2/7 を、比良山が見えてきたぞ
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最後の収録を終えて、新幹線に飛び乗る。やっぱり、N700。
新幹線の中では寝て行こうと思ったのだが、体が疲れている割には寝ることができない。気持ちが高ぶっているのだと思う。
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テレビ番組の制作は、授業づくり、または授業にとても似ているなあと思う。今回の収録でもそれを感じた。
インフルエンザの後遺症で、頭の回転がいつもより鈍かったが、現場に出て子どもたちの顔を見て、スタッフの動きを見てとしているうちに、あれこれ頭が回転してきたのを感じるとき、
(ああ、俺は現場だなあ)
と思うのであった。
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収録をしながらいくつかの発見や思いつきがあった。そのうちの一つが、「設定」と「調整」である。番組づくりも授業もこの両方の力量が問われる。
設定というのは、ことの前に行うものであり、調整というのはことの最中に行うものである。私は設定を大まかにしておいて、調整をしながら進める方を好みとしている。好みの問題なのであって、どちらか片方しかしないということではない。
これは
(私たちの世代は、調整があたり前の中で育っていたからかもしれないなあ)
と勝手に大きな仮説を立てたのである。
FMで音楽を聴くとき、私たちの世代はダイヤルをまわして調整、つまりチューニングをしながら一番電波状態の良いところを探して聞いていた。私が好んで引いていたギターも、六本の弦の音程をチューニングして使っていた。
が、デジタルの時代になりFMで音楽を聴くにしても、調整ではなく、周波数の設定と変わって行った。最近では自動でチューニングしてくれるギターもある。
この程度で人間の意識のレベルが変わるかどうかは、相当疑問だが、一つの考え方として「設定すればあとは、自動的にうまくいく」と考えている若者が増える一つの理由になるのかもしれない。
教材研究、児童理解。とても大切である。しかし、これは設定に関わるものである。授業が始まったら、設定をいじるのではなく、調整をしながら授業の目的に向かって行くことが必要になる。
FMラジオのクリアな音源を求めていた私は、そのダイヤルの遊びの部分を指先に感じながら、うんしょうんしょと調整していた。小学校で授業をしながら、その時の私のことを思い出していた。
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それにしても、4回の出演は私にとっては良い経験であった。徳俵一枚で残った収録の回もあれば、授業の最初と最後で子どもの成長の差が凄くて感動した回もあれば、日頃の担任の先生のご指導の丁寧さを実感させていただいた回もあった。
スタッフも何回か同じスタッフと仕事をすることができ、気心が知れた関係の中で、気持ちよく授業をすることができた。
番組を作るとなると、どうしても数人の子どもにスポットライトを当てて作らなければならなくなる。対象がばらけると見ている方が大変になるからだ。
ではあるが、授業はそういうことはできない。番組の収録のための授業であっても、そこに参加する子どもたち全員に学びを保障しなければならない。
今回は、40人弱のクラスの子どもたちであった。全員自己紹介スピーチを行い、収録をした。実際に使われるのは数人だろうが、それはテレビ番組としてのこと。授業は全員である。
NHKのこのスタッフたちとの番組づくりは、この辺りの了解がきちんとできているので、私は授業に集中できる。この授業が編集の力で、余分なところを削ぎ落とされて、すっきりした番組にしあげてくれるだろう。
放送予定は、3/3 10:00~10:15(再放送は3/10)。番組は、「伝える極意」(第20回・最終回 自己紹介の巻)NHK教育テレビです。良かったらご覧下さい。
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を、比良山が見えてきたぞ。
さ、そろそろ京都駅だ。
これから大学に行って、学生たちの保育園実習事前指導だ。
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