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2008/12/10

「私語」の指導について

12/9

気がついたら、怒濤の11月がいつの間にか終わっていた。
うーむ。でも、12月も怒濤なのね。

今日の学級担任論は、「忘れ物指導」「遅刻指導」「私語」の指導と盛りだくさん。「私語」は全部は終わらなかったが、これは予定通り。昨日やっていた授業の準備は「保護者対応」の準備で、当然ここまでは進まないことは分かっているのだが、その先のところまでやっておかないとなあと思ってやっていた。

この内容に入る前に話をした。

最近、児童教育学科の学生たちがよく動くようになってきたと感じている。これに気を抜いてしまっているのが、私の方かもしれない。

よく動くので、
(ま、これぐらいいっか)
と許してしまっているところが多くなっている。これがいけない。学生を育てない。甘やかすのは、家族と恋人だけで良い。教師は厳しくなければならない。

先日の餅つき大会でも、大筋では良いのだが細かいが大事なところがダメであった。だが、
(ま、一回目だし)
(お客さんもいることだし)
と見守ることにしていたのだが、その後のアンケートに、私が気になっていたことが指摘されていた。
学生たちに申し訳ないことをした。やはり、その場で指導しなければならないのだ。

『ということで、君たちに謝らなければならない。きちんと指導しなかったことをである』

と話し始め、あれこれを指導する。
人は、付き合ってみないと本当のところはよくわからないが、付き合ってくれる人は、親、兄弟、教師、友人、恋人ぐらいなものである。その他の多くの人は、瞬間でしかその人を判断しないのである。それは、担任する子どもでも、保護者でもそうである。そして、一度染まった印象を、変えるのはなかなか難しいのである。

学生時代の私がこのことを聞いても分かったような分からなかったような感想を抱いたのではないかと思う。自分が強い時期の人間は、自分を中心に考えがちである。自分が良いのだから良い。

しかしやがて、自分は社会の中で生きていること、社会は自分が存在する前から存在し、自分がいなくなったとしても、おそらくは存在すると言うことに気がついて行く。社会と喧嘩するのも一つの方法だが、社会とうまく付き合う方法を身につけて行かなければ、この喧嘩は連戦連敗となる。

負けの美学というものもある。が、これから先まだまだ人生が始まったばかりの学生たちには、何もわざわざそんなルートを行かせる必要もない。それでなくとも、教育、教員を取り巻く環境は厳しいのだから。

「私語」の指導について、私は学生たちに厳しい要求をした。

『授業中の私語と言うのは、ほとんどの場合その原因は教師にある』

というのものである。なんとななれば、学習者は、授業がつまらないとき、わからないとき、わかりすぎるときに私語をする。これらは授業をコントロールする教員が解決できる問題である。

『君たちは、仮に大学の授業等で、(つまらないなあ)と思う授業があり、私語や内職をしたとしよう。教師が悪いのだと言い訳をして。だが、あと一年で君たちは教育実習に行く。子どもが私語をしたら、それは君たちの責任になると言うことを理解しなければならない』

いままで場合によっては人ごとだった私語の問題は、あと一年で我がごとになるのである。私語は、君の問題であり、解決する責任は君にあると言ったことになる。これを解決する力量をつけよと要求したことになる。

さ、学生諸君、頑張れ。

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コメント

池田先生がいて、本当に学生は幸せですね。
母校はOBで何とかしないといけないねという
感じにしていきたいと思います。糸井先生をはじめ
OBで育てていけるようにしたいです。もちろん、橘の人たちにも。

今日もいい内容でした
ありがとうございます。スカッとする内容でした
私語と言えば参観日はお母さんたちはずっとしゃべってますよ

先日は音楽発表会の静かな会場で
ずっと座って隣の人と話す人もいました

参観するより
大事な話があるんでしょうねー(笑)

この春、娘の学校に来た教育実習生は
運動会の時に3人でずっとかたまって話し込み
ワハハ、ゲラゲラと楽しそうに3人の世界

運動会などそっちのけの態度に
ついつい私が注意してしまいました

「今日はここへなにしに来ているの
あなたたちをどこで誰が
どう思いながら見ているかわからいでしょ」

いろんな場所で私語には悩まされます

学生には
言わなければならないことに対するセンサーは
鈍らないようにしたいですね

>>ながたくさん。

母校は大事にしなければなりませんよね。本学は、教員になっている卒業生がまだまだ少ないので、その分あれこれ頑張らなければなあと思っているところです。京都の教員養成系の大学は、これからまだまだ面白い動きをすると思います。本学もこれからです(^^)。

>>セレンディピティさん

実に教師と言うものは面倒くさいものですねえ。一般市民であればスルーしても良いようなことをあれこれ注意しなければならないのですからf(^^;。ですが、こうして自分も恩師にあれこれ言われて育てて頂いた以上、やらないわけにはいかんのですよねえ。

小言じいさんになるんだろうなあと思いながら、それは教師をやり続けてきた証になるのかなあとも思っています。

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