面白いなあ、言葉って
『子どもは、言葉を通して、感情、論理、意味を伝えてくる。私たちは、子どもの言葉から、その三つのうちの何を伝えたいと考えているのかを理解する必要がある。理解した上で、対応するのである。そのためのレッスンをすべきである』
と書いたが、何も子どもに限定する必要はない。人間はでいいのである。
この二三日、私はこの三つの要素のうち、感情の部分が非常に大きく動いているのを自分で感じている。感情の要素は、プラスの感情とマイナスの感情の二種類がある。いまの私は、時々猛烈にプラスの感情が出てくるのではあるが、マイナスの感情が支配することが多い。
こういう時は、黙るか発散するかである。で、今は黙っている。もちろん、こうしてブログに書いているぐらいだから発散しているのだとも言えるが、その核になる部分は、自分でも触れていない。
よくわからないのだが、黙ることでこの感情を昇華する論理と意味が生まれてくるような気がしている。
過去にも同じような経験をしたことが何度かある。その時も私は黙っていた。誰にというのではなく、自分のことばが三つの要素をきちんと充実させるのを待って黙っているということだ。
経験的に言えば、この沈黙の後、大きな変化が来ることが多い。それは何なのか自分でも今はよくわからない。
ただ、感じるのは言葉というのは「感情、論理、意味」の三つとして現れる前に、何者かがもっと根源のところにあるのだろうなあという思いと、現れた言葉がその何者かを突き詰めようとして、もう一度自らを解体し、何者かになるという繰り返しをしながら存在するのだろうなあと言う思いである。
面白いなあ、言葉って。
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コメント
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私は自分が迷った時に先生のブログを見ているような気がします
先生のブログの言葉は軸がしっかりとしていて
遠くに光る明かりのような導きに感じています
投稿: セレンディピティ | 2009/01/24 02:42
>>セレンディピティさん
いやあ、なんか私がえらい人のように思えてきたなあf(^^;。普通のいち教員ですよ。いや、普通よりは声が大きいかな。課題も多いかなf(^^;。
投稿: 池田修 | 2009/01/24 12:17