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2008/04/18

正しい発声とは?

午前中は打ち合わせ。

新入生キャンプでお世話になったオーパルの中岡さんとあれこれ。二年間こちらで新入生キャンプをお世話になってきて、一つの方向性が見えてきたのでそれをヴァージョンアップするにはどうしたらいいのかということについて、あれこれ。

一つの企画が、次の企画を生み出していくことの面白さ、うれしさを実感。体が足りなくなると困るが、それはここは大学。学生たちがそこに積極的に関わってきそうなので、そこにどんどん任せていこう。

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メールでもいくつか新しい企画が動き出す。駆け続けるといつか転けてしまうだろうから、適度に休息もしつつ、それでも依頼があるうちは喜んで受け続けたいと思う。私の自分でも気がつかない分野に光を当てて頂ける企画だったらなおさらだ。

            ◆

国語科教育法では、「話す」ということと「板書」ということについての講義の予定だったが、「話す」の前半で終わってしまった。まだ授業が動き出したばかりなので、授業のルールや取り決め、さらには進め方などを丁寧にやっているので、時間がかかってしまう。

去年の進み具合見たら、同じ程度までしか進んでいないので、これはこれでいいだろう。来週は「話す」と「板書」をやることになる。

家本芳郎先生の著作や、鴻上尚史さんの著作を引いて、あれこれと授業を行う。

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引用開始 ーーーーーーーーーー

正しい発声とは?
「あなたの感情やイメージがちゃんと表現できる声を手に入れること」です。
『発声と身体のレッスン』(鴻上尚史 白水社 2002.4)

引用終了 ーーーーーーーーーー

「話す」ってのは、教師にとってとても大事なこと。だが、この「話す」はあまりにも日常的すぎるので、意識されない。私は「幸いにして」音痴だったことと、滑舌が悪かったことから、声を早いうちから意識することができた。

音痴を直すため、滑舌の悪さを直すために自分の声を多く聞いたのだ。テープに録音して、ひどいところを意識して直していったのだ。

ま、自分の声をテープで聞くと、あまりにもペラペラな音にショックを受けるのだが、それよりもとにかく直したいの一心で、聞いて直した。

そして、(どうやら私の声は良く通るらしい)と分かってから、さらに磨きをかけるにはどうしたらいいのかと、あれこれやってきた。

だが、自分の声がどのようになっているのか、相手にどんな風に伝わっているのかを考えることなく、意識することなく使ってしまっている教師は、少なくないのではないかと思われる。

うれしいときにうれしいということをきちんと伝える発声。
感情ではなく、論理を淡々と伝える発声。
怒っているけど、心の中では許していることを伝える発声。

教師にはいろいろな発声が求められる。これを使い分けながら、授業や指導は行うのである。そんな辺りを授業では話した。

授業や指導で使う、声と話し方は、日常で使うものとは別物であるということを、きちんと理解させたい。

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で、まず、授業である。
授業の空気を支配するのは、教師の「声」「話」である。ここを磨くレッスンをきちんとすることは、とても大事だと考えている。

2008/04/17

パラグラフ・ライティング

基礎演習ゼミで、本日は「パラグラフ・ライティング」の講座をしていただいた。本学の生協主催の教職対策講座の講師をされている河野先生に、児童教育コースの二回生全員にしていただいた。

おそらく、日本の教員養成系の大学でパラグラフライティングを授業で扱っているところは皆無ではないかと思う。googleで確認したが見つからなかったし。

なんでもかんでもアメリカがいいというつもりはない。が、北米では小学校の高学年ではこの方式で作文を書かせているというデータもあった。

河野先生は、アメリカの学校で正規教員として教えていた経験もあり、パラグラフライティングにも造詣が深い。是非とお願いしてご指導いただいた。

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文章には、大きく分けて二種類ある。メモや感情のはけ口としての自分のための文章。もう一つは「伝える」という目的のために書く文章である。パラグラフライティングは、この伝える側の文章の、考えを伝えることを目的とした文章の書き方である。

私が本格的にこのパラグラフライティングを学んだのは、大学院に通っていたときである。ディベートで知り合いになった倉島さんが講座をされていて、
「池田さん、修士論文を書くなら講座を受けにおいでよ」
とお誘いをしてくださって、一日8時間、それを毎週土曜日に3週間続けて学んだ。

鼻血が出るかと思うぐらいの、濃い時間であった。
が、今思えばあのレッスンがなければ私は修士論文を書けていないだろうと思う。

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8時間の3日間。つまりは、24時間のレッスンを受けて、その後メールでも指導を受けて、使いこなせるようになったパラグラフライティングである。90分で学生たちが身に付くとは思っていない。

しかし、今の段階でこれを知っておくことは、ゼミでのレジュメの指導、レポートの指導、また、採用試験に卒業論文の指導の際に大きな力になると考えている。

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それにしても、やっぱり授業はいい。
教育の、教師の後輩になるだろう学生たちを鍛えることは、責任も大きいが張り合いもある。

学科の先生たちと一緒に作り上げていく感覚が非常にいい。かゆいところに手が届くというのか、大学に席を移してまでこのような思いを味わえるとは思わなかった。ありがたいことだ。

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今週末は、明日の教室スペシャル。平田オリザさんが来てくださる。まだ少し席にゆとりがあるようです。申し込みの締め切りは明日です。お急ぎください。

大学は、いま春の花でいっぱいです。

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打ち合わせをしていないのに

キャリア開発演習という授業を担当する。この授業での私の担当は、書くということである。オムニバス形式で三人の教員が担当するので、私の部分は書くである。

一回目の昨日は、書くということはどいういうことなのかについて考えてみた。人はなぜ書くのか、書くの種類にはどんなものがあるのか、読まれる文章はどういうものか、実際に読まれる文章を書いてみる、なんてことをやってみた。

一回の授業でここまでやるのはちょっと内容が濃すぎるが、五回しかないので概論的にやってみた。

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書く。

私はお習字からこの書くの世界に入ったと思っている。「わくわく授業」で作文の書き方を指導したとき、番組を見たある方から
「え、池田さんって書くの指導もできるの?」
と言われたことがある。ディベートだけだと思われていたようだf(^^;。

私はディベートの教師であったわけではなく、中学校の国語の教師であったので、そりゃあやりますよ、書くだって読むだって、掃除指導だってクラブ指導だって生活指導だって、教務だってf(^^;。

さ、来週は何人が残るかな。少なければ少ないほど、じっくりと指導できる。
お得な授業になりそうである。

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研究入門ゼミは合同で。一回生のクラス単位の授業である。学び方を学ぶという授業である。京都橘大学の教育の方針、児童教育学科の教育の方針、学び方などを説明。

私は、学科で設置したMM、ML、WEB掲示板の使い方などについて説明。学科ではなんとなくICT担当になっている。

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で、この合同ゼミでは、そこまで打ち合わせをしていないのに、各教員から「メモをしっかりととるように」という話が続く。「ここは大事だから、テストに出るからメモをとるように」と教えてくれた高校までとは違うのである。自分からメモをして、自分で何が大事かを考えなければならない。

私は
『君たちは、メモをとれと言われればとれるかもしれない。では、メモのとり方の指導方法は理解しているか? メモのとれない小学生に実際にできるように教えることはできるか?』
と問うた。その後、メモの種類の話をし、実際にどのように指導するのかを説明した。

「教わる側から、教える側に回る諸君になる。そのために必死に学べ」これが、私たち児童教育学科が学生に示している考え方である。

学生たちは
「教育を甘く見ていたのを反省した」
「これからの四年間がとても楽しみになった」
「先輩たちを追いかけたいと思った」
などの感想があった。

二期生の学生たちにも、児童教育学科の基本的な考え方は届いたようである。
大学は、いま八重桜が満開だ。
大いに期待しよう。

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2008/04/16

若い教師の必読漫画

若い教師の必読漫画

あちらこちらで、若い教師への推薦図書が紹介されている。私はへそ曲がりなので、本だけではなく、漫画でいきたい。三冊紹介したい。

1)「寄席芸人伝 全11巻」(古谷三敏 小学館  1986/08)

教師は語りが大事である。教師は職人であり、芸術家であり、文化の継承者でもある。教師の仕事は、OJTで学んだり、正統的周辺参加で学んだりすることもある。そういう意味で、この「寄席芸人伝」は教師修行のmetaphorとして読むには、非常に興味深く、勉強になる漫画である。

噺に合わせて着る和服の生地や帯を変える。出囃子に合わせて登場するときの表情はどうするか。長い落語を語るときはマラソンの流れで、身体的に噺の構成を考えることが良いなどの物語がある。

新刊本では売っていないので、中古で買うかデジタルデータで読むことになるだろうが、ふっと入った古本屋にあれば、一巻でも買ってほしい。

2)「万歳ハイウェイ 全13巻」(守村大、オサム 講談社  1985/10)

私がオンロードバイクにで楽しんでいた頃に、楽しんでいた漫画である。

私はYAMAHAのSRXという今は生産中止になってしまった名車に乗っていた。バイクごとにさまざまなストーリーが出てくる。YAMAHAのSRXの巻は、ビートルズの名曲Let' it beにもストーリーは絡んでいて、とても泣ける。

でなんでこの漫画が、若い教師になのか。
人生はこんな風にも生きられるかもしれないと思うにはいい。

3)「課長 島耕作 全8巻」(弘兼憲史 講談社 1994/12)

とうとうリアルタイム進行では、島耕作は社長になるらしい。だが、最初は課長島耕作なのである。これは今の日本の漫画で、続編という考え方で言うと、相当長く続いている漫画である。

教師は、一般企業のことを良く理解していない。私は一般企業のことを良く理解するよりも、子どもや教育のことを良く理解するための勉強をする方が大事だと考えている。しかし、この「課長 島耕作」レベルのことであれば、教師も読んで理解しておくのもいいだろう。(会社ってこうなっているのか)を知っておくのは大事だろう。

また、社会を知るということでは「ナニワ金融道」も捨てがたい。

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ということで、このブログの読者のみなさんにも、コメントで紹介していただけないかなと思います。

起筆 1

ご入学おめでとうございます。

今年度、君たちのCクラスのクラスアドヴァイザーとなりました、池田 修と申します。

この授業を受けるみなさんは、将来先生や保母さんになろうという意志を持っているみなさんです。そのみなさんが将来教育・保育の現場に立った時に十分に力を発揮できるように、大学では基礎学力と専門的力量を鍛えることになります。この授業では、教育・保育の専門的な学びを支える学び方を身につけて行くことになります。じっくりと学びましょう。

            ◆

さて、入学式での梅本理事長先生の話を覚えているだろうか。人間は関心や意欲がないものは見ることができないという話だ。

「信号機は1868年にイギリスで初めて設置されました。その信号機は君たちは毎日見ている。
しかし、その赤、青、黄色の色の配列がどのようになっているのかを自信を持って言える人は少ないでしょう。
毎日見ているものであっても、意識してみることがなければ見えてこないのです」

という話でした。
この話は、人間の興味がいかに大事なのかということを示している。君たちが、教師/保育士、教育に関心を持つことはとても大事だということである。

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しかし、この話はそれだけを言っているのではないことが分かったであろうか。

梅本先生は、諸君は、信号機のことを知っている。知っているがシグナルの配列には興味がないので、どの順番で並んでいるか見ているようで見ていないということを話された。

さて、問題は君たちは教育のことを知っているか?ということである。

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君たちは大学に入るまで、学校教育の現場にいた。幼稚園保育園から始まり、高校まで15年近くいたはずである。しかし、それは教育を受ける側としていたのである。学ぶ側としていたのである。

これからは、君たちは学ぶ側でありつつ、学ばせる側に回るのである。注意されるがわから、注意する側に、褒められる側から、褒める側に回るのである。

そういう観点から「教育」というものを「知っている」のだろうか?おそらくほとんどの諸君が知らないであろう。そうだとすれば、君たちは興味/関心/意欲があったとしても、見ることはできないのである。

            ◆

現代の授業名人と言われている有田和正先生は、知識に関して次のことをいう。

     知識は眼鏡である。
     知識がなければ物は見えない。

まずは、諸君は教育に関する膨大な知識を身につけることである。これがなければ、見えないのである。

また、教育は主に子どもを相手にする。子どもたちに関する知識もなければならない。子どもたちの遊び、文化、問題、流行など膨大な量である。

諸君は、教師/保育士、教育を目指すのであれば、まずは「膨大な知識」を身につける必要がある。

一回生で年間100冊の本を読むこと。30冊の読書記録を書くこと。それは、こんな意味が込められているのである。

大学での学びは、ここから始まる。

「研究入門ゼミ通信 起筆2008 NO1より」

2008/04/15

「あ〜、先生の右腕が欲しい」

朝からワープロに向かう。久しぶりにきれいに晴れた朝だ。

            ◆

今日は「伝える極意」がある。久しぶりにテレビに出るので、ちょっと緊張。で、時間になったのでテレビをつけたら、あさのあつこさんが出ている。
(あれ?)

慌てて確認したら、私の出番は来週であったf(^^;。
どうも春は、私の歯車を乱している。

            ◆

今日は6限の授業なので、事務をする時間があると思ったら、意外とあっという間に授業の時間になってしまった。春は私の時間も奪っているらしい。

6限の授業は、教育実習2。いよいよ教育実習に向かう四回生の、実習前の最後の指導である。教務から関係書類を配布してもらい、説明。その後、私の方から「教育実習直前指導〜あなたが、教師として生徒の前に立つために〜」というテーマで授業を行った。

「生徒を生徒にするには、教師が教師にならなければならない」「生徒が教師と思ったときに、実習生は教師になる。ならば、どうやって思わせるのか」などについて話をした。アイディアを交換した。

さらに、『こんな時どう言い返す』のような指導もちょこっと。掃除の指導に関してあれやこれやと。

            ◆

授業の後に、
『字に自信のない諸君は、30分ぐらい面倒を見るから、授業の後に残って黒板に自分の字をチョークで書いて見なさい』
と言う。そして指導をする。なんだかんだで20数人が残る。2/5以上は残ったか。

板書に書かれる字の見やすさ、うまさ、勢いなどで、生徒にかなわないと思わせることができれば、教育実習のスタートは順調にいける。

学生の名前をチョークで書いてあげて、
『この上から、チョークでなぞりなさい』
と模書をさせて、臨書をさせて、練習だ。

「あ〜、先生の右腕が欲しい」
と言われたが、まあね、君らが想像もできないぐらいに私は学生時代にチョークの使い方を練習したし、教師になっても書きまくったからねえ。

学生たちは、私の書いた名前を携帯電話で写真に撮っていた。努力することだ。あと、2ヶ月近くあるだろう。

努力すれば成功するとは限らない。しかし、成功したものは必ず努力をしているのだよ。

船渡御(ふなとぎょ)

今年度前半は月曜日が研究日。大学にいてはできない仕事をあれこれやる。

並行して6月に脱稿する原稿の仕上げをする。少し前に連載を完了していた原稿を一冊の本にまとめる。だから、本としてのトーンを整えること、古くなったデータを差し替えることがポイントになる。校正作業にも似ている。

爪を切りそろえて、キーボードタッチで感覚がずれないようにする。こういう調整って、結構大事だと思うんだよねえ。修士論文を書いているときは、しょっちゅう爪を切っていたなあ。

            ◆

夕方から坂本城址公園に出かける。今日は日吉大社の一ヶ月半にも及ぶ山王祭の山場の一つもである、船渡御があるのである。

地元のお祭りで、しかも一ヶ月半もやっているもの。1300年前からやっている祭りである。いろいろな意味で見ておきたい。

私たちは15:00に到着して一行を待つ。遠くの方から太鼓の音が聞こえたと思ったら、トラックに積み込まれた神輿がどんどん到着。担ぎ手は江若バスに乗り込んで到着。中には中学生もいるが、今日の学校はどうなているのだろうなんて思う。

            ◆

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神輿は、装束を身にまとった人たちによって、艀のようなところに次々と乗せられていく。六基の神輿が揃ったところで、タグボートに引かれておき合いに出て行った。

これが実にきれいである。
比叡山に傾いていく西日を浴びて、神輿や装束が輝く。

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「平成狸合戦ぽんぽこ」のワンシーンを思い出してしまった。ま、あれは井原西鶴の「好色一代男」のパロディーでもあるのだが、こうして実際の光景と重なっているのを見ると、身震いするような感動であった。

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            ◆

1300年も続いている祭が、当たり前のように今も続いている。東京にいるときには何も関係のない祭りであった。これが、日本の文化の懐の深さなんだろうなあと思う。

我が家から車で15分のところで、こんな祭りがあるんだから実に贅沢である。

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春は晩春に向かう。

2008/04/13

斎王桜

午前中は、「児童心理」の校正。
今度の水曜日が締め切りだから、早めに終わって気持ちがよい。

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その気持ちのよい思いで、京都市内に出かけていく。今宮神社でやすらい祭を楽しみ、その後、上賀茂神社で桜を楽しむ。

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京都は広い。京都市内だけでも広い。だから、ソメイヨシノが散ったとしても、北に向かえば、八重桜にしだれ桜はまだまだ咲いている。今宮神社のしだれ桜も良かったが、圧巻は上賀茂神社の斎王桜である。

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京都に来る観光客が見て回る桜は、移動しても下鴨神社までだろうと思われる。だから、上賀茂神社にいるのは、ほとんど地元の人である。だから、こんなにすごい桜なのに、ほとんど人がいない。

見とれながら、娘と奥さんの写真を撮りまくる。
大津の家から30分でこの桜に出会えるってのは、やっぱりすごく贅沢だ。

Saiousakura


            ◆

ゆったりとした週末だったなあ。

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