しかし、授業も熱い
ふう、暑い。京都は35度である。
しかし、授業も熱い。
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基礎ゼミで、テキストリーディングが最後を迎えた。二回目の読み込みなので、テキストから発展した扱いもしている。
今回は「男の先生のイメージと女の先生のイメージの違い」を扱ったグループがあった。なんでこんなことになったかと言えば、実践記録を読んでいるとき、てっきり男の先生の実践記録かと思っていたら、女の先生だったということがあったのだ。
それで、何がこの「男らしさ」を醸し出しているのかということで、テキストだけではなく、イメージの世界から探ってみようと言うことになったのだ。
私が今まで出会った女性の先生で、すごいなあと思う先生は、男の先生のすごさと似ている場合が多かった。二三名だけ、女の先生としてのすごさを感じさせてくれた。まだまだ社会は男社会である。だから、その社会で認められるためには、男の所作を身につける必要があるのかもしれない。
しかし、私は女の先生にしかできない指導があると思っている。その事を、この授業で考えさせたいと思った。
そしてもう一つ。男の先生であったも女性的なもの。女の先生であっても男性的なものを活用する必要性のある事も示したかった。
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もう一つのグループは、ボランティア活動について。ボランティアは、クリスチャニアのもの、儒教的なもの、仏教的なもの、国家体制的なものとさまざまな文脈から現れる。もちろん、民主的なものからも。
で、実践記録は国家体制的なものから民主的なボランティアへと、くぐり抜けて行く姿を描き出しているのだが、この読み取りは非常に難しい。それに挑戦させた後の、今日はこんなテーマであった。
「ボランティアをする側(A)と、される側(B)との関係を図示してください」
というもの。
これは面白かった。
図示すると、簡略化できる一方で切り捨てられる概念が生まれる。分かりやすさは危険であるということを考えるきっかけになったのではないかと思う。
それにしても、この「ボランティアをする側(A)と、される側(B)との関係を図示」という発想は面白く、5つのグループは全部違う図を描いていた。思わず私も参加してしまった。
ただ、一つ気になったのは、学生たちは「ボランティア」というとする側にしかたっていない感じであった。される側の経験があるはずなに、それに気がついていないということだ。ここに気がつくともっと豊かになれるなあと話す。
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昼休みにコース会議を行い、3限、4限と学生の指導。
一人は書写の指導から進路の指導へ。あれこれ話すあれこれ聞く。もう一人は、夏休みにじっくりと本を読みたいのでアドヴァイスが欲しいとの事。家本芳郎先生を紹介し、私の研究室にある本を見てみる事を勧める。その後、今やっている活動のことをあれこれ聞く。それに対して、私がしてきた事を元にしてあれこれ話す。
いま、自分が何をするべきなのかを理解して実行しようとし始めた学生たちである。夢の実現のためのガイドは、今の私の仕事である。
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