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2008/08/28

順調に視察中

現在、現地時間の朝7:46です。
順調に視察中です。
まだ午後になると時差ぼけになりますが。
なかなかデンマークは教育保育にとって刺激的です。

写真は、デンマークの市庁舎。アンデルセンの銅像のすぐそばです。

Rimg0340

2008/08/25

8/25 なんとか一つ完了

8/25

バッカスやら松尾様やらにお祈りをしながら、アイディアが降りてくるのを待っていたのだが、そのまま撃沈。朝起きて懸案の仕事をやることにした。

5時台の空気は気持ちがよい。まだ暖められていない湖上の空気が、部屋の中を通り抜ける。ベランダの植物に水をやり、深呼吸。

(ん?)

よし、一つ手がかりが出来た。これを膨らませてみよう。

なんとか一つ完了。後二つだ。ま、出国前に一つは終わらせると言うのがお約束だったので、約束は守れた。あとは、飛行機の中で考え続けよう。なにせ10時間飛び続けるのであるから。

じゃ、行ってきます。

8/24 妙に抱っこを求めてくる

8/24

いよいよ明日からデンマーク。
いくつかの心配があるものの、かなり理想的な条件で研究が出来るのでこの機会を逃すのは勿体ない。行くための準備を進める。

ではあるが、準備が捗らない。
http://4travel.jp/marche/checklist/
などを参照にあれこれするのだが、あー、面倒くさい。奥さんの全面的な協力をあおぐことになる。

準備は常になにかを忘れているのではないかと言う不安でいっぱいになる。あれこれ並べることになる。だいたいからして、私は「長男長女は荷物が多いぞ説」を主張している。私も長男なので、迷ったら持って行ってしまうタイプである。次男次女以降は、なかったら借りるということを身につけているが、長男長女は自分でなんとかしさらに弟妹に貸すということをしてきているので、荷物が多くなる。

ではあるが、今回は学科の先生たちと一緒の研究旅行である。なかったら借りることにして、荷物を減らす方向で準備をしよう。

 

それから出国前にやっておかなかければならない仕事がある。これが終わらない。あれこれ考えているのだが、アイディアものなので降りてくるまでもがくしかない。

夜は娘とお風呂に。しばらく一緒に入れないからなあ。
最近、妙に抱っこを求めてくる。
かわいーなーと素直に思う。

涼しい夜に風邪を引かないように、なんどもタオルケットをかけ直して寝かせる。

2008/08/24

デンマークに向かいます

ということで東京から帰ってきた池田は、娘の容態も安定したので、このままデンマークに向かいます。研究・視察をしてきます。8/25に関空を飛び立ちます。

この間のメールは恐らく読むことができないと思います。返事は帰国後になります。命にかかわるなど重要な、または深刻な何らかのご連絡がある場合は、大学経由で自宅に連絡が出来るかと思いますので、そちらにお願いします。

帰国は、集中講義の前日、9/2になります。
では、行ってきます。

9月から11月までの明日の教室

糸井先生のブログに紹介してもらったものを引用します。

http://susumu.exblog.jp/7410653から、引用開始 ーーーーーーーーーー

で、9月から11月までの予定が立ちましたので、報告します。
是非、ご予定に入れておいて下さい。

9月は、9月13日(土)に実施します。
内容は、雄琴にあるオーパルでカヌー体験です。琵琶湖で多いに自然を満喫しましょう。
オーパルは、京都橘大学が新入生対象に使われいることもあり・・・今回、このような体験活動を実施できる運びとなりました。

10:30 オーパル集合 開会挨拶 諸注意 着替え
11:00 カヌー体験
12:00 昼休憩
13:00 カヌーツーリング
15:30 カヌー終了 着替え
16:00 オーパルの学校活用事例紹介
16:20 閉会挨拶 解散

持ち物
・濡れても良い服(Tシャツ+短パンなど)
・濡れても良い靴(ビーチサンダルなど)
・日焼け対策(帽子・日焼け止めクリームなど)
・メガネの方はメガネバンド
・乗り物酔いする人は酔い止め薬

終了後、京都駅あたりで、懇親会を・・・と考えています。

10月は、10月4日(土)に実施します。
講師は、コンテンポラリーダンスカンパニー、セレノグラフィカのお二人です。
セレノグラフィカ公式サイト  
実際にダンスワークショップを体験し、ダンスと教育について考える場に、と思っています。

11月は、11月15日(土)に実施します。
講師は、昨年もお世話になった野中信行先生です。
野中先生を中心に、池田先生と私の三人で、教育の今を考える場になれば、と思います。

引用終了 ーーーーーーーーーー

月に一回、こうしてできるのはありがたいことです。
みなさん、お待ちしております。

8/23 よく頑張ったね

8/23

まだ暗いうちからあれこれ準備を始める。両家の両親や親戚から頂いたものでMINIは、これでもかと言うくらいに一杯。しかし、思ったよりも乗るもんだ。

中央道は相模湖を先頭に渋滞。八月末の週末。遊び足りないみなさんが出かけるのでしょう。ただ、今日は涼しいのでさほど渋滞もせずラッキー。これを抜ければあとは快適。

当たり前であるが、赤ちゃんの食事と私たちの食事は内容もタイミングも違う。だから、大人だけで動く場合の1.3~1.5倍の時間を想定して動かないとうまくいかない。順番に食事をして、食事を与えて、トイレやら何やら。これが親と言う事である。

そのまま中央道でも良かったのだが、奥さんの父親からの強い勧めで伊勢湾岸道から新名神高速道路を通るルートを選択する。距離は20キロほど伸びるのだが、基本的に三車線で、新しい道。走りやすい。気がついたら名神の草津ジャンクションであった。東京から480キロのドライブであった。

家に帰り、入院を前提にして娘を病院に連れて行く準備をする。旅行のためのあれこれが役に立つ。

ところが、幸いな事に入院はなし。ありがたい。
大きな病院なのに、娘の名前を覚えてくれている。電話で対応してくれて、急患に応じて頂いて、適切な処置をしてくださる。本当にありがたい。

本当は、今晩は全国教室ディベート連盟の近畿支部の集まりがあったのだが、さすがに伺う事は出来なかった。

長旅と病院で興奮している娘は、やたらと私に抱っこを求める。私は許す限り抱っこをしてあげた。よく頑張ったね。もちろん、奥さんもありがとうだ。

8/22 吉例により一升餅を

8/22

晴れていたら午前中にプールに行こうと思ったのだが、昨日の雷雨が運んできたのか今日は非常に涼しい。ただひたすら泳ぐのであればこれはいい天気であるが、私はプールサイドで読書6、泳ぎ2、昼寝2のペースでやりたいので、残念ながらキャンセル。せっかく滋賀から水着を持ってきたのだが、残念。

今回の帰省では、市民プールで泳ぐのと、釣りを楽しみにしていたが、まあ、一人での帰省ではないので、無理ならば諦める。

昼から娘の一歳のお誕生日の会をすることになり、奥さんと義父義母が準備をしてくれているので、私は娘の子守り。だっこして散歩。車が通り過ぎるのを見せに行く。

娘はバイバイのようなものを車に向かってする。形はバイバイなのだが、意味はバイバイではないように見える。車が来た事に喜んで手を振っているだけである。それが通常の文脈で見ると、バイバイに見えるのである。

しかし、これに「バイバイ」の意味を周りから付加される事で、いわゆるバイバイになっていくのであろう。

昼過ぎに、聖蹟桜ヶ丘に両家の両親が集まり、一歳の誕生日会が行われた。和食のお店で行ったので、和室で娘は動き回る。薄味の味付けだったので、出てきた料理を食べさせる。お気に入りは、里芋の煮物である。なんだかすごく食べていた。

食事後は、場所を変えてケーキでお祝い。もちろん、吉例により一升餅を背負わせて歩かせることもさせた。ありがたいことだ。みんなが笑っている。いや、背負わされている娘は泣いていたかもf(^^;。

ケーキは、高幡不動にあるFUJIUさんのフレジェ。私たちはここのケーキで結婚式のウエディングケーキを作ってもらった。娘の一歳の誕生日に、同じFUJIUさんのケーキで祝えるのは、うれしいものだ。娘には、スポンジケーキの部分を食べさせた。しかし、娘よ、人生最初のケーキがFUJIUさんというのは、いきなりハードルが高いなあ。これからが大変だぞf(^^;。

夜。

娘の様子に変化。
あれこれ連絡を取り、いろいろ考えて、明日一緒に滋賀に帰る事を考える。

8/21 樋口可南子さんのように

8/21

昼過ぎに実家を出る。
おじいちゃんも、念願の抱っこが出来て満足である。

「修、気をつけて帰るんだぞ」
と言いながらMINIのフロントガラスを水拭きしてくれる父であった。

昨日食べ損ねた聖蹟桜ヶ丘のなじみの見せに行ってランチ。ちょっと時間をずらして行ったので、お客さんも少なく、娘が多少暴れても大丈夫。

だが、たばこの匂いがした瞬間だろうか、暴れた。そう、いい店なのだが、ランチのときぐらいは禁煙にしてくれたらなあと思う。

今回の帰省の目的の一つは、娘の散髪である。なんというか、娘は髪がかなりふさふさで生まれた。そして、いまはものすごいことになっている。パッチンで止めておくと自分で外してしまうので、ゴムで結わいて止めておいた。いわゆるバカ殿状態であった。

さっさと切ればいいのだろうが、最初の散髪であるからして大事にしたい。奥さんが贔屓にしている美容院で切ってもらうのがいいのではないかと思い、ここまで待った。ちなみに、この美容院は、古武道の甲野善紀さんがお気に入りの美容師さんが経営している店の二軒目である。

最初に切った髪の毛は向きを揃えて大事に保存。これで筆を作ってあげるのだ。字の上手な娘に育ってほしいという願いを込めたいと思う。

ちなみに娘は、思い切り紙を切ったので、樋口可南子さんのようになってしまった。ボーイッシュな中に女性らしさという髪型である。もちろん、今の私の髪型にもそっくりなので、息子が出来たような感じでもあるf(^^;。

しかしどうでもいいが、改めて樋口可南子さんを確認してみると、エドはるみに似ているなあ。

短い時間の帰省なので、あれもこれもしたいのが時間がない。プールにも行きたいし、釣りにも行きたい。さらに自分の脳みその一部になっている本屋にも行きたい。が、なかなか。やっとのことで一時期は我が家の冷蔵庫になっていた酒屋さん、小山商店に行く事は出来た。

ここでは、いろいろなお酒を紹介してもらっていた。値段が高くて美味しいのは当たり前。ここでは、安くてうまい酒を用意してくださる。しかも、自分の好みや今晩の料理等を言うとそれにあったお酒を用意してくださる。私にとっては、ソムリエ付きの日本酒冷蔵庫であったのだ。

ここで出会ったお酒は色々あるが、「美田鶴」は格別であった。
(一升瓶で2000円前後で、この味を出すのか!)
と唸った酒である。

この酒の上級グレード「鳳凰美田」は、実は京都でも飲めるようになった。どぁあああああああああああああああああああああああScっっっっっっっっっっっっっっっっdst55x222222222あq(^^)。2qCCT3ええR5STっっっっっっっっっっっっっっCVX

っと娘の乱入である。
話を戻す。
この鳳凰美田を作っているのは、栃木の小林酒造である。小山商店のご主人も話されていたが、丁寧にまじめにお酒を造っている蔵という感じである。このお酒に出会ってもうすでに10年近くになるが、こうして広まって行くのはうれしい限りである。

夕方から雷雨。かなり近くに落ちている。すると、娘は初めて雷を怖がっている。それまでは琵琶湖花火であろうが、琵琶湖の上で飛び交う雷であろうがなんでもないって顔で見ていた。

が、ここに来て雷の音を怖いと感じ始めている。をを、成長である。

夜はオリンピックソフトボール女子の試合に釘付けであった。私が見ていると負ける事が多い日本のスポーツであるが、この試合は勝った。日本にとっては実にいい展開で、いい結果であった。

そして、試合後

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である。ノーサイドとなったメンバーで、もういちどオリンピックでソフトボールをやろうよと2016とロンドンの次の復活を祈念しての記念写真である。

こういうのは、単純にいいなあと思う。

8/20 トーナメントプロとしての大学人

8/20

娘もずいぶん奥さんの実家に慣れてきた。多摩の夏も味わわせることができて、父としては、うれしい限りである。

朝から集中講義の準備である。これが終われば、デンマークの準備に入れる。いやまて、もう一つやっておく仕事があった。ガハハさん、忘れていませんよf(^^;。

本来なら、いま土作先生が本学でされている小学校特別活動論の集中講義にも参加したいなあと思っていたのだが、スケジュールの関係でどうしても伺えなかった。

やっぱり、ここからここまではオフ!というようにして、マックもつながないとする夏休みにしないとダメだなあとこのごろは思う。

なんとか集中講義の準備を終えて、聖蹟桜ヶ丘に向かう。行きつけのお店があるので、そこで食事をしようと思ったのだ。しかし、残念ながらお盆休み。明日からとのこと。

デパートで食事後、藤野保先生のお宅に伺う。聖蹟桜ヶ丘のマンションで同じ時期に理事会の役員をされていて、そのご縁でかわいがってくださった歴史学の泰斗の先生である。
「本が出来上がったら持ってらっしゃい」
と言われてはや、うん年。『中等教育におけるディベートの研究』がやっとまとまったので、ご指導を受けに伺ったわけである。

「うん、なかなか丁寧にあちこちを調べて書かれているではありませんか」
とのお言葉を頂いた。読んできた論文、書かれてきた論文の数は数知れず。先生のご専門とは全く違うが、論文の格というか、構えと言うかそういうのは、きちんと見て頂ける。その先生に及第点を頂いたのは、何よりであった。ほっ。

その後、研究者としてのこれからの生き方についてあれこれと教えを受ける。レッスンプロではなく、トーナメントプロとしての大学人のあり方についてである。勉強になった。ありがたいことである。

夜は、私の実家に泊まる。
娘は、5〜10分ぐらいすれば人見知りはなくなるのだが、おじいちゃんはそれが待てない。すぐに抱っこしようとして泣かれる。気持ちは分かるが、まあ泣かれる。私もやがて、こうなるのだろうなあと遥か先の事を思う。

女子ソフトボールの準決勝の結果を聞いて、盛り上がって寝る。

8/19 多摩地区まで足を伸ばす

8/19

東京に来る事はあっても、多摩地区まで足を伸ばす事はほとんどなかったので、私のふるさと多摩地区をあれこれ。

まず、エプソンの修理工場に出向き、持参したプリンターを修理に出す。持参だと1000円引きで、なおかつ自宅まで無料で郵送してくれる。ありがたい。

その後、南平にある八王子ラーメンの店に出かける。「きがら」を食べたいところだが、ネットで検索してもまだ「復活」の情報は、ない。ああ、復活してくれ。ではあるが、ここの八王子ラーメンも結構うまい。

さらに府中まで出かけ、眼鏡のレンズを交換する。コーティングの膜が傷ついていて、見にくくなっていたのを交換した。いやあ、とたんに見えるようになった。レンズも安くなった事だし、年に一回は交換だなと思う。

食堂の椅子に座り、奥さんが駐車券の処理をしてもらうのを待っていたら、横のテーブルの家族に声をかけられる。愛想を振りまく娘。頭を下げる私。娘はテーブルの上をくるりと回り、反対側のおばあさん二人にも愛想を振りまく。頭を下げる私。物怖じしないなあ。

そのまま、授業づくりネットワーク事務局長の佐内さんお宅に遊びに行く。前から約束していたことだ。実は奥さんの実家からすぐのところに住まいされている。彼とは非常に面白い縁がある。私は、塾時代の教え子とはまだ一緒に酒を飲む中だが、その教え子の中学校時代の同級生と言う事が分かったときにはとても驚いた。

通常、奥さんの実家に来たら、奥さんの友人の家に遊びに行くものだろうが、奥さんの実家に来て私の友人の家に遊びに行くと言うのは、面白いなあと思う。

そこであれこれ子育ての話をしたり、杉並区の教育の話をしたり、ちょっとびっくりする事件の話を聞いたり、楽しく時間を過ごした。今度は、公園で娘たちを一緒に遊ばせたいねえ。

夜は、八王子まで出かける。これも前から約束していたもの。昔の仲間たちと飲む。いやあ面白い実践があれこれ。他に、どうやって問題を切り抜けるかなどアイディアを出し合う。

二件目は、ウイスキーの専門の店に行く。マッカランとは真逆のウイスキーを飲んでみようと思ってあれこれ頼む。アイランド系のものだ。うーむ、すごい。この世界にハマろうとは思わないが、ゆったりとした時間が得られるならこれもありだなと思った。

8/18 涼しい夜風が吹き抜ける日野

8/18

昼前に大津インターから名神高速道路に乗る。
今日から木曜日まで東京に帰るのである。

高速を走るMINI-cooperSの燃費はいい。クーラーをかけて荷物を目一杯積んで三人のっても15km/l走ってしまう。うまく調整すると20km/lということもあった。

快適に運転をしていたのであるが、岡谷ジャンクションあたりで通行止め。事故である。こんなの初めて。30分ぐらい動かず。解除後、事故現場を通ったのだが、跡形もなく片付いている。しかし、見通しの良い直線でどうして二台の車が接触する事故になるのだかわからない。居眠り運転だろうか。

その後、例の小仏トンネルを先頭にしての交通集中による渋滞。ここは坂道を上りつつ右に曲がるとトンネルということで、構造的にスピードが落ちるのであろう。そこから渋滞が始まる。なんとかならんかね。いつも渋滞である。

480km を走り抜けて、まずは奥さんの実家に到着。
娘は、車が好きなので特にぐずる事もなく寝たり笑ったり静かにしたまま到着。
車酔いと言うのは、いつごろから生まれるのであろうか。

娘に撮っては半年ぶりの奥さんの実家。5分もすればすぐに慣れるという生来のキャラクターの故、泣く事もなし。ただ、おじいちゃんはちょっとぐずる。女性陣は問題ないのにねえ。

ではあるが、さすがにいつもと違う景色。まだ、動ける範囲が狭い。必ず私たちが見えるところとなっている。分かりやすい。

涼しい夜風が吹き抜ける日野。
気持ちよく爆睡であった。

8/17 明日から帰省する

8/17

娘は、リモコンが好きである。テレビ、wii、蛍光灯と見つけるたびに触っている。テレビはまあ、そんなに問題はない。wiiはいつの間にかマリオカートで「せかいのだれかとあそぶ」を選んでしまい、対戦直前で私が取り上げてレースを開始ということもあった。

一番困るのは、蛍光灯だ。ボタンを押すたびに部屋の明かりが段階的に変わる。それで遊ばれてしまうと、大変である。

おっと、マックのキーボードを触りにきた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

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引用終了 ーーーーーーーーーー

何を言いたいのであろうかf(^^;。

明日から帰省するので、その準備に午後はあれこれ。京都滋賀はお土産が豊富なので、選ぶ方も楽しいのだが、今回は琵琶湖産の小魚の佃煮とあられなどを用意した。

昼寝が日常になってきているので、買い物の後寝てしまう。そして、奥さんの
「満月よ!」
と言う声で起きる。

琵琶湖の向こう側に、赤い月が昇ってきた。今日は瀬田川の唐橋あたりで花火大会がある。ホテルの花火もある。

風呂上がり、娘を抱っこして夕涼みをしながら満月を鑑賞し、花火を見る。一年前は、こんなことを想像することもできなかったなあ。

2008/08/16

五山の送り火

平清盛は、熱を出したとき水風呂に浸したら沸騰してしまったと言う逸話が残っている。そこまでではないが、今日の私は水風呂に入っても大丈夫なぐらいの体中の熱である。なんのことはない、昨日の琵琶湖での日焼けだ。い、痛い。

ではあるが、年に一回この日焼けのひりひり感を味わう事が夏だなあと思う。アホだなと思いつつ、来年も日を浴びるのだろうなあ。

           ◆

 昼寝の子起きしにあらず裏返る
                三村純也

先日東京で泊まったホテルで朝刊で読んだ毎日新聞にあった俳句だ。なんともその通りだなあと思う。

娘のお昼ねに付き合って寝転がる。娘が寝るのを確認してこちらもちょっと寝ようとするのだが、ちょっとにならない。結構寝てしまう。で、時々目覚めては、お腹に布団をかけてあげるのだが、まさにこの通りである。ではあるが、結局ぐっすりである。

気がつくと、私よりも早く目覚めた娘が私の顔の前で、笑っている。枕の下に隠しておいた眼鏡を取り出して遊んでいる。そして、私の顔を引っ張って喜んでいる。

痛いのにうれしいとは、親ばかも極まれりである。

           ◆

夜の七時過ぎに家を出る。比叡山を越えて京都市内に入る。今日は、五山の送り火である。奥さんの夢であった五山の送り火を見に行こうと言うことになったのだ。去年の今頃は、奥さんは実家に戻り出産の準備に入っていたので、見る事は出来なかった。

自宅から30分ほど走らせたところで、すでに見物の準備をしている人たちに出くわす。送り火の大文字は、実を言えば我が家の裏山の向こう側である。
(へ? こんなところから見られるの?)
ということで、目的の鴨川はやめて近くに車を停める。

30分ほど点火を待つ。花火大会とは違った、始まりへの緊張感がある。

           ◆

20時ちょうどに点火された。特に歓声が起きるでも、拍手が起きるでもない。みんなじっと見つめている。中にはカメラを向けている人たちもいるが、遠慮しながらという感じである。

15分程度見つめて、三人で写真を撮って、京都の夏を味わう。
もちろん、私たちの人生と娘の人生を授けてくれたご両家のご先祖様に、ありがとうございますという思いは伝えた。

しみじみ日本の夏である。

Okuribi

その深みに体を浸し

昼前から昨日の場所へ敗者復活戦として出かける。今日は天候が安定しており、比良山からパラグライダーが何機もテイクオフしては、琵琶湖湖畔に降りてくる。

琵琶湖は東京にいたときは、結構汚れていると思っていた。しかし、実際に来てみて湖西の北の方に行ってみるととんでもなく、美しい。

比良山系からの奇麗な水。そして、珊瑚から出来た砂などがある。なんで珊瑚からの砂なのかといえば、琵琶湖は世界で三番目に古い湖で、太平洋の珊瑚礁がマントルに乗って日本までやってきた、その名残があるのである。だからとても美しい。

Waterbiwako

琵琶湖のぐるりの半分は東名高速道路があるので、高速を使えばいいが、実はそれでも一周するには車で6時間程度かかる。高速道路を使って京都から東京まで着いてしまう時間である。

琵琶湖は琵琶湖大橋から南を南湖、北を北湖という。あの鳥人間コンテストで越えては行けない橋が琵琶湖大橋である。南湖の平均水深は4mで、北湖は43m。一番深いところで100mを越える。だから南湖を遊覧するミシガンという遊覧船は、沈没しても、客室は沈まないという笑い話もあるぐらいである。

北湖それもとても水深が深い。それも北湖は、波打ち際から、急に深くなる事で有名である。

娘を抱っこして、琵琶湖に足から触れさせる。すると、大概の事では動じない娘が泣く。波に驚くのか、その深みに隠れた時間の流れに慄くのか。

その深みに体を浸し、戦争が終わったこの日をあれこれ思う。

なすとトマトのパスタにしよう

8/14

気がついたら10時を過ぎていた。
いやあ、よく寝た。

寝る事にも体力が必要だと感じている。だから、ぐっすりと寝るには適度な疲れとしっかりとした基礎体力が必要なのだが、昨晩はこれが見事に重なったのかもしれない。10時間ぐらい寝ていたからなあ。夏休みである。

昼過ぎに出かけようと思っていたのだが、11時頃に雷鳴。玄関から比叡山の方角を見ると、暗雲立ちこめているではないですか。

(あーあ。今日はなし)

と思って昼ご飯を作り始める。今日は久しぶりに私がパスタを作る。冷蔵庫をあれこれ確認する。決めた。なすとトマトのパスタにしよう。

1)ニンニクをオリーブオイルで炒める。
2)適度に切った茄子を炒める。
3)しめじも炒める。
4)トマトの水煮缶を入れて煮る。唐辛子は二本入れる。
5)ゆでたパスタにソースをかける。
6)みじん切りにして水にさらしておいたタマネギを振りかける。
7)もちろん、塩こしょうはお好みで。

うまい。

その後、娘とお風呂。
ま、水遊びだ。

三時頃になっても天気が崩れないので、出かける事に。琵琶湖の北の方の美しい浜に行って夕涼みをしようと。

ところが、現地に着く間際で雨が降り出す。それでも琵琶湖まで行ったのだが、ちょっと触っておしまいであった。誰だ雨男雨女はf(^^;。

自宅に戻って本日二回目の娘とのお風呂。
夏休みである。

2008/08/14

夏雲あがれ

8/13

娘の寝返りの動きで目覚める。踵が顔にヒットする。
ふう。
家に帰ってきたなあ。

私は布団が変わると寝られないということは、ない。まあどこでも寝られる。畳の上だって、フローリングの上だって寝られる。ではあるが、いつものベッドで娘の寝返りを感じながら寝るのは、やはりいい。

娘の用事にあれこれ一日付き合う。

昨日帰ってきた時、とてもうれしそうな顔をしたと思ったら、その後警戒の顔。ま、しばらくそうかなと思っていたら、今朝はもう大丈夫。

抱っこして、娘の何を言っているのか分からないが、私に向かって話しかけてくる言葉に、
「そーだねー」
と相づちを打つ。

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リビングに転がり、琵琶湖の上に広がる夏雲を鑑賞し、
(ああ、『夏雲あがれ』を読み直したいあ)
と思ったりしながら過ごす。

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その寝転がった私の体の上を娘がよじ上りながら過ぎて行く。

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久しぶりに娘と一緒にお風呂に入り、近くのホテルの打ち上げる花火をテラスで鑑賞し、ツアーの疲れを解す。奥さんに感謝。ありがたいことだ。

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ゆったりの一日であった。

8/12 2008 授業づくりネットワークin仙台

8/12

朝6:36に神田駅から東京駅に向かう。今日は仙台で行われる「2008 授業づくりネットワークin仙台」で、10時から講座があるのだ。

昨日神田の駅に着いた瞬間に、翌日の朝の東北新幹線を予約した。
「お客さん、最後の一枚ですね」
ぬあんと! 危ない危ない。

12時近くにホテルに入り、朝の5時半に起きて風呂に入ったため、タイマーをセットして新幹線ではすぐにお休み。

目が覚めるとあと少しで仙台。いやあ、早いねえ。90分ちょっとで到着ですか。

会場の東北福祉大学は、仙台から仙山線で数駅。駅の名前は「東北福祉大学前駅」である。本当に駅前に大学があった。中に入るとここはアネックスで、駅から10分程度歩くと分かったのだが、まあ、近い。それにしてもJRの駅を新しく作ってしまうなんてすごいなあ。

会場では久しぶりに会う仲間たちと会話をしながら、講座の準備。そこでちょっとピンチ。資料が違っているのだ。PDFで送ったのに、表が消えてテキストベースになっている。さらに、テキストが印刷されていない。慌てて依頼する。

ああ、昨日最後の一枚の席を取れて良かった。もう1本後だったら、本当にギリギリだったろうなあ。

今回の講座は、【「言語力」を鍛える授業の工夫(中学校)】ということである。

言語力育成に関する整理用一覧表や、国語科の指導領域概念図 、さらには学習指導要領などを参考にして、言語力を定義した後、授業レベルの話、特徴的な「たほいや」の実習などをしながら2時間行う。講座の振り返りは石川晋さんとの対話。

本当はたほいやを2試合行いたかったが、まあ、2時間のこの講座ではこれが限界。ただ、感想を拝見すると提案は伝わったようだった。「楽しくて、力がつく」授業をめざす。国語を実技教科にする。これが今の私のスタンスだ。

今回のネットワーク集会で、あちらこちらで言われた事。

1)「きときとさんに会いましたよ」
2)「伝える極意、拝見していますよ」
3)「先生、いい声していますね」
4)「お久しぶりです」
5)「あれ? おひげはどうしたのですか?」

1)教え子のきときと君が、あちらこちらの研究会に参加していて、そこで彼女にご指導をしてくださった先生たちが、私に話してくれたのである。学び続ける教え子の話を聞くのは、素直にうれしいものだ。

2)本当にあちこちで言われた。「DVDに落として保存してあります!」「サインして下さい!」。うーん、NHK教育テレビ恐るべしである。後1本の収録があるが、さらに心してやらねばなあ。

3)たぶん、疲れであろう。疲れているので、声を張り上げずに体の響きで声を出そうとしていたので、却っていい声と聞こえたのかもしれない。災い転じて福となすである。

4)10年ぐらい前に研究会で一緒だった方などからも、多く声をかけていただいた。みんな同じように年を取っているので、安心したf(^^;。

5)もう、3年以上ひげを蓄えていないのだが、嘗ての印象が相当あるのだろうなあと思った。

午後は、お笑い教育講座と北川達夫さんの講演。

お笑い教育講座は、お笑い教育連盟の4人の重鎮が一人15分と言う時間の設定で模擬授業を行うというきわめて贅沢な内容であった。特に、土作先生、赤坂先生はこの一週間日本を飛び回っていると言うのに、あのエネルギーは何だと思わせる内容であった。

ただ、ひょっとすると会場にいた若い先生や、学生のみなさんには、只すごいというだけで終わってしまったかもしれないなと思った。ここでは何を目的にしてどういうことが行われていたのかという振り返りや解説が、最後にあれば良かったのではないかとも思った。

北川さんの内容は「明日の教室」でお話しいただいた事とほとんど同じ。私にとってはラッキー。このいい内容を一回で理解しきれるとは思っていない。繰り返し聞く事で理解が深まると思っていたからだ。ただ決定的に違うのは、明日の教室でしていただいた、教材づくりのワークがなかった事。限られた時間では、あのワークは出来なかったのだと思う。

理論を具体的な授業のレベルにまで落とし込むことを、授業づくりネットワークの講座で私は心がけている。そういう研究団体だと思っている。あと30分時間があればなあと思った。

同じ講義を二回聞いて、理解が深まったところもあれば、よくわかっていなかったところの発見もありで、あと一回は聞きたいなあと思う私であった。

大会後、宿泊をしようかどうかと悩んだが、仙台駅で食事をしてもなんとか大津まで新幹線の乗り継ぎで帰れる事が分かったので、帰る事に決定。東北福祉大学前駅で新幹線の指定をすると、
「あ〜、あと3枚でしたね」
と言われる。

なんとラッキーな事よ。ラッキー池田である。

仙台駅前では、NAKOP先生にご案内いただいて、牛舌の美味しいお店に行く。北川さん、赤坂さんとも一緒。ゆでタン、牛タンの刺身、スモーク牛タンなどを楽しみつつビールと、食事。新幹線が出るまでの一時間であったが、堪能させていただきました。ありがとうございました。

新幹線の中では、ブログを書き続ける。新幹線に乗る前に、おつまみと仙台の地酒を買ったのだが、それに手もつけずに、ただひたすら書き続けた。実にいろいろな事のあった一週間であった。書くとは、自らの歴史を綴る事であるとユネスコの学習権宣言では述べられているが、なるほどそうだなあと改めて思う。

新横浜駅に着く時ちょっと空を見上げたら、月だ。月齢で言えば12ぐらいの月だ。芭蕉の連句集、俳諧七部集の内の一つである『猿蓑』にある

「市中は物の匂いや夏の月」凡兆

なんて句をちょっと思い出す。

そして、
(朝の6:36に神田を出て仙台。そして、夜の22:51には、京都を出て大津京に向かうか)
と思う。なんて移動距離なのだと思う。芭蕉の『奥の細道』の移動距離を一日でやってしまったかのような感じだなあ。

私の2008年の夏、前半はおかげさまで充実して過ぎようとしている。北京オリンピックや野球の甲子園などで世間は盛り上がっているのだろうが、私にはそれはほとんど関係のないこととなっている。

北京オリンピックや野球の甲子園より、面白くて大切な事が私の周りにたくさんあると言う事でもあろう。これは、実にありがたいことである。

さ、久しぶりに会う娘はお父さんの事を覚えているかなf(^^;。

2008/08/13

8/11 三日目 人間的成長

8/11

ジャッジは9時に集合。スタッフは8時半に集合だから、ありがたい。

今晩は今日までとは違うホテルに泊まるので、荷物をゴロゴロ引きずりながら白山の坂道を上る。今日で今年のディベート甲子園も終わりかと思うと、切ない。

到着と同時に、本日のジャッジの分担が発表される。ディベート甲子園では、なんとか審判による判定の偏りがなくなるように、あれこれ工夫されている。それは、

1)ジャッジは、自分の所属している支部の学校の試合は、判定しない。
2)ジャッジは、一度試合を見た学校の、同じサイドの試合は、判定しない。

という基本原則がある。

この基本原則に則って、ジャッジを配置するのが試合運営委員である。1)2)の原則を元に行うのであるが、対戦している学校の勝ち進み具合によって、ジャッジができたりできなかったりするので、予定通りには行かない。だから、試合直前にならないとジャッジが最終決定しない。

この仕事を今ではディベート甲子園OBの社会人がやってくれている。しかも、エクセルのマクロで半自動化して組めるようにしてある。後生恐るべしである。

私は、中学校準決勝の主審となっていた。
この試合のどちかが勝って決勝に進出なわけで、ということはほとんど決勝の審判はない。今シーズンのディベート甲子園の最後のジャッジとなると思った。

実は、この大会で主審ジャッジを務めることになったら、すべての試合で言おうと大会前から決めていたことがあった。そして、今回の大会で主審を務めた時すべて言ってきた。それをこの試合では、十分な必要の下に言うことになった。

この試合の一部の質疑の部分で、コミュニケーションに関してディベートととしてよろしくないやりとりが行われた。この部分について
(きちんと言わなければなあ)
と思っていたところ、試合後一緒に判定をした多くのジャッジからも、あれは良くなかったという指摘を受けた。

私はしっかりとコメントしようと決めた。

『肯定側否定側のディベーターのみなさん、ご苦労様でした。この試合に勝ったチームが決勝に進出します。そういう意味で、ジャッジたちは君たちに強く注意をしなければならないことがあります。ジャッジは悲しい思いでいます』

とコメントを始めた。それは、細かい言葉の揚げ足取りになってしまっているような質疑が見られ、お互いを尊重して議論を通して一つの高見に上ろうとする姿が見えにくくなっていたことについてであった。

『ディベートは、相手がいなければ成立しません。相手が自分たちの議論を検証してくれる事で、その検証の結果をジャッジに伝える事で成立します。相手を直接否定する事、揚げ足を取る事で成立するものではありません。相手のおかげでディベートが成立するのだと言う事を肝に銘じるべきであります』

その後、判定の理由を述べコミュニケーション点を告げたあと、判定の前に言うと決めていたその言葉を述べた。

『私たちジャッジは、ディベートのこの論題を通して、大会の一つ一つの試合を通して、君たちが人間的成長を遂げる事を願ってジャッジをしています。勝ち負けの向こう側、いや勝ち負けの土台として、ディベートから君たちが人間的な成長を遂げることを心から願っています』

私たちは、生徒たちにディベートを通して、まさにこの人間的な成長を期待しているのである。ディベートは勝ったり負けたりする。それは、ディベートがゲームである限り当然である。しかし、これはプロの仕事とは違う。教育の文脈で行っている活動である。だから、人間的な成長を求めているのである。それをしつこく生徒に伝えようと思い、今年はこの言葉をすべての試合で言おうと思ったのだ。

(あ、また池田ジャッジは同じ事を言っている)

と思われる事が大事だと思ったのだ。そのぐらい記憶に残るぐらい話して、ちょうどいいのではないかと思ったのだ。

試合後、会場で見ていた多くのジャッジに声をかけていただいた。

「池田さん、ありがとう。よくあれだけキチンと言ってくださった。全く同感です」

言って良かった。試合を判定するジャッジも、試合を見ていたジャッジも、ジャッジの思いはみな同じだ。

中学校の決勝があり、高校のベスト6に進出して決勝に出られなかった学校によって行われた即興ディベートがあり、高校の決勝がありと大会最終日は、切なく愛しい時間が過ぎて行った。

ここに至るまでのディベーター、チームの仲間の準備、顧問の先生の指導、親ごさんたちの協力などなどを考えると、実に気の遠くなるような時間と内容を容易に想像することができる。その一つのゴールがここである。さまざまな思いがここに凝縮されている。これが一つずつ終わる。愛しく切ない時間であった。

試合後、歌人で元東洋大学の学長先生が、若者の感性と言葉に関する講演をしてくださった。これが良かった。東洋大学では20年前から若者の百人一首を決めている。毎年百首決めるのだが、今は6万通もの応募があるとのこと。その歌集の20年分の短歌から選りすぐりの歌について、解説をしてくださったのだ。

私も10年ぐらい前に、この歌集の存在は知っていていくつかの作品は読んでいたのだが、こうして主催している大学で、和歌の専門家の先生に解説を受けることができるとは思わなかった。

そして、これが実にいい講演であった。淡々と作品を紹介し、
「この作品は、ここを味わいたいと思います」
「この作品に、○○を読み取りたいと思います」
「ということで、この作品は三重丸なのであります」
とコメントを入れて行かれるのだが、作品の良さと相俟ってなんとも胸に響いてくる。

講演の後、イクトスさんと話したのだが、
「よかったよねえ」
と話しつつ、お互いに泣いてしまった事を暴露し合った。ああ、おじさんになっているなあ。同級生はいいわf(^^;。

その先生が質問に答える形で示されていた、いい短歌の作品を作る方法である。

1)一つの気に入った歌集を暗記するまで読み込む。
2)一つでも多くの作品を作る。
3)作った作品は、5年以上作品を作っている先達に批評を受ける。

うーん、多くの物に当てはまるなあと思う。ディベートだってその通りだ。いやあ、実にいいお話であった。

お話の後、高校の部の決勝の講評と判定があった。岳南亭さんだ。大役を見事に務められていた。その後に表彰式や個人賞の発表、主催者からの挨拶、理事会、会場の片付けなどなどが続き、大会は幕を閉じて行くのであった。

理事の退任や新しい理事の専任などスタッフの交代もあった。私も一つの役職を引き受けることになりそうだ。ディベート甲子園、また、来年だ。

私は今日の宿の神田に荷物を置きに行くために、一足先に大学を後にした。

「人間的な成長」についてもう少し語っておきたい。大会終了後のお疲れさまの会でスタッフに話した事だ。

私がこの大会ですべての試合で言う事を決めていたという話をした後に、なんで「人間的な成長」なのかといことについても話をした。

ディベート甲子園は、今年で13回目を向かえた。そのスタート前のことである。私たちには田畑寿一という仲間がいた。神奈川の中学校の社会科の教師で、ディベートがまだストックイッシュー方式を採用していたときに、反駁で議論を噛み合わせるための工夫として「反駁シート」というものを開発した仲間である。

その彼は、これからいよいよディベート甲子園が始まるという直前に、急逝された。私たちは我が耳を疑いながら、告別式に駆けつけた。田畑先生が担任をされていた生徒たちは泣き崩れ、それはとても悲しい時間であった。

その後、クリスチャンであった彼の人となりを教会の司祭が語られた。

「田畑先生は、お祈りのときにいつも三つの事を祈っていらっしゃいました。家族の健康、世界の平和。そして、生徒たちの人間的な成長です」

私は、この言葉を強く心に刻んだのだった。

ディベート甲子園が勝利至上主義のような傾向が見られるようになっていくのを、私たちジャッジは悲しい思いで見ている。

そうじゃないと強く言いたい。ディベートを通して生徒たちが育つことをめざしているのだと言いたい。そのとき、強く言うための言葉を、私はこの数ヶ月探していた。そして思い出したのが、田畑さんの「生徒たちの人間的な成長」であった。

今のディベート甲子園のメンバーは、田畑先生のような方がいた事を知る由もない。しかし、彼がいなければ私たちのディベートに関する研究は進まなかったし、今日のディベート甲子園は存在しなかったであろうと私は思っている。そんな先生が大切にしていた言葉を、今のディベート甲子園に参加している生徒たちに、田畑先生の代わりに伝えることは、いまディベート甲子園に関わっているあのときからのメンバーの責任ではないかと、私は思うようになってきている。

さすがに一つ一つの試合の判定のときに、田畑先生のことを語る時間はない。だから、せめてジャッジやスタッフたちには知っておいてほしいと思い、ご苦労さまの会では言っておこうと思って、このことを語った。

(寿一さん、ごめん。13年も掛かっちまったぜ。でもやっと伝えたよ)

そんな思いだった。

大会に関わり、このご苦労様の会に参加した一人一人が、大会に関する思いを語り、このご苦労様の会に来たくても来れずに帰ったメンバーのことを語り、感謝し合って、ご苦労様の会は終わった。

大学生になったディベート甲子園OBOGたちは、少ない小遣いを捻出して遠くから会場に駆けつけてくれている。社会人になったディベート甲子園OBOGたちは、少ない夏休みをこの大会の運営に使ってくれている。

スポンサー、大会関係者、協力してくださるさまざまな方たちのおかげで、こうして今年もディベート甲子園は終わる事ができた。

また、来年だ。

8/10 初日 二日目

8/10

初日のジャッジは中学校の一試合のみだった。
さあ、始まるぞという心地よい緊張感に満ちた試合だった。
主審を務める。

試合後、各地の関係者、スタッフたちと懇親会。ビックサイトのときは、デックス東京。神田外語大学のときはニュー東京となんとなく集まる場所が決まっていたが、東洋大学に移っても水道橋の某所と、集合場所が決まりつつある。

水道橋のお店に、何となく流れて行く。そして、そこから後から合流するスタッフにも連絡する。なんだかんだ言って30人ぐらいは集まったかな。

ディベート甲子園も第十三回になれば、ディベート甲子園卒業生たちも立派に成長する。大会運営スタッフだったり、ジャッジだったりあれこれしている。

学校教育現場以外で教育活動に携わることは、それなりに負担だったりするが、こうしてここでも彼ら彼女らの成長の跡を見ることができるのは、本当にうれしい。

中には父親が私と同じ年というような大学生もいたりするので、複雑な思いもするが、やはり、うれしい。彼らがこの全国教室ディベート連盟を支えて大いに活躍することができる環境を、もう一度整備したいなと思う。

この食事の時間に電話が鳴る。
嘗ての瑞雲中学校時代の教え子からの電話だ。
進路の相談について。
『そりゃあ、やるのがいいだろ』
と前向きに進む事を話す。

実は昼間も、瑞雲中学校時代の教え子が顔を出してくれた。軽音楽部で面倒を見ていた彼は、今では東大の大学院生。みんな立派になっている。いいぞ。

だけど、もがいている卒業生がいるのも、私は知っている。風の噂でいろいろとあるのは知っている。おい、もがいている諸君。頑張れよ。

で、翌日。二日目である。
いい試合が多かった。
ではあるが、ジャッジの投票が割れる試合も多かった。

ジャッジが判定の規準にするポイントは一致するのだが、その評価が割れるのである。これは、ディベーターが自分たちの議論をきちんと伝えきれていないときに起こる現象である。

後一押しが、どちらのチームにもないため、ジャッジが割れるのである。丁寧な議論が大事なわけである。

この場合、丁寧な議論と言うのはディベートの場合、伝えようとして伝わらなかった場合、
(あのジャッジのやろう、言っているのになんでわからないんだ?)
とジャッジのせいにすることはできない。ディベートではジャッジに議論が伝わらない場合、ディベーターに伝える力がなかったからという立場を取る。一見非道な考え方だが、この考え方があるためディベートは伝える技術を磨くことができるとも言えるのである。

一度ホテルに戻る。今回のホテルは結構居心地が良い。駅に近くて都会のど真ん中、各国大使館の間にあって静かだ。

ホテルの窓をたたくような音。どこかで花火だなあ。ネットで検索したら、今日は東京湾の花火大会だ。いいねえ、日本の夏。

その後、再び出かけて行って食事。
さあ、明日は最終日だ。

8/9 今日からディベート甲子園

8/9

Asayake

五時前に目が覚める。リビングの窓を開けて風を部屋に入れる。外は朝焼けだ。昨日の花火とはまた別の美しさである。

今日からディベート甲子園である。

大学に移った事で、直接授業外で、学生を指導するという場面はかなり減った。というか、日本の教師は何でもかんでも指導をまかされているので、多すぎたのかもしれないが。いまは、授業に関わる指導がほとんどで、掃除や給食の指導なんてのはない。ゆとりがある。

もちろん、合唱コンクールや体育大会の指導がないというのは、大変さがない分楽ではあるが、しかし、ちょっと寂しいと言えば寂しいかなあ。ディベート甲子園に向けて自分のチームを持っていないというのも、同じだなあ。

時間と言うのは、実に相対的なものだから、忙しいときはどんどん過ぎ去って行く。(あと一週間あれば、いやあと一日にあればもう少しいい議論を確定することができるのに)
と胃をキリキリ痛めながら指導に勤しんでいた時間は、あっという間に過ぎて行っていた。ディベート甲子園前の顧問である私は、夏休みなんて言葉は、どこかに言ってしまうほどのものであった。

全国大会の会場に入り、自分のチームがどこの学校と対戦するブロックに入ったのかを確認し、まだ一つも勝敗表に結果が書き込まれていない姿を見て、
(うしゃあ!)
と気合いを入れていたあの時間。
(ああ、この三日間で、これまでの今シーズンの指導のほとんどが終わるんだなあ)
と開会式が始まる前から変な感動をしたりしていたものだ。

N700系に飛び乗り、品川を目指す。そこから白山にある東洋大学に向かう。
今年も、いいゲームに出会えますように。生徒の人間的成長に繋がるようなディベートが行われますように。

2008/08/10

2008琵琶湖花火大会

8/8

バスタブに熱湯を半分貯めて寝たおかげで、喉の調子は悪くない。今回はさらに気を遣って、枕元にコップを置いてそこに熱湯を入れたり、濡れたタオルを近くに置いたりもした。喉の調子が辛いままでの講座は、やる方も聞く方も辛い。

赤塚不二夫さんがなくなった。その告別式が昨日行われた。タモリさんの弔辞が気になった。早速 you tube で検索し、テキストをニュースで求める。

朝から泣いちまったぜ。
最後の部分を引用する。

引用開始 ーーーーーーーーーー

 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。

 赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。
 
 平成20年8月7日、森田一義

引用終了 ーーーーーーーーーー

「私もあなたの数多くの作品の1つです。」

こんな人間関係を作れる人が、いまどのぐらいいるのであろうか。完全なる信頼と尊敬をこのようなことばで表せる人が、どのぐらいいるのであろうか。ひょっとしたらライターがいるのかもしれない。しかし、それでもいい。私はことばの力を改めて実感した。

朝から泣いちまったぜ。

食事をして講座の会場に向かう。会場でゆっくりしていたら、受講される方がもう教室に集まっているとの事。あわてて向かう。おかしいなあ。どうやら事務局が私への時間をちょっと間違えたようであった。

講座開始30分前に到着していて良かった。本当は、この最後の30分でもう一度講座の流れを確認し、講座の入り方をシミュレーションするのだが、これは会場の教室に向かう廊下で行う事にはなったが。

講座には、見慣れた顔が。
なんで? 北海道から受講しにきているとは。すごいなあ。
ウイークリーマンションを借りて、東京で研修三昧だそうだ。

研修そのものは、少人数でたっぷりと行う。少人数なので、普段話す事のない小さなエピソードまで話すことができた。

昼ご飯を食べていたら、あちらこちらから最近の教育事情を話し合っている声が聞こえて来た。まるでアヴァンティの教授のように思わず聞き耳を立ててしまう。
(へ〜、やっぱりそうなの)
と心の中で大きくうなずいたり驚いたりしながら、食事を頂く。

午後は、筑波大学付属小学校の白石範孝先生の講演。講座の導入の部分で、地震が発生。だが、ま、そこは地震になれている関東人。しばらく様子見つつ、何事もなかったかのように過ごす。

今回の講座は、読解力にかする内容だ。感覚で読むのではなく、原理原則を指導して読む力を育てようという提案。

原理原則を提案されることは、非常に大事な事だと思う。しかし、例として出された漢字の書き順について、私にはちょっと理解しにくいところもあったのは事実。原理原則は難しい。

他にも
(あ、これはあの団体のこの部分ね)
と分かる人が聞くと分かるの部分もあるが、丁寧にまとめられていて、講座の時間として設定されている一時間で伝えるとすれば、これ以上でもこれ以下でもないきれいなまとめだったなあと思う。

小学校の実践例をあれこれ勉強している最中の私にとっては、また別の意味でも面白かった。いい一時間であった。

講座修了と同時に会場を後にする。
さ、2008琵琶湖花火大会だ。

京都駅は恐ろしいことになっていた。
今風に言えば、「おそろー」であろうか。
琵琶湖花火大会に向かう人たちで溢れ返っていた。

多くの観客は、メイン会場である大津、浜大津方面を目指す。それは琵琶湖線。私の住まいは湖西線にある。ので、京都駅は混んでいても湖西線はそんなに混んでなかった。ところが、山科駅では超満員となる。乗れない人まで出てくるのである。年に一回ね。

大津京駅で招待客と待ち合わせて、家に向かう。大津京駅駅前は、この日ばかりは渋谷のようである。

自宅で花火を見る。聖蹟桜ヶ丘でこの快楽を味わってしまってから、もうやめられなくなってしまった。眼下には数万人たちがいるのであろう。人ごみの中で見る花火も、花火の味わい方の一つである。しかし、自宅花火やホテル花火を経験すると、もう元に戻れないf(^^;。暑くなったらクーラーのある部屋から見る。トイレに行きたくなったら、すぐにトイレに向かう。もう、戻れない。

自宅花火鑑賞会で大事な事は、花火が始まる前にきちんと食事を済ませておく事である。最初の頃は、食べながら見よう、飲みながら見ようなんて思っていたが、それが無理なことはだんだん分かってきた。

花火が打ち上がると、もう食事なんてしていられない。飲み物を次に行く時間すら勿体ない。打ち上がるたびに阿鼻叫喚である。

去年の琵琶湖花火大会は、奥さんがもう既に里帰りをしており、奥さんもこの家から見る花火大会は初めて。娘も当然だが、初めて。花火が上がっても全然泣かないで、手を伸ばして掴まえようとしている。これは大物だ。お客さんたちにだっこされても全然泣かない。

この年に一回の花火を見ると、長生きしようと思う。一回でも多くこの花火を家族や仲間たちと見たいと思う。

2008hanabi

花火大会の後は、なぜかwii大会になる。
これはこれで面白い。

ひとしきり遊んだ後、お開き。
娘は興奮してなかなか寝付かなかったが、楽しい時間を過ごせたようだ。

さ、明日はまた東京。
ここから四泊のツアーが始まる。

2008/08/09

さあ、東京だ

8/7

涼しい風が一晩中比叡山から吹いてきていたので、気持ちよく寝ることができた。

さあ、東京だ。

新幹線に乗り、ちょっと一息ついたらもう名古屋。早いなあ。そして、ここから仕事を始める。「2008授業づくりネットワークin仙台」の講座のテキストづくりだ。プロットはできているので、そこに肉を付ける仕事である。

気がついたら、熱海。新横浜で下車する予定なので着地地点を決めて励む。思ったよりも早く仕上がりそうだ。

新横浜からは、横浜線快速で八王子まで。行きつけの美容室に向かう。久しぶりに紙を切ってもらう。さっぱり。かれこれ彼には10年近く切ってもらっているんだなあ。

JRで両国に向かおうと思ったら、事故だか故障だかで中央線が動いていないとのこと。慌てて京王八王子に向かう。まったくもって中央線は困る。

で、京王線の車内で新幹線で途中になっていた仕事を仕上げる。8/9の締め切りだったから、まあなんとかその前に仕上がったぞ。

両国の江戸東京博物館では、書道展を見学。
すごかった。

王羲之の「蘭亭序」の神龍半印本が、初めて中国を離れて今回、本邦初公開である。書道をやる人間で、このお手本を模書、または臨書したことのない人はいないだろう。私も学生時代にずいぶん書いた。

さらに、中国を旅したときにこの「蘭亭」に実際に足を運び、流水曲しょうの宴をした場所を見たりもした。

私の義理の祖父、そして母の兄の叔父は書道を嗜んでいた。その二人が見たいと願っても見る事のかなわなかった、本物が目の前にあった。

会場は思ったよりも空いていた。私は「蘭亭序」を見るための列に三回ほど並んだ。時間を空けて、あれこれあれこれ見続けた。「本物」のすごさを改めて思った。

書道では、「目習い」ということばがある。いい作品をじっくりと見る事。そして、その先に「手習い」を行うのである。4世紀に書かれたこの作品は時空を超えて、今私の目の前にあった。これが1300円で見られるなんて、驚きでもある。

もちろん、他にも黄庭堅(を、一発で変換)やらなにやら本物の作品が出品されていた。音声ガイドの解説を聞いていると「〜の時代を表しています」のような説明が割とあった。

うーんと唸ってしまった。時代を表すか。
その時代に生きている事を自覚して、文字を書いているのであろうか。そんな事はない。時代の評価はその人が生きているときには行うことができない。そうだとすれば、その人が必死に生きていることが、やがて後世の者が学ぶときに「〜の時代を表している」と評価される字を書いていたということである。

時代を表す書道作品。いろいろと奥の深い言葉だ。

Daiba

その後、デックス東京ビーチで行われている明日の講座の懇親会に向かう。デックス東京ビーチは、嘗てディベート甲子園が東京ビックサイトで行われていたときに打ち上げ会場としてよく使っていた場所だ。懐かしい。

私の講座は明日だが、大会そのものは今日から始まっている。会場には九州の菊池先生がいらっしゃった。講座を二日間担当されるとのこと。それから何人かの先生や編集者の方と名刺の交換をして軽く食事をして、新橋に向かう。

新橋では、最初の中学校のときの最後の教え子たちが待っていた。卒業して、15年ぐらいか?わざわざ青梅から5人、私の東京行きに併せてやってきてくれた。もう、31歳だと。ひえー。

それぞれいい大人になっている。顔を見るとよくわかる。あのときに私がしていた授業を良く覚えている。ある元生徒が私がこんな話をしていたと証言。

『あ〜、諸君はタモリ倶楽部という番組を知っとるか?』
「知りません」
「あ、知っています!」
『何? そんな時間まで起きていないで早く寝なさい!!』
『ではあるが、空耳アワーってのが面白いんだな(^^)』

という話をしていたとのこと。なんてことを覚えているんだ、この子たちはf(^^;。しかし、まだタモリ倶楽部は続いているし、彼ら彼女らはタモリ倶楽部の面白さが分かると言う。いいともではなく、タモリ倶楽部が面白くなったら大人という定義が世の中にはあるようだが、彼らも大人になったわけだ。

(そういえば、今日、タモリさんは赤塚不二夫さんの弔辞を読んでいるんだよな。どんなだったかな)

と思う。

車の話、彼女の話、合コンの話、奥さんの話、仕事の話・・・。
尽きる事なく話は続く。
あの頃のレクリエーション大会の話、あのときの授業の話もでる。

あの授業が忘れられない。もう一度受けたい。中学生の感性ではなく大人の今受け直してみたいなんて言ってくれる。私はこの子たちに授業を提供しつつ、自分が学び、成長して行った事をよく覚えている。

今だから話せる事と言うことで、何のためにあの授業をしていたのかという「授業の種と仕掛け」についても、求めに応じてあれこれ話した。

「そーだったんですか!!」
とあれこれ言われる。
『そーだったんですねえ』
と、にんまり。

「先生、あの頃の先生は何歳ですか?」
『ん、もちろん今の君たちよりも年下だよ』
「ひえ〜」
「もう一度先生の授業を受けたい!」
『京都にくるか(^^)。授業の課題は多いぞ』

楽しい時間はあっという間に過ぎ、11月に本格的にやる同窓会に出席してくれと言われ、スケジュールが合えばねと話したところでお開き。青梅に帰る最終電車が迫っているとのこと。

機関車の前で記念写真を撮って、サヨナラ。
元気で過ごせよ。

ホテルにたどり着く。
うーん。すごい一日だ。さっさと寝よう。明日の講座は2時間だ。

2008/08/07

伝える極意 再放送のお知らせ

伝える極意 再放送のお知らせ

一学期に放映されたNHK教育テレビの「伝える極意」が再放送されます。
今回再放送になるのは、

「1分間で思いを伝える 〜スピーチ〜」
8月8日(金)午前9:45〜10:00

「おどろきのハンドパワー 〜スピーチ〜」
8月11日(月)午前10:15〜10:30

の二本です。
良かったらご覧下さい。

2008/08/06

ふう、これで一段落かな

いかん。娘をお昼寝させようとすると、どうしても一緒に寝てしまう。夏痩せはしていないのに、夏バテしているのであろうか。

            ◆

午後から大学へ。
夏休みに入ったキャンパスには学生の姿はちらほら。それでも集中講義などで頑張っている姿もある。

私は研究室で学期末事務と研究室の片付け。校舎の改修工事があり、研究室に入れなくなりそうなので、その前にある程度片付けておかないとなあと思い、掃除掃除。

ふう、これで一段落かな。

            ◆

帰ろうと思ったら、ものすごい雷鳴と雷雨。
8/8の花火大会は大丈夫だよなあ。
ま、夕立だから上がるだろうけどね。

            ◆

さ、明日は東京へ一泊二日のお仕事だ。
新幹線の指定も、宿の準備も完了した。
分単位の移動になりそうだが、楽しい花火大会に向けて乗り切ろう。

大阪まで出かける

講座の準備をしつつ午前中を過ごす。
今日の朝は琵琶湖から風が吹いてきている。
テラスの植物に水をやりつつ、あれやこれやと考える。

昼過ぎに、心配だった案件が問題ないと分かり、心から安心。

            ◆

その安心の結果を受けて、大阪まで出かける。
新しいプロジェクトのメンバーに入れてもらうことができたので、その打ち合わせということで。

ここの集まりでは私はほぼヤンゲスト。初対面の方がほとんどなのに、なぜかベラベラと話せてしまう雰囲気。で、あれこれ話してしまう。

二、三年かかるであろうプロジェクトのキックオフだったが、とても気持ちのよい方と一緒に仕事ができそうで、うれしく思う。

            ◆

打ち合わせの後、食事。
終電で帰宅。
疲れたが、これからが楽しみだ。

2008/08/05

ちょっと目眩がした

八月前半のスケジュールをもう一度確認した。
ちょっと目眩がした。

東京と京都を二往復しつつ仙台へも行くことになる。一週間の間でだ。あれこれ欲張りすぎたかなあ。しかし、お招きいただいているものを断るのも失礼だし。花火大会の関係でまだ押さえていない宿もあるし。こりゃあ、大変だ。

願わくは、豪雨や雷雨で電車が止まりませんように。

もう一つ、病院で思った事

もう一つ、病院で思った事。

懸命に生きると言う事だ。
何も大それたことをするのではない。
先を見る。その先を見る。そして目の前にある事をやる。
それだけの事だと思う。

先を見る事が出来る幸せのある私をあれこれ、改めて感じた。
もう少ししっかりせんとなあ。

瀬戸物の丼の重さ

ちょっとしたことがあり、本日、ほぼ半日病院にいた。
昼ご飯も病院の食堂で取った。ちょっと高いかなと思うが、まあ、こんなものかと思って注文した。親子丼である。600円である。

出てきた丼を手にして、ちょっと驚いた。瀬戸物の丼でずしっと重たいのである。普通の茶碗にご飯を大盛りで盛りつけたぐらいの重さがあった。

(おい、これは病院の丼としては重たいんじゃないの?)

周りを見渡すと、結構年配の方がこの食器で食べている。中には、お見舞いの方と一緒に食事をしている入院患者の人もいる。なんでもない男の私が重たいと感じるぐらいだから、相当重いと思う。人ごとながら心配してしまった。

           ◆

が、一方でふと思った。

(あ、この重さが日常生活ということなのかもしれない)

と。
入院患者が病院で取る食事の食器は、基本的にプラスティックの食器である。割れないようにしているのであろう。大量の食器を洗い、盛りつけをするにはこの方がいい。

だから、食器が瀬戸物というのは、病院でありながら病院の環境ではないと言う事を象徴的に表しているのかもしれないと思ったのである。

           ◆

病院は、居心地が良くなければならないし、居心地が良すぎてもいけない。それはちょうど学校と同じようなものであろう。

治すには、居心地が良くなければならない。しかし、治ったら出て行く気持ちにならなければならない。学ぶには居心地が良くなければならない。しかし、卒業したら、次の場所で頑張ろうと思わせる環境でなければならない。

           ◆

瀬戸物の丼の重さは、その際を示しているのかなあと思った。

2008/08/04

森の空気を体に入れる

夕方から上賀茂神社へ。娘の桜にご対面するのを楽しみに出かける。さらに、上賀茂神社では、「禊ぞ夏のしるしなりける」のならの小川で足を水に浸すのも楽しみにした。

上賀茂神社は、月遅れの七夕まつりがあり、園児が合唱と合奏をしていた。なかなかうまいのに感心。桜と禊も確認し、上賀茂神社を後にする。

            ◆

その後、貴船神社まで足を伸ばす。貴船は川床が有名である。ここで寛いでしまうと娘のミルクに間に合わないので、見て神社にお参りをしておしまいにする。市内が35度近くあったのに、ここは27度。涼しい。

神社には、相生の杉などものすごい存在感の樹木がたっくさん。この神社は恋願成就の神社でもあるとの事で、それらしい人が多いような多くないような。

久しぶりに、森の空気を体に入れる。
いいもんだ。

            ◆

帰りは、鞍馬を抜けて帰る。
(これ、本当に続いているの?)
と思うような山の中の道を走る。

湖西バイパスに繋がっていたから良かったものの、なかなかスリリングなドライブであった。

            ◆

帰宅後、どうも頭がくらくらするので、まさかと思いながら熱を測ると熱がある。なんだ、この時期に。二三日で治さないととんでもないことになるぞ。

対岸の花火を見てから、早く寝る。


Rimg0103

2008/08/03

夜、ミルクを与える

昼から大学へ。オープンキャンパス二日目。今日は娘を連れて。

保育実習室が見学者に開放されているのだが、そこに娘をモデルとして連れて行く。いや、せっかくだから一人ぐらい赤ちゃんがいてもいいだろうと思い、連れて行く。

見学者の高校生や保護者の方に愛想を振りまく娘。なかなかであった。

            ◆

実習室にはいろいろなおもちゃがある。木の箱に入っている小さなぬいぐるみ。娘はこれをめざとく見つけて、一つずつ取り出す。そして、一つずつ見せては元にしまう。これはなんだ?

さらに、段差を利用して少しずつ降りてくる車のおもちゃで遊んであげたら、仕組みが分かったようで自分でおもちゃを上において、遊ぼうとする。おい、そんな学習能力があったのかい!と本当にびっくりする。

この一ヶ月ぐらいは、外見はそれほど大きな変化はないと感じていたが、確かにハイハイは力強くなったし、どうぞは出来るようになったし、ずいぶんと成長しているんだなあと思った。

            ◆

夜、ミルクを与える。
こうしてミルクを与えるのも、あと少しだなあと思うと、しみじみ。自分で飲めるのに、わざわざ私が持って与える。

成長とは愛しく、切ないものだなあと改めて思う。

2008/08/02

『中等教育におけるディベートの研究』

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『中等教育におけるディベートの研究 〜入門期の安定した指導法の開発〜』(池田修 大学図書出版 193p ISBN978-4-903060-36-1 C3037 ¥2000E)という本を上梓することができた。私の修士論文を元にして書き上げた初めての学術書だ。

今年の三月に仕上がっていたのだが、校正がうまく伝わっていなくてこのまま世の中に出す事は出来ないということで、さらにきちんと校正し直して出版の運びとなった。

ですので、もし、最初の本がお手元にある方がいらっしゃいましたら、交換させていただきます。

            ◆

書き上げた時間は二ヶ月半であるが、研究に費やした時間は10年である。

ディベートではなく、ディベート指導。それもディベートの入門期指導にポイントを置いて研究してきた成果をまとめた一冊だ。私が開発したシナリオ方式、改良シナリオ方式の指導に至るまでの過程を明らかにすることができたと思っている。

要旨と目次は下記のURLにある。(小書作成のためにレイアウト変更等があり、ページはずれていることもある)
注目していただきたいのは、第二章と第三章が、目次レベルでも一対一対応になっている点である。

http://homepage.mac.com/ikedaosamu/summarycontents.html

            ◆

私は生徒にも学生にもこんなことを話している。
『論文は、主張が題名で、根拠が本文である』
だから、『中等教育におけるディベートの研究 〜入門期の安定した指導法の開発〜』としたところで、ディベートに興味のない人は読まない。それでいい。

そして、タイトルに興味を持って読む人が次に見るのが目次である。目次の中のいくつかの項目が自分にヒットすれば、その項目だけを読む。

実際私が論文を書くとき、上記のような方法で読むことが多い。だから、自分が論文を書く時も、読んでくれる方、引用してくれる方にとって分かりやすい方法で論文を書こうと思ったのだ。

第二章の目次を読んでいただいて、興味を持ったところに対応した第三章を読んでいただければ良いように書いている。

もちろん、全体を読んでいただければ、それはそれでとてもうれしい。

お手元にされた方、ご批判いただければ幸いです。

wiiのマリオカート

昼前に大学に向かう。前期のまとめの事務仕事である。本日はオープンキャンパスだ。私は講義をする予定がないので、せっせと事務仕事をする。さらに、教育実習の事後指導などもあれこれと。

            ◆

それにしても暑いなあ。
京都は七月中は毎日夏日だったとか。

大阪、京都、大津とだいたい二度ずつ気温が違う。
大阪が36度ある時は、京都は34度。そして、大津は32度である。夏も冬も同じく二度ずつ違う。面白いもんだ。

            ◆

夜、wiiのマリオカートに没入。
しかし、これはすごいソフトだ。

wiiはインターネットの端末としても使えるようになっている。というか、インターネットからニュースや天気予報の情報を取り入れて流している。朝、テレビでニュースを見るよりも、流し込みで流れてくるニュースを見ている方が、面白かったりする。

で、このwiiのマリオカートである。インターネット回線を使って、日本中の、いや、世界中の相手と対戦できるのである。しかも、無料。私なんぞへたくそだから、12人でレースをやって最下位でなければ満足ってな感じだ。

ただ、この取り扱いと言うか指導と言うか、そういうのをきちんとしないと子どもたちはのめり込みすぎるだろうなあと思う。面白すぎるからである。私は、早朝、朝、昼、午後、夕方、夜、深夜とそれぞれ接続してみたが、どの時間帯であっても日本中で、世界中でやっている人間がいる。ということは、抜け出しにくいと言う事である。

下記の新聞記事も分からないではない。

引用開始 ーーーーーーーーーー

【子どもとゲーム/4 終わりなき仮想に夢中】

 難民キャンプの子どものように、か細い足だった。トイレに向かう高校生の長男の後ろ姿に、母は息をのんだ。部屋にこもり、ネット上で複数の人が同時参加するオンラインゲームを一日中続ける生活を始めてから1年が過ぎていた。家族と食事もとらなくなり、自室でパンをかじるだけ。「おなかすかない?」。恐る恐る呼びかけても返事はなかった。

 長男は不登校で約3年ひきこもった。19歳になった今振り返る。「歯も磨かず、風呂にもほとんど入らなかった。冬は指がしもやけになり、キーボードをたたくと痛かった」

 寝食も忘れオンラインゲームにのめり込む10〜20代の若者が増えている。日常生活が送れなくなると「廃人」と呼ばれる。

 不登校の相談を受けるNPO法人「教育研究所」(横浜市)。ここ数年、ゲームがからんだ不登校が目立つ。牟田武生理事長は「特にオンラインゲームは、匿名の世界で仲間意識をはぐくめる居心地のよい空間で、抜け出せずに不登校が長期化するケースが多い。不登校は情緒の不安定な子に多いのが定説だったが、ゲームが高性能化して面白くなり、そうではない子が不登校になっている」と指摘する。

   □   □

 なぜそんなにオンラインゲームに夢中になるのか。仲間と武器を集め、モンスターを倒し、宝物を手に入れる。「普通のゲームと違い、終わりがない。経験がないと倒せない敵や何百回も挑戦して開く宝箱がある」。大阪商業大アミューズメント産業研究所の松村政樹副所長は指摘する。

 家庭環境をきっかけに不登校になり、4年間オンラインゲーム漬けの生活を送った少年(18)は「いつも4人の仲間と行動していた。顔を合わせないので素のままの自分が出せて楽だった」と言う。

 「強くなれば尊敬された。あいつと一緒だったら倒せる、と言われうれしかった」。埼玉県の私立大生(22)は、高校1年の時に不登校気味になった。自己実現の場となったゲームだが、やめると強い不安に襲われ、寝るのも怖くてやり続けた。

 5カ月後、友達から何度も誘われて合唱部に参加、部活が楽しくなって学校に戻れた。「リアルな世界で必要とされれば、ゲームを手放せる」。教員を目指し勉強中の今、そう実感している。

   □   □

 首都圏の国立大のある理工系学科では5年前から、授業に出ずオンラインゲームにのめり込む学生が現れた。ゲームに没頭したことによる留年者が毎年5、6人はいる。

 別の国立大の男子学生(21)もゲームに夢中で留年が続く。1人暮らしの部屋は荒れ放題で、ガスも止められた。保健所、大学、精神科医、民生委員……。母親が相談に回ったが解決法は見つからない。「ゲーム依存が病気だと理解されず、説明するだけで疲れました」

 韓国と中国では、長時間プレーした末に突然死する若者も出た。韓国では国が若者向け相談所を作り、ネット依存対策に取り組む。日本では約500万人とされるプレーヤーのうち「廃人」がどれほどいるのか、公的な調査すらない。=つづく

http://mainichi.jp/life/edu/mori/news/20080725ddm002100067000c.html

毎日新聞 2008年7月25日 東京朝刊 新教育の森より

引用終了 ーーーーーーーーーー

マリオカートの場合は、対戦は出来るがコミュニケートできるシステムは作っていないのは、上記の問題を想定しているのかとも思う。さらに、マリオカートの場合は、レースごとに電源を切るきっかけが与えられるが、オンラインのロールプレイングゲームでは、これが難しい。由々しき問題である。

しかし、これを逆手に取る事は出来ないか。オンラインのロールプレイングゲームの学習である。これが可能になれば、エンドレスで子どもたちは学習を続けるのである。

ま、それはそれで恐ろしいが、そんなことも少し考えている私である。

2008/08/01

ただ、あなたの優しさが

午後から大学へ。授業は昨日で終わっているが、学科の会議である。学科の立ち上げと言う事で、あれこれあれこれ決めなければならない事がある。もちろん、この決めると言う作業に立ち会える事が、うれしいわけである。しかし、それにしてもちょっと多いかなあf(^^;。

私は新設の中学校に入学した。武蔵村山第三中学校である。その時、その中学校で教えてくださった先生が仰った事はある。
「いろいろ大変だけど、学校をゼロから作るのは面白いんだな」
ということだ。私は、いまこれを体験している。教員としてこれに立ち会えるのは、やはり幸せな事だ。

            ◆

会議のあと、研究入門ゼミで面倒を見ていた一回生のクラスから、前期打ち上げパーティにお招きを受ける。「池田修先生に感謝する会」なのである。

時間になったので会場の調理室に行くと、学生たちが両手で歓迎ゲートを作って待っていてくれた。うーむ、そこから来たか。

食事会とゲームの会の二部構成になっていた。
食事は、おにぎり、フルーツポンチ、チーズフォンデュ、チョコフォンデュなどである。さすが学生である。チョコと一緒におにぎりを食べられるのである。

もちろん、ノンアルコール。健康的である。しかしまあ、なんというか、大学は二浪して入ってきてほしいものだf(^^;。

            ◆

せっかくなので、私の方からも料理をプレゼントする。魚料理。最近こればかりのような気もするが、美味しいし、学生たちも自分で簡単に作れるので紹介するのである。

今日はめでたい日なので、鯛をチョイス。二匹用意したが奇麗になくなった。残ったオイルもフォンデュの為に用意したパンを浸して食べる。オイルフォンデュである。

            ◆

その後、ゲーム大会があり、さらに学生たちから替え歌のプレゼントを貰う。この歌がなかなかであった。私の青春時代とちょっとその前の歌をチョイスして、替え歌にするのだが、その替え歌の歌詞が日頃の私の小言なのである。

中には「神田川」があった。ちょっと私が優しくした時の事を取り出して、「ただ、あなたの優しさが怖かった」と歌う辺り、なかなかブラックでよろしい。

せっかくなので、お礼に私もギターを取り出して数曲歌った。まさか、大学でこうしてギターでクラスの学生たちに歌うとは思わなかった。ま、これもいいだろう。

            ◆

「最後に先生から一言、お願いします」

と言われたので、

『一言だな。うむ。勉強しろ』

と言ったところ、もう少しと言われたのでいくつか話をした。

『一回生のCクラス諸君には、チームを作ってあげたいと思って指導をしてきた。いろいろなところから集まってきた諸君である。居場所としてのチームを作ってあげたいと。そして、後期は新しい先生がアドヴァイザーになる。きちんと指導を受けなさい。

二回生になると、一回生の時のクラスを引きずる部分もあるが、新しいクラスでしっかり学びなさい。

一回生は、(このクラスで良かったなあ)というクラスを作りなさい。二回生は(二期生で良かったなあ)という仲間を増やしなさい。三回生は(児童教育学科で良かったなあ)であり、四回生は(京都橘大学で良かったなあ)となりなさい。そうなるように、勉強しなさい。これは与えられるものではなくて、自分と自分の仲間で獲得するものです。

大学は、意欲のあるものが学べる場所です』

んなことを話した。

            ◆

集合写真を撮り、クラスの掲示板にアップロードしている間に、学生たちは会場の片付けも終わらせていた。気持ちよくおしまいである。

いい夏休みを。

            ◆

前期の私の授業と学生たちとの楽しい時間は、これでおしまい。
しばらくは、事務仕事に没入して、その後八月前半の講座やディベート甲子園、授業づくりネットワークへと向かうことになる。

さあ、八月である。

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