1限 保育内容(言語)の授業。
先週は学生たちに言葉遊びの意義を説明し、実感させた。今週は学生たちが実際に言葉遊びを、大学生相手にしてさせるという授業である。
6グループあるので、ひとグループ辺り5分の持ち時間。私がその後の5分でコメントをし、その5分間に児童役の学生たちは演じたグループへコメントをカードに書くという作業をする。これで90分であった。
私の先週の説明が足りなかったのか、最初のグループが大学生に説明するような形で行っていたので、
『対象の年齢の子どもに説明する、その説明の仕方でやってください』
と改めて指示を出す。
そこで感じたのは、「指示」の甘さである。これは小学校の教員を目指す児童教育コースの学生たちの授業でも強く感じることである。「指示」ができないのである。
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作業をさせるときに、「しろ」「やれ」という一言でできる場合、
1)何をするのか
2)どうやるのか
3)ゴールは何か
4)何のためにやるのか
5)注意することは何か
などが理解されている。あたり前だが、これらが理解されていないときに「しろ」「やれ」と言っても無理である。だが、学生たちの指示を見ていると、これらを理解させることなく「しろ」「やれ」となっている。
子どもは優しいので、うまくできないとき先生の指示が悪いのではなく、自分が馬鹿だからわからないというように思う。かなり成長してもそう思う。こんな私でも
(あれ、この先生の言っていることわからないな)
(うーん、この文章の言いたいことがわからないな)
と感じるとき、先生が悪い、文章が悪いと思えるようになったのは、中学生になってからだったのを覚えている。
1)から5)を子どもに合わせてわかりやすく説明をして、質問を受け付けて、
『みんなわかった? じゃあ始めるよ! どうぞ!』
とやるから楽しめるのだと思うのだが、ここが甘い。
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「当てっこゲーム」というのがあった。
「あるもののヒントを5人が考えて言うので、それは何かを当ててください」
というものがあった。4、5歳児にやるという。私は4、5歳児がどのぐらいなのか実感はないがちょっと厳しいのではないかと思った。例題として先生の学生がやったのは、
1)変身します。
2)時間が大事です。
3)働き者です。
というヒントを出して行った。そのときに、答える学生が
「シンデレラ!」
と答えた。
「正解です」
となった。
私はそこで
『ウルトラマンだよ!』
とあえて言ってみた。
学生たちは、困惑しおろおろしていた。
「次のヒントを言うとわかるかな?」
と言い、
4)カボチャ。(だったような気がする)
5)王子様と結婚する。
と続けた。私はスルーされた。
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演技の後に私は解説をした。
『私がウルトラマンだって言ったとき、私のことをスルーしたでしょ。見捨てた訳だね。これは残念だなあ。予定通りに行かなかったのだと思うけど、だからといってこの子どもを見捨ててしまうのは、違うでしょ。一人の先生が、その子どものそばに行って、「なんでなんで? 教えて」とか話せば良いのに。
で、話を来て、「君は賢いな〜」と一言言ってあげれば良いのに。子どもは子どもの理由があるんだから、それを聞いてあげようよ。これも大事な言語活動だよね』
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ゲームに戻ろう。学生の先生は、私をスルーした後、次のように進めた。
「では、みなさんにやってもらいましょう。だれかヒントを出してくれる人はいる?」
と聞いて学生を当てていた。問題は「バナナ」であった。
見ているとヒントを考えてあれこれやっている。
そこで演技後にまた聞いて見た。
『ヒントを考えて、という指示だけで4、5歳児さんは考えられるの?』
「・・・」
『考えられるかもしれないけど、ヒントが被らない? 被ってもいいの?』
「被らないほうがいいです」
『大学生は大人だから、前の人のヒントを聞いて被ってしまったら咄嗟に被らないヒントを出せると思うが、子どもでできるのかなあ』
「・・・」
『できないのであるとすれば、先生の方が被らないヒントの出し方を指示しないとね。たとえば、5人いたら一人ずつヒントのエリアを決めてしまうのはどうであろうか。
1)大きさ
2)色
3)匂い
4)味
5)叩いた時の音
など。つまり五感だ。これなら被らないでしょ』
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全ての演技が終わってから、確認した。
『どうですか。結構難しいでしょ、子どもを遊ばせるというのは』
学生たちは、強く頷いていた。
「指示」である。ここのトレーニングが、大事である。
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3限
ディベートの団体戦。論題は、【日本は全ての小中学校の給食を廃止すべきである】である。立論の作り方として、列挙、リンクマップ等を説明した後であり、百科事典からリサーチを始めることも説明した後での立論づくりである。
試合を聞いていると、学校給食法などの法律が定義や証拠資料で出てくる。丁寧にリサーチをしているのがわかる。年明けに数試合予選を行い、決勝戦が今年度の最終講義の日となる。
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4限
もう一つ別のクラスの、保育内容(言語)である。私の授業の構成は同じ。展開してみると学生たちは、実に1限と同じようなところで、失敗をする。同じように指導。
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5限
国語科教育法2。メディアリテラシーの最後。フォトストーリー3というソフトを作って、実際に映画を作ってみる。30分で説明、30分で製作。あまりにも簡単に映画ができるので驚く。30分で鑑賞会を行う。
鑑賞会を行いながら、このソフトで作る作品の活用方法、注意点、授業への活かし方等を話す。私がいま現場にいたらこのソフトを使ってやることは何かなども話す。
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ということで、今年の私の授業は今日で終了。
ふう、よく働いた。
あとは、会議と講座と事務処理だな。
あ、原稿も残っていた。
あ、年賀状も何もやっていない。
いつも通りの年末と言えば年末だ。