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2008/02/23

合計六時間ほど

滋賀に戻った翌日、高校で模擬授業。
高校一年生に、国語の授業の作り方を話してほしいとの事である。
なんとまあ、レアな依頼である。
高校一年生にこんなことを話しても意味があるのかなあと思うのだが、受ける方も受ける方だなあ(^^)。

二時間ほど授業をした後、大学に向かう。教育に携わる学生や社会人が相談にやってくることになっている。学び合いに関しての相談である。

ここでも二時間ほどあれこれ話す。
その後、場所を山科の店に変えてさらに二時間ほど話す。

合計六時間ほど話していたことになる。
大学で授業はなくとも、結構話しているのである。

2008/02/22

懐かしくその大使館を見ていた

母校の国学院大学の傍に、ペルー大使館がある。
授業の合間に、近所を散歩したり、青山学院大学の食堂に行って食事をしたりするときに見つけた。

竹内先生の最終授業の会で大学に向かう時、懐かしくその大使館を見ていた。

            ◆

その悲劇は、散歩中に突然起こった。
腹痛である。
これは大学のトイレまで持ちそうもない。

目の前に現れたのは、ペルー大使館である。
もう、行くしかない。

『す、すみません。トイレ貸してください』
「は?」
『あの、トイレです』

一国の大使館にトイレを借りようなんてのは大胆にして失礼である。
だが、背に腹は代えられない。

なんとか借りられ、事をなきを得た。

            ◆

それから教師になって5年目に、突然ペルーからやってきた生徒を担任する事になった。最初は思い出さなかったが、指導しながら思い出した。

(そうか、そういうことだったのね)

人生は面白い。

野中先生の口癖

(ん? 教室が暗くなったぞ)

野中信行先生の授業と教室を参観させて頂いた。
授業が終わり、帰りの学活が終わるとき、さようならの挨拶をする前に暗くなったのだ。
ここに野中先生の指導の哲学があるのだなあと思った。

通常、さようならをしてから日直が教室の電気を消す。
しかし、そうではなかった。
さようならをする前に、教室の電気を消す。

(すげー、そういうことか)

私は来年度行う予定の「学級担任論」のシラバスに密かに一項目を入れていた。

            ◆

教室中には、ありとあらゆる工夫がされていた。

本棚を見れば、その人がどんな勉強をしてきてどんな人柄なのかが分かると言われるように、教室の道具や掲示物は、その先生の指導の哲学が現れる。

間違えてはいけない。
道具を揃えて掲示物を同じにすれば、野中先生と同じになるのではない。

野中先生は、「○○という子どもを育てたい、人間を育てたい」という哲学があって、そのために道具や掲示物の工夫をされている。なぜ、その工夫をしているのかが分からないと真似だけしてもダメだろう。

例えば、教室にある先生の仕事机は、教室の窓側の一番後ろにある。通常は窓側の一番前にある。私は唸った。この凄さが分かる学生はどのぐらいいるのかなあと思いながら拝見した。

ではあるが、まずは真似をする事で、その工夫の土台となっている指導の哲学を考える事が大事なのだろうなあ。

            ◆

4時間目、私も授業をさせて頂いた。
40分の持ち時間で、六年生二クラス。飛び込みで小学生に授業をするのは、初めてではないかなあ。

なんとか時間通り(実際は3秒伸びた。ちょっと悲しい)に終わらせる事が出来た。子どもはぐっと集中して授業に参加していたし、一緒に見ていた先生方からお褒めの言葉も頂いたが、これは、野中先生が学ぶ体を作って下さっていたからのことである。

学ぶからだとは、簡単言えば教えてくれる人、または学ぶ内容への「尊敬」と「礼儀」である。これらを持たない者は、学ぶことは難しい。小学生であってもこれが持てなくなってきている。それでは、学ぶ事は難しい。大きく成長する事も難しい。

子どもたちは、とても良いプレゼントをもらっているのだが、小学生がこれに気がつくのはいつの事かなあ。

            ◆

口癖。

野中先生の口癖は、「〜ですから」というものである。「〜です」と言い切るところでも、「〜ですから」とすることが多い。

この口癖をクラスの多くの子どもたちが、受け継いでいる。授業中、休み時間と子どもたちの会話を聞くと「〜ですから」と言っている。

子どもは、好きな人の仕草や口癖を身につける。
私はとても幸せな気持ちだった。

            ◆

5時過ぎに学校を失礼する。
横浜の広い空に、14番目の月が出てきた。
そして、大きな夕日が沈んで行く。

(「菜の花や月は東に日は西に」かあ)

本格的な春を実感するあたたかな一日に、大事な事を学ばせて頂いた。
野中先生、ありがとうございました。


2008/02/18

恩師とは

木曜日から東京に来ている。
一週間の予定でこちらにいる。

昔の中学校のときの仲間と会っていろいろと東京の教育の現状を聞いたり、来年度共同研究する仲間と会って研究の進め方の確認をしたりしながら前半を過ごした。

            ◆

前半の最大のものは、竹内常一先生の「最終授業の会」の運営である。
大学の時にお世話になった先生が、今年度で大学での授業を全て終えられる。ご勇退である。
(誰か手を挙げてやらないのかなあ)
と思っていたのだが、どうもそんな雰囲気にならない。
(うーん、これは手を挙げるか)
と思って、仲間に声を掛けた。
『なあ、先生の最後の授業の会を開かないか?』

もちろん、還暦の会や専任での最後の授業は「最終講義」ということで終わっているので、良いと言えば良いのだが、そんなもんでもなかろう。それに、何より先生の授業を受けたい。実行委員会を組織して、先生にお願いをした。

            ◆

当日は、自主ゼミ関係者だけということであったが、学生たちも参加。そして、50人集まれば良いかなあと思ったのだが、90人を越えていた。

お名前だけ存じ上げている先輩や、久しぶりあう同級生等もたくさんいて、それだけでももう実行委員会を立ち上げて良かったなあと思う。会が始まる前に、各期でグループが出来ていて本当に同窓会の雰囲気。

            ◆

そして、先生の授業は「高瀬舟と私の教育学」である。2時間たっぷりと。
まったくもう、なんてエキサイティングなのだろう。

この授業を受けて、パネルディスカッション。私はパネラーとして参加。先生から学んだ事やいまの授業に関する質問をぶつける。それを受けて先生がさらに答えてくださるという流れ。贅沢である。私は贅沢が好きである。

            ◆

20年ぐらい経って初めて意味の分かる言葉を先生からは頂いていた。私はこの最終授業の会で、この先20年ぐらい経ってわかる言葉を頂きたいと思っていた。それは適った。

良くわからないけど、おそらくこれは凄いことを言っているのだろうなあという言葉をたくさんメモする事が出来た。先生は、大事な事をサラリと早口の高音で言われる。だから、話し振りがそうなってきたら、こちらも慌てて構えて必死にメモを取るようにする。

先生の話について疑問や反論が出てきた場合、それを考えていると話はどんどん先に進むので、そこはペンディングにして記録のメモを優先させる。Qの記号を書く。

私が自分の学生たちに指導していることは、実に竹内先生の授業を受けている私の必要性から生まれてきているものでもあるのだ。

で、この授業では私はパネラーなので、分からない事はその場で聞ける。ラッキーである。

『で、先生はそのようにおっしゃいますが、それはそう簡単には理解できません。どのようなことからそういえるのでしょうか』
「だから、それは○○なんだなあ」
『その○○が分からないので、もう少し説明をお願いします』

会場を見ると参加者のOB とOGたちが首を立てに振っている。
(を、みんなそうなのね。んじゃあ、もっと聞いちゃおう)

なんてことを思いながら色々と伺う。

            ◆

恩師とは、
自分の事を呼び捨てにしてくださる存在であり、
『そこは分かりません』と私が言える存在であり、
「ほら、あそこだよ」とご自身が進もうとしている方向を示してくれる存在であり、
「だから、池田、それは違うんだよなあ」と指摘してくださる存在であり、
「お前も、先生になったんだなあ」と誉めてんだか貶しているんだか分からない事を言ってくださる存在であり、
なんだかわからないけど、凄い事を言っているように感じる存在であり、
自らが学ぶ姿を見せ続けてくださる存在であり、
自分の存在を肯定してくださる存在である。

実に有り難い事である。

Kai

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