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2009/01/31

イチゴミルク

寝息がイチゴミルクの匂いがする。

娘に午前中のお昼寝をさせるために、一緒に寝転がる。
私の腕を触りながらだんだん眠たくなって行く。
その娘の寝息からイチゴミルクの匂いがする。

朝ご飯の補助ミルクとデザートのイチゴが
その匂いの元だろう。

(うーん、なんとも言えないいい匂いだ)

で終わらないのが、親というものなんだろう。

(歯は大丈夫か? 虫歯にならないか?)

と思うのだなあ。もちろん、お茶を飲ませて、大丈夫にしてあるのだが、そんなことを思うのだなあ。

昼寝から起きてきた娘。
勝手にベッドから下りてきて、リビングにいる私に向かってくる。
抱っこする。

ああ、まだイチゴミルクの息をしている。

『10代の君たちへ 自分を育てるのは自分』(東井義雄 致知出版)

『10代の君たちへ 自分を育てるのは自分』(東井義雄 致知出版)を読む。

東井先生との出会いは、この詩であったと思う。

引用開始 ーーーーーーーーーー

小さな勇気をこそ

東井義雄

人生の大嵐がやってきたとき
それがへっちゃらで乗りこえられるような
大きい勇気もほしいにはほしいが、
わたしは
小さい勇気こそほしい。

わたしの大切な仕事をあとまわしにさせ、
忘れさせようとする小さい悪魔が
テレビのドラマやマンガに化けて
わたしを誘惑するとき、
すぐそれをやっつけられるくらいの
小さな勇気でいいから
わたしはそれがほしい。

もう五分くらい寝ていたっていいじゃないか、
今朝は寒いんだよと、
あたたかい寝床の中にひそみこんで
わたしにささやきかける小さい悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さい勇気こそほしい。

明日があるじゃないか、
明日やればいいではないか、
今夜は もう寝ろよと、
机の下からささやきかける小さい悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さい勇気こそほしい。

紙くずが落ちているのを見つけたときには、
気がつかなかったというふりをして、
さっさといっちまえよ。
かぜひきの鼻紙かもしれないよ。
不潔じゃないかと呼びかける 小さい悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さい勇気こそ わたしはほしい。

どんな苦難も乗りきれる
大きい勇気もほしいにはほしいが、
毎日 小出しにして使える
小さい勇気でいいから
それが わたしは たくさんほしい。
それに そういう小さい勇気を軽蔑していては
いざというときの大きい勇気も
つかめないのではないだろうか。

引用終了 ーーーーーーーーーー

面倒くさがりやの私は、この詩を読むたびに、なんとかせねばと思うのである。

『10代の君たちへ 自分を育てるのは自分』は、東井先生が、中学生に向けて語った講演会の記録である。東井先生のご実家はお寺であり仏教に基づいたお話となっている。

生きるということは、生かされているということであるという哲学に立って、お話をされている。

ぶったるんだ時に、しっかりしろと喝を入れてくださる本である。

2009/01/30

『ソラニン 1』『ソラニン 2』(浅野にいお 小学館)

『ソラニン 1』『ソラニン 2』(浅野にいお 小学館)

ほーらやっぱり、授業の間に読まなくて良かった。『赤めだか』につづいて、『ソラニン』を読みまくってしまった。

授業の間にこんなの読んでいたら、それでなくても導入の長い私の授業は、さらにさらにながーくなってしまい、シラバスの内容を終えることができなくなってしまったことであろう。

そもそも授業の準備もできなくなってしまったろう。

音楽にのめり込むこと。
若者の特権と言えば、それまで。
私も高校時代はずいぶんとやった。

音痴を直し、曲を作り、コンサートづくりもやった。フォークからニューミュージックへと名前が変わる頃、それもやったし、ニューウエーブが押し寄せる頃、オールドウェーブの音楽もやっていた。

就職して軽音楽部の顧問をやったりしながら、それでも音楽と縁を切ることなくあれこれやってきた。しかし、このところはカラオケにもいかんなあ。あ、こないだはカラオケに行ったのに話し込んで一曲も歌わなかったしねえ。

だが、私の高校時代の仲間は未だに自分たちでバンドを作り、ライブを楽しんでいるものがいる。そういう仲間たちのことを思うと、あの時代の空気が思い起こされる。

そして、『ソラニン』である。
作者が玉川大学出身ということもあるのだろうが、あの小田急線の多摩川を越える辺りの風景を目にしながら、私の学生時代にアルバイトの塾に向かうときに通っていた道と重ねて、音楽とあれこれを重ねながら一気に読んだ。

私たちは、なんの偶然か生き続けることができている。
やがてさよならすることは分かっているが、いまはなんの偶然か生き続けている。
目的やビジョンを持ったり、義務や責任の中で生きて続けている。

OK、目の前のことを忘れたりしないさ。
あの時の私も仲間も私の中にいるよ。
いまは、そんなところであれこれしている学生たちの側にいるさ。

あー、ステージに立ちたくなってしまった(^^)。

こういう時は一緒に行ってカメラマン

うーん、体が重いなあ。
いろいろな疲れが出てきているんだろうなあ。
いかんいかん。
週末はのんびりとしたいなあと思うが、採点業務が残っている。
これを終わらせてから来週の東京行きとしないと、大変なことになる。もう少し頑張れ。

午後から京都駅へ向かう。
顧問をしている「京都子ども守り隊 守るんじゃ〜」が学生ボランティア支援団体に認定されて、その表彰式があるのである。全国から50団体程度認定されるのだが、そのうちの一つ。

活動は基本的に学生たちに任せてあるが、こういう時は一緒に行ってカメラマンになってやらねばと思う。

二時間ほど表彰式と懇親会に参加して、お祝いにラーメン横町でラーメンを食べる。いやあ、お腹いっぱいであった。こういう時間もたまには良いだろう。

家に帰ったら、腰に疲れがたまっているようなので、部屋の中にハンモックを引きずり込んで転がる。腰の疲れが楽になる。ああ、楽。

そこに、絶好調の娘が突進してくる。
乗っかってくるのである。
『うわー、しまった!』
と私が言うと、その「しまった」に反応して、娘は手を頭に乗せる。なんとも可愛いなあ。

奥さんが、娘の名前を呼ぶ。
「池田○○ちゃん!」
すると、娘は
「はい!」
と言いながら、手を挙げる。
をを、どこでそんなことを覚えたのだ。

体重もそろそろ10キロになる娘。
良い仕事しなければなあと思う。

『赤めだか』(立川談春 扶桑社)

授業期間が終わるということは、私にとってはあるものの解禁を意味する。

それは、仕事の読書ではなく楽しみの読書の解禁である。国語科の教師ということで、どんな本を読んでいても
(を、これは授業で使えるかな)
となってしまい、エンターテイメントを楽しめないのである。

いつのころからか、授業があるときには楽しみの読書は極力控えるようにとなってしまった。

で、解禁である。

読み終えた本は、
『赤めだか』(立川談春 扶桑社)
である。

私はこういう本が好きだ。
立川談志に入門した、立川談春の修業時代のエッセイである。

文体のリズムが良いのは、さすが噺家である。黙読していても、思わず音読したくなるようなリズムである。

人がどうやって成長して行くのか。そこに教師や指導者はどのように関わって行くのかを考えるのに、良い本である。

また、修行を始めたばかりのときには分からない、師匠、先輩、先生たちからの指示の意味をなーんとなく理解するにも良い本かもしれない。

つまり、指導者にも、学習者にも、いいのだ。
ま、あれこれ言わなくても、文句なしに面白いだろう。

お笑い教師連盟に私は入っているのだが、なーんとなくだが、この連盟は漫才派と落語派に分かれるような気がしている。(一部、コント派もいるかなあ)

恐らく今の時代のお笑いは、漫才をベースにしていると思われるし、教室の笑いは漫才をベースに考えた方が、システム的にうまくいくと思われる。

しかし、私は落語派である。

MINICOOPER-Sは、その排気音が非常に心地よい。折角取り付けたサウンドシステムも、あんまり活用しないぐらい心地よい。その排気音と振動を楽しむのがいいからだ。

でも、そんな私でも車中で落語は聞く。MINICOOPER-Sの排気音に包まれながら聞く落語は、なんともいいのである。

落語と漫才の笑いはどう違うのであろうか。
これに関して笑いの芸術論が多く書かれているであろうが、それらを全く読んだことのないままに、独断すると、

・落語は人間の本質を笑い、漫才は時代の本質を笑う

というのではないかと思う。
立川談志は、この人間の本質を笑うというのを

「落語は、人間の業の肯定である」

と言い切っている。
また、古典落語はあるが、古典漫才はない。そんなことからそのように思うのである。

私は、コミュニケーションのシステムとしての漫才、時代を鋭く取り出して笑う漫才の笑いを凄いと思いながら、人間の切なさ、可笑しさを笑う落語が好きなのである。

さらに私は教師という仕事をしている。人間を育てる仕事である。立川談志の弟子の育て方に共感することが多くて、私自身びっくりした。

(ああ、俺ってやっぱり落語なのねえ)
(教師を育てるって、正統的周辺参加だよねえ)

師匠は、弟子の計り知れないところで深く、壮大に弟子の成長を考えている。そのことがよーくわかる本である。さらに、師匠の師匠は、弟子である師匠をどう思うのかも分かる本である。

んと、談志の師匠は、柳家小さんで、小さんは、談志を破門にするが、その破門後の談志をどのように愛しみ、談志は小さんをどのように敬っているのかも分かる。教育とは、師弟とはと考えさせられる本でもある。

結局、素直に楽しむではなく、あれこれ仕事に引きつけて読んでしまう私であった。


あ、淡路島が見える

昨日に続き床暖房に一晩お世話になる。
はあ、心地よい。

昼過ぎから高校の模擬授業に向かう。
片道二時間かけて向かうので、結構大変。
電車の中は読書の時間。

あ、淡路島が見える。

授業は高校一年生に向けてのもの。
40人を相手に話す。

最初はただ話を聞くと言うか、私を見ていると言うか、そんな感じ。
『メモを取りながら話を聞きなさい』
と指示する。きちんとできるではないですか。

改めて指示の怖さを思う。
私が、まあいいかと思ってこの指示を出さなかったら、この生徒たちはただ聞いているのか、見ているのか分からないままの50分を過ごしていたであろう。指示を出せばできるのである。

指示待ち族を作らないように自主的な活動を求める。
これは分かる。しかし、まずは指示にきちんと従うようにすべきであろう。その上で、自らではないかと思う。

与えられた指示すら出来ないのに、自らオリジナルのことができるなんてことは、そうそうないはずである。

授業後、タクシーが来るのを待っていたら、担当の先生に声をかけられた。

「池田先生ですよね」
『はあ』
なんか間抜けな返事をしてしまった。
「先生の、御著書、HPなどを拝見して、勉強させて頂いています」
『え、そりゃまあ、どうも。恐縮です』

びっくりした。
私が中学校の教員の頃からずっと読んでいてくれているのである。なんというか、まあ、嬉しいことである。

いろいろと質問を受ける。
『うーん、例えばこういうのはどうでしょうか?』
と提案したりもした。
『これからもあれこれ失敗するであろうから、それを楽しんでいただければ』
などとあれこれ話して、高校を後にした。

T先生、ありがとうございました。
ああ、びっくりした。

その後、学科の新年会。
京都市内某所で。
あれこれ続くのである。

食事をしながら、お酒を頂きながら
結局教育の話ばかり。学生の話ばかり。
ああ、なんて私たちは教員なんだろう(^^)。

いいことだ。

2009/01/29

梅の香が、微かに漂っていた

1/28

いつもと同じ程度のお酒だったと思うが、教え子から貰った「景虎」が心地よく効いたのかもしれない。また、授業を走り抜けた充実感からかもしれない。

飲んだ後にやらないようにしていることが二つある。風呂に入ることと、床暖房の入った床に寝転がることである。が、昨日は、後者をやってしまった。

ああ、禁断の心地よさである。
そのまま明け方までごろごろしてしまった。

ああ、極楽。

今日の琵琶湖は快晴無風だ。
まるで、

春の海 終日のたりのたりかな

のようである。
美しい。

昼過ぎに学科の会議の最初だけ参加し、そのまま近江八幡市へ高速で向かう。近江八幡市教育研究発表集会があり、その後半で講演をすることになっているのだ。

今回もそうなのだが、『教師になるということ』(ひまわり社)を読んで下さった方からのこういう依頼が増えている。ありがたいことだ。

近江八幡市はちょっと遠いし、学科会議を途中で抜け出すことになるのでどうしようとも思ったが、本学科の学生たちが教育実習等でお世話になることもあるだろう。ということで、お引き受けしたのだが、いやあ大変であった。

お話を聞かれる方が教育長やら教育委員会のお歴々やらで、
(本当に私が話しても良いのだろうか)
と思わざるを得ないものであった。

が、いったんお引き受けしたからには最善を尽くさねばと、あれこれ準備し、とにかく持ち時間いっぱいまでお伝えし、かつ、持ち時間を越えることの無いようにせねばと、話を続けた。

会場のスポットライトが強烈で、観客席にいた先生方の反応が今ひとつ掴みづらかったが、それでもなんとか声をかけてくださった先生に、しまったと思われない程度の講演はできたかなと、終了後の参加者の顔を見て一安心であった。

講演は授業と違うから、なかなか大変である。

講演後、教育長としばし懇談。
「どうしたらこの教員の忙しさを解消することができますかねえ」
と相談を受けた。
私は日頃から考えていることをいくつか申し上げた。
できるだけ、お金が掛からずに既存のものを活用する方法である。

1)四月に実施する健康診断を保健所でやる。
2)学級担任事務のアルバイトやボランティアを入れる

本当は、次のことも言いたかった。

3)勤務時間以降の電話は、留守番電話とする。

である。
どこかで一つでも実施しないだろうか。ずいぶんと変わるはずだが。

大学では、一回生の「鍋パーティ」が行われている。一回生の終業式として行うものだ。ちょっと間に合いそうにもない。家に向かう。

家に着いたところに、電話。
「祇園で待っているよ」
とのこと。知り合いの先生とその仲間である。
慌てて駆けつける。

昔の仲間の縁でこちらで出会った先生や、その先生から紹介された先生たちと、食事。
祇園ではあるが、一見さんお断りとかそういう店ではない。トンカツとかコロッケとかがある定食や。しかし、ここを見つけるのは、そうとう難しいと思うぞ。そんな穴場中の穴場で、これからのことをあれこれ話す。

なんか新しいことが起こりそうだ。

祇園といえば、八坂神社である。地下鉄の東山駅に向かうとき、遠回りをして八坂神社に円山公園を通って行った。八坂神社は、灯りがついていて幻想的。円山公園のしだれ桜は、これから迎える春のために妖気を蓄えているかのようであった。

そして誰もいない。
独り占めである。
梅の香が、微かに漂っていた。

うーん、忙しい一日だったが、充実していたなあ。

2009/01/27

学級担任論で、今年度の授業は全て終わり

朝の読書は、風呂の中で。
昨日から読みかけの本が終わりになりそうだったので一気に読んでしまった。マーケティングと教育の関係をあれこれ考えさせるのに面白い本であった。

内田先生が『下流志向』で示したように、消費行動というものが教育を語るキーワードになっている現在、マーケティングから教育を見てみるということは、意味のあることではないだろうか。

もちろん、教育は経済活動ではないので、根本的に違うものがある。しかし、その一方で不易流行の流行の部分で見ると、今は消費行動と教育を考える必要もあるだろう。

読み終えた今、そんなことを考えている。

読書の面白さは、その読後10分にもある。
今読み終えた本を、もう一度書き込みをしたところを手がかりに読み直すのである。

書き込みは、読む前の私(A)が規準になって書き込みをしている。見直しは、読む前の私(A)が一冊を読み終えて、その一冊が付加された私(B)になっている。その付加された私(B)が、改めて読む前の私(A)が行った書き込みを再評価する訳である。これが面白いのだ。

(ほほう。ここに(A)は線を引いたのね。こんなことを思っていたのね)と(B)が思うのである。

この(A)と(B)関係がいろいろとある本が面白いわけである。いろいろあるのを楽しんでいると、風呂の読書はのぼせる訳である。

ああ、風呂上がりの冷たいお茶が美味しい。

今日の学級担任論で、今年度の授業は全て終わりとなった。
本日は通知表の書き方。

事前に近隣の小学校から協力を得て通知表を手に入れてあったので、新卒教員が配当されやすい2年生と4年生の通知表について、自分が2年生4年生のときのことを思い出しつつ、過去の自分の通知表を見つつ、書いてくるということを課題としてある。

自分が小学校のときには分からなかった、担任の愛情の言葉が、いま大学生になって読み返してみるとよくわかったという感想を持つ学生が多くいた。そうなんだね。子どもが真剣に生きていないとは思わないが、経験が少ない子どもには分からないこともある。担任は、その子どもから嫌われることも覚悟で、未来の成長のために厳しい言葉も言う必要があるのだよ。そんなことは話したよな。それが分かって良かったねえ。

通知表は、成績、所見、出欠席の三つの項目からなることが多い。今回課題に出した小学校もそうなっている。しかし、自分の時代のもの比べて、びっくりする学生である。英語の活動がもう通信簿に入っているのである。

今日の講義では、このそれぞれの書き方を説明した。

簡単言えば、

1)事実の蓄積
2)事実の評価
3)評価の記述

となるわけだが、1)がなければどうしょうもないことが、学生たちにはよくわかったようだ。とにかくメモを取れ、とにかく文章を書けとやってきた意味が少し分かったのではないかと思う。

具体的な資料を見せながら、どのように成績をつけ、所見を書き、通信簿を作成するのかを示した。

学生たちは、とにかく空いた口が塞がらないという感じであろうか。絶対評価と相対評価の違いはまあ何となく分かっているが、絶対評価の場合、規準と基準の違いが分からなければどうしようもないし、それを奇麗に計算するための、エクセルのマクロがこんなふうになっていて、これも使えないとダメかと思うと、だんだん身の置き場が無くなって行くのではなかっただろうか。

しかし、私は

『むしろ、エクセルを使わないで成績をつけている先生方の方が、私は驚きです。さらにいえば、こんなの教師だから大変なのではなくて、社会人になればあたり前のようにやることです。教師だから大変の部分は実はあまりないですよ』

と追加する。

二回生の後期でこの授業があって良かったと思う。
三回生ではちょっと遅い。自分に不足しているところを見直す時間が少ないだろう。

さらに三回生の後期から教育実習に行くのだから、今やっておけば実習のときに観察する時の観点も違ってくるだろう。学級担任論でやった項目を観点にして教室を見ていくと、ずいぶん見え方が違ってくるはずである。

この授業では、学級担任の仕事を通して、子どもに関わるとはどういうことなのかを考えることを大切にしてきた。指導の技術を理解し、それができれば指導できると勘違いされないように、あれこれ話してきた訳だ。

今日の通知表のことだって、エクセルが使えれば通信簿が書けるなんて思われたら、大変な勘違いである。エクセルはあくまでも方法である。目的は、子どもたちを伸ばすことにある。学級の集団を通して子どもたちを伸ばすことにある。そのために、評価をするのだし、そのために通信簿を書くのである。

生きて行く上で、目的と方法を取り違えることはよくある。この授業ははじめて担任になったときに混乱しないように、倒れないようにと、最低限の基礎的な方法を教えてきた。そしてその一方で目的と方法を取り違えることのないようにとも話してきた。この技術はなんの目的を達成するために必要なのかを考えるようにさせてきたつもりだ。

来年度、教育実習に行ったときに学生たちが
(あ〜、そういうことか)
となることを期待したい。

と、まあこんな風に書いてきたが、この授業をここまで終えるのには、いろいろと準備も大変であり、苦労もしてきた。グーグルで「学級担任論 シラバス」で調べてみると、ほとんどヒットしない。

二年前にこの授業を実施することが確定した時から、シラバスを何回か書き直し、横浜の野中信行先生や東京学芸大学の山田雅彦先生にご意見を頂いたりしながら、さらに書き直し、授業に関連する資料を集め直し、整理し直しとしながら進めてきた。

学生たちは、授業のある毎週火曜日が来ると、ああ課題が終わっていないと憂鬱だったと思うが、私は私なりに授業の準備に追われていたものである。最低、二週間前に授業の最終準備を終えるようにあれこれしてきたが、直前になって変更するということもあり、スリリングであった。

中学校の授業では、教科書があり、(見なかったけど)指導書があり、(あまり見なかったけど)先行実践があり、とそれなりに授業の準備の手助けはあったが、大学ではない。とくにこの授業はなかった。

それだけに、いま、やり終えたと言う感じは強くある。
もちろん、これを元に来年度もバージョンアップして行くのだが、しばらくはこのスタイルで行くことになる。この数年、立ち上げばかりやっているが、これで一段落。あとは、来年度から始まる専門ゼミに照準を合わせれば大丈夫だろう。

倒れることなく途切れることなく授業を続けることができたのは、野中先生、山田先生を始め、いろいろとアドヴァイスをしてくださった先生方や、膨大な資料を残してくださった故家本芳郎先生の御陰である。さらには課題とはいえフィードバックの感想を毎週書き続けていた学生諸君の文言によるところも大きいだろう。

将来は、この授業内容を元になんとか一冊の本が書けるぐらいにしてみたいと思う。
それが、アドヴァイスを頂いたことへのお礼であり、先頭を走ってしまった私の責任なのだろうと思っている。

授業が終わると、私を待っていたかのように電話とメールと書類の束。
あれがこうなって、そちらはお世話を頂いて、それはどうもすみませんとお詫びをし、で、この次はここをこうするのねと打ち合わせをして、え、それは良かったですねとメールを打って。さらには赤ペンを出してあれこれ校正をしてと。
これで一安心かな。

さあ、あとは、明日の近江八幡市の講演の最終準備だ。
ハンドアウトは出来ているのだが、これを80分で話し終わるように作り込まねば。
練習しなければ。

もう一踏ん張りだ。

2009/01/26

やはり新年を祝うのには

朝から読書三昧、と行きたいところだが三昧までは行かないので、二昧ぐらいにしておこう。午前中に読みかけの本を三四冊とっかえひっかえ読む。このところ、マーケティングの本と広告の本が面白い。マーケティングと広告の本を呼んでいるのに、教育や作文に私の中でリンクして行くのだから、びっくりする。

If You're Still In Love With Me

いやあ、Earl Klughはこういう日のBGMにはいいなあ。

懸案の年賀状も、今日こそはと思い頑張る。
旧正月の元旦に書く年賀状も、乙なものであろう。いや、すみません。

予定した年賀状の2/5は終わりました。
インクが無くなったり、なんだかプリンターがうまいこと行かなくて難儀したことなどもありまして。
一度設定を全部キャンセルして、やり直したらうまくいきました。
マックは楽だ。

はい、すみません。立春まではなんとかしたいと思います。

にもかかわらず、やはり新年を祝うのには、レフ ブロンドなんぞを頂いているのであります。
さ、明日は今年度最後の授業です。

本日は、旧暦の正月

さ、オフである。
そして本日は、旧暦の正月である。
みなさま、あけましておめでとうございます。
初日の出も、ばっちりと琵琶湖から昇ってくるのを拝みました。

Imgp2747

今年はカレンダーの一つを月暦のものにしたので、旧暦が分かりやすい。なんとなく意識するのだが、季節の実感はこちらの方があるなあ。

袖ひちてむすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらむ      紀貫之

もちろん、これは立春のころを表すのであろうが、なんとなくこの歌を口ずさんでみたくなる心持ちである。湖面に漂う水蒸気も、そう言う思いで見ればうららかに見えるのだから面白い。

ちなみに、紀貫之のお墓は、我が家の裏に聳え立つ比叡山の中腹にある。彼もこの琵琶湖の景色を見ていたのかと思うと、勝手に縁を感じる。

今年もよろしくお願いいたします。

野村誠さんのDVD撮影

1/25

そして、本日はその野村誠さんのDVD撮影。うちの学生たちを出演者にして、音楽のワークショップの様子を撮影するのだ。

監修は糸井先生。私は、なんというか中高のクラブ活動で言うところの会場校の先生。特に何をするのでもなく、ワークショップを拝見したりしながら、急な出来事に備えて一日中いる。

ワークショップを見続けていたい気持ちもあるのだが、今週の水曜日に行う近江八幡市の講演の資料が作りきれていなかったので、そちらの仕事を行う。

こちらはなんとか完了。
あとは、明日の旧暦の正月に合わせて、年賀状を書くだけだ。
まだ書いていないのねんねん。

一つのプログラムは最初から最後まで見たのだが、凄いの一言であった。

学生たちに一つの音楽の遊びを与えるのだが、そこで示された学生たちの活動を、さらに次のステップに替えながら、新しい音楽遊びをつくり出して行くのである。

つまり、子どもの事実がそのまま音楽の素材になるという展開である。

すんごい専門性を持っているから出来るのだろうが、それを感じさせない。そして、ぐいぐい高みに引っ張って行くワークショップである。

面白かったのが、野村さんは、聞こえた曲をそのまま鍵盤ハーモニカで奏でることができる。そして弾いてから、その音楽を黒板の五線譜に書き表してみて、
「ふーん、こうなっているのね」
と確認していたのだ。
これが私には非常に面白かった。

聞けることと、弾けることと、分析することをやっていたわけだ。素人考えでいえば、聞いたことをそのまま弾けるんだから、何も楽譜に各必要はないだろうと思う訳である。

その辺りを聞いてみたら、
「楽譜に書くと、全体が見えるでしょ。和音の響きとかも分かるし。何小節かも分かる」
ということは、弾いている時は、何小節かなんかは意識していない訳なのがわかる。いやあ、面白い。

感動しながら、昼ご飯を糸井先生と野村誠さんと私で食べる。
私はあれこれ質問をして楽しんだ。

『曲を書くと、文章を書くは、同じ書くですが、同じですか? 同じところと違うところがあると思うのですが、それはなんですか?』
『音を聞いてそのまま楽器で演奏できるのに、なぜ一度譜面に起こすのですか?』
『楽譜の断面図を指定したら、そのときに流れている和音が楽譜から聞こえるのですか?』

プロに対して失礼な質問ではあるが、プロにしか答えられない質問もたくさんした。そして、文章を書く、音楽を書くことの共通項の多さを改めて確認した。問題意識もかなり似ていたので驚いた。

この辺りの知見は、来年度の国語科教育法か、教科教育法(国語)の授業で活かすことができると思う。

野村さんのブログは、ここ。ご本人がもっと詳しく書かれています。

糸井先生に言われた。
「いやあ、池田さんと同じだね。野村さん」
『ん?』
なんだか分からなかった。

「ほら、一つを与えて、自分たちでルールを設定させて、次から次へと展開して行くやりかただよ」
『あ、そこですか』

言われてみればそうかもしれない。
音楽と国語、または音楽と学級づくりということで、勝手に違うように思っていたのかもしれないが、糸井さんから見ると共通項だらけだと言うのだ。なるほど。見てくれる人がいるというのはありがたいことだ。

あれこれ刺激を受けることのできた週末であった。

2009/01/25

明日の教室 第20回

明日の教室第20回は、平盛小学校のドリームコンサートを鑑賞する。
三人のアーティストが学校に入り、子どもたちと一緒に曲を作りコンサートを作って行くのだが、その最終の部分のコンサートを拝見する。

この取り組みはもう5年目で、そして今回が最後になる。私はそのうち、二回ほどお邪魔した。

こういってはなんだが、コンサートはコンサートとしてあるのではない。コンサートに至るまでの部分が、コンサートなのだと思う。私も嘗て軽音楽部の顧問として子どもたちと一緒に、多い時は年間に7、8回コンサートをしてきた。コンサート当日は、まあ、いわゆるコンサートだが、それを動かして行くために事前の準備、ステージングがとても大切になる。

軽音楽部にやってくる子どもたちは、音楽が好きでステージで目立つことが好きでやってくることが多い、というかそれがほとんど。

私はステージに立つために、ステージをまわすために運営をきちんと指導してきた。もちろん、演奏もであるが、ここができない者はステージには立たせなかった。

小学6年生、1年生と一緒に一週間作り込んできたコンサート。いろいろなことがあったんだろうなあとよくわかった。詳しくは、ここにある。

コンサートは、娘も連れて行った。最近、芸も覚えてきたが、なんといっても名前をフルネームで呼ぶと、手を上げて答えるようになってきたのが可愛い。ま、そんなことはどうでもいいのだが、連れて行った。

最前列で見せてあげることができた。
はじめのうちは、固まっていたが音楽が流れると少しずつ体が動きだし、「ワニバレエ」は、ノリノリであった。恐るべし「ワニバレエ」である。

最前列で見ていたので、ステージにいる小学生から娘はよく見える。娘が、一曲終わるごとに拍手をする姿を見て、「可愛い!」と声をかけてくれる。父としては嬉しいのだが、一方で、
(いまはステージでコンサートの最中だろうが)
とどうもそちらの方にも気が行ってしまう。ハラハラしながら鑑賞。

私は最後の曲が良かった。

この冬一番の寒さの京都であったが、体育館が東南アジアの空気に変わったのだ。一年生が好き勝手に打楽器を打ち鳴らすのだが、その音があの森の中でざわめく動植物のそれと同じで、なんとも心地よかった。

この打楽器は、当初予定していなかったのだが子どもたちがやりたいやりたいというので、急遽入れることになったように見えた。だが、それが何とも言えない味わいを出していたんだなあ。

子どもを大事にする。
その時を大事にする。
そういうことなんだけど、これは子どもを信じること、信じた子どもを活かしきれると言う自信が指導者にあること。最低この二つがないと成立しないと思う。

それを見ることができた。
幸せだった。

娘を家に連れて帰ってから、懇親会に向かう。
イギリスからのミュージシャンがきていたこともあり、英語の飛び交う懇親会であった。

昨日の夜は久しぶりに耳鳴りが激しかったこともあり、いつも以上に英語が聞き取りにくかったが、でも、分かったなあ。なんなんだこの感覚は。

明日の教室から、ライター登場をよろこび、たくさん食べて一次会終了。
二次会は明日の教室初の、カラオケに決定!
(をを、いよいよ歌うか?)
と思って部屋に入ったが、歌うことなくみんなで語り続けて終わった(^^)。

私と糸井先生は、4月からの明日の教室のスケジュールの確認。
またまた面白くなりそうです。

この日は明日のDVDの収録があるので、10時には家に戻っている私でした。

1/23 臭い酒、臭い食べ物が欲しくなった

1/23

授業が終わった後、顧問をしている教職サークルの新年会に向かう。授業が延びたので、遅刻して到着。すまん。
やっていればいいのに、待っている律儀な学生たちであった。

あれやこれやと話をしながら、彼ら彼女らの今年のこと、これからのこをと聞く。

院を終えて地元に帰る準備をする者。卒業して非常勤講師をしながら採用試験に挑戦する者。教育実習を前に力をつけねばと意気込む者。いろいろである。

そんなこんなを話していたら、最近連絡がない、九州にいる元学生のことを思い出す。早速そこにいた同期生に電話で連絡させる。

『おーい、大丈夫か』
「せんせ~い」
と。
なんとか生きている声であった。

この不景気で大変だと思うが、それはあなたの責任ではないので、あまり落ち込むことのないようにね。また京都に来たら会いましょう。

大学を出る。希望通りの進路先を得た学生は、本学の場合どのぐらいいるのだろうか。去年の就職率で言うと85%ぐらいで、関西の私学では結構上位の所にいるのだが、第一希望はどのぐらいなのだろうか。

専任の教員をめざして頑張ってきて、ダメだと分かり非常勤をやったり別の種類の免許状を手に入れようと努力を重ねようとしたりする学生たちに話をしていて、ふと思った。

(ん、俺、第一希望ではない人生だぞ)

と。

高校を選ぶところからして、ほとんど全てのところで私は第一希望通りに人生が動いたことはない。唯一は結婚ぐらいであろうか。あと、進路、就職、異動など希望が叶ったことはないということに気がついた。

気がついたというくらいだから、もう自分の中ではどうでもいいことになっていたのだろう。でも、思い出してみるとその時は確かに、
(なんで、俺がこの校務分掌なの?)
と思ったり、
(なんで、この学校なの?)
と思ったこともあった。

しかし、今ではすべて
(ああ、良かったなあ。あの仕事をやっておいて、あの学校に行っていて)
と思えるようになっている。だから、第一希望でなかったことを忘れていたんだろうと思う。

いや、そうじゃないかもしれない。今も大した人間でもないが、第一希望通りに人生が進んでいたら、私はとんでもなく嫌な奴になって、なおかつ何も力をつけることなく、周りに不満を言い散らかしながら生きている人間になっていたんだろうなあと、簡単に想像できる。

第一希望でなかった人生が、私を育ててくれていたんだなあと、学生たちと話していて気がつく。うれしいことだ。

家に帰った。
臭い酒、臭い食べ物が欲しくなった。

スモーキーフレーバーのウイスキーとブルーチーズを出してきて
この日を閉めた。

授業に新年会にと良い一日だった。

2009/01/24

こうして授業を続けていく

日本語コミュニケーション技術1(ディベート)の授業も終わった。

最後の90分間は、まとめである。この半年でどんな力をつけようと考えて指導してきたのかを軸にしながら、あれこれと振り返った。

『中等教育におけるディベートの研究』とシラバスを手がかりにして、何を学ばせようとしていたか、そのために何をしていたのかと語り、それを受けての学生たちの語り、そして、私のコメントという形で授業を終えた。

ある学生は、
「この授業がなんで教職の必修でないのか分かりません」
と言っていた。

(この授業の目的と内容を理解しているな)
と嬉しくなった。

ディベートの授業は、やっている私が言うのも変だが、大変である。その学生たちが言うのだから、それは良かったと思う。

ただ、大変には二種類あることは理解しなければならない。
大変だが、大変なだけであるもの。
大変だが、それを乗り越えることで自分の成長に繋がるもの。ディベートの授業は明らかに後者である。

成長した彼らが、今後の学生生活で活躍することを願う。

国語科教育法2の授業も終わった。
私が言うのも変だが、ディベートの授業よりも大変である。

ある学生は、振り返りでこんなことを言った。
「前期の三回目までで、いつ辞めると言おうかとタイミングを見ていました。でも、先生が恐くて言い出せませんでした。前期が終わったところで、生き残ったと思いながら後期は大丈夫か?と思いました。そして後期が終わる今、この授業が楽しくて終わってほしくないと思っています」
と。

もちろん私は
『希望があれば、単位はDをつけますが(^^)』
と言いました。
当該学生は
「できれば遠慮をしたいのですがf(^^;」
と。
こんなくだらない会話が出来るぐらいに育っている学生たちであった。

通常の授業の後、さらに1時間ぐらい終わらずに、あれこれ話す。

・授業を作るとはどういうことなのか
・人生の選択の際に、何を規準にするのか
・学び、学び続けるということはどういうことなのか

学生たちは、もう完全に習慣になったメモを取りながら話を聞くというスタイルで、最後の最後までメモを取り続けていた。

私はその後のことがあったので、そのまま後にしたが、
学生たちは、あれこれしなければならないことや
やりたいことをしていた。

そんな彼らが最後に自分たちで撮った写真である。課題提出用の掲示板に貼付けてあった。
黒板には、一年間書き続けてきた板書の練習の成果を表す自分の名前の字。その字の下に笑顔で学生たちが写っている。私の名前もしっかりと書いてくれてある。

個人情報丸出しなので、画素を落とし、画質も荒くして雰囲気だけ載せておこう。

08kokkyouhou_2

さ、来年度の教育実習に向けてさらに力を備えよ。
そして、それぞれの道に向かって、新たな一歩を踏み出すがよい。

大学は意欲のあるものだけが学ぶことができる。西川純先生の言葉である。そうだと思う。

私たち大学教員は、学生の意欲に灯をともし、風を送り続け、大きな炎にしつつ、学びを引っ張ったり、後押ししたりしながら、こうして授業を続けていくのだと思う。

2009/01/22

面白いなあ、言葉って

『子どもは、言葉を通して、感情、論理、意味を伝えてくる。私たちは、子どもの言葉から、その三つのうちの何を伝えたいと考えているのかを理解する必要がある。理解した上で、対応するのである。そのためのレッスンをすべきである』

と書いたが、何も子どもに限定する必要はない。人間はでいいのである。

この二三日、私はこの三つの要素のうち、感情の部分が非常に大きく動いているのを自分で感じている。感情の要素は、プラスの感情とマイナスの感情の二種類がある。いまの私は、時々猛烈にプラスの感情が出てくるのではあるが、マイナスの感情が支配することが多い。

こういう時は、黙るか発散するかである。で、今は黙っている。もちろん、こうしてブログに書いているぐらいだから発散しているのだとも言えるが、その核になる部分は、自分でも触れていない。

よくわからないのだが、黙ることでこの感情を昇華する論理と意味が生まれてくるような気がしている。

過去にも同じような経験をしたことが何度かある。その時も私は黙っていた。誰にというのではなく、自分のことばが三つの要素をきちんと充実させるのを待って黙っているということだ。

経験的に言えば、この沈黙の後、大きな変化が来ることが多い。それは何なのか自分でも今はよくわからない。

ただ、感じるのは言葉というのは「感情、論理、意味」の三つとして現れる前に、何者かがもっと根源のところにあるのだろうなあという思いと、現れた言葉がその何者かを突き詰めようとして、もう一度自らを解体し、何者かになるという繰り返しをしながら存在するのだろうなあと言う思いである。

面白いなあ、言葉って。

人生の醍醐味の一つ

今年の後期の児童教育総合演習のゼミが終わった。

後期の授業は今週辺りから終わって行く。他の大学では、先週や先々週から終わったというブログを読むことがあるが、どうして終われるのか不思議だ。いろいろあるのかもしれないが、私のところは今週から終わりになって行く。

大学と中学校が大きく違うのは、ここで授業が終わることだろう。今日は、この後期の授業を振り返りながら、私たち教員が何を目指してこのゼミをしてきたのかを話し、学生たちが何を学んできたのかを振り返った。

このゼミでは、主に子どもの書いた作品を頼りにして、テキストリーディングのレッスンを行ってきた。要は、子どもを知るためのレッスンである。

しかし、この子どもを知るというのは、簡単なようでなかなか難しい。それは作業と目的の二つの面で大変である。

作業で言えば、子どもの書いた作品を読み込むためのテクニカルなレッスンや子ども観を育てる勉強が必要になる。ここが大変なのが一つ。

いま一つは、子どもを理解するというとき、子どもの「過去」を理解することが子ども理解だと誤解する問題があることである。確かに、どういう家庭環境で、どういう病気やアレルギーを持っていてということを知ることは大事である。しかし、ここを知ったことが、イコール子ども理解ではない。

子ども理解とは、子どもの未来を知ることでもある。言い方を変えると、子どもが将来どういう人間になっていたいのかを知ることである。子どもの生きる目的を理解することである。過去は変えようがないが、未来は変えられる。どういう人間に育ちたいのかが分かると、子どもの指導は半分ぐらいできたのではないかと思われる。

そのことを、このテキストリーディングで考えさせてきたのである。

『子どもは、言葉を通して、感情、論理、意味を伝えてくる。私たちは、子どもの言葉から、その三つのうちの何を伝えたいと考えているのかを理解する必要がある。理解した上で、対応するのである。そのためのレッスンをすべきである』

『しかし、当然理解すると思うが、子どもは言葉だけではなく、音楽、絵画、ダンス、運動、遊び、いじめ、喧嘩などなど、さまざまなものを通して、伝えてくる。これを受け止め、子どもが育ちたい人間になるためには、どうしたらいいのかを考えて、あれこれするのが、教師の仕事なのである』

学生たちは、ボーッとしている。

『(そんなの無理)と思っている諸君もいるだろう。ははは、そういう諸君なら大丈夫だ。根拠もなく、自分なら大丈夫だと思って教師になる人より、自分は大丈夫なのかと思って勉強を重ねる諸君の方が、安心である。君たちはそのためのレッスンをしてきている。これだけしてきているのだ、しっかりと教師を目指しなさい。

教師に限らず、仕事というのは、完成するものではない。完成を目指して目の前のことをやり続けることなんだと、私は思っている。だから、目の前のことをきちんとやれる諸君にならねばならない。子どもの未来が掛かっているんだからね』

『通常は、君たちがいま悩んでいることは、仕事に就いてから悩むことだ。だから、いま悩んでいるということはいいことなのだ。2年も早くやっているんだから、大丈夫。あと2年は一般的なところよりも余裕があるはずだ。

ただ、もう少し言えば「悩む」ではない。「考える」であることだ。悩むは、犬が自分のしっぽを追いかけてその場をぐるぐると回ること。何も解決しない。考えるのだ。考えれば、答えが出る。この答えを元に行動する。結果が出る。その結果を元に考える。もっとうまくいくためには、失敗しないためにはと。これを日本語では試行錯誤と言うのである。

あれこれやることが許されているこの大学生と言う時間に、あれこれ考えて、あれこれやれば良いのである。何か、答えが出る。』

『大学一回生の諸君には、「この為に、このようにしなさい」と話してきた。二回生の諸君には、「この為に、自分で考えてしなさい」と話してきた。三回生の諸君は、「○○の為に、指導を受けつつやりなさい」であり、四回生の諸君は、「○○の為に、自分と仲間たちの力でやりなさい」だ。児童教育学科では、大きな枠組みとしてこのような指導の計画を立てているのだよ。君たちは、そしてその二回生を終える』

『三回生の諸君は、「○○の為に、指導を受けつつやりなさい」というときの、○○には君たちの配属される専門ゼミが入ると考えて良い。教育に関して君の専門性を身につける努力をするのである。その専門性に依拠しながら、君たちは子どもを大人に成長させる、人間的成長を導く仕事に就くのである。多いに努力するがよい』

『ただ、自分の希望する○○に行けるかどうかは、分からない。希望通りに行く諸君もいれば、そうではない諸君もいる。しかし、人生が面白いのは、希望通りに言ったら正解で、そうではなかったら不正解だと言い切れないところである。

一言で言って、人生が正解か不正解かというのは、わからない。最後まで分からない。ただ、こういうことは言える。正解は「正解になる」ではなく、「正解にする」ものであるということである。自分の人生は、自分で正解を作ることができる、導くことができるのである。

「あれもできない、これもできない。あれがない、これがない」という生き方もある。しかし、「あれもできる、これもできる。あれがある、これがある」という生き方もある。できない数を数えるより、できる数を数える方が人生は楽しい。

(ああ、この選択は、選択の段階では失敗だと思ったけど、本当は正解だったんだなあ)
と思えるような人生を、自分と仲間たちで作っていくのが、人生の醍醐味の一つなのではないかと思うのだよ』

本当は、林竹二先生の「授業人間について」のビデオ(ビーバーの巻)を見せた意義もかねて話をしたかったのだが、時間切れ。ま、しっかりと学んだ諸君なら分かったであろう。

その後、学生一人一人からの振り返りを語らせた。
そこに、私からのコメントを重ねていった。

来年度、それぞれの専門ゼミに行って、専門性と人間性を磨き、
学生諸君が成長することを願う。

2009/01/21

こういうひりひり感

ちょっとあれこれあった午前中。
まあ、良い方向に向かったので良かった。
ひと安心。

午後から会議会議。
どうしたら、よりよい大学を作って行けるのかのさまざまな会議である。知恵を絞り、実行可能なところから実行に移すことを考える。

大学全体から学科までそれぞれの場所で、なんとかより良い大学を作るために、知恵を出し合う。

こういうひりひり感は好きだ。

2009/01/20

ヒューガルデンにレフ@四種類

日頃の行いが良いとは思えないが、ちょっと仕事を頑張ったからであろうか、お気に入りのビールが半額以下で手に入った。

近くのスーパーで買い物をして帰ろうと思ったら、ヒューガルデンにレフ@四種類が200円で売っていたのだ。信じられない。賞味期限切れかと思って確認したら、全然大丈夫。

慌ててあるだけ買ってきた。

家についてリビングに袋ごと下ろして、手を洗ってうがいをしていたら、何やらビール瓶のカチャカチャ言う音。振り返ると、娘がご丁寧にテーブルの上に並べていた。

このところ娘は、同じ種類で多数あるものがたいそうのお気に入りである。鉢植えの栄養剤、和蠟燭、缶ビールなどなど。たくさんあるものを一つ一つ別の場所に移動しては並べ、また元に戻してご満悦である。何が楽しいのだか分からないが、楽しそうにしている娘を見て、私も楽しい。

遊ぶのに足りなくなったらまた買ってこよう。
ヒューガルデンにレフ@四種類。

特に、いじめについての指導を考える

本日の学級担任論は、「【場面別指導4】 喧嘩、いじめ、からかいなどのトラブルへの対応を中心に扱う。」である。特に、いじめについての指導を考える。

架空のケーススタディを元にして、クラスに発生する一般的ないじめの構造を理解させることから始める。

ケースを示し、そのクラスの担任だったらあなたは、最初にどう指導するのかを考えさせるのである。短時間で考え、短時間で実際にやらせるので本格的なことはできない。しかし、短時間だからこそ、その学生の本質的な部分が出てくる。日頃の勉強や考え方が出てくる。

2分間で考えさせ、5人グループになって1人1分で、その指導の言葉を実際に他のメンバーに語ることをワークとしてさせる。

教室の中を回ってあれこれ聞くと、予想していた通りの指導言であった。ワークの後、この問題の観点を示しながら、彼らの話の様子を聞くとやっぱりできていない。

『残念ながら、その指導では、あなたのクラスではいじめはなくなりません。担任であるあなたの目の前ではいじめはないように見えるかもしれませんが、実際は違います』

という話になる。
なぜそうなるのかの解説を行う。いじめの四層構造の話である。
学生たちは、ショックを受ける。

しかし、
『いや、いま知ることができたので良かったわけです。指導できるかどうかは別ですが、知らないあなたから成長したわけです』
と話す。実際にそうだ。

その後、いじめの定義、いじめの種類、いじめの方法と、話していても頭が痛くなることを話し、さらに、いじめを発生させないための指導のあり方と、それでも発生してしまった時の指導の基本的な考え方とを講じる。

本日の参考資料として、

『 友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル 』((ちくま新書) (新書)土井 隆義 (著) )
『「か弱き、純真な子ども」という神話』(和田秀樹 中公新書ラクレ)

を紹介。
特に『友だち地獄』は、かなりヘビーだが読み応えのある良い本なので、しっかりと読んでほしいと紹介。

先週、課題として以下のものを与えておいた。

「最近気になった事件の記事を持ってくる。日本の社会で起きたものが良い。新聞のコピーでも、インターネットでコピーしたものでも良い。一つ持ってくる。」

これを今日の授業の後半で交換させる。そして、こんなことを言った。

『ここにはいろいろな事件があります。あなたは、この事件の当事者の親御さんの子どもを担任しています。さて、担任としてどうしますか。

交通事故で亡くなった事故。火災で全焼した事件や倒産してしまった会社。その関係の子どもを自分が担任していたら、あなたは担任として何ができますか』

相変わらずいじめを伝えるニュースが、届く。そのニュースを人ごとではなく、我がごととして捉えることができるようになると、社会面はずいぶん違って見えることになる。

坂本竜馬は、あの時代にこの、人ごとの問題を我がごとと捉え、藩の人間ではなく日本人としてどう生きて行くことが大事なのかを考えて実行した人間であろう。

そうだとすれば、日本の、世界の苦しみを我がごととして受け入れ、日本人ではなく世界人として考えて行動することが、今の私にたちには必要なのではないかという思いも抱く。

その一方で、きちんと今の時代の目の前の子どもを見ることも大事である。そんな二つの視点を学生たちが持てるようになるといいなあと思う。そうすると、時事問題がすべて教育問題として見えてくることであろう。

いじめのことだけでも、相当深刻な問題ではあるが、いじめだけでは終わることなく、社会のさまざまな問題に目を向ける教職を目指す学生であってほしい。

授業後、大学のあれこれの仕事を一気に片付ける。

To Do リストを作って、重要性の高いものからウシャウシャと片付ける。そこにあれこれと電話。ウリャラアアと取り組む。そこに学生がやってくる。ぺたぺたと判子を押しながら誤字脱字を指摘する。

教務、キャリアセンター、企画広報、入学、学科のあれこれの仕事を終わらせる。To Do リストに書き出した内容の8割は完成。ふう。

授業に事務にと、よく働いた一日でした。

2009/01/19

「カンゴロンゴ」

昨日、珍しくなかなか寝付くことができずに見た番組。

「カンゴロンゴ」

いやあ、面白かった。

現代の諸問題を、ドラマで表現し、漢文の世界にある故事成語を使って解決するのである。

ま、「タイガー&ドラゴン」が落語をベースにしてドラマを作っていたのの、漢語論語版と思えば良いのかもしれない。

「古典は未来からの手紙」

というのは私の主張であるが、こういう番組を見ると本当にそう思うなあ。

良い番組を見たものだ。

琵琶湖も春に備えている

月曜日はゴミ出しの日である。8時30分までに持って行かないとまずい。月曜日は研究日でもあるからして、朝はゆっくりとしているのだが、この時間だけは守らなければならない。

間に合うように外に出た。
(暖かい)
なんて、暖かいんだ。
確かに昨日の天気予報では、今朝は昨日よりも10度近く暖かくなるという予報だったが、本当だ。

今年は旧暦のカレンダーを家に飾っているのであるが、今年の旧正月は1/26である。つまり、来週の今日である。

 石激る垂水の上のさ蕨の 
 萌え出づる春になりにけるかも 
           『万葉集』志貴皇子 巻八 1418

いよいよこの歌を実感するころになるのだなあと、
ちょっと身震いする私であった。

あまりにもいい天気なので、まとめて布団を干すことに。
まだ花粉も飛んでいないので、安心して干すことができる。

リビングにある、娘が寝転がっても良いように使っている布団も干す。すると、そこに置いてある毛布を娘が持ってくる。これも干せというのか。

なんというか。私がしていることを理解しているのかねえ。

布団をひっくり返そうとしたところで、あまりの日差しの心地よさに一休みすることに。ハンモックである。

しかし、このハンモックは安い買い物だった。空に浮かんでいるような、水に浮かんでいるような、なんとも言えない浮遊感。ある人は、胎内にいるときが再現されいてる感覚だと言っていた。検証はできないがそうなのかもしれない。

琵琶湖には、新型の船が湖面を滑っている。「MEGUMI」というのだそうだ。近くの桟橋に接岸する練習をしているのだろう。琵琶湖も春に備えているのだろう。

2009/01/18

あれこれ考える日曜日

昨日の疲れが出たのか、一週間の疲れなのか、寝ていました。

朝はいつも通りに起きたものの、朝風呂の後の午前中の娘の昼寝に付き合って撃沈でした。

部屋の片付けをして、iPhotoのデータのバックアップをして、年賀状にたどり着く前で一日が終わろうとしています。

一つ片付けると、それを新しいおもちゃと思って娘は、お店を広げる訳です。そして、その相手をしつつ他のことを片付けてとしていると、それもお店に加えようとして、の繰り返し。

興味の赴くままに突進している娘に付き合って、一日が過ぎて行くのはなんともいえない。

センター試験の再試験が日本中で700人を超えるというニュースが流れている。このことの意味はなんなのだろうか。

1)700人も発生するなんて酷い。
2)そもそも、日本中で一斉に同じ試験ができること自体が凄い。

私は、多少のミスがあったとしても実施できていると言うことを凄いと思う。つまり、2)だ。

世界の大学入試システムや高校卒業認定試験のシステムを詳しく見た訳ではないが、同じ時間帯に同じシステムで動くことができるというのは、やっぱり凄いことだと思う。

仕事に就いて仕事をリタイヤするまで、せいぜい40年。
何か形になることができれば、よし。
しかし、やってもできなければ、それもよしなのだろう。

人類の持っている時間を考えれば、そのような答えが出るのではないかと思うこともある。

あれこれ考える日曜日であった。

2009/01/17

センター試験初日

センター試験初日。センター試験は二回目の試験監督である。しかも、初日。この日はリスニングがある。神経を使うところだ。

朝、8:30に集合。
娘が起きていないので、顔だけ見て行こうと思ったら、ちょうど目が覚めたところであった。

奥さんと私で
『おはよう』
と言うと、娘は元気に起きる。
そして、何でか知らないが、右手で布団を三回叩いて笑顔で喜ぶ。
奥さんと二人で爆笑する。

(ああ、朝がこうして嬉しく始まる人生が、彼女に多くあると良いなあ)
と思う。一度抱っこしてから大学に向かう。

到着と同時にお腹を壊す。
集合時間ぎりぎりに控え室に駆け込む。私が神経質になってどうするのだ。

試験は、延々と続く。

(あと、8時間ね。今成田を出ればハワイに着くね)
(あと、3時間ね。今成田を出ればグアムに着くね)
(あと、1時間半ね。今成田を出れば上海に着くね)

と思ったりもしながら試験監督をする。
幸いなことに本試験会場では何も問題はなく、定刻にお開きとなる。

生徒諸君は明日も試験。
みなさんにいい結果が出ますように。
本学でつつがなく試験が進行しますように。

2009/01/16

今日は評定についての授業

4限は、国語科教育法2である。
今日は評定についての授業である。

今日の授業は、ある意味大きなまとめであった。
後期の授業では、模擬授業を行い、その模擬授業を元にした試験問題を作成し、解き合い、解いたものを採点し、その採点の結果から評定をつけるという流れで行ってきた。この最後の部分を行ったのである。

観点別評価が導入されてから、中学校、高校の教員の事務量は比べ物にならないぐらい増えたと感じている。国語で言えば、五つの観点ごとに成績をつけて、その成績から評定をつけることになる。簡単に言えばここだけで5倍の事務量になったと言える。

確かに、外側にいては分かりにくいかもしれないが、学校の事務は公金を扱うための事務であるということが理解されていない。先生の仕事の事務をしていると思っている人もいるだろう。

そんなことはない。授業の準備、整理、評価、通信簿、出欠簿。すべて教員が管理する。また、学級の事務に関しても同じである。せめて、印刷をしてくれる学生のアルバイトがいてくれたらどんなに楽だろうかと思ったものだ。点数の素点をコンピュータに打ち込んでくれるアルバイトがいたらとも。

今日は、実際に私が中学校現場にいたときに使っていたエクセルのマクロシートを使って、採点した素点を入力し、どこがどのようになって成績が出るのかを実演してみせた。その後、自分たちの採点した試験問題を入力して、確かめてみることをやってみた。

学生たちは、一問違うと成績がこんなに違うのかと驚き、一問の重さと採点ミスのこわさを理解する。

また、国語の教師なのか事務職なのか分からなくなるぐらいの、仕事内容ということにも驚いている。特に文学部であり、書道コースであったりする諸君は、コンピュータから遠いところに日頃はいるので、なんでこんなことをしなければならないのかと思うことばかりであろう。

だけど、これができないと仕事にならないのだ。
『テンキーをブラインドタッチで打てるぐらいになっておくのだぞ。でないと、クラブ指導も教材研究もする暇ないぞ』
と言うと、学生たちはうなずく。

でも、問題はこの他にもある。

いま、教員を目指す諸君は最初から専任で採用されるよりも、最初は非常勤でとか常勤講師でということが多くある。特に中高はそうだ。

専任であれば、成績のつけ方やらなにやらというのは、研修で学ぶこともできるであろう。しかし、非常勤の場合はそんな研修の機会すらない。いきなり、

「じゃあ、ここまでの試験範囲の問題を作ってくださいね」
と言われ、
「採点の締め切りは○月○日でお願いします。このコンピュータのエクセルのここに打ち込んでおいてください」
と言われる。

そして、これを三つの学校を受け持っていれば、三つやらなければならない。当然試験の期間はそれぞれの学校とも重なっていることが多い。
研修も受けないで、いきなりやってねということが非常勤講師の場合珍しくはないと思っている。私はそうやって採用試験の合格を目指していた非常勤講師の先生を何人も知っている。

そんなんでいいのかなあ。

私はそれはないだろうと思っている。指導と評価の一体化とか、評価が大事だというのであれば、具体的なレベルまで下りてきてあれこれ研修を受けさせたり、指導を受けられるようにしないとダメだろうと思っている。

だが、それは現状ではなかなか無理。
ならば、せめて私が指導している学生たちには、今のうちに教えておきたい。

もちろん、専任で教師になってほしいと思う。が、現状の採用状況を鑑みれば、全てが希望通りにはならない。だから、今のうちに授業でと考える訳である。

来週でこの授業もおしまい。
ほとんどの授業が来週でおしまい。

この一年間で何ものかの力をつけることができたとすれば、指導した甲斐があったというものである。

律儀な娘である

「しまった!」
という芸を娘に覚えさせた。

しまった!と私が言いながら、両手で頭を抱える仕草を見せて覚えさせたのである。
「しまった!」というと、娘は両手で頭を抱えるのである。
これが実に可愛い。

ところが、こちらがしまったであった。

奥さんが、料理を作っている最中に
「しまった! あれ買い忘れちゃった」
と言ったその時である。
両手で食事をしていた娘は、その両手を頭に載せて、お得意のポーズを笑顔で取っていた。
あーあ、髪の毛が料理で大変。

娘が積み木の入った袋から、積み木を出しては閉まっている。
「あ〜ら、出したり閉まったりしているの?」
と奥さんが声をかけた。
すると、娘は両手で頭を抱える仕草をする。
一瞬なんだか分からない私たち二人。
「あ〜、出したり【しまった】りなのね」
ちゃんと聞けていることに喜ぶやら、驚くやら。

律儀な娘である。
(次の芸を教えなければ)
と思う父であった。

『世界の終わりと夜明け前』(浅野にいお 小学館)

『世界の終わりと夜明け前』(浅野にいお 小学館)を読んだ。

15歳の時の私が読んだら、
(そうそう)
とか
(なんだか分からないけど、すげー)
っとなったであろう。

その15歳の私が、30歳のときに読み直したら、
大泣きするだろうマンガだと思う。

『河よりも長くゆるやかに』(吉田秋生 小学館文庫)や、『 ぼくは勉強ができない 』(山田詠美 新潮文庫) のファンにはたまらないだろう。

私はこの世界観が好きだ。

2009/01/15

『心ってこんなに動くんだ』(新日本出版社)

2限の児童教育総合演習のゼミは合同ゼミにして、西條昭男先生にお越し頂いて講演をお願いした。

先生の書かれた『心ってこんなに動くんだ』(新日本出版社)を、後期のこのゼミではテキストにして、子どもの作品から子どもの表出や表現から、子どもに迫ろうとしてきた。

小説の読解もそうだが、テキストリーディングはトレーニングしないと身に付かない。このゼミでは

1)指定された範囲の中にある児童の詩の作品から一つ選び、
2)400字詰めの原稿用紙に手書きで写し書きをし、
3)A4一枚でその作品の解釈をまとめ

ということを授業に出るための課題として学生に課し、その解釈をもとにテキストリーディングのレッスンを行ってきた。つまりは、子ども理解のためのレッスンである。

西條先生には、事前に学生たちからの感想と質問などを手紙で渡しておいた。

西條先生は、物腰やわらかく丁寧に学生たちに話をしてくださった。37年間の教員生活のうち、35年間を担任として過ごされたそうだ。凄いの一言である。

「教師の道は、子ども発見の道なんですね」

と語られたその中に、多くの子どもたちとの出会いから先生が学ばれた姿を、私たちは学ぶことができた。

「教師の喜びなんて、一週間に一個あればいいほうです」

という言葉には、学生たちもショックを受けていたようだ。しかし、私たち大学の教員は大きくうなずいた。今回のゼミを担当している教員はみんな現場上がりの教員なので、よーくわかるのだ。

話を伺いながら、まるで事前に十分に打ち合わせをしたかのようなお話であることに驚いたのである。日頃私たちが学生に話していることを、さらにクリアに丁寧に話してくださるのである。

(京都橘大学、児童教育学科の学生たちは贅沢だなあ)
と改めて思う。

ありがとうございました。

『つ、つなぎ?』

学生たちが相談に来た。来年度、児童教育学科のオリターをやる諸君である。何のことかと問えば、ユニフォームを決めたいとのことである。

『うむ、良きに計らえ』
と言おうと思ったら、彼らの方から
「つなぎにしたいとのですが、どうでしょうか?」
と聞いてきたのである。

『つ、つなぎ?』
「はい」

ま、学生のやることは基本的に、やれ、であるが、ここはちょっと意見を言った方が良いかなあと思うのであった。

服にはいくつかの要素がある。簡単に言えば三つあると思っている。

1)機能
2)コード
3)ファッション

機能というのは汗を吸い取ったり、寒さを防いだり、皮膚を守ったりというものだ。コードというのは、その場に応じているかどうかということと言い換えても良い。そして、ファッションは流行り廃り、またはセンスや好みと言っても良いかもしれない。

新入生キャンプのオリターとして、つなぎをユニフォームにするということは、この1)から3)を考えたときにどういうことになるのかを考えさせたのである。

『新入生キャンプは、琵琶湖でドラゴンボートを漕いだり、カヤックに乗ったりする。転覆の恐れもある。もちろんライフジャケットは着ているが、全身びっしょりになる可能性があるときに、全身を包むつなぎは、危険性が高まるものであろう。

つなぎは、機械作業などを行うときに着るものである。シャツがひらひらしていると、機械に巻き込まれることがある。だから、それが無いように上から下まで一つなのである。教育を扱う新入生キャンプが、機械作業と同じイメージで行けるのであれば、構わないがどうだろうか。私がコック服を着てキャンプに行ったら君たち笑うだろ? もちろん、ファッションという領域を重視するのであれば、これはまた話は別であるが。

ファッションは、流行らされている格好良さを表すので、それがかっこいいと思う人にはかっこいいし、ダサイと思う人はダサイのである』

『ちなみに私はあのキャンプのときには、オレンジ色のウインドブレーカーを着ていたのを覚えているだろうか。あれは、何かあったときに、さっと諸君が私のことを発見しやすいように着ているのである。

リーダーというのは、いざというときに見つけることが簡単な出で立ちでいることが私は重要だと考えている。だから私はオレンジ色なんだな。ちなみに、デイパックも今はオレンジ色だが』

「わかりました」

どう分かったのかはよくわからないが、あの学生たちだ、1)から3)のことを考えた上で、最上のものを用意してくるだろう。

2009/01/14

ユニークな実践

ユニークな実践というものが良い実践だという考え方が学生たちにあるように思う。

私が授業で紹介する実践が、学生たちから見るとユニークだというのである。そして、そんなユニークな実践をしたいと考えている学生がいるのである。

大辞泉から引用開始 ーーーーーーーーーー

ユニーク〖unique〗
〘形動〙他に類を見ないさま。独特なさま。「―な発想」

引用終了 ーーーーーーーーーー

となっている。なんというか、日本語でユニークと言うと変わっていて面白いという印象があるが、そもそもユニークにはそういう意味はない。変わっているということだけである。が、変わっていて面白いという意味で使っている。

ま、これはこれでよいとして。

で、学生たちは、私がユニークだからユニークな実践が生まれていると思っている感じがする。たしかにここは否定できないところではあるが、実はそんなところはどうでも良いと考えている。

私の実践や私が紹介する実践がユニークなのは、実践する教師がユニークである以上に実践者が関わってきた子どもたちがユニークだからなのである。ここは学生たちが見えていないことである。

私に限って言うと、私が何かをやりたいと思って、実践を重ねてきたことは実のところほとんどない。修士論文を書くまでやってきたディベートであっても、元々は子どもたちがやりたい、うまくなりたいというリクエストを出したものだから、それならばと調べて指導をしてきた訳である。牛に引かれて善光寺のパターンである。

子どもたちは、実にユニークである。
そのユニークさを追いかけ、そこに拘り続け、力をつけて行こうとする時、教師の実践は、あたり前であるがユニークにならざるを得ないのである。

自分からユニークになろうとするのは、違う。少なくとも私はそう考えている。子どもを追いかけていたらユニークになってしまったというのが正しい。

それだけ実践は豊かなのである。

なぜ「ね」と「か」に拘っているのか

学級担任論で、面談の進め方を話した。

1)まずは、保護者の話を聞く。
2)メモを取る時は、断ってから取る。
3)保護者の子どもに対する否定的な表現に安易に相づちを打たない。

などの話をするなかで、3)を詳しく話した。

『子ども(に限らず人間)は、自分が好きなことをしている時と、嫌々やっている時の顔は違う。だから、教員は授業の時の子どもの顔だけではなく、クラブ活動や休み時間の子どもたちの顔を見ておく必要がある。
(へ〜、こんな顔をするんだ)
と知っておくことは大事であり、そんな顔が自分の授業で見られない時、教員は反省すべきなのである』

『そして、家での顔と学校での顔は、違うのが子どもである。面談のとき、親は君が学校で見ている姿とは違う子どもの話をするだろう。それが普通だ。

その中で、「先生、うちの子どもは○○ができなくて、××がダメで・・・」と話すとき、安易に「そうですね」と相づちを打ってはダメなのである。そんなことをすると、「でも、先生うちの子どもはですね・・・」と自分の子どもを擁護し始める』

そんなことは、落語の厩火事を知っていればハハ〜ンと納得するのだが、学生は知らないだろう。

『だから、「そうですね」ではなく、「そうですか」と疑問の形で話を聞くのだ。そして、「でも、〜はいいじゃありませんか」と子どもを親の前で擁護してあげるのだよ。「でも〜」を親に言わせるのではなく、先生が言うのだよ』

というような話をすると、学生たちは、

「ね」と「か」の違いだけでこんなにも違うのだということに驚いた。これからきちんとした言葉を使えるようにならなければならないと思いました。

と戦くのである。

ま、それはそれで良いのかもしれないが、私が危惧するのはこの先である。

こういうことを教えると、学生たちは「ね」と「か」の違いに注意することばかりに気が向かうようになる。つまり、How to である。中には
「これで先生の技の一つを盗めました」
なんてことを言う者もいる。

私は常に言う。

『授業をしているのだ。君たちは自分か保護者かわからないが授業料を納めている。なにも盗む必要はない。しっかりと学べ。さらに言うが、技だけ手に入れようとしても無理だぞ』

と。

私が、なぜ「ね」と「か」に拘っているのかが分かっていないのである。人間は場所や環境によってその見せる姿を変える。親の前と、先生の前では別人格になったのではないかと思えるぐらい変わることもある。

だから、親が子どもの「悪口」を言ってきたとき、それは子どもの一部かもしれないですよ、ということを親に伝えるために「か」で受けとめるのである。

そして、「でも・・・」と学校での子どもの良いところを伝えるのである。

となると、子どもの学校の日常での良いところを理解していない教師は、この会話ができないことになる。「ね」と「か」で受けとめることができても、ダメなのである。

学生諸君よ、ここを理解するのだぞ。

2009/01/13

筑田さんの「「教室ディベート」に魅せられて」

家に帰る。
娘が妙にハイだ。

私の「いないいないばあ」に喜ぶどころか、自分でもやる。さらに、私がビールを飲んでいると、ビールの缶を持って私のグラスに注ごうとする。

もちろん、飲み終わった缶を渡し、プルトップで手を切らないように工夫している缶であるが、娘は私がビールを注いでいるのを見て自分でもやってみようとするのである。

私は娘の求めるままに、空いたグラスを傾ける。すると、嬉しそうに注ぐ。出てくるのは空気である。であるが美味しい空気を頂く。何杯も頂く。娘は、何回も注ぐのである。

世話焼き女房型の、娘である。
しばらくは父さんの世話を焼いてもらおう。

「授業づくりネットワーク」の2月号が自宅にも届いた。
第二特集は「体験学習にこだわる!」である。

これを読みながら思った。
この15年ぐらい、学習ゲーム、ディベート、PA、読書へのアニマシオンなどさまざまな実践が行われてきた。私もしてきた。そして、その様々な切り口から、その核心にたどり着いてきたのだと思う。

それは、子どもをウオッチャーからプレーヤーに変えることである。学びの主体者にするという言い方のほうが適しているかもしれない。

筑田さんの「「教室ディベート」に魅せられて」は、その原稿の同時代を一緒に過ごしてきただけに、あの時のあの場面がいろいろと思い出されて仕方がなかった。

私は過去のことは割と忘れてしまう方である。だけど、筑田さんは覚えている。その筑田さんの記憶にガイドされて、私もあれこれ思い出すことができる。

今日が、雪だったからかもしれない。

教室ディベート連盟関東支部ができた頃のことだ。初代の支部長であった学習院大学の佐藤喜久雄先生のことが思い出されて仕方がなかった。

先生の研究室にお邪魔すると、何も言わないのに冷蔵庫からビールが出てきて、

「いやあ、遠くからありがとう。ご苦労さん。まずは、のどを潤して」

とビールを注いでくださる。
会議が終わり大学を出て行きつけのお寿司屋さんに連れて行って頂く。

「僕の家は職場から3分で帰れるのに、なぜか3時間もかかってしまうんだよね」

と。学習院の先生たちは敷地内に官舎があるので、歩けば本当に3分で帰れるのだそうだ。だけどいつも校門をでてしまい、あちらこちらで飲んでから帰るのでこうなってしまうのだそうだ。笑いながら話されていた先生。

「池田さん。もう僕は死んでしまうんだよ。挨拶のハガキは書いたから。あとは日付を入れれば良いんだよ。あとはよろしくね」

と、これまた笑いながら話された。当然冗談だと思っていたら、先生は私たちを残して去ってしまった。

あまりのことに、私は江古田の葬祭場に通夜と告別式と二日間伺った。雪の降る日だった。先生の学習院女子校時代の教え子たちがたくさん来て先生を偲ばれていた。

式場には雪の降る中、先生の愛されたピアノの曲が流れていた。

そんなことをも思い出させる筑田さんの文章であった。

思えば20年近くディベートを指導しているんだねえ、筑田さん。

関係づくり

1/13

曇っているかと思いきや、雪だ。
湖面に降る雨や雪は確認しづらい。テラスから外を見て、晴れていると思って外に出ると雨ということもある。

だが、今朝ははっきりとわかる雪であった。
曇り空から太陽が顔を出したりもしているが、その光を乱反射させながら雪は降っていた。

全ての光がモノクロームに収斂してしまっていた。
なかなか幻想的な光景であった。

Mono

2限は、学級担任論。残すところ本日を入れてあと三回。
今日の導入は成人式の話。この受講生は多くが昨日成人式をしてきて、今日の授業に臨んでいる。遊びすぎたのか眠たい目をこすりながら授業に出ている者が多い。
いつもは授業中に寝ている学生なんぞいないのだが、今日は
『そこ、寝ているぞ。起こしてあげよ』
という指示を出す。

成人式であるからして、大人である。日本人のライフイベンツの中で、成人式だけが税金で行われている。これが意味することは何なのかを多少考えさせる。

そして、大人とは何か、である。
これを扱うきちんとした授業は、残念だがこの学年ではどうやらできそうにもない。
だが、これを考えることはとても大事。成人式を切り口にして少し考えさせた。

『私は小さい頃、子どもが良いと大人に言われてきて、大人になるのが嫌だったが、それは大人になって間違いだということがわかった。はっきり言う。子どもより大人の方が良い』
学生たちは怪訝な顔をしている。
『だってね、・・・』
と話を続けた。

本日のメインテーマは、保護者との関係づくりである。具体的には、保護者会、家庭訪問、面談をどうするかということである。
なんで、保護者との関係を作ることが大事なのか。そして、保護者会、家庭訪問、面談が必要な意義は何か、どうしたらその必要な意義を導くような運営ができるのかなどについて講じる。

モンスターペアレンツは、いるかいないかと聞かれれば、私はいると答える。
しかし、それは本来は校長に任せれば良いことである。新人の教員が引き受けることはない。
竹内常一先生も仰っていたが、日本の教員は校長の仕事を引き受けすぎるとのことである。校長の仕事は校長に任せるのが良い。

担任の先生は、多くの普通の、そして子どもたちを育てようと思っている保護者との良好な関係を作り、学級の子どもたちを育てることに全力を注げば良い。そのために教師が行うことをあれこれ講じる。

授業後、何人かの学生が声をかけてくる。そのうちの一人が、
「先生、以前に先生が紹介してくださった『葉桜の頃に君を想うということ』を読みました」
と言うではないか。
『何! 読んだか!!』
「はい!!」

もうそれだけで良い。
この本は、読んだものだけがあの感動を味わえるのである。分厚い本で、その4/5を読み終えても
(これ、本当に解決するのか?)
と疑心暗鬼に満たされつつ読む本。
そして、感動の、いや、やられた~~~~~~と言う思いを抱くエンディング。
そして、もう一度最初から必ず読み直すことになるのである。
で、読み直すと
「チクショウ、チクショウ」
と嬉しく叫ぶ本なのである。

その学生は
「とにかく読んで」
と母親に勧めたそうだ。

未読の方。
『葉桜の頃に君を想うということ』は、読書の醍醐味を知ることができますぜ。
私も、さらにもう一回読もうかなあ。それはそれで面白いんだろうな。

赤坂さんの所もそのようだが、本学も今日が修論提出日。
私が大学に異動したときに四回生であった学生が、院生となり、修論を提出したとのことであった。
そうか、もう三年が過ぎるのだなあ。
中学校だったら、一年生が三年生になって卒業なんだねえ。

午後は、事務あれこれ。書類を書きまくり、あちらこちらに持参。
研究室の整理もしなければなあと思いつつ、仕事を優先。
うーん、片付かない。

仕事中にGBMで流していた音楽で「年下の男の子」が流れてきた。うーん、参った。やっぱり蘭ちゃんは可愛い。

さらに流れたのが「We are all alone」。やっぱり絶品だ。最近はアンジェラアキが歌っているようだが、やっぱりBoz Scaggsでしょう。「ふたりぼっち」なんて、凄いラブソングだよなあ。

そんなこんなで興奮しながら2008年の研究業績をまとめる作業をしている。印刷関係で締め切りがあったものはもう既に提出したのだが、その提出の土台となるこの一年の仕事をあれこれ記録している。

iCalに残るスケジュールメモと、その時に使った(作った)資料や原稿などを書き出しながら、私はこの一年、2008年に何をしてきたのかを振り返っているのである。

大学に籍を移す時、今まで自分がしてきた仕事(業績)の一覧を提出することになる。というか、その業績がないと大学に奉職することはできない。私はこの業績の一覧を作るのに、大学院にいた一年の夏休みのまるまる一ヶ月を要した。

自分で言うのもなんだが、かなりの量の業績を持っていたのだとそのときに気がついた。だってほら、大学の教員を目指して中学校の教員をしていた訳ではないので、こまめに業績をまとめるという作業をしていなかったから、そのまとめるときに自分でびっくりしたのだ。

だから、毎年一回まとめることの大切さをわかっている。こつこつとやっている。

これもまあ自分で言うのもなんですが、よくこんなに授業以外にあれこれしているもんだと思う訳です。あ、大学の業績は大学での授業はカウントされません。私は大学でFDということに力を入れるのであれば、大学でも授業はカウントするべきであると思います。

あれば、というのは宇佐美先生のFD批判本に納得することが多いからですが、このFDがなくなることはないのでしょうから、業績にカウントすべきかなあとも思います。ただ、どうやってカウントするのかは難しいですが。

そしてこのiCalには仕事のことだけではなく、プライベートなことも記録してあって、特に娘の通院のことの記録、初めて歩いた時の記録などを見ると、あの時、心配を重ねていたことや喜びがが思い出されてしまいます。そこに「Tears In Heaven」が流れてくると、もう、ダメですねえ。

音楽は心に直接響いてくるわけで。
参ります。

私の若い友人が今月一杯で有名なコンサル会社を退社して、独立し、やがて音楽の道で、この一回しかない人生を生きて行くことを決意したというメールが昨日届きました。

彼が就職するとき、私は「夜明け前」という日本酒で東京の我が家で乾杯をしたのを思い出しました。彼は、新たな夜明け前を迎える訳です。もう一度乾杯したいねえ、Y君。

だって、音楽だぜ。よくわからない人生を、さらになんだかよくわからない学問とか芸術とかに投げ出すってのは、最高の贅沢だよなあと思う訳であります。そこに挑む無謀さと才能に私は拍手と乾杯を送るものであります。

さ、業績のまとめの取りあえずの下準備は終わりました。明日の高大連携の授業の準備も終わりました。週末にはセンター試験が待っています。体調を壊さないように丁寧に過ごして行く一週間にしましょう。

春が近いんだろうなあ

1/12

寒い。
晴れていたりもするのだが、寒い。
そして晴れているのに、突然雪が降ったりする。

でも風は南風になっている。
湖面を見ればよくわかる。
春が近いんだろうなあ。

昨日の買い物で買い損ねたものがあったので、今日の午前中は大津のパルコにいく。休日であっても午前中であれば空いているだろうと思って。

しかし、空きすぎていたなあ。AEON MALL草津に客を持って行かれたのかもしれないなあ。

そんなことを思いつつ、別のアイディアを思いついた。

「課題:もう一店AEON MALL草津に、出店するとすれば何屋を出店するのが良いのであろうか」

という課題である。今ある店は変わらずに、出店の場所もわからないが、一件出せるという設定である。こういうのは本来マーケティングなのだろうが、経営の立場で考えても面白いだろう。経営ならば学級経営の一例としても面白いんだろうなあ。

もちろん、逆に空いている大津パルコに活気を持たせるための新たな一店という課題でも面白い。

買い物を済ませて食事でもしていこうかと店のあるところに行ったら、すごい人出。成人式を終えた若者たちでごった返していた。

見るともなしに若者の出で立ちを見ると、まあ仕方がないことかとは思うが、基本的にがっかり。

その化粧とその髪型とその歩き方とその話し方は、着物に似合いませんから、と言いたくなるものがほとんどであった。

民族衣装は、その人の美しさを引き出す一方で、その人の本質的な部分も引き出してしまう可能性があると私は思っている。だから、本質の部分がしっかりしている人は、着物が似合う。そうではない人は、そうではない部分が出てしまうのである。恐ろしい。

しかし中には、いやあ奇麗だと思える出で立ち、立ち姿の若者もいた。奥さんと一致した。こういう価値観が一緒だと夫婦は居心地が良い。

遅めの昼ご飯を事故に巻き込まれながらも済ませて家に帰る。
体が冷えてしまったので、もう一度風呂に入る。
睡魔が襲ってくる。
風呂で寝るのは危険なのだが、気持ちがよい。

奥さんが心配して見に来た。
ありがたいことだ。
寝ないように風呂に音楽を流してくれた。
ありがたいことだ。

その中で本を読み続ける。
うーん、良い本だ。

夜はなんと近江牛のステーキにトマトたっぷりのイタリアンカレー。

近江牛はAEON MALLで安くなっていたのをエイヤアと気合いを入れて購入。きちんと品質保証のしてある近江牛はこちらにきて初めて買ったかもしれない。両面をそれぞれ一分ずつ焼いてレアの状態で。もちろん、塩だけで頂く。

う、うまひ。溶ける。

イタリアンカレーは、トマトの酸味とパルメザンチーズの柔らかさが絡み合って、口の中でいろいろな味を出してくれる。

(を、そう来た。そして、んーん、こうくるか)
と味わっているうちに一皿食べ尽くしてしまった。
おかわりがしたかったが、我慢。そんなに贅沢してはいけない。

その後、配達証明の郵便が届く。
なんだろうと思ってみると、瑞雲中学校時代の先輩の家庭科の先生からのお手紙。遅くなりましたけどと娘のお祝いを贈ってくださった。

とても嬉しく、急いで電話。
久しぶりに声をお聞きしたがお元気そうで何より。
昨年は日展に書道の作品が入選されたということで、御退職後もますます盛んに取り組まれていることを伺い、勉強になる。

良い先輩に恵まれて幸せである。

2009/01/12

ところが、奥さんの姿が見えなくなると

授業づくりネットワークの三月号の原稿を書き終えた。
これでインターネットの活用術のような内容の、三ヶ月連載の三ヶ月目を終えた。

今回の一連の原稿は、教育に限ったものではなく日常生活のことをエッセイ風にまとめてほしいということなので、そのような話題にした。著者近影は、今までとはちょっと違うものになっている。

良かったら見てください。

しかし、思うのだが私なんぞ、インターネットにしてもコンピュータにしても、特に優れた何かを持っている訳ではない。それなのにこのような原稿の依頼が来るというのは、ありがたいことだ。

私がコンピュータの原稿を書ける理由は、なんであろうかとちょっと考えてみた。

1)ちょっと早く始めたこと。

浪人時代に、折角浪人したのだからとタイプライターを独学で学んだ。思考のスピードで文章が打てることに憧れたのである。19歳のときには英語でこれがまあ、できるようになったのだが。

その時はワープロ等ない。ただタッチタイプができるようになっていたのは良かった。その後ワープロが出てきたときに何事も問題なく始めることができたからである。

ちょっと早く始めるたことが良かったのだろう。

2)わがままであること。

こちらの方が意味があるかもしれない。コンピュータを始めたときよく聞かれたのが
「これで何ができるのですか?」
という質問である。私はこの意味がよくわからなかった。
【私は、○○がしたいのでコンピュータを使っている】のであって、何かをしたいからコンピュータを使っている訳ではないのだ。

コンピュータの使いっ走りになるのか、コンピュータを使うのか(本当は使いこなしたいが)の違いは大きいと思う。

本当は午前中から出かけるつもりであったが、昼ご飯を作って食べてのんびりしていたら、対岸で一斉放水が行われていた。

Photo

そう言えば先ほど空砲が打ち上げられていた。今日は琵琶湖の出初め式なのだろう。

中日新聞から引用開始 ーーーーーーーーーー

琵琶湖へ一斉放水 大津で出初め式、盛大に

2009年1月12日

 大津市消防出初め式が十一日、同市島の関の琵琶湖岸一帯であり、消防団員ら約千四百人が参加、千人以上の市民が見物に詰め掛けた。

 市民会館での式典では、自主防災会や消防団員の長年の活動がたたえられ、十二団体、四百二十一人に表彰状や感謝状が贈られた。

 続いて湖岸や湖上で放水訓練があり、消防車四十三台、消防艇一艇、防災ヘリ一機が登場。琵琶湖に向かって一斉に放水した。

 泉恒彦消防団長が「多様化する災害に立ち向かうため、防災機関が英知を結集し、三十三万大津市民の安全確保に全力を傾注する」と力強く宣言し、訓練を締めくくった。 (妹尾聡太)

引用終了 ーーーーーーーーーー

休日をゆっくりしていて良かった。

午後からAEON MALL草津に出かける。最近できたこの商業施設にまだ一度も行っていなかったので、行くことに。

私は人ごみは嫌いなのでこういうところに行く時は、平日としているのだが、まあ、そんなことを言っているとなかなか行けないので行くことに。そしたらやっぱり、すごい人だった。

できたてなので建物は奇麗だった。食べ物を食べるスペースからは琵琶湖を臨み、その向こう側には比叡山や比良山が見える。もちろん我が家も見える。なかなかの景色である。

Hirahiei

三階までが商業施設で、その上が駐車場という作り。とにかく広い。なんとなく空港の出発ロビーにあるお店のような感じもある。なぜか知らないが、ワイシャツとネクタイを扱う店が多いような気がする。

ヴィレッジヴァンガードも入っていた。その前を通り過ぎようとしたら、娘が踊りだした。

http://jp.youtube.com/watch?v=o9ZRtGb3bs0

の音楽が流れていたのだ。娘はこの音楽が特にお気に入り。我が家でもこの曲を流すと踊りだす。

あまりも面白いので、カートから降ろしてみた。そしたら、そのまま体を動かして踊り続けている。人見知りの真っ最中なのに、人ごみの中で踊っている。一歳四ヶ月にしてストリートダンサーとしてデビューである。

知恵が付いてきたのか付いていないのか。
実に面白い。

必要なものを買い込んで家に帰る。

娘の食事を最初に用意し、私たちも食事。娘はちょっと食事が足りない顔をしていたのでリンゴを奥さんが剥いてあげた。これが面白かった。

薄く切ったリンゴをソバ猪口に入れてテーブルの上に置いておいた。娘はそこに手を伸ばし、リンゴを手づかみで食べていた。二三枚手にすると安心してそれを食べ、その辺りをうろうろする。そして、またソバ猪口に手を伸ばしリンゴを取るということをしていた。

ところが、奥さんの姿が見えなくなると、そのソバ猪口をテーブルから床に下ろし、食べるようになった。

(へーっ)
と見ていたのであるが、奥さんの姿が見えたら、さっとそのソバ猪口をテーブルの上に起き直し、何事もなかったようにそこからリンゴを取って食べるのである。これを二回ほど繰り返した。

私は爆笑であった。
良い休日であった。

2009/01/11

鏡が曇らない方法を開発

男に生まれるか女に生まれるかは、誰が決めるものではない。だが、男に生まれて良かったなあと思うことは、ある。それは、毎朝化粧をしなくて済むことである。

もちろん、毎朝化粧をしている男性もいるだろうが、女性ほど多くはないし、しなければならないというプレッシャーもない。

『大変だろうなあ。ああ、男で良かった』
と言うと、
「でも、化粧ができて嬉しい、楽しいという女性もいるのよ」
と奥さん。
なるほど。毎日楽しい思いをしている女性もいるのか。

でも、やっぱり私には面倒くさそうだ。

そんな男でも、面倒くさいのがひげ剃りである。私はひげを伸ばしたこともあるし、剃っていることもある。どっちが楽かといえば、実はどっちも楽ではない。

伸ばせば伸ばしたできちんと整えないとみっともなくなる。その一方で毎日剃るのも当然面倒くさい。

おまけに私の肌は電気剃刀でジョリジョリするとヒリヒリするので、十分に湿らせてシェイバーでやらないとダメなので面倒なのである。

多くの場合、風呂でやる。
風呂だと鏡が曇る。
ではあるが、ここにきて鏡が曇らない方法を開発している。

このずぼらな私ができるのであるからして、みなさんも簡単である。

そもそもなんで鏡が曇るかと言うと、鏡の表面に水蒸気がくっつくからである。くっつかないようにすれば良いのである。

その方法として、熱を加えるというものがある。ホテルの洗面室の鏡などは、鏡の裏側にヒーターが入っていて、鏡を暖めて曇らないようにしている。この方法は、良いと言えば良い。私の家の洗面室もそのようになっているのだが、常に暖めておかないとダメという感じがしている。勿体ない。

次に、くっつかないようにするにはどうしたらいいのだろうか。水を弾くようにする方法は何かを考えてみる。つまり、撥水である。撥水の効果を活用しているのは、車のフロントガラスのコーティングである。撥水性のガラスワックスを塗り込むと、雨は弾かれてしまいワイパーは要らなくなる。このような風呂用品はあるのか。あるのかもしれないがわざわざ買うのは勿体ない。

最後の方法である。私がやっている方法である。
撥水の他に考える道はないか? そうである親水である。水を弾くのではなく、水をなじませるのである。

1)石けんやシャンプー等で洗ったときに、ついでに鏡もちょっと磨く。
2)ひげ剃りジェルを顔に塗り、手に余ったジェルを1)の後の鏡に塗って伸ばす。
3)お湯をかけて鏡面を滑らかにする。

これだけである。1)をしなくても大丈夫であるが、鏡が汚れていると効果は少ない。

ひげ剃りジェルは、あたり前であるが親水性に富んでいるので、鏡にコーティングしておくと鏡にくっつこうと思ってきた水蒸気は、ジェルの上に乗って滑り落ちてしまい、曇らないのである。

実に便利である。
土作先生、ミニネタになりますかf(^^;。

『犬を飼う』(谷口ジロー 小学館文庫)

『犬を飼う』(谷口ジロー 小学館文庫)を読む。

子どもの頃は、母親が犬猫がダメなので飼うことができなかった私。成人して自分で家を構えたら是非飼いたいと思っていた。

結婚すると今度は奥さんが、犬猫がダメだと言う。母親に似た奥さんと結婚した私であったのかと思う。そんなことで、未だにきちんと犬猫と一緒に生活したことはない。

きちんと、というのは我が家には大きな犬のぬいぐるみのエディがいるのと、独身時代に二匹の子猫を飼っていたのだが、すぐに逃げられたと言う経歴があるからである。

『犬を飼う』は、子どものいない若い夫婦が一匹の子犬を育て、その子犬の成長とともに夫婦の成長を経て、その犬の死を看取るという、ありふれたストーリーである。

しかし、このありふれたストーリーの、淡々とした展開に生活や人生が描き出されているのである。谷口ジローさんの秀逸な筆致で描かれているのである。

まだ私が若かった頃、結婚したばかりの頃に読んだこのマンガ。
(ふーん)
と思いつつも、何か残るなあと思いながら読んだこのマンガである。
が、いまはいろいろな意味でよくわかる。

やっぱり犬猫を飼いたいなあと思う。
いまは、
「お父さん、飼って良いでしょ?」
と娘に言われて
『うーん、仕方がないなあ。な、お母さん』
と娘のせいにして飼える日を楽しみに待ちたい。

2009/01/10

手帳の活用法など

引用開始 ーーーーーーーーーー

私は来年度の埼玉県教員採用候補者のMと申し
ます。

今は、その準備段階として、教職関係の本を読んだ
り、いろいろな先輩からお話をうかがったりしていま
す。
そんな中、先生の「教師になるということ」を拝見し
ました。教職の大変さ、多さ、それ以上に魅力がたく
さん詰まった内容に、感銘を受けました。

ところで、ある本で「仕事の効率化を図るために、手
帳の活用を工夫すべし」というような内容の記述があ
りました。
最近、来年の手帳を買おうと思っていたのですが、4月
以降のことを考えてから購入しようと思っています。

そこで、池田先生のお考えや、手帳の活用法などを教
えていただければと思いメールを差し上げました。
ホームページへに直接関係のない質問で、大変恐縮で
すが、どうぞご教授ください。よろしくお願いしま
す。

引用終了 ーーーーーーーーーー

という嬉しいメールをもらった。これをきっかけに考えてみようと思う。

私はメモには大きく三種類あると考えている。

1)記録
2)思考
3)まとめ

である。1)は、事実の記録もそうであるが、未来の記録、つまり予定も含んでいる。
2)は、意見、反論、思いつき、疑問などである。そして、3)はアウトプットを想定した記録である。

で、三つに分類できる訳であるが、この三つをどのように扱うかということである。
人によっては、この三つを三つに分けているだろう。予定は予定、記録は記録、アイディアはアイディア・・・と。

私も嘗てはそのようにしていた時期もある。が、これは私の性格には合わないものであった。

「授業ごとにノートを分けなさい」
と自分が中学校の生徒のときにいわれ、それを私はまあそうかなと思って守ってきたが、大学の教員になってからは
それを止めている。

基本的にノートは一冊で済ませている。なんでもかんでもここに書くことにしている。この方が楽である。
時系列で書かれているので、書いておいたことを探すのも楽である。
ノートを分けろというのは、使う側の利便のためではなく、どうもチェックする側の利便のためであるような気がしている。少なくとも、通常の中学生以上の場合はそのような気がする。

実際、成蹊大学の塩澤先生もノート一冊だったと思うし、私の大学にも学生時代からメモをノート一冊で取り続けていてもうそろそろそれが80冊になろうとしている先生もいらっしゃる。

だから、一冊。
ただ、計画はマックのiCalで管理し、持ち運びが小さい方が良い場合には、コクヨのスケッチブックかポストイットのブロックをを使っている。

ま、自分の性格、目的、仕事内容などによって必要な道具というのは変わってくるから、これが決定打というのはなかなかないと思うが、今のところはこんな感じかなあ。

あ、思い出した。
こっちの方が大事かな。

手帳にこだわることも大事かもしれないが、私は筆記用具の方が大事だと思っている。常に書けるところにあるボールペンが数本あることの方が大事かもしれない。

思いつきは、手帳でなくても違うものに書けるが、書くものがなければ書けない。だから、安くていいからボールペンを10本ぐらい自分の行動範囲にばらまいておくことが大事だろおう。さらに私は、鉛筆も家と研究室とそれぞれ1ダースはあちらこちらに置いてある。100円ショップに行き、500円も払えば相当な量が手に入るはずだ。

また持ち運びするものにくっつけておくことも大事だ。私は携帯電話と、家の鍵には小さなボールペンをつけている。この二つのどちらかは必ず私の体の近くにある。だから、思いついたときすぐに書き始めることができる。読みかけの本だろうが、レシートの裏だろうが、掌だろうが、書く場所はそんなに困らない。書くための道具さえあれば。

Mくん、こんなもんでよろしいかな。

『価値ある出会いが教師を変える』(ひまわり社)

佐藤正寿著『価値ある出会いが教師を変える』(ひまわり社)を読んだ。

私も同じひまわり社から『教師になるということ』という新書本を出してもらった。小書は、教師になることの基本的な考え方を教職を目指そうとする高校生や大学生に向けて書いた本である。

この本を書き終えたとき、次のこのシリーズの本の著者を社長さんに相談された。
私はすぐに、佐藤先生のことを話した。

このひまわり社の新書本シリーズは、教師の仕事の仕方等を書くのではなく、教師という仕事の基本的な考え方、つまりは哲学を語るシリーズにしたいと言う思いを聞いていた。

佐藤先生は、明日の教室にも来て頂いた先生である。私と同じ年。
だから教員として修行の時間はほぼ同じである。

ではあるが、私とは全く対照的な学び方をしている先生であると思っている。
それは、

  • 素直に学ぶ
  • 目的を持って学ぶ

ということを継続的にされている先生なのである。

このことがきちんと描かれている本なのだ。
教師が修行して成長するということはどういうことなのか、
その具体的な一つの例を詳しく書かれているのだ。

勉強になる。

提出が難しい疑問

1 他のブログはわからないが、ニフティのブログを作成する画面は、写真のようである。

最近ヴァージョンアップがあったのだが、なかなか面白い。何が面白いかと言えば、「ブログネタ」というものがあるのだ。

人間の賢さは何を持って示すことができるのであろうか。

こんなことを考えたことがある。私は三段階で人間の賢さの規準が変わってきているのではないかと感じている。

1)たくさん知っている。

知識である。ありとあらゆるものを知ること、つまり博学であることが賢いという規準である時があった。いまでも基礎的な知識は必要である。しかし、これはコンピュータのHDに比べればさもないことである。ネットに繋がった知の蓄積は、一人の人間の知識には及びようもない。たくさん知っているは、規準から外れた。

2)調べ方を知っている

わからないことがあったとき、どの本を見れば良いのか。どうやって調べれれば良いのかを知っている。これが賢さの規準であったことがあるだろう。しかし、これはグーグルによって幕が引かれた。
もちろん、百科事典や専門書などをきちんと使いこなすことは大事であるが、グーグルの手軽さは手放せない。これも規準から外れた。

3)疑問に思うこと

最後は、これである。人間は曖昧な記憶ができ、忘れることができ、疑問に思うことができる。これは現在のコンピュータにはできないタレントである。だから、1)と2)を踏まえた上で、3)ができる人は賢いのではないだろうか、というのが私の主張である。

ところが、この「ブログネタ」は3)をさせなくしている。という言い方が良いのかわからないが、疑問に思うことがなくてもブログが書けるようになっているということであろうか。

疑問に思うことは、簡単なように見えて実は結構難しい。知らないから疑問に思うというのは、まあ、あるだろうが、知ったことで疑問に思うとか、何事も問題ないと思っていたのに、考えてみると疑問が浮かぶとかそう言う疑問を持つことは、実は難しい。

学者たちは、この質の良い疑問が見つかるかどうかで、その学者人生の質を半分以上決めてしまうのではないかと思う。

だから、提出が難しい疑問がなくても書ける「ネタ」を提供するサービスをしたのだろう。

そう考えるとまたわかることがある。
2チャンネルがあれほど流行る理由はいくつかあると思うが、私はその理由のうちの一つは、記事の引用だと思っている。

つまり、2チャンネルは新聞記事などを「ネタ」として張ることで、それについて書き込みという形で文章を載せて行くのである。逆に言えば「ブログネタ」はここからヒントを得ているのかもしれない。

で、私の行っている「書き抜きエッセイ」も、始めた時は考えもしなかったが、これと同じ構造であることがわかるし、そのルーツは「論語」にまでさかのぼれるのかもしれないなあと思う訳である。

2009/01/09

第21回 2/7 明日の教室 ご案内

続いて21回目のご案内です。同じく糸井先生のブログから。
こちらもお待ちしております。

引用開始 ーーーーーーーーーー

第21回「明日の教室」は、河原和之先生をお招きして、実施します。
河原先生と私は、アントレプレナー繋がりです。で、池田先生と河原先生は、「わくわく授業」つながりです・・・。
で、今回、無理を言って、御登壇いただけることになりました。

以下、河原和之先生のプロフィールです。

東 大阪市立縄手中学校教諭、立命館大学非常勤講師。1952年京都府生まれ。東大阪市の中学校に社会科教師として30年間勤務の後、東大阪市教育センター指 導主事を経て、現職。授業のネタ研究会常任理事。近現代史教材・授業づくり研究会代表。子どもの経済教育研究室。 NHK教育テレビ「世の中なんでも経済学」の番組委員を務め、同放送の「わくわく授業」では「“コンビニ”から社会が見える」に出演。 <主な編著書> 『新「ウソッ」「ホント」からはじまる公民学習』(日本書籍)、『21中学授業のネタ 社会』(共著、日本書籍)、『歴史リテラシーから考える近現代 史』(明治図書)ほか多数。

河原先生には、社会科授業つくりの楽しさ、難しさといったことについて、たっぷり語っていただけることになっております。
乞うご期待です。

何かと忙しい時期ですが、たくさんの方の参加をお待ちしております。

日時:平成21年2月7(土) 13:30〜17:00
会場:京都橘大学 児優館
講師:河原和之先生
費用:一般2000円 学生1500円

なお、懇親会を17:30~予定しております。3〜4000円程度です。

引用終了 ーーーーーーーーーー

申し込みは、こちらから!

第20回 1/24 明日の教室 ご案内

糸井先生のブログに載りました。
お待ちしております。

引用開始 ーーーーーーーーーー

いよいよ「ドリームコンサート」が近づいてきました。

ドリームコンサートとは、アーティストを事前に学校にお招きし、子ども達と一緒に音楽を創っていただく。そして、コンサート当日は、アーティストのコンサートと共に、子ども達も舞台に立ち、創った曲を披露するというものです。

今回、お招きするアーティストは、以下の三名の方々。

Hugh Namkivell 音楽家
シ ティ大学を首席で卒業後、ハダスフィールド大学大学院修了。ロイヤル・リパブリック・オーケストラを始め様々な演奏家のために作曲。ロック、ジャズ、民族 音楽などを取り入れた自身のユニット「Natural Causes」でのライブ活動。2006年Critics' Awards for Theatre in Scotland 音楽部門の最優秀賞受賞。これまでに300校を越える学校で、創作に重点を置いた音楽プロジェクトを行っている。

野村誠 音楽家
イギリス、ヨーロッパ、アジアなど各地のフェスティバルに招聘される。著書、CD多数。第1回アサヒビール芸術賞受賞。NHK教育テレビ「あいのて」を音楽監修し、赤のあいのてさんとしてレギュラー出演する。

林加奈 音楽家・美術家
おもちゃ楽器演奏家。鍵盤ハーモニカ・オーケストラ「Pーブロッ」メンバー。著書に「音・リズム・からだ」(民衆社)。画家でもあり、最近は絶叫する紙芝居パフォーマンスも行っている。

学校が、今、地域のコミュニティ創りの重要な位置を占めているのでは、と考えています。
学校が、地域のホールや美術館、図書館のような役割を担えれば、もっと地域の方が学校を中心にまとまっていけるのではないだろうか。
学校が、もっと生き生きした場になるんじゃないだろうか・・・。

いろんな思いを胸に秘めて、5年前から実施してきたコンサートです。
詳細は、また書きますが、今回のコンサートは必見です。

若手教師、教師志望の学生には、学校の可能性を見出してほしいと思っています。
コンサート終了後は、もちろん、新年会も兼ねて、飲んで、語り明かしましょう。

第20回「明日の教室」

日時 平成21年1月24日(土)  13:30 開場  14:00 開演
場所 宇治市立平盛小学校 体育館
内容 「ドリームコンサートファイナル~ひらもり版ホエールトーン・オペラ~」
出演 野村誠、ヒュー・ナンキヴェル、林加奈+平盛小学校1年生・6年生児童

申し込みは、こちらから!

引用終了 ーーーーーーーーーー

私たちは、サーブを打つことができます

1月28日に近江八幡市で公演を頼まれている。

この打ち合わせを午前中に行う。75分の講演と15分の質疑。150人規模の先生方を対象にお話をするというのは、結構大変だ。幼稚園から中学校までの先生。それに若手からベテランの先生がいらっしゃると言う。

ストライクゾーンが広いから話しやすいとも言えるし、ニーズの幅がありすぎるので絞りにくいとも言える。私はパワーポイントを使って資料を見せながら話をすると言うタイプではないので、その時の様子を感じながら話をコントロールすることは多少できるが、やっぱりしっかりと準備しなければなあと改めて思う。

午後は授業。
まず、ディベートの授業から。

昼休みの教室に入ると試合の準備をしている学生たちがいる。

「あ、先生、眼鏡変えましたか?」
『あ、そう。変えたよ』
「先生、あたまサッパリしましたね」
『うむ。短くした。ちなみに君は頭の中がサッパリだな』
「うひゃあ。頭の中まで見られているわ」

厳しいと言われている私の授業の中でも、一回生が受けるこのディベートの授業はより厳しい授業であろう。自分で、自分たちで準備をしなければ何も始まらない。先生が何かをしてくれるわけではない。

そんな厳しい授業をここまでくぐり抜けてきている学生たちとは、こんな憎まれ口を休み時間に叩き合ってもいい。

本日リーグ戦の残り二試合を行い、決勝戦に進出するチームが確定した。決勝に進出したチームは各リーグの進出できなかったチームのサポートを受け、決勝に挑むことになる。

来週の決勝戦のジャッジは、本学理事長の梅本先生である。学生たちも楽しみにしている。

国語科教育法2は、試験問題を解くである。
この試験問題は、自分たちが行った模擬授業に関して試験問題を作り、お互いに解き合うのである。
この解き合った結果を元に来週は採点を行い、さらにエクセルに入力して評定のシミュレーションもしてしまおうというのである。

試験問題を作成するレッスンは前期にもしている。前期に比べて比較的よい問題になってきている。実際に自分たちで教材研究をして模擬授業をしているわけであるから、問題の設定もしやすいのであろう。
ではあるが、設問に使う語句にぶれがあったり、理解が曖昧なまま使っていたりと課題は残るものでもあった。

しかし、試験問題作成のレッスンまで受けている大学三年生はそんなにいるわけもないので、良しとしよう。試験問題のどこに問題があるのかを一人一人指摘しておくことにした。そして、

『評価、評定ができるということは、授業の目的が見えているということです。この授業を通して子どもたちにつけさせたい力は何なのかを、指導者が理解しているということです。確かに、評価、評定は難しいものです。ですが、まずはここを意識することから始めて行くことです』

『国語の授業っていうのは、幅が広くてそれこそ先生が教科書を読み続けていれば授業というのも、昔はあったのではないかと思います。ま、ぎりぎり授業でしょうか。しかし、授業が成立しているかと言うとかなり疑問ですし、子どもたちが楽しくて力のつく授業であったかというと、これは違うでしょう』

『私たちは、サーブを打つことができます。授業は教師からの投げかけで始まります。この投げかけをサーブというのです。テニスでもバレーでも卓球でも、サーブ権を持っている方が強い訳です。有利です。
(よし、この授業はあの子のここの部分に焦点を当てて、そのためにここを工夫して)
とすることが教師にはできます。サーブを打つことができる訳です。だから、授業の責任は教師にあるのだと私は考えています。サービスエースをとる必要はあまりありません。コントロールよく、子どもたちがぎりぎり走って追いついて、その玉を拾えるぐらいのそんなサーブを打ち続けることができるような、子どもたちが楽しくて力のつく授業のできる教師に諸君が育つことを期待しています』

あと二回でこの授業も終わる。
まとめに入っている私がいる。

今週も終わった。
週末は、年賀状づくりかなf(^^;。

親ばか日記

親ばか日記である。
このところ娘の成長に、改めて親ばかな私は喜んでいる。

1)ネクタイ
今朝のことである。私が大学に行くためにワイシャツを着て、ネクタイを締め、ブレザーを着てコートを着てとしていたら、娘が使わなかったネクタイの山と格闘していた。

何をしているのかと思ってみていたら、その中から一本を取り出して肩からぶら下げているのである。
(ん?)
そのままにしておくと危ないので、取り上げようと思ったら、明らかに私のネクタイと同じことをしようとしていることに気がついた。その様子がなんとも愛でたいものであった。

2)仲裁
帰省中に奥さんとちょっとした口喧嘩のようになったことがあった。娘を車から降ろす時のことである。私が車外にいて、娘と奥さんはまだ車の中。

そしたら、娘は突然車のボディの陰に隠れて、そこから笑顔で
「ば〜〜〜〜〜〜」
と顔を出すのである。これを数回繰り返していた。

娘に仲裁されてしまった。感情の変化を読み取って、娘なりに気を使ってのことなんだろうと思うと、嬉しいやら情けないやらである。娘はこのときまだ一歳三ヶ月である。

さらに言えば、いないないバーである。
私がするだけではなく、自分もできるようになってきた。
このごろでは、「いないいない」と自分で言いながら隠れるようになってきた。

もっと言えば、しまった〜!である。
私が「しまった〜!」と言うと、両手を頭に載せて笑う。

仕事にならないくらいに可愛い。

3)デジカメ
私のR7がお気に入りである。投げ出されたらたまったもんじゃないので、渡さないようにしているのだが、見つけるとすぐに持って行く。

よく見ていると、投げ出すことはせずに自分の顔の前に持ってきて何やらしている。よく見ると、どうやら写真を撮るまねをしているようである。

考えてみれば、娘の様子をこのカメラはずっと撮影している。娘からすれば、ずっとこのカメラに見られている訳だ。ボタンがあって、自分の画像が出てきて、お父さんのまねができて、これは楽しいはずだ。

どこかで中古の安いデジカメでも買ってきて与えてあげようかなと思う。

4)足
そんな娘が愛しているのが私の足である。
朝起きて、すぐに私の足を見つけて触りにくる。朝風呂に入った後なので大丈夫なのだが、恋人を見つめるような視線で足を見ている娘を見ると、父さんはいろいろな面で心配である。

5)拾って
胡椒のミルをおもちゃ代わりに遊んでいた娘。
『こら、ダメだよ』
と言うと、慌てたのであろう床に落としてしまった。
『あ〜。拾ってちょうだい』
と言ったところ、娘は椅子から降りて拾ってテーブルの上に置いた。
びっくりである。一歳四ヶ月になったばかりだというのに。

私は慌てて席を立って娘のところに行き
『いーこ、いーこ』
と頭を撫でた。
満足そうな顔の娘であった。

このところの成長はいままでと質が違うように思える。

2009/01/08

棺を蓋いて事定まる

本日の授業は二つ。

ディベートの試合をする予定の授業が一時間目。
ところが、ディベーターが揃わない。風邪とインフルエンザである。

授業ではこういうことがままある。ぱぱもある。ないか。
で、どうしようかと思ったのだが新春放談をすることにした。この正月にいろいろと考えたことを学生たちに話すことにした。

  • 自分の育ちを振り返る正月であったこと。
  • アメリカ帝国が崩壊した後の世界の新たな秩序づくりの方向性のこと。
  • 教え子になる正月、教え子が集まる正月であったこと。

こんなことをあれこれと。

二時間目は、林竹二先生のビデオを80人の学生たちと一緒に鑑賞した。「人間とは何か」1977年に沖縄の小学校で、三年生を対象に行われた授業である。

1)事務連絡(ゼミの希望用紙回収など) 10分
2)ビデオの見所、見た後の説明 5分
3)ビデオの視聴 45分
4)ビデオの振り返り 25分
5)まとめ 5分

ビデオを視聴した後の振り返りは、個人で意見をまとめ小グループで交流し、全体への代表意見の投げかけのような形で進めた。

学生たちの感想は、林先生の授業についての疑問と反論が多かった。半分嬉しく半分残念というところか。嬉しさは、この二年間で学んできた授業評価に関する規準を意識して説明しようとしていたところである。残念は、この林先生の授業の何が凄いのかということの視点が弱かったところである。

自分で授業を作るようになると見えてくることだとは思うが、これはその時のお楽しみにしておこう。

昨日帰るときに、大学の中庭で何やら遅くまでやっているなあと思ったら、今日の昼休みにダンスのパフォーマンスがあった。ストリートダンス系のダンスサークルの発表だ。学生たちが昼ご飯の時間に集まって見ている。

「これは全国でこの世代の子どもたちに広がっているけど、なんなんでしょうね」
「よさこいが広まるころから広まったのですかね」
『私は、合唱で学校を作るではなく、ダンスで作るという実践がこれからどんどん出てくると思っています』
「そうですねえ。でも、これはなんなんでしょうねえ」
『うーん、一種の「ええじゃないか」なんじゃないかなと思いますが。機械打ち壊し運動でもないし、市民革命でもないですが。「ええじゃないか」にはいろいろな評価がされていると思うのですけど、この踊りもいろいろな意味があるんではないかと』

と教員同士の会話。
私がわからないのは、学校の体育の時間には毛嫌いされる「創作ダンス」なのに、こういうのは喜ぶというところである。なんとなく違いはわかるが、本当のところどこがどう違うのだろうか。体育の専門家や社会学者に分析をしてほしいものだと思う。

午後は、面談。予約されていたものは一つだったのだが、他に四つ。
学生が四人。それぞれ自分の進路についての報告や相談である。

大学は、新年を迎えたと同時に授業の年度末を迎える。今月一杯で授業は終わる。三月の末まで授業のあった中学校とは、ここが思い切り違う。だから考えを切り替えて、年度末のあれこれもする必要がある。

四月からの自分の進路の相談や報告にくる二回生と四回生に、あれこれ話す。そして、聞く。いや、学生の置かれている状況はそれぞれ違うので、あれこれ話して聞くしかないのである。

ただ一つ言えることはきちんと話した。

『一つだけ君たちの進路に関して自信を持って私が話せることがあるのだが』
「なんでしょうか」
『うーむ、それはな、正解はないということだよ』

どれを選んだら正解だと言うのは、ないのだ。

自分の夢を実現するために本学にやってくる学生たちがいる。それはそれで良い。しかし、夢の通りに行かないのも人生。むしろ、夢が目的になったと思ったら、
(本当にこれでいいの)
とか
(あれ、こっちの方がいいんじゃないの)
と悩んだり考えたりするのが学生時代だろう。

私に言えるのは、どれを選んでも正解なのかどうなのかはわからないということを伝えることだ。

大辞泉より引用開始 ーーーーーーーーーー

【棺を蓋いて事定まる】
《「晋書」劉毅伝から》人間の真価は、死んでから決まる。

引用終了 ーーーーーーーーーー

大学のとき、吹野安先生が授業で言われた言葉だ。
その時の私は
(なんて大げさな)
と思ったが、いまはそうだよなあと思える。

今という時間を過ごすために、今のことに集中しつつ、未来から見たら今はどうあるべきかを考え、その未来の今のためにもやるべきことをする。そう、わかっているけどなかなかできないねえ。でも、そうなのだと思う。

学生たちも帰った。
さ、もう少し明日の授業の準備である。

2009/01/07

12/30

12/30

この日は、また美容院。奥さんの方のである。
実は、この美容師さんは私がお願いしている美容師さんの先輩。
同じ店にいて、それぞれどちらも独立されて店を構えている。

この方も力のある方で、独立して二件目を出している。その二件目はあれこれやるために宣伝もしていないのに、お客は勝手に情報を集めてたどり着いていると言うお店である。力のある人は凄いのだ。

奥さんがやっている間に、私は南大沢にあるアウトレットに買い物に行く。リニューアルして大きくなっていた。のんびりと散歩しながらと思っていたら、大泣きの娘であった。お腹の調子がちょっと悪かったようで、対応に追われる私であった。

たしかに、移動続きで娘は疲れているのだろう。
昼寝をさせる。いや、私も一緒に。
私も移動があって、疲れていたようである。
のんびりと昼寝。
今年最後の昼寝だ。

夜は私の実家へ。車で1時間もかからないところにあるので、便利と言えば便利である。
東京にいるときに娘を授かっていれば、両家まで本当に近い距離に住んでいたわけで、いろいろと助けてもらえることもあったが、こればかりは人生思うようになるとは限らない。

久しぶりに会った池田祖父、祖母であったが、娘は大泣きであった。
何を言っても、
「いや!」
で、まあ、仕方がないかなあと思う私であった。

自己主張をしっかりとする娘であった。

12/29

12/29

年末年始の準備に勤しむ。
まずは、伸び放題に伸びてしまった髪の毛を切りに八王子に向かう。
かれこれ10年私の髪の毛を切ってくれている美容師さんにお願いする。

2月の第一週に番組の収録があるので、そのときにジャストになるぐらいの切り方で切ってくださいとお願いする。難しいお願いだが引き受けてくれる。私の頭の形や髪の毛の質をきちんと理解してやってくれるので、特別なことを言う必要はなく、あれこれ雑談に花を咲かせる。

話題が広いのがさすがである。ああ、すっきり。

年末年始のお酒を買おうと、多摩ビールのレストランに向かったのだが、閉店していた。ショック。ビール工場は稼働していたのでまだあのヴァイツェンは飲めるはずだが、手軽に味わえないのはショックである。

気を取り直して、小山商店で日本酒を購入。正月用にとびきりの日本酒をとも思ったが、関西では飲めなくて、東京にいたときには飲んでいたお酒を一本と、ご主人のお薦めの一本を購入。

奥さんの実家に戻ると、娘のいとこが来ていた。自分よりも年下の親戚ということで、とても大事に遊んでくれた。娘も少しはわかったのかなあ。

そこに、件の仕事に関してオッケーの電話あり。
いやあ、これで気持ちよく新しい年を迎えられる。
良かった良かった。

熱いお湯でもう一度解す

1/7 その2

朝5時過ぎに起きて熱い風呂に入る。
まだ外は真っ暗である。

伊勢湾岸道路を走り抜けてきた余韻がまだ体に心地よく残っている。
これを熱いお湯でもう一度解すのである。

校正を頼まれていた原稿が一本。
時間を見つけてあれこれ見ていたのだが、最後の最後に確認。
よし、ファックスで送る。

研究室は、冷えていた。
暖房を入れて怒ったため、コンクリートが冷えているのかなあ。
ポットの電源も抜いておいたので、お茶もすぐに入れられない。
うう、寒い。

本日のスケジュール。いきなり会議5連発というのは、結構厳しいものがある。
しかし、2010年度に新しい学部ができることもあり、それに関わって多くの重要案件を煮詰める必要がある。さらに、ここには書けないこともあれこれ話す。

さ、私の授業は明日からだ。

本年もよろしくお願いいたします

1/7
Hinode
あけましておめでとうございます。
正月、実家に帰ってのんびりとすることができるかと思いましたが、これがなかなか。家族の賑やかさの中に埋もれてぼーっと過ごしてしまいました。

持って行った年賀状や本はそのまま持って帰ってきたのに等しい状態です。
年賀状は、まだ私の先生にしか出しておりません。
これから始めます。
旧暦で味わって頂ければ幸いです。

メールは、やっとお返事をしたところです。
すみません。
最初から謝る私です。

せめて、いい景色を。
浜松の40階から見た日の出です。
手前に光っている川は、天竜川です。
海は、遠州灘です。

仲間のみなさんのブログを拝見すると、一年のまとめをしっかりとし、今年の目標等もしっかりと書いてあり、
(さすがだなあ)
と思う私です。

私は、相変わらず目の前にある
「やるべきこと、やりたいこと、やってはいけないこと、やったほうがいいこと」
のバランスをとりながら、あれこれする一年になるのだろうなあと思っております。

マックは帰省のときに持って帰っていたので、書き貯めたブログを少しずつアップします。
コメントのお返事もこれからです。
お時間のあるときにお読みください。

新年、新学期もこんな私ですが、本年もよろしくお願いいたします。

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