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2008/10/25

本日大学祭初日

本日大学祭初日。
学生たちからいろいろとお誘いを受けている。
「先生、◎◎に来てくださいね」
と。

だが、大変申し訳ないが午前中は体を休めていた。
10/4に引いた風邪があと少しで抜けるところまで来ていて、これをこのタイミングで追い出さないと来週も復活させて引きずることになることになってしまうと思ったからだ。

少し、体を横にするつもりが1時過ぎまでぐっすりとなってしまった。実は先週あるものが我が家に届いてたのである。それはハンモックである。ハンモックスタンドと一緒に購入したのであるが、先週は雨続きで家の中でしか楽しめなかった。今日は薄曇りの晴れ。風も心地よい。そこでベランダに持ち出してゴロリとなったのだが、なんと心地よいこと。

自分の体重全体をネットが受け止め、そしてその下を風が通り抜けて行く。それでいて空に浮いているような、水に浮いているような感覚。これはハンモックならではの寝心地である。風邪も私の体を通り抜けて行ってほしいものである。

この私が体を横たえている時間帯に、私が顧問をしている「京都子ども守り隊 守るんじゃー」の代表の諸君は東京に向かう新幹線にいた。

全国の安全を守る団体の中から5団体が推薦されて、オリンピックセンターで発表するのだがそれに選ばれて東京に向かっているのだ。「防犯ボランティアフォーラム2008」というものである。学生4人と地域の方1人。そして、現地で京都府警のみなさんと合流である。

立派に発表をしてくれているだろう。
今日の最終新幹線で京都に戻り、明日大学祭の二日目に参加である。
学生たちも忙しいものだ。

午後から大学へ。いくつかの仕事を研究室でしようと思っていたのだが、さすがに大学祭の音量とさらに明日への準備をしている学生たちの賑やかさに、なかなか重たい仕事はできない。

私のディベート仲間のU先生は、大学の学祭で学生たちと一緒にバンドを作って出演すること10年と言うが、凄いなあと思う。こちらは最近カラオケにも行っていない。ギターの弦も張り替えていないなあ。

前期、後期と担当しているゼミクラスの出し物を見に、学内をぶらりと歩く。出店の会場は抽選で決まるため、その場所の運不運で売れたり売れなかったりもする。いくつか買ってちょっと助ける。

研究室に戻り、いつもよりちょっと音量を上げて音楽を流しながら、仕事を進める。大学祭モードの仕事の仕方である。

夜は、重要な会議に参加。まだ書けないが、重要な会議なのである。

目次づくりと索引づくりの働き

通常私は一日二回風呂に入る。朝と夜である。ということは、一日二回本を読むことになる。たしか、レバリッジ本の本田直之さんも朝風呂読書をしているとのことを読んだことがあるが、私は風呂の中で本を読むのは中学生の時からずっとしている。キャリアは長い。

最初に風呂で読んだのは、ムツゴロウシリーズである。畑正憲さんの本が文庫本で出ると、買ってきて読む。しかし、半年に一回しか出ないので、この本を半年間楽しまなければならない。

そこで私が考えたのが、読み進めたくても読み進められない方法は何かないかと言うものである。私が採択したプランは、文庫本のカバーを取り外し、風呂の中にどぼんとつけることである。こうすることで、早くページを捲れば破れてしまうので、ゆっくりと捲らざるを得なくなるのである。

もちろん、どぼんと落とすのであるからびしょ濡れである。でも、そーっとページを捲る快感はいまでもはっきりと覚えている。

で、今朝の朝風呂読書で読みながら思ったことがある。ちなみに読んでいたのは、『全思考』(北野武 幻冬舎)である。

(あれ、朝風呂と夜風呂の関係は、目次と索引の関係かなあ)

である。
朝風呂読書は15分から30分ぐらいが多い。夜の風呂は赤ちゃんと一緒のことが多いので温めにお湯を張る。私は少し熱い風呂が好きなので、朝は熱めにして入る。そして、読書。

この読書が、一日のあれこれをしている中で、ふっと思い出されることがある。そして、いまやっていることに別の意味を付与してくれたり、根拠となったりしてくれることがあるのだ。だから、朝風呂読書は目次づくりである。

一方、夜風呂読書は索引づくりである。風呂につかり、一日のことを振り返ったりしながら読む。温めのお湯で娘が入ってくるまでの時間で読む。そうしていると、一日の出来事が本の中でヒットすることがある。

読書の内容は、夢の中にも影響する。たしか、脳科学者の池谷裕二さんは、睡眠によって脳は情報を整理していると言っていたが、その時の働きにも夜の読書は関係しているかもしれないなあと思うのである。

ひらめき、思考、対話など読書の楽しみ方はいろいろあるが、今朝の朝風呂読書で思いついた目次づくりと索引づくりの働きは、結構当たっているんじゃないかなあと思う。

2008/10/24

学問の秋である

午前中、急に打ち合わせが入る。大学到着後、研究室に荷物を置くこともなく打ち合わせに向かう。あれこれ重要な打ち合わせである。うしゃあ。

日本語コミュニケーション技術1では、ディベートの指導。今日から改良シナリオディベートに入る。シナリオ方式では、フローシートのとり方、ディベート全体の理解、スピーチのスキルの理解を獲得目標に指導してきたが、これからはディベートそのものに入って行く。

今日は試合を一試合したあと、立論の構造、プランを作る際の注意点、質疑、反駁の四拍子、違うの五種類と説明する。90分の授業ならではのメニューである。これは50分では出来ない。試合をした後に、解説を聞くので分かりやすくなる。

来週は、これをもとにさらに2試合行う予定である。

本当は明日からの大学祭に娘を連れて行こうと思っていたのであるが、娘が風邪を引いているのと、風邪のため予定していた予防接種を受けられていないことがあり、連れて行けないなあと父母として判断する。

歩けるようになって、学生たちの作ったあれこれに興味深く見て歩く姿が予想されたが、これは来年までお預けだ。学校と言うのは人が集まる場所。お祭りはさらに集まる場所。残念だが、病原菌も一緒に集まる。だから、今回は欠席である。

ま、家ではそんなに体調は悪くないので、歩き回っている。歩きながらある冊子を手にして、ぱらぱら捲っていた。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008080400078&genre=G1&area=K00

で紹介されている、冊子である。京都橘大学の文学部児童教育学科で拵えた冊子である。私も二本原稿を書いているのだが、それを家においておいたら娘が棚から取り出して捲っているのである。

そして、なんと私の写真の映っているページを開いて、私に示すのである。ううう、なんと可愛いのだ。なんと賢いのだ。

と言う話を、たまたま昼ご飯が一緒になった本学の事務局長に話をしたら
「先生、子どもは自分の父親の写真ぐらい分かりますって」
とけんもほろろに言われてしまった。

お父さんは、それでも嬉しいのである。

P2008080400078

国語科教育法2は、いよいよというか、やっとというか授業づくりの基礎基本に入って行く。

今日はスピーチの評価方法の後に、授業をつくるために必要なあれこれの説明を行った。授業を成立させる要素、授業における指導力、授業構成の種類、子どもの学びを導く発話の種類、授業上達の方法、長い目で見た時の授業のあり方、授業のルール、システムなどについてである。

今日は項目の提示と簡単な具体例の提示で終わった。来週の授業では学習指導案の説明と書き方の説明。さらに、具体的な授業の視聴と続いて行く。これが終わると学生たちは模擬授業を作ることになる。

明日あさっては大学祭。
そしてこれが終わると、学問の秋である。

思わず表出してしまったものを読み取る力量

しかし、最後の固まりが取れない。喉の上の方に何か引っ付いている感じで風邪の固まりがある。これが取れない。うがいをしても、鼻をかんでもダメだ。10/4の明日の教室のときに発症したので、もう20日間も引いていることになる。いや〜、長いなあ。みなさん、大丈夫ですか?

児童基礎演習ゼミでは、相変わらず児童の詩の作品を読み合っている。

1)いくつかの作品の中からこれというものを選ぶ。
2)その作品を2Bの鉛筆で原稿用紙に書き写す。   
3)その作品の解釈をA4一枚に書いてくる。

この書き写しの詩と解釈の書いてあるレポートを書き込み回覧作文方式で、ゼミの中をまわす。そして、気になった部分に付いてさらに議論を深めると言う方式である。

昨日は、男子学生で芽が出てきた学生が出てきたことを言祝ぐ文章を書いたが、今日のゼミでは、子どもの作品に隠れている、子どもの内面に入って行くドアのノブを発見することができる学生が増えてきたことを言祝ぎたい。

「子どもの作品に隠れている、子どもの内面に入って行くドアのノブを発見」するためのあれこれを丁寧に指導しているつもりではあるが、こんなに早く見つけ出せる学生が出始めるとは、これも嬉しい予想違いである。

たとえば、「行った」と書いてあるところと「行きよった」と書いてあるところの違いから考えることができる。また、転校して行った友人の名前を作品の中で呼びかける時、一カ所だけニックネームではなくきちんとした呼び名で呼びかけている箇所を見つけて、その意味を解釈するなんてことが出来始めているのである。

子どもたちが表現しようとしているなかで、思わず表出してしまったものを読み取る力量を育てたい。

検証しているわけではないが、授業で作品や実践記録を読む読み方を丁寧に指導する一方で、学生たちは学生たちなりの教育の現場を持っていることが、教員養成の1つの方法として大きな意味を持っているのだろうと感じている。これを児童教育学科の児童教育コース全体でやることにも意味があると思っている。

近隣の小学校や学童保育、さらには地区の児童館などで定期的に子どもたちと接することが、理論と実際の両輪となって動き出しているのではないかと感じている。

もちろん、本当の学校教育現場とは話にならないぐらい違いがあるのも分かっている。校務分掌もなければ、授業づくりもないなかでの関わりである。

しかし、彼らなりの教育の現場を持っていると言うことは、大学での学びを豊かにするものとなるであろうと考え、システムを作ってきた。このシステムが有効に動き出していると感じている。学生たちを指導、支援してくださる様々な方がいてのお陰である。ありがたいことである。

いまの期間、木曜日は3つの授業が入っている。
さすがに90分の3つは、疲れるなあ。
授業を終えて片付けをして19:00過ぎに研究室を出る。

さ、家に帰って娘を抱っこしよう。

2008/10/23

あと22人です

222222人まで、あと22人です。
うれしいなあ。
ビンゴ、前後の方コメントをよろしくどうぞ。

2008/10/22

シメシメ、うしし(死語)

小論文の授業が終わった。来週はテストである。だから、講義は終わったのである。自分でこの授業をしていて思うのだが、こういう授業が高校生のときに受けられたらなあと思う。

いや、授業のレベルは学生が判断することだから、そのことを言っているのではない。私がいいたいのは、文章を書くと言うことはどういうことなのかをきちんと説明してくれる授業。そして、それを元に書く授業ということである。

私は国語が好きだったから、文章は書けた。また、お習字もやっていたので文字を書くことに苦痛はなかった。その私だからなんとなくだが、文章を書くことは出来ていた。

しかし、指導者になると何で自分が書けていたのかを分析するだけではダメで、相当できない子どもたちに文章を書くと言うことはどういうことなのかを分からせて、なおかつ書けるように指導しなければならないわけである。そんなわけで、あれこれ勉強をした。

今の大学の小論文の授業は、5〜6時間で行っている。だから、書けるようになるまではとてもではないが、時間が足りない。しかし、自分が書けないのは、または書けていると思っているのに評価が低いのは、どこに問題点があるのかを理解させるところまでは、出来てきたのではないかと思う。

あとは、その自分の課題を学生諸君が、自分の努力で克服することを期待するのみである。

午後から来週の火曜日の学級担任論の授業の準備に取りかかる。最先端の情報を入れて授業をつくっているとも言えるし、お尻に火がついて走り続けているとも言える。

これも小論文の授業と同じである。自分で学級を作るのであれば、あれこれ説明する必要もなく、やりたいこと、言いたいことの出典を示す必要もない。

ではあるが、学級担任論は大学の授業である。であれば、出典を明らかにせねばならない。かつて本屋でちらっと読んで購入することのなかった本を、手に入れなければならない。

幸いにして本の方は、アマゾンや生協の本のサービスがあるので、まあ、一週間前に注文を入れればなんとかなる。

だが、
(あれ、あのことはどの本だったかなあ)
となると、これが大変。
取りあえずいま、学級担任論の授業に必要な本を机の周りに20冊ぐらい並べてあるが、どこにあるのかなかなか見つからないものもある。

又逆に、
(を、ここにこれがあったか。シメシメ、うしし(死語))
と授業構想外の資料を発掘し、読みふける私でもある。
ああ、だから授業の準備が進まないのだ。

でも、楽しい時間と言えば楽しい時間である。
授業の準備をしていて、改めて、家本芳郎先生と、野中信行先生は偉大だと思う。

その後、教授会に学科会議。
いつもの水曜日である。
来年度のこと、再来年度のことなど話し合って決めて行くことはたくさんある。

その中で、少し話題に出たのが何人かの男子学生が、芽を出してきたのではないかと言う話である。

『授業の感想を読んでも、質問の質にしても(を、ちょっと掴んだかな?)と思われる書き込みや発言をする一期生の男子学生が、数人出てきたと思われるのですが』
と話をすると、
「そうそう、あの学生とあの学生と・・・」
と何人かの名前。私もぴったり一致している。

で、このブログを読んでいる児童教育学科の男子学生、
(を、俺か?)
と思った者は、それは自惚れであって違うから安心するように。

で、話を戻しす。
これは私の予測よりも少し早いかな。男子学生たちが目を出し始めたのは。私の予測では、三回生の前期ぐらいかなと思っていたのだが、嬉しい読み間違いである。

学生たちは、授業の合間を縫って大学祭の準備をしている。
今週末の土日である。
これも頑張れ。

一歳というのは凄いなあと思う

一歳というのは凄いなあと思う。こんなこともできるんだというのが実感。

             ◆

お母さんが洗濯物を干していると、そのそばに行って洗濯籠から洗濯物を取り出して広げようとする。本人はお手伝いをしているつもりか。

ポンプ式のボトルを見つけると、それを押して手を頭の後ろにまわして洗おうとする。お母さんがお風呂で洗っているのを見て学習したか。

私が咳き込むと、それをまねして咳き込む。私が楽しんで面白い会話をしていると思ってのことか。

缶ビールをリビングまで持ってこようとすると、一緒に別の一本を持って歩いてきて手渡してくれる。お父さんと同じことをしたいということか。

一人でスプーンでご飯を黙々と食べられるようになっている。食欲は旺盛なんだなあ。体重は増えないけど。

             ◆

半年前は、座ったままジャンプするのを楽しんでいたぐらいだというのに、この変わりようはすごい。話も相当理解しているように思える。

半年間で、私はどれだけ成長したのかなあ。

2008/10/21

あとすこしで222222

この分でいくと、あとすこしで222222になりますねえ。
ぴったしの方、前後近辺の方。
ぜひ、コメントをお願いしますね。

学級レクと電話について考える

本日の学級担任論は、学級レクについて。目的と対象に応じて、いくつかの学級レクを実際に体験してみる。

80人の大学生を相手に、治っていない体でレクを指導するのは、なかなか大変である。その表の目的や隠れた目的を明かしつつ、子どもたちを見て取り、指導するということはどういうことなのかを体験の中で理解させる。

学生の感想の一部である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

今日の学級担任論はいろんなレクリエーションをしました。
 私は、小学校から今までレクに対するイメージは、
①楽しい
②息抜き
③授業じゃない
④授業一時間つぶれてラッキー
⑤先生も楽やし一石二鳥
というような感じを持っていました。しかし、今日の授業でレクは生徒と教師の関係作りが関わっていると感じたし、教師にとってもレクというのは重要なものなんだ、と感じました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

学生諸君は、まさか、担任があんなことやこんなことを思いながらレクリエーションをしているとは、夢にも思っていなかったようである。

             ◆

ただ、単純に学級担任の先生は、たくさんレクリエーションを知っているのがいい。子どもたちが
「今度は何をして遊んでくれるのだろう」
とわくわくする先生ってのは、とても魅力的である。雨の日、雪の日、晴れの日。教室で、校庭で、体育館で。5分、15分、45分。さまざまなバージョンのレクリエーションを指導できるってのは、教師にとって大事なことだ。

ボランティアなどで彼らなりの教育の実践の場を持っている、本学の児童教育学科の学生たちである。是非、実際に今日自分が体験したレクリエーションを指導してみてほしい。

             ◆

授業後、小学校の修学旅行にボランティアで付いて行った学生が報告に来た。
「先生、本当に行って良かったです」
とのこと。

先生方が何を考えているのか、どう行動しているのかがよくわかったとのことである。

「先生方は、子どもたちが寝た後も打ち合わせで、ずっと子どもたちの話をされていました」
『面白いだろ、先生って。もう子どもの話なんかやめて、趣味の話とかすればいいのにしないで子どもの話だろ』
「はい」
『それが、先生ってことなんだねえ。良かったね、いい体験ができて』
「はい」

ご指導を頂いた先生がたに感謝申し上げます。

             ◆

午後からは、例によって事務仕事。うーむ、創造的な仕事をする時間がなかなかないぞ。だが、これをやらないことには創造的な仕事にはたどり着けないからなあ。

久しぶりのコーヒーを飲んで、集中して取り組むことにする。

             ◆

あと一息で終わると言うところで総務課から内線電話。
「山田様からお電話です」
『ん?』
「どちらの山田様でしょうか、と伺ったのですが、それで分かるとのことなのですが、お分かりになりますか」
(ん? あ、あの山田先生か。でも直通電話をご存知なはずなのになあ)
と思いつつも、脛に傷を持つ私は
『はい、分かりました、繋いでくださいますか?』
と頼む。

「あ、池田先生ですか?」
(あれ、いつもと声が違うぞ)
『はい』
「私、担当が変わりまして、こちらマンション経営のFあqwせdrftgyふじこlp」
『結構です』
ガチャ

であった。
真剣に文章を練っている忙しいときに、そんな姑息な手段で総務をくぐり抜けてくるような輩の電話を聞くわけがないだろうに。いつもならもう少しあれこれお相手をしつつ電話を切るのだが、今回は一言でおしまい。

だいたい、私は買い物については、基本的にこう考えている。

「欲しいもの < 必要なもの」

そして、

「売ってくる < 買いに行く」

である。簡単に言えば、必要なものは自分で買いに行くである。
ったくもう。

             ◆

大体からして我が家は電話の受け答えは母親に厳しくしつけられた。
電話をとる時、
『はい、池田ですが、どちら様でしょうか?』
と言うようにである。これを言わないと怒られた。

しかし、これが今では危ないのはよくわかっている。誰だか分からない人に、電話番号と池田が直結している情報を伝えるようなことはしない。だから、私は電話に出るときは
『はい』
しか言わない。このぐらい電話には敏感なのである。

さらに我が母親は、
「お宅の修さんが事故を起こしましてね」
と、どこからか漏れた個人情報を元に、振り込め詐欺の電話がかかってきた時に

「うちには、修なんて息子はいません!!」

と言い切って、詐欺師が

「へっ?」

っとなってしまったという実績を持っている。
私は、そういう家系の息子なのである。

             ◆

いらいらして研究室を出たら、携帯電話を研究室に置き忘れてしまった。
ということで、今晩は携帯電話は繋がりません。
おやすみなさい。

学級レクと電話について考えるであった。
この続きは、あしたのこころだ〜〜〜。
ちゃららっちゃちゃちゃちゃららら〜ん。

ポメラ

をを、いよいよ私もマックだけではない生活が始まるか?

http://japanese.engadget.com/2008/10/21/pomera/

これは欲しいと思う。今の私は必要性を感じている。モバイルギアが好きだった私はそう思う。
取りあえずテキストだけ打てればいいと言うのが、良い。
microSDに落としたデータは、どうしても必要なら携帯電話から送れるだろうしね。

こういうのの評論家のあべたかさん、どうだろうか?

俺は、何を目指しているのであろうか

たしかに私は中学生に言っていた。

『あ〜、諸君。この中から誰か総理大臣になりたまえ。そうしたら私が文科大臣になってあげる。大臣の半分までは民間からの登用が出来るんだな。がんばれ』

と。

だからと言って昨日の夢は何なんだ?

携帯電話がなり、すぐに来るようにとのこと。どこへ?国会である。
私はどこかの内閣の文部科学大臣に任命されたのである。
しかも、二期連続だったのである。

ひえ〜、私、文部科学大臣だったのね。

ひな壇に並ぶのであるが、なぜか足下は悪い。ゆるゆるの泥沼のようである。
(ああ、これは教育の現場がうまくいっていないことのシンボルだな)
なんてことを思っていた。この辺り、夢なのに分析している私がいる。

そして、マスコミからのインタビューが各大臣にされる。最後の最後に、
「文部科学大臣、方針を一言でお願いします」
と言われる。他の大臣のことを見ながら何を言おうかあれこれ考えていた私は、
(え? 一言?)
と思い、一つに絞る。

『学校教育現場の先生方が、児童生徒を指導しやすくなる環境整備をしたいと考えています。具体的には、教育予算の充実、学校外の指導の委託、保護者指導の適正化などであります』

と答えていた。

俺は、何を目指しているのであろうか。

2008/10/20

背中の痛みも少し和らぐ

研究日。
いつもなら場所を大学ではないところで行うのだが、今日ばかりは資料が研究室にあるので、研究室で行う。

大学のメールボックスを見てみると、何通かのハガキや手紙が届いている。先日出した『中等教育におけるディベートの研究』を謹呈した方達からお礼のハガキや手紙である。ありがたいことである。

一つ本を出してしまうと、もうしばらくは文章は書かなくてもいいという思いになるが、こういう言葉を頂くと、むくむくとまたやらねばと思うようになる。

毎年秋になると、
(思ったよりも人生は短いなあ)
と思う。有限の人生の中で私にすることが許されていることは何なのかを、時々考える。

いくつかの事務的な仕事を終わらせて、さあ、本来の仕事に突入。
これがなかなか終わらない、終わらない。
キッチンタイマーをセットして、1時間ごとに休憩を少し入れる。
(もう1時間が過ぎたか)
と何回も思う。集中しているときの時間は本当に早く過ぎる。

まてよ、ということは集中している人生はあっという間なのか。
うーん、どうなんだろう。
あっという間に過ぎる人生ってのは、いいのかねえf(^^;。

で、暗くなる前には仕事を終わらせてしまいたかったのだが、気がつけば外は真っ暗。いやあ、秋の日のつるべ落としの夕暮れなのね。

久しぶりに半日ぶっ通しで文章と格闘した私でした。背中が痛い。

帰り際にメールボックスにあったものに最後まで目を通した。そしたら、夏の集中講義「特別活動論」の学生たちの自由記述の文章が手元に届いていた。

私は千葉大学名誉教授の宇佐美寛先生と同じように、学生たちに無記名で授業に関する意見を書かせることは賛成していない。感想を述べるのは良い。しかし、無記名で学ぶ者が意見を述べることを許すことは、自分の発言に責任を持つことなく発言して良いということを教えてしまうことになるからである。

授業には種も仕掛けもあり、授業を受ける者がその種や仕掛けを理解することはない。だから、学習者に授業を評価することは基本的には出来ないと考えている。しかし、感想を述べることはありである。

という立場で彼ら彼女らの「感想」を読んだのだが、結構あの熱い夏の授業を思い出させる感想ばかりで、ちょっとジンと来た。少しは伝わったようだ。

背中の痛みも少し和らぐようであった。

秋の一日を家族と楽しむ

昼前に家を出る。秋の一日を家族と楽しむことに。
以前から気になっていた琵琶湖のほとりのカフェに向かう。
湖西バイパスを北へと走らせる。
比良山は、もう紅葉が始まっている。

琵琶湖にはもうかなりの渡り鳥が飛来していた。
それを見ながらランチである。

前菜にパスタに飲み物。
これで800円とはお得である。ここにデザートを加えると1000円である。
ちょっと通ってしまおうかなあと思うぐらい気に入ってしまった。

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2時間ほど読書をしながら寛いだ。

帰りに浮御堂に立ち寄る。
源氏物語1000年を記念して、この浮御堂のご本尊がご開帳されているのだ。

到着は夕暮れ時。
もう、ほとんど誰もいない。
三人で独占。
娘は嬉しそうに歩き回る。

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九月の明日の教室では、この浮御堂を湖からみたのであったなあと思い出す。

風邪もあと少し、あと少しで抜けそうだ。

2008/10/19

同じ目的でありながら違う価値観を持っている仲間

休日だと言うのに、今日も朝は早起き。5時台に起きる。リビングの空気を入れ替え、風呂を沸かし、読書。同時進行で読んでいる本がそれぞれ山場を迎えていて、とっかえひっかえ読む。なかなか刺激的な朝である。朝日も見事であった。

Asayake

午後から関西青年塾に向かう。今日は糸井登先生に、赤坂真二先生。この二枚看板のすごさに代表の土作先生の魅力もあって、本日の参加者は60人前後であった。

数が多ければいいと言う問題でもないが、同じ目的でありながら違う価値観を持っている仲間は多いほどいいとも言える。あれこれ議論をするには、その方がやりがいがある。

糸井先生、赤坂先生の講座は、当たり前であるが良かった。お二人とも、今自分が抱えている問題意識を講座のレベルに具体化し、その具体化された内容は受講しているみなさんの問題意識にフィットしているというものであった。

会場を見渡すと、本学の学生たちも多くいた。土作先生の夏の集中講義でお世話になった学生たちが多いが、中には一回生もいた。こうして外での学びに参加する学生たちが増えてきていることを、頼もしく感じている。

さらには、滋賀大学、島根大学からも学生さんたちが参加であった。日本の教育を背負って立つ若い諸君の自主的な学びだ。文科省はこういうところに補助金をしっかりと出すべきだと強く思う。

講座の後の懇親会も、熱気に満ちていた。
学生たちに言う言葉である。

『こうして、君たちは日本のトップクラスの先生たちに、交通費1000円以内で学ぶことができる。これはとんでもないことなのである。だが、まだこの凄さを理解できる諸君はいないであろう。だが、仕事について3年以内に分かるはずである、この凄さに』

彼らは分かったのか分からないのか分からないが、こういう場所で自腹を切って学ぼうとすること、そのことが大事である。

懇親会の間、私はずっと内の学生たちに説教していたなあ。もっと勉強しろ。まだまだ足りないなどと。なにくそと思う学生が出始めているのも、ちょっと楽しみではある。

あっという間に一次会、二次会と過ぎてお開き。写真はセピア色に調整してみました。
糸井先生、赤坂先生、土作先生、会場校の志賀先生、参加者のみなさん、ありがとうございました。

Seinenjuku

来月の関西青年塾は、11/8。私の学習ゲーム「たほいや」と、お笑い教育の大家、中村健一先生となる。お楽しみにどうぞ。

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