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2008/06/14

以上、今週の

親バカである。
もう良いと言う方は、スルーしてくださいf(^^;。

            ◆

その1

大学に向かう時、玄関で見送ってくれる奥さんと娘。
最近、娘は私が出かける事が分かってきたようで、泣くのである。
ううう。

その2

「うー、まんままんままんま。ばっばばっばばっば。うぐぐぐうう。まんまばっば」

なんだか知らないが、よく話すようになった。一人で、私たちには見えない何者かに向かって機嫌良く話している。

その3

片手でつかまり立ちである。片方の手で私の体をつかんで、もう片方の手を私に向ける。この仕草がなんとも可愛い。ついでに乗り物に乗せたときに抱っこしていると、首を倒して私の肩甲骨辺りに額を載せる。これも可愛い。

その4

朝時計に手を伸ばして時間を確認したら、10時30分であった。
(え! そんなに寝てしまったのか!)
と休日である事を感謝しつつ起きる。
リビングの時計を確認すると、まだ7時前。
(ん?)
娘が時計の針を動かすねじを悪戯していたようだ。

その5

仕事を終えて家に帰る。
玄関を開けると、その音ですっと体を起こす(のだそうだ)。
そして、廊下を歩いてくるとその音を聞きながら廊下の方にハイハイし始める(のだそうだ)。
リビングに顔を出すと、座ったままジャンプである。
私は手も洗わないでそのまま抱っこしてしまう。
賢いなあ。可愛いなあ。

            ◆

以上、今週の親バカでした。

2008/06/13

君たちに非はない

暑いなあ。
京都は31度を超えていたんじゃないかな。
我が家は琵琶湖と比叡山の間にあるので、外は暑くても家の中は結構風が通って気持ちがよい。アイスティーなんかが飲みたくなる季節だなあ。

            ◆

国語科教育法では、和綴じ本のつくり方を扱う。

(説明に結構時間がかかるなあ。中学校のときの方が簡単に指導できたんじゃないかな?)

と思いながら授業をしていた。そりゃあだって、中学は50分で終わるのに、大学では50分で終わらないってのはどういうことなんだと思っていたのである。

それが、授業後に分かった。

(あ、和綴じ本のつくり方を教えているだけでなく、和綴じ本のつくり方を教えつつ、作り方を教えると言う事はどういうことなのか、その指導方法も指導しているから時間が余計に掛かるんだ)

というきわめて簡単な事である。学生諸君、すまん。君たちに非はない。来週の授業で謝らなければ。

            ◆

ではあるが、手先が器用とは言えない学生が多いなあ。大丈夫か。料理しているのか? そもそも家に包丁はあるのか?なんてことを思ったりする。

育ちが分かってしまうぞ、なんてことを言いたかったがこれは封印。ま、でもこれも来週言うか。

            ◆

さて、週末は忙しくなる。日曜日は九州である。

その未来に関わる事を許された存在

先生をお見送りしてから、大学に戻り授業。キャリア開発講座である。先週は中村健一先生に授業をしていただいた。今週は、私が行う。

授業に参加している学生は、竹内常一先生の授業を受けていたメンバーと重なる。授業導入の時間で、少し竹内先生の逸話や私との関係などを話す。

『先生の話は分かった?』
分からないような顔をしている学生が多い。
『でも、良かったでしょ』
うなずき多し。
『で、何を言っているのかよくわからないけど、大事なことを言っていると言う感じは分かった?』
大きくうなずく顔、顔、顔。

そうなのである。先生の話はそうなのである。

『君たち、理解しようなんて思わなくていいから。大事なことを言っていそうだと感じられれば良い。そして、それをどんどんノートに書く事だ。やがて、あっそうかと分かる時が来る。私もそうであった』

『特に先生は、大事な事を高音で早口で言われる。(先生、そこはゆっくりでしょ)と思うだろうが、ゆっくりには話せないんだなあ。だから、メモをとる技術が必要になる。一回生の時からメモをとれと言い続けているのが分かるだろ?』
これも、大きくうなずく顔、顔、顔。

一回生のときから言い続けている事が、少しずつ彼の中に実感として残り始めているようだ。これは頼もしい。

            ◆

本論では、『こんな時どう言い返す』の理論の解説を少し行って、後半はワークである。

理論では、子どもに納得は必要なのかという問題を取り上げてみた。学生たちは子どもが納得するような説明を何が何でもしなければならないという考え方を持つ事が多い。それはそれで良い事ではあると思うが、正しい事かと言えばそうではないと私は考えている。

なんとなれば、子どもが納得するような説明を何が何でもしなければならないという考え方を持って臨むと、「納得しないからやらない」という子どもを育ててしまう危険性があるからである。

世の中には、納得しなければやらなくていいこともあるかもしれないが、そうではないこともある。また、納得したときにはやるべきタイミングを逸していたということもある。さらに、「納得しないからやらない」と言いつつ、実は「嫌だから、めんどくさいから」という理由のごまかしである場合もある。

教育は強制である。その人と、人類が幸せになることを求めるための強制の学びである。私たち大人であり、教師である者は、その未来に関わる事を許された存在である。まして、教師はそこに直接関わる事が許された仕事である。野口芳宏先生のおっしゃる「良い強制」はしなければならないのである。

納得できる説明を教師が考えて説明する。これは大事である。しかし、その一方でここに捕われすぎると、指導が空回りする。では、この境目はどこにあるのか。これは、これからの授業の中で学生たちに考えさせて行くところである。

            ◆

後半のワークは、時事問題について行う。秋葉原事件である。時事問題は扱いにくい。事実が確定しきれていない面もあるし、評価も定まっていないからである。しかし、子どもたちは事件を知っている。そして、この事件について先生はどう思っているのかを知りたい。スルーすればスルーしたと言う事実が残る。

子どもたちは、先生を通して事件と社会とに関わっているのである。もう少し言えば、事件と先生を通して、社会の見方、価値観、ルール等に触れ、自分の世界を作り上げて行くのである。だから、時事問題は重要な教育の機会なのである。単なる雑談ではないのだ。

学生に5人ぐらいの小グループを作らせて、一人一人が小学校の先生になったという想定で、設定した対象学年の小学生役の学生に向けて、月曜の朝の学活の時間に1分間で語るというレッスンを行った。

私は50人弱の学生に指示を出して動かす。その際、私が集団を動かす際に重要な観点を具体的に説明した。すなわち「一時一事」の法則や、「説明→質問を受ける→実際にやらせる」や、「予行→修正→本番」などのことである。

教員が出している指示や説明。さらには活動のさせ方というのは適当に出しているのではなく、きちんと練ってさせていることを理解させる。ま、手品を種明かしされながら見ているという感じであろう。

このように解説しながら、同時進行でワークをさせる。二重構造の学びである。

            ◆

3分の準備で1分のスピーチを作らせ、実際に全員にさせた。代表者にみんなの前でもさせた。二回生にしてはまあ、それなりに言えていたとは思う。しかし、学生たちは私の解説等を聞きながら、自分の課題をたくさん見つけていた。

そうである。それでいいのである。問を見つける事、課題を見つける事これが大事なのである。語りの弱い学生、立ち方が不安定な学生、声の小さい学生、話す内容がなくなってしまった学生、口癖で誤解を与える学生・・・。

さあ、勉強せい!

            ◆

二日間の充実した時間を終え、研究室から出ると心地よい疲れ。
そして、美しい夕焼けが目の前にあった。
いやあ、良かった良かった。

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2008/06/12

携帯電話をきちんと使う指導

やっとこのサイトが出来たか。
学校の先生の強い味方になってほしい。

http://schecker.jp/

学校裏サイトの検索HPだ。

            ◆

一緒に『ケータイ世界の子どもたち』 (講談社現代新書 1944) (講談社現代新書 1944) (新書) を併せ読むと理解が深まるはずだ。

この種類の本、書けそうで書ける人がいなかったと思う。携帯電話と教育と両方とも造詣が深い人なんてそうそういないから。藤川さんならではの本だ。

携帯電話をきちんと使う指導も、やっと具体的な動きが出てきたようである。

竹内常一先生

この二日間、夢のような時間を過ごすことができた。
私の恩師の竹内常一先生に、本学に来ていただいて授業をしていただいたのだ。

初日が児童教育学科学生学会での講演。二日目が、基礎演習ゼミでの質疑応答である。

            ◆

今年度の前期の基礎演習ゼミで、竹内先生の本を読み込む演習を学科全体でやることにした。そうきまった時に、
『先生に来ていただくのはどうでしょうか?』
と学科の会議で提案した。
「それはいい」
と一致。
私の夢が実現する方向に動いた。

先生には学生時代からずっとお世話になりっぱなしである。仲人までしていただいているわけである。

すごいもの、本物を学生たちにぶつけたい。そうすることで、学生たちの中に何か良いものが生まれる。私はそう信じている。

            ◆

初日は講演。「教師・保育者は子どもとどのような関係をとりむすんだらいいのか」という演目。京都大学からも先生や院生が聴講に来ていたし、先生の教え子の関西大学の先生も来ていた。

90分があっという間。そして、その後90分も別の会場で振り返りの質疑応答の時間を取ってくださった。

一回生も一緒に講演は聴いたのだが、感想文を見ると先生の話がどーんと届いているのが分かる。

夜、久しぶりに食事を一緒にさせていただく。学科のみなさんにご迷惑かとも思ったが、娘もちょっとだけその会場に連れてきて、先生に会っていただく。ここでもあれこれと今まで聞いた事のない話を伺う。幸せだ。

            ◆

二日目。『大人と子どもが出会うとき 子どもが世界を立ち上げる とき』を読んできた二回生の学生たちの、テキストに即した質問をたっぷりと1時間以上にわたり答えていただく。

うーん、贅沢。
本当に贅沢。

途中で、先生は
「池田さんは、私の授業を受けていましたが・・・」
と暴露。
私は、学生たちにはその事は話していなかったので、学生たちはひどく驚いていた。そりゃあそうだろ。彼らの先生の先生に習うなんて、通常あり得ないからなあ。

授業後、私の研究室にお越し頂いて、教員からの質問にあれこれと答えていただく。学生が著書にサインを下さいとやってくる。そりゃあそうだろう。学科の先生たちもサインをもらっていた。私たちも学生に戻ったような気持ちになり真剣に学ぶことを堪能できた。さらに、新しい学生食堂で食事をしながらあれこれと聞く。

            ◆

3、4限に授業のなかった私は、この間ずっと先生の話を伺う。そして、京都駅まで私の車でお届けして、お見送りをした。車の中でもあれこれ話を伺う。いやあ、贅沢である。

私の教え子たちに、竹内先生の授業を受けさせたいと中学校の教員をしているときから思っていたが、大学に籍を移してやっと実現することができた。先生が長生きしてくださっているからできた事だ。ありがたい。

            ◆

京都駅で先生をお見送りして、国道一号線を大学に戻る。NHKの打ち合わせの電話と、5限の授業のためである。

途中、トンネルを抜けた辺りで新幹線が私の車を追い越して行った。ちらりと時計を見た。
(あ、あの新幹線だ)
先生が乗る予定の新幹線だというのが、分かった。

(先生、ありがとうございました。学生たちにもっと勉強させます)

運転をしながらなので、ちょっとだけ頭を下げた私であった。
また、来年授業をお願いしたいなあ。
よろしくお願いいたします。


2008/06/11

過去に読んだ本がいまの授業に

ありがたいことに、このところあれこれとオファーがある。好事魔多しであるからして、こういうときこそ気を引き締めなければならないなと思う。本を読み、研究の準備を進め、授業の準備をする。

            ◆

他の方はどうなのか分からないが、私の場合、授業に直接関わる本を読むと言うのはあまりない。現在行っている授業に直接関わる本を、授業を展開しているときに意識して読むと言う事は、ほとんどない。

むしろ、全く関係ないと思って読んでいた本が、今の授業に思い切り関連してくるという出会いの読書の方が多い。過去に読んだ本がいまの授業によみがえってくるのを楽しみにする事が多い。そういったときの授業は、良いものになる事が多い。

だから、本を読まないで授業を作れるってのは、私にはちょっとイメージがわかない。ま、読んでいるのは実は大した内容の問題ではないものも多いので、偉そうな事も言えないがf(^^;。

            ◆

夜は、お酒を飲まずにウーロン茶でゆったりと過ごす。
なかなかいいな。
これからもちょっとこれで行こう。

2008/06/10

横顔のタクシー・ドライバー

夕方から山科へ。私が大学に赴任した年に四回生だった学生が休暇でこっちにくるとのことだったので、久しぶりに会う。成長した卒業生の姿に会えるのは、なんといっても幸せなことだ。

なじみの店で乾杯をするのだが、なじみのメニューが変わってしまっていてちょっとびっくり、ちょっとがっかりであったようだ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

横顔のタクシー・ドライバー

作詞:康 珍化
作曲:濱田金吾

インターチェンジを過ぎた辺りは 信号待ちの車が増える
ワイパー透かしてすれ違いざま 横顔だけでお前と分かった
夏が来るたびジープ借りて 海辺飛ばしたものさ
タクシードライバー 窓を横切る空は今も青いだろうか
俺は昔のカセット流し 過ぎた月日を数えた

仲間はほとんど結婚したし 馴染みの店もいまはないけど
若さが絵にした夢もいつしか 燃え尽きたなら灰になるのか
ゲームみたいに生きていたよ 振り向ことも忘れて
タクシードライバー タイヤドリフとさせて雨のカーブを急ぐ
俺はクラクション軽く鳴らし バックミラーで見送る

タクシードライバー 窓を横切る空は今も青いだろうか
俺は昔のカセット流し 過ぎた月日を数えた

引用終了 ーーーーーーーーーー

名曲中の名曲である。
しかし、ほとんどの人が知らない。
知らなくてもいい。
何度でも言う。私にとっては名曲中の名曲である。

「仲間はほとんど結婚したし 馴染みの店もないけど」

そうなんだ。そうして人はこの切なさに耐えながら、新しい出会いの中で少しでも自分を成長させよう、社会を良くしよう、いまの仲間と楽しくやろうということをしながら生きて行く。

食事をして、話をして、歌を歌って、再会を期して、
私は終電に間に合うようにその場を去った。

また会おう。
元気で。

2008/06/09

抱っこの一日

本日大学はキャンパス見学会。私の出番は今日はないが、ちょっと顔を出す。保育実習室に娘を連れて行けば、雰囲気づくりになるんじゃないかなあと思って、連れて行った。

            ◆

少し早めに大学についたので、研究室であやしていたら、隣のU先生が戻ってきた。いつも娘の事を心配してくださっている先生に、娘を抱っこしていただこうと思って廊下に出てご対面。抱っこしてもらった。

少し人見知りするようになってきた娘は、ちょっとびっくりしていたが抱っこしてもらえた。ああ良かった。

            ◆

保育実習室に行くと、去年私のクラスにいたS君がいた。見学者が来るまであれこれ進路の相談等を受ける。その一方で幼児教育コースのS君なので、面倒見てもらって昼ご飯でも食べてくるかあと思ったのだが、娘は私の姿が見えなくなると号泣。諦めた。

見学者が来たので、抱っこしてなんとなく部屋の隅っこに。置物としては、まあまあ効果があったのではないかと思う。

            ◆

その後、九州から遊びにきている卒業生たちと、急に会う事に。三条近辺にいる事が分かったので、連絡を取る。娘を会わせてあげたかったが、なかなかその機会がなかったので、これを機会として会わせる。

適当な場所がなかったので、ハイアット リージェンシー 京都に乗り入れる。
(ラウンジでお茶は大丈夫かなあ、泣き出したら出て行けば良いか)
と思いながら聞くと、どうぞとのこと。で、ウッドデッキがあると言うので、それなら泣き出しても大丈夫だと思ってそちらにする。まあ、モスキートがいなければ最高だったのだがf(^^;。

Tおねえちゃんと、Fおねえちゃんに抱っこしてもらうのだが、ここでもそれぞれ30秒で泣き出す。まあ仕方がないだろう。

            ◆

いろいろな人に抱っこしてもらえた娘であった。

2008/06/08

一緒に寝るのもいいか

午前中、近くの柳が崎浄水場に見学に行く。琵琶湖の水を取り入れて大津市の水道水にしている施設である。年に一度一週間程度公開する。これを見に行った。

いやあ、なかなか面白い。
一つ一つ係の職員が順を追ってみせてくれる。これなら浄水器はいらないなあと思ってしまった。微生物をうまいこと活用して、きれいにしている。安心である。

            ◆

午後からは、奥さんが出かけるので私と2人でお留守番。いつの間にかお昼ね。このごろ娘を寝かせながら、よく寝てしまう私である。疲れているのかなあ。あれだけ昼に寝ているのに、夜もぐっすりと寝れる私である。

ま、こうして一緒に寝るのもいいか。

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