ああ、能天気
昼過ぎから会議。
学生部会議に、学科会議に、学部教授会に、センター試験監督者説明会議。
四つ。
今日はなぜか非常に眠たくて困った。
会議で配られた資料をノートに書き写しながら、眠気と戦う。
するとどうだ。びっくりしたことに書きかけの原稿のアイディアが浮かんできたのだ。
構造主義ではないが、アイディアがあって言葉が生まれるのではないことがわかる。
言葉があって、その後にアイディアや考えが生まれてくるのだということを実感する。慌てて、そのアイディアをノートに書き写す。
ラッキーである。
◆
昨日のリクルートのインタピューで、こんなことを聞かれた。
「先生は、そんなにお忙しいのに、いつ授業の準備をされるのですか。いつ、そんなことまで調べていらっしゃるのですか?」
と。学生たちにも聞かれることがある。私は
『いつも』
と答えている。
そう、いつもなのである。
わからないことをずっと考えていると言った方がいいのだろうか。そのずっとというのは、一つのことをずーっと考えているのではなく、次から次へと分からないことを順番に思い浮かべているということに近いだろうか。
わからないことを、わからないということで捨ててしまわずに、わからないことを確認しているという言い方の方が正しいのかなあ。
(ん。今日もこのことはわからなかった)
と。
ところが、これがあるとき
(あ、そうか!)
とわかるのである。だから、授業の準備や教材研究はいつもしているというのが正しいのかなあ。
私が敬愛しているディベーターである瀬能先生は、
「人生はディベートで、試合以外はすべて準備時間」のようなことを話しているが、ちょっとそれに近いものがあるかもしれない。
◆
だが、昨日のインタビューではもう少し突っ込んだ説明をしてしまった。
『私ごときが言うのもなんですがね、○○について(調べよう!)と思っているうちは、多分ダメなんだと思います。ノーベル賞の発見などと比べるつもりもありませんが、ただ、偉大な発見を見ていると、○○を発見しようとしているうちはあまりうまくいかないのですが、○○を目的にしようと頑張っていると、意外な凄いものを発見するという感じでしょうか。
○○を目的に授業をつくりたい、子どもたちに◎◎のような大人に育ってほしいというような目的を持ってあれこれやっていると、その方法とか必要なものとかは、向こう側からやってくるのではないかと最近思っています。自分で探しに行っているうちは、まだ違うんじゃないかなあと思うのです』
本当かどうかはわからない。だけど、私がディベートに出会ったのも、林竹二先生に出会ったのも、他にもいろいろとあるが、なんか、今から思うとそんな気がして仕方がない。
「意識してアンテナを高く張る」という言い方がある。ま、よく言われる言葉にするとこんな言い方になるのかもしれない。でも私の実感としては、ちょっと違う。
目的を持って前へ前へと進んで行くと、向こうから笑顔で大事なもの、大切な人がやってきてくれるという感覚である。わからないものを簡単に捨てないで、持ち続けていると、向こうから答えがやってくる感じだ。
なんと能天気な私なのだろうかと、さすがの私も思うのだが、でもそんな感じだ。
◆
今年もあと二週間だ。
師走、時間が過ぎるのはいつもよりも早い。
押し詰まると、密度の濃い時間の中で、また良い出会いがあるような気がする。
ああ、能天気だ。
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