« 『授業 人間について』(林竹二 国土社) | トップページ | なんのことはない幸せな休日 »

2008/12/12

1)遊べや遊べ

12/12

今日は、保育内容(言語)の授業があった。
担当は、私ではないのであるが、二回ほど受け持つことになったのだ。金曜日の授業は通常は二つなのだが、今日は4つの授業であった。90分×4つというのは、さすがに疲れる。

ではあるが、心地の良い疲れである。
授業の疲れは、やっぱり良い。

保育の授業は、幼児教育コースの学生たちなので、いまは通常、私は教えない。なので一回生のときに担当した学生たちと久しぶりの授業。一回生のときに厳しくメモを取るようにと指導したことが体に染み付いているのか、きちんとメモを取りながら話を聞くことができている。いいことだ。

考えてみれば、いま目の前で成長している娘のことがそのまま教材になるのであるが、娘は研究対象にしようとは思わないので、授業では、エピソードとして語るぐらいに留めておくことにした。我慢するのは大変であったがf(^^;。

授業では、保育に関わるものとして大事ではないだろうかと言うことを話した。子どもは次の四つの段階を経て成長して行くのではないかと示した。

1)遊べや遊べ
2)遊べや学べ
3)学べや遊べ
4)学べや学べ

である。保育は1)がほとんどであり、2)が少しあるかどうかであろう。であるとすれば、先生はたくさん遊びの種類を知っている必要がある。子どもが自主的に遊ぶというものもあるであろうが、知っていることは必要だ。

外の遊び、部屋の中の遊び。雨の遊び、晴れの遊び、雪の遊び。1人の遊び、グループの遊び。体を動かす遊び、歌を歌う遊び、言葉を使う遊び、道具を使う遊び、道具を使わない遊び。それぞれ10種類ぐらい知っていると良いんじゃないかなと話すと、学生たちはそうだなと思いつつも、今はそんなに知らないという顔であった。

『あのね。私が幼児教育コースの担当教員であれば、君たちに出す課題が二つはあるね』
と話す。それは、「お母さんと一緒」(NHK教育テレビ)を見ているときに思ったことだ。

『ねえ、なんでこんなに歌ばっかりなのかねえ。歯を磨くこと、パジャマを着ること。なんでも歌じゃない』
と奥さんに話したところ、奥さんは一言するどいことを言った。
「これはね、ミュージカルなのよ」
なるほど。名言である。

子どもの世界はミュージカルなのだと思うと非常に分かりやすい。うちの娘もまだお座りもできない頃から何やら分けの分からない歌を歌っていた。ミュージカルの中に生きているのだ。だから、なんでも歌にするのだ。

もし、そうだとすれば、課題は二つ。

1)京都劇場で劇団四季のミュージカルを見てくる。
2)一日のうち、一時間の作業を全て歌で過ごしてみる。

である。

1)は、もし、保育がミュージカルなら、ミュージカルの本物を見ておくことはとても大切であるということだ。幸いにして京都駅には、劇団四季の劇場がある。多少値が張るが本物を一回見ておくことは大事だろう。

2)一日のうち、一時間でいいと思うのだが、自分がする作業を勧める、または、褒めるための歌を歌い続ける。なに、実際にやることは簡単である。たとえば、掃除をするとき「掃除をしましょう。奇麗にしましょう」という言葉を思いついたら、これにメロディーをつけて歌うのである。そして、終わったら「ああ、奇麗。よくできました。気持ちいいなあ」という台詞にメロディーをつけて歌うのである。

詳しいことはよく知らないが、実際にはそのような歌があるのかもしれない。それらを覚えるのも大事だろう。しかし、それと同じぐらいに自分で作詞作曲してしまえる力も大事だと思っている。立派な歌である必要はないだろう。鼻歌程度で良いと思う。しかし、それはミュージカルの世界に生きている子どもたちと接するには、とても大事なことだと思う。

『ま、やれとは言わないが、やってみたら面白いんじゃないかなあ』

と話す。

その後、学生たちに、「たほいや」を指導しながら、ことば遊びとは何かを解説していった。学生たちは相当面白かったようで、ことば遊びの凄さを実感していた。

保育士は、子どもの言葉以前、言葉の獲得、言葉の活用の三段階に寄り添うことになる。この過程を経て育って行く学齢期以前の子どもたちの「ことばの遊び」をたくさん知っている先生になってほしいと授業を進めた。

来週は学生たちが、自分たちでグループごとに言葉遊びの実際をやることとした。楽しみである。

3限のディベートの授業の後、4限で保育の授業をもう一つ別のクラスでやって、5限は、国語課教育法2である。
10分の休憩時間で教務に走って、プリントを持って帰ってきてと、これはまあ忙しい。

国語科教育法2の授業は、久しぶりに私が行う。
いままで模擬授業だったからねえ。

今日の授業はメディアリテラシーである。
模擬授業を通して学生たちは、授業をつくると言うことを少し理解してきている。今回のメディアリテラシーの授業は、そんなことも踏まえて私が今までにやってきた、メディア断食、メディアリテラシーの授業、さらにはそこから発展したジェンダーやディベートの授業について説明をする。

(詳しくは、過去のブログを)

一つの授業をつくり、その授業を発展させ一つの系統を作っていく。これができるようになると授業づくりは初心者を脱して、次のステージに行くことになる。学生たちは、授業づくりの深淵さ、壮大さを思い遥か先を見つめているようであったf(^^;。

いやあ、たくさん仕事をした。
心地よい疲れだ。

« 『授業 人間について』(林竹二 国土社) | トップページ | なんのことはない幸せな休日 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 『授業 人間について』(林竹二 国土社) | トップページ | なんのことはない幸せな休日 »