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2008/11/03

吹上中学校卒業生の同窓会

久しぶりの実家でゆっくりと過ごす。
というか、二日酔いの体を横たえる。
弟の家族が遊びにきていたので、一緒に昼ご飯を食べに出かける。甥っ子ももう4歳になった。早いもんだ。

多摩湖の近くの自然散策道に立ち寄ってドングリを拾う。午後の日差しを受けて落ち葉からは暖かい匂いが。いいものだ。懐かしい多摩の匂いだ。

弟家族が帰るのを見送って、昼風呂に入り、出かける準備をする。さあ、同窓会だ。

1993年に卒業した青梅市立吹上中学校卒業生の同窓会である。私が教員になって5年目と6年目に担当した子どもたちである。もう、31歳になっている。私が教えていた時の年齢を、彼らはもう越えているのである。

同窓会で面白いのは、全く顔が変わっていない彼ら彼女らと会うことであり、お前は誰だ?というぐらいに変わってしまった彼ら彼女らに会うことである。同窓会の前には予習をして行く先生もいるが、私は基本的にはしない。しないで、その時にうける彼ら彼女からのインパクトを大事にしようと思っている。

受付開始と同時に会場に入った私は、一緒に受付をした。そして、一人一人とちょっとずつ会話をした。せっかく同窓会に来ているのに、一言も話をしないのでは勿体ないので、受付で話をするようにしたのだ。

最初は、31歳だった彼ら彼女らだが、だんだんあの頃の中学生の顔に見えてくるから面白いものだ。

一次会と二次会、さらには三次会までやってしまった。参加者は二次会からのメンバーも入れると卒業した人数の3/5ぐらは集まったのではないかと思う。参加した彼ら彼女らと会話をつづけ、実に楽しい時間を過ごすことができた。嘗ての同僚も私を含めて3人集まり、旧交を温めることもできた。

同窓会をしたくて教師をやっているわけではないが、こればかりは教師にしか分からない喜びを与えてくれるものである。

教師の仕事の喜びは何かと問われれば、私は「成長するもののそばにいられること」と答えている。中学校の三年間であれば三年間、同じ時間を同じ場所で過ごしてきた彼ら彼女らが成長する姿をそのそばで見続けることができること。これである。

そして、同窓会ではあの時、あの場所を巣立った彼ら彼女らが、それぞれの努力を重ねて、さらに成長した姿を見せてくれる。これを喜びと言わずに、なんというのであろうか。

あらためて、ざっと会場で彼ら彼女らを見渡した感じでは、みなそれぞれに成長している様子が感じられ、安心した私であった。

夕方の5時半から明け方までやっていたいので、話したこと、聞いたことは膨大な量になっている。一人一人の近況を聞き、相談に乗ったり叱ったり褒めたりしながら、時間を過ごす。覚えていないものもあるし、書けない事もあるが、今思い出せるものを簡単に書いてみる。

・ 指導していたテニス部の娘たちからのプレゼント
・ デジタル小説で人気投票NO1になった彼
・ 武将のような名前を子どもにつけた彼
・ みんなのために、昔と同じように甲斐甲斐しく料理を取り分けていた彼女。
・ 私よりも年上の男性と結婚した彼女
・ 歯科技工士の勉強をドイツまでしにいって会社を設立した彼
・ イラストレーターとして名をなし、ウィキペディアに項目のある彼女
・ 自分の子どもの担任が、嘗て習った先生になっていた彼女
・ あの頃していた悪さの裏側を解説していた彼

私のこともずいぶんと覚えてもらっていて、あれこれ言われた。

・ 授業は声が大きくて良く聞こえた
・ 字がきれいで読みやすかった。あの字、好きでした。
・ 気に入らない字を書くと、何回も消しては書き直してましたよね。
・ 私の名前を読み間違えなかったのは、先生だけでした。
・ よくギターで歌を歌ってくれましたよね。
・ あの国語の授業をもう一度受けたいです。
・ 高校からの国語の授業がつまらなくて困ってました。

・ 先生、NHKのテレビ「伝える極意」見ましたよ!
・ 赤ちゃんの名前なんですか。ブログに書いてないから。
・ 母親がよろしくって言ってました。
・ お姉ちゃんが、写真とってこいと言ったのでとってください。
・ 先生、大学の先生になったんですよね。やった!
・ 先生、奥さんは来ないんですか。会いたかったなあ。

私も覚えていることを話した

・ 横で一緒に飲んだ元生徒諸君一人一人のエピソード
・ スキー教室前の、ルールについての先生と生徒との討論会
・ 卒業式前の学級レク大会
・ 卒業式前の映画鑑賞会
・ 卒業式のあとの、クラッカーシャワー
・ 卒業式後の生徒が主催してくれた謝恩会のこと
・ あの学年主任の先生がいてくれたから、私たちがいたんだということ

などなどである。
幹事が本当に頑張ってくれて、実にいい時間を過ごすことができた。

ただ、同窓会を開いたときにいつも思うのは、この席に来ることの出来なかった彼ら彼女らのことである。

『おい、あいつはどうした?』
と何人かの卒業生の所在を聞いた。
「二人目の子どもを産んだばかりなので、来れません」
「仕事が忙しくて、時間が作れないと言っていました」
こういうのは、良い。だが、

「体調を崩していて来れません」
「ちょっと行方が不明になっています」

というのは、心配だ。
参加できるメンバーは、それなりに幸せなのである。だから、参加できる。しかし、私たち教員が思うのは、ここに来ることの出来なかった彼ら彼女らなのである。中には、

「まだ、自分はそういう席に顔を出せるほど、きちんとできていませんので、欠席します」

と言う者もいた。当時、いろいろとやってくれた彼である。同窓会ってのは、そういうことはなしになる席である。あの頃の私だって、今の私に比べれば授業は下手だし、今の方がもっときちんと指導できるのだから、その未熟な私に教わった彼ら彼女には申し訳ないと思っている。

しかし、あの時代をあの場所で一緒に過ごした、元生徒と元担任たちである。長い人生の中で、一瞬の一日であるがこういう時間を共有することに、なんのためらいがあるであろうか。

次回は数年後にまたやろうと言う話になっている。そのときには、
『おい、あいつはどうしている?』
と確認することが少なくなっていることを願いたい。

いい時間をありがとう。元気で。また会おう。

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コメント

池田先生、ご無沙汰しております。
1992年卒業生の馬場でございます。

たまたま一昨日、同級生の西岡と18年ぶりに出会い、酒を飲み、僕らも同窓会をやろうかと話していて、ふらっとYahooで検索したら先生のブログにひっかかりました。

僕も先生の姿をTVでお見かけして、また先生の授業を受けたいとおもぅた生徒の一人です。

もうこのブログは2年くらい前のものでしょうか?僕は今33歳になりました。

また近々、先生におあいできたらうれしくおもいます。

突然すみませんでした。
ありがとうございました。
馬場

久しぶりだね。
元気にしているようでなによりである。
私はご覧の通り、京都に仕事場を得て滋賀県に住んでいる。

同窓会を開くようであれば連絡を下さい。
スケジュールが合えば伺いましょう。
え、京都に来る?
それもいいなあ(^^)。

先生、早速お返事ありがとうございます。もうなくしてしまいましたが、授業でつかった中国直輸入の筆を束ねていた輪ゴムをいただいて、とても嬉しかったのを覚えています。

さて、先日、部下の結婚式で京都の八坂神社に行きました。京都は高校の修学旅行以来でしたが、街も自然もずっと時間が止まったいるような場所もあって、とてもいいところですね。
大学が京都の造形美大だった妻も京都が大好きで、しばしば、京都に行きたいとつぶやいています。

京都に行く時は、連絡します!

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