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2008/03/21

喜んでいいのか悲しんでいいのか

朝は娘を連れて散歩。
といっても、まだ歩けないから私が抱きかかえて。私の散歩に付き合わせているというのが正しいのかもしれない。30分ぐらい娘を抱えて歩くだけで結構な運動。娘はときどき
「あっ!」
と大きな声を出す。なんだか知らないがうれしそうだ。

            ◆

午前中は大学でJTBの方と打ち合わせ。オリター諸君も一緒。新入生キャンプの最終確認である。オリター諸君ががんばっているので、いいものになりそうである。

            ◆

昼ご飯の後、「授業づくりネットワーク2008春」の講座のテキスト作り、大学が出すパンフレットの原稿書き、3/24に大学で行う教職ONE DAYセミナーのテキスト作りと行う。

「授業づくりネットワーク2008春」の講座の主催者HPを見たら、なんと私の講座はもうすでに申し込みがいっぱいで受付終了しているのを発見してしまった。これはさらに気合いを入れてやらねばなあと思う。

講座の講師としてはうれしいが、私のこの講座がいっぱいになるというのは、苦しんでいる先生が多いということの証拠でもある。喜んでいいのか悲しんでいいのか。精一杯やりましょう。

            ◆

これだけ仕事をしてもまだ来年度の授業の準備が終わらないというか、始められないのはなかなか厳しいものがあるなあ。大学に提出する書類が四つに、会議がえーっといくつだ?

大学は4/1にガイダンス。4/2に入学式。そして、新入生キャンプは4/7、8で授業は4/10から。

やっぱり春はあっという間だ。
さあ、桜を楽しむ余裕はあるかf(^^;。

2008/03/20

手段はその後で十分である

桜の開花が早まるという予報が昨晩出たが、今日の大津は寒い。風が強いのだ。琵琶湖には白波が立っている。ヨットはところどころで転覆しているし、湖西線は止まっている。実に湖西の風情である。

            ◆

再校正を終わらせるべく、机に向かい続ける一日であった。

なんとか、終わらせることができた。最終校正箇所をファックスで出版社に送る。これで年度内には出版となるであろう。ふう。ファックス様々である。

ファックスは、私は家庭用普及機が出てからすぐに購入した。そのときは、
「東京に住んでいるのだから、一日あれば郵便で原稿は届くし、なにもファックスなんかいらないでしょ」
という人もいたが、私はその一日二日の違いは結構大きいと思っていたので、購入した。

            ◆

パソコン通信の環境も同じである。比較的すぐに導入した。書いたものがそのまま原稿になるというのは、書き手にとっても編集者にとっても非常にメリットがあると思った。

実際は、会社からこの手のものは導入されていくので個人でやるにはコストが高かったりするのだが、この15年ぐらいのことを考えると、やはり判断は正しかったと思う。

            ◆

「書道ができる人間がなんでわざわざファックスだ、パソコン通信だ、ワープロなんだ?」といわれることもあった。が、目的が違うのだから私からしてみれば、逆に、なんで目的に応じて使い分けないんだろうと思っていた。

読むには、「精読、乱読、音読、写し書き、群読、斜め読み、速読」などなど様々な読み方がある。同じように書くにもいろいろな書くがあってよいと思うし、その方が表現活動は豊かになる。

筆記用具一つとったって、筆、万年筆、ボールペン、鉛筆、シャープペンシル、水性マジック、油性マジック、竹ペン、ガラスペンなどなどたくさんあるし、筆だけだって、羊毛からイタチの毛までさまざまな種類がある。最近は万年筆のペン先までいろいろあるしねえ。

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自分の伝えたいものを伝えるために、あれこれと工夫をする。これって人間に許されたかなり贅沢な営みだと思う。それをしないのはもったいないよなあ。

ま、私は人間がわがままにできているので、自分がやりたいことがあって、それを実現するためにはどうしたらいいかと考えることが多いので、こんなことを考えるのかもしれないが。でも、この年になるとそれで良かったのかもと思う。

学生たちを見ていると、
「コンピュータがあれば何ができるのか?」
という発想の者が多く、
「私のしたいことは、このコンピュータでできるのか?」
「これがしたいから、このコンピュータを使っているんだけどねえ」
というようになっていないことが多いように感じる。

目的とか表現したいこととかは、しっかりと持った方がいい。
手段はその後で十分である。

            ◆

夜、琵琶湖では花火が上がる。
風も止んだようだ。

「底抜けに!」

「ちりとてちん」がそろそろ終わりになる。

最初の頃は、ちょっと上滑りすぎた展開であまり見る気も起きなかったのだが、途中から俄然面白くなった。まあ、「タイガー&ドラゴン」を見ていた私としてははまるのは当然かもしれない。

「ちりとてちん」には、落語の師弟関係を描きながら、塗り箸の師弟関係も描き出し、それこそ塗り箸のように次から次へと「伏線」からの様々な模様が出てくる。正統的周辺参加と伏線を学ぶにはいい。

最近の伏線で驚いたのは、小草若が放浪の果てにもう一度舞台に立つシーンで、父親であり師匠である草若のかつてのシーンを重ねていたところである。
(ほう。ここにつながるのね)
と思ってみていたら、それだけではなかった。

小草若の持っているギャグに「底抜けに!」というものがあるのだが、これがその日の演目であり、この間ずっとストーリーに関わってきたの「ハテナの茶碗」への伏線だとは気がつかなかった。

さて、最後の常打ち小屋の問題で、どうきれいにまとめるか楽しみである。

人生で一年間だけ、人は

さて、今日は何曜日だったろうか。
なんだかよくわからなくなってきている。
日にちは理解している。東京の中学校は今日が卒業式だろう。

あちらこちらの学校でドラマがあるんだろうなあと思う。
卒業式は、なんだかんだいって中学校が一番印象に残るのではないかなと思う。
ま、私はと限定しておくが。

            ◆

まあ、担任も大変だ。身だしなみを確認するとかなんとかというだけでもない。それまでに事務の仕事をものすごい勢いで終わらせて、進路の最後の確認もし、教室の美化やら思いで作りやら、卒業アルバムのサインやら。私は卒業証書を書いたり、式次第を書いたこともあった。三年生の担任だったのにf(^^;。

卒業式の式次第では、ここから先は担任は泣いてもいいという場所があって、そこまでは必死であった。呼名は正しく読むように何回も練習してはいるものの、本番は別もの。別であるが本人にとっては晴れの舞台。なんとかきれいに名前を呼んであげたいと練習である。ま、そんなことは子どもたちにはわからないだろうが。

数年前までは、卒業式の後少しは余韻に浸ることができた。が、今は無理。すぐに新年度の子どもたちを迎える仕事が待っている。せめて、三日間のリフレッシュの時間が欲しいなあと思っていた。一年間を一日として、三日間。

(子どもたちのことを静かに振り返る時間があってもいいじゃないか。自分と仲間で指導してきた三年間を振り返り、新しい子どもたちに新たなヴァージョンアップした指導をするための静かな戦士の休息があってもいいじゃないか)

これは贅沢なのかねえ。

            ◆

私は、研究室で今年度中に出す学術書の最終校正をし続けている。少しでも良くしようとにらめっこである。時々窓ガラスをたたく音に目を休める。外は久しぶりに大雨。花粉が飛ばないので気持ちがよい。

明日残りをやればスケジュール通りになるはずである。あ、明日は春分の日か。いかんなあ、京都の春を楽しんでいないなあ。奥さんすみません。

            ◆

このごろ家に帰ると娘は一人遊びをしている。お座りをして音の鳴るおもちゃを振り回し、歯固めのおもちゃを齧り遊んでいる。

そこに、私が帰る。すると娘は振り向いて、両手をばたばた振り回して喜ぶ。ひもを引っ張ると手が動くおもちゃのように思い切りばたばたである。時には、それでバランスが崩れて後ろにひっくり返るぐらい喜ぶ。

素直に、うれしい。

言葉をまだ持たない娘は、感情を行動に移すだけだ。人生で一年間だけ、人は赤ちゃんでいられる。言葉を持たず、歩くこともせず、赤ちゃんでいられる。

(おい、おまいさんの頭の中では何が起きているのかねえ。ゆっくりと赤ちゃんの時間を過ごすんだよ。一生に一年間しかないんだからね)

なんて思いながら、うれしそうに抱っこする私である。

2008/03/19

その笑顔を続けるために

なんだか知らないが、やたらに夜中に目が覚めた。
こんなの久しぶりだなあ。
何かの興奮が体に残っているのだろうか。

            ◆

午前中は原稿の仕上げをして過ごす。
実はこれがちょっと大変であった。

マックの動作がちょっと遅いと感じたので初期設定などを捨てて再起動をかけてみたら、あれこれ設定が崩れていて、この再設定に時間がかかってしまった。うーむ。

でも、まあそれなりに簡単に戻るのがマックのすごいところ。
アーよかった。

            ◆

研究室で事務仕事などをして、帰ろうとしたら「池田先生」と声をかけられた。
振り向くと今年の集中講義で授業を担当したH君である。

その授業は、教職を目指す学生のための授業であったが、H君はさほど教職には興味がない様子。それでもそれなりに授業は受けていたのだ。が、明日の教室で劇団衛生の蓮行さんが講師できたときに参加して、人生が変わったようだ。

文学部にいたH君は、自分のやりたいことを目指して進路を変更したのだ。そして、そのことを知っていた私は、

『おめでとう。進路を変更したんだね』

と話した。自分のやりたいことに正直になることができた彼女はいい笑顔であった。その笑顔を続けるために必死に勉強するんだよ。

            ◆

夕方、娘を連れて琵琶湖のほとりを歩いていつものガーデンに向かう。びっくりだ。ほとりにある砂浜が水没しているのである。いつもはその砂浜を歩いてガーデンに行くのだが、こりゃあだめだ。比叡山や比良山の雪が溶け出したのだろうか。

大学のキャンパスにある早咲きの紅梅は、既に盛りを過ぎて散り始めた。
西大津の公園にある早咲きの桜は満開となった。

Sakura

さあ、これから本格的な花のシーズンだぞ。

2008/03/18

教育の世界の話は

午前中は、高校で模擬授業。昨年度は児童教育学科の先生が私しかいなかったので、オープンキャンパスから模擬授業から京都コンソーシアムから、たくさん回った。30回ぐらい回ったと思う。であるが、今年度はスタッフが増えたので、私の出番もずいぶんと減った。

30回行うというのは大変といえば大変だが、そのおかげで関西の高校の実情も割とわかったし、ここで話した内容をもとに『教師になるということ』(ひまわり社)を書くこともできたわけだ。目の前にあることに取り組むってことは、大事なことなんだよなあと改めて思う。

で、その模擬授業も昨日で今年度は終了。

            ◆

午後からリクルートの進学ネットの取材を受ける。

高校に配る進路関係の冊子を作っているのだそうだが、ここで教師になることについての特集を組むとのこと。その取材の過程で編集者さんが、『教師になるということ』を読んで下さってわざわざ東京から取材にきてくれたのだ。こういうのはありがたい。

なんというか、一つの仕事は次の仕事につながっているというのをこのところ、本当に実感する。
「目の前の仕事をきちんとすることのできない者が、大きな仕事の夢ばかり描いていてもだめだ」
なんてのを若い頃に読んで、
(ふーん、そんなものかねえ)
と思っていたが、いろいろなものがつながるようになった今、そうなんだろうなあと思う。

ま、私はだらしのない人間なので、目の前の仕事をすべてきちんとやってきた訳ではないので説得力もあまりないが。

            ◆

かれこれ三時間ほど話す。
インタビューをもとに原稿を書かれるとのことだが、書き上がった原稿は表に出すまえに見せていただけるというので、安心して話すことができる。

教育の世界の話は、実は文章にできない部分がたくさんある。そして、そこの部分を知らないと指導はしにくい。かつては職場で雑談や飲み会で伝わっていた。さらに文章を書き、サークルで揉んでもらうということで力量をつけることができた。が、いまはそれがなかなかねえ。

ブログで文章を書く習慣は増えてきているが、そんなことをブログにかける訳もないし。でも、文章を書いて自分の実践を振り返りつつ鍛えるというのは、とても重要なレッスン方法であると思う。

            ◆

その後、学生の指導についてあれこれ考え、さらに月刊国語教育6月号の原稿を修正して、編集部に送る。ふう。

ところが、資料の関係で文章量が多いということがわかり、改めてやり直すことに。これは明日だな。

            ◆

8時過ぎに外に出ると、春の陽気。
春宵一刻値千金であるなあ。

2008/03/17

お地蔵さんみたい

卒業式と明日の教室の充実感の後に、疲れがやってきた。
日曜日は、原稿のあれこれをちょっとやって、あとは体を休めていた。
娘とお昼寝である。

            ◆

昨日、奥さんが娘と一緒に、近くのガーデンに行ったそうだ。
職員のオバさんと話していたら、オバさんが
「まー、可愛い。お地蔵さんみたい」
と言ったとか。

確かに太ってきているが、「お人形さんみたい」の言い間違いであることを願う。

            ◆

あべたかさんが、絶賛していたソフトを手に入れてあれこれ楽しむ。LiFE with PhotoCinema 2である。フォトストーリーのもっと凄い版である。何がすごいかというと、自動で作ってくれる作品のクオリティが凄いのである。

フォトストーリーもあれこれ手を入れると、凄い作品が出来る。imovieも凄い作品が出来る。であるが、私は面倒くさがりやなのであれこれ手を入れないで凄い作品が出来るのが嬉しいのである。

いやあ、本当に凄い。

            ◆

かつてMacには、「Mac詩人」というとんでもないソフトがあった。勝手に詩を作るのである。データベースにある単語をハイパーカードというソフトがランダムに並べ替えて、詩らしきものや詩を作るのである。

いま調べてみたらHDにあったので、実際に使った見る。

引用開始 ーーーーーーーーーー

テクニックのまずい生活


仔猫にワープロ
空をなんとかする
まわしはとんでもないあそこだもん
ピアノをそれにしてもあげる
ボトルを舐める
ジャパンがなんといってもいとしいのね
ぶっぱなす薄い旅館なの

引用終了 ーーーーーーーーーー

引用開始 ーーーーーーーーーー

楽しいにおい


うれしそうな大工の楽しいお風呂なんだもん

テーブルにきっと抜け出すわね
レコードをぎんぎん座るね
大工のプリンが滑り落ちるのかな
ぶっぱなすね

歌うに違いないわ

脅すあなたなのよ

ミサイル

引用終了 ーーーーーーーーーー

ボタンを押すだけで次から次へとシュールな詩のようなものが生まれてくる。
(これは、創作への挑戦だなあ)
と思ったが、映像の場合も同じであろう。

ボタン一つで、作品が出来てしまう。クリエイティビティとは何なのかを考え直さなければならない。ひな形がここまで拡大してきているのかと思う。

            ◆

で、しばらくはLiFE with PhotoCinema 2で、お地蔵さんならぬ娘の写真で楽しむ私である。

2008/03/16

奇麗に締った

Biwako2


今年度の明日の教室が終わった。
いやあ、実にあっという間であった。
1年間で11回開催することが出来た。

私はいい加減な性格なので、事務局を務めるとあちこちに迷惑をかけることになるので、これまでは事務局と言うものは一切引き受けてこなかった。

が、大学に籍を移し、
「これからは社会貢献のために研究会の一つもやらなければね」
とある先生に言わたことや、糸井先生という最良のパートナーと出来ることで、
(うしゃあ、引き受けるか)
と思ってやってきた。

            ◆

2000円の参加費で、自分たちがお呼びしたい超一流の先生がたをお招きして学ぶ。学んだら懇親会でさらに人間的な交流を深める。

こんなコンセプトでやって行こうと思ったわけだが、果たして2000円でできるのかという危惧もあったが、懇親会とセットで5000円程度にしたいので、こうしたわけだ。

で、あれこれやって見たら、出来た。
年度の締めを昨日の研究会の後にやったのだが、赤字にならないで次年度の準備つかうお金を用意したら、奇麗に締った。

いやあ、良かった良かった。
おれも成長したものだ。

            ◆

昨日は糸井先生の総合的な学習の時間の「過去・現在・未来」というテーマでの話。今自分が一番語りたいことを語るというコンセプトだった。糸井先生がどうやってあの豊かな総合的な学習の時間の実践を作ってきたのかの話を、学習指導要領の変遷に寄り添いながら、自己防衛をキーワードにして話されていた。

これは聞きごたえがあった。
実践を作るということの立ち位置を、このような形で示す発表はなかなかないと思う。説明責任を果たすと言うことはこういうことなのだという具体例でもあった。

糸井先生のところでは、来年の四月に刊行予定の「明日の教室 編」の新刊の説明等もあった。これはこれでとても面白くなりそうである。

            ◆

私が今一番語りたいことは、娘のことだがそんなことを語っても明日の教室には関係ないので、私は「ポートフォリオ学習としてのデジタルストーリーテリング」ということで、フォトストーリーの使い方を行った。

実に簡単に細かいところまで、写真からムービーを作り込める。
どんな時に、どのように活用すれば良いのか等の話をしながら、90分。
最後は、作品の上映会も行った。

            ◆

その後、懇親会。
しみじみと一年間を振り返る。

若手の先生たちが、四月からの新しい子どもたちとの出会いに武者震いしている姿を見て、嬉しく思う私であった。

ちなみに、この日も帰りは終電であったf(^^;。

次回は、4/19に平田オリザさんです。

着物等の民族衣装は

卒業式は、雨の中であった。

私は花粉が収まるので非常に楽であったが、着物姿の学生たちには少々可哀想であった。だが、雨の卒業式もいいものだなあと思った。

春のあたたかい雨がキャンパスを濡らし、これから社会に巣立って行く彼女等に慈しみを与えてくれているかのようであった。

Ume


            ◆

式の後、彼女等と記念写真を撮る。
華やかで艶やかで、それでいてきちんとした立ち居振る舞いの出来る娘たちを見ていると、
(をを、成長したなあ)
という気持ちになる。

着物等の民族衣装は、その民族の女性を美しく見せる。
が、その一方でその女性の本質をさらけ出してしまう。

歩き方、姿勢、手の動き、話し方。

これらが際立ってしまうのだ。
だから、外側だけ奇麗に民族衣装で着飾っても、ダメ。
いやむしろ、日頃の酷さを隠すためには民族衣装等を着ない方が良いのだ。

だが、私が一緒に写真を撮った学生たちは、大丈夫であった。
ああ、良かった。

            ◆

卒業パーティ、さらに、サークルの卒業祝いの宴と続き、帰りは終電。
良い卒業式であった。

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