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2008/10/18

スピーチの評価

授業の準備をしながら過ごす午前中である。
今日の京都は26度まで気温が上がるとか。
今年の紅葉はいつ頃ピークになるのであろうか。

休憩がてら、久しぶりにガーデンに散歩。娘を抱っこして見たがちょっと重たくなったなあ。

ガーデンの中は当たり前だが車はいない。だから、歩かせても大丈夫。農薬も使っていないので転がっても大丈夫。なんか最近娘はよく寝転がって遊ぶのだ。

コスモスが咲き、秋のバラが咲いているガーデンは、人もいなくて貸し切り状態であった。思ったより強い日差しに帽子をかぶらせようとすると嫌がる。そこで、木陰のベンチを選び、のんびり。

時々歩かせると、私が思っている方向とは全く別のところに行ってしまう。自分の興味のあるところに向かってどんどん歩いて行ってしまう。親が見えなくなると泣き出すってことはないのかね、君は。

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昼過ぎから大学へ。授業の準備を進める。
今日の国語科教育法は、スピーチである。正確に言うと、スピーチを評価する練習である。

スピーチそのものは生徒の時代にもやってきているであろうが、教師になればそのスピーチを評価しなければならない。音声言語の指導の中で難しいのはこの評価の部分である。

今日のスピーチは、『うめ版』を模した作品を作って、その紹介のスピーチとする。
評価をする諸君は、評価規準を設定し、3段階の評価基準で評価する。大体からして評価規準の設定が難しくて分からない。これは予測済み。でも、いままでに受けてきた授業を元に、取りあえずそれを行う。

スピーチに関しては、私も一緒に聞いて評価を下す。というか、悪いところの指摘をする。自分の話している声を録音して聞くと言う経験をしている大学生はどのぐらいいるのであろうか。私は歌を歌っていて、音痴を直したので高校時代にかなり自分の声を自分で聞いたが、それは稀なケースであろう。自分でも気づかない癖、気づいていても直せていない癖などを指摘する。

私が気になるのは、歩くときの音である。踵を引きずって歩く音が教室に響くのである。教室を歩くときの音があんなんでは、子どもたちの思考の邪魔となる。

歩き方にはその人の、日頃の生活が出るということを昔聞いたことがあるが、本当である。京都にはなんちゃって舞妓になれるところがたくさんある。舞妓さんの化粧をして着物を着て京都の待ちを歩けるのである。一見本物のように見えるが、もう、歩き方で偽物がバレバレなのである。あんながに股で踵を引きずって歩かないって。

その他にも、口癖や話し方の癖などを指摘する。20年間かけて身につけてきた話し方である。そう簡単に治るものではない。しかし、教師、社会人になっていこうとする三回生の諸君は、これを直さないとねえ。パブリックなところでの話し方が出来るようにならないとねえ。

来週は、「京都のお薦めのお店」というテーマでスピーチとスピーチの評価の本番のテストとなる。評価規準は、学習指導要領の資料等を渡して各自考えておくことになる。

さ、今日は関西青年塾である。

2008/10/16

普通の言葉に注意せよ

児童総合演習では、子どもの詩を読解している。

読解には、

1)テキスト論的な読解
2)作家論的な読解
3)読者論的な読解

の三種類がある。
子どもの詩を読み開くためには、1)を踏まえて2)で取り組む視点が大事であると考えている。

今日扱ったのは、『心ってこんなに動くんだ』(西條昭男 新日本出版)にある詩。

引用開始 ーーーーーーーーーー

ランドセル
            さおり

おともだちと学校へいくときに、
あるくのが とても はやかったから、
わたしは はしった。
ランドセルは きにしない、きにしない、
おもくても。

引用終了 ーーーーーーーーーー

この作品をゼミで読んで行った。

             ◆

子どもは、感情や考えは大人と同じにできるが、言葉を知らないため大人の言葉で伝えきれないことがある。逆に言えば、普通の言葉の中に大きな考えや意味を持っていることがる。

さらにめんどくさいのは、「お前なんか嫌いだ」と言う言葉は「お前が大好きだ」という意味を表していることがある。

指導にはいろいろな形があるが、子どもを理解することから始める指導の場合、きちんと理解することが、指導のストライクゾーンを確定することになるので、大事だ。

             ◆

学生たちに指導したのは、

・普通の言葉に注意せよ

である。
ゼミの中では、倒置法、反復法、対比などの修辞法が使われていることに気がついて行くのだが、その他にも句読点の打ち方や隠喩、シンボルなどの話にも進んで行く。

『なぜその表現方法を子どもが使ったのかを考えることで、子どもが抱えている思いや考えを手に入れるヒントを教師は手にすることができるのではないだろうか』
ということを、話した。

             ◆

かつて私は、恩師の竹内常一先生に質問したことがある。

『先生は、どうしてそんなに文章を読めるのですか』

質問する私は相当失礼である。
先生なんだから読めて当たり前なのであるが、謎だったので伺った。

「文章には作品の裏側に入って行く扉があるんだよ」
『その扉があるのはなんとなく分かるのですが、どこにあるのかを、先生はどうやって発見するのですか』

簡単に引き下がらないのは、私である。

「同化と異化だな」
『だからそんなに難しい言葉ではなくて』
「ま、簡単に言うと、君たちと一緒に読んだからだよ」
『?』

結局なんのことだかよく分からないまま、会話が終わったと言う記憶があるが、今は先生の仰った「ま、簡単に言うと、君たちと一緒に読んだからだよ」というのが分かり始めている。

             ◆

授業の後、このゼミの担当教員と話すことがあった。そしたら、意図したわけではないが他の2つのクラスも、今日扱う予定の範囲のいくつかの詩の中から、この詩を採用してゼミを行っていたそうだ。

「やっぱりこの詩になってしまいますよね」
と教員同士で笑ってしまった。

ゼミは、あれこれ面白い。

2008/10/15

頭の疲れを心地よく解して

キャリア開発演習では、小論文の書き方。書き方であるので、まだ書かない。書き方を教えている。少しずつワークを入れながら小論文を書くとは何かということを教えている。

今日は、非連続テキスト(図やグラフ)から情報を取り出して、小論文で求められている問いに高めると言う作業を行った。

1)問いが見えなければ、何を答えて良いか分からない。
2)答えるべき内容は、求められている条件にあっているか。
3)答えようとしている内容は、根拠を伴っているか。

学生たちに論証させつつ、私は上記の観点で検証を行う。小論文や論文はこの作業を一人の頭の中でやらなければならないのであるが、これが初学者には難しい。そこで、検証の部分を私が受け持つ。また、少人数なので発表者以外の学生たちの検証も加わる。

検証の作業をしてみると、学生たちにも穴がぼこぼこあいているのが見えてくる。しかし、その穴が見えたところで簡単に埋めることは出来ない。埋めるべき資料、考え方、歴史的事実などについての圧倒的な知識が足りないのである。だから、日頃の基礎的な勉強が必要になるのである。

ここが出来ているかどうかをも、小論文では問われているのである。

さ、来週は非連続テキストの読解その2である。

             ◆

会議資料を作成し、会議を行い、自宅に向かう。

車の中では大江戸ウインドオーケストラの「ルパン三世のテーマ」を大音量で聞きながら帰ってくる。なぜか、「タイガー&ドラゴン」の最終回の虎の落語のシーンが思い出される。切ないなあ。

バイパスから琵琶湖を眺める。満月が上っている。琵琶湖の表面は銀の輝き。
(これは満月を肴にいっぱいやらねば)
と肴を求めてさらに車を走らせる。
生ガキを得る。

夕食は、スダチをきゅっと絞った白菜とエビしんじょうの煮物。大根と油揚げの鰹節煮。どちらもお腹に優しい。これに生ガキと日本酒である。

今日の日本酒は期待の一本である。東京の私の行きつけの酒屋さんに立ち寄った際に、お薦めを聞いてみた。高くておいしいお酒は当たり前である。私は、安くておいしいお酒を求めている。いままでここで出会ったお酒は数限りない。「美田鶴」「醸し人九平次」「獺祭」などきりがない。

そのご主人からのお薦めは、「鼎」である。純米吟醸の生酒だ。
栓をあけて、お銚子に写してお猪口に注ぐ。
ああ、いい香りだ。
ああ、私の好きな味だ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

逸題  

井伏鱒二

けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

春さん 蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿

ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われら先ず腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ

けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

引用終了 ーーーーーーーーーー

ひんやりとした夜にはなっていない滋賀の今日の夜には、熱燗よりも冷やの生酒がまだいいなあ。

生ガキにぴったりである。
一合だけ、じっくりと味わう。

             ◆

頭の疲れを心地よく解して、寝るのであった。

大学祭のお知らせ「たちばなちびっ子ランド」10/26

大学祭のお知らせ「たちばなちびっ子ランド」

京都橘大学文学部児童教育学科では、10/26の大学祭において10:00~15:00で「たちばなちびっ子ランド」を開催します。

これは、本学の児童教育学科の学生たちが、地元の幼稚園、保育園、小学校との日頃の交流と大学での学びを踏まえて、さまざまな催しものを開きます。

入場と体験はすべて無料です。
ぜひ、お越し下さい。

会場は、京都橘大学児優館となります。
アクセス方法は、以下にあります。

http://www.tachibana-u.ac.jp/official/information/access.html

下記のポスターは、本学の児童教育学科の学生、西浦くんのオリジナル作品です。

08

これを日本語では試行錯誤と言う

夕方になって鼻水が出てきた。授業の後始末と明日の準備が終わったので、草々に帰ろうとした。ところがそこに、

「トントン」
ノックの音である。
『はい、どうぞ』

ドアの向こうには他学科の三回生の学生である。授業の欠席届けを持ってきたのである。ちょっと顔を見ると気のせいか追いつめられているような表情。なんとなく話をしていたら、進路についてあれこれ相談を受けてしまった。

『人生には一般解がない。だから、一歩を踏み出すときはとても不安である。この選択は失敗かもしれないと思う。しかし、それは仕方のないこと。それが生きていると言うことの証である。親御さんがあたたかく大事に失敗のないようにと見守ってくれた今までの人生から、自分の足で踏み出そうとしている時期なのだろう。

いま悩んでいるようだが、悩んでも仕方がない。考えて答えを出して行動するべきである。そうすれば、何らかの結果が出る。その結果に基づいてまた考えて、行動する。これを日本語では試行錯誤と言う。三ヶ月もやれば一つの何らかの結果出るだろう』

などと話す。あれこれ1時間弱相談に乗ったかなあ。何かの役に立てば幸いである。鼻をかみ直して帰る。

             ◆

家に帰ると、東京で仕入れておいた日本酒が届いていた。クール宅急便でどーんと送ってもらった。だが、今日はぐっと堪えて飲まない。せっかくのいいお酒である。体調を整えて味わわないと、お酒にも体にも申し訳ない。治ったら楽しむことにする。

甘鯛の塩焼きに漬け物とみそ汁。そして白いご飯。
ああ、体がシンプルな食事を求めている。

             ◆

それにつけても、娘が可愛い。

歩いていると後をついてくる。気がつくとくるくる回っている。手を叩いてジョーズジョーズとやる。自分の食べたい物を指差して、それが理解されると思い切り笑顔になる。その上、スプーンで自分でご飯を食べる。、持ち方はいつの間にか第二段階になっている。

歩き始めてまだ一ヶ月と二週間ぐらいなのになあ。

             ◆

お酒の代わりに、デザートのゼリーを食す。
ああ、喉に気持ちがいい。

2008/10/14

90分の授業時間の1/3が消えてしまう

2限は「学級担任論」。シラバスでは、学級レクリエーションとなるのだが、なかなか進まない。というのには理由がある。最大の理由は、学生たちの質問が面白いということである。この質問に答えていると、90分の授業時間の1/3が消えてしまうのである。

私の授業は基本的には、授業後に授業の感想文をネットの掲示板にあげるように指示してある。そして、その質問の中で答えられるものがあれば、学生同士で答えを考え合う。その答えについて、あまりにも方向が違うところに議論が進んだり、他の視点を提示した方がいいと言う場合には、その掲示板に私も書き込む。

そして、この問題は全体で取り上げた方がいいなと判断されるものは、授業の冒頭で話題にして説明をしたり、議論をしたりしている。この冒頭の部分が30分なのである。

             ◆

授業が終わると、私は研究室で学生たちの出欠席の確認と課題の確認を行う。この授業では、前の週に習ったことやその時期の話題に応じて、学級通信を書かせることにしている。

先週の課題のお題【「本を読もう」ということを小学生に勧める学級通信を書く】というものである。これをA4一枚で縦書き二段構成で書くのである。この課題を80人分チェックコメントを入れて、いい作品を教室に掲示するということをしている。

まだあったこともない子どもたちを想定して書くと言うのはなかなか難しいものがあるが、学生たちは一回生のときから地域の小学校を中心としてボランティアに参加している。実際の今の小学生を見ている。それを元に書かせている。

いい作品は、「ひっつき虫」を使って大学の教室に掲示している。ひっつき虫は便利だなあ。

             ◆

この授業は、担任の仕事を通して、教育とは何か、クラスを作るとは何かを考えさせるワークを多く用意している。学生たちは教育の技術を理解すれば授業や学級づくりが出来ると思っているところがある。しかし、それは間違いであり哲学や願い、人間的な魅力などなどが必要なのは、ちょっと教師をやれば大体理解することである。だから学生時代に、その間違いに具体的に気がつくためには、このような作業が必要だと今の私は考えている。

例えば「本を読もう」という学級通信を書かせてみても、実際に自分が読んでいない(であろう)学生の書いたものは、「読め」と言う命令か説教となっていることが多い。そして、実際に読んでいる学生の書いているものは、自分が出会った本の魅力や感動を担任のことばとして語っている。また、子どもたちに紹介する本が具体的に出てくるのである。

             ◆

授業後、今日の授業を欠席してしまった学生が、欠席届を持って研究室にやってきた。
「先生、学級通信の書き方が分かりません。何から書いたらいいのでしょうか。どう書いたらいいのでしょうか」
『だからね、そういう時期だと思ってここにプリントを用意しておいたのだよ』
と石川晋先生の書かれた学級通信に関してのまとめのプリントを本人に渡す。
『これは、今日の授業中に配布してあるのだよ。よく読んで勉強するように』

             ◆

具体的に、担任の仕事を説明しつつ、担任の側から子どもや学校を見たらどのように見えるのかを考えさせてみたい、教えて行きたい。

いい週末だった

10/10

大学に移って二年半。やっと4時とかに起きる習慣が無くなってきた。それでも今日も6時前に目が覚める。もう少し寝ていようと言う思いもあるが、なんだかんだで起きてしまう。

昼寝をしようと思うのだが、いったん動き出すと休憩の取れない職場に長くいたものだから、これもなかなかできないでいる。昼の15分でも寝られるとずいぶん快適なのだと思うが。

週末は、東京に戻る。大学院時代にお世話になった大熊徹先生が還暦を迎えられて、門下生でお祝いをするのである。私は二年間の予定で大学院に行ったが、先生のご指導のお陰で一年間で大学院を修了することができた。浪人留年しているのに、なぜか大学院だけは飛び級なのである。

そのたった一年であるが、先生からは研究とは何か。人を育てるとはどういうことなのかということをさまざまな角度から学ばせて頂いた。大学院は正統的周辺参加的な学びが残るところで、直接あれこれしなさいと言うことはほとんどない。先生はいつも提案の形で、私に指示を下さった。

後から考えてみれば、大学人としての生き方も指導してくださっていたのかもしれないと思うことがある。その頃の私は、大学教員の「大」の字もなかったのではあるが、こうして大学のゼミ、大学の授業は進めて行くのだと言うことをそれとなく示してくれていたのだと思う。実にありがたいことである。

恩師は、離れてみてそのありがたさが、さらに分かる。

多くの門下生が集まることであるから、少ししかお話をする時間はないと思うが、久しぶりに先生のお顔を拝することができるのを楽しみにしたい。

 

          ■□■

10/11

ということで、東京にいる。
新幹線はN700系であった。実に揺れないので快適に座っていたらそのまま寝てしまった。やっぱり疲れているんだなあ。

本を読んだり、寝転がったりしながら奥さんの実家で過ごす。
ほぼ一週間ぶりに会う娘は、ちょっと照れながらもお父さんと会えたのを嬉しそうにしてくれる。これで元気を貰って治るかな。コホコホ。
家族と離れて風邪と闘いながらの授業は、ちょっと大変だったなあ。

コホコホとしていると、娘はまねをする。そして、喜んでいる。洗濯物を干していると干そうとしているものを籠の中から出して広げている。本人はお手伝いをしているつもりだろうが、却って手間がかかる。しかし、そうやって大きくなって行くのだろうなあと思う。

昼過ぎから私の実家へ。ちょっと娘の風邪が抜けきれていないので、土日救急指定病院が近くにある奥さんの実家に泊まることにして、今日は昼ご飯を一緒に食べて、あれこれしながら過ごすことにする。

娘は、最初のうちは恥ずかしがって動かずにじっとしているが、慣れればもう大丈夫。卵ボーロをおじいちゃんから貰って喜んでいる。餌付けされている状態である。

私は自分の実家でも寝ている状態。明日に備えなければ。

          ■□■

10/12

寒い。
朝6時過ぎに目が覚めたのであるが、寒い。いきなり秋が深まった感じである。たしかに今日は十月の半ばである。あと二ヶ月半で今年も終わりなのである。

午後から新宿に向かう。ヨドバシカメラであれこれ買い物をして、住友ビルに向かう。この最上階が大熊先生の還暦の会の会場である。17:30からのスタートであるが下働きでもしようと思い17:00ちょっと前に到着する。しかし、現役院生などが準備をしているので、私は邪魔にならないように会場で座って待つ。

久しぶりに会う当時の研究室仲間とあれこれ話す。5年前というのがちょっと信じられないくらいである。私にとってのこの5年は、それこそジェットコースターに乗っているような感じがするような5年であった。しかも、後ろ向きのジェットコースターに乗っているような感じである。

その5年があったことで私も少しは人間的に成長できたと思うのであるが、そのきっかけを下さったのが大熊先生なのである。

お祝いの会は、元ゼミ生、元学生などからのお祝いのことば。私は元ゼミ生のところでスピーチを突然頼まれた。他の人たちは、事前に頼まれていた。元ゼミの方でどなたか参加の予定の方が急遽来られなくなったのかもしれない。

私は、全体の一人目なので、端的にまとめなおかつ、お祝いらしい雰囲気を作らなければならない。最初がだらだらと長い話になると、後の人たちも(を、長くていいのね)と思ってしまうので、トップバッターになるときは短くすることを心がけている。

何をお伝えしようかと考えたが、やっぱり先生が提案の形で研究の方向を示してくださることについてを話すことにした。参加されたみなさんも多いにうなずいてくれていた。

二次会では途中で先生が私の隣に座ってきてくださった。そして、またあれこれと話す。ありがたいことである。

大学の授業のこと、研究のこと、これからのことなどをあれこれお話ししてくださる。大学人として行きていくということはどういうことなのかを、改めて考えた。

奥様とも話すことができた。年賀状での和装がすてきで、大熊先生を支えている奥様だなあと、いつかお話が出来ればと思っていた。

風邪が治らないままで出かけて行ったが、本当に良かった。また、先生からご指導を受けたいなあと思う。
          

          ■□■

10/13

昨日の名残で、午前中はゆったり。
娘を抱えて近くを散歩。
すぐに外に出られるので、一戸建ては便利だなあと思う。

通り過ぎる人、車に丁寧にバイバイをする娘。
律儀である。
手を振りかえしてくれる人もいる。ありがとうございます。

午後から滋賀に戻ることにする。
三連休の最終日と言うことで、少しは思っていたがやはり混雑。
新宿駅で新幹線の予約を取ろうとすると、二時間空席がないとのこと。

待つかどうか考えたが、東京駅から乗るならば一日本待てば自由席も座れるだろうと思い、そちらにする。東京駅では30分後の新幹線がやっと座れるかどうかのあたりに並ぶ。

この場合、2号車に並ぶのが正しいと私は考えている。1号車は運転席のある関係上、座席が少ない。3号車はN700系であれば、禁煙車両であるが喫煙室があるので匂いが流れてくることがある。2号車であれば、座席数はあるし、タバコの匂いもない。結果的に二人掛けの席をゲット。大正解であった。なんとなく名著『大東京貧乏生活マニュアル』を思い出す。

娘は新幹線に揺られて寝るかと思いきやご機嫌なまま、寝ない。叫ぶこともなく私と奥さんの間を行ったり来たりしながら、京都駅まで。いい子でありました。

自宅には7時過ぎに到着。
明日の授業の準備の準備をして、寝た。
いい週末だった。

次は、同窓会の出席のための上京だな。

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