとサッカーをしたりしていたのですが・・・。
遊びを学ぶ
という考えが必要なのでしょうね・・・。
投稿: ながたく | 2008/07/24 18:46
子どもは遊び「から」学ぶことが多いわけで、それは時代が変わっても変わらない。教師は子どもの遊び「を」学ぶことで、子どもや授業づくりを考えるのだと思っています。
単に遊ぶだけなら、なにも大学の授業でやる必要はない。そこから多くの可能性を発見させたいと考えています。
投稿: 池田修 | 2008/07/24 18:59