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2008/02/13

ドラえもん短歌

2/12の夕方からは、国語の模擬授業自主ゼミの最後の会であった。

昨年度の国教法の受講生が手を挙げて、指導をお願いしたいとのことであったので、後期から2週間に一回行ってきた。大学で楽しいのは、自分がやりたい事を学ぶ事である。そして、一生懸命に勉強しても単位が出ないのが良い。私だって講師料をもらえるわけでもない。ボランティアである。

ただ、純粋に学びたいものを鍛えるという時間。これが良い。

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内容は、中学校二年生を対象にして「ドラえもん」を使って短歌を作るという授業であった。
私はなんのことか全く分からなかった。

ドラえもんが国語に関する場合、ディベートの論題にする事は知っている。「ドラえもんは二十二世紀に帰るべきである。是か非か」というのは、結構面白い論題である。であるが、今回は短歌を作るであった。

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授業では、ドラえもんの特徴、道具などの確認をした後、ドラえもん短歌の本と作品例を紹介し、
「さあ、短歌を作ってください」ということで進めていた。

生徒役の大学生はキャーキャー言いながら作っていた。ではあるが、うーん、これでは中学生は作れない。出来る子は出来るし、出来ない子は出来ない。短歌自体の説明も甘い。

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『なんで、ドラえもんにすると短歌が出来ると思うの? ドラえもんだからじゃないよ』
『できない子どもには、どうやってヒントを出すの?』

授業は性善説で作ってはダメであると言い続けている。が、どうしても出来る子どもを中心に作ってしまう。出来ない子どもから作るという発想になりにくい。もっとも出来ない子から作るという発想を持っても、どう作れば良いのか考えるのは難しいのだが。

このドラえもん短歌は、

「子どもの願い・思い」が「ドラえもんの道具」で「適う/適えたい/適わない」

という構造にすることで生まれるのであろう。57577で短歌などというのは、違う。57577に願いや思いが歌われた時に、短歌になる。そこの指導が弱かった。出来る子どもには何の指導も要らないが、出来ない子どもにはヒントは必要である。うーん、残念。

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なんてことを話す。

私の大学での授業も、これで今年度は最後。
彼女等も卒業である。
四月から教壇に立つもの、企業に就職するもの、捲土重来を期すもの。いろいろである。

懸命に学んだ事が、10年とか20年先のどこかで意味を持つことを願う。


ミッションを達成してほしい

寒さが戻ってきた琵琶湖である。本日は、来年度の新入生キャンプの宿の下見、その2である。もちろん、私ではなく私は引率。学生のオリターたちの下見に付き添うのである。

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中学校で言うと先輩としての修学旅行実行委員のような立場のオリターである。となると、児童教育学科の学生としては、特別活動論のスペシャル版といっても良いかもしれない。

集団を安全に動かすためには、この下見というものがとても大事である。頭の中だけではなく、具体的にものを見て触って動いて考えるのである。

今日の下見を受けて、オリターたちはミーティングを重ねて新入生キャンプを創って行く。私は去年のオリターたちに大きな方針を与えた。この方針を達成する事を求めた。そして、去年のオリターたちはそれに見事に答えてくれた。

今年のオリターたちにも同じように、方針を示しこれを達成する事を、今日の打ち合わせで求めた。

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そうである。
これは「学び合い」なのである。

私は新入生キャンプの事務的な打ち合わせと大まかな流れを創り、あとはオリターたちに方針を示す。彼らは話し合いを重ね、学び合い、新入生キャンプを作り上げて行ってほしいのである。ミッションを達成してほしいと考えている。達成するのを楽しみにしている。

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教師は、イベントの企画と運営でその指導の力量を鍛えるという考え方がある。実は、イベントの企画と運営を行うにあたって、集団で学び合う過程を経ることが肝要なのではないかと思う事がある。

自分の足りないところを、自分たちの足りないところを補い合い、良いところを活用し合って作り上げて行く喜びってのは、学校教育で是非体験させてあげたい項目である。それには、まず教師がそれを感じられる仕組みを作るべきである。そうであるならば、教師になる勉強をしている学生たちにもそれを感じられる仕組みを作りたい。

もちろん、私が学生の頃にはそんなことをほとんど考えなかったが、教師を二十年近くもやって教員養成に関わるようになったのであれば、教師を目指す学生には体験させてやりたい。

2008/02/12

「彩雲」が出ていた

連休最終日。読書をしながらのんびり過ごす。
床暖房に寝転がり、午睡。これは極楽である。

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その後、娘を連れて散歩に出掛ける。
ま、もちろん、娘を抱っこして琵琶湖のビーチを私が歩くわけである。

琵琶湖の水で一番奇麗なのは北西である。上から見下ろして左上ね。私のいる西大津は左下の方である。冬の南西の湖の水は、澄んでいて奇麗である。砂も白くて本当に心地よい。

小一時間ぶらぶらして、さて帰ろうかと思った時に、空を見上げている人がいる。
(凧でもあげているのかなあ)
と思って見上げると、そこには「彩雲」が出ていた。虹と違うのは、弧が下を向いているのでわかる。

雲の中の水に太陽が反射して、虹のようになる現象である。別名「瑞雲」ともいう。吉祥と言われている。つまり、これを見るとこのあと良いことが起きると言うのである。

我が家の上に出ている「彩雲」である。

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今宮神社の「龍」、そして本日の「彩雲」。娘のなんという運の強さであろう。
(いま、そんなに運を使わないで大事にもっておけよ)
と娘に言っても仕方がないが、取りあえず呟く。

しかし、この娘は運を使いながら、新しい運を呼び寄せるタイプかもしれない。「龍」「彩雲」の他にも、実はいろいろと運の良い事が続いているのだ。

ああ、親ばか。

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散歩の後、買い物に行こうと奥さんとマンションのエントランスで待ち合わせ。そうしたら、娘の靴下がない事に気がつく。散歩の途中で脱げてしまったようだ。娘を預けて来た道を慌てて引き返す。

wii fitで鍛えている私は、ジョギングで向かう。うーん、信じられない。
で、二つとも発見。吉祥はこのことだったのか。

買い物は、娘の本。
お話を聞くのが大好きな娘なので、絵本ではなくて昔話を買ってあげる。「テキスト読み(音訳)」しかしない私だが、これからしばらくは「物語読み(朗読)」の世界に入りきる私である。

2008/02/10

短編アニメ「ほしのこえ」

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大津郵便局に行って速達便を出した後、近くのMac専門店に立ち寄ってMac book airを触ってきた。わざわざ閉じて、持ち上げてみて、タイピングをしてみてとほんの5分ほどだが、いじってきた。良く出来ているなあ。あれを持ち運んだら便利だろうなあ。

だが、メインマシーンとして使うにはどうかなあというのが、正直な感想である。メインマシーンで一台どーんとしたものがあれば、サブでMac book airはありである。大有りである。しかし、いまの私の環境としては、なしだろうなあと思った。

さ、ということは、あれか。
あれの最新機種は秋になる予測だから、いま買うのは妥当であろう。
いよいよ本格的に検討だ。

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研究室でひたすら学生たちのレポートを読む。評価する。
真剣にやっている学生のものは、真剣に読もうと思う。
そうでないのは、そうでないなりに。ここは義務教育とは違う。

明日の教室でお世話になった西川純先生が、先輩から教わった言葉を話してくださった。

「高校までは、意欲がなくても先生がなんとか焚き付けて勉強させてくれる。大学は、意欲のないものには教えない、学べない。大学院は、意欲があっても学べるとは限らない」

本当にそうだと思う。
児童教育学科の学生たちには、この高校との違いや自分から学びに向かうと言う部分を厳しく求めてきたこの一年であった。彼ら彼女らの多くはこれを理解し、自分たちで教職のサークルを立ち上げたり、すばらしい先生たちの教室にお邪魔して授業を見せてもらったりし始めている。

大学生は、意欲があれば学べる。そして、失敗しても多くの場合誠意を持って対応すれば許される。(ま、大人でもそうではあるが、大学生の方がハードルは低いf(^^;。)

で、評価はやっとめどがついた。ふう。

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高回転で回った頭をこのままにしておくのはもったいないので、研究室に置いてある未読の本を読みあさる。ほんの三十分程度の予定であったが、2時間弱読みふける。

いやあ、著者との対話の出来る本は面白い。今日の本は、大人論に関係するものをまとめて読む。そこで紹介されていたのが、短編アニメ「ほしのこえ」である。

早速ネットで確認して視聴。
危うく泣くところであった。
30分弱の映画なのに、思春期問題を奇麗に切り取って、作品に仕上げている。

未見の方はどうぞご覧下さい。
私と同じ年代の方は、タオルを持ってみた方がいいかも(^^)。

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さ、明日は少しゆったりできるかな。今週末は東京だしなあ。

大きく深呼吸である

ミルクの用意ができたので、娘を起こしに行く。
寝入り際に多少ぐずつくが、夜中はほぼぐっすり。
そして、朝まですこやかに寝ている。

娘を抱えて、琵琶湖に朝の挨拶をさせる。
お天道様が出ている時は、お天道様にも挨拶だ。

眩しそうに琵琶湖を見つめる娘。
(この子の人生はこんなふうに輝いてくれるといいなあ)
(どこに漕ぎ出して行くのかねえ)

悠久の光景と生まれたばかりの命を見ながら、大きく深呼吸である。

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