さ、怒濤の11月が始まった。
さ、怒濤の11月が始まった。京都の紅葉を楽しむことは出来るのであろうか。毎週末にさまざまなことがあり、講師として出向くことも多い。頑張れ俺である。
しかし、なんというか関西に仕事場を移してから三年目であるが、こうしてつながりがたくさん出来ることはとてもありがたいことである。
生活の基盤が関西に移ったと言うよりは、生活の基盤が二つできたというイメージを持てるのだ。
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授業をつくり、研究会を主催しということをして、改めて分かることはこれはとても勉強になると言うことである。
「教うるは学ぶの半ばなり」と言われる。これを越えるのが、授業をつくる、または研究会を主催するではないかと思う。
なんとなれば、授業をし研究会の主催で会場確保となれば、欠席がありえず主体的に取り組むからである。
分かってはいたが、事務仕事の苦手な私である。授業の方に力を注ぐことは、それはまあ当たり前であるが、研究会まではねえ。これを事務局を引き受けるとなるとみなさまに迷惑を掛けると思われるので、引き受けないでいた。しかし、そんなことを言っていられる立場でもなくなってきたので、えいやっと引き受けることにしたのである。
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事務局を引き受ける以上は、私がやりやすい方法、つまりは失敗が少なくなる方法であれこれを考えようと思った。今のところ、それでうまく回っているようだ。良かった。
それでいて、私も学べ、若い人たちが学べるというのは、やって良かったなあと思っている。
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ということで、午前中は朝風呂に入り娘と遊んで、いまは新幹線の中である。N700系のぞみを選んで、カッ飛んでいる。を、豊橋を通過である。11/8の関西青年塾でやる学習ゲーム「たほいや」の資料を座席で作りながら東京に向かっている。娘と奥さんに新幹線のホームで見送られて、1時間で浜名湖を通過である。早いねえ。
世の中は三連休で、その初日の今日は、いつもよりも新幹線が混んでいるな。って、そんな風に比較できるくらい、こんなに新幹線に乗るようになる人生になるとは思ってもいなかったが。
今回の東京行きは、明日、15年前の卒業生たちの同窓会があってこれに呼ばれているというものである。教師の仕事は激務である。激務の中で、一瞬の喜びを感じられることで、日々の仕事に向かって行っている。
だから、別に卒業生たちと飲むために教師をやっているわけでもないが、こうして成長をそばで見ていた彼ら彼女らの、その後の成長を見ることができるのは、実に嬉しいものだ。
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さ、なんとか関西青年塾の資料づくりは8割程度終わったぞ。新幹線もそろそろ東京駅である。
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