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2008/12/30

オリオン座

12/28

帰省した。
昼過ぎに高速に乗り、夜に東京に到着。

ちょっと途中で、アクシデントがあった。
だが、これが結果的には良かったんだなあ。

第二名神 → 伊勢湾岸自動車道 → 東名 → 川崎街道

とやってくる予定だったが、東名厚木インターあたりで事故渋滞。PAで確認すると、通過に40分かかるとのこと。

急遽、富士インターで降りて

西富士自動車道路 → 中央

に切り替え。御殿場で降りると言う手もあったのだが、こちらの方が安いし近いのではなかったかと思って降りる。降りたら下道でちょっと失敗したかと思ったが、実は大正解。

富士山の西側の裾野をぐるりと回りながら、河口湖インターを目指す。途中、滅多にない信号待ちをしたときに何気なく外を見ると、夜の富士山であった。

そして、空を見上げると満天の星。
うひゃあ、すごい。
今年の最後にこんな空。
来年も良いことありそうだ。

気温はマイナス2度。
冷たい空気で頭を冷やして、残りの100キロを気持ちよく走らせることができた。

iso1600で、カメラをガードレールの上に手動で固定して、8秒露光で撮影した富士山である。
オリオン座も写っているのがお分かりだろうか。

Photo

今年は東京で年末年始である。

2008/12/28

仕事納めである

昼前に出かける。
今年最後の大事なお仕事。
無事終了。
うまくいくと良いなあ。

これで対外的な仕事は、全ておしまい。
仕事納めである。

その後、帰省のお土産を京都市内であれこれ購入。
だんだんわかってきた。
美味しいもので、日持ちがして、京都でないと買いにくいもの。
これが大事。
二つの実家の分を購入。

安心して帰省するために、夏タイヤを冬タイヤに交換。
ワイパーのゴムも交換。
近くにイエローハットがあるので便利。
作業の間、家に戻って他の仕事ができるのはいい。

東京に持って帰るものをあれこれ準備。
(うーん、読み切らないだろうなあ)
と思いつつ本を揃える。

(うーん、頑張らねば)
と思いつつ、年賀状の束を見つめる。

年賀状を滋賀の住所に頂いた方は、お返事は遅くなりますので
ご寛容のほど。

さ、年末だ。

2008/12/27

紙を斜めにして書く人の理由

>>他にも文字を書くときに、紙を斜めにして書く人の理由とかあれこれを聞いた。うーん、恐るべし。専門家。

とブログに書いたところ、お二人の方から質問を頂いた。関心のある方が多いようなので、改めて書いてみる。

私は、紙を斜めにして書くのは、

1)背骨が曲がっている。
2)書く時の癖。
3)姿勢が悪い。

の三つのうちのどれかと思っていた。
ところが、第四の理由があるということに驚いたのである。

ところでみなさん、ちょっと実験してみましょう。

1)家にある時計を見てください。
2)右手の人差し指と親指。左手の人差し指と親指で500円玉ぐらいの輪っかを作ってください。
3)1)の時計をその輪っか越しに見てください。
4)見えたら、右目をつぶってください。
5)次に、左目をつぶってください。

さて、時計は、右目をつぶったときに見えましたか? 左目をつぶったときに見えましたか?

右目をつぶったときに見えた人は、利き目が左目です。左目をつぶったときに見えた人は、利き目が右目です。

ここまでいいですね。
ちなみに、私は利き目は右目でした。

さて、何で文字を書くときに紙を曲げてしまうのかということです。特に縦書きの時です。

もうお分かりいただいたかもしれませんね。
手が右利きで、目も右利きの場合、書いている文字が右手で隠れてしまうので、紙を横にずらして書くことがあるというのです。

私はここまでは考えませんでした。
ところが、私は、手も目も右利きですが、紙はずらさずまっすぐに字を書けます。

さらに、眼鏡を外して細かいものを見ようとする時、右目をつぶって左目で見る場合が多いのです。

このことを眼鏡屋さんに伺ったところ、
「手の指を組んでみてください。どちらが気持ち悪いですか?」
と言われました。

実は私、どちらも気持ち悪くないのです。昔はどちらかが気持ち悪かったのですが、いまはありません。ですので、
『どちらも大丈夫です』
と話したら、
「あ、先生は両利きなんですね。手も目も両方を使うことができるのだと思います」
と言われました。

なので、私の場合は右利きで字を書いていて、縦書きの時は利き目も右にも関わらず、どうやら左目で文字を見ているようなのです。

ということを教えて頂いたのでした。

このことを知った私は、本人の努力とは別の部分で紙をまっすぐに置いてしまっては文字を書きにくい人がいることを知ったのであった。

人間は実に奥が深い。

コメントを下さったお二人さん、よろしいでしょうか。

2008/12/26

コメント欄にてお待ちしております

気がつくと年末であります。
一年の過ぎるのが早いこと早いこと。もう一つ早いこと。

このところテレビを見ない私であるが、年末の明石家さんまさんの「明石家サンタ」、小田和正さんの「クリスマスの約束」を見ると、一年が終わって行くのだなあと思いますね。

桃ビールを好む私でありますが、この桃ビールを越えるフルーツアルコホールを開発できないでいたのでありますが、今宵発見しました。惜しげもなく堂々とご紹介しましょう。それは、「洋梨焼酎」です。

ビールで確認すれば良いのでしょうが、私のビールの時間帯は終わってしまいそろそろ寝ようと思ったときに、ふと目の前にあった食べごろ洋梨に目が行きました。

(あ、これは行けそうだ)
と思うや否や、皮を剥いてグラスに入れて、冷蔵庫に入れて冷やしてある「鳥飼」を注いで頂きました。

ああ、うまひ。

そこでまた酔いながら、思うのです。

(ああ、この人が生きている時代に自分が生きていて良かったなあ)と思う人は誰なのだろうかと。

確かに、坂本龍馬の生きていた時代に生きてみたかったと思う人はいるでしょう。しかし、坂本龍馬の生きていた時代に坂本龍馬に関わりのあった人はごく少数でしょう。坂本龍馬は、歴史になって初めて私たちが出会えた訳です。

ではありますが、私たちはいまリアルタイムでこの人に会えて良かったと思える人と出会えています。それが、メディアの大きな役割ではないかと思っている訳であります。

みなさんにお伺いします。

この人に自分が生きているときに出会えて良かったと思える方はどなたでしょうか。特別に有名な方でなくても良いし、誰もが選ぶ方でも良いと思うのですが、さて、どなたでしょうか。

私?
奥さんは別として、やっぱり音楽関係で小田和正、桑田圭祐、荒井由美の三人はあげるでしょうねえ。他には、・・・。年末、みなさんのこの人を、もし良かったら教えてくださいませんか。

コメント欄にてお待ちしております。

新年会のお誘い

今年の正月は、東京で過ごすことになりました。

1/3に、二年ぶりに聖蹟桜ヶ丘で新年会を開きたいなあと思います。
時間のある池田関連の主に卒業生のみなさん。近況を肴に楽しい時間を過ごしましょう。昼過ぎからやりましょう。

http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P2213754

に連絡を下さい。
人数がきまり次第、場所を予約します。

上は40歳の塾時代の教え子のみなさんから、下は合法的にお酒が飲めるようになったみなさんまでで、待っています。

恐るべし。専門家

うーん、やっぱり一眼レフは面白い。

なんといっても被写界深度を設定できるのが、良い。
主張したい部分にピントを合わせて、それ以外はぼやかすことができる。コンパクトデジカメでもできなくはないが、一眼レフの方がはっきりとできる。

また、子どものいる場所にはあれこれおもちゃ等が転がっているが、全てにピントが合ってしまうとこれらも一緒に写ってしまう。背景をぼやかすことができると、この問題は解消する。

また、連写もいい。
「ながたま」をセットして、連写で被写体を追っていると、機関銃で獲物を撃っているような感覚になる。これが男の狩猟本能を刺激するんじゃないかなあと、農耕民族の私は思う。

昼ご飯を食べて出かけようと思ったら、雪。
昨日の天気予報で雪ということを聞いていたので、朝確認したら山がうっすらと化粧をしていた。奇麗である。

今日は電車で市内に向かう。眼鏡を作り直そうというのが目的だ。どうも右目が見えにくい。そこで新しいのを作り直そうと決めたのだ。

で、これがさすがの専門店であった。いままでは大手のチェーン店ばかりで作っていたのだが、全然違った。

たぶん、品質はそんなに違わないのだろうが、その取り扱いが全然違った。利き目のチェック、左右の顔の凹凸のチェックなどをしながら、フレームを調整して行く。

私は眼鏡をかけると、どういうわけか右側が上がってしまい、眉毛の上のラインがまっすぐにならない。
『私の右耳の位置は左よりも高いところにありませんか?』
と聞いてみた。鏡で見ると同じ位置に見えるのだが、それ以外に考えにくい。すると、意外な答えが返ってきた。
「お客さんは、右耳の横の骨が出ているんですよ。ここに引っかかりがあるんですね」
『え”〜』

眼鏡をかけてもう30年にもなろうというのに、そんなこと初めて知った。その出っ張りがあるので、右側が上に上がってしまうというのである。もちろん、きちんと調整をしてもらってまっすぐになった。

他にも文字を書くときに、紙を斜めにして書く人の理由とかあれこれを聞いた。うーん、恐るべし。専門家。

こうなれば、私の情報を出して、きちんと作ってもらう方が良い。
『大学の教員で、コンピュータと本。それから授業が主な仕事です』
ということを話して、レンズの度数や種類の調整をしてもらった。

具体的には今までのレンズの度数よりも落としてみた。その方が本を読んだり、ノート型のコンピュータの使用には良いとのことであった。

家に帰って眼鏡を変えてコンピュータの画面を見てみる。
うひゃあ、画面が広い。
見やすいなあ。
なんだ、こんなに見やすかったんだ。

恐るべし。専門家である。

写真は、眼鏡ができるまでぶらついた錦市場。
正月の準備の品が売られていましたねえ。
ですが、思ったよりも人は少なかったです。

Nishiki

子どもの事実の中に私たちは

午前中は講座であった。
カーナビで確認し、講座開始に1時間余裕を持って家を出たのであったが
事故渋滞、道間違い、場所間違いとあって定時に遅れてしまった。
こんなの初めてだ。
申し訳ありませんでした。

今日の講座は『こんな時どう言い返す』の講座。生活指導主任が受講者ということで、あまり必要ないのではないかと思っていたが、帰り際にざっと感想文を拝見すると、特に若い先生方にはとても好評であった。

「うちの学校に来て校内研修をしてください」
「続きをまた受けたいです」
「他の講座もお願いします」

など全体の9割以上はこのような意見であった。
良かった良かった。

講座をしながらあれこれ考えていた。子どもを前にして「子どもは、こうでなければいけない」というスタイルから入る方と、子どもの事実を捉えて「子どもの事実からどう指導しようか」と考える方の二種類があるのだなあと。

言ってしまうと、前者は原理主義のように感じる。「正しい」原理原則があり、それ以外はダメというものである。確かに教育にはそのような一面がある。それを教えて行く必要はある。

しかし、「この正しさ」に従わない者は間違っている、というようにバサッと切ってしまえば問題が解決するかと言えば、しないのが教育であろう。

原理原則、さらには理論。これはとても大事。だが、子どもたちは原理原則の中だけに生きている訳ではない。むしろ、子どもの事実の中に私たちは、指導の糸口を見つけて行くことの方が多いのではないかと思う。

だから、うちの児童教育学科の演習では実践記録を子どもの事実に基づいて読んで行くレッスンしている。

また、大学院生のときにある先生が話していたことを思い出した。それは学びのストラテジーのある学生とない学生の差は、結構決定的であるということである。

簡単に言うと、素直に学ぶということ、目的を持って学ぶということなのだが、これができる人とできない人がいる。私の仲間には、両方ともできる人がいる。すごいなあと感嘆する。私は、前者は場合によってはオッケーで場合によってはダメ。後者はまあオッケーである。

ところが、どちらもダメと言う人もいる。自分だけが正しいとなってしまい、自分以外の何ものからか学ぼうということにならない人がいる。

教育実践書を読む時も、「ここがダメだな」というスタンスで読んで行く人と、「ここに学ぶべき点があるな」と言うスタンスで読んで行く人に分かれるのと同じだ。

後者のスタンスがある人は、きちんと批判をする。しかし、前者の人は、非難になることが多い。そして、非難だけして実践が弱い場合が多い。私が担当している学生は、そんな教師に育てたくはないと思う。

そんなことも考えながら、講座をしていた。

帰りに道ヨドバシカメラに立ち寄り、とうとう一眼レフを購入。
あれこれ悩んで考えて、一台を購入。

帰宅後早速娘を撮りまくる。
今までのカメラでは撮れなかった、表情や被写界深度を使った構図などが撮れる。
いやあ、可愛い。

年末年始のお楽しみが増えた。

写真は夜に上がった琵琶湖の花火。
手前のヨットにピントを合わせてみた。
これも今までは撮れなかったショットだ。

Photo

2008/12/25

クリスマスの日に研修

マンションでは、住民たちで隣人祭を行うとのこと。大きなマンションなのでいろいろな力を持っている人が集まっているのだと思う。

私はいまのところほとんど住民との交流はないのだが、定年退職をしたと思われる人たちは、この祭りを作ることで仲良くなっている様子。いいことだ。そのうち何かで、私もお世話になろう。

隣人祭をやっていたのをちらりと見えて、昼前に家を出る。
あちらこちらに用事があるので、これらを済ます。ふと通りかかった本屋で目に入ってくるものを買っていたら10cmぐらいの厚さになってしまった。まだ50cmぐらい読んでいないのに。
この冬に楽しもう。

京都駅ビルに行き、買い物と食事としていたらどんどん時間が過ぎる。ビックカメラにも顔を出して、情勢をチェックする。そうですか、そんなに安くなっていますか。不景気だなあ。

午後から会議が二つ。これで今年の大学での公のお仕事はおしまい。あとはほにょほにょだけである。だけど、このほにょほにょが大事なんだなあ。

で、明日は東大阪市教育委員会で講座。『こんな時どう言い返す』である。
最近は、国語より、こちらで呼ばれることが多いなあ。
ま、これも言葉なので関係はあるのですが。

クリスマスの日に研修にくるみなさんのために、しっかりやりましょう。

2008/12/24

12/27 講座案内 京都

明日の教室の常連の、ながたく先生からご案内を頂きました。
糸井先生も講師で出られます。
時間のある方、どうぞ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「教員採用試験を超えて」
 本物の教師をめざすために学び合おう!!

2008年 12月27日(土) 
場所 こどもみらい館(京都市 地下鉄丸太町下車すぐ)
13:00~17:00
☆講師紹介

糸井登先生 
宇治市立菟道第二小学校 教諭
佛教大学卒業後、小学校教諭。
ブログ「学校に新しい風を!」 http://susumu.exblog.jp/


☆スケジュール
13:00 代表あいさつ(中村翔一 スミレ幼稚園)

13:05-14:25 実践報告~若手教師たちの挑戦!~
1.保木井啓史(吹田市立ことぶき保育園)
2.則武千裕(京都市立梅津北小学校)
3.杉本直樹(大阪市立此花中学校)

14:30-15:00 現職教員との学び合い
「今、現場の先生に聞きたいこと、困っていること、考えていること」

15:10-16:50 シンポジウム&講演
      「教師になるために学ぶべきこと」
①学び合いの質問をもとに
②教師を目指す若者たちへ伝えたいこと
  糸井登先生(京都府宇治市立菟道(とどう)第二小学校 教諭)

16:50-   大橋功先生(東京未来大学 教授)  よりビデオメッセージ

引用終了 ーーーーーーーーーー

申し込みは、takuboya@cello.ocn.ne.jp
へどうぞ。

2008/12/23

お父さんの運転するポルシェに

(いよーし、原稿を仕上げるぞ)
と6時過ぎに起きる。まだ外は朝というよりは夜である。

寝て、すきっとした頭で、昨日書いた原稿に目を通す。
ぶつぶつつぶやいて、音の響きを確認する。
読者にそれほど必要のない情報はないかを探し、削る。

ところが、こういうときに限って、娘は早起きである。
リビングに向かう廊下を歩いてくる音がする。
ドドドドドという音に、かしゃかしゃというボタンが擦れる音が混じったものだ。

当然仕事は、中断。姫のお相手をいたす。
最近娘は、髪を梳ることをお好みである。大きな櫛で梳かしてあげると、とても気持ち良さそうな顔をする。そのうち、自分でもやり始めた。そして、私の髪もやってくれるようになった。

高年齢育児の親としては、梳る髪があって良かったと、心から思う訳であるf(^^;。

ではあるものの、午前中になんとか仕上げる。
この原稿は結構時間がかかったなあ。

本当はまだ推敲が足らないと感じているのであるが、ゲラを出してくれるということなので、その段階でもう一回推敲ができるので、印刷所にまわすのは早い方が良いであろうと思い、メールで送信をした。

原稿を送信する時のクリックは、なんとも言えない。

午後からは京都市内に、娘のクリスマスプレゼントを探しに行く。山中越えは順調であったが、高島屋の駐車場に向かうと、駐車場に入る車で大渋滞。諦める。これだと大丸もダメだろうということで、結局京都駅の伊勢丹に向かう。

こちらはまあ大丈夫であった。が、肝心の娘のプレゼントがない。年末の食材とか来年のカレンダーとかを購入して戻ってくる。結局プレゼントは地元で手に入れた。

私は見ていなかったのだが、伊勢丹の屋上で娘を遊ばせていたら、外国人観光客らしき親子が娘のところにやってきて、何やら日本語ではない話をし、写真を撮らせてほしいと伝えてきたそうだ。そして、奥さんによると片言の日本語で「かわいい」と言ったらしい。

娘は、どこぞの国の誰かのカメラに納まったそうだ
ま、国は違っても、愛されるってのは嬉しいものだ。

ちなみに、プレゼントの一つはポルシェ911カレラS。娘は早速気に入って遊んでいる。もちろん、ミニカーである。

いつか、お父さんの運転するポルシェに乗せてあげたいねえf(^^;。



2008/12/22

大学教員の楽しみの一つ

他の話題も。

児童教育学科の一期生は、四月から三回生になる。これは何を示しているかと言えば、採用試験まで一年半になったということであり、専門ゼミが始まるということでもある。

前者に対応して学内ではいろいろなことが動いている。学生たちは模擬試験を受け始めているし、児童教育学科は文学部を離れて人間発達学部に差来年度から移る。他にもあるが、まだ書けない。それで後者は、来年の1/8にゼミの希望が提出される。

今年の最後の基礎ゼミの時間に、ゼミの希望を書く用紙は配布した。どのようにゼミ生を受け入れるかの話もした。が、相談に来る学生たちがいる。

学生とすれば、自分がやりたいことを学べる環境に身を置きたいというのは、あたり前のことであろう。しかし、私はこれを理解しつつも、違うことを学生に話している。

『希望というのは、自分の経験と願いを元にして作られているわけだな。ということは、希望通りというのは、実はその人に大きな成長のチャンスを与えないことにもなるというのを理解するか?』
「?」
『私も学生時代にはよくわからなかったのだが、もしあのとき私が中央大学系列の付属高校に進学していたら、私は今頃弁護士になったかどうかだろうなあ。もし私が一浪後、早稲田大学に進学していたら、国学院大学で竹内常一先生には出会わなかったなあ。もし、私が高校の教員に受かっていれば、大学院に派遣されることはなかったろうなあ。もし、私が・・・、ってまあいいか』
「はい」
『わかるか? 希望通りにならなかったことが、私の人生の幅を広げてくれたんだなと、いまは思うのだよ。あのとき、希望通りにならなかったと言って、目の前にあることをやらずにいたら、つまらない、人のせいばかりにする人生を送っていたと思うのだよ。だけど、人生の前半を思い通りに進めなかったことが、その中でこんにゃろうと思ってやっていたことが、私の経験を増やして人生を面白くしているんだなあと、今は思うのだよ』

もちろん、全部が全部希望通りにならなかった訳ではない。教師にもなれたし、それなりに希望も叶っている。だけど、一つや二つ大事な希望が叶わなかったところで、だからなんなんだ? という思いも実感としてある。

ゼミが希望通りであれば、「おめでとう」であり、「注意をしなさい」である。また、希望通りでなければ、「うーん残念」であり、「ひょっとすると面白いことが待っているかもよ」なのである。ここが人生の面白いところだ。

こんな話を学生たちとするのは、大学教員の楽しみの一つかも知れないなあ。

ふじこ

12/22

原稿と格闘の日である。
研究室に籠って書いている。
研究室の扉には、

 学生諸君と業者の方へ。
 失礼、現在文章と格闘しております。予約緊急の方のみどうぞ。

と畳一枚程度の大きな紙に、筆で大きく書いたものを張って書いている。
しかも、ドアノブを掴むときにはこの紙を捲らないとダメなようにして張ってある。

これだけ丁寧に張り紙をしているのに、非常にあqswdrftgyふじこlp;@:「」
文章と向き合うということが、どういうことかわかっていないのだろうか。

このブログにはあまり不愉快なことは書かないのだが、
こればかりは書いておかねばと思う。

この情報が読めていないというのは、相当のおっちょこちょいか、
読めているとすれば、私の仕事を馬鹿にしているということになる。
いったい、あqswでrftgyふじこlp;@:;「「「「「「「「「「

文章の方はなんとか一段落をつけることができたが、あまりにも頭に来たので、
お腹を壊す。
私は、こう見えても繊細なのである。

ふう、体に良くない。
今晩は白湯でも飲んで体を休ませよう。

本日は冬至

12/21

学生たちのボランティアグループが子ども劇と人形劇をやるというので、昼前に娘を連れて大学に向かう。
時間があれば見に行くようにしている。内容はまだまだだが、以前に比べて運営が良くなってきたと感じられる。
さらに続けて行くと良くなると思う。

娘は、外に出ると静かになる。
公演の後、学生たちがやってくるが、逃げてしまい私にべったりである。

その反動か、家に帰ってきたらとても元気になる。
私は、寒くなったので家に入れたハンモックに寝転がっていたのだが、
その周りをぐるぐる回りながら嬉しそうに何か話している。

昼はまた頂いたうどん。
讃岐うどん系なので噛み応えがある。
かきあげ天ぷらを載せて、むはむふと食べる。

娘もほしがるので、あげる。
ほとんど噛まないで飲み込む。
満足そうな顔。
見ていて飽きない。

今日は「ごちそうさま」のポーズができるようになった。

本日は冬至。
カボチャとゆず湯を味わう。
健康で年末年始を過ごせますようにと。

クリスマスまであと四日だ。

Rimg0020

2008/12/21

気持ちよく慌てて、最終電車で帰宅する

12/20

相変わらず、娘に蹴飛ばされて起きる。朝、顔を洗うと染みる。顔に傷が増えている。まさか足の爪で引っ掻かれたのかなあと思う。

Asayake 今朝も見事な朝焼けだったので、じっくりと浴びる。体がちょっと冷えたので風呂にでも入ろうかと思ったら、娘が起きてきた。勝手にベッドから降りて扉を開けて歩いてきてしまうのだ。

娘を風呂に入れるときは、温めのお湯にする。たまには熱いお湯に浸りたいので、朝風呂は熱くする。だから、朝風呂は娘と一緒に入ることはできない。もう一度、寝室に連れて行って、どぶんとする。

ふう、熱い朝風呂は気持ちがよい。

朝ご飯の後に、娘とガーデンに行く。いまは休園なので近くの公園に向かう。
芝に寝転がって空を見た。
いやあ、広い。ここでも結構いいなあ。
土曜日の午前中だというのに、ほとんど誰も人がいない。

柔らかいサッカーボールを持ってきたので、その芝生の上でドリブルをする。娘は追いかけてくる。ちょっと遠くに蹴り飛ばすとぎこちない走り方でそれを取りに行き、持ってきて私に渡してくれる。うーん、子犬だf(^^;。可愛い。

そうこうしていたら、声をかけられた。
「この近辺の方ですか?」
『はい』
聞くと、熟年夫婦二人でここから武部神社まで歩くというのだ。え〜!
「10kmぐらいだと思うのですが」
『まあ、そうかもしれませんが、結構ありますよ』
「琵琶湖の周りは歩けますか?」
『んーん。琵琶湖の湖岸は滋賀県の土地ですけど、そこを続けて歩いて行くことはなかなか厳しいですよ』

今日から始めて、十数回で琵琶湖を歩いて一周するとのこと。そして、その一回目だという。記念写真をとってあげてお見送りをする。お元気で。

昼ご飯は、頂き物のうどん。
ぶっかけで食べたのだが、うまい。

器に盛られたうどんがものすごく多く感じたのだが、
(このぐらいが一人前なんだなあ)
と思って食べ始めたら、
「一人前は150g。そこには300gあるわ」
と奥さん。

気がついたらほとんど食べ終わっていた。美味しかったあ。

午後から関西青年塾。
今日は七つの習慣の渡辺先生。

幸せになるために何をするのか、ということを考える講座であるが、なかなか難しい講座である。

「幸せの形に拘らずに、人は自分を生きて行くのだから」

とブレッド&バターは名曲「あの頃のまま」という曲の中で歌っている。ま、歌詞はユーミだが。

私個人は、人に自分の生き方について、あれこれ言われるのが好きではない。放っといてくれと言うタイプであるf(^^;。言い方を変えれば、自分と自分の仲間とであれこれ悩み、調べ、考えて答えを出す方が向いている。

なんというか、哲学は教えられるものではなく、掴み取るものではないかと思っている私がいるのだろう。生きて行くための指針は掴み取るものという感覚があるんだろうなあ。

だが、公教育でここを一度考えさせるというのは、意味のあることだろうと思う。ありがとうございました。

その後、懇親会&忘年会。
3次会まで。
たくさん参加していたうちの学生たちとも楽しく。
わざわざ岡山から来ていた学生さんとも楽しく。

予約していた二次会会場の御陰でスムーズに二次会へ突入。
そこは先生ばかりの会。
こんなことを言われた。

「先生、申し訳ないのですが、一人の学生さんに思い切り言ってしまいました」
とのこと。何のことかと伺うと、うちの学生の考え方があまりにも甘いので、ガンガン言ってしまって、彼女の事情とかなんやらを理解していないことに気づき、謝られていたのだ。
『何をおっしゃいますか。ありがとうございます』
私はお礼を言った。
『そうやって親身に言ってくださることがとても有難いです』

私はあの学生が言ったであろうあれこれを想像することができる。そして、その思いをぶつけた学生も良しと思っている。学生たにには「生意気であれ、謙虚であれ、愛される人間であれ」と話している。自分の思いを話し、それを根本から否定されて、それでまた成長すれば良い。その機会を下さった先生方に感謝。

どこも混んでいるので3次会の会場が見つからない。
しかも、財布にはもう現金がなく、帰りの電車賃を100円借りている状態f(^^;。それでも名残惜しくて、もう一件を探す。
最後は、ホテルのバーに。

本日最後の一杯は、ピート香の強いウイスキー。
嘗ては、ピート香なんて何もいいと思わなかったのだが、このごろ、これが良い。たくさん学んだ一日を振り返りながら、バーのソファに体を沈めた。

気持ちよく慌てて、最終電車で帰宅する私であった。
乗り過ごさなくて良かった。

2008/12/19

「指示」である。ここのトレーニングが、大事である

1限 保育内容(言語)の授業。

先週は学生たちに言葉遊びの意義を説明し、実感させた。今週は学生たちが実際に言葉遊びを、大学生相手にしてさせるという授業である。

6グループあるので、ひとグループ辺り5分の持ち時間。私がその後の5分でコメントをし、その5分間に児童役の学生たちは演じたグループへコメントをカードに書くという作業をする。これで90分であった。

私の先週の説明が足りなかったのか、最初のグループが大学生に説明するような形で行っていたので、
『対象の年齢の子どもに説明する、その説明の仕方でやってください』
と改めて指示を出す。

そこで感じたのは、「指示」の甘さである。これは小学校の教員を目指す児童教育コースの学生たちの授業でも強く感じることである。「指示」ができないのである。

作業をさせるときに、「しろ」「やれ」という一言でできる場合、

1)何をするのか
2)どうやるのか
3)ゴールは何か
4)何のためにやるのか
5)注意することは何か

などが理解されている。あたり前だが、これらが理解されていないときに「しろ」「やれ」と言っても無理である。だが、学生たちの指示を見ていると、これらを理解させることなく「しろ」「やれ」となっている。

子どもは優しいので、うまくできないとき先生の指示が悪いのではなく、自分が馬鹿だからわからないというように思う。かなり成長してもそう思う。こんな私でも
(あれ、この先生の言っていることわからないな)
(うーん、この文章の言いたいことがわからないな)
と感じるとき、先生が悪い、文章が悪いと思えるようになったのは、中学生になってからだったのを覚えている。

1)から5)を子どもに合わせてわかりやすく説明をして、質問を受け付けて、
『みんなわかった? じゃあ始めるよ! どうぞ!』
とやるから楽しめるのだと思うのだが、ここが甘い。

「当てっこゲーム」というのがあった。

「あるもののヒントを5人が考えて言うので、それは何かを当ててください」

というものがあった。4、5歳児にやるという。私は4、5歳児がどのぐらいなのか実感はないがちょっと厳しいのではないかと思った。例題として先生の学生がやったのは、

1)変身します。
2)時間が大事です。
3)働き者です。

というヒントを出して行った。そのときに、答える学生が
「シンデレラ!」
と答えた。
「正解です」
となった。

私はそこで
『ウルトラマンだよ!』
とあえて言ってみた。
学生たちは、困惑しおろおろしていた。

「次のヒントを言うとわかるかな?」
と言い、

4)カボチャ。(だったような気がする)
5)王子様と結婚する。

と続けた。私はスルーされた。

演技の後に私は解説をした。

『私がウルトラマンだって言ったとき、私のことをスルーしたでしょ。見捨てた訳だね。これは残念だなあ。予定通りに行かなかったのだと思うけど、だからといってこの子どもを見捨ててしまうのは、違うでしょ。一人の先生が、その子どものそばに行って、「なんでなんで? 教えて」とか話せば良いのに。

で、話を来て、「君は賢いな〜」と一言言ってあげれば良いのに。子どもは子どもの理由があるんだから、それを聞いてあげようよ。これも大事な言語活動だよね』

ゲームに戻ろう。学生の先生は、私をスルーした後、次のように進めた。

「では、みなさんにやってもらいましょう。だれかヒントを出してくれる人はいる?」
と聞いて学生を当てていた。問題は「バナナ」であった。
見ているとヒントを考えてあれこれやっている。

そこで演技後にまた聞いて見た。
『ヒントを考えて、という指示だけで4、5歳児さんは考えられるの?』
「・・・」
『考えられるかもしれないけど、ヒントが被らない? 被ってもいいの?』
「被らないほうがいいです」
『大学生は大人だから、前の人のヒントを聞いて被ってしまったら咄嗟に被らないヒントを出せると思うが、子どもでできるのかなあ』
「・・・」
『できないのであるとすれば、先生の方が被らないヒントの出し方を指示しないとね。たとえば、5人いたら一人ずつヒントのエリアを決めてしまうのはどうであろうか。

1)大きさ
2)色
3)匂い
4)味
5)叩いた時の音

など。つまり五感だ。これなら被らないでしょ』

全ての演技が終わってから、確認した。
『どうですか。結構難しいでしょ、子どもを遊ばせるというのは』
学生たちは、強く頷いていた。

「指示」である。ここのトレーニングが、大事である。

3限

ディベートの団体戦。論題は、【日本は全ての小中学校の給食を廃止すべきである】である。立論の作り方として、列挙、リンクマップ等を説明した後であり、百科事典からリサーチを始めることも説明した後での立論づくりである。

試合を聞いていると、学校給食法などの法律が定義や証拠資料で出てくる。丁寧にリサーチをしているのがわかる。年明けに数試合予選を行い、決勝戦が今年度の最終講義の日となる。

4限

もう一つ別のクラスの、保育内容(言語)である。私の授業の構成は同じ。展開してみると学生たちは、実に1限と同じようなところで、失敗をする。同じように指導。

5限

国語科教育法2。メディアリテラシーの最後。フォトストーリー3というソフトを作って、実際に映画を作ってみる。30分で説明、30分で製作。あまりにも簡単に映画ができるので驚く。30分で鑑賞会を行う。

鑑賞会を行いながら、このソフトで作る作品の活用方法、注意点、授業への活かし方等を話す。私がいま現場にいたらこのソフトを使ってやることは何かなども話す。

ということで、今年の私の授業は今日で終了。
ふう、よく働いた。

あとは、会議と講座と事務処理だな。
あ、原稿も残っていた。
あ、年賀状も何もやっていない。

いつも通りの年末と言えば年末だ。


『美山錦 純米吟醸 生詰 美田鶴』

残念ながら学科の忘年会に行けなかったので、家で楽しむ。
とっておきの一本を出す。

『美山錦 純米吟醸 生詰 美田鶴』

だ。

本マグロの稚魚と生ガキを肴にして、楽しむ。
実にうまい。

ほんの一合で十分うまい。
京都でちょっとした料理で
これを飲ませてくれる飲み屋はないかなあ。

2008/12/18

午後はずっと研究室で原稿書き

12/18

1限は、もう一つやっているディベート関連の授業である。
今日試合をする学生は、通学に二時間以上かかっている。
兵庫から来るのだが、
(やばい。今日も濃霧になりそうだ。電車が遅れる!)
ということで、新幹線で駆けつけたとのことだった。

試合は、負け。
負けたのは悔しいが、それでも多くのことを学んで満足だと感想文に書いてあった。
ディベートは勝つためにやるのか。そうだ勝つためにやるのだ。
しかし、勝つのが最終の目標ではない。
勝ち負けは、最終目標のためのきっかけでしかない。

最終目標は、人間的な成長である。
ディベートを通して人間的な成長を身につけることにある。
試合の中身は、相手のあることだし、ライブだし、いろいろな結果になる。
だが、そこに至るまでの準備、取り組みが大事なのだ。

これをきちんと続けていれば、
新幹線代なんて、やがておつりが付いて返ってくるはずだ。

2限は、基礎演習ゼミ。今年最後なので、大学から学科からといろいとと連絡事項がある。

中でも大事なのは、3回生ゼミに向けてのアンケートである。学生諸君は、正月休みにじっくりと考えて3回生ゼミを決める。学生の希望とGPAで決まって行く。選ぶ際の注意事項を話し、質問を受けて来年度のことをあれこれ話す。

授業は『授業 人間について』の輪読から感想を出し合い、疑問点等を確認する。多かったのは、

・ 林竹二先生の話が長い。
・ 6年生には難しいのでは。
・ 使っている単語が私にもよくわからないのがある。
・ 寝てしまうんじゃないか。
・ 子どもの意見をあまり聞いていない。

と、どちらかというと否定的な感想が多かった。

私は
『手元にある今日配ったプリントの写真を見てご覧』
と。

そこには、林竹二先生の授業を、目をキラキラ輝かせて聞いている子どもたちの写真がある。「六年生には難しいのでは」「寝てしまうんじゃないか」という感想を述べた学生は、うーんと唸る。

『この本には、同じ「人間とは何か」の記録が後二つ載っています。一つは、小学校3年生で、もう一つは小学校1年生です』
「え〜!」
ということで、「6年生には難しいのでは」という感想も意味をなさなくなる。となると、「林竹二先生の話が長い」「使っている単語が私にもよくわからないのがある」「子どもの意見をあまり聞いていない」という感想だけが残ることになった。

『さて、これはどういうことでしょう』
私は授業の記録から、林先生がきちんと授業を展開しているなあと思うのだが、学生たちにはこの展開の妙がわからない。なんでもないやり取りの中に、展開の妙があるのだが、そこは読めていない。先生の視点でこの記録を読んでいない(読めていない)。子どもの視点で読んでいるのである。

『例えばね、ここはどう?』
と少しだけその展開の妙を説明した。
「なるほど」
となる。説明するとわかるのだから、まだ良しとするか。年明けに実際の授業のビデオを見ることにする。

授業を見るのと、授業をビデオで見るのではずいぶんと違う。しかし、テキストで記録を読み、ビデオを見ることで、通常よりは深い学びを得ることができるのではないかと思われる。

昼休みは、来年度の新入生キャンプのオリター諸君との顔合わせ。新入生キャンプの目的、留意事項、オリター諸君に期待することを手短に話す。

私があれこれやり方を言うのではなく、目的を示してあとはオリター諸君に任せる。これが私のスタンスである。一回生からの質問があった。

「打ち合わせは、先生から連絡が来て集まるのでしょうか?」
『ん、違います。先ほど示した目的を達成するために、君たちがスケジュールを立てて活動を始めます。私は相談があれば、聞きます。来てくださいと言われたらスケジュールを調整します。君たちが目的達成のため、ミッションコンプリートのために自ら動いてください』
という話をする。

学生たちに力をつけるには、あれこれ言う必要はない。目的、留意事項、期待すること。この三つで良いと考えている。

さらに昼休みに、学生が相談にきた。授業で
『学校の役割ってなんでしょうかね』
と話題をふったら、それにこだわってあれこれ考えている学生である。百科事典などで調べてきた結果をA4で5枚ぐらいにまとめてきたので

『君は相当暇なんだね』
と言うと、
「暇じゃありませんから」
と言いつつ、コメントを求める。
ならばと思い、
『2万字ぐらいの論文を書いてみたらどうですか』
とアドヴァイスする。学校の役割を2万字で書ききれるかどうかと言うとかなり難しいであろう。しかし、論文の習作として書いてみるというのは面白い試みでもあろう。

私の修士論文を取り出して、あれこれ論文の書き方のインスタントな指導を行う。
『まー、君は暇だから書けるかな』
「先生、暇じゃありませんって」
『まー、じゃー、そういうことにしておこう』

どんな論文になるのか、これはこれで楽しみである。

学生の論文は楽しみだが、私に与えられている原稿は楽しみではないf(^^;。
うーん、締め切りは一週間延ばしてもらえたのでほっとしているが、年末年始を過ごすためにはなんとか仕上げなければならない。「学校でしかできない授業」というお題である。私が読んでみたいものだと思うタイトルである。

そうか、私が読んでみたい内容を書けば良いのか?
そう簡単にはいかないだろうが、これもヒントにしつつ書き進めよう。

ということで、午後はずっと研究室で原稿書き。
うーむ、うーむ。






















散歩してこよう。

を、歩いてきたらアイディアがまとまってきたぞ。
あと一週間でなんとかなりそうだ。
学科の忘年会をキャンセルして頑張った甲斐があったようだな。

うし!

2008/12/17

ああ、能天気

昼過ぎから会議。
学生部会議に、学科会議に、学部教授会に、センター試験監督者説明会議。
四つ。
今日はなぜか非常に眠たくて困った。

会議で配られた資料をノートに書き写しながら、眠気と戦う。
するとどうだ。びっくりしたことに書きかけの原稿のアイディアが浮かんできたのだ。
構造主義ではないが、アイディアがあって言葉が生まれるのではないことがわかる。
言葉があって、その後にアイディアや考えが生まれてくるのだということを実感する。慌てて、そのアイディアをノートに書き写す。

ラッキーである。

昨日のリクルートのインタピューで、こんなことを聞かれた。
「先生は、そんなにお忙しいのに、いつ授業の準備をされるのですか。いつ、そんなことまで調べていらっしゃるのですか?」
と。学生たちにも聞かれることがある。私は
『いつも』
と答えている。
そう、いつもなのである。

わからないことをずっと考えていると言った方がいいのだろうか。そのずっとというのは、一つのことをずーっと考えているのではなく、次から次へと分からないことを順番に思い浮かべているということに近いだろうか。

わからないことを、わからないということで捨ててしまわずに、わからないことを確認しているという言い方の方が正しいのかなあ。

(ん。今日もこのことはわからなかった)
と。

ところが、これがあるとき
(あ、そうか!)
とわかるのである。だから、授業の準備や教材研究はいつもしているというのが正しいのかなあ。

私が敬愛しているディベーターである瀬能先生は、
「人生はディベートで、試合以外はすべて準備時間」のようなことを話しているが、ちょっとそれに近いものがあるかもしれない。

だが、昨日のインタビューではもう少し突っ込んだ説明をしてしまった。

『私ごときが言うのもなんですがね、○○について(調べよう!)と思っているうちは、多分ダメなんだと思います。ノーベル賞の発見などと比べるつもりもありませんが、ただ、偉大な発見を見ていると、○○を発見しようとしているうちはあまりうまくいかないのですが、○○を目的にしようと頑張っていると、意外な凄いものを発見するという感じでしょうか。

○○を目的に授業をつくりたい、子どもたちに◎◎のような大人に育ってほしいというような目的を持ってあれこれやっていると、その方法とか必要なものとかは、向こう側からやってくるのではないかと最近思っています。自分で探しに行っているうちは、まだ違うんじゃないかなあと思うのです』

本当かどうかはわからない。だけど、私がディベートに出会ったのも、林竹二先生に出会ったのも、他にもいろいろとあるが、なんか、今から思うとそんな気がして仕方がない。

「意識してアンテナを高く張る」という言い方がある。ま、よく言われる言葉にするとこんな言い方になるのかもしれない。でも私の実感としては、ちょっと違う。

目的を持って前へ前へと進んで行くと、向こうから笑顔で大事なもの、大切な人がやってきてくれるという感覚である。わからないものを簡単に捨てないで、持ち続けていると、向こうから答えがやってくる感じだ。

なんと能天気な私なのだろうかと、さすがの私も思うのだが、でもそんな感じだ。

今年もあと二週間だ。
師走、時間が過ぎるのはいつもよりも早い。
押し詰まると、密度の濃い時間の中で、また良い出会いがあるような気がする。

ああ、能天気だ。

2008/12/16

最も悲観的に準備して、 もっとも楽観的に対応すること

今日の学級担任論は、私語をどうやってなくすかということで、今日で今年の授業の分は、終わった。

私の結論は、変わらない。簡単である。教師が授業の力をつけるである。教師の授業の力のあるなしで、そうとう授業中の私語は変わると考えている。詳しくは『授業規律で学ぶ力を うるさい授業よさようなら』(家本芳郎編著 学事出版)に小論を載せてあるので、興味のある方はご覧頂きたい。

私はこの学級担任論の授業をしながら思うことがある。そして、それを今日の授業で話した。

『私の理想は、私のこの授業が君たちの教育実習や、学校教育現場で役に立たないことなんだな。「池田先生はあんな授業をしたけど、そんなの必要なかったね」と言われるような学校に君たちが赴任することを祈っているのだよ。

中には本当にそういう諸君もいるだろう。ま、そういう諸君はそれでよい。しかし、そうではない学校に行った諸君たちが、きちんと仕事ができるためには、私が教えていることが大事になると思うのだ。

本当は、私の教えていること等必要のない学校が社会にあると良いと思うのだが、今の時代それはなかなかないからねえ』

初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏は
「危機管理の要諦は、最も悲観的に準備して、 もっとも楽観的に対応すること。最悪なのは、楽観的に準備して悲観的に対応すること」
であると言っていたのを覚えているが、
(これは私の学級担任論の授業にも当てはまるはあ。授業づくりにも当てはまるなあ)
と思う。

うまくいく時は、なにもしなくてもうまくいくものである。しかし、問題はダメなときにどう凌ぐかである。凌ぎ方を身につけて、うまくいく時はその波に乗って特にあれこれせずに楽観的にやればいい。だがそうでないとき、この授業で学んだあれこれが役に立つと良いなあと思っている。

授業後、リクルートの取材を受け、さらに原稿書きや依頼状書き。書いてばかりである。
大変ではあるが、何かをつくり出すというのはこういうことなのであろうと思って、ひたすら書いている。

新しい学部ができます。「人間発達学部」です。

新しい学部ができます。
「人間発達学部」です。

本日新聞発表がありました。
京都橘大学に2010年から新しい学部ができます。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008121500084&genre=F1&area=K00から、
引用開始 ーーーーーーーーーー

小学校の英語教育に対応
京都橘大「人間発達学部」新設へ

 京都橘大(京都市山科区)は15日、小学校での英語教育に対応した教員養成のカリキュラムを設けた新学部「人間発達学部」を2010年4月に開設する計画を発表した。小学5、6年の授業で11年度から実施される「外国語活動」に関連する科目を開講し、英語教育に強い学部を目指す。

 新学部は、小学校や幼稚園の教諭免許、保育士資格の取得を目指す「児童教育学科」(定員120人)と、英語を中学・高校の教員免許の取得やビジネスに生かす「英語コミュニケーション学科」(同50人)の二学科制。両学科を、現在ある文学部から独立させ、新学部とする。

 児童向け英語の関連科目の設置のほか、学生が小中学校の遠足や運動会に補助として参加する機会の確保(児童教育学科)、半年間の留学の必修化(英語コミュニケーション学科)で、「コミュニケーション能力を伸ばし、教員採用試験でのアピールにつなげる」という。
 また、大学と大阪府三島救命救急センター(高槻市)は同日、学術教育交流協定を結び、現代ビジネス学部救急救命コースと看護学部の授業を同センターの医師らが担当することを決めた。文学部日本文学科は来年度、俳人の黛まどかさんを客員教授に迎え、学生とともに学外で俳句を作る授業を行う。

引用終了 ーーーーーーーーーー

私の所属する児童教育学科は、新しい学部に移動することになりました。学科定員も多くなります。ますます活気のある学科、学部、大学に育てて行きたいなあと思っております。

今後とも、よろしくお願いいたします。

2008/12/15

仕事の一日

12/15

昨晩の忘年会は、終電の一本前で帰ってきたのであるが、気持ち良く酔ってしまった。
今朝はさすがに6時台には起きることはなかった。

が、寝ていたら娘が体の上にあれこれものを載っける。ビール瓶、日本酒の四合瓶などあれこれ。確かに飲んだ呉れて寝たが、この有様はないよなあと思いながら起きる。

ちなみに娘は、いまマグカップで乾杯をするのがマイブームである。

研究日の今日は、一日パソコンに向かって仕事。
原稿書きと来年度の授業のシラバス書き。
なんとかシラバスの方は終わった。

来年度から専門ゼミが始まる。
これは楽しみにしている。
シラバスを書きながら、あれこれ構想を練るのは、大変だが楽しいものだ。

夜、近くのイルミネーションを見に出かける。
寒い中、娘はせっせと庭にある小石を拾っては道の反対側に移動している。
君は何を目指しているのかね。

今日は琵琶湖で蜃気楼が出たというニュースがNHKで流れていた。
豊かな自然に囲まれて、仕事の一日であった。

写真は、数日前の朝焼け。クリックで拡大して見て頂くと、より雰囲気が伝わると思います。
Rimg0238

いろんな人と一緒に、風呂で世間話

12/14

のんびり寝ていれば良いものの、やっぱり5時台に起きてしまう。
ま、いいか。ベランダからリビングに持ち込んだハンモックに転がって寝ていれば良い。
と思っていたのだが、読書に突入であった。

そうこうしているうちに風呂が沸いたので、風呂で読み続けることに。
『こんな日本でよかったね』(内田樹 バジリコ)である。

世の中の内田先生ファンは、ブログを書かさずにチェックし、『橋本治と内田樹 対談集』『街場の教育学』を読んでいると思うのだが、私は「まだ」『こんな日本でよかったね』である。それは内田先生の出版ペースが早いと言うのもあるが、それ以外の理由もある。

一時期、私は内田先生のブログを毎日欠かさず読んでいたのであるが、ある時からこれを止めた。嫌になってのことではない。なんというか、もどかしさを感じてしまうようになったのだ。なんだろうかとイライラしていたのだが、分かったのである。

それは、書き込みができない苛立ちであったのだ。

私は、基本的には本は、買う。それは書き込みができるからだ。書き込みができない読書は読書ではないと思っている。だから、本を読む時は筆記用具を必ず用意する。筆記用具がない時は読書はしないという具合である。

中谷 彰宏さんは、「アイディアは、筆記用具の数できまる」のようなことを書いていたと思う。これは筆箱に何本ペンが入っているかと言うことではなく、常にすぐに書ける状態になっている筆記用具が手元にどれだけあるかと言うことであろう。

枕元、トイレ、リビング、車の中、風呂。鉛筆があるかどうかと言うことだと思う。(ただ、最近はこれを娘が遊ぶので、ちょっと困っているが)ちなみに、キーホルダーと携帯電話にもボールペンはぶら下げてある私だ。

ブログだと、この書き込みながら読むことができない。書き込むのはアイディアであったり、批判であったり、ため息であったり、思いつきであったり。要は作者と会話を楽しんでいる訳である。これができないので、イライラしていたのだと言うことに気がついた。だから、止めたのである。

で、風呂なのである。
『こんな日本でよかったね』を風呂で読みながら、不思議な感覚に捕われた。
なんというか、内田先生と一緒に風呂に入って世間話をしているような感覚である。

もちろん、『こんな日本でよかったね』は世間話のような感覚で読めるような本ではない。ではあるが、温めのお湯の風呂で半身浴で、鉛筆で書き込みをしながら読んでいると、そんな感じになった。

面白いなあ。
この感覚を手に入れた私は、これからいろんな人と一緒に、風呂で世間話ができるな。

2008/12/14

なんのことはない幸せな休日

12/13

のんびり寝ていようと思ったら、娘がワシワシと起きてリビングに歩いて行こうとしているので、一緒に起きる。娘の体内時計は正確である。

午前中は懸案であったチャイルドシートの取り付けである。今まで後ろ向きにしていたのを、前向きに変えるのである。今年の一文字の「変」である。

一回車から取り外し、きちんと説明書を読む。
『ふむふむ』
改めて読んでみると、いままでちょっと間違った付け方をしていたのに気がついた。ちゃんとつけていないチャイルドシートが多いと知っていたが、まさか自分がそうだったとは。事故にならなくて良かった。今回はしっかりと間違いなく取り付けることができた。

奥さんを駅まで送って、私たちは家で昼ご飯。奥さんは息抜きと年末年始の準備のために錦市場へ向かった。私は家で娘の昼ご飯を食べさせ、読書。その後、昼風呂に一緒に入り、出かけることにした。

カーナビをつけると、街中真っ赤っかである。そうだよな、ボーナスがでた最初の土曜日だもんな。街も混むわ。ではあるが、大津のパルコと西武に出かけた。娘の手袋を買ってあげたいなあと思った訳である。

パルコの無印良品とユニクロを見るが、これと言ったものはなし。そこで隣の西武に向かう。一階の食料品店の並ぶコーナーをうろつく。なんとなく魚の顔を見ないと落ち着かないのである。

気がつくと、娘は珍味の袋を整頓していた。なんというか、右から左に移動するのが今の彼女のブームなのであるが、それをお店でやっていた。売り物であるし、食べ物であるので止めさせようと思ったら、これが奇麗に並べるので、それが終わるまで待つ。

できたところで抱っこしたら大泣き。しかし、ダメです。そのまま肉のコーナーへ。たしか西武の肉のコーナーにはあの肉があったはずなのだ。それはラムチョップステーキ肉である。

私はこれがことの外好きである。ところが、家の近くのジャスコ、大学から帰ってくるところにあるスーパーと、置いてあった店が置かなくなってしまったのだ。か、悲しい。確かに、半額になるまで買わなかった私も悪いが、半額でも買うんだから置いてくれないかなあ。

で、どうしても食べたい時は三条の明治屋まで買いに行っていた。だが、大津の西武にもあることが分かった。泣き叫んでいた娘にこの肉のパッケージを持たせたら、泣き止んだ。ははは。現金だ。

肉の他に何かあるかなとうろうろしていたら、あった。「ビスコ」である。東京にはビスコと言う名のゲームソフト屋があるが、このビスコはお菓子のビスコである。

子どもの頃は好きだったなあと思い、早速購入。そして、娘に持たせた。もう、娘はビスコも食べられるぐらいに成長しているのだと思うと、ちょっと感動。

5階に子供服売り場があるので、エスカレーターで上る。勝手に歩いていたのに、このエスカレーターの前に来ると、さっと手を出して握ってくれとやる。うーん、賢いなあ。と思ったのは最初だけ。

これが気に入ってしまって、結局五階では降りられず六階へ。そこにあったペットショップで子犬子猫を鑑賞し、結局また一階までエスカレーターで降りてきておしまい。

そこで奥さんに電話。すると、今山科駅に到着とのこと。慌てて駅まで迎えに行くことに。娘は新しいチャイルドシートでぐっすり。

なんのことはない幸せな休日であったことよ。

2008/12/12

1)遊べや遊べ

12/12

今日は、保育内容(言語)の授業があった。
担当は、私ではないのであるが、二回ほど受け持つことになったのだ。金曜日の授業は通常は二つなのだが、今日は4つの授業であった。90分×4つというのは、さすがに疲れる。

ではあるが、心地の良い疲れである。
授業の疲れは、やっぱり良い。

保育の授業は、幼児教育コースの学生たちなので、いまは通常、私は教えない。なので一回生のときに担当した学生たちと久しぶりの授業。一回生のときに厳しくメモを取るようにと指導したことが体に染み付いているのか、きちんとメモを取りながら話を聞くことができている。いいことだ。

考えてみれば、いま目の前で成長している娘のことがそのまま教材になるのであるが、娘は研究対象にしようとは思わないので、授業では、エピソードとして語るぐらいに留めておくことにした。我慢するのは大変であったがf(^^;。

授業では、保育に関わるものとして大事ではないだろうかと言うことを話した。子どもは次の四つの段階を経て成長して行くのではないかと示した。

1)遊べや遊べ
2)遊べや学べ
3)学べや遊べ
4)学べや学べ

である。保育は1)がほとんどであり、2)が少しあるかどうかであろう。であるとすれば、先生はたくさん遊びの種類を知っている必要がある。子どもが自主的に遊ぶというものもあるであろうが、知っていることは必要だ。

外の遊び、部屋の中の遊び。雨の遊び、晴れの遊び、雪の遊び。1人の遊び、グループの遊び。体を動かす遊び、歌を歌う遊び、言葉を使う遊び、道具を使う遊び、道具を使わない遊び。それぞれ10種類ぐらい知っていると良いんじゃないかなと話すと、学生たちはそうだなと思いつつも、今はそんなに知らないという顔であった。

『あのね。私が幼児教育コースの担当教員であれば、君たちに出す課題が二つはあるね』
と話す。それは、「お母さんと一緒」(NHK教育テレビ)を見ているときに思ったことだ。

『ねえ、なんでこんなに歌ばっかりなのかねえ。歯を磨くこと、パジャマを着ること。なんでも歌じゃない』
と奥さんに話したところ、奥さんは一言するどいことを言った。
「これはね、ミュージカルなのよ」
なるほど。名言である。

子どもの世界はミュージカルなのだと思うと非常に分かりやすい。うちの娘もまだお座りもできない頃から何やら分けの分からない歌を歌っていた。ミュージカルの中に生きているのだ。だから、なんでも歌にするのだ。

もし、そうだとすれば、課題は二つ。

1)京都劇場で劇団四季のミュージカルを見てくる。
2)一日のうち、一時間の作業を全て歌で過ごしてみる。

である。

1)は、もし、保育がミュージカルなら、ミュージカルの本物を見ておくことはとても大切であるということだ。幸いにして京都駅には、劇団四季の劇場がある。多少値が張るが本物を一回見ておくことは大事だろう。

2)一日のうち、一時間でいいと思うのだが、自分がする作業を勧める、または、褒めるための歌を歌い続ける。なに、実際にやることは簡単である。たとえば、掃除をするとき「掃除をしましょう。奇麗にしましょう」という言葉を思いついたら、これにメロディーをつけて歌うのである。そして、終わったら「ああ、奇麗。よくできました。気持ちいいなあ」という台詞にメロディーをつけて歌うのである。

詳しいことはよく知らないが、実際にはそのような歌があるのかもしれない。それらを覚えるのも大事だろう。しかし、それと同じぐらいに自分で作詞作曲してしまえる力も大事だと思っている。立派な歌である必要はないだろう。鼻歌程度で良いと思う。しかし、それはミュージカルの世界に生きている子どもたちと接するには、とても大事なことだと思う。

『ま、やれとは言わないが、やってみたら面白いんじゃないかなあ』

と話す。

その後、学生たちに、「たほいや」を指導しながら、ことば遊びとは何かを解説していった。学生たちは相当面白かったようで、ことば遊びの凄さを実感していた。

保育士は、子どもの言葉以前、言葉の獲得、言葉の活用の三段階に寄り添うことになる。この過程を経て育って行く学齢期以前の子どもたちの「ことばの遊び」をたくさん知っている先生になってほしいと授業を進めた。

来週は学生たちが、自分たちでグループごとに言葉遊びの実際をやることとした。楽しみである。

3限のディベートの授業の後、4限で保育の授業をもう一つ別のクラスでやって、5限は、国語課教育法2である。
10分の休憩時間で教務に走って、プリントを持って帰ってきてと、これはまあ忙しい。

国語科教育法2の授業は、久しぶりに私が行う。
いままで模擬授業だったからねえ。

今日の授業はメディアリテラシーである。
模擬授業を通して学生たちは、授業をつくると言うことを少し理解してきている。今回のメディアリテラシーの授業は、そんなことも踏まえて私が今までにやってきた、メディア断食、メディアリテラシーの授業、さらにはそこから発展したジェンダーやディベートの授業について説明をする。

(詳しくは、過去のブログを)

一つの授業をつくり、その授業を発展させ一つの系統を作っていく。これができるようになると授業づくりは初心者を脱して、次のステージに行くことになる。学生たちは、授業づくりの深淵さ、壮大さを思い遥か先を見つめているようであったf(^^;。

いやあ、たくさん仕事をした。
心地よい疲れだ。

2008/12/11

『授業 人間について』(林竹二 国土社)

『授業 人間について』(林竹二 国土社)

人の一生を決める本があるとすれば、私にとってこの本はその種類の本の中の一冊であることには間違いない。大学二年生のときに、この本を読んで衝撃を受けた。

そして、有難いことにいま、大学二年生の学生たちと一緒に、この本を授業で読むことができる。基礎演習ゼミの授業で、各クラス共通の教材として扱うことになり、今日はこの本を読んだ。

『タイトルを見ると、「授業」ってあるけど、ところで授業って何?』

改めて問われると、学生たちは答えに詰まる。何気なく使っている言葉をきちんと説明してご覧と言うと困る。授業と講義はどう違うの? 授業に必要な要素は? 授業が成立するってどういうこと?

学生たちは
(そんなこと聞くなよ)
という顔で見ている。

だが、問うことをしなければ、学ぶことはできない。

タイトル読みをした後、読み始めた。
正確に言うと、前書きの部分を私が読みながら、解説を行い、疑問を投げかけ読み続けた。

『授業 人間について』8~9pから引用開始 ーーーーーーーーーー

この授業のテープを聴いて騒がしいと感ずる人も、騒がしくないと感ずる人もあるかもしれない。実際に授業で苦しんで、開眼を経験した人は、騒がしくないと聞いてくれるようです。それは、子どもたちが授業の中で、その主題に集中して、授業にはいりこんでしまった、みんなが一緒になって、その問題と取り組んでいる。幼い子どもですから、頭の中に浮かぶ思いが全部そのまま言葉になってでる。その言葉になってでてきたもんが、つきあわされたり、つなぎあわされたりして、綜合されて、だんだんひとつの流れとなり、焦点を結んでゆく。そういうことが、持続的に授業の中で行われているか、どうか。それが授業の質を決定するわけです。

子どもが、ほんとうに授業のなかにのめりこんでしまうというふうになりますと、子どもたちの自由な思うままの発言が、雑音にならない。そのひとつひとつが、授業の展開のひとこまひとこまになるのです。それをまともに受けとめて、全体の中にきちんと位置づける仕事が教師の仕事です。

引用終了 ーーーーーーーーーー

という文章がある。
私は大学二年生のときに、

(なに、そんなのできるの。そー、できるってなら、俺もやったろうじゃん。ふざけんなよ)
と思って塾の授業で挑戦していた。

ふざけているのは、お前の方である。そう、私である。
私であるが、そこはそれ若者の特権。本気で林先生がされていた授業を自分もやってやろうと思い、挑戦した。そして打ち砕かれていた。

打ち砕かれつつも、めげないのが私。
(なんでぇ、同じ教育をやろうとしている人間じゃないか。そんなに違いがあってたまるか)
やはりアホである。違いがあってたまるかではなく、ありすぎるのである。相手は東北大学の元教授で、宮城教育大学の学長である。でも、でも、教育では同じであり、先輩ではあるがライバルでもあると思っていた。

完全にアホである。
若いって凄いことである。

だが、やっぱり心のどこかに、同じようなことを思っている私がまだいる。アホなのか、若いのか、そのどちらもなのか分からないが、そんな私がいるのを自覚している。

奥さんには、
「あなたねえ、相手は日本一なのよ」
と慰められるが、
(てやんでえ)
と江戸っ子になって反論する私がいる。

そして、改めて読んでみると、これは授業中の「私語」と「公語」*1の問題を考える良いテキストとなっていることが分かる。さらに、西川純先生の提唱される「学び合い」を考える際にも重要な問題を含んでいると思われる。

一度もお会いをしたことのなかった林竹二先生と、会話を楽しんでいる自分がいる。

私は林先生の授業を追っていた時期があった。
斎藤喜博先生でも、大村はま先生でもなかった。林竹二先生であった。

その林竹二先生の御著書を学生たちと学ぶことができる。これは幸せである。僥倖である。だれが書いてくれたシナリオなのかは分からないが、素直に嬉しい。

そして、再び林竹二先生に打ちのめされながら、読み進め、授業を考えるのだなと思う。

*1「公語」とは、池田の造語である。私の学級担任論の授業では授業における「私語」問題を考える際に、補助線のように私語の対概念として提示している。

2008/12/10

「私語」の指導について

12/9

気がついたら、怒濤の11月がいつの間にか終わっていた。
うーむ。でも、12月も怒濤なのね。

今日の学級担任論は、「忘れ物指導」「遅刻指導」「私語」の指導と盛りだくさん。「私語」は全部は終わらなかったが、これは予定通り。昨日やっていた授業の準備は「保護者対応」の準備で、当然ここまでは進まないことは分かっているのだが、その先のところまでやっておかないとなあと思ってやっていた。

この内容に入る前に話をした。

最近、児童教育学科の学生たちがよく動くようになってきたと感じている。これに気を抜いてしまっているのが、私の方かもしれない。

よく動くので、
(ま、これぐらいいっか)
と許してしまっているところが多くなっている。これがいけない。学生を育てない。甘やかすのは、家族と恋人だけで良い。教師は厳しくなければならない。

先日の餅つき大会でも、大筋では良いのだが細かいが大事なところがダメであった。だが、
(ま、一回目だし)
(お客さんもいることだし)
と見守ることにしていたのだが、その後のアンケートに、私が気になっていたことが指摘されていた。
学生たちに申し訳ないことをした。やはり、その場で指導しなければならないのだ。

『ということで、君たちに謝らなければならない。きちんと指導しなかったことをである』

と話し始め、あれこれを指導する。
人は、付き合ってみないと本当のところはよくわからないが、付き合ってくれる人は、親、兄弟、教師、友人、恋人ぐらいなものである。その他の多くの人は、瞬間でしかその人を判断しないのである。それは、担任する子どもでも、保護者でもそうである。そして、一度染まった印象を、変えるのはなかなか難しいのである。

学生時代の私がこのことを聞いても分かったような分からなかったような感想を抱いたのではないかと思う。自分が強い時期の人間は、自分を中心に考えがちである。自分が良いのだから良い。

しかしやがて、自分は社会の中で生きていること、社会は自分が存在する前から存在し、自分がいなくなったとしても、おそらくは存在すると言うことに気がついて行く。社会と喧嘩するのも一つの方法だが、社会とうまく付き合う方法を身につけて行かなければ、この喧嘩は連戦連敗となる。

負けの美学というものもある。が、これから先まだまだ人生が始まったばかりの学生たちには、何もわざわざそんなルートを行かせる必要もない。それでなくとも、教育、教員を取り巻く環境は厳しいのだから。

「私語」の指導について、私は学生たちに厳しい要求をした。

『授業中の私語と言うのは、ほとんどの場合その原因は教師にある』

というのものである。なんとななれば、学習者は、授業がつまらないとき、わからないとき、わかりすぎるときに私語をする。これらは授業をコントロールする教員が解決できる問題である。

『君たちは、仮に大学の授業等で、(つまらないなあ)と思う授業があり、私語や内職をしたとしよう。教師が悪いのだと言い訳をして。だが、あと一年で君たちは教育実習に行く。子どもが私語をしたら、それは君たちの責任になると言うことを理解しなければならない』

いままで場合によっては人ごとだった私語の問題は、あと一年で我がごとになるのである。私語は、君の問題であり、解決する責任は君にあると言ったことになる。これを解決する力量をつけよと要求したことになる。

さ、学生諸君、頑張れ。

あちゃあ、俺の人生で間に合うのか

(あちゃあ、俺の人生で間に合うのか)
と思うことが、若いときに大事なのではないかと思う。

自分には不可能ではないかと思えることを、やりのけている人に出会うこと。
これである。

実在の人物でもいい。
本の中の人物でもいい。

このような人に出会えれば、のんびりしていることはできなくなる。出会いを求めるべきである。

2008/12/09

原稿依頼を書いていて改めて思った

原稿依頼を書いていて改めて思った。

10代前半までは、やらされることが人生だと思っていた。

30代前半までは、やりたいことをやるのが人生だと思っていた。

その後、
35歳ぐらいからは、お願いされることも人生だと思った。

で、いま。
お願いするのも人生だと思っている。

いやあ、この先どうなるのだろうか。
人生は一回しかないから面白いんだろうなあ。

鳥肌が立つ思いだ

ふう、なんとか終わった。
原稿の依頼に明日の授業の準備である。

明日の教室で企画している本で、執筆をお願いしたい方へ依頼のメールである。私のところにだけメールアドレスのある方を中心に、出版社からの依頼文が届く前に、事前依頼のメールを送った。

送った瞬間から返信の波が、日本各地からやってきた。

「了解!」
「なんで、池田さんの依頼を断るの?」
「勉強させて頂きます」

ありがたい。本当にありがたい。
正式な依頼の内容も見ていないのに、二つ返事で日本中の凄い先生たちが引き受けてくださっている。また、厳しいスケジュールを控えているにも関わらず、前向きに調整してくださる旨の連絡を頂ける先生もいらっしゃった。
鳥肌が立つ思いだ。

いい本にしたい。
少しでも、学校教育現場に立つ学生、立ったばかりの先生たちの力になれればと思う。

授業の準備は、結局やりだすときりがない。
たぶん、明日の90分の授業では終わらない。来週の90分でも終わらないかもしれない。だけど、そのぐらいは作っておかないと、きちんとした授業にはならないのは、分かっている。授業は恐ろしい。手を抜くと簡単に崩れてしまう。

授業。業を授けるのである。

『大辞泉』より引用開始 ーーーーーーーーーー

ぎょう【業】ゲフ

なすべきこと。仕事。わざ。「畢生(ひっせい)の―」

暮らしの手だて。生業。職業。「家の―を継ぐ」「菓子の販売を―とする」

学問。技芸。「―を修める」

ごう【業】ゴフ
《(梵)karmanの訳》

仏語。人間の身•口•意によって行われる善悪の行為。

前世の善悪の行為によって現世で受ける報い。「―が深い」「―をさらす」「―を滅する」

理性によって制御できない心の働き。

引用終了 ーーーーーーーーーー

もちろん、「ぎょう」と「ごう」は違うのだが、「ごう」の3番の意味、「3 理性によって制御できない心の働き。」というのは、なんか授業にも関係あるような気もしてしまう。

とまれ、なんとか終わった。
明日(というか、今日)の朝、もう一度見直せば大丈夫だ。さ、寝よう。

今日は、奥さんの誕生日でもある。早く帰ってこよう。

2008/12/08

一歳児、恐るべしである

月曜日は仕事の日である。抱えている原稿や、授業の準備をいっきに片付けるのであるが、これがなかなか進まない。

水曜日締め切りの原稿を一つ仕上げたのは良いが、もう一本水曜日締め切りの原稿の、原稿依頼を大学においてきてあり、これは明日以降頑張るしかない。

そこで授業の用意をしようと思ったら、あれ、参考図書がこれまた研究室である。何をしているのだ。

えーい、天気がいいからベランダに寝転んでしまえ。
ふて寝をしばし。

それにしても空が青い。
比叡颪はマンションが防いでくれるので、我が家の南側はほとんど風がない。十月上旬ぐらいの天候と思われる。日差しだけだったら暑いくらい。

太陽は湖面に反射し、我が家の天井に反射している。天然の水盤である。贅沢だなあ。

昼ご飯の後、気分転換にマンションの中を娘と散歩。
お出かけのためにちょっと服を着替えさせると、もう、出かけるのが分かるのかニコニコ。私もちょっと着替える。そしたら、お母さんにバイバイする。着替えていないお母さんは、出かけないものと判断しているのか。

玄関で靴を履くのも覚えた。娘専用の小さな椅子にちょこんと腰掛ける。家に入る時は逆にここに腰掛けて靴を脱ごうとする。一歳児、恐るべしである。

一階のロビーで嬉しそうに歩く娘。私は本を読もうとしているのだが、まあ、飾りのようなものだ。娘を見ている方が楽しい。

それを知ってか知らぬか娘は、私の本を取り上げて別のテーブルに持って行く。
ではあるが、そんなところに
『お〜い、それを持ってきて』
と言うと、娘は持ってきてくれる。

中庭に出ると何やら石を拾っている。楽しんだのを見届けて
『はい、それはポイしようね』
と言うと、元に有った場所まで持って行って置いている。
『かしこいなあ〜』
と頭を撫でる私。
娘も満足そうである。
一歳児、恐るべしである。

そうこうしていると、おとといの明日の教室の仲里先生から、私が出したお礼へのお礼のメールが届く。教育へのほとばしる思いが、メールから溢れている。活字であろうが手書きであろうが、手紙であろうがメールであろうが、伝えることのできる人はいるのである。

改めて思う。

さ、今晩は飲まないで仕事の続きである。

餅つき大会

12/7

午後から今日も大学へ。
児童教育学科のエクステンション企画で、地域の子どもたちと親御さんと一緒に、餅つき大会をするのである。今回は、一参加者として出席。娘を連れて行った。

学生たちは、昨日から米を水に浸したりあれこれ準備をしている。餅つきを最初から最後まで取り仕切れる大学生ってどのぐらいいるのだろうか。これはこれでいまの大学生にしては、結構凄いことではないかと思う。

娘は、大学についたところでぐっすりと寝てしまった。しばらくMINIの中で抱っこしてお休みである。私は娘を抱えたまま読書。

30分ぐらいで目が覚めたので、受付に向かう。
一年ぶりに娘を見た学生たちは
「うぁ〜〜〜、可愛い!」
と叫ぶ。
うむ、よくわかっている。

「うぁ〜〜〜、先生に似ている」
うむ、これも大儀である。

「うぁ~~~、先生に似ているのに、可愛い!!」
ん? 後で研究室に来なさいである。

大勢の人の中にまだ娘は入れない。私にぴったりである。学生たちが次から次へと抱っこしようと挑戦しにくるが、娘は私の足に抱きついて動かない。無理にやろとすると泣き出しそうな気配。

幼児教育コースの名に掛けて、何回も挑戦する学生がいたが、ことごとく撃沈であった。

他の参加者がたくさんいるなかで、娘だけ特別に可愛がられているように思われるのも良くないと思い、ちょっと離れたところにお散歩にいく。

大学は坂道が多いので、手をつなぐ。
このところ、やっと手をつなぐことができるようになった。ま、私の指を握るということであるが。

まだ娘がちっちゃいので、私はつなぐ手の側を少し傾けて歩かなければならない。だが、娘は娘で一生懸命手を伸ばしているのだ。そのぐらいは我慢である。

大学の中庭には大きな階段がある。娘はこれを見て、目が輝く。なぜか階段は征服しなければならないとこのごろ思っているようなのである。「えっし、えっし」と言いながら上る。

最後はメディアセンターのエントランスの段差まできちんと上りきって満足なご様子。やりきった感ってのは、成長に大事だと思うんだなあ。

その姿を見て、私も満足。

餅つき大会は成功のうちに終わり、大量に蒸した餅を調理実習室であんころ餅にしたり、雑煮にしたりしながら片付けを進める。

こういう行事や生活の中に学びがたくさんあるのだが、これを体験することなく大人になる子どもの多いことよ。雑用しかまかされなかった子ども時代。そのうちに、ある部分を責任を持ってまかされるようになり、やがて全体を仕切るようになって行く。

こうして社会的に大人になって行くのだが、その道筋を日本人は手放して近代化を推し進めてきた。勉強だけしていれば大人になれるのではない。だからこそ、児童教育学科ではこんな取り組みをしているのでもある。

買い物をしながら帰宅。
ちょっと奥さんが体調を崩しているので、私が夕食のあれこれを。

私も早めに寝るのであった。

『詰めれば座れます』

12/6

今年最後の明日の教室。第19回だ。
午前中は、あまりの天気のよさにサッシの大掃除を始めてしまった。網戸と窓ガラスをごしごし洗う。

ホースで石けんの泡をどんどん流す。跳ね返って来ても日差しが強いので、冷たさはさほど感じない。窓ガラスの向こう側で娘が嬉しそうに手を振っている。

いい小春日和の一日になりそうである。

明日の教室は懇親会がセットである。だから、車ではなくて電車で行く。今回は、山科駅まで電車で行き、そこから歩くことにした。

というのは、忘年会で山科駅から大学まで歩いているというスピーチをした方がいたのだ。34分でいけるとのこと。
(これは検証しなければならない)
となぜか義務感が湧いてきて、歩いた。

私は40分であった。結構良い汗だ。
よし、飲み会があるときは、なるべく歩いて通うことにしよう。

本日は立命館小学校の仲里靖雄先生。「算数教育が専門」という方だ。私は算数が苦手である。あまりにも苦手なので30歳を過ぎてから小学校の算数の問題集をやり直したことがある。その結果分かったことは二つ。

1)小学校5年の下で躓いている。
2)文章題で出題者が聞いていること以外のことが気なる。

である。五年の下といのは、簡単に言えば比率のところである。そして、聞いていること以外のことが気になるというのは、答える内容ではなく、その問題文の条件設定が気に食わなくてそこにひっかかるのである。

こんな私が虚数に等差数列、微分や積分なんてのをこなし、大学院では統計の授業にも出ていたのだから凄いと我ながら思う。

「長椅子に何人座れるか」という問題で、割り算の確かめ算
の話をされていた。27人が5人がけの長椅子に座るとすると、いくつの長椅子が必要かという問題で、5脚だと2人が余るので、6脚という問題である。

これを元に問題文をあれこれ考えながら解いて行くのであるが、私はここに上記の2)の問題を見たのだ。子どもの頃の私であれば、必ずこう答えていたはずだ。

『5脚です』
「ん? 残りの2人は?」
『詰めれば座れます』
「はい、ま、池田君はね」

と流されていた。で、子どもの頃の私は、私が悪いと思っていた。
通常の算数のできる子どもは、この長椅子は5人しか座れないという暗黙の了解というか約束事を了解している。だから、どうしても二人が余るのである。

だが、私はこの暗黙の了解は受け入れない。そんなこと書いていないからである。だから、詰めれば座れるのである。6人で座る椅子が2つあって、あとは5人なのである。これを「はい、ま、池田君はね」と流されてきたのである。

しかし、仲里先生の話を聞くとどうも私は悪くないのである。そう思ってこのことを質問してみた。すると、あれこれ説明してくれて、私はすっきりした。

おい、小学生のころの私。君は間違っていないぞ。

さらに、算数の話では授業構成の話をしてくださった。ここは非常に面白かった。授業の不易と流行の話から始まり、その不易を考えるために何が必要なのかを、示してくださった。

簡単に言えば、授業構成のための「規準」である。算数ではあるが、国語にも十分に活用できるものである。

子どもから授業を作ろうとする時、この授業構成のための規準はとても重要になる。ここがないと、ぶれるのである。だから、ここは考えなければならないところである。今日は、ここについて重要な示唆を頂いた。

学級経営の話もあった。というより、ここがメインである。算数教育、授業構成ではなく、学級づくりである。

学級をつくり、子どもを育てることがメインであり、その過程に算数教育や授業構成があるのだと言い切る仲里先生。私もそう思う。子どもを大人に育てるのが、教師の仕事なのだから。

仲里先生は、明日の教室の最後に、
「まだ言いたいことがたくさんある!!」
と言って講座を終わられた。

こんな終わり方は初めてである。そして、そこに参加していたみなさんが、
(次が聞きたい!!)
と思った。

もう一度来て頂くことが、その場で決定した。

懇親会は、いつもの会場とは違う焼き鳥屋さんで。
思った以上の参加者で、席が狭い。
幸い、掘りごたつ形式だったので
「詰めれば座れる!」
という私の持論を展開するf(^^;。
座れたのである。
ほーらね。

糸井先生が仲里先生と話している。私もまだまだ質問があったので伺いたかったのだが、さすがにそれはまずいと思い、今回は我慢。次回にしよう。

二次会は「鳥飼」のあるお店で。
大阪で学び合いの考え方を基本にした塾を開こうとしている若者や堺ゆめ塾で私の講座を受けて明日の教室に参加した同志社大学の学生。そして、初めての担任で頑張っている丘さん。みんなそれぞれのところで頑張っているなあ、いいなあと思いながら飲む。

鳥飼が効いたのか、後半は記憶にない。
翌朝、ベッドで寝ていることが不思議だった。

肉体的な疲れに、知的な興奮が加わり、アルコールが解放したんだなあと、良い週末に感謝。

次回の明日の教室は1/24。宇治市立平盛小学校で、野村誠さんのコンサートを楽しみます。(無料)。そして、新年会を京都駅近辺でする予定です。

2008/12/05

今日の教訓:ヒントは、

12/5

ディベートの授業は、【5年1組は、自由席にすべきである。是か非か】で行う。90分の授業時間に3試合。立論2分、質疑1分、1反駁2分、2反駁2分というもので、30秒の準備時間が各所に入る。

授業が終わると、学生たちはふう、と言う感じ。しかし、思ったよりも疲れていると言うものでもない。多少、知的な体力が付いてきたのかもしれない。この授業の開始の頃に90分で三試合だったら、倒れていたであろう。

知的体力を付ける。これはとても大事だ。体が疲れてきていても、しっかりと議論に参加する。この力が大事だ。

さらに、この論題。教師になるのであればやっておくことは大事。席替えは子どもの学校生活での最大の関心事の一つといってもいい。この論題で議論しておくことは、席替え問題を考えるのには良い。

研究室に戻るとき、先日、研究室に相談に来た学生に出会った。ボランティアで入っている教室が大変だと言う話をしにきた学生である。

『お〜、その後どうした。ちょっと心配していたんだが』
「はい、先生。それが・・・」
とても良くなったと言うのである。

何がどうなってそうなったのかは分からないのだが、確かに話を聞いていると子どもたちとの関係がグンと良くなり、学生の言葉が子どもに届いているのが分かる。

閾値を越えたのだなあと思った。
子どもはだんだん良くなるのではなく、ある瞬間良くなる。勉強でもそうだし、人間関係でもそうだ。特に、厳しい環境にいる子どもは、簡単に大人を信じない。いろいろと試す。試すつもりはなくても、試していることが多い。その試されている時は、指導が入らない。

ところが、「この先生は大丈夫、この大人は大丈夫」と受け入れるポイント、閾値を通過すると、今までは何だったのか?というぐらいに変わることがある。良くなることがある。良かった。

閾値を超えた後の注意点を話して、さらにボランティアで学ぶようにと伝えた。良かった。

さて、本日の国語科教育法2は、後期のメインエベントの模擬授業の三回目である。最後である。「ちょっと立ち止まって」を題材に授業をつくるとのことである。

事前指導は二回、細かいのを入れるともっと受けている。昨日の夜も遅くまでリハーサルをし、今朝も午前中からリハーサルをしていた。

模擬授業の一番手は準備する時間が少ないこともあり、授業のクオリティは低くても仕方がないことがある。だが、三番手は準備の時間はあるし、前のグループの授業で私が指導した内容も知っているしということで、クオリティが低いと言うことはあってはならないというプレッシャーがある。

で、実際の授業はなかなか良かった。説明文の読解に必要な「指示語」「接続詞」を理解させるものとして、読書へのアニマシオンの代表的な作戦である「物語バラバラ事件」を使って行っていた。

はじめに小さな創作の物語でバラバラ事件を作り、指示語と接続詞を使って解く方法を理解させる。そしてその後に、教科書の本文を使って本番の「物語バラバラ事件」を解決すると言う構成である。

授業の導入の方法にはいくつかのやり方がある。

1)すぐに本題に入る。
2)前時の振り返りから入る。
3)目的の指示から入る。
4)中心へのガイドとして入る。

というものであろうか。1)は落語で言えば枕のない落語。柳家小さんが好んだ方法だ。これはまあ、導入のない導入というものである。

今日、学生がやったのは4)である。本題を理解させるために、まず小さくやる。そして、そこはさらに2)として「接続詞」「指示語」を振り返ると言う構造にもなっている。なかなか面白い。

だから、生徒も本番の「物語バラバラ事件」をやるときには、理解が不十分ということはなかったようである。

今回の授業を振り返る中で一番問題になったのは、ヒントのあり方についてである。「物語バラバラ事件」は個人で解いて、グループで解いて、全体で答え合わせをするという形式になっていた。

個人で解く、グループで確認するその途中までは、授業の進め方は良かった。ヒントの出し方も良かったのだが、残念ながら、後一歩のところでずれてしまった。ヒントのはずが、答えになってしまっていたのだ。

その結果、三つのヒントを出す二つ目までは、グループ間の答えは違っていた。が、三つ目のヒントが答えになってしまったので、グループで答えを発表する際、同じになってしまったのだ。

大事なのは、グループ間で答えが違っていて、その違いはどういうことから生まれているのかをクラス全体で議論する中で理解を深めるというところにあったはずである。だとすれば、ヒントはグループの中で正解を出すために用意するのではなく、クラス全体で議論ができるように、違いが生まれるように出すべきであったのだ。

このことを授業後の指導で話したところ、学生たちは驚きつつも納得していた。正解に早く導いてあげたいという思いを抱くのは、分かる。しかし、この「早く」というところが曲者なのである。早くというのは、生徒の思考を省略している可能性がある。生徒間の議論も省略している可能性があるのだ。

今日の教訓:ヒントは、正解に導くために出すのではなく、授業の目的を達成させる為に出すものである。

面白い授業であった。

2008/12/04

蟹座の運勢はフルマークだったのに

12/4

午前中授業を二つ。
昼休みは、明日の模擬授業の最終事前指導を行う。
昼食をとって研究室に戻り、ディベートの試合の書き取りの再テスト。その間にお客人がやってくる。

昼休みに慌てて食事をすることになった。よせば良いのに、カレーうどんを食してしまった。ワイシャツに跳ねないように食べたのであるが、一カ所跳ねてしまった。うーん、お客さんが来るのにこれはまずい。

慌ててつまみ洗いをしようとしたら、水が掛かりすぎてひどいことに。うひゃあ。しかし、慌てない。中学校の進路指導主任になった頃から、私は職場に予備のワイシャツとネクタイを置くようにしているのである。何かで服が汚れたときにお客さんが来たとしても、大丈夫なようにである。今も研究室においてある。落ち着いて着替えれば良い。

シャツを脱いで鏡を見たら、ヒゲが少し伸びているのも気になった。大丈夫。まさかのためにひげ剃りセットも置いてある。剃ることにした。むふふ、完璧である。

ところが、顔を十分に蒸していなかったため、喉が血だらけになってしまった。替えのシャツは白いワイシャツ。血が乾かないうちに着替えれば、ワイシャツは血だらけになってしまう。

うーん、早く血よ止まれ!とティッシュで圧迫していたら、そこに電話。予定よりも15分早くお客さんが到着とのこと。

参った。今日の蟹座の運勢はフルマークだったのになあ。
どたばたしながら、なんとか血を止めてワイシャツを着替えてお迎えであった。

今日のお客さんは、とある教育委員会からの方で、今後の学校での授業指導のあり方に付いて、相談を受ける。センター長の先生を筆頭に三名いらっしゃる。

私で良いのかと思いつつ、二時間弱あれこれ話す。言語力やディベートについての理解を求めたいとのことだったので、そこを中心に。

研究室に来て頂ければ、話の途中で出てくる書籍は本棚にあるので、さっとお見せすることができて便利である。

これで教育委員会に絡んだお仕事は、四つの目の自治体となった。私何ぞでいいのかと思いつつ、求めて頂いているのであるから、可能な限り対応したいと思う。

その後、研究室で授業の後始末を行う。テストの採点、出欠席のチェックなどなど。

帰ろうと思ったところに、明日の模擬授業の学生たちがさらに相談に来る。リハーサルをこれからやると言う。ああ、帰れなくなってしまった。リハーサルは学生たちだけでやるのだが、まあ、何かあったら相談に乗れるようにしておいてあげる方がいいでしょ。甘やかしすぎかなあf(^^;。

今日は久しぶりの手作り餃子@池田家スタイルだと、朝から聞いていたので早くかえって食べたいのだが、20時までは残っていてあげよう。待っている間に、12/25の東大阪市教育委員会の講座のテキストを作ってしまおう。

ああ、お腹がすいた。
ああ、今週も終わって行く。

家に帰って、服を脱いでいたら
「おとーたん!」
と叫ぶ声。

んん?!!

確かに娘が私のところに来て、私を見て叫んだ。
いやあ、これがフルマークの意味か。
今日は娘が私のことをはっきりと呼んだ記念日だ。

うれしいうれしい。

次の波が来るまでじっと待つタイプ

12/3

体と心の声を聞くと、足踏みをしろと言っている感じがする。あれこれしなければならないことがあるのは分かっているが、動かない。

安易に動いていけないという思いと、安易に動けないと言う思いが二つある。

こういうときは、1)しなければならないこと、2)したいこと、3)したほうかいいこと、4)してはいけないことを考える。人によっては1)を優先するだろう。または、2)を優先する人もいるだろう。私はどうかというと、場合にもよるが4)をじっと考えて過ごすことが多い。

サーフィンではないが次の波が来るまでじっと待つタイプである、と気がついたのは最近である。

会議を二つと半分。来年度の予算についてあれこれも行う。
ぎりぎりまで研究室で、仕事をしてバスに飛び乗る。
大学全体の忘年会が本日。

ちょっと早い気もするが、師走だしいろいろあるので全体は早めに行うのであろう。京都駅のホテルグランビアでやった。

二次会は、京都駅近くのお気に入りの怪しい店に向かう。若手の仲の良い職員さんが結婚して、お祝いをしていなかったのでそこの怪しいお店で祝うことに。

今後の大学の方向性についてあれこれ話し合う。
よし、いっちょうやるかってな感じになる。
次の波を少し期待しつつある自分である。

終電の一本前で無事に帰宅。
また寝過ごしそうにはなってしまったのだがf(^^;。
ああ、良かった。

忘れ物指導のあり方

12/2

学級担任論は、忘れ物指導のあり方を行う。

馬鹿自慢をする訳ではないが、私も忘れ物では難儀した方だ。自分の経験、指導した経験と家本芳郎先生の『忘れ物の教育学』を元に授業をつくる。

『この中で、忘れ物をしたことがない人はいるか?』
『この中で、忘れ物をしようと思ってしていた人はいるか?』
『この中で、忘れ物をしたとき「忘れ物をするな!」以外の指導を受けたことのある人はいるか?』

と学生たちに聞く。結果は予想通りで、「忘れ物をしないものはいない。しようと思ってやっていない。忘れ物をなくすための指導はうけていない」ということであった。

私は思うのである。
たとえば、これがプール指導であったらどうであろうか。泳げない子ども。泳ぎたいけど泳げない子どもに対して、『泳げ!』という指導はあり得るのか?ということである。ま、そんなのはあり得ないだろう。死んでしまう。

しかし、忘れ物指導であっても実は同じであろう。直接命に関わりはないだろうが、大人になるために忘れ物をしないというのは、大事な学習課題であるはずだ。ならば、子どもが忘れ物をしなくなるようなきちんとした「指導」をすべきである。忘れ物のを防ぐための授業をするべきである。

そんなことから忘れ物指導の授業を行った。
たとえば、子どもの発言に付いて考えてみた。

『ん、今日は宿題どうしたんだ?』
「忘れました」

という何気ない会話の「忘れました」には私は5つの意味が隠れていると思われる。なんだと思われるであろうか。





























30行ほど考えて頂いた。私は次の5つだと考えている。

1)本当に忘れた。
2)宿題が分からなかったので、忘れたと言った。
3)宿題ができなかったので、忘れたと言った。
4)宿題のプリントをなくしたので、忘れたと言った。
5)宿題をするための道具を買えなかったのでできなくて、忘れたと言った。

である。子どものとの会話をし、その表情や言い方から1)なのかそれ以外なのかをきちんと理解し、もし1)でなければ、2)から5)のどれなのかを考えて指導をしなければならない。ここがずれると、指導は空回りをする。

授業を作りながら、実に教師と言うのは、言葉に繊細でなければならないのだなあと思う。

来週は、私が行った指導例を元に、あれこれ考えてみる予定である。

『手をつなごうか?』

12/1

大学の事務や授業の準備をして一日過ごす。
ずっと机にかじりつき、椅子に座っているので背中と腰が痛くなる。きちんと体を動かさないとダメだなあと思う。が、なかなかねえ。

スケジュールを確認したら、あと2週間で仕上げなければならない原稿が6本あることを確認。うーん、これはしっかりせねば。腰を守りつつ、頑張ろう。

久しぶりに外食。
歩いて店に行く。
『手をつなごうか?』
と手を出すと、娘は指を掴む。
いやあ、これは珍しい。
お母さんも、手を出すと掴む。
まるで掴まった宇宙人状態だが、いままで手をつなぐことを嫌っていた娘は、夜でこわいのかもしれないが、こうして繋いでいる。父さんは、嬉しい。

うどんを娘に食べさせると、これがまあ食べる食べる。
見ていて面白い。食べ終わると歩き出したくて仕方がない。お客さんのいないところへ誘導しながら歩かせる。この時は手をつながない。やっぱりなあ。

食事後、浜大津のイルミネーションを見に出かける。
琵琶湖に浮かぶ灯りのモニュメントである。
奥さんが見てみたいと言っていたので、出かける。

周りには人がいない。
いやあ、いない。
月曜日だからかなあ。
いいムードだったけどねえ。

帰宅後、疲れて娘はすぐに熟睡。
奥さんは、娘の手足の爪を丁寧に切ってあげている。ありがたいことだ。
私も、疲れがたまり、お酒も飲まずに寝る。後一時間で明日の授業の準備が終わるところまで来ていたので、断酒してやろうと思ったが、ダウン。

準備は明日の朝だあ。

2008/12/01

オフの日曜日

オフの日曜日。
近くのガーデンが今日で年内の営業を止めて休園になるので、午前中向かう。園内には娘のことを知ってくれている受付の方が揃っていて、声をかけてくれる。

「お人形さんが歩いているようやなあ」
とガーデンにいたお客さんにも声をかけてもらう。嬉しいなあ。

芝生に寝転んで空を見つめる。
琵琶湖上空は琵琶湖を目印に飛んでくる旅客機が多い。青空を白い機体が西へ東へと飛んで行く。しばらくはここでの、広い空間、ゆったりとした時間ともお別れである。

ガーデン内を整理して、お持ち帰り用の花をプレゼントしてくれるのがこの日のスペシャルサービス。ハーブ類をたくさんいただき、寄せ植え用の花も貰う。料理に、ベダンダでの楽しみにと活用する予定である。

あまりに気も気持ちが良かったので、一日に三回も風呂に入ってしまった。そのうち二回は娘と一緒。昼風呂は気持ちがよい。朝帰りを懺悔しつつ、気持ちのよい風呂に浸って、一日を過ごすのであった。

そして、娘の写真を整理。
マックに入っているデータを全てiphotoで整理し直すことにした。
もちろん、いくつかの場所にバックアップを取っているが、一番簡単にデータにアクセスできて使いやすい、iphotoでやりなおすことに。

データを読み込む時に、読み込んでいるデータが高速表示されるのであるが、これを見ていると、馬鹿だと思いながらジーンとしてしまった。たった一年であるが、こんなに成長したか、ああこんな表情もしていたなあと思うのである。

そして、娘と奥さんにありがとうという気持ちになるのである。
もっと遊んであげなきゃなあと思うのである。

ま、ちょっとは仕事もしたけどねf(^^;。

寒いのに、タクシーはなかなか来ない

午前中は授業の準備。来週の学級担任論の授業の準備である。怒濤の11月なので、少しの時間を使って準備をしなければならない。まだ他にやらなければならないこともあるが、まずは授業の準備である。

娘が、頭を下げるようになった。
『これ、お母さんのところに持って行ってね』
というと持って行くようになってきた娘である。
『おー、いい子だねえ。ありがとう』
というと、嬉しそうに頭を下げるのである。
びっくりした。

そういえば、
『お風呂に入ろう!』
と声をかけると、すぐに風呂場に向かい湯船のお湯をかき混ぜて、入れてくれえというような動きを見せるようにもなっている。服を脱がそうとすると、自分でも脱ぐのに協力する。

成長しているなあ。

ちょっと寛ごうとして、ベランダでハンモックに乗ると、はじめの頃は怖がっていたのに、自分も乗りたいと主張するようになった。いつまで一緒にハンモックに乗ってくれるかどうか分からないが、乗りたいだけ乗せて挙げよう。

お昼前に家を出る。今日は堺市教育センターで講義である。「堺・教師ゆめ塾」で2時間30分の講義である。140人の前で話すのは久しぶりであったが、まだマイクなしで大丈夫であった。

休憩時間は5分しか取れなかったので、受講生には申し訳なかったが折角の機会なので、伝えることを丁寧に伝えたいと思ってやっていたらこうなってしまった。

1)授業をつくる
2)生徒指導を考える
3)生徒指導を踏まえた授業の運営

という三本柱と、「教職を目指す諸君へ」で教師の仕事について話し、「もう一度、教職を目指す諸君へ」で、いますべきことと、期待することを話し、参考図書を提示して、おしまい。質疑の時間が取れなかったのが申し訳なかったが、勘弁してね。

その後、教育委員会の担当の先生と四方山話。これが勉強になる。なるほど、なるほど。立場が違うから視点が違う話もあれば、立場が違っても同じ話もある。これが勉強になるんだなあ。

南海電車に乗って、なんば経由で大阪。さらには高槻へ。「All関西教育フェスタ」の同窓会である。

ここに来て、企画をしているメンバーは、かなり意識の高い諸君である。なんていったんて、自分たちで企画を立てて運営しているメンバーである。

ではあるが、まだまだのところもある。連絡が不十分であったり、一般的なご招待の仕方がちがっていたりとかである。一回のミスなら知らなかったのね、で済む学生さんたちであるが、もう三回目である。ちょっとこれはまずいだろう。

きちんと教えなければならない。でないと、折角良いことをやっているのに、評価されないし、力もつけない。

途中で、参加していた土作先生と一緒に大人の打ち合わせということで会場を出て、土作先生ご推薦のとある立ち飲みやに向かう。ここがなかなか良かった。店を切り盛りしているお姉さんも良いし、お客さんたちも良かった。

一人、びっくりしたのだが、あの私が通い詰めていた時代の下北沢のことを知っている方がいた。本田劇場に関わって勤めていたそうだ。陣太鼓、トラブルピーチ、クリアダンサーのいたころの第三舞台のザ・スズなりの話を、まさか高槻の立ち飲み屋でできるとは思わなかった。

嘗て、八ヶ岳スキー場のお土産売り場で、ほとんど誰も知らない大好きな「濱田金吾」さんの曲が流れていたことがある。"Sun rise Sun set"であったが、その曲を聴いた瞬間に、
『え〜なんで、この曲が流れているの!』
とびっくりしてレジのところに言ったら、
『え~なんで、この曲を知っているの!』
とレジのお兄ちゃんにびっくりされ喜ばれたことがあるが、その時のことを思い出した。

そのぐらいびっくりしながら、良い時間を過ごす。

その後、二次会に合流。
やっと肴が食べられる、純米酒が飲めると思ったら、なかった。うーん、がっかり。だけど、久しぶりに稲田塾の前田先生とお話ができたので良かった。今度の明日の教室にも来て頂けるとのこと。良かった。

学生や新人教員のみなさんとあれこれ話していたら、終電の時間になってしまった。慌てて帰る。

気がついたら、堅田駅であった。
ひえ〜。乗り過ごした。初めての経験である。

寒いのに、タクシーはなかなか来ない。
なんとか帰宅したのは、2時近くであった。

充実した一日であったf(^^;。

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