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2009/01/30

『赤めだか』(立川談春 扶桑社)

授業期間が終わるということは、私にとってはあるものの解禁を意味する。

それは、仕事の読書ではなく楽しみの読書の解禁である。国語科の教師ということで、どんな本を読んでいても
(を、これは授業で使えるかな)
となってしまい、エンターテイメントを楽しめないのである。

いつのころからか、授業があるときには楽しみの読書は極力控えるようにとなってしまった。

で、解禁である。

読み終えた本は、
『赤めだか』(立川談春 扶桑社)
である。

私はこういう本が好きだ。
立川談志に入門した、立川談春の修業時代のエッセイである。

文体のリズムが良いのは、さすが噺家である。黙読していても、思わず音読したくなるようなリズムである。

人がどうやって成長して行くのか。そこに教師や指導者はどのように関わって行くのかを考えるのに、良い本である。

また、修行を始めたばかりのときには分からない、師匠、先輩、先生たちからの指示の意味をなーんとなく理解するにも良い本かもしれない。

つまり、指導者にも、学習者にも、いいのだ。
ま、あれこれ言わなくても、文句なしに面白いだろう。

お笑い教師連盟に私は入っているのだが、なーんとなくだが、この連盟は漫才派と落語派に分かれるような気がしている。(一部、コント派もいるかなあ)

恐らく今の時代のお笑いは、漫才をベースにしていると思われるし、教室の笑いは漫才をベースに考えた方が、システム的にうまくいくと思われる。

しかし、私は落語派である。

MINICOOPER-Sは、その排気音が非常に心地よい。折角取り付けたサウンドシステムも、あんまり活用しないぐらい心地よい。その排気音と振動を楽しむのがいいからだ。

でも、そんな私でも車中で落語は聞く。MINICOOPER-Sの排気音に包まれながら聞く落語は、なんともいいのである。

落語と漫才の笑いはどう違うのであろうか。
これに関して笑いの芸術論が多く書かれているであろうが、それらを全く読んだことのないままに、独断すると、

・落語は人間の本質を笑い、漫才は時代の本質を笑う

というのではないかと思う。
立川談志は、この人間の本質を笑うというのを

「落語は、人間の業の肯定である」

と言い切っている。
また、古典落語はあるが、古典漫才はない。そんなことからそのように思うのである。

私は、コミュニケーションのシステムとしての漫才、時代を鋭く取り出して笑う漫才の笑いを凄いと思いながら、人間の切なさ、可笑しさを笑う落語が好きなのである。

さらに私は教師という仕事をしている。人間を育てる仕事である。立川談志の弟子の育て方に共感することが多くて、私自身びっくりした。

(ああ、俺ってやっぱり落語なのねえ)
(教師を育てるって、正統的周辺参加だよねえ)

師匠は、弟子の計り知れないところで深く、壮大に弟子の成長を考えている。そのことがよーくわかる本である。さらに、師匠の師匠は、弟子である師匠をどう思うのかも分かる本である。

んと、談志の師匠は、柳家小さんで、小さんは、談志を破門にするが、その破門後の談志をどのように愛しみ、談志は小さんをどのように敬っているのかも分かる。教育とは、師弟とはと考えさせられる本でもある。

結局、素直に楽しむではなく、あれこれ仕事に引きつけて読んでしまう私であった。


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コメント

『赤めだか』、私も昨夏に読みました。とても良かったです。
おかげで、談春の落語もなんと秋田で逃さず聴くことができました。
それから立川流の昇進システム?には私もとても興味を覚えています。池田先生の談志への共感もなんとなくわかる気がしました。
ちなみに「お笑い」はなんでも好きの雑食系でしょうか。

池田さんはきっと落語家を目指されたとしたら、いい噺家さんになったと思いますよ。

この『赤めだか』は、ことばを大事にする人が書いただけに、心に残るフレーズがたくさんあります。そして、師匠から受け継いだ言葉を自分の中でしっかり熟成して、自分のものにして表現しているので、師匠の語る言葉と弟子の受け継いだ思いとが同時に伝わるところがおもしろいですね。

昨年の秋に行った立川志の輔さんの独演会に、対談の仕事で訪れていた談春さんが、サプライズゲストで登場。初めて一席聴くことができました。

落語の世界は、教育の世界に共通するものがたくさんありますね。とても刺激を受けます。

>>springさん

そうでしたね、お読みになられていましたね。人を育てるってことは、ライセンスを与えることではないんだぞと談志にいわれ、人が育つってのは惚れるってのと同義なんだぞと談春に言われているような気がしながら、読んでいました。

近代科学とは全く別の人を育てる世界ですが、こういうものをなんとか学校教育や、教員養成の世界にも関わらせたいなあと思う私です。

とまれ、いやあ、良かったですよね『赤めだか』。

>>kuraさん

>>池田さんはきっと落語家を目指されたとしたら、いい噺家さんになったと思いますよ。

なんと。ま、古典の素養はさだまさしさんですからねえ。

>>師匠から受け継いだ言葉を自分の中でしっかり熟成して、自分のものにして表現している

私も大学の授業を作る時、恩師の言葉を頼りにしながら作っていることを自覚する時があり、申し訳ありませんと、ありがとうございますが同時に心の中に出てきます。なんつーか、私が語って良いのかなあと言う思いと、今はその役目なのだからしっかりと伝えなければなあという思い。その言葉が使える感謝というところでしょうか。

>>落語の世界は、教育の世界に共通するものがたくさんありますね。とても刺激を受けます。

やっぱりそう思いますよね。
教育は落語と似ています。

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