今日の教訓:ヒントは、
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ディベートの授業は、【5年1組は、自由席にすべきである。是か非か】で行う。90分の授業時間に3試合。立論2分、質疑1分、1反駁2分、2反駁2分というもので、30秒の準備時間が各所に入る。
授業が終わると、学生たちはふう、と言う感じ。しかし、思ったよりも疲れていると言うものでもない。多少、知的な体力が付いてきたのかもしれない。この授業の開始の頃に90分で三試合だったら、倒れていたであろう。
知的体力を付ける。これはとても大事だ。体が疲れてきていても、しっかりと議論に参加する。この力が大事だ。
さらに、この論題。教師になるのであればやっておくことは大事。席替えは子どもの学校生活での最大の関心事の一つといってもいい。この論題で議論しておくことは、席替え問題を考えるのには良い。
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研究室に戻るとき、先日、研究室に相談に来た学生に出会った。ボランティアで入っている教室が大変だと言う話をしにきた学生である。
『お〜、その後どうした。ちょっと心配していたんだが』
「はい、先生。それが・・・」
とても良くなったと言うのである。
何がどうなってそうなったのかは分からないのだが、確かに話を聞いていると子どもたちとの関係がグンと良くなり、学生の言葉が子どもに届いているのが分かる。
閾値を越えたのだなあと思った。
子どもはだんだん良くなるのではなく、ある瞬間良くなる。勉強でもそうだし、人間関係でもそうだ。特に、厳しい環境にいる子どもは、簡単に大人を信じない。いろいろと試す。試すつもりはなくても、試していることが多い。その試されている時は、指導が入らない。
ところが、「この先生は大丈夫、この大人は大丈夫」と受け入れるポイント、閾値を通過すると、今までは何だったのか?というぐらいに変わることがある。良くなることがある。良かった。
閾値を超えた後の注意点を話して、さらにボランティアで学ぶようにと伝えた。良かった。
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さて、本日の国語科教育法2は、後期のメインエベントの模擬授業の三回目である。最後である。「ちょっと立ち止まって」を題材に授業をつくるとのことである。
事前指導は二回、細かいのを入れるともっと受けている。昨日の夜も遅くまでリハーサルをし、今朝も午前中からリハーサルをしていた。
模擬授業の一番手は準備する時間が少ないこともあり、授業のクオリティは低くても仕方がないことがある。だが、三番手は準備の時間はあるし、前のグループの授業で私が指導した内容も知っているしということで、クオリティが低いと言うことはあってはならないというプレッシャーがある。
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で、実際の授業はなかなか良かった。説明文の読解に必要な「指示語」「接続詞」を理解させるものとして、読書へのアニマシオンの代表的な作戦である「物語バラバラ事件」を使って行っていた。
はじめに小さな創作の物語でバラバラ事件を作り、指示語と接続詞を使って解く方法を理解させる。そしてその後に、教科書の本文を使って本番の「物語バラバラ事件」を解決すると言う構成である。
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授業の導入の方法にはいくつかのやり方がある。
1)すぐに本題に入る。
2)前時の振り返りから入る。
3)目的の指示から入る。
4)中心へのガイドとして入る。
というものであろうか。1)は落語で言えば枕のない落語。柳家小さんが好んだ方法だ。これはまあ、導入のない導入というものである。
今日、学生がやったのは4)である。本題を理解させるために、まず小さくやる。そして、そこはさらに2)として「接続詞」「指示語」を振り返ると言う構造にもなっている。なかなか面白い。
だから、生徒も本番の「物語バラバラ事件」をやるときには、理解が不十分ということはなかったようである。
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今回の授業を振り返る中で一番問題になったのは、ヒントのあり方についてである。「物語バラバラ事件」は個人で解いて、グループで解いて、全体で答え合わせをするという形式になっていた。
個人で解く、グループで確認するその途中までは、授業の進め方は良かった。ヒントの出し方も良かったのだが、残念ながら、後一歩のところでずれてしまった。ヒントのはずが、答えになってしまっていたのだ。
その結果、三つのヒントを出す二つ目までは、グループ間の答えは違っていた。が、三つ目のヒントが答えになってしまったので、グループで答えを発表する際、同じになってしまったのだ。
大事なのは、グループ間で答えが違っていて、その違いはどういうことから生まれているのかをクラス全体で議論する中で理解を深めるというところにあったはずである。だとすれば、ヒントはグループの中で正解を出すために用意するのではなく、クラス全体で議論ができるように、違いが生まれるように出すべきであったのだ。
このことを授業後の指導で話したところ、学生たちは驚きつつも納得していた。正解に早く導いてあげたいという思いを抱くのは、分かる。しかし、この「早く」というところが曲者なのである。早くというのは、生徒の思考を省略している可能性がある。生徒間の議論も省略している可能性があるのだ。
今日の教訓:ヒントは、正解に導くために出すのではなく、授業の目的を達成させる為に出すものである。
面白い授業であった。
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コメント
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「厳しい環境にいる子どもは~」には同感です。自分を見捨てないか何度もこちらを試し、さぐり、威嚇し、ある時ふと受け入れるということがありますね。そんな時「風の谷のナウシカ」で、ナウシカにはじめてあったテト(だったかな)が警戒し、ナウシカの指に噛みつくシーンを思い浮かべます。痛みをこらえ「大丈夫、怖がらないで」と言うナウシカに警戒をといて傷口をなめるテト。いいシーンです。
投稿: かおるんく | 2008/12/06 12:09
>今日の教訓:ヒントは、正解に導くために出すのではなく、授業の目的を達成させる為に出すものである。
教育実習期間中、何度も正解を導くヒントを出したこととそうせざるを得なくなってしまった教材研究の至らなさを反省させられました。「わかりそうやけど・・・う~ん・・」って児童が思うようなヒントを心がけます!
あと、閾値を越えた後の注意点すごく気になります。注意点とは調子に乗らないようにすること、関係に甘えないようにすることですか?
投稿: 得津秀頼 | 2008/12/07 12:25
>>かおるんくさん
そうなんです。だから、教師に実力とゆとりがないとしんどい訳です。そして、その部分がどんどん手に入らないような教育行政の変更がある。いいわけないですよね。
>>得津くん
>>閾値を越えた後の注意点すごく気になります。
ま、これは一般化しにくいのでなんともねえf(^^;。
相談に来た学生に口伝として指導するものなので、コメントは勘弁ね。
投稿: 池田修 | 2008/12/08 11:47