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2008/12/22

大学教員の楽しみの一つ

他の話題も。

児童教育学科の一期生は、四月から三回生になる。これは何を示しているかと言えば、採用試験まで一年半になったということであり、専門ゼミが始まるということでもある。

前者に対応して学内ではいろいろなことが動いている。学生たちは模擬試験を受け始めているし、児童教育学科は文学部を離れて人間発達学部に差来年度から移る。他にもあるが、まだ書けない。それで後者は、来年の1/8にゼミの希望が提出される。

今年の最後の基礎ゼミの時間に、ゼミの希望を書く用紙は配布した。どのようにゼミ生を受け入れるかの話もした。が、相談に来る学生たちがいる。

学生とすれば、自分がやりたいことを学べる環境に身を置きたいというのは、あたり前のことであろう。しかし、私はこれを理解しつつも、違うことを学生に話している。

『希望というのは、自分の経験と願いを元にして作られているわけだな。ということは、希望通りというのは、実はその人に大きな成長のチャンスを与えないことにもなるというのを理解するか?』
「?」
『私も学生時代にはよくわからなかったのだが、もしあのとき私が中央大学系列の付属高校に進学していたら、私は今頃弁護士になったかどうかだろうなあ。もし私が一浪後、早稲田大学に進学していたら、国学院大学で竹内常一先生には出会わなかったなあ。もし、私が高校の教員に受かっていれば、大学院に派遣されることはなかったろうなあ。もし、私が・・・、ってまあいいか』
「はい」
『わかるか? 希望通りにならなかったことが、私の人生の幅を広げてくれたんだなと、いまは思うのだよ。あのとき、希望通りにならなかったと言って、目の前にあることをやらずにいたら、つまらない、人のせいばかりにする人生を送っていたと思うのだよ。だけど、人生の前半を思い通りに進めなかったことが、その中でこんにゃろうと思ってやっていたことが、私の経験を増やして人生を面白くしているんだなあと、今は思うのだよ』

もちろん、全部が全部希望通りにならなかった訳ではない。教師にもなれたし、それなりに希望も叶っている。だけど、一つや二つ大事な希望が叶わなかったところで、だからなんなんだ? という思いも実感としてある。

ゼミが希望通りであれば、「おめでとう」であり、「注意をしなさい」である。また、希望通りでなければ、「うーん残念」であり、「ひょっとすると面白いことが待っているかもよ」なのである。ここが人生の面白いところだ。

こんな話を学生たちとするのは、大学教員の楽しみの一つかも知れないなあ。

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コメント

人生に「もしも」はないと分かっていながら考えてしまう今日この頃

「もし、研究生でなく教職大学院にいっていたら・・・」
この先起こるであろう「ラッキー!」を信じつつあと3ヶ月を乗り切ろうと思います。

昨日、思いがけず「サンタクロース会議」(平田オリザ作・演出)を観てきました。演劇は良いなぁと改めて思いました。

>>J.SASE さん

人生は後ろ向きのジェットコースターに乗っているようなものだという話を読んだことがありますが、この5年ぐらいは特にその思いを強くしています。

その場を通り過ぎてみないと、わからないことがたくさんあるんですねえ。

そうですね、あと3ヶ月ですね。そろそろ授業へのリハビリ開始でしょうか。

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