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2008/09/30

ちょっと出来ていなかったなあ、俺

中学校の教員をしている時、

「そんなこと教えても中学生には分からないんじゃないですか」

というようなことを聞かれることがあった。私は

『今分かるとか分からないではなくて、このことが将来必要になるのであればきちんと教える。そうすれば、将来分かる。私たちは義務教育の教員である。この生徒の30歳や50歳やその先までも考えて授業をする必要があると私は考えています』

のように答えていた。

そんな私であるが、奥さんは偉いと思う。
日本語を話すことの無い娘に対して、日本語でたくさん話しかけ、褒めるときは褒め、怒るときはきちんと怒っている。

『おいおい、そんなこと言ったって分からないんじゃないの』

と言おうと思って、そうか違うかと思ったわけである。相手が日本語を話すことの無い赤ちゃんであっても、いやそうであるからこそ、きちんと日本語で話しかけてほめたり注意したりしなければならないのである。

私は褒める部分はずいぶんやっているが、叱る部分はやっていないなあと反省。私たちがきちんとした言葉で娘に話しかけることが、娘の言葉の土台を作るわけである。頭では理解していても、ちょっと出来ていなかったなあ、俺。

2008/09/29

昼ご飯も夕ご飯もトマト味

朝からなんだかんだ言って授業の準備。始めるときりがないのであるが、始めないと終わらない。実に当たり前のことである。きりがないので、締め切りという時間の中でぎりぎりまでやるしか無いのだなあ。

考えてみれば当たり前だが、人生もそういうことなんだろう。限られた時間で、ぎりぎりまでもがくしか無いんだろうなあ。やりたいことをすべてやりきってさよならするなんて、あり得ないからなあ。

            ◆

昼ご飯は、パスタ。ジェノベーゼソースを使って作る。フレッシュトマトを載っけて彩りと味も良し。うまひ。

Pasta

午後から、大津市の放牧場に行く。比叡山の山腹にある。比叡山は大津市なのである。

市営の放牧場で無料。特に珍しい動物がいるわけでもないが、ハイキングコースやバーベキュー場もある。去年、まだ娘がお腹の中にいるときに来て
『来年は、一緒に歩いたりするんだねえ』
と言っていたのを思い出す。

歩けるようになったので、歩かせて見たが、斜面が多いためいつも以上に歩きにくそう。しかし、歩きたいので走り出して、こける。よく見るとあちらこちらに、動物の「う」がある。その場所に行かないように歩かせる。だけど、もう少し立ってからで無いとちょっと無理だったな。また来ようね。

            ◆

夕食は、秋の魚サーモンを使って作る。
http://www.kyounoryouri.jp/recipe/4778_秋さけのトマバタしょうゆ風味.html
である。

これは簡単で実に美味しい。去年作ってハマってしまった。昼ご飯も夕ご飯もトマト味というのはいかがなものかという向きもあるやも知れないが、美味しいので良し。ソースはたっぷり作るのが良い。私は、クレソンの代わりに水菜を使用。

この料理のポイントは、サーモンの皮を下にして最初の1、2分を上から押し付けながら焼くこと。そのまま焼き続けて、最後にひっくり返して反対側に焦げ目をつけることである。そうすることでサーモンが丸まらず、しかも柔らかく焼き上がる。うまひ。

            ◆

夕食後、授業の準備。
もう、リビングのドアを開けておくと涼しいよりは、寒くなってきたかなあ。

2008/09/28

「伝える極意」再々放送 10/6、10/13、11/17です。

私も出演しているNHK教育テレビ「伝える極意」が、
月曜日の夜に再々放送されることになりました。
毎週月曜日19:40〜19:55 NHK教育テレビです。

放送予定は以下のものです。私が出演したものには、◆の印を付けました。

             ■□■

 9月29日「ありがとう!の気持ちが伝わるように〜お礼状〜」
10月 6日「1分間で思いを伝える〜スピーチ〜」◆   
10月13日「おどろきのハンドパワー〜スピーチ〜」◆ 
10月20日「相手の胸に届けるように〜朗読〜」   
10月27日「自分にぴったりする言葉を見つけよう〜詩〜」
11月 3日 教育フェア特集編成のため休止
11月10日「感想がスラスラ書ける〜感想文〜」
11月17日「話して聞いて幸せになろう〜話し合い〜」◆
11月24日「その答えに納得!〜クイズ〜」

15分番組ですので、簡単に見ることができると思います。
良かったらご活用ください。

出版の打ち合わせ

今日は絶好の運動会日和。糸井さん、土作さん、いわせんさんのところも運動会。筑田さんのところは、演劇の公演で、S水さんのところは文化祭。なんだかすごいなあと思う。

私は大学の近所の小学校へ。学生たちがボランティアで運営に参加させて頂いているので、様子を見るのとお礼のご挨拶に。本当に奇麗な青空と紅葉が始まりかけたかもしれない音羽山を愛でながら、学生たちの活躍と小学生の演技を見る。

校長先生に挨拶をしたら、後ろから呼ばれた。振り返ると京都市教育委員会の澤田先生だ。わくわく授業で同じディレクターに番組をとってもらった間柄の先生。指導主事として、今日は一日で4校の運動会を回るとか。大変だあ。

             ◆

研究室に戻り、授業の準備。火曜日から始まる「学級担任論」の今週分の最後の準備である。3時間ほどやって終わらないことを確認。うーむ。明日か明後日か、あと2、3時間はかかりそうだなあ。

90分の授業のために何をしているのかと思うが、これが当たり前だという思いもある。授業をつくるのは、大変であるがやはり面白い。

             ◆

夕食を食べに出かける。
今日は、研究室で糸井先生と編集者の方と私の三人で出版の打ち合わせなのである。糸井先生は、運動会の後なのだが、ここしか時間が取れなくてやることに。

「明日の教室」が主体となっての初めての出版となる。というか、最初にこの研究会を始めた時、出版を行うなんてことは想像だにしなかったが、話を進めてみれば、なぜだか分からないが、この本がでるのは必然のような気がしてくる。

まだ明らかに出来ないが、執筆陣は豪華である。そして、豪華なだけでなく
(え、この先生がこの内容を書くの?)
と思うようなものになる予定である。

先生方。
依頼が届きましたら、是非、断ること無くお引き受けくださいf(^^;。

             ◆

22時過ぎに大学を出る。
名神高速道路の明かりが奇麗だ。
明日も晴れるな。

123

2008/09/27

「待つこと」

後期の授業が始まって、一週間が終わった。これで一通りの授業をしたことになる。実際はオムニバス形式でやったり、集中でやったり、休日で休みと言うこともありすべてではないが、とにかく終わった。

前期と時間割が違うので、
(ん、今日は一時間目本当にあったよな?)
と朝起きて確認することたびたび。なんてこった。

             ◆

昨日は、日本語コミュニケーション技術1と国語科教育法2である。私が担当している授業の中では、言葉に依拠する割合が多い科目である。そして、どちらの授業にも共通するのが、watcherではなく、playerとして授業に参加することを求めることである。

日本語コミュニケーション技術1は、ディベートであり、国語科教育法2は模擬授業がその柱となる。私は目的とやり方の柱の部分を教えて、あとは彼らの活動を見守ることになる。

勢いの付いた学生たちの活躍は目を見張るものがある。楽しみである。

             ◆

授業の始まる前、昼休みに前期に指導した一回生の学生たちが研究室にやってきた。夏休みの旅行のお土産何ぞを持ってきてくれた。顔を見せにくるだけでも偉いのに、なかなか律儀な学生である。そして、進路のことを相談してきた。

私の知る限りのことを話し、次はこの先生のところに行くと良いとアドヴァイスをする。意欲のある学生には丁寧に対応したい。

             ◆

授業の始まる前、準備をしていた3限に卒業生が研究室に訪問してきた。科目等履修生で国語の授業を受けていて、先日教育実習が終わった学生である。教育実習の前にもかなり相談を受けていたので、

『実習はどうだった?』
と聞くと
「とても楽しかったです」
と応える。

それは良かったと思いながらも
『後輩にはきちんと伝えるんだぞ。大学の授業でしっかりと学んでおいたから、実習を楽しく終えることができたとね。前半を言わないと、楽しいものだと思い込んで、悲惨な目に遭う学生が出るからな』
「先生、一緒に実習をやった他の大学の実習生は、途中で実習を投げ出してしまっていました」
『へ?』

あれこれきくと、指導案が書けない、実習記録への記入が出来ない、それでいてこんなのはおかしい、もうやってられないと投げ出したそうだ。かなり有名な大学の学生なのだが。

「授業が終わったら、その感想を書くと言うのは先生の授業で当たり前のようにやっていたので、私は何問題なく実習記録を書いて、すぐにクラブの指導に言っていました。で、クラブから帰ってくるとまだ書いていたんです」

学んだことをもとに文章を書く。これを当たり前のようにやっていれば、実習に行っても何の苦労も無いことだ。実習記録なんて簡単である。それを考えて私は大学で授業をしている。

これはその立場に立ったときに分かることであって、授業中にはなかなか分からないだろう。分からないからやらないというのでは、いつまでたっても分からないし、できない。授業と言うのは今分からない、今必要でないことであっても将来に必要と判断すれば、これを学生に求めなければならないという構造を持っている。

もちろん、本当にそれは必要なのかと問われれば、それは私にも言い切れるものではない。しかし、将来必要になるであろうものをいまの段階できちんと教えるというスタンスをとって行う授業は、そんなにブレるものではない。人間は、変わる部分と変わらない部分がある。変わらない部分にヒットするからである。

             ◆

もう一つ彼女の話で興味深かったのは、「待つこと」ができたというものである。
生徒がうるさい時、
「静かにして!」
と叫ぶと、生徒はその声の大きさだけうるさくなるときがある。静かにさせたいときは、先生が静かになるのである。黙るのである。ものの30秒や1分間黙るだけで良い。

子どもはたち太鼓と同じである。先生が大きく打てば、大きく響く。先生が大声を出せば子どももそれに呼応して大声を出す。黙れば黙る。だから「静かにして!」だとダメなのである。

彼女は朝の読書の指導のときに、うるさかったクラスを前にして私が授業のときに話したことのことを思い出し、黙って怖い顔をして立っていたそうだ。すると、生徒たちは、お互いに声を掛け合って静かになったそうだ。そこに、彼女は
「はい、本を開いて読書」
と言ったとのこと。これはなかなかできるものではない。

なぜ出来たのか、そのときに考えた。彼女はバレーボールをずっとやっていた。本学のバレーボール部が関西一部リーグに上がった原動力でもある。バレーボールでは、試合の流れを変えるためにタイムをとることがある。彼女は、タイムをとって空気を帰ると言うことを体験的に学んでいるのではないかと思った。その事を伝えると、嬉しそうにしていた。

人はいろいろなところで、いろいろなことを学んでいるものだなと改めて思う。

             ◆

10/4の明日の教室の打ち合わせを糸井先生がしてくれているのだが、私は授業後、研究室に残ってあれこれと大学の仕事を続ける。終わらないのである。

熊本への出張が入りそうだ。

Biwako

2008/09/25

夏と秋が重なり合っております

本日は、教育総合演習と児童基礎演習の授業である。

教育総合演習は、ディベートを通して現代社会にある諸問題を考えてみるという授業になる。ここでも小論文を書く。さらに、私がこの20年間以上追いかけている「大人論」についても考察することになる。

児童基礎演習は、書籍に著された子どもの文学作品を通して、解釈を試み、議論を重ねると言う授業となる。はじめは子どもの詩を取り上げる。この詩の読み込みから、この作品を書いた子どもの姿を理解することに挑む。さらには、教師の身体性についても考えることができればと思っている。

               ◆

久しぶりに会う学生たちも多く、夏休みが充実していたかどうか、一人一人の顔を見る。良い顔をしている。よしである。

授業はどちらもたっぷりとガイダンスを行った。なぜ、この授業が存在するのか、これが将来どのような意味を持つことになるのかについても語った。来週から本格的に授業がスタートする。

              ◆

午後は、本日も高校で模擬授業。滋賀県内の高校だ。
一年生40人以上の授業であった。

模擬授業前に控え室に案内される。そうすると時間があるので、授業の確認をしたり、本を読んだりして待つのだが、机の上にあるPCにマックが多い。MacBook、MacBookエアー、MacBook Proと見かけた。マックが6台でWinが2台だったなあ。なんか面白かったねえ。

              ◆

『メモをとりながら聞くように』
と指示するときちんとメモが取れる。日頃の先生方のご指導が分かる。

60分間の時間一杯を使って授業をした。
よく学ぶ生徒たちであった。

              ◆

帰るために駐車場で車に乗り込んだら、目の前の校舎の二階から手を振る姿がある。
(ん?)
なんだか分からないがこちらも手を振る。
すると、また振り返してくる。車が出るときにこちらからもう一度手を振ったら、大きく手を振ってくれた。なんだか気持ちがいい。

              ◆

夜、スーパーに買い出しに行ったら、娘と同じ年ぐらいの男の子に手を振られた。なんだか、嬉しくなって振り返したら
「あ〜〜〜〜〜〜〜!」
と喜ばれてしまった。これも同じ。

           ◆

スーパーには、いつの間にかトウモロコシの姿が無くなってしまった。歯の調子が戻って今年はよく食べた。しかし、食べ納めをすること無く消えてしまった感じがある。

そんな思いで歩いていたら、1/6のカットすいかを発見。食べ納めになるかもしれないと購入。さらに、北海道から生秋シャケが届いていたので、これも購入。

スーパーでは、夏と秋が重なり合っております。

2008/09/24

「体力測定」である

私の後期の授業も始まった。
今日はキャリア開発演習。就職試験、採用試験を想定しての小論文の書き方の指導である。少人数の受講生であるからして、細かく指導できる。

この授業はオムニバス形式で三人の教員が交代で行うので、私の授業は六回のみ。そこで文章を書くとはどういうことなのか。採用試験で文章を書かせる意味は何か。論文と小論文の違いは何かなどを講義しつつ、書かせて行く。今日はこの授業のガイダンスである。

            ◆

ではあるが、実際に書かせることもした。「体力測定」である。体育の授業では、毎年四月になると50m走などをして、自分がどのぐらいのタイムで走れるかを記録する。国語ではしない。

だが、私はする。
今日の課題は、あるニュースの記事を渡して、
『この記事を、濃く太く大きく、原稿用紙に書き写して見なさい。400字をあなたは何分で書き写せるかのタイムを計ります』
とした。

例えば、採用試験の小論文が50分で1000字だとする。原稿用紙二枚半である。400字を10分で書き写せる学生は、25分間は文字を書くだけに費やせるのである。つまり、残りの時間をアイディアだし、構成、推敲、見直しなどに使えるのである。

だから、自分がどのぐらいの時間で書き写せるかという「体力測定」をしておくことは、重要だと考えている。通常の書き写しであれば、「濃く太く大きく」書ければ良い。しかし、試験の場合はこれに「早く正確に」の要素が加わる。

『あなたの人生を決める、読んでいただく文章である。十分に気を遣って書いて当然である』

が、多くの学生はこれが出来ない。だから、レッスンを行うのである。頭で分かっていても、実際にできるかというと出来ないのである。だから、指導するのである。

            ◆

午後は、高校の模擬授業に向かう。保育士幼稚園の教諭を目指す高校生なので、私の専門とは多少ずれるが、90分ほど話す。

今日の高校は、校舎のあちこちに、先生方が生徒を育てようとする工夫、大事にしていると思う工夫がされていて、そんなところで成長している生徒たちとの気持ちのよい90分の授業であった。

縁があったら京都橘大学の児童教育学科へどうぞ。


虎の咆哮

午後から動物園に向かう。京都市立動物園だ。娘を連れて動物園に行くのが夢の一つだった。一歳になる前だと人ごみに連れて行くこと、動物に近づけることが心配で、ちょっとぐらい歩けないとつまらないだろうと思っていたのでやめていたが、晴れて一歳を迎えて、歩けるようにもなり解禁である。

休日ではあるが、3時ごろであれば空いているかと思ったのだが、これが割と混んでいる。市営駐車場は満車でさらに空車待ちの長蛇の列。参ったなあと思いながら、ある駐車場を思い出す。カーナビで確認したら出てこない。ということは、空いている可能性が高い。

向かってみると空いている。しかも、安い。今度からは迷わずにここにしよう。ブログに書いてしまうと満車になる可能性があるので書きませんが、必要な方はメールくださいねf(^^;。

             ◆

動物園は満車が示すように混んでいた。

キリン
ニホンザル
ペンギン
ワニ

カバ
バク

ライオン

たくさん見せた。
娘の目にはどのように映ったのであろうか。
分からない。
分からないが、手を伸ばして動物をつかもうとしていたので、嬉しかったのであろうと、親ばか。

又来ようね。

             ◆

私がびっくりしたのは、虎の咆哮である。
ベンガル虎の番いがいた。それぞれ二つの動物園から貸し出されてきていたのだが、その番いのうちの雄の虎が吠えていたのである。

雌の虎は端正な顔つきで物怖じもせずいたのだが、雄は発情期を迎えているのか吠える。なぜかその雄叫びに隣のゲージにいた雄ライオンが雄叫びで応えていたが。

虎の鳴き声をライブで聞いたのは初めてではないかと思う。
虎の鳴き声と言えば、『山月記』中島敦であろう。「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」がよく問われるあれである。高校の時に読んだあれである。

中島敦は白川静先生と同期で、日本人の漢文の素養はこの二人が亡くなったところで終焉を迎えたと言った人がいたが、確かにそうだろうなあと思う。

で、虎の咆哮であるが、求愛の咆哮であるからかもしれないが、『山月記』の文章のイメージとは違ったなあ。もちろん、地響きのような大きな声なのであるが、ゾウアザラシのような鳴き声であった。聞いてみないと分からないものだ。

             ◆

こうしてこれからも、子どもの成長と一緒にいろいろと体験できるのだろうなあ。ありがたいことだ。

2008/09/23

後期の授業が再開

今日から大学は後期の授業が再開。もちろん、大学そのものは夏休みはお盆にしかなく、授業も集中講義が入っているため完全に実質はもう動き出しているのであるが、毎週の授業が始まるのは、今日から。で、私は研究日。

             ◆

午後から大型本屋に籠り、本を物色する。最近は仲間が読んでいてブログに紹介している本などをそのままネットで生協の本屋に頼んで大学の生協で受け取ることが多くなっている。

しかし、実物を見ながらあれこれ手にして探す。これはこれで良い。または、目当ての本の横にある本の横に面白そうな本を見つけて、お、ラッキーと思うのも嬉しい本屋での買い物である。

             ◆

藤原和博さんの新著『つなげる力』(文芸春秋)があったので、手にする。すると私が生徒たちに指導していた作文の書き方が紹介されていた。

「この方法は和田中学校に一年だけいた国語の先生に教わりました」

と書いてあったf(^^;。平田オリザさんと北川達夫さんとによる対談の名著『ニッポンには対話がない』にも平田さんの発言で、

「ディベートの専門家に聞いたのですが〜」

と私が話したことが書かれていたことがあった。なんというか、一人で驚いたりニマニマしたりしている私であるf(^^;。

             ◆

で、帰宅してからずっと本を読む。
娘の相手をしている時間が多くなり、集中して本を読む時間が減ってしまい、風呂やトイレで読むのがメインになっている気もしている。

娘の相手をして遊ぶのは面白いし、いろいろな発見もある。別に娘を研究対象にしようとは思っていないが、観察対象として見ているのは実に面白い。これがそのまま学生たちに話すには良い話題になるのであるから、読書量が減るのも、まあ良いかと勝手に理由を付けている。

             ◆

部屋の中を涼しい風が吹き抜ける夕方、夜。
ただ、読み続ける。
ただ、読み続けた。

2008/09/22

もう25年も前になるか

台風が過ぎたと言うのに、近畿は大雨。大阪などではずいぶん長い間警報が出ていた。琵琶湖近辺も雨風があり、中でも雷がすごかった。

リビングで寛いでいたら、対岸に落雷。横にいた娘がびっくりして泣きながら私に飛びついてきた。

雷が恐い。
怖いときにはお父さんに頼る。

という回路が出来ていて、瞬間にこれが機能することに感動。もちろん、抱っこして大丈夫だよと頭を撫でる。しばらくすると安心してまた、遊ぶから下ろしてくれとなる。人間はすごい生き物だ。

その後、一瞬の晴れ間に虹が出る。
こんなに近いところの虹は滅多に見られないなあ。

Niji2

            ◆

夕方、昔の教え子が遊びにくる。もう25年も前になるか、塾のときの教え子である。いま、北海道は知床でナチュラルガイドの会社を経営している彼である。琵琶湖を泳ぐ大会があってそれに参加したので、顔を出してくれた。

25年前、北海道から、会社を経営してと簡単に書いたが、これは文字で読んでみるとすごいことだなあと思う。そんな彼から娘のお祝いを頂き、あれこれあれこれ琵琶湖を見ながら、我が家で話し込む。

本当は、彼と同期の教え子も名古屋から駆けつける予定だったのだが、子どもが発熱と言うことでこちらはまたの機会に。それにしてもこうして東京の聖蹟桜ヶ丘で教えていた塾の時代の教え子たちと、琵琶湖で再会とは。嬉しいことだ。

            ◆

東京を離れて地方で暮らすということの面白さや豊かさ。教育のこと、学校のこと、若者を育てると言うこと、自分の老後のこと、会社を経営すると言うことなどなど話は多岐にわたり、そのままお気に入りのタイ料理屋に向かう。

このお店は家まで送迎してくれるので、安心してビールを飲む。飲みながらワタリガニのカレー炒めや、タイヌードル、オイスターソース入り八宝菜ライスなどを食す。

「一度先生をおごりたかったのです」
となぜか教え子に払ってもらってしまった。よく分からないがゴチになりました。

            ◆

さらに、自宅に戻り夜景を見ながらあれこれ。
気がついたら12時近く。
『よし、シメのラーメンだ』
と体には良くないが、心には良い飲んだあとのラーメンに突入。マンションを出て近くにあるラーメン屋に向かう。

そこでもあれこれと話す。
「滋賀県にこんなにヨットがあるとは思わなかった。琵琶湖がこんなに奇麗だとは思わなかった。ヨットを買いましょうよ。まずは、シーカヤックからがいいかなあ。滋賀県は豊かだなあ」
などと言われる。私もそう思う。
『滋賀の人間は、滋賀から出たがらないんだよね。でも、これだけ豊かならそれも分かるねえ。この広い空。吹き抜ける風。それでいて京都駅まで家のドアから30分だからねえ』
二年ぶりに会った彼であるが、よくこれだけ話題が続くなあと自分でも思いながら話す。

二人とも立派におじさんなのだが、25年前よりもピュアに生きることを楽しんでいることを実感していた。

来年もまた泳ぎにくるとのこと。これも楽しみ。
いい週末だった。

2008/09/21

学校で携帯「禁止」「通話のみ」 文科省、ルール例示

http://www.asahi.com/national/update/0920/TKY200809200176.htmlから引用開始 ーーーーーーーーーー

学校で携帯「禁止」「通話のみ」 文科省、ルール例示

2008年9月20日21時12分

 裏サイトでの中傷や出会い系サイトなどの問題が相次ぐなか、文部科学省は学校での携帯電話利用の指針づくりを求める動きを強めている。今年6月には同省の有識者会議が「真に必要な場合を除き、学校には持ち込ませないよう指導すること検討する」と提案、7月には都道府県や指定市の教育委員会などに「校内では原則禁止する」「機能を限定する」といった具体例を示した通知を出し、取り組みの徹底を改めて求めた。

 7月25日に同省が出した通知では、児童生徒の携帯利用の実態把握▽学校内での取り扱いに関する方針の明確化▽ネット上のいじめへの取り組みの徹底▽情報モラル教育の取り組み——などを求めた。

 このうち学校内の携帯電話の扱いについて「一部で学校の方針が明確になっていない場合も見受けられる」とし、発達段階や地域・学校の実態に応じてルールをはっきりさせるよう求めた。

 通知は一律に「携帯禁止」を求めてはいないが、指針の参考例として「小中学生は学校への持ち込みを原則禁止にする」「居場所確認や通話機能に限定したものの持ち込みは可能とする」「校内の使用を禁止したうえで学校で一時的に預かる」などを挙げた。

 子どもの携帯利用をめぐっては、政府の教育再生懇談会が、5月末に首相に提出した中間報告で「携帯電話を持つことがないよう関係者が協力する」と盛り込んだ。自民党有志議員の勉強会も「法規制が必要」と提言している。

引用終了 ーーーーーーーーーー

ということだが、これはいろいろと考えさせられるニュースである。
これは、大学の授業でも考えさせたいと思っているものなので、ここに論点は書かないが、さっと思いつくだけで5、6個出てくる。

さて、小学校の教員を目指す学生たちは、このニュースをどのように考えているのであろうか。


明日の教室 10/4

10月の「明日の教室」の紹介です。

10月は、関西屈指のダンスカンパニー、「セレノグラフィカ」のお二人をお招きして、ダンスワークショップを実施します。
現在、イギリス、フィンランドといった国々では、教育の中に、ダンス、演劇といったものが効果的に授業の中に取り入れられています。
そして、学習の定着のみならず、子ども達のコミュニケーションの育成という点で効果を上げているのです。
みなさんの頭の中には、「ダンス=音楽に合わせて格好良く身体を動かす」というイメージで埋め尽くされているのではないでしょうか?
今回のワークショップを通して、体験していただきたいのは、決してそういうものではありません。体験していただきたいのは、身体というモノを使って、他者とコミュニケーションしていくといったことなのです。
つまり、「身体を使ったコミュニケーション」とも言うべきものです。
ちょっとダンスは苦手・・・といった方、大歓迎。そんな方こそ、是非とも体験してみて下さい。きっと、目から鱗・・・のはずです。

日時   10月4日(土) 13:30〜17:00
場所   京都橘大学 児優館
参加費  一般2000円 学生1500円
その他  動きやすい服装でお越し下さい(更衣室アリ)
     終了後、山科で懇親会アリ(参加費別料金で4000円程度)

*講師 セレノグラフィカ (隅地茉歩+阿比留修一) のプロフィール

セレノグラフィーselenography(月面地理学)+icaで「月究学派」と訳す。時と場所によって形や色の変わる月のような、「ダンスというとらえどころのないものを追求している者たち」を意味している。成人後、突如ダンスに開眼し、母校同志社の付属高校で国語を教える傍ら(05年度まで)ダンス活動を続けてきた隅地さんと、近畿大学芸術学科演劇・芸能専攻在学中から舞踊創作や即興の研鑽を積んできた阿比留さんによって1997年結成。

日々の暮らしの中の何気ない動作を、身体操作の観点でとらえ直し、見る人によって実に様々な解釈を誘発する作風に定評がある。関西を拠点にしながら、国内外で作品を上演、2006年には初の欧州ツアーを、2007年には韓国にも遠征。近年は、お互いのソロ活動も意欲的に行っている。代表の隅地さんは、コンテンポラリーダンスの登竜門とされる「TOYOTA CHREOGRAPHY AWARD 2005」で「次代を担う振付家賞」(最優秀賞)を受賞。bHP  http://www.selenographica.net/

申し込みは、こちらへ
お待ちしております。

久しぶりに京都市内に出かけて行った

久しぶりに京都市内に出かけて行った。お気に入りの「東龍」で中華麺を食し、「一保堂」でお茶を購入し、本日のメインイベントに向かう。娘の胎内毛で筆を作るのである。

娘は生まれたときから毛がフサフサあり、一歳前には相当髪の毛が長くなっていた。もっと早くに切ってあげても良かったのであるが、筆を作るために頑張って伸ばしていた。で、切った髪を持って専門店に持参したのである。

何の毛の筆でもそうであるが、一度ハサミを入れてしまった毛は筆にはならない。人間でも同じ。だから、一生に一回しか作れないのである。

出来るだけたくさん作ってあげたいと思い、伸ばした髪の毛。うまくいくと大筆一本に、小筆を二本作ることができそうである。桐の箱に入れて仕舞い、嫁入り道具に持たせるわけである。

この注文をやっと終えることができて、一安心である。ふう。

            ◆

せっかく久しぶりに市内に出てきたので、あれこれ見て回ることにする。まあ、家から京都市内まで15キロぐらいしかないので、行こうと思えばそんなに大変でもないのだが、娘の食事やら何やらのタイミングとかを考えると、なかなか出にくい。

なもんで、出てきたときにエイヤッ!と買い物をしたり見て歩くのである。外で美味しいものを食べるのが難しいので、うちで食べられるように面白い食材を購入。久しぶりに、子羊の肉も買った。

            ◆

今まではすべて抱っこかベビーカーだったが、今日は靴を履かせて少し歩かせることもできて、なかなか新しい展開があった。

もちろん、どちらからがマンツーマンディフェンスをすることになる。娘を見ながら周りの動きを確認し、歩行者に迷惑を掛けないかどうかなど気にしながら。

お父さんとしては、娘の手を引いて歩きたいのであるが、我が娘は一切これをしない。なんでも自分でやろうとする。

果たして、手をつないでお散歩する日は来るのであろうか。

2008/09/19

「共同研究室」

午後から大学へ。
二回生の基礎演習ゼミの担当者の打ち合わせである。共通シラバスで行うため、何を授業の柱として、どのように進めて行くのかの大枠を決めるのである。

この会議は実に面白い。
経験も専門も違う先生方と、育てて行きたい学生の姿、今の学生の姿、用意する教材などを元にあれこれ語り合う。

「こんな学生に育ってほしい。こんな先生に育ってほしい。だから、これをさせたい」
という話である。もちろん、脱線もし、
「それは実行可能性がないねえ」
なんてことも話すのであるが、そこで語られる思いや願い、担当してきた子どもたちのエピソード等を聞くにつけ、これは一つの立派な研究会になっているなあと思う。私が勉強になる。

            ◆

嘗て中野孝次先生が、国学院大学でドイツ語を教えていた時、外国語の教師の研究室は共同研究室で、一種のサロンのような状態になっていた。それが良かったと書かれていた文章を読んだことがある。一つの本の評価を巡って延々と語り合ったりしていたわけである。

私も、国立学院聖蹟桜ヶ丘校で教えていた時に、これと似た経験をした。当時、私は学部生で教えていた。しかし、私と一緒にクラスを担当していた他の教科の先生方はマスターやドクターばかりであった。

授業が終わり講師室に戻ると、YとかMとかの文字が書かれていた。これは「養老の瀧」か「まんだら屋」のどちらかの店にいるという合図であった。そして、そこに行くとこれがまあ、生徒の話だけではなく、あれこれあれこれ様々なジャンルの最先端の学問の話が飛び交うのである。江戸の黄表紙の話、ドイツ語で語られる世界経済の話、量子力学の国際学会での発表の話題まで出てくるのである。

文学部2年生の私に、分かるわけも無い。
だが、ここで分からないと言ってしまう自分になれないのが、私。割り箸の入っていた袋に、出てきた単語ぐらいを書き写し、図書館で調べる。分からないけど調べる。私の専門でもないし、相手はマスターやドクター。分からなくて当然だけど、それが許せなかった。取りあえず何かをせねばと思い、インターネットの無い時代に、これを繰り返していた。

結果として、私に何が残ったかと言えば、ほとんど残っていない。しかし、あの学問の熱を帯びた話題を4年間浴び続けることができたことは、幸せだったと思う。私にとっては、あそこが「共同研究室」だったんだなあと思う。

            ◆

そして、今。
また、大学に移ってからも中野先生が体験されたのと同じように、仲間たちから学問のシャワーを浴びることができる。嬉しいことだ。
(これをどうやって授業に作り上げて、学生たちに力を付けさせようぞ)
と思うのが、また楽しい。

ありがたいありがたい。

実践をつくり出す源

教えるための教材を作り、教えると言う教師をしている私であるが、一方で大事にしなければなあと思っていることがある。それは、教えないである。

             ◆

私がディベートという指導方法に出会った時、教育書のコーナーにディベートに関する本は一冊も無かった。あれこれ探すと、ビジネス書のコーナーにあった。それを読み、アメリカの高校生が使っているディベートの教科書を買い求めたりしながら、指導方法を考えて身につけて行った。

ディベートそのものも、私がやりたいと思って始めたわけではなく、生徒たちが話し合いをしたところ、面白いのでもっと無いかと言われて
『たしか、デなんとかというのがあったぞ』
と調べたのが最初である。

私は、生徒が話し合いの授業を求める事を面白いなあと思い、ほとんど分からないディベートのあれこれを調べるのを大変だなあと思い授業をつくっていた。

             ◆

ある程度ディベートの指導が出来るようになり、
『ディベートって面白いですよ』
と先生たちに話す事が増えるのだが、すると

「私は大学でディベートを習っていないから」
とか
「そんなに難しい事指導できないわ」
とかいう言葉を良く聞くようになった。

私には、これが本当に分からなかった。

             ◆

自分が大学でディベートを習っていないから指導できない? ちょっと待ってください。私だって習っていませんよ。ワープロだって、パソコンだって習っていませんよ。だから自分で学んだんですよ。

そんなに難しい事指導できない? 難しい事無いですよ。仮に難しかったら、それを分かりやすく指導することを考えるのが教師の仕事じゃないのですか。

と言いたかったが、そこは言わなかった。
世の中にある疑問、生徒に教えるための方法、これらがすべて大学で教えてくれるものだと思っている人たちがいるのだと思ってびっくりした。

もちろん、いまではそういう言い方で違う理由を隠していたと言う事も理解できるが、そうだとしてもやっぱり変だなあと思う。

             ◆

今思うのは、「教わらなければ教える事の出来ないという先生になるのは、いかがなものか」ということである。

もちろん、効率的に人類が獲得してきた知識や智慧、技術や倫理を手に入れる為に教わるということは大事な事である。

しかし、それだけで片付けようとしたり、それだけがすべてであると勘違いしてしまうのは、教師としては実に勿体ないというか、指導の面白さに出会えないというか、そんな気がしている。

             ◆

だから、教えないのである。自分が手にした問いについて、自分で答えのようなものにたどり着く経験をしなければ、分からない事だらけの学校教育現場で、生き抜いて行く事は厳しいのではないかと思う。

「え? すみませんそれはわかりません。教えてください」
「え? うーん分からないなあ。よーし、いっちょう調べるか、考えるか」

両方とも使える事が大事だと私は考えている。それが実践をつくり出す源になるのだと考えている。

身体コミュニケーションのためのDVD教材

大学では、DVDの撮影。今日は、砂連尾さんのコンテンポラリーダンスをベースにした、身体コミュニケーションのためのDVD教材である。

私はずっと見ていたかったのではあるが、どうにも仕事が終わらず合間合間に見に行く感じで見ていた。学生たちがいい感じに体を解して行く姿がそれでもよくわかった。

この企画の立案者は糸井先生。糸井先生は本物を見極める目がある。無名のアーティストと一緒に仕事を始めるが、糸井先生の眼鏡にかなった人たちは、売れる。砂連尾さんも文化庁の研究員になり、一年間ドイツに留学となった。その前に収録しようと言う事で、昨日行ったのである。

            ◆

私にとっての圧巻は、収録の最後のワークショップの解説コメントである。9つのワークショップを行ったのだが、その一つ一つに砂連尾さんが端的なコメントを添えた。

順番に説明をして行くのだが、これが一発オッケーであったのだ。こういうのは通常TAKE2、TAKE3・・・、となる事がおおいのだが、一発であった。

自分がやろうとしていることを、きちんと言葉で説明できると言うのは、簡単なようで難しい。今回のワークショップの身体コミュニケーションの目的と方法を、あのように端的にまとめて、失敗もせずに語る。

これは体と言葉がきちんと噛み合っているからこそ出来るのだなあと、思った次第。

            ◆

新しい学習指導要領では、中学校でダンスと武道が必修になる。導入にはいろいろな目的があるのであろうが、今回のDVDはそこに至る前のというか、基礎になる自分の体と相手の体に気づくということが目的となっている。

そして、小学校の教師を目指す学生たちにとって、言葉をうまく使えない小学生たちの、言葉としては現れないが体に表れる「ことば」を受け止めるためには、この「体」の発するメッセージを受け止める事の出来る、自分の体を手に入れる事はきわめて重要だと考えている。

昨日のレッスンを受けることができた10名の学生諸君は、そういう意味でとても大切なレッスンを受けていたことになる。

            ◆

なんとも贅沢なDVDに仕上がりそうだ。

2008/09/18

すぐに使えるミニネタ実践! 楽しい授業づくりDVDシリーズ

私の授業のDVDを出してもらっているジャパンライムさんから、画期的なDVDが販売された。今脂が乗り切っている小学校の先生たちによる、ミニネタの授業である。

講師の先生の名前を見て、驚いて頂きたい。

国語 石井淳先生
社会 佐藤正寿先生
算数 蔵満逸司先生
理科 土作彰先生

である。

「すぐに使えるミニネタ
実践!楽しい授業づくりDVDシリーズ」

である。

リンク先には、サンプル映像もあります。ちょっと見てみると、これは欲しいと思うでしょう。良かったらお求めください。

2008/09/16

小さな家族旅行

噂の大塚国際美術館に行ってきた。
とにかく、スケールが大きい。
西洋の美術を時代順に陳列してある。
すべて模造である。
しかし、実物大である。

聞く所によると、あさ9:30から回っても閉館の17:00には間に合わないことがあるとの事であった。

私たちのスタートは、10:30から。娘も一緒だったので、泣き始めたらどちらかが休憩場所に行ってあやし、交代しながら回った。間に合わないかと思ったが、なんとかぎりぎり最後までたどり着いた。

            ◆

オープニングは、地下鉄大江戸線を彷彿させるエスカレーター。下から上に向かう。そして、最初からがつんとやられる。ミケランジェロの制作したシスティーナ礼拝堂である。

Sistina

この調子で1000点以上の美術品がその建物ごとであったり、作品であったりしながら陳列されているのである。美術の教科書に載っているものは、ほとんどあると言っていい。

入場料は3150円だが、これは高くない。もし、ヨーロッパに行くのであれば、ここで予習をしてから行くのがいいだろう。

            ◆

美術品もすばらしかったのであるが、そこは親ばかの私である。
娘の歩く姿に感動してしまった。

9/2に歩き始めて、そろそろ二週間というところであろうか。右足が出ると同時に右手が出てくると言うヨチヨチ歩きだ。その歩き方で、歩き続けるのである。

大塚国際美術館の長い廊下を、ただただ歩けるのが嬉しいだけで、50mも歩くのである。それを二回やったから100mである。

娘が前を歩き、私はその後ろを見守りながら、時々声をかけながら歩いた。
やがて、私のことなど気にもせずに遠くに旅立つであろう娘の姿を思い浮かべるのは、まだ早いと思いながらも思ったりしながら、歩いた。

http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND29730/index.html

伊勢正三さんの名曲、「そんな暮らしの中で」と、季節は違うが
いま、この瞬間なのだろうなあと思う。

            ◆

他にも、奥さんが通っていた幼稚園や小学校。昔住んでいた家とその前にある和洋菓子屋さんにご挨拶に行ったりと、なかなか充実していた。

この夏、小さな家族旅行を無事に終えることができた。

さ、後期の準備、締め切りを間違えてしまった仕事。
やるぞ。

2008/09/14

琵琶湖の青空を飲み干した

『柿本人麻呂はこの景色は見られなかったろうなあ』

と湖上で私は明日の教室の仲間たちに、話しかけた。もちろん人麻呂の

    淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 情もしのに 古思ほゆ

を思い出しながらである。

昨日の明日の教室は、雄琴にあるオーパルで行った。カヌーの体験だ。午前中は簡単なレッスンで、午後は浮御堂までの片道4キロのツーリング。往復では休憩を入れて2時間30分かかった。

その帰りに見た空の広さが、どーんと心に迫ってきた。電線のない、ひろーい青空。それを琵琶湖の湖上から見たのである。思わず、

『柿本人麻呂はこの景色は見られなかったろうなあ』

と言ってしまったのである。

特別活動では、遠足や宿泊行事がある。この行事を通して子どもたちに、さまざまな力を育てて行く。

嘗て英語の外人講師が言っていた。

「日本には遠足とか修学旅行があっていいですね。私のアメリカでは不可能です」

と。とても面倒見切れないというのである。日本もそうなりつつある。教師の指導に従わない子どもたちを連れて宿泊を伴う行事を行うと言うのは、かなり厳しいものとなってきている。

ではあるが、それでもやるのであれば、いろいろな工夫をしてなんとか安全に、楽しく、力をつけさせたい。私もそうしていろいろとやってきた*1。

三連休の初日、運動会の取り組み、新学期の疲れ、集中講義などなどさまざまなことがあってか、この日の参加者は11人と少数であった。

が、参加したみなさんは大満足だったと思われる。(今回、アンケートをとれなかったので、文章がないので、思われるである)

(この満足を子どもたちに経験させてあげたいなあ)

ということが、新しい教材づくり、授業づくり、行事づくりになっていくのだと私は思っている。

懇親会は京都駅近辺のお店で。
私はメニューにあった「蒼空」という日本酒をためらう事無く頼んだ。
この日に一番の日本酒だと思ったからだ。

そして、それは大正解であった。
あの琵琶湖の青空を飲み干したかのようであった。

次回の明日の教室は、10/4 
いつもの児優館で、ダンスです。

*1 『授業づくりネットワーク』NO.219    2003/10    池田修    「移動教室の改革−分宿の試みとインターネット無料掲示板を活用した事前学習−」参照

2008/09/12

数少ない夏休みの一日

9/11

今日は数少ない夏休みの一日であった。
スケジュールには、本当に何も書いてない。何も書いていないので不安になったが、確認をして休む事にする。

私が夏休みがないのと同様に奥さんにもない。私がデンマークに行ってしまい、なおかつ娘がちょっと病院にいったりしていたので、実家から早く帰ってこなければならず、娘の世話で一日自分一人で自由に動ける時間というのは、本当に無かった。

そして、この後の私のスケジュールを見ると、これからも忙しいわけで奥さんが自由に動ける時間はこの日ぐらいしかないなあということで、奥さんを解放して私は一日中娘の子守りである。一日ぐらいであれば、娘と一緒にいるのは愉しみであるが、ずっと24Hというのは、やはり大変である。だから、解放である。

保育をする予定で、布団でごろごろ遊んでいたのだが、午前中は、今頃襲ってきている時差ぼけによる睡魔に打ちのめされて寝続けてしまった。

娘は私の体のどこかに自分の体の一部をくっつける程度の距離で、何やら遊びをしている。ときどき私の顔のところにやってきて、私が生きている事を確認して、また遊び始める。

これを繰り返しているうちに、娘も午前中のお昼寝となる。

昼ご飯は、バナナとヨーグルトとミルクである。娘はバナナがことの外好きで、よく食べる。最近は自分でスプーンを持って食べる事を覚え、自分で食べると意志を表すようになる。見ていると面白い。

ゆったりと午後を過ごしたいところであるが、私がマックに向かってあれこれしていると、近くに寄ってきて
「あああああああああああ!」
と叫ぶ。
『ハイハイ』
と抱っこ。抱っこすれば何事も無かったかのように落ち着いて、あちこちをきょろきょろするのである。

片手でキーボードを入力できるようになっておく必要があるかもしれない。

近所に、就学前の子どもたちが遊ぶ施設があるので、行ってみる事にした。丸い木がたくさん入っている木のプールをはじめとして、あれこれの遊具がある。しかも、無料である。駐車場代も90分は無料である。

大津市はこういうところにお金をかけているなあと思う。ま、それなりに高い住民税を払っているので、きちんと活用したいとも思うが。

中に入ると、同い年ぐらいの赤ちゃんがたくさん。娘は少し戸惑っている様子。それ以上に戸惑っているのが、私。そりゃあそうだ。平日の午後に娘を連れてここに来ている男性は、孫を連れてきているおじいちゃんぐらいしかいない。完全に浮いているのは、私である。

かつて、いわせんさんが育児休暇をとった時、育児ノイローゼになったというが、分かる気がする。こんな時間に娘を連れてきている旦那さんである。何か特別な事情があると思われているのが、よーくわかる。

ま、それでも娘はしばらくすると、遊具になれ環境にもなれ少しずつ遊び始めた。私は本を読んだり、娘を見たり、写真を撮ったりしながら過ごす。これもいいだろう。

さらに、ガーデンに行こうかと思ったが、娘の午後のお昼寝の時間が迫ってきたのでこれは諦めて自宅に戻る。添い寝をしたらあっという間に寝てしまった。

しかし、こんな風に過ごしながら家事をこなしている奥さんに、改めて感謝の念を抱く。私には出来ないなあ。

夜はぐっすりであった。

2008/09/11

旅の正しい終わり方

イクトスさんが、漢詩の授業をされている。
(懐かしいなあ、中国か)
私は二回ほど中国に一人で行っている。
黄鶴楼にも行った。その辺りの詩を扱っているとブログで読んだ。

今朝、食べ終わった食器をシンクに仕舞おうと思っておいたら、どうも起き具合がわる。何だと思っておいた食器をどかしてみると、昔中国を旅したときに買ってきた景徳鎮の皿が下にあった。

デンマークの旅では、サンデーマーケットでロイヤルコペンハーゲンのアンティークものを数枚手に入れてきた。私は食器が好きである。

景徳鎮は中国の旅の最終日辺りに、フルセットで手に入れてきた。店の人は日本に送った方が良いとアドヴァイスをしてくれたが、私は頑にもって帰るといい、持って帰ってきた。

バカみたいに重たい景徳鎮セットであった。持って帰るよりは、船便ででも送ってもらった方が明らかに楽で、安全であったに違いない。

ではあるが、私にはどうもこれができない。

私は買い出しに行っているのではなく、旅に出ているのである。お土産は、後から届くと言うのがダメなのである。お土産も一緒に家に着くというのが、大事だと思っているので、よほどの事が無い限りは、ヒーヒー言いながらでも持って帰ってくる。

そして、ただいまと言いながら重たい荷物と一緒に部屋に入る事が、旅の正しい終わり方だと言う思いを持っている。

上海から横浜の港に着いた時、

(さあ、このお土産を持って奥さんの待っている家まで帰るぞ)

と思ったときの、あの旅が終わるような、新しい旅が始まるようなそんな思いを、久しぶりに思い出した。

いろいろと繋がるものだ。

『中等教育におけるディベートの研究』のご注文方法

『中等教育におけるディベートの研究 〜入門期の安定した指導法の開発〜』(池田修 大学図書出版 193p ISBN978-4-903060-36-1 C3037 ¥2000E)

上梓したと言うアナウンスをさせて頂きました。
ところが、うまく販売ルートに乗っていませんでした。
やっと乗る事が確認できました。

申し訳ありませんが、注文は、直接大学図書出版にお願いします。

電話    03-5366-9280 
ファックス 03-5366-9277

です。
よろしくお願いいたします。

道路に段ボールが散乱

大学は会議で始まる。
委員会会議、教授会。その後、緊急の学科会議にあれこれ。まるまる半日会議である。

大学に向かう時、湖西バイパスを通って行く。長良トンネルを抜けている時、目の前に段ボールが迫ってきた。道路に落下したものだろう。五六枚あった。場合によっては非常に危険である。

そこで、研究室についたときグーグルで「滋賀 道路管理」と検索して、出てきた大津の市役所に電話した。
『市民ですが、道路に段ボールが散乱していて危険ですので、連絡しました』
と。すると

「そこは、バイパスですか?」
『そうです。12時30分ぐらいに通過しました』
「あー、それは国の管理なんですよ」

私は一瞬なんのことだかわからなかった。だが、すぐに

『それじゃあ、あなたから国に電話をしてください』

と言った。そしたらむこうも虚をつかれたようで

「はい」

と答えていた。

恐らくではあるが、 あそこで黙っていたら、国の管理事務所に電話しろと言うメッセージで終わっていたであろう。

会議が始まると言うのに、危ないから電話をしたと言うのは、もちろん相手には分からない。しかし、管轄じゃないから分からないというようなのも、こちらにはわからないこと。

「ありがとうございます。それでは、あのバイパスを管轄している国に連絡をしておきます」

という返事があれば、さすがなのだが。善意の第三者ってのは、理解されないのかなあ。

帰り同じ道を通ったら段ボールはなくなっていた。
ああ、良かった。

2008/09/09

娘が一歳になった

娘が一歳になった。悠仁親王と誕生日が同じなので、よちよち歩きは可愛いなあと思う一方で、新聞の記事を見ながら
(を〜、来年はこんな感じなのかなあ)
と思う。

去年ブログで我が子の誕生のことを書いたら、ものすごい数のお祝いのメッセージを頂いた。ありがたい事である。全部保存してあります。娘が物心ついたら、見せてあげようと思っています。

ま、年がいってからできた娘なので、一緒に過ごす時間は通常よりも少ないと思っている。そのときに、いろいろなことがあったのだと、娘が文章で読み返すことができるようにと、私と奥さんでは写真、動画の他に文字で記録している。

            ◆

誕生日のお祝いは、お花とこれ。ランニングトラックである。

Rimg0189

前から気になっていたものだ。思い切って買ってしまった。

売り場に向かうとき、売り場で、さらにその後と娘はあちこちで好奇心の固まり。きょろきょろして笑顔を振りまきまくる。

たぶん、娘が飽きたら私が研究室に置いて遊ぶと思う。だから、これ。
上から下まで通過する時間を確認したら、6秒であった。

を、これは使える。
『こんな時どう言い返す』では、5秒以内に言い返す事を推奨している。大学の授業で、これを持ち込んで6秒計として活用することもできるな。大きいけど。

            ◆

ともあれ、おかげさまで娘はなんとか順調に一年を迎えました。
ランニングトラックも、あっという間に自分一人で遊べるようになってしまいました。自分の思う通りにならないと叫んでおります。心配していた症状も快方に向かっております。

ありがとうございます。

どこかでキッチンタイマーが

(どこかでキッチンタイマーが鳴り響いているなあ。あれ、俺のタイマーかな。切り忘れたかなあ)

少し酔った頭で、考えていた。
いや、違う。あれはキッチンタイマーではない。虫の音だ。

秋だ。

2008/09/07

授業後の最終コメント

特別活動論の集中講義が終わった。
学生たちとの約束通り、授業の翌日に授業後の最終コメントを授業専用の掲示板に書き込んだ。

授業のやりっ放しにならないようにするために、インターネットの掲示板は便利である。私は、大学にサーバーを置くものを活用することもあるが、携帯電話から書き込みが出来て、無料で、アダルトの広告のでない0bbsを使う事が多い。

そこそこ使い勝手は良い。

これで後は、評価だけだ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

諸君の掲示板への書き込み、書き込み回覧作文を読んで、あれこれ思った事、考えた事を、この講義の最後に記す。

          ◆

「講義を受けて教師になる意欲がない。これは講義後も変わらなかった」という感想文があった。「こんなことを書くとみんなに先生に申し訳ないかもしれない」ともあった。しかし「他にしたい事が見つかった」と書いてあった。

ならば良い。その道を行けばよろしい。私は全然怒らない。むしろ、自分の道を見つけた君に、おめでとうである。

私はこの授業を行うときに、

『この授業は、本気で教師になりたい人に向けて行う授業なので、ライセンスだけ欲しいと言う人には向いていません。大変なので、受講を見合わせた方がいいと思います』

と言い、本気で授業に向かう事を求めた。『教師はいいぞ』とは言ったが、君たち教師になれとは一言も言っていない。

『教師は、かったるくて、面倒くさくて、しんどいけど、とってもいい仕事である。それをめざすのであれば、真剣に取り組め。そのための授業をする。教師になることを考えていない諸君にも、この授業に参加する以上、これを求める』

と話したはずである。だから、自分の道を見つけているのであるのならば、おめでとうなのである。

          ◆

私の講義を受けて、自分が指導を受けてきた先生方のことを思い出している諸君が多くいた。感想は
(先生、あのときはごめんなさい)
(先生、そういう意味だったのですか。ありがとうございます)
と大きく二つに分かれている。
もし、そういう思いを持ったのであれば、恩師に手紙を書きなさい。

「先生、私は大学で学び教師になろうとしています。大学で特別活動論と言う授業を受けて、先生の○○さが分かりました。生徒のときの私は〜」

と書けばよろしい。先生はとても喜んでくれるだろう。そして、会ったときには食事でもおごってくれて、これから教師になる君に
「あのときは、実は◎○だったんだよ」
と話をしてくれるであろう。

手紙を書きなさい。お礼でもお詫びでも良い。恩師に手紙を書きなさい。かならず、君の味方になってくれるはずだ。

          ◆

教師と言う仕事を目指す。このことに期待と不安を同時に抱いている諸君が多く見られた。授業を受けてこれがますます深まった諸君もである。

結論を言おう。それでいいのである。『元祖 天才バカボン』的に言えば、「これでいいのだ」である。

そんなに簡単に答えが出てしまう方がおかしいのである。自分の人生を丁寧に考えれば、あれこれ期待もするし不安にも思うものである。誰かの何かの価値観で動く事を強制されることのない現代社会において、何の疑いもなく将来に対して「たのしみだなあ」とだけ思うのは、相当な能天気である。

価値観を揺さぶられながら、考えを揺さぶられながら、自分でもう一度考え直す。そして、調べ教えてもらい、考えて自分の答えを出すのである。それが許されているのが大学生と言う時間である。きわめて贅沢な時間である。有効に使うが良い。

教師はいいぞ。

          ◆

引用開始 ーーーーーーーーーー

ゲストの先生との対談を聞いてるときも、教育者としての硬い話のようで分かりやすく、今までこんな先生に出会わなかった自分がすこし悲しくなりました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

『ふ・ざ・け・る・な (笑)』

何をつまらない事を言っている。そんな過去の事なんぞ悲しがっている時間があれば、君が将来子どもたちに
「先生に出会えて良かったです」
と言われるような教師になる勉強を重ねれば良い。勉強せい。

          ◆

「難しいから、楽しい」と村林先生が仰ったのをメモした者はいるか。この意味を理解するか。「難しいけど、楽しい」ではない。「難しいから、楽しい」である。

子どもたちは、難しいものはやりたがらない傾向にある。私に言わせれば、ドラゴンクエスト等難しいの最たるものであるが、あれについては「難しいからやらない」とは言わない。

つまり、

1)難しいから、やらない。大変。
2)難しいから、やる。面白い。

の二種類があるのである。
私たちは、2)をめざし、2)をめざす子どもたちを育てるのである。

          ◆

デンマークの話を、余裕があればすると初日に話したが、ほとんど出来なかった。

授業の前日までシラバスをあれこれ調整してみたのであるが、四日間で20分程度しかゆとりを見いだすことができなかった。それもまとまった20分ではなく、バラバラの20分であった。実際、四日間の授業をしてみて、そのぐらいしかゆとりの時間を生み出す事は出来なかった。

余談として挿入すると言うことも考えたが、そうすると授業全体の統一感がなくなるので、今回はほとんど触れることをしなかった。残念であるが仕方がない。機会があればどこかで話を聞くことができるであろう。

          ◆

授業は、教師が作るものではなく、教師と学習者とが中心になって作り上げて行くものである。そういう点で、諸君は、ある一定の学習者としての責任を果たしたと私は考えている。大儀であった。

最終課題まで気を抜く事なく、しっかりと行いたまえ。

          ◆

さて、これでオシマイである。

ほとんどの諸君とは、「来年も会おう」ということにはならないことを期待する。
私はこれから諸君の課題の評価に入る。
学生は、課題を出せばオシマイであるが、教師はそこからが始まりである。

やらせれば仕事は増える。だから、やらせないのが楽である。しかし、やらせれなければ力はつかない。当たり前である。やがて諸君が教師になると、今の私の気持ちも実感できるであろう。その気持ちを実感する事を期待して、2008集中講義の特別活動論の私の話を終える。

授業は終えるが、本学の教員である事には変わりない。もし、私を必要とすることがあれば、連絡してから、研究室に来るが良い。
「まあ、頑張れ」
と言うか
「ぶったるんどる。しっかりやれ」
と言うか
「よく頑張っている。楽にせよ」
と言うか、何を言うか分からんが。

将来諸君が出会うであろう子どもたちのために、しっかり勉強を重ねるように。

2008年9月 池田修

引用終了 ーーーーーーーーーー

2008/09/06

さあこい、夏休み!!

ふう。集中講義が終わった。主に二回生を対象にした特別活動論である。

学生には関係ない事であるが、去年の今頃を思うとなんとも不思議な感じがする。去年は、娘の誕生(というか、このときは娘かどうか分からなかったが)の期待と不安に包まれて、東京に向かっていたのだ。そして去年の今日命を授かったのだと思うと、あっという間の一年であった。

また、今年の集中講義は、デンマークから帰国した翌日から始まったということで時差ぼけとの戦いでもあった。寝る時間、起きる時間をコントロールして乗り越えることができた。

『この授業は、本気で教師になりたい人に向けて行う授業なので、ライセンスだけ欲しいと言う人には向いていません。大変なので、受講を見合わせた方がいいと思います』

と宣言してから授業に入る。もちろん、ライセンスだけ欲しい学生もいるだろうが、授業をする側の立場としては、本気で教師になりたい諸君に焦点を当てて授業をするのだと言う事を宣言しているのである。

体調が悪くなったり、パソコンがトラブルを起こしたりといろいろな障害を抱える学生もいたが、ほとんどが乗り越えてきたと思う。しっかりした教師になってほしい。

この集中講義では、毎年一流の先生をお招きして授業をお願いしている。昨年は青山新吾先生であった。今年は、村林新吾先生である。偶然であるが、名前が同じ。新吾つながりである。昨日お招きした。

村林先生は、三重県の相可(おうか)高校で食物調理科専門調理師教諭である。私は四月に『高校生レストラン 本日も満席』(伊勢新聞社)を拝読し、すぐに手紙を書いた。

「なんとか、私の学生たちに授業をして頂く事はできないでしょうか?」

と。すると、オッケーの連絡を頂くことができた。本当にびっくりであったが、うれしかった。

高校生の食物調理科の生徒を指導し、クラブ活動でお店を運営し、料理コンテストに優勝し続けというとんでもない実践をされている先生である。お招きできると分かり、とても喜んだ。

学生たちには、本書を購入し読ませて、質問を記入させてから授業に臨ませた。1時間目が講義、2時間目は学生の質問に答えるような形で講義。3時間目は、私の質問から対談へとうつる授業と言う構成である。

この対談形式の授業スタイルは、この特別活動論の外部講師をお招きするときにはずっと、続けている。学生たちに
『何か質問は?』
としても、質問の仕方がわからないような学生が多い。まずは、質問をすると言う事はどういうことなのかを、私が対談形式で行う事を見せることで理解させようと言う狙いもある。

私は料理が趣味なため、個人的にも村林先生伺いたい事がたくさんあり、奥さんは
「あなたが一番喜んでいるんじゃないの?」
と言っていた。図星かもしれない。

授業の内容は、それは予想していた以上のすばらしいものであった。学生たちは満足。私は大満足の大感謝である。

授業後、村林先生には
「あれだけきちんと厳しい授業を受けている学生たちが、教師になって現場に出てきてくれたら、うれしいですねえ」
というありがたい言葉を頂いた。

しかし、いつも思うのだが実力のある方は、腰が低い。そして気さくで懐が広い。学生たちの良いところを見つけて褒めてくださる。そうでない方は、この逆になる事が多い。村林先生はその上、熱く面白く丁寧な先生であった。

実は村林先生は、私が15年ほど前からお世話になっている国語教師のてるりんさんと、仲が良い。私もびっくりだが、この事を対談の冒頭で知らせた時の村林先生の驚きもかなりのものであった。

教育の業界は狭いものである。しかし、こんな風に繋がるのはあまりあることではない。学生たちには
『コネはダメだ。しかし、人脈は大事にしろ』
と言う話をしていたのだが、具体例として話すことができた。

さらに村林先生とは、後で気がついたのであるが、「わくわく授業」つながりでもあった。ご縁である。

とまれ、これでやっと私の夏休みが始まる。学生のレポートの評価や頼まれている仕事などがあるので、とびとびで5日間ぐらいであろうか。
個人的には、もう少し暑さが続いてほしいと思う私であるf(^^;。

さあこい、夏休み!!

2008/09/04

デンマークの事をすこし

デンマークのことを、奥さんに話す時間がない。
写真も見せていない。
お土産だけ並べて、説明したと言うところだ。
いやあ、忙しいこった。

           ◆

ブログで書く事を考えていたけど、どうも詳しく書けそうにもない。「明日の教室」とか、どこかの講座の中やその後で話すということになりそうだなあ。

一言だけ、デンマークの街の印象をと言えば、「ルパン三世 カリオストロの城」と「魔女の宅急便」のような町並みということか。九州ぐらいの面積に500万人ぐらいが住んでいる。しかも、ほとんど平。一番高い山が170mぐらいときたもんだ。とてもゆったりだ。

           ◆

考えていた事は、その土地や風土で育まれる農産物やら何やらの土台に、教育、文化があるということ。子どもや教師は変わらないと言う事。

移民の問題、低所得者の問題等を抱えながら、しかし、それをどうするか方針を持って解決しようとしている姿がありありと分かった事などが印象的であった。

あ、それから肉製品と野菜がとても美味しかったf(^^;。

           ◆

ヨーロッパは初めての経験であったが、一週間一つのホテルに滞在してあれこれやれたおかげで、朝から晩まで充実した研究、視察が出来たと思う。

うーん。
言語化するには、もう少し時間がかかりそうだ。

           ◆

写真は、スエーデンから見た夕焼け。
スエーデンは、デンマークからフェリーで15分程度で行けるのであった。感覚としては明石海峡フェリーのようなものでした。

本当に夏の北欧の夕焼けは奇麗でした。


Swd


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2008/09/03

9/13(土) 9月の明日の教室 琵琶湖でカヌー

9月の明日の教室のご案内を正式にしておりませんでした。
受付は、こちらからです。

申し込み

参加費は、カヌー代、弁当、飲み物代もすべて含めて、

一般:2000円
学生:2000円

で行います。
非常にリーズナブルなお値段で体験できると思います。
湖面スレスレからの琵琶湖を是非体験してみてください。

先生の「豊かな経験」が、教育実践を充実させる事に繋がると考えています。
以前の書き込みから紹介します。

引用開始 ーーーーーーーーーー


9月は、9月13日(土)に実施します。
内容は、雄琴にあるオーパルでカヌー体験です。琵琶湖で多いに自然を満喫しましょう。
オーパルは、京都橘大学が新入生対象に使われいることもあり・・・今回、このような体験活動を実施できる運びとなりました。

10:30 オーパル集合 開会挨拶 諸注意 着替え

11:00 カヌー体験

12:00 昼休憩

13:00 カヌーツーリング

15:30 カヌー終了 着替え

16:00 オーパルの学校活用事例紹介

16:20 閉会挨拶 解散

持ち物
・濡れても良い服(Tシャツ+短パンなど)
・濡れても良い靴(ビーチサンダルなど)
・日焼け対策(帽子・日焼け止めクリームなど)
・メガネの方はメガネバンド
・乗り物酔いする人は酔い止め薬

終了後、京都駅あたりで、懇親会を・・・と考えています。

引用終了 ーーーーーーーーーー

申し込み

お待ちしております。

9/2 なんて親孝行なんだ

デンマークから帰ってきて、娘を抱っこ。
うん。幸せだ。

奥さんは娘を連れて駅まで迎えにきてくれた。
遠くに私を見つけた娘は、手を振っていた。
すぐ近くに行くと、照れているのかきょろきょろしている。
成長したなあ。

            ◆

家に帰って荷物の整理。
こればかりは娘にはお昼寝をしてもらわないと。
次から次へと投げ出されてしまうから。

            ◆

ではあるが、なにやら両手に抱えて一緒にお仕事に参加の娘。
するとどうであろう。
両手に物を持ちながら歩くではないか!

ちょうど、ビデオをまわしていたときに歩き始めた。
娘の最初の歩きをビデオに収めることができた。

私が帰ってくる日に、そして、ちょうどビデオをまわしているときにである。
信じられない。
なんて親孝行なんだ。

            ◆

ドラえもんの誕生日の前日、娘が歩き始めた日である。

2008/09/02

無事帰国しました

無事帰国しました。

帰りは明日から始まる集中講義のため、一人でコペンハーゲンから戻ってきました。一週間もいれば、自然と英語が出るようになっていたため、特に問題もなくでした。一ヶ月もいたらずいぶん違うんだろうなあと思う私でした。

あれこれと思った事、考えた事はあるのですが、いまは荷物とメールの整理と明日からの集中講義の最終チェックがありますので、また、折りをみてお伝えできればと。

いまは、授業をしたいモードになっている自分を確認できて、いい研究、視察の旅行になったなあと思っています。

まずは、報告まで。

写真は、なかなか日の落ちないスエーデンの港町のレストランで。
夕闇の空の青が奇麗でした。

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