いろんな人と一緒に、風呂で世間話
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のんびり寝ていれば良いものの、やっぱり5時台に起きてしまう。
ま、いいか。ベランダからリビングに持ち込んだハンモックに転がって寝ていれば良い。
と思っていたのだが、読書に突入であった。
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そうこうしているうちに風呂が沸いたので、風呂で読み続けることに。
『こんな日本でよかったね』(内田樹 バジリコ)である。
世の中の内田先生ファンは、ブログを書かさずにチェックし、『橋本治と内田樹 対談集』『街場の教育学』を読んでいると思うのだが、私は「まだ」『こんな日本でよかったね』である。それは内田先生の出版ペースが早いと言うのもあるが、それ以外の理由もある。
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一時期、私は内田先生のブログを毎日欠かさず読んでいたのであるが、ある時からこれを止めた。嫌になってのことではない。なんというか、もどかしさを感じてしまうようになったのだ。なんだろうかとイライラしていたのだが、分かったのである。
それは、書き込みができない苛立ちであったのだ。
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私は、基本的には本は、買う。それは書き込みができるからだ。書き込みができない読書は読書ではないと思っている。だから、本を読む時は筆記用具を必ず用意する。筆記用具がない時は読書はしないという具合である。
中谷 彰宏さんは、「アイディアは、筆記用具の数できまる」のようなことを書いていたと思う。これは筆箱に何本ペンが入っているかと言うことではなく、常にすぐに書ける状態になっている筆記用具が手元にどれだけあるかと言うことであろう。
枕元、トイレ、リビング、車の中、風呂。鉛筆があるかどうかと言うことだと思う。(ただ、最近はこれを娘が遊ぶので、ちょっと困っているが)ちなみに、キーホルダーと携帯電話にもボールペンはぶら下げてある私だ。
ブログだと、この書き込みながら読むことができない。書き込むのはアイディアであったり、批判であったり、ため息であったり、思いつきであったり。要は作者と会話を楽しんでいる訳である。これができないので、イライラしていたのだと言うことに気がついた。だから、止めたのである。
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で、風呂なのである。
『こんな日本でよかったね』を風呂で読みながら、不思議な感覚に捕われた。
なんというか、内田先生と一緒に風呂に入って世間話をしているような感覚である。
もちろん、『こんな日本でよかったね』は世間話のような感覚で読めるような本ではない。ではあるが、温めのお湯の風呂で半身浴で、鉛筆で書き込みをしながら読んでいると、そんな感じになった。
面白いなあ。
この感覚を手に入れた私は、これからいろんな人と一緒に、風呂で世間話ができるな。
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コメント
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やはり名文ですね。
もしくは、名キャッチャーとでもいいましょうか。
(名キャッチコピー ライター!)
表題でうん?という不確かさが、文章を読んでいくうちに納得してしまいます。
一体になっている、意外な組み合わせがいいです。
本当に、この表題を見て、誰と風呂に入ったのかなあとも思ったし、近所に良い銭湯が出来たのかとも思いました。
投稿: gahaha | 2008/12/15 18:04
ありがとうございます。
プロに褒められると嬉しいなあf(^^;。
遥か彼方に向田邦子さんを思いつつ、あれこれタイトルを考える池田でありました。
投稿: 池田修 | 2008/12/16 20:22