私の授業はそんなことを考えて
3限のディベートの授業では、フローシートを取るテスト。教材は、【日本は環境税を導入すべきである。是か非か】。2001年ディベート甲子園の決勝のビデオである。肯定側は創価中学校、否定側は八王子市立楢原中学校である。
◆
ご案内の通り、私が指導してきた子どもたちの決勝である。年に一回こうして彼らの試合を見直す。懐かしさが一杯である。彼らのあれこれを思い出す。
この夏の大会が終わった後、私は二週間マックに向き合っていた。何をしていたかと言うと、彼らの記録を残してやろうと思ったのだ。二月に論題が発表になってから、八月の決勝までの半年間、彼ら彼女らが何をしてきたのかを一番近くにいた私が記録してやるのが、私の責任のように思えたのだ。
教師の仕事の良さは何か。
いろいろとあるが、私は「成長する者の側にいられること」であると思っている。たかだか百年しかない人生の中で、この三年間という瞬間を一緒に過ごすことの奇跡。その奇跡の間に生まれる彼ら彼女らの成長。私の三年間よりもものすごい成長をして行く彼ら彼女らの成長の側にいられることが、喜びである。
(このディベート甲子園の決勝までの道のりをしっかりと記録してやろう)
夏休みを二週間費やして、原稿用紙146枚分の記録を書いたのであった。
久しぶりにこの記録も読み直した。
良い時間を過ごさせてもらったなあと、改めて思った。
時間のある方は、お読みください。
http://homepage.mac.com/ikedaosamu/debate/01kiroku.html
◆
授業後、学生たちのフローシートを見ると、きちんと授業に取り組んでいる諸君のフローが書けるようになっていることを、嬉しく思った。ディベートの授業は、ウォッチャーになる授業ではなく、プレーヤーになる授業なので学生たちの活動量、作業量が多い。簡単にいうと大変である。
しかし、大変な分だけ実力をつけることのできる授業にしたいと考えている。努力の方向性を示し、その方向性にそって努力を重ねる者は、力をつける。ただ単に努力をするのではない。これだと、15回の授業ではなかなか厳しい。この方向にそって努力を重ねれば、君たちは実力をつけることができる。あとは、頑張れ。
私の授業はそんなことを考えて構成していることが多い。
◆
5限の国語科教育法では、模擬授業その2である。今日は、小説文というお題。学生諸君が選んだのは、「走れ メロス」である。
「走れ メロス」の授業は中学校の国語科の教員になるのであれば、避けて通れない。今のうちにやっておくのは良いことだ。だが、このメロス、なかなか難しい。愛と勇気と正義の話として道徳的にやってしまう授業を、多くの学生たちは受けている。このイメージからいったん離れて教材に向き合って、授業をつくって行くのかということである。
事前の指導では、私が考えている「走れ メロス」観を話してみた。「愛と勇気と正義の話」で授業を構成するにしても、その「愛と勇気と正義」を再定義する読み方があることを示すのだが、この方針で授業をつくるのは学生たちにはなかなか難しい。だが、今回の学生たちはこれに挑戦した。
結果から言うと、時間切れであった。もちろん、1時間、実際は30分の持ち時間でそこまで迫れるはずもない。だが、事前指導で指摘した生徒を活動させるための「指示」はずいぶん整理されていた。これは力がついたところであろう。
時間切れになったのは、実はもう二つ理由がある。混乱させた指示と作業時間の読み違いである。指示は良くなったのだが、一カ所別のように作業させてしまう可能性のある指示があった。ここに生徒役の学生が混乱したのが一つ。もう一つは、このぐらいでできるであろうという時間を読み間違えていたのである。
私は、中学校の定期テストを作るとき、自分で解答用紙に答えを書いてみて15分で解ける分量を用意していた。経験則で言えば、私が15分でできる問題は、生徒は50分ぎりぎりかかる。この感覚がなかったのである。まあ、持っている学生がいたら大したものだが。
ではあるが、指導案を練り直し続け、昨日も九時過ぎまで練習。今日も朝早くから来て練習している学生たちは、次が期待できるであろう。
◆
今日も一日が終わった。
明日は堺市教育センターで講演。そしてその後、高槻で「同窓会」である。