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2008/10/02

ぎりぎりまで粘った方が面白いものになる

後期は一限の授業が二つある。今日もそうだ。大学の駐車場に車を停める。さわやかな秋の朝の空の青に、白天井のMINIが包まれる。なんとも美しいなあ。

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教職総合演習を終えて、児童総合演習の授業を行う。この授業は私の後期クラスのゼミと言うことになる。後期も前期のクラスと同じことを課題にする。それは、学内に生えている花を活けると言うことである。

自然に囲まれている京都橘大学である。夏の終わりの花に秋の花などたくさんの花が咲いている。私は児童教育学科の学生たちに入学のときにひとつの課題を出している。それは、

『卒業までに、学内に生えている花の名前と学名を10個言えるようになる』

である。大学二年の後半になっている彼ら彼女らであるが、これはなかなかしていない。ので、課題にする。ゼミの日直が今咲いている花を摘んできて、一輪挿しに活けること、という課題なのである。

もちろん、それだけではなくそこに「呼び名、学名、別名、花言葉」などを書く用紙を渡してあり、それを調べて一輪挿しの花のそばにおくのである。今日の花はクジャクソウ。花言葉は一目惚れであった。

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『今、児優館の一階に降りると、百日紅が最後の花を咲かせていて、その下には曼珠沙華が咲いているね。そして、振り返って坂道沿いの道にはたぶん本学の敷地内で一番最初に紅葉になる花水木が赤くなってきているね』
『で、今言った花はなんだか分かる?』

そんな話をする。
子どもたちは、先生は何でも知っていると思っている。この期待に応えなければならない。「先生はすごい!」と言われなくても思われなければならないのだ。「すごい!」と思わない人から、子どもが学ぶとは思いにくい。だから勉強するのだ。

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さらに子どもは、ことばを通して世界を広げるのである。ヘレンケラーではないが、ことばを通して、世界を構築することができるのである。
「先生、これなあに?」
『ん? 木だね』
じゃダメなのである。

『これはね、サルスベリっていうんだよ。ほら木の肌がつるつるでしょ。漢字で書くとね百日紅というんだよ。一年のうち100日ぐらい赤い花をつけているってことなんだろうね。来年はいつ咲き始めて、いつ最後の花が散るか記録をつけてみると面白いんじゃない?』

ぐらいのことをさっと言えるようになってほしい。それが子どもの世界を広げることになるのである。

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授業は子どもの詩の読解。事前に原稿用紙に鉛筆で書き写すことを課題としている。そして、その解釈をA4一枚にまとめてくることも。この解釈を書き込み回覧作文する。

それを元に、書き写した詩にその子を担任しているとして、赤ペンでコメントを書くという課題を与える。

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詩をどうやって読むのか。国語が専門ではない彼らには読み取るための、きっかけを与えた。

1)似ていることばなのに、違うことばは無いか。なぜ違うのか。
2)書いて行く順番に理由は無いか。

このようなところに、子どもの思いに繋がる扉が隠れていることがある。特に順番生については、子どもの詩を一行ずつ切り離して、読書へのアニマシオンの「物語バラバラ事件」形式で復元させて、キーワードがどのような順番で書かれているかを読み取らせた。

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この授業は、昨日の学科会議の前のコース会議で出てきたものだ。それを元に私は「物語バラバラ事件」形式で授業化したのであった。会議が研究や授業づくりの一部になっていると言うのは、実に面白い。

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教材研究、授業づくりはぎりぎりまで粘った方が面白いものになるというのは、中学でも大学でも同じだなあと思う。

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