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2009/01/22

人生の醍醐味の一つ

今年の後期の児童教育総合演習のゼミが終わった。

後期の授業は今週辺りから終わって行く。他の大学では、先週や先々週から終わったというブログを読むことがあるが、どうして終われるのか不思議だ。いろいろあるのかもしれないが、私のところは今週から終わりになって行く。

大学と中学校が大きく違うのは、ここで授業が終わることだろう。今日は、この後期の授業を振り返りながら、私たち教員が何を目指してこのゼミをしてきたのかを話し、学生たちが何を学んできたのかを振り返った。

このゼミでは、主に子どもの書いた作品を頼りにして、テキストリーディングのレッスンを行ってきた。要は、子どもを知るためのレッスンである。

しかし、この子どもを知るというのは、簡単なようでなかなか難しい。それは作業と目的の二つの面で大変である。

作業で言えば、子どもの書いた作品を読み込むためのテクニカルなレッスンや子ども観を育てる勉強が必要になる。ここが大変なのが一つ。

いま一つは、子どもを理解するというとき、子どもの「過去」を理解することが子ども理解だと誤解する問題があることである。確かに、どういう家庭環境で、どういう病気やアレルギーを持っていてということを知ることは大事である。しかし、ここを知ったことが、イコール子ども理解ではない。

子ども理解とは、子どもの未来を知ることでもある。言い方を変えると、子どもが将来どういう人間になっていたいのかを知ることである。子どもの生きる目的を理解することである。過去は変えようがないが、未来は変えられる。どういう人間に育ちたいのかが分かると、子どもの指導は半分ぐらいできたのではないかと思われる。

そのことを、このテキストリーディングで考えさせてきたのである。

『子どもは、言葉を通して、感情、論理、意味を伝えてくる。私たちは、子どもの言葉から、その三つのうちの何を伝えたいと考えているのかを理解する必要がある。理解した上で、対応するのである。そのためのレッスンをすべきである』

『しかし、当然理解すると思うが、子どもは言葉だけではなく、音楽、絵画、ダンス、運動、遊び、いじめ、喧嘩などなど、さまざまなものを通して、伝えてくる。これを受け止め、子どもが育ちたい人間になるためには、どうしたらいいのかを考えて、あれこれするのが、教師の仕事なのである』

学生たちは、ボーッとしている。

『(そんなの無理)と思っている諸君もいるだろう。ははは、そういう諸君なら大丈夫だ。根拠もなく、自分なら大丈夫だと思って教師になる人より、自分は大丈夫なのかと思って勉強を重ねる諸君の方が、安心である。君たちはそのためのレッスンをしてきている。これだけしてきているのだ、しっかりと教師を目指しなさい。

教師に限らず、仕事というのは、完成するものではない。完成を目指して目の前のことをやり続けることなんだと、私は思っている。だから、目の前のことをきちんとやれる諸君にならねばならない。子どもの未来が掛かっているんだからね』

『通常は、君たちがいま悩んでいることは、仕事に就いてから悩むことだ。だから、いま悩んでいるということはいいことなのだ。2年も早くやっているんだから、大丈夫。あと2年は一般的なところよりも余裕があるはずだ。

ただ、もう少し言えば「悩む」ではない。「考える」であることだ。悩むは、犬が自分のしっぽを追いかけてその場をぐるぐると回ること。何も解決しない。考えるのだ。考えれば、答えが出る。この答えを元に行動する。結果が出る。その結果を元に考える。もっとうまくいくためには、失敗しないためにはと。これを日本語では試行錯誤と言うのである。

あれこれやることが許されているこの大学生と言う時間に、あれこれ考えて、あれこれやれば良いのである。何か、答えが出る。』

『大学一回生の諸君には、「この為に、このようにしなさい」と話してきた。二回生の諸君には、「この為に、自分で考えてしなさい」と話してきた。三回生の諸君は、「○○の為に、指導を受けつつやりなさい」であり、四回生の諸君は、「○○の為に、自分と仲間たちの力でやりなさい」だ。児童教育学科では、大きな枠組みとしてこのような指導の計画を立てているのだよ。君たちは、そしてその二回生を終える』

『三回生の諸君は、「○○の為に、指導を受けつつやりなさい」というときの、○○には君たちの配属される専門ゼミが入ると考えて良い。教育に関して君の専門性を身につける努力をするのである。その専門性に依拠しながら、君たちは子どもを大人に成長させる、人間的成長を導く仕事に就くのである。多いに努力するがよい』

『ただ、自分の希望する○○に行けるかどうかは、分からない。希望通りに行く諸君もいれば、そうではない諸君もいる。しかし、人生が面白いのは、希望通りに言ったら正解で、そうではなかったら不正解だと言い切れないところである。

一言で言って、人生が正解か不正解かというのは、わからない。最後まで分からない。ただ、こういうことは言える。正解は「正解になる」ではなく、「正解にする」ものであるということである。自分の人生は、自分で正解を作ることができる、導くことができるのである。

「あれもできない、これもできない。あれがない、これがない」という生き方もある。しかし、「あれもできる、これもできる。あれがある、これがある」という生き方もある。できない数を数えるより、できる数を数える方が人生は楽しい。

(ああ、この選択は、選択の段階では失敗だと思ったけど、本当は正解だったんだなあ)
と思えるような人生を、自分と仲間たちで作っていくのが、人生の醍醐味の一つなのではないかと思うのだよ』

本当は、林竹二先生の「授業人間について」のビデオ(ビーバーの巻)を見せた意義もかねて話をしたかったのだが、時間切れ。ま、しっかりと学んだ諸君なら分かったであろう。

その後、学生一人一人からの振り返りを語らせた。
そこに、私からのコメントを重ねていった。

来年度、それぞれの専門ゼミに行って、専門性と人間性を磨き、
学生諸君が成長することを願う。

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