背中の痛みも少し和らぐ
研究日。
いつもなら場所を大学ではないところで行うのだが、今日ばかりは資料が研究室にあるので、研究室で行う。
大学のメールボックスを見てみると、何通かのハガキや手紙が届いている。先日出した『中等教育におけるディベートの研究』を謹呈した方達からお礼のハガキや手紙である。ありがたいことである。
一つ本を出してしまうと、もうしばらくは文章は書かなくてもいいという思いになるが、こういう言葉を頂くと、むくむくとまたやらねばと思うようになる。
毎年秋になると、
(思ったよりも人生は短いなあ)
と思う。有限の人生の中で私にすることが許されていることは何なのかを、時々考える。
◆
いくつかの事務的な仕事を終わらせて、さあ、本来の仕事に突入。
これがなかなか終わらない、終わらない。
キッチンタイマーをセットして、1時間ごとに休憩を少し入れる。
(もう1時間が過ぎたか)
と何回も思う。集中しているときの時間は本当に早く過ぎる。
まてよ、ということは集中している人生はあっという間なのか。
うーん、どうなんだろう。
あっという間に過ぎる人生ってのは、いいのかねえf(^^;。
◆
で、暗くなる前には仕事を終わらせてしまいたかったのだが、気がつけば外は真っ暗。いやあ、秋の日のつるべ落としの夕暮れなのね。
久しぶりに半日ぶっ通しで文章と格闘した私でした。背中が痛い。
◆
帰り際にメールボックスにあったものに最後まで目を通した。そしたら、夏の集中講義「特別活動論」の学生たちの自由記述の文章が手元に届いていた。
私は千葉大学名誉教授の宇佐美寛先生と同じように、学生たちに無記名で授業に関する意見を書かせることは賛成していない。感想を述べるのは良い。しかし、無記名で学ぶ者が意見を述べることを許すことは、自分の発言に責任を持つことなく発言して良いということを教えてしまうことになるからである。
授業には種も仕掛けもあり、授業を受ける者がその種や仕掛けを理解することはない。だから、学習者に授業を評価することは基本的には出来ないと考えている。しかし、感想を述べることはありである。
という立場で彼ら彼女らの「感想」を読んだのだが、結構あの熱い夏の授業を思い出させる感想ばかりで、ちょっとジンと来た。少しは伝わったようだ。
背中の痛みも少し和らぐようであった。
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