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2008/11/26

「私」という入れ物のなかに

相変わらず朝日が奇麗だ。
ベランダに出て、たっぷりと朝日を浴びる。

人間の体内時計は25時間で動いているのに、地球時計は24時間で動いている。なんで後ろに一時間ずれることを生命は戦略として選んだのであろうか。生命は一時間地球の時間と体の時間をずらすことで、生命の存続のために有利な環境を用意しているに違いない。それがなんだろうかと毎朝考えている。

たぶん、きちんとするより一時間の「遊び」を入れておく方が、活動しやすいということなのだろう。この余分な一時間を活動にまわすのか、休息にまわすのか、どちらを想定しているのかなあ。こんなことも考えてみたりする。

とまれ、朝日と夕日の色だけが、その体内時計を地球時計にリセットしてくれるとのこと。十分浴びよう。

2限の学級担任論では、学生たちが教師の一日を少しずつ担当して、五分間で実演してみる。今日は、朝の会、給食指導、昼休みを二つの班が順番にやった。

共通しているのは、語りが下手と言うことである。
思わず、
(そうか!)
となる語りがまだできていない。

呼吸が浅く、えーっという言葉が出てしまう。また、児童への問いかけも単調で、知っている児童は答えられるが、知らない児童は答えられないという単調な問いかけが出てしまったりであった。

ではあるが、チャレンジングな発表もあった。本学で特別活動論を講義して頂いている土作先生のミニネタの一つ「発声練習」をきちんと追試した発表である。学生たちからの評価も高かった。

たった五分間の実演ではあるが、学生たちの学びは結構大きかったようである。それは実演した学生も、見ていた学生もである。実演した学生は、思った通りにできなかったことにショックを受け、見ていた学生は、自分にはできないことをやる同級生がいると言うことにショックを受けるのである。

教育は常に具体である。理論は大事。ではあるが、目の前で起きる事実に具体的な指示、説明ができなければならない。「こうしたらいい」というのは分かっていなければならないが、それを実際にできなければダメなのである。だから、講義形式の授業でもときどきこのように実際にやらせてみることにしている。教育実習まで後一年を切っているのである。

学生の感想で面白いものがあった。
「先生(池田)は、五分間の学生の授業を見て、すぐに一つ一つに(へーっ)と思う指導の言葉を述べられていた。びっくりした。さすがだと思った」
のようなものである。勝手に驚くのは良いが、そんなのはあたり前である。たかが、学生の模擬授業ぐらいで見た瞬間にコメントができないで、大学の教師なんてやってられるわけないじゃないか。この程度のことで驚かれるようじゃ、私もまだまだだなあと思った次第である。

急いで昼ご飯を食べて、付属高校に向かう。国語の研究授業の講師を依頼されているのである。二年生の授業で『こころ』をディベートのような形で扱いたいので指導を頂きたいと言われたのが2ヶ月ぐらい前になるか。私は止めた方が良いと話した。政策論題のディベートの指導の経験者であれば、価値論題ディベートもまあ、指導できると思うが、ディベート指導の初心者では結構大変だというのが判断の理由である。

しかし、やるという。それであるならばそのつもりでこちらもサポートしなければならない。最初に、イクトスさんに『こころ』のディベートであれば、論題は何だろうかと相談。すると、「先生は善人である。是か非か」だという。事前に付属の先生に頂いていた論題はどうもすっきりしなかったのだが、イクトスさんのはさすがである。私もこれならすんなりということで、これを付属の先生に伝えた。その後、研究室にいらっしゃって事前の打ち合わせなどをしながら当日を迎えた訳である。>イクトスさん、ありがとうございました。

付属高校は、バレーボールの他、サッカーでも全国大会に出場を決めるぐらい頑張っている。これに合わせて授業の充実と言うことで研究授業にも熱が入っている。同じ教材をいくつかの教員グループになって指導案を検討し、それぞれの先生が実際にやってみるというのである。今回は、「講義形式の授業からの脱却の可能性をさぐる」というようなテーマで行っていたのである。

「国語科を実技教科にしたい」という研究テーマを持っている私としては、是非協力したい研究授業と言うことである。

授業の方は、チャレンジングに行われた。日頃の先生と生徒の人間関係や、生徒の学力などを知ることのない私は、深く入り込んで助言をすることはできない。ではあるが、目の前で起きた授業の事実の記録と、指導案に書かれた目指したい方向をもとに、授業後、1時間程度お話をする。

活動型の授業を展開する際、特に注意しなければならないのは「指示」である。これがきちんとできないと活動型の授業は成立しない。きちんと指示をするとはどういうことか。

1)なにをどのようにするのか、あらかじめ指示をする。
2)求めた指示の内容をしっかりとやりきらせる。
3)指示についてやりきった生徒を評価する。

ということである。この三つがパッケージとして行われているとき、指示が成立しているということになると考えている。ところが、国語科の教師は講義や説明で授業を進めることが一般的であるため、この作業に対する指示ということに慣れていない。そこで指示が曖昧になりがちになる。この辺りのことを中心に、改善するために何をしたら良いのかなどについて話をした。

私が言うのもおこがましいが、付属高校の国語科は伸びる、と感じられた一日だった。

その後、慌てて車に乗り込み、冷静に運転を始める。
名神高速道路経由で、大阪大学へ。凄い渋滞だったので間に合うかどうか心配であったが、間に合った。
19:00から、平田オリザさんの研究的な演劇が初演されるのだが、その劇に招待状を頂いたので向かったのである。

「働く私」と名付けられた20分程度の演劇である。

これは生身の役者二人と、ロボットの役者二人が演じる劇である。
つまりステージの上には、人間二人とロボット「二人」がいて、劇が成立しているのである。

ロボットの今後のあり方をあれこれ考えていた大阪大学のロボット工学の先生と、演劇のあれこれを考えている平田オリザさんが、それをサポートする企業とコラボして成立した企画である。三年後には商業ベースに載せるとのことであった。

なぜ、20分なのかと言えば、ロボットの充電が20分までとのことだったので、思わず笑ってしまったが、いろいろなことを考えさせられる劇であった。上演の後、パネルディスカッションがあり、フロアーからの意見交流等もあり、良かった。

私は意見と言うより、感想だったのでフロアーからの発言には手を挙げず、終わってから直接平田オリザさんにご挨拶かたがた、疑問と感想を話した。そしたら、「それはその通りなのです」との答えだった。何がその通りだったのかは、平田オリザさんの企業秘密に関わる物でもあるだろうからここには書かないが、
(を、おれの直感もなかなかじゃん)
と思ってしまった。

教師としての基礎学力をつけるということは、学生たちには強く求めたい。さらに、専門の教科のための知識も強く求めたい。そして、その上で教育とは一見関係のない本物に触れる機会を見つけてほしいと思う。ロボットの演劇なんて、今の私の仕事にはほぼ関係のないものであるが、たっくさんの刺激とアイディアを貰って帰ることができた。

「私」という入れ物のなかに無造作に放り込んだだけの本物が、有機的に化合し始めて、教育と言う文脈の中のある一つとして生成される経験を私は何回かしている。これは実に楽しいものである。高校の授業、平田オリザさんの演劇が、何かを生み出してくれるのを楽しみにしたい。ありがとうございました。

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コメント

お役に立てたようで、何よりです。
附属高校でのディベートの授業が成功するよう、東京からお祈りしております。

ありがとうございます。
イクトスさんも、演劇にディベートにとお忙しいようですが、倒れないでねえと思っております。

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