筑田さんの「「教室ディベート」に魅せられて」
家に帰る。
娘が妙にハイだ。
私の「いないいないばあ」に喜ぶどころか、自分でもやる。さらに、私がビールを飲んでいると、ビールの缶を持って私のグラスに注ごうとする。
もちろん、飲み終わった缶を渡し、プルトップで手を切らないように工夫している缶であるが、娘は私がビールを注いでいるのを見て自分でもやってみようとするのである。
私は娘の求めるままに、空いたグラスを傾ける。すると、嬉しそうに注ぐ。出てくるのは空気である。であるが美味しい空気を頂く。何杯も頂く。娘は、何回も注ぐのである。
世話焼き女房型の、娘である。
しばらくは父さんの世話を焼いてもらおう。
◆
「授業づくりネットワーク」の2月号が自宅にも届いた。
第二特集は「体験学習にこだわる!」である。
これを読みながら思った。
この15年ぐらい、学習ゲーム、ディベート、PA、読書へのアニマシオンなどさまざまな実践が行われてきた。私もしてきた。そして、その様々な切り口から、その核心にたどり着いてきたのだと思う。
それは、子どもをウオッチャーからプレーヤーに変えることである。学びの主体者にするという言い方のほうが適しているかもしれない。
◆
筑田さんの「「教室ディベート」に魅せられて」は、その原稿の同時代を一緒に過ごしてきただけに、あの時のあの場面がいろいろと思い出されて仕方がなかった。
私は過去のことは割と忘れてしまう方である。だけど、筑田さんは覚えている。その筑田さんの記憶にガイドされて、私もあれこれ思い出すことができる。
◆
今日が、雪だったからかもしれない。
教室ディベート連盟関東支部ができた頃のことだ。初代の支部長であった学習院大学の佐藤喜久雄先生のことが思い出されて仕方がなかった。
先生の研究室にお邪魔すると、何も言わないのに冷蔵庫からビールが出てきて、
「いやあ、遠くからありがとう。ご苦労さん。まずは、のどを潤して」
とビールを注いでくださる。
会議が終わり大学を出て行きつけのお寿司屋さんに連れて行って頂く。
「僕の家は職場から3分で帰れるのに、なぜか3時間もかかってしまうんだよね」
と。学習院の先生たちは敷地内に官舎があるので、歩けば本当に3分で帰れるのだそうだ。だけどいつも校門をでてしまい、あちらこちらで飲んでから帰るのでこうなってしまうのだそうだ。笑いながら話されていた先生。
「池田さん。もう僕は死んでしまうんだよ。挨拶のハガキは書いたから。あとは日付を入れれば良いんだよ。あとはよろしくね」
と、これまた笑いながら話された。当然冗談だと思っていたら、先生は私たちを残して去ってしまった。
あまりのことに、私は江古田の葬祭場に通夜と告別式と二日間伺った。雪の降る日だった。先生の学習院女子校時代の教え子たちがたくさん来て先生を偲ばれていた。
式場には雪の降る中、先生の愛されたピアノの曲が流れていた。
◆
そんなことをも思い出させる筑田さんの文章であった。
思えば20年近くディベートを指導しているんだねえ、筑田さん。
« 関係づくり | トップページ | なぜ「ね」と「か」に拘っているのか »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
おおっと、お呼びがかかっていたのに、ごめんなさい。
そうなんですよ、もうそんなになるんですよね。
佐藤先生、懐の広い方でしたねえ。
飲みながら、日本の美意識の成立についてあれこれ教えていただきました。
先生の編集されていた御本を、研究会の合間にそっとプレゼントして下さって…。
ディベートもかつてのように新しい手法ではなく、定番の指導方法の一つになってきたかな、と思います。
池田さんの労作「中等教育におけるディベートの研究 ー入門期の安定した指導法の開発」をいつも目の前に眺めながら、仕事をしております。
投稿: イクトス | 2010/01/31 14:59
入試は順調ですか。まさかの雪かきでしたね。
本当に雪が降ると佐藤先生のご葬儀のことを思い出してしまいます。
筑田さんともそろそろ20年のおつきあいになるんですねえ。
よろしくお願いいたします。
投稿: 池田修 | 2010/02/03 10:09