授業後の最終コメント
特別活動論の集中講義が終わった。
学生たちとの約束通り、授業の翌日に授業後の最終コメントを授業専用の掲示板に書き込んだ。
授業のやりっ放しにならないようにするために、インターネットの掲示板は便利である。私は、大学にサーバーを置くものを活用することもあるが、携帯電話から書き込みが出来て、無料で、アダルトの広告のでない0bbsを使う事が多い。
そこそこ使い勝手は良い。
これで後は、評価だけだ。
引用開始 ーーーーーーーーーー
諸君の掲示板への書き込み、書き込み回覧作文を読んで、あれこれ思った事、考えた事を、この講義の最後に記す。
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「講義を受けて教師になる意欲がない。これは講義後も変わらなかった」という感想文があった。「こんなことを書くとみんなに先生に申し訳ないかもしれない」ともあった。しかし「他にしたい事が見つかった」と書いてあった。
ならば良い。その道を行けばよろしい。私は全然怒らない。むしろ、自分の道を見つけた君に、おめでとうである。
私はこの授業を行うときに、
『この授業は、本気で教師になりたい人に向けて行う授業なので、ライセンスだけ欲しいと言う人には向いていません。大変なので、受講を見合わせた方がいいと思います』
と言い、本気で授業に向かう事を求めた。『教師はいいぞ』とは言ったが、君たち教師になれとは一言も言っていない。
『教師は、かったるくて、面倒くさくて、しんどいけど、とってもいい仕事である。それをめざすのであれば、真剣に取り組め。そのための授業をする。教師になることを考えていない諸君にも、この授業に参加する以上、これを求める』
と話したはずである。だから、自分の道を見つけているのであるのならば、おめでとうなのである。
◆
私の講義を受けて、自分が指導を受けてきた先生方のことを思い出している諸君が多くいた。感想は
(先生、あのときはごめんなさい)
(先生、そういう意味だったのですか。ありがとうございます)
と大きく二つに分かれている。
もし、そういう思いを持ったのであれば、恩師に手紙を書きなさい。
「先生、私は大学で学び教師になろうとしています。大学で特別活動論と言う授業を受けて、先生の○○さが分かりました。生徒のときの私は〜」
と書けばよろしい。先生はとても喜んでくれるだろう。そして、会ったときには食事でもおごってくれて、これから教師になる君に
「あのときは、実は◎○だったんだよ」
と話をしてくれるであろう。
手紙を書きなさい。お礼でもお詫びでも良い。恩師に手紙を書きなさい。かならず、君の味方になってくれるはずだ。
◆
教師と言う仕事を目指す。このことに期待と不安を同時に抱いている諸君が多く見られた。授業を受けてこれがますます深まった諸君もである。
結論を言おう。それでいいのである。『元祖 天才バカボン』的に言えば、「これでいいのだ」である。
そんなに簡単に答えが出てしまう方がおかしいのである。自分の人生を丁寧に考えれば、あれこれ期待もするし不安にも思うものである。誰かの何かの価値観で動く事を強制されることのない現代社会において、何の疑いもなく将来に対して「たのしみだなあ」とだけ思うのは、相当な能天気である。
価値観を揺さぶられながら、考えを揺さぶられながら、自分でもう一度考え直す。そして、調べ教えてもらい、考えて自分の答えを出すのである。それが許されているのが大学生と言う時間である。きわめて贅沢な時間である。有効に使うが良い。
教師はいいぞ。
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引用開始 ーーーーーーーーーー
ゲストの先生との対談を聞いてるときも、教育者としての硬い話のようで分かりやすく、今までこんな先生に出会わなかった自分がすこし悲しくなりました。
引用終了 ーーーーーーーーーー
『ふ・ざ・け・る・な (笑)』
何をつまらない事を言っている。そんな過去の事なんぞ悲しがっている時間があれば、君が将来子どもたちに
「先生に出会えて良かったです」
と言われるような教師になる勉強を重ねれば良い。勉強せい。
◆
「難しいから、楽しい」と村林先生が仰ったのをメモした者はいるか。この意味を理解するか。「難しいけど、楽しい」ではない。「難しいから、楽しい」である。
子どもたちは、難しいものはやりたがらない傾向にある。私に言わせれば、ドラゴンクエスト等難しいの最たるものであるが、あれについては「難しいからやらない」とは言わない。
つまり、
1)難しいから、やらない。大変。
2)難しいから、やる。面白い。
の二種類があるのである。
私たちは、2)をめざし、2)をめざす子どもたちを育てるのである。
◆
デンマークの話を、余裕があればすると初日に話したが、ほとんど出来なかった。
授業の前日までシラバスをあれこれ調整してみたのであるが、四日間で20分程度しかゆとりを見いだすことができなかった。それもまとまった20分ではなく、バラバラの20分であった。実際、四日間の授業をしてみて、そのぐらいしかゆとりの時間を生み出す事は出来なかった。
余談として挿入すると言うことも考えたが、そうすると授業全体の統一感がなくなるので、今回はほとんど触れることをしなかった。残念であるが仕方がない。機会があればどこかで話を聞くことができるであろう。
◆
授業は、教師が作るものではなく、教師と学習者とが中心になって作り上げて行くものである。そういう点で、諸君は、ある一定の学習者としての責任を果たしたと私は考えている。大儀であった。
最終課題まで気を抜く事なく、しっかりと行いたまえ。
◆
さて、これでオシマイである。
ほとんどの諸君とは、「来年も会おう」ということにはならないことを期待する。
私はこれから諸君の課題の評価に入る。
学生は、課題を出せばオシマイであるが、教師はそこからが始まりである。
やらせれば仕事は増える。だから、やらせないのが楽である。しかし、やらせれなければ力はつかない。当たり前である。やがて諸君が教師になると、今の私の気持ちも実感できるであろう。その気持ちを実感する事を期待して、2008集中講義の特別活動論の私の話を終える。
授業は終えるが、本学の教員である事には変わりない。もし、私を必要とすることがあれば、連絡してから、研究室に来るが良い。
「まあ、頑張れ」
と言うか
「ぶったるんどる。しっかりやれ」
と言うか
「よく頑張っている。楽にせよ」
と言うか、何を言うか分からんが。
将来諸君が出会うであろう子どもたちのために、しっかり勉強を重ねるように。
2008年9月 池田修
引用終了 ーーーーーーーーーー
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