旅の正しい終わり方
イクトスさんが、漢詩の授業をされている。
(懐かしいなあ、中国か)
私は二回ほど中国に一人で行っている。
黄鶴楼にも行った。その辺りの詩を扱っているとブログで読んだ。
◆
今朝、食べ終わった食器をシンクに仕舞おうと思っておいたら、どうも起き具合がわる。何だと思っておいた食器をどかしてみると、昔中国を旅したときに買ってきた景徳鎮の皿が下にあった。
◆
デンマークの旅では、サンデーマーケットでロイヤルコペンハーゲンのアンティークものを数枚手に入れてきた。私は食器が好きである。
景徳鎮は中国の旅の最終日辺りに、フルセットで手に入れてきた。店の人は日本に送った方が良いとアドヴァイスをしてくれたが、私は頑にもって帰るといい、持って帰ってきた。
バカみたいに重たい景徳鎮セットであった。持って帰るよりは、船便ででも送ってもらった方が明らかに楽で、安全であったに違いない。
ではあるが、私にはどうもこれができない。
◆
私は買い出しに行っているのではなく、旅に出ているのである。お土産は、後から届くと言うのがダメなのである。お土産も一緒に家に着くというのが、大事だと思っているので、よほどの事が無い限りは、ヒーヒー言いながらでも持って帰ってくる。
そして、ただいまと言いながら重たい荷物と一緒に部屋に入る事が、旅の正しい終わり方だと言う思いを持っている。
◆
上海から横浜の港に着いた時、
(さあ、このお土産を持って奥さんの待っている家まで帰るぞ)
と思ったときの、あの旅が終わるような、新しい旅が始まるようなそんな思いを、久しぶりに思い出した。
◆
いろいろと繋がるものだ。
« 『中等教育におけるディベートの研究』のご注文方法 | トップページ | 数少ない夏休みの一日 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント