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2009/01/14

なぜ「ね」と「か」に拘っているのか

学級担任論で、面談の進め方を話した。

1)まずは、保護者の話を聞く。
2)メモを取る時は、断ってから取る。
3)保護者の子どもに対する否定的な表現に安易に相づちを打たない。

などの話をするなかで、3)を詳しく話した。

『子ども(に限らず人間)は、自分が好きなことをしている時と、嫌々やっている時の顔は違う。だから、教員は授業の時の子どもの顔だけではなく、クラブ活動や休み時間の子どもたちの顔を見ておく必要がある。
(へ〜、こんな顔をするんだ)
と知っておくことは大事であり、そんな顔が自分の授業で見られない時、教員は反省すべきなのである』

『そして、家での顔と学校での顔は、違うのが子どもである。面談のとき、親は君が学校で見ている姿とは違う子どもの話をするだろう。それが普通だ。

その中で、「先生、うちの子どもは○○ができなくて、××がダメで・・・」と話すとき、安易に「そうですね」と相づちを打ってはダメなのである。そんなことをすると、「でも、先生うちの子どもはですね・・・」と自分の子どもを擁護し始める』

そんなことは、落語の厩火事を知っていればハハ〜ンと納得するのだが、学生は知らないだろう。

『だから、「そうですね」ではなく、「そうですか」と疑問の形で話を聞くのだ。そして、「でも、〜はいいじゃありませんか」と子どもを親の前で擁護してあげるのだよ。「でも〜」を親に言わせるのではなく、先生が言うのだよ』

というような話をすると、学生たちは、

「ね」と「か」の違いだけでこんなにも違うのだということに驚いた。これからきちんとした言葉を使えるようにならなければならないと思いました。

と戦くのである。

ま、それはそれで良いのかもしれないが、私が危惧するのはこの先である。

こういうことを教えると、学生たちは「ね」と「か」の違いに注意することばかりに気が向かうようになる。つまり、How to である。中には
「これで先生の技の一つを盗めました」
なんてことを言う者もいる。

私は常に言う。

『授業をしているのだ。君たちは自分か保護者かわからないが授業料を納めている。なにも盗む必要はない。しっかりと学べ。さらに言うが、技だけ手に入れようとしても無理だぞ』

と。

私が、なぜ「ね」と「か」に拘っているのかが分かっていないのである。人間は場所や環境によってその見せる姿を変える。親の前と、先生の前では別人格になったのではないかと思えるぐらい変わることもある。

だから、親が子どもの「悪口」を言ってきたとき、それは子どもの一部かもしれないですよ、ということを親に伝えるために「か」で受けとめるのである。

そして、「でも・・・」と学校での子どもの良いところを伝えるのである。

となると、子どもの学校の日常での良いところを理解していない教師は、この会話ができないことになる。「ね」と「か」で受けとめることができても、ダメなのである。

学生諸君よ、ここを理解するのだぞ。

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