いよいよ。楽しみである。
ディベートの授業では、はじめて私がジャッジをした。マイクロディベートが終わり、改良シナリオディベートの第二反駁ありのディベートに入ったところである。
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ディベートの指導をして行く中で、どうしても厳しいと感じるのがジャッジである。ジャッジは、ディベーターの議論をきちんとフローシートに残し、その残された議論から判定を下す。
だが、初学者にはここが難しい。さらに、通常のゲームの審判は判定だけすればいいのであるが、ディベートのジャッジは、なぜそのような判定を出したのか理由を述べなければならない。
「今のは、アウトです。ランナーの足がボールよりも遅かったからです」
と野球の一塁塁審はいちいち説明をしない。しかし、ディベートのジャッジはこれをする。これが初学者には難しい。だから、ディベートの学習では、最初の頃はジャッジの負荷を少なくするために、私の指導方法では工夫をしてある。
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が、本格的なジャッジを理解させることは大事である。ジャッジが出来ることが、ディベートを、議論を理解して行くことになる。そこでこのタイミングで私が見本を見せるのである。
学生たちは、いままでやってきたジャッジは何だったのか。フローシートに記録するってのは、何だったのか。とショックを受けることになる。そうである。このショックから本格的なディベートが始まるのである。
先輩たちは、このショックを何回も乗り越えて力をつけて行ったのである。諦めることなく、乗り越えるようにね。いよいよ。楽しみである。
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国語科教育法は、いよいよ模擬授業へ向けて授業観や国語観の話を進めて行く。正統的周辺参加の考え方等も教える。
さらに、指導する教員のキャラクターについても触れる。上越教育大学の赤坂さんの著書に、教師のキャラクター別の指導方法に触れた本がある。「学級指導困ったときの処方箋」では、教師の性格ごとにその指導方法が紹介されている。これは授業においても同じだと言える。
ただ、いまの学生たちは「キャラの設定」「キャラが立っていない」など、このキャラクターを全面に出して考える傾向があるので、最初に
『教師は授業においてキャラクターが大事である』
なんて言ってしまうと、そこばかり考えるようになると思われるので、基礎基本を教えてきたが、いよいよ再来週から模擬授業なので、このタイミングなのである。
いよいよ。楽しみである。
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