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2008/08/16

五山の送り火

平清盛は、熱を出したとき水風呂に浸したら沸騰してしまったと言う逸話が残っている。そこまでではないが、今日の私は水風呂に入っても大丈夫なぐらいの体中の熱である。なんのことはない、昨日の琵琶湖での日焼けだ。い、痛い。

ではあるが、年に一回この日焼けのひりひり感を味わう事が夏だなあと思う。アホだなと思いつつ、来年も日を浴びるのだろうなあ。

           ◆

 昼寝の子起きしにあらず裏返る
                三村純也

先日東京で泊まったホテルで朝刊で読んだ毎日新聞にあった俳句だ。なんともその通りだなあと思う。

娘のお昼ねに付き合って寝転がる。娘が寝るのを確認してこちらもちょっと寝ようとするのだが、ちょっとにならない。結構寝てしまう。で、時々目覚めては、お腹に布団をかけてあげるのだが、まさにこの通りである。ではあるが、結局ぐっすりである。

気がつくと、私よりも早く目覚めた娘が私の顔の前で、笑っている。枕の下に隠しておいた眼鏡を取り出して遊んでいる。そして、私の顔を引っ張って喜んでいる。

痛いのにうれしいとは、親ばかも極まれりである。

           ◆

夜の七時過ぎに家を出る。比叡山を越えて京都市内に入る。今日は、五山の送り火である。奥さんの夢であった五山の送り火を見に行こうと言うことになったのだ。去年の今頃は、奥さんは実家に戻り出産の準備に入っていたので、見る事は出来なかった。

自宅から30分ほど走らせたところで、すでに見物の準備をしている人たちに出くわす。送り火の大文字は、実を言えば我が家の裏山の向こう側である。
(へ? こんなところから見られるの?)
ということで、目的の鴨川はやめて近くに車を停める。

30分ほど点火を待つ。花火大会とは違った、始まりへの緊張感がある。

           ◆

20時ちょうどに点火された。特に歓声が起きるでも、拍手が起きるでもない。みんなじっと見つめている。中にはカメラを向けている人たちもいるが、遠慮しながらという感じである。

15分程度見つめて、三人で写真を撮って、京都の夏を味わう。
もちろん、私たちの人生と娘の人生を授けてくれたご両家のご先祖様に、ありがとうございますという思いは伝えた。

しみじみ日本の夏である。

Okuribi

その深みに体を浸し

昼前から昨日の場所へ敗者復活戦として出かける。今日は天候が安定しており、比良山からパラグライダーが何機もテイクオフしては、琵琶湖湖畔に降りてくる。

琵琶湖は東京にいたときは、結構汚れていると思っていた。しかし、実際に来てみて湖西の北の方に行ってみるととんでもなく、美しい。

比良山系からの奇麗な水。そして、珊瑚から出来た砂などがある。なんで珊瑚からの砂なのかといえば、琵琶湖は世界で三番目に古い湖で、太平洋の珊瑚礁がマントルに乗って日本までやってきた、その名残があるのである。だからとても美しい。

Waterbiwako

琵琶湖のぐるりの半分は東名高速道路があるので、高速を使えばいいが、実はそれでも一周するには車で6時間程度かかる。高速道路を使って京都から東京まで着いてしまう時間である。

琵琶湖は琵琶湖大橋から南を南湖、北を北湖という。あの鳥人間コンテストで越えては行けない橋が琵琶湖大橋である。南湖の平均水深は4mで、北湖は43m。一番深いところで100mを越える。だから南湖を遊覧するミシガンという遊覧船は、沈没しても、客室は沈まないという笑い話もあるぐらいである。

北湖それもとても水深が深い。それも北湖は、波打ち際から、急に深くなる事で有名である。

娘を抱っこして、琵琶湖に足から触れさせる。すると、大概の事では動じない娘が泣く。波に驚くのか、その深みに隠れた時間の流れに慄くのか。

その深みに体を浸し、戦争が終わったこの日をあれこれ思う。

なすとトマトのパスタにしよう

8/14

気がついたら10時を過ぎていた。
いやあ、よく寝た。

寝る事にも体力が必要だと感じている。だから、ぐっすりと寝るには適度な疲れとしっかりとした基礎体力が必要なのだが、昨晩はこれが見事に重なったのかもしれない。10時間ぐらい寝ていたからなあ。夏休みである。

昼過ぎに出かけようと思っていたのだが、11時頃に雷鳴。玄関から比叡山の方角を見ると、暗雲立ちこめているではないですか。

(あーあ。今日はなし)

と思って昼ご飯を作り始める。今日は久しぶりに私がパスタを作る。冷蔵庫をあれこれ確認する。決めた。なすとトマトのパスタにしよう。

1)ニンニクをオリーブオイルで炒める。
2)適度に切った茄子を炒める。
3)しめじも炒める。
4)トマトの水煮缶を入れて煮る。唐辛子は二本入れる。
5)ゆでたパスタにソースをかける。
6)みじん切りにして水にさらしておいたタマネギを振りかける。
7)もちろん、塩こしょうはお好みで。

うまい。

その後、娘とお風呂。
ま、水遊びだ。

三時頃になっても天気が崩れないので、出かける事に。琵琶湖の北の方の美しい浜に行って夕涼みをしようと。

ところが、現地に着く間際で雨が降り出す。それでも琵琶湖まで行ったのだが、ちょっと触っておしまいであった。誰だ雨男雨女はf(^^;。

自宅に戻って本日二回目の娘とのお風呂。
夏休みである。

2008/08/14

夏雲あがれ

8/13

娘の寝返りの動きで目覚める。踵が顔にヒットする。
ふう。
家に帰ってきたなあ。

私は布団が変わると寝られないということは、ない。まあどこでも寝られる。畳の上だって、フローリングの上だって寝られる。ではあるが、いつものベッドで娘の寝返りを感じながら寝るのは、やはりいい。

娘の用事にあれこれ一日付き合う。

昨日帰ってきた時、とてもうれしそうな顔をしたと思ったら、その後警戒の顔。ま、しばらくそうかなと思っていたら、今朝はもう大丈夫。

抱っこして、娘の何を言っているのか分からないが、私に向かって話しかけてくる言葉に、
「そーだねー」
と相づちを打つ。

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リビングに転がり、琵琶湖の上に広がる夏雲を鑑賞し、
(ああ、『夏雲あがれ』を読み直したいあ)
と思ったりしながら過ごす。

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その寝転がった私の体の上を娘がよじ上りながら過ぎて行く。

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久しぶりに娘と一緒にお風呂に入り、近くのホテルの打ち上げる花火をテラスで鑑賞し、ツアーの疲れを解す。奥さんに感謝。ありがたいことだ。

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ゆったりの一日であった。

8/12 2008 授業づくりネットワークin仙台

8/12

朝6:36に神田駅から東京駅に向かう。今日は仙台で行われる「2008 授業づくりネットワークin仙台」で、10時から講座があるのだ。

昨日神田の駅に着いた瞬間に、翌日の朝の東北新幹線を予約した。
「お客さん、最後の一枚ですね」
ぬあんと! 危ない危ない。

12時近くにホテルに入り、朝の5時半に起きて風呂に入ったため、タイマーをセットして新幹線ではすぐにお休み。

目が覚めるとあと少しで仙台。いやあ、早いねえ。90分ちょっとで到着ですか。

会場の東北福祉大学は、仙台から仙山線で数駅。駅の名前は「東北福祉大学前駅」である。本当に駅前に大学があった。中に入るとここはアネックスで、駅から10分程度歩くと分かったのだが、まあ、近い。それにしてもJRの駅を新しく作ってしまうなんてすごいなあ。

会場では久しぶりに会う仲間たちと会話をしながら、講座の準備。そこでちょっとピンチ。資料が違っているのだ。PDFで送ったのに、表が消えてテキストベースになっている。さらに、テキストが印刷されていない。慌てて依頼する。

ああ、昨日最後の一枚の席を取れて良かった。もう1本後だったら、本当にギリギリだったろうなあ。

今回の講座は、【「言語力」を鍛える授業の工夫(中学校)】ということである。

言語力育成に関する整理用一覧表や、国語科の指導領域概念図 、さらには学習指導要領などを参考にして、言語力を定義した後、授業レベルの話、特徴的な「たほいや」の実習などをしながら2時間行う。講座の振り返りは石川晋さんとの対話。

本当はたほいやを2試合行いたかったが、まあ、2時間のこの講座ではこれが限界。ただ、感想を拝見すると提案は伝わったようだった。「楽しくて、力がつく」授業をめざす。国語を実技教科にする。これが今の私のスタンスだ。

今回のネットワーク集会で、あちらこちらで言われた事。

1)「きときとさんに会いましたよ」
2)「伝える極意、拝見していますよ」
3)「先生、いい声していますね」
4)「お久しぶりです」
5)「あれ? おひげはどうしたのですか?」

1)教え子のきときと君が、あちらこちらの研究会に参加していて、そこで彼女にご指導をしてくださった先生たちが、私に話してくれたのである。学び続ける教え子の話を聞くのは、素直にうれしいものだ。

2)本当にあちこちで言われた。「DVDに落として保存してあります!」「サインして下さい!」。うーん、NHK教育テレビ恐るべしである。後1本の収録があるが、さらに心してやらねばなあ。

3)たぶん、疲れであろう。疲れているので、声を張り上げずに体の響きで声を出そうとしていたので、却っていい声と聞こえたのかもしれない。災い転じて福となすである。

4)10年ぐらい前に研究会で一緒だった方などからも、多く声をかけていただいた。みんな同じように年を取っているので、安心したf(^^;。

5)もう、3年以上ひげを蓄えていないのだが、嘗ての印象が相当あるのだろうなあと思った。

午後は、お笑い教育講座と北川達夫さんの講演。

お笑い教育講座は、お笑い教育連盟の4人の重鎮が一人15分と言う時間の設定で模擬授業を行うというきわめて贅沢な内容であった。特に、土作先生、赤坂先生はこの一週間日本を飛び回っていると言うのに、あのエネルギーは何だと思わせる内容であった。

ただ、ひょっとすると会場にいた若い先生や、学生のみなさんには、只すごいというだけで終わってしまったかもしれないなと思った。ここでは何を目的にしてどういうことが行われていたのかという振り返りや解説が、最後にあれば良かったのではないかとも思った。

北川さんの内容は「明日の教室」でお話しいただいた事とほとんど同じ。私にとってはラッキー。このいい内容を一回で理解しきれるとは思っていない。繰り返し聞く事で理解が深まると思っていたからだ。ただ決定的に違うのは、明日の教室でしていただいた、教材づくりのワークがなかった事。限られた時間では、あのワークは出来なかったのだと思う。

理論を具体的な授業のレベルにまで落とし込むことを、授業づくりネットワークの講座で私は心がけている。そういう研究団体だと思っている。あと30分時間があればなあと思った。

同じ講義を二回聞いて、理解が深まったところもあれば、よくわかっていなかったところの発見もありで、あと一回は聞きたいなあと思う私であった。

大会後、宿泊をしようかどうかと悩んだが、仙台駅で食事をしてもなんとか大津まで新幹線の乗り継ぎで帰れる事が分かったので、帰る事に決定。東北福祉大学前駅で新幹線の指定をすると、
「あ〜、あと3枚でしたね」
と言われる。

なんとラッキーな事よ。ラッキー池田である。

仙台駅前では、NAKOP先生にご案内いただいて、牛舌の美味しいお店に行く。北川さん、赤坂さんとも一緒。ゆでタン、牛タンの刺身、スモーク牛タンなどを楽しみつつビールと、食事。新幹線が出るまでの一時間であったが、堪能させていただきました。ありがとうございました。

新幹線の中では、ブログを書き続ける。新幹線に乗る前に、おつまみと仙台の地酒を買ったのだが、それに手もつけずに、ただひたすら書き続けた。実にいろいろな事のあった一週間であった。書くとは、自らの歴史を綴る事であるとユネスコの学習権宣言では述べられているが、なるほどそうだなあと改めて思う。

新横浜駅に着く時ちょっと空を見上げたら、月だ。月齢で言えば12ぐらいの月だ。芭蕉の連句集、俳諧七部集の内の一つである『猿蓑』にある

「市中は物の匂いや夏の月」凡兆

なんて句をちょっと思い出す。

そして、
(朝の6:36に神田を出て仙台。そして、夜の22:51には、京都を出て大津京に向かうか)
と思う。なんて移動距離なのだと思う。芭蕉の『奥の細道』の移動距離を一日でやってしまったかのような感じだなあ。

私の2008年の夏、前半はおかげさまで充実して過ぎようとしている。北京オリンピックや野球の甲子園などで世間は盛り上がっているのだろうが、私にはそれはほとんど関係のないこととなっている。

北京オリンピックや野球の甲子園より、面白くて大切な事が私の周りにたくさんあると言う事でもあろう。これは、実にありがたいことである。

さ、久しぶりに会う娘はお父さんの事を覚えているかなf(^^;。

2008/08/13

8/11 三日目 人間的成長

8/11

ジャッジは9時に集合。スタッフは8時半に集合だから、ありがたい。

今晩は今日までとは違うホテルに泊まるので、荷物をゴロゴロ引きずりながら白山の坂道を上る。今日で今年のディベート甲子園も終わりかと思うと、切ない。

到着と同時に、本日のジャッジの分担が発表される。ディベート甲子園では、なんとか審判による判定の偏りがなくなるように、あれこれ工夫されている。それは、

1)ジャッジは、自分の所属している支部の学校の試合は、判定しない。
2)ジャッジは、一度試合を見た学校の、同じサイドの試合は、判定しない。

という基本原則がある。

この基本原則に則って、ジャッジを配置するのが試合運営委員である。1)2)の原則を元に行うのであるが、対戦している学校の勝ち進み具合によって、ジャッジができたりできなかったりするので、予定通りには行かない。だから、試合直前にならないとジャッジが最終決定しない。

この仕事を今ではディベート甲子園OBの社会人がやってくれている。しかも、エクセルのマクロで半自動化して組めるようにしてある。後生恐るべしである。

私は、中学校準決勝の主審となっていた。
この試合のどちかが勝って決勝に進出なわけで、ということはほとんど決勝の審判はない。今シーズンのディベート甲子園の最後のジャッジとなると思った。

実は、この大会で主審ジャッジを務めることになったら、すべての試合で言おうと大会前から決めていたことがあった。そして、今回の大会で主審を務めた時すべて言ってきた。それをこの試合では、十分な必要の下に言うことになった。

この試合の一部の質疑の部分で、コミュニケーションに関してディベートととしてよろしくないやりとりが行われた。この部分について
(きちんと言わなければなあ)
と思っていたところ、試合後一緒に判定をした多くのジャッジからも、あれは良くなかったという指摘を受けた。

私はしっかりとコメントしようと決めた。

『肯定側否定側のディベーターのみなさん、ご苦労様でした。この試合に勝ったチームが決勝に進出します。そういう意味で、ジャッジたちは君たちに強く注意をしなければならないことがあります。ジャッジは悲しい思いでいます』

とコメントを始めた。それは、細かい言葉の揚げ足取りになってしまっているような質疑が見られ、お互いを尊重して議論を通して一つの高見に上ろうとする姿が見えにくくなっていたことについてであった。

『ディベートは、相手がいなければ成立しません。相手が自分たちの議論を検証してくれる事で、その検証の結果をジャッジに伝える事で成立します。相手を直接否定する事、揚げ足を取る事で成立するものではありません。相手のおかげでディベートが成立するのだと言う事を肝に銘じるべきであります』

その後、判定の理由を述べコミュニケーション点を告げたあと、判定の前に言うと決めていたその言葉を述べた。

『私たちジャッジは、ディベートのこの論題を通して、大会の一つ一つの試合を通して、君たちが人間的成長を遂げる事を願ってジャッジをしています。勝ち負けの向こう側、いや勝ち負けの土台として、ディベートから君たちが人間的な成長を遂げることを心から願っています』

私たちは、生徒たちにディベートを通して、まさにこの人間的な成長を期待しているのである。ディベートは勝ったり負けたりする。それは、ディベートがゲームである限り当然である。しかし、これはプロの仕事とは違う。教育の文脈で行っている活動である。だから、人間的な成長を求めているのである。それをしつこく生徒に伝えようと思い、今年はこの言葉をすべての試合で言おうと思ったのだ。

(あ、また池田ジャッジは同じ事を言っている)

と思われる事が大事だと思ったのだ。そのぐらい記憶に残るぐらい話して、ちょうどいいのではないかと思ったのだ。

試合後、会場で見ていた多くのジャッジに声をかけていただいた。

「池田さん、ありがとう。よくあれだけキチンと言ってくださった。全く同感です」

言って良かった。試合を判定するジャッジも、試合を見ていたジャッジも、ジャッジの思いはみな同じだ。

中学校の決勝があり、高校のベスト6に進出して決勝に出られなかった学校によって行われた即興ディベートがあり、高校の決勝がありと大会最終日は、切なく愛しい時間が過ぎて行った。

ここに至るまでのディベーター、チームの仲間の準備、顧問の先生の指導、親ごさんたちの協力などなどを考えると、実に気の遠くなるような時間と内容を容易に想像することができる。その一つのゴールがここである。さまざまな思いがここに凝縮されている。これが一つずつ終わる。愛しく切ない時間であった。

試合後、歌人で元東洋大学の学長先生が、若者の感性と言葉に関する講演をしてくださった。これが良かった。東洋大学では20年前から若者の百人一首を決めている。毎年百首決めるのだが、今は6万通もの応募があるとのこと。その歌集の20年分の短歌から選りすぐりの歌について、解説をしてくださったのだ。

私も10年ぐらい前に、この歌集の存在は知っていていくつかの作品は読んでいたのだが、こうして主催している大学で、和歌の専門家の先生に解説を受けることができるとは思わなかった。

そして、これが実にいい講演であった。淡々と作品を紹介し、
「この作品は、ここを味わいたいと思います」
「この作品に、○○を読み取りたいと思います」
「ということで、この作品は三重丸なのであります」
とコメントを入れて行かれるのだが、作品の良さと相俟ってなんとも胸に響いてくる。

講演の後、イクトスさんと話したのだが、
「よかったよねえ」
と話しつつ、お互いに泣いてしまった事を暴露し合った。ああ、おじさんになっているなあ。同級生はいいわf(^^;。

その先生が質問に答える形で示されていた、いい短歌の作品を作る方法である。

1)一つの気に入った歌集を暗記するまで読み込む。
2)一つでも多くの作品を作る。
3)作った作品は、5年以上作品を作っている先達に批評を受ける。

うーん、多くの物に当てはまるなあと思う。ディベートだってその通りだ。いやあ、実にいいお話であった。

お話の後、高校の部の決勝の講評と判定があった。岳南亭さんだ。大役を見事に務められていた。その後に表彰式や個人賞の発表、主催者からの挨拶、理事会、会場の片付けなどなどが続き、大会は幕を閉じて行くのであった。

理事の退任や新しい理事の専任などスタッフの交代もあった。私も一つの役職を引き受けることになりそうだ。ディベート甲子園、また、来年だ。

私は今日の宿の神田に荷物を置きに行くために、一足先に大学を後にした。

「人間的な成長」についてもう少し語っておきたい。大会終了後のお疲れさまの会でスタッフに話した事だ。

私がこの大会ですべての試合で言う事を決めていたという話をした後に、なんで「人間的な成長」なのかといことについても話をした。

ディベート甲子園は、今年で13回目を向かえた。そのスタート前のことである。私たちには田畑寿一という仲間がいた。神奈川の中学校の社会科の教師で、ディベートがまだストックイッシュー方式を採用していたときに、反駁で議論を噛み合わせるための工夫として「反駁シート」というものを開発した仲間である。

その彼は、これからいよいよディベート甲子園が始まるという直前に、急逝された。私たちは我が耳を疑いながら、告別式に駆けつけた。田畑先生が担任をされていた生徒たちは泣き崩れ、それはとても悲しい時間であった。

その後、クリスチャンであった彼の人となりを教会の司祭が語られた。

「田畑先生は、お祈りのときにいつも三つの事を祈っていらっしゃいました。家族の健康、世界の平和。そして、生徒たちの人間的な成長です」

私は、この言葉を強く心に刻んだのだった。

ディベート甲子園が勝利至上主義のような傾向が見られるようになっていくのを、私たちジャッジは悲しい思いで見ている。

そうじゃないと強く言いたい。ディベートを通して生徒たちが育つことをめざしているのだと言いたい。そのとき、強く言うための言葉を、私はこの数ヶ月探していた。そして思い出したのが、田畑さんの「生徒たちの人間的な成長」であった。

今のディベート甲子園のメンバーは、田畑先生のような方がいた事を知る由もない。しかし、彼がいなければ私たちのディベートに関する研究は進まなかったし、今日のディベート甲子園は存在しなかったであろうと私は思っている。そんな先生が大切にしていた言葉を、今のディベート甲子園に参加している生徒たちに、田畑先生の代わりに伝えることは、いまディベート甲子園に関わっているあのときからのメンバーの責任ではないかと、私は思うようになってきている。

さすがに一つ一つの試合の判定のときに、田畑先生のことを語る時間はない。だから、せめてジャッジやスタッフたちには知っておいてほしいと思い、ご苦労さまの会では言っておこうと思って、このことを語った。

(寿一さん、ごめん。13年も掛かっちまったぜ。でもやっと伝えたよ)

そんな思いだった。

大会に関わり、このご苦労様の会に参加した一人一人が、大会に関する思いを語り、このご苦労様の会に来たくても来れずに帰ったメンバーのことを語り、感謝し合って、ご苦労様の会は終わった。

大学生になったディベート甲子園OBOGたちは、少ない小遣いを捻出して遠くから会場に駆けつけてくれている。社会人になったディベート甲子園OBOGたちは、少ない夏休みをこの大会の運営に使ってくれている。

スポンサー、大会関係者、協力してくださるさまざまな方たちのおかげで、こうして今年もディベート甲子園は終わる事ができた。

また、来年だ。

8/10 初日 二日目

8/10

初日のジャッジは中学校の一試合のみだった。
さあ、始まるぞという心地よい緊張感に満ちた試合だった。
主審を務める。

試合後、各地の関係者、スタッフたちと懇親会。ビックサイトのときは、デックス東京。神田外語大学のときはニュー東京となんとなく集まる場所が決まっていたが、東洋大学に移っても水道橋の某所と、集合場所が決まりつつある。

水道橋のお店に、何となく流れて行く。そして、そこから後から合流するスタッフにも連絡する。なんだかんだ言って30人ぐらいは集まったかな。

ディベート甲子園も第十三回になれば、ディベート甲子園卒業生たちも立派に成長する。大会運営スタッフだったり、ジャッジだったりあれこれしている。

学校教育現場以外で教育活動に携わることは、それなりに負担だったりするが、こうしてここでも彼ら彼女らの成長の跡を見ることができるのは、本当にうれしい。

中には父親が私と同じ年というような大学生もいたりするので、複雑な思いもするが、やはり、うれしい。彼らがこの全国教室ディベート連盟を支えて大いに活躍することができる環境を、もう一度整備したいなと思う。

この食事の時間に電話が鳴る。
嘗ての瑞雲中学校時代の教え子からの電話だ。
進路の相談について。
『そりゃあ、やるのがいいだろ』
と前向きに進む事を話す。

実は昼間も、瑞雲中学校時代の教え子が顔を出してくれた。軽音楽部で面倒を見ていた彼は、今では東大の大学院生。みんな立派になっている。いいぞ。

だけど、もがいている卒業生がいるのも、私は知っている。風の噂でいろいろとあるのは知っている。おい、もがいている諸君。頑張れよ。

で、翌日。二日目である。
いい試合が多かった。
ではあるが、ジャッジの投票が割れる試合も多かった。

ジャッジが判定の規準にするポイントは一致するのだが、その評価が割れるのである。これは、ディベーターが自分たちの議論をきちんと伝えきれていないときに起こる現象である。

後一押しが、どちらのチームにもないため、ジャッジが割れるのである。丁寧な議論が大事なわけである。

この場合、丁寧な議論と言うのはディベートの場合、伝えようとして伝わらなかった場合、
(あのジャッジのやろう、言っているのになんでわからないんだ?)
とジャッジのせいにすることはできない。ディベートではジャッジに議論が伝わらない場合、ディベーターに伝える力がなかったからという立場を取る。一見非道な考え方だが、この考え方があるためディベートは伝える技術を磨くことができるとも言えるのである。

一度ホテルに戻る。今回のホテルは結構居心地が良い。駅に近くて都会のど真ん中、各国大使館の間にあって静かだ。

ホテルの窓をたたくような音。どこかで花火だなあ。ネットで検索したら、今日は東京湾の花火大会だ。いいねえ、日本の夏。

その後、再び出かけて行って食事。
さあ、明日は最終日だ。

8/9 今日からディベート甲子園

8/9

Asayake

五時前に目が覚める。リビングの窓を開けて風を部屋に入れる。外は朝焼けだ。昨日の花火とはまた別の美しさである。

今日からディベート甲子園である。

大学に移った事で、直接授業外で、学生を指導するという場面はかなり減った。というか、日本の教師は何でもかんでも指導をまかされているので、多すぎたのかもしれないが。いまは、授業に関わる指導がほとんどで、掃除や給食の指導なんてのはない。ゆとりがある。

もちろん、合唱コンクールや体育大会の指導がないというのは、大変さがない分楽ではあるが、しかし、ちょっと寂しいと言えば寂しいかなあ。ディベート甲子園に向けて自分のチームを持っていないというのも、同じだなあ。

時間と言うのは、実に相対的なものだから、忙しいときはどんどん過ぎ去って行く。(あと一週間あれば、いやあと一日にあればもう少しいい議論を確定することができるのに)
と胃をキリキリ痛めながら指導に勤しんでいた時間は、あっという間に過ぎて行っていた。ディベート甲子園前の顧問である私は、夏休みなんて言葉は、どこかに言ってしまうほどのものであった。

全国大会の会場に入り、自分のチームがどこの学校と対戦するブロックに入ったのかを確認し、まだ一つも勝敗表に結果が書き込まれていない姿を見て、
(うしゃあ!)
と気合いを入れていたあの時間。
(ああ、この三日間で、これまでの今シーズンの指導のほとんどが終わるんだなあ)
と開会式が始まる前から変な感動をしたりしていたものだ。

N700系に飛び乗り、品川を目指す。そこから白山にある東洋大学に向かう。
今年も、いいゲームに出会えますように。生徒の人間的成長に繋がるようなディベートが行われますように。

2008/08/10

2008琵琶湖花火大会

8/8

バスタブに熱湯を半分貯めて寝たおかげで、喉の調子は悪くない。今回はさらに気を遣って、枕元にコップを置いてそこに熱湯を入れたり、濡れたタオルを近くに置いたりもした。喉の調子が辛いままでの講座は、やる方も聞く方も辛い。

赤塚不二夫さんがなくなった。その告別式が昨日行われた。タモリさんの弔辞が気になった。早速 you tube で検索し、テキストをニュースで求める。

朝から泣いちまったぜ。
最後の部分を引用する。

引用開始 ーーーーーーーーーー

 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。

 赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。
 
 平成20年8月7日、森田一義

引用終了 ーーーーーーーーーー

「私もあなたの数多くの作品の1つです。」

こんな人間関係を作れる人が、いまどのぐらいいるのであろうか。完全なる信頼と尊敬をこのようなことばで表せる人が、どのぐらいいるのであろうか。ひょっとしたらライターがいるのかもしれない。しかし、それでもいい。私はことばの力を改めて実感した。

朝から泣いちまったぜ。

食事をして講座の会場に向かう。会場でゆっくりしていたら、受講される方がもう教室に集まっているとの事。あわてて向かう。おかしいなあ。どうやら事務局が私への時間をちょっと間違えたようであった。

講座開始30分前に到着していて良かった。本当は、この最後の30分でもう一度講座の流れを確認し、講座の入り方をシミュレーションするのだが、これは会場の教室に向かう廊下で行う事にはなったが。

講座には、見慣れた顔が。
なんで? 北海道から受講しにきているとは。すごいなあ。
ウイークリーマンションを借りて、東京で研修三昧だそうだ。

研修そのものは、少人数でたっぷりと行う。少人数なので、普段話す事のない小さなエピソードまで話すことができた。

昼ご飯を食べていたら、あちらこちらから最近の教育事情を話し合っている声が聞こえて来た。まるでアヴァンティの教授のように思わず聞き耳を立ててしまう。
(へ〜、やっぱりそうなの)
と心の中で大きくうなずいたり驚いたりしながら、食事を頂く。

午後は、筑波大学付属小学校の白石範孝先生の講演。講座の導入の部分で、地震が発生。だが、ま、そこは地震になれている関東人。しばらく様子見つつ、何事もなかったかのように過ごす。

今回の講座は、読解力にかする内容だ。感覚で読むのではなく、原理原則を指導して読む力を育てようという提案。

原理原則を提案されることは、非常に大事な事だと思う。しかし、例として出された漢字の書き順について、私にはちょっと理解しにくいところもあったのは事実。原理原則は難しい。

他にも
(あ、これはあの団体のこの部分ね)
と分かる人が聞くと分かるの部分もあるが、丁寧にまとめられていて、講座の時間として設定されている一時間で伝えるとすれば、これ以上でもこれ以下でもないきれいなまとめだったなあと思う。

小学校の実践例をあれこれ勉強している最中の私にとっては、また別の意味でも面白かった。いい一時間であった。

講座修了と同時に会場を後にする。
さ、2008琵琶湖花火大会だ。

京都駅は恐ろしいことになっていた。
今風に言えば、「おそろー」であろうか。
琵琶湖花火大会に向かう人たちで溢れ返っていた。

多くの観客は、メイン会場である大津、浜大津方面を目指す。それは琵琶湖線。私の住まいは湖西線にある。ので、京都駅は混んでいても湖西線はそんなに混んでなかった。ところが、山科駅では超満員となる。乗れない人まで出てくるのである。年に一回ね。

大津京駅で招待客と待ち合わせて、家に向かう。大津京駅駅前は、この日ばかりは渋谷のようである。

自宅で花火を見る。聖蹟桜ヶ丘でこの快楽を味わってしまってから、もうやめられなくなってしまった。眼下には数万人たちがいるのであろう。人ごみの中で見る花火も、花火の味わい方の一つである。しかし、自宅花火やホテル花火を経験すると、もう元に戻れないf(^^;。暑くなったらクーラーのある部屋から見る。トイレに行きたくなったら、すぐにトイレに向かう。もう、戻れない。

自宅花火鑑賞会で大事な事は、花火が始まる前にきちんと食事を済ませておく事である。最初の頃は、食べながら見よう、飲みながら見ようなんて思っていたが、それが無理なことはだんだん分かってきた。

花火が打ち上がると、もう食事なんてしていられない。飲み物を次に行く時間すら勿体ない。打ち上がるたびに阿鼻叫喚である。

去年の琵琶湖花火大会は、奥さんがもう既に里帰りをしており、奥さんもこの家から見る花火大会は初めて。娘も当然だが、初めて。花火が上がっても全然泣かないで、手を伸ばして掴まえようとしている。これは大物だ。お客さんたちにだっこされても全然泣かない。

この年に一回の花火を見ると、長生きしようと思う。一回でも多くこの花火を家族や仲間たちと見たいと思う。

2008hanabi

花火大会の後は、なぜかwii大会になる。
これはこれで面白い。

ひとしきり遊んだ後、お開き。
娘は興奮してなかなか寝付かなかったが、楽しい時間を過ごせたようだ。

さ、明日はまた東京。
ここから四泊のツアーが始まる。

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